アン・ヘルシングと賢者の石 5


 魔法学校の上空に響き渡る轟音。ピートとモリアーティーの二人が空中で激突する度に魔力の余波が衝撃となって校舎の屋根を、窓を揺らしていた。どちらも自在に空を飛ぶ事が出来るため、高速の空中戦が繰り広げられている。更にはバンパイアの能力である霧化も駆使しているため、二人はもはや誰も割って入る事が出来ない領域に突入していた。
「知略を駆使した頭脳戦――と言うわけにはいかんようだが、これはこれでなかなかに趣きがある」
 屋根の上に着地したモリアーティーが笑みを浮かべながら、ピート目掛けて一筋の霊波砲を発射する。ピートはそれを紙一重で避けると、屋根ごと撃ち抜くような飛び蹴りを放つが、それはモリアーティーの右腕で受け止められてしまった。
「ふむ、全身でバンパイアの能力が使えるようになっても、やはりオリジナルの右腕が一番だな」
 自分の右腕を見詰めながら、しみじみと呟くモリアーティー。人間の全身を乗っ取ってしまったバンパイア・モリアーティーの右腕は、他の部位とは別格の強さを誇るようだ。その隙を突いてピートはダンピールフラッシュを放つが、無造作に掲げた右腕に受け止められてしまう。
 繰り出される右の拳、牽制も何もない力任せの一撃だ。ピートは両腕を交差して防ごうとするが、圧倒的なパワーに押されて吹き飛ばされてしまう。空中で静止し、かろうじて体勢を立て直したピートは、『右腕』に関しては自分よりもモリアーティーの方が上である事を悟った。考えてみれば、バンパイアハーフである自分に対し、モリアーティーは元人間の自称バンパイアハーフとは言え、その右腕に関しては純粋なバンパイアなのだ。真正面から力比べをしたところで勝ち目は薄い。『殉教者』の剣を簡単に手放したのも、『右腕』があるからこそなのだろう。
 狙うのならば、バンパイアの能力が使えるとは言え、肉体は人間である右腕以外だ。
「きっと、ホームズさんなら、機転を利かせて貴様の弱点を見抜き、そこを突いたのだろうな」
「おそらく、そうしようとはしただろうね。無論、私がそれを阻止しただろうが……」
「僕はホームズさんのようにはなれないし、彼とは違う! 僕の全力を以って貴様を撃ち砕いてやる!」
 しかし、その物腰柔らかな外見とは裏腹に熱血漢であるピートは、一対一の決闘において弱点を突いて勝利すると言うやり方を良しとはしなかった。その熱い宣言を聞いたモリアーティーは驚きに目を丸くし、そして気付いた。目の前に立つ青年は、「かつての宿敵ホームズの代理」ではなく「ピエトロ・ド・ブラドー」であると。
 命を賭けた戦いにおいても正々堂々を貫くなど、なんとも青い。これが若さと言うものなのだろうか。そこまで考えてピートが七百歳を越えている事を思い出し、モリアーティーの顔に思わず笑みが浮かんでしまう。
「フッ、ならば、私も策を弄するのは止めよう。かかって来たまえピート君、この『右腕』を以って、君を仕留めてみせようじゃないか」
 とは言え、彼から見ればピートは人間的にはまだまだ若輩者だ。だが、ホームズに代わる新たな敵として不足はない。モリアーティーはピートを迎え撃つべく、絶対の自信を持つ『右腕』を掲げる。
「行くぞッ!」
「熱い――だが、まだ若い! 君はもう少し紳士とは如何なるものかを学び給え!」
 両者の言葉を皮切りに戦いは再開される。雄叫びを上げ、猛々しく殴り掛かるピートに対し、モリアーティーは極力動かずに攻撃を受け流すようにしてピートの攻撃をあしらっていた。
「クッ…!」
「まるで闘牛だな。そんな調子では、私に勝つ事など出来んぞ」
 戦い方にも年季の差が見て取れる。もしかしたら、モリアーティーは殉教者部隊の男の経験も我が物にしてしまったのかも知れない。決して力で劣っているとは思わないが、簡単に勝たせてくれる相手でもない。ピートの表情には焦りの色が浮かんでいた。


 一方、秘密の通路を抜けた先の地下室でも、横島が苦戦を強いられていた。殉教者部隊三人の内一人が戦闘不能であったとしても、味方であるアンは人質に取られ、味方であるはずの『炎の獅子』はアンを人質に取り手を貸してくれそうにないため、事実上二対一である。その二人がそれぞれ攻撃と防御を担当しているのだから、流石の横島も付け入る隙を見出す事が出来ない。
 時折、殉教者部隊の男が放つ大口径の霊波砲が流れ弾になってアンの方に飛ぶが、それは『炎の獅子』がいとも容易く防いでしまう。横島としては安心なのだが、その力で自分も守ってくれるわけではないので、ますます孤立している感が強まっていた。
「ピエール之介! せめてこっちも守るか、一人引き受けてくれよ!」
「古人曰く、『獅子は我が子を千尋の谷に突き落とし、這い上がってきた子を川に流す』」
「それ、誰も戻ってこねーだろっ!」
「ときに『千尋の谷』とはどこでござるか?」
「知るかあぁぁぁーーーッ!!」
 なんとも緊張感がないが、当の横島は必死である。霊波砲は避ける事も出来るのだが、撃った後の隙を突いて攻撃しようにも、女の持つ『殉教者』の張る壁がそれを阻んでしまう。『炎の獅子』は魔族化した右腕を使えと言った。確かに魔力を引き出すところまでは出来たのだが、それだけである。
「せめてサイキックソーサーが使えれば……」
 横島が望んでも、霊力ではなく魔力が通う右腕はそれに応えてくれない。今彼に出来る事と言えば、魔力を溢れさせながら力任せに殴る事だけだ。その攻撃で『殉教者』の張る壁を破れない以上、何か別の手を考えなければなるまい。
「死ねぇッ!」
「うぉっ!?」
 もう一つの問題は、殉教者部隊が絶え間なく攻撃を仕掛けてくる事だ。これでは落ち着いて考える事も出来ない。それに、横島が回避に徹していると、その隙に女は『炎の獅子』により片腕を切り落とされた細身の男を治療してしまう。三人目の戦線復帰を遅らせるために、無駄でも横島は攻撃をし続けなければならないのだ。
「やっぱ、一人はキツいって!」
「古人曰く、『文殊一人で三人分』でおじゃるよ」
「俺は文殊菩薩じゃねーーーッ!」
 正しくは「三人寄れば文殊の知恵」である。確かに文殊菩薩の知恵があれば、現状を打破するための策を容易く思い付いていただろう。しかし、現実はそう甘くはないのだ。横島は死に物狂いで霊波砲を避け、効かない攻撃を繰り返し、この現状を打破するチャンスを今か今かと根気強く待つための延命策に終始していた。

 このまま消耗戦となれば、横島はジリ貧である。
 幸い、男の放つ霊波砲は、両手を前に突き出して構えてから発射するまでに若干のタイムラグがある。横島は起死回生の一撃を狙い、男が両手を前に突き出すと、あえて逃げずに男に向けて突貫した。その不意の動きに大柄な男の顔に焦りが生まれる。発射するまでに霊波砲を撃つ『殉教者』を無力化する事が出来れば、彼等に残されているのは細身の男が持つ索敵のための仮面と、女の持つ壁を張る防御のための『殉教者』のみ。戦況は一気に横島側に傾く事になる。
「んがっ!?」
 しかし、大柄な男の腕――『殉教者』のガントレットに殴りかかろうとした直前、横島は何かにぶつかり、踏まれたカエルのような声を上げた。それが女の張った壁であると理解したのは、地面にずり落ちた後の事だ。
「痛てて……手から離れたとこに壁張れるのかよ」
 顔を押さえながら立ち上がろうとする横島。この時既に大柄な男は霊波砲のチャージを完了させて、砲口を横島の方へと向けている。起死回生の一撃を狙うつもりが、逆に自分が窮地に陥ってしまった。
「まずっ!」
 咄嗟に左手から文珠を出現させ、『壁』と言う文字を込めて発動させると同時に、男の生み出した霊波砲が文珠の生み出した壁に激突する。だが、文珠の壁も数秒の時間を稼ぐのがせいぜいだ。横島はすぐさまその場から飛び退き、大柄の男の背後にいる女を攻撃するべく、回り込もうとした。
「させるかッ!」
 しかし、大柄な男も黙って見逃してはくれなかった。霊波砲を発射し終わる前の腕を強引に振るい、霊波砲で床を横薙ぎにするようにして横島を狙って来る。こうなると、横島もそれ以上は女に近付く事が出来ず、距離を取って霊波砲の直撃を避けるしかない。
「やっぱ一人じゃ無理だろ!」
 そう叫んでみたところで『炎の獅子』が素直に協力してくれるはずがない。二方向から同時に攻撃して相手に隙を作らせるためにも、もう一人味方が居てくれればと思うが、この状況ではそれを望むのも難しいだろう。
 せめて、アンが人質に取られていなければ、イージススーツを用いて戦いに参加してもらうなり、逃げて助けを呼んでもらうなり、他にもやり様があるのだが、『炎の獅子』はそんな事を許してはくれないだろう。結果的にアンを守ってはくれているのだが、敵ではないにしても、決して味方ではないのだから。
 いっそ、不意を突いて『炎の獅子』を攻撃し、アンを救出して逃げるべきか。そんな益体もない考えまで頭に浮かんでくる。前門の殉教者部隊、後門の『炎の獅子』。横島は今、それ程までに追い詰められていた。


 そして、魔法学校の上空でもまたピートが追い詰められていた。
 先程までは空中のピートが屋根の上に立つモリアーティーに対して攻撃を仕掛けていたが、今は立場が逆転し、空中のモリアーティーが、屋根の上のピートに霊波砲を連射し、ピートは防戦一方を強いられている。
 モリアーティーは連射するために霊波砲の威力を抑えている。そのため、一つ一つの霊波砲は大きな怪我を負うような力はないのだが、あまりにも数が多すぎて防戦一方のピートは身動きを取る事が出来ない。
「フフフ、先程までの元気はどうしたのかね、ピート君」
「クッ……」
 モリアーティーは見下すようにして笑みを浮かべ挑発してくるが、ピートは言い返そうにも気を抜けば霊波砲が魔力のガードを突き抜けて来そうなため、言い返す事が出来ない。
 いや、攻撃を防ぐだけならば、言い返す事も出来ただろう。ピートはこの時、左腕を掲げて身を守りながら、同時に右の拳を強く握り締め、力を溜めていたのだ。宣言通りに、右腕一本でモリアーティーを倒すために。
 当然、モリアーティーはピートのその動きに気付いていた。
「あくまで右腕のみでの決着に拘るか……その心意気や良し」
 霊波砲の雨がピタリと止み、モリアーティーもまた右の拳に力を溜め始める。
 ピートの挑戦にあえて乗り、真正面から勝負をつけるのだ。
「君の右腕を打ち砕いた暁には、残りの身体は私が使ってやろうじゃないか。私の頭脳が君の身体を使う。素晴らしいと思わないかね」
「フン、勝手にしろ!」
 右腕同士の決着、これはモリアーティーにとってもメリットのある話なのだ。どうせ寄生するならば、人間の身体よりも強靭なバンパイアハーフの方が良いに決まっている。
 まずは、あえて真正面からの決闘を行い、渾身の一撃でピートの右腕を砕く。そしてピートの身体に寄生し、乗っ取るのだ。これこそがモリアーティーの目論見であった。
 何より、単純な力比べにおいては、純粋なバンパイアであり、更に人間に寄生して乗っ取るような魔性のモノと化しているモリアーティーの方が有利なのだ。ピートもそれぐらいは理解しているだろうが、それでもあえて決闘を望むと言うのならば、彼としてもそれを断る理由はない。むしろ、喜んで受けると言うものである。

「では、始めるとしようか。紳士には程遠い、男と男の決着を」
「……来いッ!」

 その言葉が決闘開始の合図となった。
 モリアーティーはピート目掛けて急降下し、重力の助けも借りて加速した一撃を繰り出す。どれだけ勢いを付けてぶつかろうとも、ピートの力では、この一撃には敵わない。勝利を確信した彼の顔に笑みが浮かぶ。
「あの頃の僕とは違う事を、この一撃で証明してやる!」
 対するピートは、拳を繰り出そうとせずに、更に腰を深く沈める。
 単純に真正面からぶつかり合ったところで勝ち目はない。そんな事はピートにとっても分かり切っていた事だ。だからこそ、ピートはあえて右腕同士の決着を望んだ。モリアーティーが乗ってくる事を承知の上で。
 モリアーティーの全力の一撃に対し、全力の一撃を以って応える。かつてのあの時とは違う。成長した自分の力を以ってだ。
「喰らえッ! 滝に向かって撃ち続けて編み出したこの技を!」
 モリアーティーの拳が顔に命中する直前、ピートは更に腰を沈め、全身をバネのようにして、ロケットを発射するような勢いで拳を繰り出した。

「バンパイア昇龍拳ッ!!」

 所謂「アッパーカット」だ。渾身の力を込めた一撃は、拳に力を集中させていたため、無防備に近い状態になっていたモリアーティーの右肘を見事に打ち貫き、肘から先を引き千切るようにして弾き飛ばす。
「グアァアァァッ!」
「勝負あったな、モリアーティー!」
 そう宣言するピートの額には血が滲んでいた。相手に防御させないためにギリギリのタイミングでカウンターを狙ったのだが、本当に際どいタイミングだったようだ。あと一秒遅れていれば、逆にモリアーティーの拳がピートの頭を打ち貫いていただろう。
 のた打ち回るようにして地面に落下していくモリアーティー。ピートはすぐさま屋根から飛び降り、その後を追う。
「バ……バ、バァ……バッ…」
「『バカな』とでも言いたいのか?」
 霧化する間もなく墜落したモリアーティーは、追ってきたピートに向かって何か言おうとするが、上手く舌が回らないようだ。それもそのはず、モリアーティーはピートに寄生し、自分が頭脳となってその身体を動かすと言っていたが、右腕しかないモリアーティーに頭脳と呼べる部分があるとすれば、それは右腕に宿るモリアーティーの怨念そのものである。その頭脳を打ち貫かれたのだ、モリアーティーは。まともに喋れるはずがない。
 ピートは近くに落ちていた千切れた腕を拾ってくると、モリアーティーの側に置いた。今度は一部分を残したりするような真似はせず、完全に消滅させねばならない。
「もう一つ、あれから僕が身に付けた力を見せてやる」
 杭、十字架に続くバンパイアを滅ぼし得る力。正確には、その第三の力はバンパイアに限定したものではないのだが、ピートはその力を身に着けていた。

『主よ、聖霊よ! 我が敵を打ち破る力を我に与え給え! 願わくば、悪を為す者に主の裁きを下し給え……!!』

 唐巣の下で教えを受け、身に着けた力。そう、神属性の術である。

『アーメンッ!!』

「今度こそ成仏するがいい……」
 ピートから放たれた神聖なるエネルギーがモリアーティーに降り注ぐ。魔属性に堕ちたバンパイアであるモリアーティーにとっては天敵とも言える力だ。弱っていたモリアーティーには成す術もなく、その全身が塵となって風に散って行った。右腕以外の部分も塵となったと言う事は、元が人間の肉体であっても、既に魔性のものへと堕ちていたと言う事だろう。
 百年の時を経て復活した『犯罪界のナポレオン』、モリアーティー教授の最期である。

「エミさん、見てください!」
 魔鈴が指差す先では、『殉教者』の剣が形作るリビングアーマーがぶすぶすと煙を噴きながら膝を突いていた。モリアーティーが滅んだ事によって『殉教者』の所有者がいなくなり、力を失ったのだ。
 命令する者がいなければ力を行使出来ない。これは『殉教者』の絶対のルールである。
「ピートがやったみたいね」
 剣を持つ腕が崩れ落ちたのを確認し、魔鈴とエミの二人は地上に降り立った。エミはすぐさま『殉教者』の剣を回収しようとするが、剣はエミが触れるよりも早く土くれとなって崩れ落ちてしまう。機密保持のためか、『殉教者』を動かす所有者の意志が絶たれたためかは分からないが、エミはその土くれから、光の粒子のようなものが天に昇っていくのが見えたような気がした。

「エミさん! 魔鈴さん! 大丈夫でしたか?」
 その時、ピートが彼女達の下へと戻って来た。後はこの中庭に入り口がある秘密の通路に逃げ込んだ横島とアンを助け、それを追って行った殉教者部隊を片付けるだけである。
「待ってくださいね、入り口を探しますから」
 この学校の卒業生である魔鈴は、幾つかの秘密の通路の入り口を知っていたが、アンが飛び込んだ通路については知らなかった。場合によっては入るために特殊な操作が必要な場合もあるが、横島達が咄嗟に飛び込む事が出来たのだから、今回のケースに限ってそれはないだろう。何より、殉教者部隊が特殊な操作を知っていたとも思えない。
 魔鈴は横島達が消えた近辺を調べ、すぐに秘密の通路の入り口を発見した。
「分かりました、ここです!」
「それじゃ、急ぐワケ」
「そうですね、先程感じた魔力も気になりますし」
 ピートが言っているのは、『炎の獅子』が姿を現した時に感じられた魔力の事である。地上に居た彼等には、地下空間で何が起きたのかを知る術はないが、いまだに戻ってこない横島達が窮地に陥っているであろう事は推察できる。
 三人は顔を見合わせて頷き合うと、横島とアンの二人を救出するべく、秘密の通路へと足を踏み入れるのだった。


「おや、上に残っていた『殉教者』が倒されたようでござるな」
「え?」
 上を見上げた『炎の獅子』がぽつりと呟き、それにつられてアンも上を見上げるが、そこには天井しかない。殉教者部隊の面々も驚きの表情を浮かべている。魔族の言う事など信じられない。いや、信じたくない。しかし、『炎の獅子』はわざわざ嘘をつくほど『殉教者部隊』の存在を気に掛けているわけではない。それは彼等も何となく察しがついていた。
 おそらく『炎の獅子』の言葉は本当なのだろうと殉教者部隊の面々は判断する。『殉教者部隊』ではなく『殉教者』と言ったのが何よりの証拠だ。
 魔族である彼にとって、気にするべきは腕が魔族化している横島であり、天使の力の結晶である『殉教者』。それを使う人間風情など、どうでも良いに違いない。実際はどうか知る術はないが、彼等はそう考えた。
「横島氏、ピート殿達がこちらに向かっておりまする。その右腕を見られるは、不味くござらんか?」
「それじゃ、すぐに擬態して――」
「到着までに片付けるでおじゃるよ」
「……やっぱ、そーなるんかい」
 横島はガクリと肩を落とした。助けに来てくれるのは有り難いが、これでは時間制限が設けられただけだ。横島達が走ってきた通路の長さを考えるに、ピート達の到着までせいぜい十分と言ったところだろう。それまでに決着を付けなければならない。
「足止めしてくれたりは?」
「必要ならば、力を振るう事もやぶさかではないが……手加減できるかどうかは」
「やっぱ、いいです」
 『炎の獅子』にしてみれば、ピート達が死なない程度まで手加減するだけでも相当の労力なのだ。アンの場合は、彼女が抵抗しないからこそ無事に済んでいるのである。個人的にはピートは『華が如く』について語り合った仲だけに助けてやりたいところだが、抵抗されれば反射的に攻撃してしまい、どうなるか分かったものではない。

「チッ、時間がない。一気に決めるぞ!」
 横島は覚悟を決めた。ピート達が到着する前に勝負を決めるべく、再び大柄な男が両腕を構え、霊波砲を発射するまでのわずかな間を狙って吶喊する。当然、男の背後に隠れる女がすぐさま動き、壁を張って横島を食い止めようとするが―――

「受け取れっ!」

―――なんと、横島は殉教者部隊を目前にして彼等に背を向け、『炎の獅子』に向けて何かを投げた。
「む……?」
 それが何か分からぬままに掴み取った『炎の獅子』だったが、手の中のそれが何かを確認すると、ニヤリと笑みを浮かべた。
「よし、成功!」
「えっ!?」
 突然頭上から聞こえてきた横島の声に驚きの声を上げるアン。見上げてみると、いつの間にか彼女を捕まえているのが『炎の獅子』から横島に代わっていた。すぐさま、先程まで横島が居た方に目を向けると、そこには横島の代わりに『炎の獅子』の姿がある。
 横島の手の中には『交』の文字を込めた文珠がある。アンからは見えないが、『炎の獅子』が掴んだのは『換』の文字が込められた文珠だ。そう、横島は文珠の力を以って、両者の位置を『交換』したのだ。
 これは彼にとって賭けであった。『炎の獅子』の強さを考えれば、抵抗されれば文珠は効果を発揮しなかっただろう。だからこそ、横島はあえてその強さに賭けた。自分の考えを察し、乗ってくれる事を願って。
「うわあぁぁぁーーーっ!」
 突然目の前に『炎の獅子』が現れた事で半狂乱に陥る殉教者部隊。大柄な男が霊波砲を発射するが、当然それは『炎の獅子』に傷一つ負わせる事が出来ない。女もまた壁を張って身を守ろうとするが、『炎の獅子』は冷めた目で壁を見詰めるばかりだ。
「それじゃ行って来るから、ここでじっとしてるんだよ」
「え、あ、はい」
 横島はアンをその場に残すと、決着を付けるべく動き出した。このままアンを連れて逃げてしまうのも一つの手なのだが、「横島が魔族の手を使って殉教者部隊を倒す」と言う条件があるからこそ、『炎の獅子』は敵に回らずにいるのだ。その条件を自ら放棄するわけにはいかない。
 予想通り、殉教者部隊は『炎の獅子』しか目に入っていない。意味もなく壁を張り、効きもしない霊波砲を撃ち続けている。
 これこそが横島の狙いであった。彼は、殉教者部隊の攻撃、防御を掻い潜って攻撃を加えるには、霊波砲を撃たせ、壁を張らせる囮が必要だと考えていた。当然、アンにそれを望む訳にはいかない。『炎の獅子』に頼んだところで、聞いてはもらえないだろう。
 『炎の獅子』はそこに居るだけで殉教者部隊に恐怖を与え、霊波砲を撃たれたとしても傷一つ付かないのだから彼以上の適任者はいない。この場に居たのが横島を初めとしてアン、『炎の獅子』、そして殉教者部隊の三人だけなのだから、選択の余地がなかったとも言うのも確かだ。
 殉教者部隊の一人、細身の男辺りを引き寄せて壁にすると言う手もあったが、そうすれば男は無事では済まなかっただろう。
 『炎の獅子』は、それこそ拍手喝采して褒めてくれたかも知れないが、横島としても、そこまで彼の思惑通りに事を進める気はなかった。
 円を描くようにして殉教者部隊の側面に回り込み、まずは壁を張る女を狙う。女の更に背後に居た細身の男が横島の接近に気付いて声を上げるが、半狂乱状態の二人は気付かない。
 このまま、その無防備な首筋に渾身の力で魔族化した腕を叩き込めば、一撃でその命を刈り取る事が出来るだろう。しかし、横島はこの時、魔族化した腕の持っているであろう、もう一つの能力を思い出していた。
「グ…ッ!?」
 女は魔族化した黒い手に首を掴まれて初めて横島の接近に気付いたが、振り向くよりも早く全身に電流が走り、呻き声を上げて崩れ落ちた。更に横島は大柄な男にも背後から襲い掛かり、こちらも首を掴むと同時に男は小さな呻き声を上げて崩れ落ちる。
 かつて横島は妙神山での修行において、ベスパとの戦いの最中、ルシオラの幻惑の能力を使ってみせた。それはルシオラの能力だ。彼の中に流れる魔力は元々ルシオラのもの。だからこそ、彼女の能力が横島にも使えたのだろう。
 ならば、もう一つの能力も使えるはずだ。かつてルシオラとベスパが戦った際に、一撃でベスパを無力化した能力。そう、麻痺毒である。
 細身の男が悲鳴を上げて後ずさろうとするが、横島はその頭を掴んで麻痺毒を流し込んだ。霊的な物であるため、針を刺したりする必要もない。細身の男はそのまま悲鳴を上げる事もなく崩れ落ちた。
 身動き一つ取れない完全なる無力化、横島の勝利だ。

「よし、お望み通り右腕で三人を倒したぜ」
「……ウム、しかと見届けたでござるよ」
 得意気な横島に対し、『炎の獅子』もまた満足気であった。先程の文珠も、殉教者部隊に隙を作るのに必要であろうとあえて受けたのだが、横島はしっかりと魔族化した黒い手を使いこなしてそれに応えた。結果としては上々であろう。
 横島はすぐさま腕を霊力で覆って人間のそれに擬態し、二人は揃ってアンの方に向き直る。後の問題は彼女だ。腕が魔族化している事を知られてしまった以上、口止めしなければならない。
「え〜っと、アンちゃん?」
 おずおずと問い掛ける横島。対するアンは腰が抜けたのか、へたり込んで呆然とした表情を横島を見ている。
「この腕の事なんだけど、出来れば黙っててくれたら嬉しいな〜っと……」
 ここで拒否されればどうすれば良いのか、横島は考えられなかった。むしろ、『炎の獅子』がどのような行動に出るかが不安である。
「……わ、分かったわ。皆には内緒にしておけばいいのね」
 しかし、アンはか細い声ながら、しっかりとした口調で承諾の返事を返してくれた。それを聞いて横島の顔に笑みが浮かぶ。更には思わずアンを抱き上げて、そのまま踊るようにくるくると回り始めた。
 アンは脅されて承諾したわけではない。確かに『炎の獅子』が怖かったのは事実だが、殉教者部隊の三人を殺さずに生け捕りにした横島を見て、彼に対する恐怖感は薄れていた。横島がアンを守ってくれた事は確かなのだ。彼に関しては信用しても良いと思える。

「話はついたようでござるな。では、早くここから立ち去るがよろしかろう」
「え、でもこいつらは……」
 横島の視線の先には無力化した殉教者部隊の姿がある。ピクリとも動かないが死んでるわけではないのだ。細身の男に関しては腕を切り落とされているため、一刻も早く治療を受けさせねばならない。
「まぁまぁ、こちらの後片付けは拙者に任せてくだされ。それよりも、それがしとしては、この魔法陣をあまり大勢に見せるわけにはいかんのでござる」
「「……?」」
 横島とアンが顔を見合わせ、揃って疑問符を浮かべる。
 二人が知らない話だが、『炎の獅子』は元々秘密裏に魔法学校に潜り込んで魔法界を調査していた。しかし、今回の一件で本性を見せた事は地上に居る者達にも、魔力の余波で伝わっているはずだ。そのため、本来の任務は半ばであるが、このまま魔界に帰還しなければならない。
 この魔法陣を、こちらに向かっているピート達に見せないためにも、『炎の獅子』としては横島達に早くここから立ち去り、ピート達と合流して地上に戻って欲しかった。
「ああ、他の者達に地下で発生した魔力について問われたならば、拙者の事を話せば良いでござるよ。どうせしばらくこっちには来ない故」
「そ、そうか、それは助かる」
 魔力を全開にしたのは横島も一緒だが、『炎の獅子』の魔力に紛れてそれに気付いた者はいないはずだ。ピエール之介の正体を伝えれば、横島を疑う者は現れないだろう。
「よ、横島さん、行きましょう」
 アンが横島の服の裾を引っ張って早くここから離れようと促した。しかし、彼女は立ち上がる事が出来ない。どうやら腰が抜けてしまっているようだ。横島は苦笑して彼女を背負い上げた。
 背負われたアンは、やはり『炎の獅子』が怖いのか、横島にしがみ付いている。同時に、それは彼女が横島は恐れていないと言う事でもあった。
「しからば、さらばでござる」
 横島達は、『炎の獅子』に見送られてその場を後にした。
 そのまま通路を進んでいくと、横島達二人を助けに来たピート達と鉢合わせになる。
「横島さん、アン! 無事でしたか!」
「何とかなー」
 真っ先にピートが駆け寄ってきて、魔鈴とエミがその後に続き、横島達は三人に取り囲まれてしまう。
「とんでもない魔力を感じたけど、アレは何だったワケ?」
「あ〜、あれはピエール之介っス」
「あの人、魔族だったんです。ソロモン王の七十二柱の大悪魔の一柱、『炎の獅子』アロセス」
「……ッ!?」
 二人の答えを聞いてエミは言葉を詰まらせた。彼女は黒魔術のプロフェッショナルなだけあって、魔鈴ほどではないにしろ、魔族に関する情報にも造詣が深い。それだけにアシュタロスと同格の魔族が姿を現した事に驚きを隠せないでいる。
「その魔族は、一体何のために……?」
「魔法界の調査らしいです。でも、正体がバレたから、もう帰るって言ってました」
「そう、ですか……」
 魔鈴はそれを聞いて少し肩を落とした。研究者として、滅多に遭えない高位魔族と遭う機会を逃した事を嘆くべきか、遭わずに済んだ事を喜ぶべきか複雑な心境である。
「………」
 しかし、横島の背にひしっとしがみ付くアンを見て、魔鈴は頭を振って考えを改めた。今はとにかく、二人の無事を祝うべきであると。
「とにかく、地上に戻りましょう。学校の人達にも、もう安全だって伝えないと」
 魔鈴の言葉に反対する者はいなかった。そのまま一行は地上に戻り、魔鈴によって学校関係者に事態が収束した事が伝えられた。当然彼等も地下の強大な魔力に気付いていたが、ピエール之介の事が伝えられると、何も言えなくなる。知らなかったとは言え、彼を職員として雇っていたのはこの学校なのだから。


 その後、横島達を含む学会の参加者達は、客用にと用意された部屋に案内された。
 アンはよほど怖かったのか、寮の方には戻らず、横島達と一緒の部屋に居る。冷静に考えれば、片腕が魔族化している横島と一緒に居る方が怖いような気もするが、その辺りの感覚が麻痺してしまっているのだろうか。或いは、彼から目を離す事で、逆に不安になるのかも知れない。
「魔法学会の方はどうするんですかね?」
「日を改めるか、今年は中止となるか……どちらにせよ、今日は結論出ないでしょうね。こんな状態ですから」
 窓の外を眺めるが、学校内が未曾有の大混乱に陥っている事が手に取るように分かった。『教会』関係者が攻めてきただけでも大事だと言うのに、『魔王級』まで現れたのだから無理もあるまい。
「私達が気にしても仕方ないけど……アン、あんたは一旦部屋に戻って貴重品だけでもこっちに持ってきとくワケ」
「え? でも……」
 突然のエミの言葉にアンは戸惑うが、魔鈴はエミの考えを察して沈痛そうな面持ちで顔を伏せた。
 彼女達が考えているのは最悪の展開、今回の件で魔法界が完全に人間界との交流を絶つ事だ。そうなれば、当然人間界出身の者達は現役学生であるアンも含めて皆、魔法界には居られなくなる。
 素直に追い出してくれれば良いが、場合によっては人間界出身と言うだけで、捕らえられてしまう可能性もあるのだ。そうなってしまえば、強行突破して自力で人間界に戻るしかない。そうなってしまった時の事を考え、エミはアンにせめて貴重品だけでもこちらに持ってきておくように言ったのだ。
「まぁ、あくまで可能性ですよ。学園長はそんな無茶をするような人じゃありませんから」
「………」
 この学園の出身者である魔鈴は、学園長の人となりを説明してフォローするが、アンは不安になってしまったようだ。
 部屋の荷物に関しては、最悪捨ててしまっても良いのだが、秘密の通路に隠してある曽祖父の形見であるイージススーツ『ダビデ号』と『ゴリアテ号』に関してはそうはいかない。かと言ってこちらに持って来れる大きさでもないため、魔鈴に頼み、彼女の魔法で一旦、魔界にある魔鈴の自宅へと送られる事となった。
「だ、大丈夫ですよね! 次も、横島さんがちゃんと守ってくれますよね!?」
「だいじょーぶだって、次は俺だけじゃなくてピート達もいるんだから」
「アン、よっぽど怖かったんですね……」

 こうして横島達は不安な一夜を過ごす事になった。
 翌日、人間界との交流を絶つべきだと主張する者達を学園長が説得して魔法学会は無事行われる事になり、結局その心配が杞憂に終わる事を彼等はまだ知らない。





 一方、地上の騒ぎをよそに、地下空間では『炎の獅子』が後片付けを進めていた。
「おかたづけ〜♪ おかたづけでござるよ〜♪」
 何とも暢気に鼻歌混じりである。
 魔法陣に仕掛けをほどこし、自分が魔界に還ると同時に、魔法陣が消えるようにした。これで、あとは魔界に戻るだけだ。
「おっと…」
 ここで『炎の獅子』は脇にどけた殉教者部隊の三人の存在を思い出した。
 自分に任せろと言った以上、彼等の事を放っておくわけにはいかない。
 『炎の獅子』は、鼻歌を歌いながら赤い大剣を携えて身動きの取れない三人へと近付いていく。
 そして、彼等の前で立ち止まると、無造作に大剣を振りかぶり―――

「おかたづけ〜♪ おかたづけでござるよ〜♪」

―――三度、その剣を振り下ろした。



E N D



あとがき
 繰り返しとなりますが、魔法学校について。
 モデルは存在します。しかし、『黒い手』シリーズ本編独自の設定と組み合わせて書かれておりますので、モデルになった特定の学校とはあくまでも別の学校であると言う事をここに明言しておきます。
 『殉教者』に関する設定、アロセスに関する設定も『黒い手』シリーズ独自のものです。
 更に、今更の話ではありますが、横島の魔族化した『黒い手』も、『黒い手』シリーズ独自の設定です。

 そして、シャーロック・ホームズとモリアーティー教授については、『(有)椎名大百貨店』に収録されている『GSホームズ 極楽大作戦!! 血を吸う探偵』を原作としております。
 また、『黒い手』シリーズにおいては、あくまで『GSホームズ』のシリーズを原作とし、この二人を歴史上の実在の人物として扱っております。推理小説『シャーロック・ホームズ』のシリーズとは直接には関係がありません。ご了承下さい。







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代理人の感想
うわー、エグいなぁ。このシリーズそういう描写は割と意図的に回避してるところがありますから、余計にそう思えますね。
まぁなんだかんだ言って悪魔だし、『アクマを殺しても平気なの?』という名言もあることですし(違)。


後野暮を承知で聞きますが・・・『賢者の石』はどうしたんだ、おい。



>まだまだ青いな
毎度思うけど、ピートって700年もの間何やってたんだろう。よっぽど呑気に人生過ごしてたのかしらん。w
ジョセフ・ジョースターだったら「もっと都会でもまれるべきだったな!」とか言いそうだ(爆)。

>そう宣言するピートの額には血が滲んでいた。
無敵時間がない分本家にはまだ及んでませんね。(ぉ

>魔族化した腕の持っているであろう、もう一つの能力を思い出していた。
・・・・ふと考えてみれば、幻惑のほう使ってたら文字通り瞬殺できてたんでは?(爆)




ところでピエール之介、帰っちゃったけどDVD-BOXは貰えたんだろうか。w



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