機動戦士ガンダム0153 〜翡翠の翼〜
     
    第五章  再会


 UC153 5月 8日 サイド2と月を結ぶ航路上

 サイド2連合艦隊を支援するべく出撃したハルシオン隊は、戦闘終了後。しばらくの間、連合艦隊の巡洋艦
に厄介になっていた。これは、ハルシオン隊のモビルスーツだけでは月に帰還することが出来なかったからで
あるし、行きに使った輸送艦はすでに月に帰還し、それが迎えに来るのを待っているためである。

 そして、サイド2連合艦隊もまた、とことんまでやられて壊滅状態になっており、その被害状況の正確な把握
を行う必要があり、集結地点で数日の間、立ち往生させられることとなった。そこに、ハルシオン隊のメンバ
ーたちも足止めさせられる羽目になったのである。

 その事実は、ハルシオン隊に。特にライアンに、自分たちの隊の限界を感じさせられた。結局、自由に動く
足を彼らは持ち合わせてはいない、ということである。しかし、この数日の時間は、彼らに何ももたらさなか
ったわけではない。

 サイド2連合艦隊のクルーの多くは、ハルシオン隊、およびリガ・ミリティアに好意的であったし、懇意にな
った者も多くでた。特に、モビルスーツのパイロットの多くは、リガ・ミリティアが独自に運用するモビルス
ーツに関心を持つものも多く、比較的損傷の少ないガンブラスターなどを見たり、演習を行ったりなど、少な
くとも退屈はしなかったし、有意義な時間をすごせたとも思う。特に、サイド2連合艦隊のパイロットの一部が
リガ・ミリティアに志願する、というケースもちらほら見かけることも出来たし、うまくすれば艦ごと参入し
てくれる可能性も見られたからである。(その際は、周囲と口裏を合わせて参入した艦は戦闘で撃沈されたこ
とにする、いう話になった)

 そして、足止めを食って三日たってから、サイド2連合艦隊に接近する艦の姿があった。その姿を艦隊の斥
侯が発見したとき、一瞬敵襲だと騒ぎになったものの、すぐにその間が連邦軍の運用するクラップ級巡洋艦で
あることを知り、その騒ぎも収まった。そして、同時にその艦が入れてきた通信によって、その艦がリガ・ミ
リティアに所属する艦であり、ハルシオン隊を迎えに来た、と聞いてライアンらハルシオン隊の隊員たちは目
を丸くしたものだった。

 連絡を入れてから、クラップが艦隊に合流してその艦にハルシオン隊の生き残りが合流し、着艦してさらに
驚くことになる。クラップ級巡洋艦、エアには、故障した機体に代わるモビルスーツがいくつも搭載されてい
てしかも、そのほとんどがビクトリータイプであることに。ジェスタも、失ったブーツを補充できたし、
ダッシュパックも手に入れることが出来た。

 それからモビルスーツを降りて、クルーと面あわせをして、さらに驚くことになったのである。

「や。久しぶり。元気だった?」

 そう言って、パイロットたちの前に顔を出した整備士。それは、ライアンの妻、ニケだった。彼女を前にし
て、ライアンは唖然として、

「なぜお前がここにいる!」

「しょうがないでしょ? 人手が足りなかったんだよ、リーンホースの改装に、このエアの修復にだって月の
クルーが駆り出されたんだからね」

 怒鳴ったライアンに、眦を吊り上げて言い返すニケ。二人とも、下がる気はないようだった。その口論の勢
いに、誰も口を挟むことすら出来ない。そうこうしている内に、夫婦喧嘩は娘のレナのことに及び、ますます
ヒートアップしていった。

「夫婦喧嘩は犬も食わないっていうが」

「ほんと、そうですね……」

 誰もが唖然として巡洋艦のモビルスーツデッキで繰り広げられるライアンとニケの夫婦喧嘩に目をやってい
ると、マジクとジェスタがそう呟く。しかし、二人とも夫婦の間に首を突っ込む勇気はなかった。

 それからどれくらいの時間がたったであろうか。とりあえず、二人は夫婦喧嘩の末、何も結論を出すことも
出来ず、互いに怒鳴りあった末、「もう知らない!」「好きにしろ!」と言い合って喧嘩別れした。どうなる
のだろうか、と心配になったジェスタではあったが、この二人の夫婦喧嘩は何度も見ているので、まあたぶん
大丈夫だろうな、と思うことにした。

「あ、あの、隊長?」

 そう恐る恐る聞いたのは、アンだった。皆、あんたいい度胸してるな、と心の中で快哉をあげる中、じろり
とライアンは隊員たちに目を向ける。それにぎょっとしてから

「ブリッジに行くぞ。誰が責任者なのか、確認せねばならん」

 不機嫌そうにそう言ってから、ライアンは一度だけすねた様子で背を向けるニケに目を向けてから、隊員を
先導してブリッジに向かった。隊員たちもそれに続きつつ、

「えーと。ニケさん?」

「なに」

 一応、ジェスタはおびえながら声をかけた。ライアンがニケのことを心配していることを。家族を大切に思
っていることを、伝えたかったからだ。が、

「えと、隊長は」

「そんなこと、いわなくてもわかってるわよ、ジェスタ。まったく、いい年して素直じゃないよね、あたしも
ライアンも。あんたみたいな子に心配かけさせてさ」

 そう苦笑しながら言って、ニケは手に持ったスパナで自分の着ている整備員用のノーマルスーツのヘルメッ
トをこつこつ、と叩いた。それを見て、ジェスタは自分の浅慮を恥じた。自分などが口出ししなくても、この
夫婦はきっちりとお互いのことを理解しあっているのだ、と。

 それでも喧嘩をするのは、やはり感情というものがついついもてあましてしまうからなのだろう。苦笑する
ニケを見ながら、そのことがうらやましく思えた。こんなふうに、お互いを思いあい。大切に感じられる夫婦。
自分の両親も、そうだったな、と思う。

(ああ、だから父さんは戦ったんだ。危なくなっていく故郷を、家族を守るために)

 単純に正義感ではなく、身近な世界を守るために、父はカガチと戦い、そしてギロチンにかけられたのだ。
それを感じ取り、ジェスタは目頭が熱くなる思いに駆られた。が、それは表に出さず、

「さ、ジェスタ。早く行きなさい。ライアンが怒るわよ? 八つ当たり、されたくないでしょ?」

「隊長はそんなことはしませんってば。ニケさん」

「ん? 何?」

 ニケの冗談に笑いながらジェスタは手を振り、最後にまじめな顔をして、

「ありがとうございました」

「は?」

「いえ。こっちの話です。……とても大切なことを、教えていただいた気がしたから」

 目を丸くするニケに、くすりと笑って答えて、ジェスタは地面を蹴る。先に行ったライアンたちの後を追う
ために。そんなジェスタを見送って首をひねったニケは、しかし、運び込まれたモビルスーツの整備という大
仕事が待っていることをすぐに思い出し、

「よーし、それじゃ一丁やるか!」

 と気合を入れて、すでに仕事に入っている同僚たちの元に向かっていった。


「すみません、遅れました」

 ブリッジに入るなり、ジェスタはそう言って謝罪する。と、そこにいた全員の目がジェスタに集中した。そ
れに一瞬、ぎょっとしたものの、

「お。ジェスタ君。息災そうで何よりだね」

 と、いきなり声をかけられた。その声をかけた人物に目を向け、ジェスタはきょとんとして、

「ハサンさん? どうしたんですか、こんなところで」

 思わずそう聞き返していた。そこにいたのは、輸送船〈バティム〉の船長をしていたハサンだった。それ以
外にも、コ・パイロットを務めていたロジャーや、オペレーターのリンダの姿もある。

「ここにいるってことは決まっているだろう? 私がこの船。巡洋艦エアの艦長を勤めさせてもらっているの
だよ」

「はぁ!?」

 失礼だったが、ハサンの言葉にジェスタは思わずそう答えていた。それに、ハサンたちは笑みをこらえる仕
草をする。

「ほら、キャプテン。予想通りの反応でしたね? みんなと一緒ですよ」

「うむむ。それほど私は艦長らしくはないかね?」

「そういう問題でもないと思いますが」

 リンダがくすくす笑いながら言うと、ハサンが困った顔をし、ロジャーが肩をすくめながらそう答えた。そ
れを前にして、ジェスタを含むパイロットたちはリアクションに困っていた、が。

「ふむ。では、よろしく頼む。ハサン艦長」

「ああ、今後ともよろしく、ライアン隊長」

 ライアンだけはさすがに、動じることなくハサンに握手を求め、それにハサンも応じた。それからいろいろ
と話をした。それによると、今後。ハルシオン隊はこのエアを拠点に活動することになるという。そして、さ
らにサイド2連合艦隊から一隻。サラミス改級巡洋艦、レオノラが参入してくれることになった。

 それを確認し、エアとレオノラはサイド2連合艦隊の首脳陣に連絡を入れて、艦隊の集結ポイントから月へと
向かうことにしたのである。

 そして現在。その航路上にいるわけである。パイロット用の部屋に、マジクと二人部屋になったそこで休み
ながら、ジェスタは状況の変化に戸惑いつつも、少しだけ不安に思った。今回の作戦を終えたら、また月に帰
る。そう思っていたのだが、こうして移動拠点となる巡洋艦に乗ることになった。いつでもあえる、と思って
いた家族とは、もう簡単には会えなくなってしまったわけである。

(今回月に帰ってからは、次はいつ月に戻ってくるやら)

 ベッドに寝転がりながら、そんなことを考えていた。今回、月に一度戻るのは協力を得たアナハイムの工場
からモビルスーツをはじめとする補給物資を受領し、これまで使っていたドックから資材を移動させるためで
ある。

 それ以降は、あちこちに分散しておいてあるリガ・ミリティアの秘匿施設などを利用しながら転戦すること
になるだろう。たとえ、リーンホース隊が、ビッグキャノンの一撃で一個艦隊を壊滅させたとはいえまだ戦争
は終わっていないし、むしろこれからが佳境に差し掛かろうというところだ。リガ・ミリティアの首脳部が引
き込みに成功しているという連邦軍とともに、戦っていくためにも今後は気が休まる暇はないだろう。

「……一度。家に帰ってみるかな」

 ポツリと呟く。それから身を起こし、ベッドに体を固定するバンドをはずした。一度、このことをライアン
に相談してみよう。そう思ったのである。そしてそのまま部屋に出ようとしたとき、ジェスタは眉をひそめた。

「……これは……」

 そう呟くと、ジェスタはハンドグリップをつかんで、移動を開始する。移動先は、ロッカールーム。そこに
たどり着くと、ジェスタは自分のロッカーからパイロットスーツを取り出して、それを手早く身に着けた。そ
してガンルームに向かう。そこにいるスクランブル要員たちに、

「すみません。ビクトリーで待機しています」

 と、声をかけて彼らの目を丸くさせたその時だった。艦内に、警報が流れた。次いでアナウンスが。それに
よると、艦のセンサーが、前方に存在するベスパの小艦隊を捕捉したのだという。数は三隻。アマルテア級一
隻と、カリスト級二隻。おそらくは、斥侯艦隊であろう。それが二隻の航路上を横切る形になるため、戦いは
避けられそうにない。

 警報が鳴り響く中、ジェスタはすばやく自分のビクトリーに乗り込む。すでにガンダムの形態になり、ダッ
シュパックも装備しているビクトリーのコックピットに着くと、起動の手順をふみ、出撃の準備を整えた。

 それと同時に、モビルスーツデッキの空気が抜かれ、整備員たちは退避していく。ジェスタ以外のパイロッ
トたちも、次々にモビルスーツに乗り込んでいき、わずかな時間で出撃の準備は終わった。

「隊長。先鋒を務めさせてもらっていいでしょうか」

『ああ。かまわんが。ずいぶんと早いな、ジェスタ』

「虫の知らせって奴ですよ」

 通常のビクトリーと同じ色に塗りなおされたライアンのヘキサに声をかけるジェスタ。それに、ライアンは
驚いていたようだが、特に何もいわなかった。ジェスタはそれを受けて、カタパルトデッキまで進んでいき、
カタパルトに足をかける。そして、

「ハルシオン隊、一番機。ビクトリー、ジェスタ・ローレック。でます!」

 そう声を張り上げると、カタパルトデッキの片隅のランプが、赤から青に。ゴーサインが出た。そのとたん、
カタパルトが作動。ビクトリーは暴力的な加速を得て、一気に射出される。生まれて初めて体験する、カタパ
ルトの加速。そのGにジェスタは一瞬体がシートに押し付けられ、ぐ、とうなった。

 しかし、すぐに目の前に広がっていく宇宙の光景に目を奪われる。広い。宇宙はこんなにも広かったのか。

 が、そんな感傷はすぐに消えうせる。今すべきこと。それは

「目の前の敵を片付ける! それが、俺の仕事だ!」

 そう叫ぶと、ジェスタはビクトリーを加速させた。突出するジェスタのビクトリーは、前方に見え始めた三
隻のベスパの艦艇をまっすぐに目指す。その艦艇が、砲塔をこちらに旋回するのが見えた。それを見て鼻を鳴
らし、

「そんなものにあたるほど遅くはないんだよ」

 呟いて、機体を上昇させる。その直後、メガ粒子砲が先ほどまでビクトリーがいた空間を貫いていった。そ
れははるか後方まで伸びていき、そして消えていく。ジェスタはそんなものに目を向けることなく、オーバー
ハングキャノンを敵艦に向けて、ライフルとともに撃ち放つ。高速で移動しながらのその連射に、後方のカリ
ストは対処しきることは出来ず、迎撃のモビルスーツを放出しながら、火を噴き、そして大破。轟沈した。

「よし、まずは一隻!」

 そう叫んだジェスタに、ゾロアットが迫る。そのゾロアットにビームを撃ちつつ、退避行動を行うと、横合
いから撃たれたビームにゾロアットが貫かれ、爆発した。

『張り切りすぎだぞ、ジェスタ』

「すみません、隊長」

 そう言ったのは、オーバーハングキャノンを装備したライアンのヘキサだった。

『だが、よくやった。一隻撃沈。先の会戦での撃沈と合わせてこれで二隻だな』

「はい。では、続いていきますよ」

『ああ。やって見せろ』

 ジェスタの言葉に笑みとともに答えるライアン。それを受けて、ジェスタは唇をほころばせると、ビクトリ
ーを加速させた。迎撃のためにでてくるゾロアットを、他の仲間とともに迎え撃ち、蹴散らす。そして、ジェ
スタがまた一機ゾロアットを撃墜して開いた穴から、ライアンがヘキサを突入させて、真上からアマルテアに
襲い掛かった。対空砲火をシールドで防ぎながら、オーバーハングキャノンを連射し、アマルテアはビームに
刺し貫かれ、撃沈。

 それを横目にしながら、ハルシオン隊は連携して残った一隻のカリストにまるで狼のように襲い掛かった。
その勢いを迎撃に出たベスパのモビルスーツ隊はとめることが出来ない。次々に叩き落されていき、そして、
残りの一隻もまた、ジェスタのビクトリーのオーバーハングキャノンの餌食となった。

 こちらの損害はゼロ。敵は全滅。完全勝利といってよかった。それで、ハルシオン隊のパイロットたちは皆
口々に勝利の喜びの声を上げた。

 そして、意気揚々と帰還する中、ジェスタは自分のビクトリーをライアンのヘキサに近づける。

『今日はよくやった、ジェスタ。本当に腕を上げたな』

「ハイ。これもみんな隊長たちのおかげですし、ビクトリーの性能のおかげです」

『お前の腕は確かだ。それは、もう皆が認めていることだぞ』

「え……それは、光栄です」

 ライアンの言葉に、ジェスタは本当にうれしかった。自分が、ここまでいわれるほど腕を上げたとは思って
もみなかったからである。しかし、実際。ライアンの目から見ても、ジェスタは本当に腕を上げたと思う。い
くつもの実戦。特に、一度落とされ、それから奮起し、さらに二度体験した大きな戦い。これが、ジェスタを
成長させた。自分が育てたパイロットが、ここまで強くなったのは、うれしい限りではあるが、どこか物寂し
くもある、そんなライアンだった。

「あの。隊長。艦に帰ったら、話をしたいことがあるんですが」

『ほう。話か? 重要な件か?』

「ハイ。個人的なことですが」

『そうか。では、後で聞こう』

 そう言って、ジェスタはビクトリーをライアンのヘキサから離した。そして、そのまままっすぐに、エアへ
の帰還コースを取った。


                     *****


「それで、話とはなんだ」

 戦闘終結後、手続きを終えて自由時間になってから、ライアンと食堂で向き合うジェスタ。ジェスタはまじ
めな顔で、ライアンの顔を見つめ、

「隊長。俺、一度家に帰ろうと思うんです」

「ほう」

 ライアンは、ジェスタの言葉にわずかに眉を動かしたものの、動じた気配はなかった。それに、少し戸惑う
ジェスタ。てっきり何かいわれると思っていたのだ。

「どうした、ジェスタ。反対されるとでも思ったか?」

「あ、はい。とりあえず」

 にやり、と笑って言うライアンの言葉に、ジェスタはしどろもどろになってそう答えた。それを聞き、ライ
アンははっは、と大声を上げて笑う。

「何。お前の顔を見れば、逃げるつもりがないくらいはわかる。今回月に戻ったら、いつ月に帰れるかはわか
らんからな。お前が、家族の顔を見に行きたくなる気持ちもわかる。そうだろう?」

「はは。やっぱり隊長には勝てませんね……」

 穏やかに笑みを浮かべて行ったライアンの言葉に、がっくりと肩を落としていうジェスタ。それを見て、ラ
イアンは不敵に笑う。お前みたいな若造に、負けてたまるか。その顔は、そう言っていた。さすがに十歳以上
年が離れているだけはあるな、と、一人前の男の顔をするライアンを見て、ジェスタはそう思った。しかし、

「ところで隊長」

「なんだ」

「レナちゃんのこと、どうするんです? 今は、ドックに残った人に面倒を見てもらってるみたいですけど、
あそこは引き上げてエアとレオノラに移乗するんでしょう?」

「む」

 そのジェスタの言葉に、ライアンは顔をゆがめた。そう。それこそが、ライアンの最大の悩みの種だった。
いくらなんでも、三歳の娘を戦場に連れて行きたくはない。だが、だからといって預ける先があるわけではな
い。施設に預けたくはないわけだし。ライアンとしては、ニケに艦を降りてもらって、月でレナとともに待っ
ていて欲しいのだが、それは断固として拒否された。おそらく、何を言っても絶対にニケは自分の言葉を曲げ
ることはないだろう。ニケのことを誰よりも知るライアンは、そう確信していた。

「むむむむ」

 うなるライアン。それを見て、苦笑するジェスタ。

「あの、隊長。よければ、俺の母に頼んでみましょうか? 戦争が終わるまでの間、レナちゃんの面倒を見て
もらえるように」

「馬鹿をいえ。そんな迷惑をかけられるか」

 ジェスタの提案に、即座にそう文句を言うライアン。さすがに、見知っているわけでもないジェスタの親に
自分の娘を預ける気にはなれなかった。信用していないから、ではなく、むしろ慎ましやかに生きるジェスタ
の家族にわずらわしい思いをさせたくなかったからである。

「大丈夫ですよ、母さんもミラルダも、事情を話せばきっと快諾してくれます。それに、レナちゃんもなつい
てくれますよ。二人とも、子供の面倒は得意ですから」

 照れ笑いしていうジェスタ。それを見て、うなり続けるライアン。そして、しばらく考えてから、

「少し考えさせてくれ。俺だけでは決められることではないしな」

 難しい顔をして出した結論は、そうだった。夫婦の、親子の問題だ。確かに一人では決められまい。まず、
ニケと話し合い、月でレナに聞き、決めなければならないだろう。それにジェスタは「そうですか」といって、
この話はここで終わった。それから、ジェスタはライアンに別れの挨拶をして、食堂を後にする。

「家族の問題、か」

 そう呟きながら、ジェスタは月の家族のことを思い浮かべた。そして、それと同時にカイラスギリーの攻防
戦でであった少女。フィーナのことも思い出す。家族がいない、といった少女。女王マリアのために戦うとい
った、悲しい少女。

「……それでは、報われない、よ」

 ポツリと呟く。あの時にも思ったことだ。今、自分の家族のことを深く考えれば、その思いはより強くなる。
しかし、敵味方の関係であり、互いに違いすぎる人生を歩むジェスタでは、どうしようもないことでもあった。


  UC153 5月 9日 サイド2 ザンスカール帝国本国 ベイブロック

 現在、ザンスカール帝国の軍港はきわめて騒然としていた。というのも、つい先日。リガ・ミリティアによ
って行われた奇襲のせいだ。それによって多くの艦艇を失い、モビルスーツも、パイロットごと失われた。そ
の再編成に忙殺され、まさに猫の手も借りたいほどの喧騒に包まれていたのである。

 おまけに、新設した艦隊。モトラッド艦隊の編成も行われ、その出撃準備も並行して行わなければならない
こともあり、過労死するものが出るのではないか、とまことしやかに囁かれるほど、現在。ザンスカールの軍
港は、いや軍そのものが大混乱に襲われていた。

 そんな中、一つの小さな艦隊が編成された。いや、正確に言えば、再度編成された大きな艦隊の一部、であ
ったが。その艦隊は、ギロチンで死にぞこなったタシロ・ヴァゴを司令官にして再編された第三艦隊の中の、
遊撃艦隊という位置づけである。

 その艦隊の今回の任務は、まずは月に行き、そこから地球へと侵攻し、地球クリーン作戦を実行するモトラ
ッド艦隊に先行し、月面方向に行ったリガ・ミリティアらしき艦艇を捕捉。そして、月に隠れ住むであろうリ
ガ・ミリティアの首を押さえ、モトラッド艦隊の支援を行う、というものだった。

 その艦隊の旗艦を勤めるアマルテア級戦艦のモビルスーツデッキに、三人の少女の姿があった。誰あろう、
フィーナ、サフィー、ミューレの三人である。今回、彼女たちはニュータイプ研究所から正式に軍のほうに籍
を入れ替え、正規のパイロットとして配備されたのである。

 これは、先の一連の戦闘で、熟練パイロットの多くが戦死したこともあり、それをフォローするためにたく
さん集められた新人パイロット。そのうちの一人として、彼女たちは入れられたわけだが、彼女たちはきっち
りと戦果を残しているため、そのあたりを買われて最前線に送られることになったのである。要するに、使え
るパイロットを遊ばせている余裕が、ベスパにはもうなくなってきた、というわけだ。ザンスカール帝国とい
う小国家の、どうしようもない人材の不足という弱点が露呈した証拠だった。

 三人はキャットウォークから整然と並んだ、モビルスーツを眺めていた。変わり映えのないゾロアット。そ
して、オレンジ色の装甲をした、モビルスーツ。リグシャッコーだ。それが三機。それは、彼女たちに与えら
れた、新しい鎧。

「これでボクたちも正式に軍人さんなんだね」

 眼下の光景を眺めながら、真新しい軍服に身を包んで呟くミューレ。その胸元の改級章は、これまでの曹長
のものではなく、准尉のものだ。今回、艦隊に正規のパイロットとして配備されたときに、サフィーとミュー
レは准尉に。フィーナは三人の中でも小隊長として少尉に昇格したのである。それは、まさに彼女たちがニュ
ータイプ研究所のモルモットから、軍人になった証だった。

「そうね。ニタ研にとって、あたしたちはもう用済みってことなんでしょうね、きっと」

 どことなくつまらなさそうにリグシャッコーを眺めながら、そう呟くフィーナ。彼女の言うとおり、すでに
三人はニュータイプ研究所とは糸が切れた。それはすなわち、彼女たち三人がすでに、ニュータイプのサンプ
ルとしての価値がなくなったに等しい。おそらく、これまでのデータから、もうサンプリングデータのほとん
どを取り終えたのだろう。それを元に、すでに実際の彼女たちを必要としない研究に移行しているのだ。なの
で、用済みになった彼女たちは軍に払い下げられた、といったところだろう。

「実験動物の後は軍用犬、ね。私たちも大概珍妙な人生を送っているわね」

 同じようにリグシャッコーに目を落としながら、呟くサフィー。その言葉は若干乾いており、憂鬱な色が含
まれていた。それは、大なり小なり彼女たち三人が全員持っているものだった。

 あの恩寵の儀での、ギロチンの衝撃と馬鹿なパイロットの暴走を目の当たりにして以降、どうにも彼女た
ちはそろって覇気にかけるようである。まあ、それも仕方がないといえばそうだろう。多感な少女なのだから、
あれだけのことがあって影響を受けなければ、それこそどうかしている。とはいえ、だからといって戦意が消
失したわけでもないが。少なくとも、マリアのために戦う、という意思は未だ失われてはいない。

「さ、いつまでもここでモビルスーツの見学をしてても意味ないし、着任の手続きとかしないとね」

「そうね。面倒だけど手続きはしないといけないし」

 ミューレはもたれかかっていた手すりから離れると、そう言って大きく手を振った。それを見て、軽く笑い
ながらサフィーがフィーナを促す。フィーナはそんな二人に目を向けながら、「わかったわかった」とでも言
いたげに肩をすくめて見せる。確かに、まだ艦に着てから着任の手続きを終えてはいない。

 そして、ミューレが先頭になって着任の手続きをするために移動を開始する。その前に、もう一度フィーナ
は自分の新しい機体に目を向けた。ゾロアットよりもシャープな印象を受ける機体。まだまだ生産数が少ない
この機体を配備されたということ自体、自分たちがそれだけ期待されているということなのだろう。

「月、か。たぶん、あいつもいるんだろうな」

 ポツリと、口の中で呟くフィーナ。その脳裏に浮かぶのは、ジェスタの顔だった。ギロチンを憎み、家族を
愛する少年。次に出会ったら、討って見せるといった相手。

「……負けないんだから。負けられないんだから」

 唇をわずかに噛んで、こぶしを握り締めてそう呟くフィーナ。その顔は、強い闘志を秘めていながら、あま
りにも儚く、弱弱しく見えた。


 UC153 5月 11日  月面 フォン・ブラウン近郊 リガ・ミリティア秘匿ドック

 サイド2を離脱した巡洋艦、エアとレオノラは月周回軌道に入った後、レーダー網にかからないように若干遠
回りの航路をとった後、フォン・ブラウンシティとはずいぶん離れた峡谷に着停した。それは、もちろんここ
いらあたりに潜んでいる可能性があるベスパの斥侯と、連邦軍のパトロール隊に見つからないためだ。

 二隻の艦が着停した後、クルーたちはそれぞれの作業に移る。まずしなければならないのは、引き払うドッ
ク内から使える資材を引き上げ、それを二隻の艦に搬入すること。それから、一部のクルーを派遣して協力を
取り付けたアナハイムの工場からビクトリーやガンブラスターといったモビルスーツの受領に。こちらは、特
にレオノラに新たに配備する機体が多いため、かなり忙しなくなる。

 ジェスタも、ビクトリーにのってドック内の資材を入れたコンテナを二隻の艦に搬入する仕事に精を出した。
こういうとき、本当にモビルスーツという機械は便利だな、と実感する。実際、地球ではモビルスーツに土木
作業をさせるケースも多いというのもひどく納得のいく話だ。

 そして、あらかたの荷物を運び出し、かなり閑散としてきたドック内で、停止したビクトリーからジェスタ
は降りてきた。重力の少ない月の大地を踏みしめ、周囲を見回して、

「ずいぶんと寂しくなったなあ、ここも」

 と、感慨深くいうジェスタ。半年間、寝泊りし、そして戦場に出てからも基地として使ってきたところだ。
そこを引き払うのだから、寂しくもなる。引越しをするときの、独特の寂寥感が、今ここに存在していた。

「とはいっても、ここはまだ資材置き場としては利用するがな」

 そう言ってきたのは、ドック内に置かれたヘキサに乗ってきていたライアンである。そちらに目を向けると、
ライアンがレナを肩車していた。レナはジェスタを見ると、にぱ、と笑顔になり、

「おにーちゃん、久しぶり!」

「そうだね、レナちゃん」

 その明るい声に、ジェスタもつい顔をほころばせる。すさんだ心がなんとなく癒されるなあ、と思う。戦争
で疲れた心に、生活をいうものを感じさせる、子供の存在というのはすごく偉大だ、とジェスタは思った。自
分たちが何のために生きるのか、何のために戦うのか。レナの存在は、そのものがそれを実感させてくれる。
だからこそ、皆レナをかわいがったのだろう。

「ところで隊長。レナちゃんは……」

「うむ。ニケとも話し合ったんだがな」

 そう言って、ライアンは視線を泳がせる。なんとなく、言いづらそうな様子になった。そんなライアンに代
わって、その背後から姿を現したニケが、こつん、とライアンの頭をスパナで小突いて、

「本当にジェスタの家族が迷惑じゃないって言うのなら、お言葉に甘えさせてもらおうかなって思うんだけど」

 自分の頭より高い位置にいるレナのほうに目を向けながら、言いづらそうにするニケ。やはり、安全のため
とはいえ自分の娘を人に預ける、ということに抵抗があるのだろう。何より、娘よりも戦争を優先したようで、
後ろめたい気持ちもあるに違いない。

「そうですか。えっと、勝手なことだ、とは思ったんですけど、一応うちのほうにはその旨の連絡を入れてお
いたんですけど」

 二人の様子を見ながら、そういうジェスタ。確かに引越しの準備で目が回りそうなほど忙しかったが、それ
でも合間を縫って家のほうに連絡を入れたのだ。

「それで、どうって?」

「直接会って決めるって言ってました」

「そう……」

 ジェスタの言葉に頷くニケとライアン。二人とも、やはりつらそうだ。自分で選んだ道に後悔こそないもの
の、それでもやはりどうしようもない思いがあるのだろう。レナの親として、身近にいて愛情を注いでやりた
い、と思いながらも、その娘が平穏に暮らせる世の中を作る手助けをしたい、という思いから戦いに身を投じ
た二人の、矛盾する思いと現実が、葛藤させるのがよくわかった。それは、家族の下を離れて戦いを選んだジ
ェスタ自身にも当てはまるからだ。

「レナ」

 ライアンは、そう娘に呼びかけながら、肩から下ろして娘と同じ視線に立つ。レナはかわいらしく首をかし
げながら、

「なあに、とーさん」

「とーさんたちは、お仕事で遠くに行かなきゃならん。そのとき、お前は人のところで留守番をせねばならん
のだが、いいのか?」

「お仕事? 大変なの?」

「ああ。とても大仕事でな。しばらく、会えなくなる。それでもいいか?」

 その言葉を聞いて、レナは不安そうに大きな目を潤ませた。

「……帰ってくるよね?」

「当たり前だ。俺たちは、お前のために仕事をするんだ。帰らなければ、何のために仕事をするのかわからん。
だから、大丈夫だ」

「帰ってきたら、遊んでくれる?」

「ああ。たっぷり遊ぶさ。肩車もしてやる。折り紙も折ってやるさ。動物園だって、一緒に行く」

 ライアンは無骨な顔に、温かい笑顔を見せてそう言った。その笑顔を見て、ジェスタは小さなころに見た、
自分の父のことを思い出した。守るべきものと、帰るべき処。幸せを知る人の笑顔だ。

「うん。じゃあいいよ。レナ、いい子にしてるから。とーさんもかーさんも、がんばってね」

 そう言って、レナは大輪の花のような笑顔を見せた。明るい、ひまわりの笑顔だ。それを見て、ニケが少し
涙ぐむ。しかし、それをすぐに拭う。まだ、別れるときでもないし、永遠の別離でもないのだ。だから、泣い
てはいけない。

「いい子ですね」

「そりゃそうよ。ライアンはともかく、あたしの娘だもん」

「同感だ。ニケの血が入っていても、俺の娘だ。いい子に決まっている」

 ジェスタの言葉に、間髪いれずにそろってそうつっこんでくる夫婦。うわ、めっちゃ息が合ってるよ、この
二人。発言を聞いたジェスタはそう思った。が、口には出さない。互いの発言を聞き、ライアンもニケもかな
り険悪な目で互いをにらんでいるのだ。はっきりいって、めちゃくちゃ怖い。

「とーさん。かーさん。喧嘩はめ! だよ? おにーちゃんがおびえてるよ?」

 ずい、とレナが二人の間に割り込み、胸を張ってそういう。その言葉に、二人は目を丸くし、ジェスタを見
てから、再度レナに目を向ける。そして、大声で笑った。


 UC153 5月 12日 月面都市 フォン・ブラウン

 ライアンとニケはレナを連れてジェスタの案内の元、フォン・ブラウンシティのジェスタの家族が住まう家
に向かった。が、その途中、せめて少しだけでもさびしい思いをさせるので、ということで、ジェスタは気を
利かせてライアンとニケに、レナと遊んではどうか、と提案した。それに、ライアンは「子供が気をつかいお
って」と苦笑したが、その好意に甘えることにした。

 それで、落ち合う場所、時間を決めてクルスト一家とジェスタに分かれて行動することにした。笑顔でクル
スト一家と分かれたジェスタは、久しぶりの街の空気に少しだが違和感を感じつつも、適当に時間をつぶすこ
とにした。

「……平和だな」

 と、街の中にいくつもある公園の一つのベンチに腰掛けて、ぼんやりとそう呟くジェスタ。周囲を見回すと、
家族連れや自分と同い年くらいのカップルなどが談笑しながら歩いている。彼らにとって、宇宙のかなたで行
われる血なまぐさい戦争など、別世界の出来事に違いない。まさか、このハイスクールにでも通っていそうな
少年が、リガ・ミリティアというレジスタンス組織の一員で、モビルスーツのパイロットだなんて誰も思わな
いだろう。

 そんなことを思って、つい笑みをこぼす。別に、世界を斜に見ているわけでも、自己嫌悪しているわけでも
ない。ただ、ぼんやりしていてもつい、思考が戦争のこと。ベスパのこと。リガ・ミリティアのことに偏って
くるのが少しおかしかったのである。

「いつの間にか戦争に染まりきったってことかな……」

 そんなことを考えて、昔のことをふと思い出した。戦争のことを知らない昔のことを。そして、思う。自分
は、この戦争を終えて。昔と同じ位置に立てるのだろうか。何かの映画で見たことがある。戦争に染まりきっ
た男が、その体にこびりついた戦争の匂いから逃れることが出来ず、恋人の制止を拒み、新たな戦場に赴く、
という映画を。それは、結局その男の死で物語が閉ざされていた。昔はよくわからなかったが、もしかしたら、
自分の延長上があの映画の主人公なのかな、と思うと少し悲しくなった。

 しばらくぼんやりとしていたジェスタだったが、ふと頭をめぐらすと、公園の中の時計に目が向いた。そこ
には時計の針がぐるりと回り、すでに午後三時近くになっていることを示している。それを見て驚いた。昼食
をとって、すぐにここに来たわけだが、それから三時間近くをここでぼんやりと過ごしていたことになる。も
うすぐ落ち合う時間だ。

「なんだ。ずいぶん時間を無駄にしちゃったな」

 そう呟くが、別段悪い気はしなかった。ぼんやりとするだけで時間が過ぎ去る。たまには、こういった時間
もいい。生き急ぐだけではいけない。たまにはのんびりしないと。と、どこかで聞いたようなことをふと思う。

 そして、ジェスタはベンチから立ち上がると、大きく伸びをしてから落ち合う場所に向かった。


                     *****


 ジェスタが集合時間の五分前にそこにたどり着くと、すでにライアンらはその場にたどり着いていた。いく
つもの、しかしあまり多くない荷物を抱えて。今後のことを考えると、必要なものはあるが、けして多くは買
うことは出来ない、ということだろう。こんなときくらい、何もかも忘れればいいのに、と思うが、それが出
来ないのがこの夫婦なのだろう。

「すみません。お待たせしたみたいで」

「いや。今来たところだ」

「ライアン。それじゃデートの待ち合わせよ?」

「む。……ではどういう言い回しがいいだろうか」

「あ、いや。別にそういうことに気を使わなくていいですって」

 なにやら奇妙なことをいい始めたライアンとニケに、そうつっこんでおく。すると、少し残念そうにしたが、
すぐに気を取り直して、

「ふむ。では行くことにするか。……しかし、本当にいいのか、ジェスタ」

「ええ。母にはきちんと説明しましたし、ミラルダも大丈夫でしょう。隊長とニケさんなら、きっと認めてく
れますよ」

「そうか」

 そう言ってライアンは頷く。そして、傍らにいるレナの頭をなでて、

「レナ。今日は楽しかったか?」

「うん! 楽しかったよ!」

「そうか」

 そういい、ライアンとニケはそろって顔をほころばせた。それを見てから、ジェスタは二人に出発を告げる。
その言葉に二人はすぐに真顔に戻り、二人でレナの手をつないでジェスタに続いて歩き出した。


                     *****


 レンタルしたエレカで以前のようにジェスタの家に、今度は四人でたどり着いたのは、もうすぐ日が暮れよ
うという時間帯だった。四人は車を降りて、ジェスタのマンションに入ろうとするが、レナが疲れていたよう
でうとうとしていたので、ニケが抱いて連れて行った。

 そして、四人はジェスタの。サラとミラルダが待つローレック家の玄関をノックした。ノックの音が響くと
同時に、ドアが開いてミラルダが顔を見せる。ミラルダは兄の姿を見て喜びの表情を浮かべたが、そぐにその
脇にいるライアンとニケの姿に気づいて一瞬だけおびえた表情をする。それを見て、まだミラルダの心の傷は
癒えきっていないことを思い知らされた。アメリアで、父の処刑以来受けた陰湿な迫害は、幼かったミラルダ
の心に、人間不信という形で傷跡を今も残すのだ。

「はじめまして。ライアン・クルストと申します」

「私はニケ・クルストといいます。……ほら、レナ」

「ふぁ……? おふぁようごじゃいましゅ……レナ・クルシュトれしゅ」

 ライアンとニケがミラルダに自己紹介して、眠っている様子のレナをゆすって起こし、レナにも挨拶をさせ
た。が、レナは半分寝ぼけているようで、変な挨拶になった。が、ミラルダにはそんなレナの受けがよかった
ようだ。きょとん、としてから、はにかんだ笑顔を浮かべると、

「はじめまして、レナちゃん。ミラルダ・ローレックっていいます」

 ふんわり、という形容詞が似合いそうな笑顔をして言うミラルダ。その笑顔を見て、ジェスタはひそかに笑
みを浮かべる。ついぞ見ることが出来なかった、妹の自然な微笑。それを久しぶりに見ることが出来て、うれ
しかったのである。

「じゃあ、上がるよ、ミラルダ。母さんは?」

「母さんなら、居間で待ってるよ。……あ、こっちが居間になります」

 ジェスタの言葉にミラルダはそう答えてから、やはり少し緊張した様子でライアンたちにそう声をかけると、
奥に向かっていった。それを見送ったライアンとニケは、ジェスタに目を向けて、

「ジェスタ? あの子」

「……妹は。ミラルダは、父がギロチンにかけられて以降の迫害で、軽い人間不信になってるんです。だから、
失礼な態度をとるかもしれませんが」

「いや。今の様子を見る限りでは、いい子だと思うぞ。……なあ、レナ。今のお姉さんをどう思う?」

「? おねーちゃん? やさしそーな人だね!」

 そうレナが言い切ったことで、全員が笑顔になる。そして、四人は家に上がった。そのまままっすぐに居間
に向かうと、そこで待っていたサラと挨拶を交わし、勧められるままに席に着く。配置的には、テーブルを挟
んで片方にライアン、レナ、ニケの三人と、ジェスタ、サラ、ミラルダの三人という形だ。

 そんな形でとりあえず形どおりの挨拶に始まり、本題には入ることなく軽い雑談を行う。そんな中、

「ライアンさん。ところで、うちのジェスタはどうでしょうか?」

「ジェスタですか。いい筋をしています」

「それは、どういう……?」

 サラは、ライアンの言葉に少し不安そうな顔になる。それを見て、ライアンは笑みを浮かべて、

「いいセンスを持っている、ということです。こう言うとまるで人殺しの才能がある、といっているように聞
こえるかもしれませんが、そういうわけではなく、どんな時でも。どんな所でも、生き延びる才能がある、と
いう意味で言わせてもらいましたので」

「生き延びる才能……」

「ええ。それに、仲間思いですよ。ですから、安心してください。こいつは、うちの隊員たちに好かれていま
す。そう言った人徳もあるので、きっとご家族の元に帰ってきます」

 ライアンは確信をもってそう言った。その言葉を聞き、サラはしばし思い悩んでから、ほう、と息をついて
安堵した笑みを浮かべた。

「そうですか。ジェスタは、その性根はかわっていないんですね。昔から、この子は無鉄砲なところがある割
には優しい子でしたから。それが仇にならないか、とか。戦争で狂ってしまうんじゃないか、とか心配ばかり
してましたから」

「母さん。それは大丈夫だよ。母さんの言ったことは、忘れてないから」

 そう。あの言葉があったからこそ、今の自分がある。と思うジェスタ。あそこで、あの言葉を忘れてフィー
ナのことを見捨てたり、殺したりしていたら。きっと、今の自分はここにはいない。

「そう。やっぱりあなたはあの人にそっくりね。さすがは親子ね」

「いえ。お母様にもよく似ていらっしゃいますよ。優しくて家族想いで。人に気を配るところは、本当によく
似ています。きっと、いいご夫婦だったんでしょうね」

 ニケが、そうやわらかい笑顔で言った。それを聞き、サラがうれしそうに、しかし少しだけさびしそうに笑
う。今は亡き夫を深く思い出しているのだろう。

 そんなサラを見ながら、ライアンとニケはちらりとレナに目を落とした。レナはお菓子を食べながら、話し
の内容はよくわからないらしく、少し退屈そうにしている。と、そんな親子の様子をサラは見つめていた。そ
の視線に気づいた二人は少し恥ずかしそうにしたが、サラは大きく頷くと、

「それで、お話の件ですが」

 と、いう。それで、ライアンとニケは体を硬くした。それに、サラはにこりと笑って、レナを見る。

「ねえ、レナちゃん。お父様とお母様がお仕事をしている間、ここでおばさんとおねえちゃんとお留守番。出
来るかしら?」

「お留守番? うん! できるよ。だって、とーさんもかーさんも、帰ってきてくれるって約束したし、帰っ
てきたら一杯遊んでくれるって約束したもん」

 サラの言葉に、レナは口の周り中にお菓子のかすを引っ付けながら、大きく笑顔を見せた。それを見て、サ
ラは穏やかに微笑み、ライアンとニケは少し申し訳なさそうに。そして、切なそうに目を細めると、二人そろ
って二人に挟まれているレナの頭をなでる。その光景に、サラは目を細めた。

 この夫婦が、本当にレナのことを愛していることを。レナのために、あえて血塗られた道を行くことを選ん
だのを、はっきりとした言葉ではなく、その行動の端々から見抜き、二人の人柄を見てそう決めたのだろう。
母は、そういう人だとジェスタは知っていたので、この結末は予想通りだった。自分が大丈夫だと思ったのだ
から、そうなるのが当然なのだ。

「ミラルダも、いいわね? しばらくの間。そう長くない間だけ、レナちゃんと暮らすことになるけど」

「私は賛成よ。レナちゃんはいい子だし……兄さんがとても信頼している人たちで、お世話になっている人た
ちのいうことは、聞いてあげたいもの」

 そう言って、ミラルダはまだまだ少し硬い表情ではあるが、ライアンとニケのほうに顔を向けて、笑顔を見
せた。それを見て、ジェスタは胸をなでおろした。妹の、ミラルダの心も、少しずつだが、前に向かって進ん
でいるのだ。

 それから、軽く雑談をしてから、その場を収めることにした。レナを置いて三人が立ち上がったそのとき、
ライアンがジェスタのほうに振り向いて、

「ジェスタ。今晩はここで泊まっていったらどうだ? それで、明日一日。家族とともにいたほうがいい。ど
の道出港は明後日だ。明日一日くらい、いいんだぞ」

「でも、隊長」

「そうしなさい、ジェスタ。今日一日、私たちに時間をくれたんだから。それくらい、きちんと受け取って欲
しいのよ」

 言い淀んだジェスタに、ニケがジェスタの肩に手を置いてそう言った。それを受け、なおかつ視界の端でじ
っと見つめてくるミラルダの視線に負けて、ジェスタは折れることにした。

「わかりました。では、明日一日。休暇をもらいます」

「ああ。そうしろ。それではサラさん。娘のこと。よろしくお願いします」

「出来るだけ早く戦争を終わらせて帰ってきますので。どうかよろしくお願いします。……レナも、いい子に
しているのよ?」

「大丈夫だよ、とーさん、かーさん。レナはいい子だもん。それより、あんまり喧嘩をしちゃだめだよ!」

 レナはライアンとニケにそう言って指を突きつける。その、子供らしくない仕草に、その場にいた全員が大
爆笑した。

「いや。うちの娘が妙なことを言って」

「ふふ。夫婦喧嘩は仲のいい証拠です。どんどんやったらいいんですよ」

 と、そんなことを言い合ってから、その場は収まることになる。そして別れの挨拶を交わし、ライアンとニ
ケは最後にレナの頭をなでると、笑顔で分かれた。二人はそれからマンションを出て、外にとめてあったエレ
カに乗る。二人を乗せたエレカが静かに動き出し、しばらく経って、

「ニケ」

「…………」

 隣のニケに、ライアンは静かに語りかけた。それに、ニケは答えない。

「泣いても、いいんだぞ。今なら、俺以外に見るものはいない」

 そのライアンの言葉に、ニケは大きく肩を震わせた。それから、

「……馬鹿」

 と一言言ってから、肩を震わせ、嗚咽の声を漏らした。いくら死ぬ気がなくても。生きて帰る意志を貫くつ
もりでも、だからといって確実に生き延びられるほど、現実は甘くない。これが、娘との永遠の別れになるこ
とも考えられるのだ。それで、平気でいられるはずがない。だから、ニケは泣いた。泣きたくとも泣けない、
ライアンの分まで。

 そんな、夫婦を乗せたエレカは静かに街を走って行った。