目の前に広がる大平原。横島達は、この先の山を根城にしているクエストボスの一体を倒すために、まばらに草が生えている荒野を歩いていた。
 枯れかけているのか、少し茶色に変色した草。細く、葉の少ない木々。上を見上げれば青い空が広がっており、ここがゲームの中だとはにわかに信じられない。以前にも一度『キャラバンクエスト』の世界に入った事がある横島は、ゲームもリアルになったものだと感心する。
「でも、足下よく見てみると、一定距離ごとに同じパターンになってるんだよな」
「……あ、ホントだ」
 横島は気付かなかったが、見る人が見れば、小石の並びや雲の配置に一定の規則性があるらしい。いかにリアルに見えても、やはりこの世界はゲームの中だと言う事だろう。

「ところで、急に強くなったクエストボスとかはいなかったのか?」
「さっぱりっスねぇ……」
「これから倒しに行くボスは、この騒動が起きてから発生したクエストじゃから、可能性はゼロではないな」
 横島の問い掛けに、先頭を行く大剣を背負った大男の姿をしたカモことアルベールと、片手持ちの戦斧を肩に担いだドワーフ、ブロックルが答える。二人は周囲を警戒する役目であり、少し後ろに横島が居て、千雨とアキラの二人は彼に守られる形になっていた。
 カモとブロックルによる情報収集の結果は、芳しいものではなかった。悪霊により強化されたクエストボスはいなかと聞いて回ってみたのだが、誰に尋ねてもそれらしい者はいないとの事。
 そこでカモ達は、騒動が起きてから発生したクエスト――すなわち、騒動が起きる前は存在していなかったクエストボスに目を付けた。騒動が起きる前後で強さを比較出来ない存在だからだ。強さが変わったボスがいないのならば、新しく登場した者の中に潜んでいるのではないかと考えたのである。
「本当に、私達は戦わなくていいんだろうな?」
「ホントだって。そもそも、千雨ちゃん戦えないだろ?」
「あ、当たり前だろ。私は、横島さんみたいなファンタジー世界の住人じゃないんだ」
「オカルトだよ」
「私にとって、向こう岸の存在だって事は一緒だっ!」
 横島としては当然の事を言っているつもりなのだろうが、その飄々とした態度に千雨は腹を立て、彼の前に回り込むとビシッと彼を指差し、声を荒げてしまった。
「おぉぅ!」
「ん?」
 しかし、彼は却って目を輝かせる。その態度に千雨は毒気を抜かれて眉を顰めた。『マ』の付く人なので、怒られてトキメいてしまったのだろうか。いや、そうではない。
「……ハッ!」
 彼女の出で立ちを思い出して欲しい。そうしなければならなかった理由については割愛するが、現在の彼女はビキニアーマーを身に着け、それをマントで隠している状態である。それが腕を突き出し指差せばどうなってしまうかは自明の理であろう。
 今の自分の状態に気付いた千雨の顔がカァッと真っ赤に染まる。
「み、見たなッ!?」
「眼福でした!!」
 一方で胸を張り、至福の表情でサムズアップして答える横島。見てないと照れながら誤魔化してくれれば、まだ千雨の方も何もなかったかのように誤魔化す等対応のしようがあるが、こうも堂々とされてしまってはどうしようもない。横島が何かした訳ではなく、壮絶な自爆であるため口をパクパクと動かすも何も言う事が出来ない。
 普段、ネットアイドルとして水着に近い格好をする事もある千雨だが、こうして直接見られるのはやはり恥ずかしいらしい。直接人前に出る事がほとんど無いと言う事と、写真も画像処理をした上で公開しているため、あれは「ちう」であって「千雨」でないと言う意識があった。
 しかし、今の彼女は紛れもない素だ。この状況で「ちう」になりきれる程、彼女は剛胆ではない。むしろ、素の彼女は内気なのだ。それが下着姿とほとんど変わらぬ自分の姿を見られて平静を保っていられるはずがなかった。横島とは最近何かと縁があり、千雨も身近な年齢の近い男性として意識していたのだから尚更である。
 前方を進んでいたカモとブロックルも何事かと振り向く。位置的に、横島以外の目撃者がアキラだけと言うのは不幸中の幸いであった。カモも不味いが、特にブロックルはどこの誰かも分からない。
 これ以上、この話題を続けるのは不味いと、千雨はマントで身体を隠し、顔を真っ赤にしたまま上目遣いに横島を睨み付けた。
「いや〜、ええもん見たなぁ」
 しかし、横島はそんな視線など意に介さず――いや、それを真正面から受け止めた上で、喜んでいるようだ。まったくの逆効果である。


 それからは千雨がマントの裾が翻らないように気を付けて歩いたため、少々進むのが遅くなってしまったが、一行は特に何かトラブルが起きる事も無く目的地に近付いて行った。途中、何度かモンスターに遭遇したが、アキラが千雨を守っている間に、横島達三人がモンスターを片付けると言うフォーメーションで問題なく倒せている。
 時折、仕留め損ねたモンスターがアキラ達に向かって行くが、それはアキラがバスタードソードを振るって蹴散らしていた。
 そう言うゲームなのだから当然の事だが、この世界では武器で斬っても相手の身体が斬れる事はない。ダメージを受けたであろう動きを見せるが、血を流す事もなく、データ上のHP(生命力)がゼロになった時点で勢い良く吹き飛び、光の粒子となって消えてしまうのだ。死体がその場に残る事は無い。
 この「ゲーム的表現」のおかげで、アキラは気負う事なく、その身体能力を奮って戦う事が出来た。もし、モンスターとの戦いがもっとリアルなものであれば、彼女は戦う事が出来なかっただろう。怖いのではなく、モンスターが可哀想と言う理由で。

 ちなみに、この「ゲーム的表現」はプレイヤー側にも適応されるらしく、こちらもHPがゼロになった時点で、どこからともなく棺桶が現れて閉じ込められてしまうらしい。実際に死ぬ訳ではないのだが、何かしらの方法で蘇生させなければ、そこから出る事が出来ないそうだ。仲間が居れば棺桶を運んでもらえるが、そうでなければ、スタート地点の街まで戻されてしまう。これは肉体ごと取り込まれた者も例外ではない。回復魔法の使い手がいない横島達は、気を付けなければならないだろう。文珠で蘇生出来るかどうかは謎なのだから。
 この辺のシステムは全てゲームそのままであり、取り込まれたプレイヤー、特に肉体ごと取り込まれたプレイヤーが、恐れる事なくゲームを楽しんでいるのもまた、この辺りが理由であった。

 もっとも、それも全ての人がそうと言う訳ではない。死ぬ事は無いが、怪我はするし、痛みも感じるのだ。
 そのため取り込まれてしまった人の中には、モンスターを恐れて街に引きこもっている者達も少なからず存在している。
「な、なんで、私がこんな目に……」
 どちらかと言えば、千雨もそのようなタイプであった。出来る事ならば、街でじっとして救助を待っていたい。
 にも関わらず、こうして横島達について行っているのは、一人で取り残されるより、彼等と一緒に居た方がまだマシだと考えたためであった。

見習GSアスナ極楽大作戦! FILE.105


 一方、外の世界では既に放課後となっていた。
 流石にクラスメイト二人に、クラスメイト共通の親友、一部の者にとってはそれ以上の存在である横島が神隠しに遭ったとなれば、落ち着いて部活に励む事も出来ない。どうしても抜けられない者以外は、部活にも出ずに授業が終わるとすぐに寮に戻り、泊まり込む準備をしてレーベンスシュルト城に集合している。
 特に集まったところで彼女達には事態の解決に繋がるような事は何も出来ないのだが、じっとしていられないのだろう。それに、事態の推移を知るには、やはりこの城が一番早い――いや、やりやすい。女子寮の方には大勢で集まって騒げる場所が無いのだ。
「な、なに、この騒ぎ……?」
 やはり横島が心配なのか、いつもよりも早めに帰宅した刀子は、3−Aの少女達でごった返すサロンを見て目を丸くした。
 少女達は、普段レーベンスシュルト城に来ても、サロンでじっとおとなしくしていたりはしない。そのため刀子は、パーティ会場となったテラスならともかく、こうしてクラスメイトの大半が集まったサロンを見るのは初めてであった。
 和美が刀子の姿に気付き、慌ただしく駆け寄って来た。制服のベストを脱ぎ、襟元を緩めただらしない姿だが、ここは学校ではないので刀子もそれについては指摘しない。彼女は知らない事だが、自室やここで報道部の仕事をしている時の彼女は大体こんな感じである。短いスカートで胡座を掻いていたりするので、その姿を目撃した横島は、思わず「ありがたや〜」と手を合わせたそうだ。
 そんな彼女の胸元には、さよ人形がべったりと張り付いている。地縛霊となって六十余年、ようやく手に入れた横島と言う家族が神隠しに遭い、彼女もショックを受けているらしい。こうして一番仲が良い友人である和美にべったりと引っ付き、離れないでいる。
「あ、刀子先生! 『キャラバンクエスト』の件、何か情報ありますか?」
「え、あ、ゴメンナサイ。関東魔法協会は麻帆良内の被害者保護を進めていて、新しい情報はないわ」
「そっかー」
 ここでも和美は情報収集に努めているらしい。いや、彼女だけではない。超と聡美も自前のパソコンを持ち込んで城内でもネットが繋がるようにし、ハルナを交えてネットで情報収集を進めていた。
 ココネを連れて刀子よりも早く帰宅していたシャークティも彼女達に捕まっており、GS協会経由の情報を尋ねられているようだ。先日、アスナ達に気と魔法力の違いについて講義した際に使用されたホワイトボードが持ち出されており、そこには数々の断片的な情報が書き込まれていた。周りを見れば和美達以外もそれぞれ携帯を手に自分の交友範囲で情報を集めており、行方不明になった友人の友人、昏睡状態に陥った知人の親戚、片っ端から情報を集めては、それをホワイトボードの前に立つあやかが取り纏めている。
 刀子は何気なしにそれを見て、絶句した。もしかしたら関東魔法協会よりも多くの情報を得ているのではないだろうか。ネット上の噂も拾っているため間違った情報もあるのだろうが、刀子は3−Aの秘められたポテンシャルに驚きを隠せなかった。
「あやか、学園長に連絡して関東魔法協会が持っている被害者のリストを取り寄せたらどうかしら? 既に保護されている人、まだ保護されていない人をチェックした方が良いと思うわ」
「分かりました。では早速」
 あやかはすぐさま指示を飛ばし、和美が学園長に問い合わせる。クラス委員長である彼女は、ここでもリーダーシップを発揮しているようだ。
 レーベンスシュルト城に住み始めてまだ一ヶ月も経っていないが、刀子はあやか達同居人を名前で呼ぶようになっていた。あやか達の方も、刀子「先生」ではなく刀子「さん」と呼んでいる。もちろん、学校等公の場では自重しているが。
 これは、修行時間以外もサロンで一緒に過ごす事が多いと言うのもあるが、何より料理を当番制にした事が大きいだろう。この当番制は、常に茶々丸を始めとする料理上手が必ず一人入り、毎回別のメンバーが数人助手として加わる事になっている。そして、一緒に料理をし、時には教えてもらうのだ。刀子やシャークティも家では自炊をしていたが、流石に茶々丸には敵わない。厨房には教師も生徒もなく、一緒にエプロンを付けて料理に励む事は、互いの心の垣根を取り払うのに一役買っていた。
 生真面目で、きっちり生徒とは一線引いているシャークティに対し、刀子は自分から家族として溶け込もうとしていた。今では、一つ屋根の下で暮らす少女達の事を、妹のように感じている。
 繰り返し言っておくが、あくまで妹である。断じて娘ではない。

 ちなみに、この当番制において、ココネは美空とセットで扱われている。また、平日の夜は警備があるため、警備に出る日は当番にならないよう工夫が凝らされていた。
 夕食を料理するのは夕方の修行時間と被ってしまうため、横島はこの当番制に加わっていない。彼は城主だからと当番を拒否しているエヴァと一緒に味わう役である。庶民的な味を好む横島に、食い道楽は伊達では無いエヴァ。特に後者は舌が肥えているため、なかなかに手強い審査員である。
 特にアスナは、横島に褒めてもらうのを目標に頑張っている。刀子も厨房で頬にソースを付けながら悪戦苦闘するその姿を微笑ましく見守っていた。
「うぅ、横島さぁ〜〜〜ん……」
「……随分と落ち込んでいるわね」
 そのアスナが、少女達の人波の中でテーブルに突っ伏していた。いつもの元気はどこへやら、横島が神隠しに遭った事に相当ショックを受けている様子だ。無論、千雨とアキラの事を心配していない訳ではないのだろうが、やはり横島の事が一番心配なのだろう。
「まったく、皆を心配させて……」
 こめかみを押さえて呟く刀子。当初は学園長の命令で来たレーベンスシュルト城であったが、今ではここでの生活に今までにない居心地の良さを感じていた。しかし、今は空気が僅かに重く感じられる。理由は一つしか考えられない。ここでの生活を彩る重要なパズルのピースが一つ抜け落ちてしまっているためだ。
 失ってから初めて気付くと言うが、正にその通りである。だからこそ、本当に失う訳にはいかない。
「ほい、印刷出来たよ〜」
 電子メールで送られてきた関東魔法協会が把握している被害者のリストを印刷した物が、あやかの元に届けられる。心当たりを全て当たり終えた面々が、早速リストの照合に取り掛かる。
「アスナ、あなたも手伝いなさい! そんな事してても、皆は戻ってこないわよ!」
「! は、はい……!」
 刀子もじっとしていられないと、アスナに活を入れる。そして、自らも腕まくりをして照合作業に加わるのだった。

「と言うか、龍宮さん。あなたまで参加してたの?」
「私だって、クラスメイトの心配ぐらいするさ。それに、横島はパートナーなんでね」
 真名の仕事人としての裏の顔を知る刀子は、彼女もこのクラス総出の情報収集に参加している事に驚きを隠せない。
 刀子の問い掛けに小さく微笑んで答えた真名は、すぐに情報収集の作業に戻ってしまった。彼女は大学のバイアスロン部や、龍宮神社の関係者を当たっているようだ。
 クラスメイトとは関係の薄い彼女も、外部の交友関係ならば、それなりに顔が広い。他の面々も部活での知り合いを中心に情報収集に当たっているようだ。
 その後、彼女達の活躍により十数人の被害者が発見され、保護される事となる。
 それからも横島達が無事戻ってくるまでその活動は続けられ、彼女達は人脈をフルに駆使して情報収集に当たり、その情報は関東魔法協会、GS協会へと送られ事態収拾の一助となったそうだ。

「あ、そうそう。今日の警備なんだけど、シャークティのチームだったわよね?」
「ええ、そうね。誰か横島君の代理を立てた方が良いのかしら?」
「学園長は、ウチのパーティから代理を立てろって言ってたわ。だから、私が行くから」
「分かったわ」
「ゲッ!」
 こうして、今日の警備チームの横島が抜けた穴は、刀子が埋める事になった。
 奇しくも教師二人に囲まれる事になった美空が、心底嫌そうな顔をしたのは言うまでもない。



「今頃、みんな心配してるかなぁ……」
 アキラが、空を見上げながらポツリと呟いた。
 横島一行は、ようやく目的地の山に辿り着いていた。ゲーム上では『北の山脈』と呼ばれているらしいが、この山脈を越えた更に北に住む人達がどう呼んでいるかについては、ツっこみ無用である。
 重装備のアキラは平然としているのに、千雨はかなり疲れた様子だ。日頃の鍛え方が違うのだろうか。アキラの呟きに、荒い息を整える千雨は、返事を返す事が出来なかった。
「姐さん、大丈夫ですかい?」
「む、無理だ。ちょっと休ませてくれ」
 千雨はその場に座り込んでしまった。それでも、ビキニアーマーが見られないように、きっちりマントの前は閉じている。
「あそこの小屋は、自由に使っていいのか?」
「ありゃ、この山を探索する者のための休憩所だな。ゲームキャラだと、中の簡易ベッドで横になると、短時間でHP、MP(精神力)を回復出来るんじゃ」
「俺らみたいなのは?」
「数値上は回復するぞ」
 HP、MPは回復するが、体力は回復しないようだ。ゲームの中なので、そう言うものだと納得するしかない。
「千雨ちゃん、あの小屋で休憩だ」
 しかし、声を掛けられても千雨は立ち上がる事が出来ない。そこで横島はスッと彼女の背に手を回すと、そのまま所謂「お姫様だっこ」で彼女を抱き上げてしまった。
「って、おまっ! 何恥ずかしい事してんだよ!?」
「はいはい、動けないんだからおとなしくしてろよ。小屋で休憩するから」
「てコラ! 腕の位置おかしい! そこ尻だぞ!」
「さぁ、行こうかぁ〜♪」
 顔を真っ赤にした千雨の抗議などどこ吹く風、横島は軽やかな足取りで彼女を小屋へと運んだ。アキラはそれを少し羨ましそうな目で見ている。
 そんな彼女の様子に千雨が気付いた。
「な、何見てんだよ、アキラ。そんなに羨ましいなら、お前がやってもらったらどうだ?」
「え、でも、私は大きいし、重いから……」
 そこは真っ先に「恥ずかしいから」の理由出せと千雨は思うが、あえて指摘はしなかった。確かに彼女の言う通り、横島と変わらぬ長身に重装備となれば、普通の人が抱えられる重さではない。
 そうこうしている内に、千雨は小屋の中に運び込まれた。中には誰もいないようだ。壁際に幾つかの簡易ベッドが備え付けられており、中央には大きめのテーブルがあって、幾つかの椅子がその周りに並べられている。更に暖炉もあって火が燃えていた。誰も燃料をくべていないのに、何故火が燃えているのかと千雨は疑問に思うが、これはそう言うオブジェクトなのだ。近付くと暖かいが、この火が消えたり、別の物に燃え移ったりする事は無い。
 簡易ベッドはゲームシステムに組み込まれた回復装置と言うのが気になったため、千雨は椅子の方で休ませてもらう。
 横島は千雨を降ろすと、「ゆっくり休むんだぞ」と一声掛けて、すぐさま身を翻してアキラの下に戻って行った。
「さぁ! アキラちゃんも、お兄さんが運んであげよう!」
「わ、私は大丈夫だから」
「遠慮しなくていいから、いいから!」
 愛衣に対してもそうなのだが、押しの弱いアキラに対し、横島は強引に行く傾向がある。これが本気で嫌がっていたなら彼も引き下がるだろうが、彼女は恥ずかしいだけで嫌とは思っていないため、横島は強気で突っ走っていた。
「よし、行くぞ!」
「重くない?」
「全然平気サ!」
 あれよあれよと言う間にお姫様だっこされてしまったアキラは、目を白黒させる。男性に負けない大柄な体格の自分が、このように抱き上げられるとは思ってもみなかった。重い金属製の鎧で全身を固めているのだから尚更だ。しかし、横島は大型の洗濯機を一人で背負って歩いて帰ってくる男だ。まるで重さなど感じていないかのような軽い足取りでアキラを運んで行く。
「……ホントに、重くないの?」
「だから、全然平気だってば。これぐらい、いつでも任せてくれ!」
「うん、また今度、頼むね」
 今にも火を噴き出しそうなぐらいに顔を真っ赤にしたアキラだったが、いつもは周囲から頼られる立場であるせいか、こうして横島を頼る立場になったのが少し嬉しかったらしい。アキラは、はにかんだ笑みを浮かべながらも、それを受け容れているようだ。

 小屋の中に入った横島一行は、まずはカモから一人ずつ簡易ベッドで休む事にする。現在、小屋には横島達しかおらず貸し切り状態なのだが、いつ誰が来るか分からないため、複数ある簡易ベッドを全員で同時に使って無防備な状態になる事を避けたのだ。
 カモが簡易ベッドの上で横になると、彼はすぐに目を閉じて眠ってしまった。そして数分後に目を覚ます。起きた直後のカモの第一声は「あんま休んだ気がしない」であった。やはり、数値上のHPとMPを回復するだけの装置であり、データ上では表されない「疲れ」を癒すものではないようだ。休憩は別に取らなければならないだろう。
 逆に言えば、本人は元気でも数値上のHPがゼロになれば、ゲーム上では死んだとみなされると言う事だ。元気に千雨とアキラをお姫様だっこしていた横島も、ここに来るまで何度もモンスターと戦って来たため、念のために一人ずつ簡易ベッドで休む事にする。
 カモの次にブロックル、その次に横島が簡易ベッドを使い、その次に千雨を守って何度かモンスターと戦ったアキラも簡易ベッドを使わせてもらう事になった。ほんの数分間の事だが、横島はベッド脇に陣取り、アキラの可愛い寝顔を堪能している。
「アキラはともかく、私は全然戦ってないんだが、やっぱ寝ないとダメか?」
「パーティメンバーなら経験値は入るから、データ上のレベルは上がっとると思うぞ。休憩した後でも良いから、HPは回復させておけ」
 寝顔を見られるのは恥ずかしいが、ブロックルが指摘する通り、データ上の数値を全快させておかねばならない。と言う訳で、千雨も仕方なく簡易ベッドで眠っておく事にした。十分に休憩を取った後、簡易ベッドを使わせてもらう。
 当然の如く、横島に寝顔を見られてしまうが、これはもう仕方がない事だろう。ツっこみを入れるのも、変に意識しているようで恥ずかしいため、千雨は何も言わずにふてくされた表情でベッドの上に横になる。しかし、横島には通じず、彼はベッド脇で千雨が目を覚ますまで彼女の寝顔を堪能するのであった。



 それから数分後に千雨は目を覚ました。横島に寝顔を見られていたのは恥ずかしいが、それは我慢して皆でテーブルを囲む。
「そう言えば、疲れてるのに全然腹は減らないんだよな。一体どうなってるんだ?」
「この中じゃ、腹は減らんみたいじゃな。身体ごと取り込まれたなら、食事の心配はいらんぞ」
「魂だけなら?」
「聞いた話じゃが、外に残された身体は衰弱するらしいぞ」
 この『キャラバンクエストOnline』に食事の概念は無い。そのためか、この世界では何日経っても腹が減る事は無い。
 しかし、ゲームの中ではそれでも良いが、外に残された身体はそうもいかないため、入院して点滴で栄養補給をしなければならないそうだ。
 横島はカモに顔を近付けると、小声で問い掛ける。
「お前の身体は大丈夫なのかよ?」
「多分、兄貴が学園長に頼んで、魔法で何とかしてくれると思うっスよ……」
 流石にオコジョに点滴を打つ訳にはいかないが、そこは魔法で補う事も出来るそうだ。現にカモの身体は学園長に保護され、魔法で守られている状態である。
 外の世界、麻帆良学園都市では関東魔法協会が被害者の保護を進めているが、こちらはしっかり病院に入院させている。被害者の大半が魔法使い関係者ではないため、無闇に魔法を使うのを避けたのだ。

「ところで、ここに居るクエストボスってどんななんだ?」
「ああ、なんでもでっけぇドラゴンらしいですぜ」
「とことんファンタジーだな。いや、ゲームなんだけど」
「………」
 「ドラゴン」と言う言葉を聞いて、千雨は無言で何とも複雑そうな表情を浮かべた。ファンタジーとしてはベタだと思うが、大抵かなり強力な種族として登場する事が多い。この山に居るクエストボスも例に洩れず手強い敵なのだそうだ。悪霊が取り憑いた存在を探すために、カモ達は一番強いクエストボスを見繕って来たらしい。
 千雨は戦わずに見ているだけなのだが、正直逃げ出したい気分であった。どうして自分がこんな目に遭わなければならないのだろうか。
 ならば、逃げれば良いのだが、この非現実的なゲームの世界に一人放り出されるのも勘弁して欲しい。横島とアキラ、それにカモが居るからこそ、こうして平静を保っていられるのだ。彼等がいなければ、見ず知らずの人間ばかりのこの世界で、無事に過ごす自信は無い。つまり、横島達に付いていくしかない。千雨に選択の余地は無かった。
 今にも泣き出したい気分だった。しかし、彼等の前で涙を見せたくないため、千雨は必死にそれを堪える。
「……怖いか?」
 不意に声を掛けられた。伏せていた顔を上げると、横島が千雨の顔を覗き込んでいる。
 先程とは打って変わって真剣な面持ちだ。
「そうだよ! 怖いんだよ! 悪いかよ!」
 その眼差しが恥ずかしくて、顔を紅潮させた千雨は、それを振り払おうと声を張り上げてしまった。アキラはおろおろと心配そうに二人の顔を交互に見ている。
 しかし、横島は何も言わずに黙って聞いているだけだ。その余裕綽々に見える態度が勘に障った千雨は、更に声を荒げて捲し立てた。
「私は、あんたと違ってただの一般人なんだよ! アキラみたいな戦う力も持ってねーんだ!」
 こうなるともう止まらない。千雨は感情のままに全てをぶちまける。気付けば、涙がぽろぽろと止め処なく溢れ出ていた。
 ゲームの世界に入り込んで、それを楽しんでいる者もいるそうだが、全てがそんな反応をする訳ではない。千雨は生きて戻れるかも分からぬ状態で能天気に楽しめる程図太くなければ、勇敢でもなかった。
 怖いのだ。怖くてたまらないのだ。戦う術も持たず、怖いのにこうして横島達と行動を共にしているのは、彼が一緒でなければ、不安に押し潰されそうになってしまうためである。
「なんで、私が、こんな目に……」
 それ以上は言葉が続かなかった。ハッと我に返り、自分が泣いている事に気付いた千雨は、慌てて手で涙を拭う。横島はそんな彼女に手を延ばすと、その頭を無造作に撫でた。
「な、何すんだよ……笑えよ、おかしいだろ?」
「いや、おかしくは無いんじゃないか? 実際、千雨ちゃんは一般人な訳だし」
「でも、私は……」
 更に言い募ろうととする千雨だったが、横島にわしゃわしゃと頭を撫でられ、その言葉を止めてしまう。
 そして横島は、努めて優しく、宥めるように彼女に話し掛けた。
「怖けりゃ怖がってればいいんだよ。そう言う人達のために、GSは居るんだからな」
 かつての自分をしれっと棚に上げて横島は言った。怖がっても良い。その言葉に千雨は頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受ける。
「……え?」
「俺が守ってやるから、千雨ちゃんは安心して付いてくりゃいいんだ」
 ハッと顔を上げてみると、そこにはニッと白い歯を見せて笑う、横島の笑顔があった。
「んじゃ、出発するとするか。あ、そうだ。千雨ちゃんとアキラちゃんには文珠を渡しとくわ。いざって時は、これが守ってくれるはずだから」
 もう休憩は十分と言う事なのだろう。椅子から立ち上がった横島は、千雨とアキラにそれぞれ『護』の文字が入った文珠を一つずつ手渡す。保険としての意味合いが強いが、最近はストックに余裕があるため、全く問題は無い。
 カモとブロックルも、やれやれと武器を担いで立ち上がり、一足先に小屋から出て行った。横島もアキラと連れ立って行く。
 横島から貰った文珠を手に呆然としていた千雨は、一人出遅れてしまう。涙で潤んだ瞳で小屋から出て行く彼の背を見送った彼女は、まだ彼のぬくもりが残る文珠をぎゅっと握り締め、彼の言葉を思い出し、悔しそうに呟いた。

「ちくしょう、格好良い事言ってくれるじぇねぇか……」

 千雨は、何調子の良い事言っているんだと、内心冷めた目で見ている自分の存在を感じていた。
 しかし、頭を撫でてくれた手の力強さ、守ってやると言ってくれた笑顔、それを信じたいと思う自分が居る事も否定出来ない。
「……………信じて、良いんだよな?」
 ポツリと呟いてみるが、それに応える者はいない。
 きっと横島が助けてくれる。彼の事を信じよう。そう心に決めた千雨は、早足で横島達を追って、小屋の外へと一歩踏み出す。その頬が先程までは少々異なる意味で紅くなっている事に、千雨自身も気付いていなかった。



つづく


あとがき
 レーベンスシュルト城は、原作の表現を元に『黒い手』シリーズ、及び『見習GSアスナ』独自の設定を加えて書いております。

 『キャラバンクエスト Online』
 「アレ」が肉体丸ごとゲーム内に取り込む能力を持っている。
 「アレ」が魂だけを取り込んでPCに憑依させる能力を持っている。
 葛葉刀子に関する各種設定。
 これらは『黒い手』シリーズ、及び『見習GSアスナ』独自の設定です。







感想代理人プロフィール

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代理人の感想
セクハラまがいのお姫様だっこも、セクハラそのものの眼福反応も、もちろん千雨への対応も、
全部素なんだろうなあ、横島w

とりあえずこの天然ジゴロ、実際にいたらどう考えても男の敵として認識されてそうだ。

え、作品中でも同じですって?w


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