「エヴァちゃんが食い意地はってあんなに食べるからーっ!」
「何を言うか、神楽坂明日菜! この機会を逃したら次はいつ食えるか分からんのだぞ! ならば、食って食って食いまくるしかないだろっ!」
 横島達の目の前でアスナとエヴァの戦いが繰り広げられていた。口ゲンカだけでは飽き足らず、手も足も出る取っ組み合いになっているが、二人とも自重して霊力、魔法の類は使っていないので、傍目には少し激しい姉妹ゲンカである。
 初日の仕事を終えて電車に乗り込んだ後、エヴァの要望を受けて件の名店に出向いた一行。確かに評判通りの美味しい店だったのだが、ここでエヴァの食道楽魂に火が点いてしまった。数時間掛けて彼女は店の全メニューを食べ尽くしてしまい、その後、満足気な表情で動こうとしないエヴァを横島が背負って、一行はすぐさま電車に飛び乗ったのだが、今夜泊まる予定である二日目の仕事先に到着したのは、結局この時間だったと言うわけだ。
 そして、駅を出たところでケンカを始めてしまったアスナとエヴァ。この時、時刻は既に午後七時を過ぎていた。すぐさま宿泊先の旅館に急がねばなるまい。依頼主が明日の除霊対象の情報を持って旅館を訪れる事になっているのだ。ある程度余裕を持って夜に来てもらう事になっているが、こっちがそれ以上に到着が遅れてしまったら、元も子もない。
「お〜い。ケンカは止めて、そろそろ行くぞ〜」
 そう言って、横島が身体の小さいエヴァの襟首をひょいと摘み上げる事で、二人の戦いは引き分けに終わった。
 中途半端な所で止められて唇を尖らせていた二人だったが、今は旅館に向かうのが先決だと、おとなしく彼の言う通りにする。
「旅館に向かうバスがあるはずなんだが……」
「この時間までやってるですか?」
 キョロキョロとそれらしきバスを探す横島だったが、夕映のツっこみを聞いて「やっぱり?」と肩を落とした。もうチェックインするには遅過ぎる時間だ。宿泊客のためのバスとなれば、こんな時間まで運行しているはずがない。当然の話であろう。
 仕方なくタクシーを探してみるが、それも見つからない。それどころか道を見渡してみても、車はおろか人通りもほとんどない。依頼を受けた時点で、温泉宿ぐらいしか見所のない田舎の町だとは聞いていたので、横島はすぐに諦めて旅館の方に連絡を入れ、旅館のワゴン車で迎えに来てもらう事になった。霊障と言うのは観光客の数にも如実に響くものであるため、旅館側はすぐさま法被を着た細身で小柄な男を迎えに遣してくれた。話を聞いてみると、彼は旅館の若旦那であるらしい。猫背であるためか余計に小さく見える。助手席に横島が、二列目にアスナと古菲が座り、荷物も彼女達が預かる。そして、後部座席にはエヴァと夕映が乗り込んで、若旦那の運転で車は走り出した。
 車を走らせると、すぐに車窓の光景が街並から山林へと変わっていく。今日宿泊する温泉宿は、山を少し登ったところにあるらしい。その静かな環境が評判で、ただのんびりと温泉で骨休めしたい人には評判なのだが、今回の除霊対象がその山中に出没しているため、旅館側は気が気ではないようだ。
 旅館に向かう道すがら、車内で若旦那が「今日のお仕事、大変だったみたいですねぇ」と尋ねてきたので、横島は苦笑いでそれを誤魔化す。実際のところ、遅刻したのはエヴァの食い道楽が原因であるため、流石に本当の事を言うわけにはいかない。
「ところで、お一人だと伺っていたのですが……?」
「え、ああ、この子達は除霊助手でして」
「はぁ、そうなんですか」
 先程電話をした際に五人に増えている事は伝えていたので、男は驚きはしなかったが、一見ただの女子学生にしか見えないアスナ達に怪訝そうな表情を浮かべている。横島が除霊助手だと説明しても、男の顔は「こんな子供に何が出来る?」と言いたげであったが、オカルトに関して素人である彼は、それ以上は言ってこなかった。
 ただ、霊障が起きてるとは言え、世間ではまだ話題になっていないらしく、温泉宿である旅館はそれなりに客はいるようだ。そのため、今からではアスナ達の分の部屋を取るのは難しいとの事。それは、この時間まで遅れてしまった時点で予想されていた事である。
 ある種のVIP扱いである横島のために用意されていた部屋は元々一人用の物ではなく、多少手狭にはなるが五人で宿泊するのも可能だ。エヴァも別段気にした様子はなく、古菲も夕映もエヴァの別荘ではずっと一緒だったのだから別に構わないと承諾する。そしてアスナは、頬を染めながら「えっ、えっ、横島さんと一緒の部屋? きゃ〜っ!」と恥ずかしがりながらも嬉々として承諾したため、一行は横島のために用意された一部屋に宿泊する事となった。

 旅館に到着し、部屋の方へと案内してもらうと、そこは落ち着いた雰囲気の和室であった。
 入ってすぐに広めの畳が敷き詰められた居間があり、左の襖の向こうも畳の部屋だが、こちらは寝室になっている。また、奥の窓際は板の間になっており、藤製の座椅子などもあってくつろぎの空間となっているようだ。
「おおっ、温泉アル!」
「え、ここに温泉があるの?」
 更に窓から外に出ると、そこにはこの部屋専用の温泉もあり、それを見つけたアスナ達はきゃいきゃいと黄色い声を上げてはしゃいでいる。普通に宿泊すれば一体幾ら掛かるのか、横島には想像する事も出来ないようなVIPルームであった。
 なお、アスナ達の暮らす女子寮の大浴場『涼風』や、エヴァの別荘にある浴場の方が広いと言う事については、言及してはいけない。「旅先の温泉」と言うのが良いのだから。
「い、いいんですか? こんなスゴイ部屋」
「いいんですよォ。例のバケモノをはやいとこ退治してもらわないと、こっちも商売あがったりですからねェ」
 横島がおずおずと問い掛けると、若旦那と共に部屋まで案内してくれた女性――若女将は豪快に笑って答えてくれた。こちらは若旦那とは対照的に恰幅の良い女性だ。話を聞いてみると、彼女が現在この旅館を取り仕切っている大女将の娘で、若旦那は婿養子なのだそうだ。対照的なこの二人がどんな紆余曲折を経て結婚するに至ったかは非常に興味深いが、それは明日の仕事には関係がないので取りあえず置いておく事にする。
 かなり豪華な部屋であるのは、この旅館のサービスなのだそうだ。それだけに急遽アスナ達が増えてしまった事が申し訳なくなってしまう。横島は代金を支払うと申し出るが、それは若女将が頑なに受け取ってはくれなかった。そう思うなら、明日きっちりと仕事をしてくれれば良いそうだ。
「その『バケモノ』について、依頼主の方が説明に来てくれるそうですが」
「ああ、聞いてますよ。連絡をすればすぐに飛んでくる事になってます。夕食を先にする事も出来ますが、どうします?」
「う〜ん…それじゃ、先に話を聞くんで、呼んでもらえますか?」
 夕食後、くつろいでいる時間帯に訪ねて来られるよりかは、先に仕事の話を済ませてしまおうと、横島は夕食前に依頼主を呼んでもらう事にした。実は、これは急遽四人分の夕食を準備しなくてはならなくなっていた旅館側にとっても、都合の良い話だったりする。
「と言うわけで依頼主が来るから、お前らあんまくつろぎ過ぎるなよ? ……特にエヴァ、お前だーっ!」
「んあ? 夕飯はまだか?」
 しかし、この時既にエヴァは藤座椅子にその身を沈めてダレまくっていた。
「古菲、そっちの部屋に放り込んどいてくれ」
「分かたアル」
 こういう時のエヴァには何を言っても無駄だと言う事は分かり切っているので、彼女には隣の部屋に行ってもらい、襖を閉めた。エヴァも食べ過ぎたのか疲れているのかは分からないが、抵抗しようともせずにされるがままに運ばれている。隣の寝室に入ると、まだ布団は敷いてなかったので、座布団を一枚折り畳んで枕にし、そのまま畳の上にごろんと寝転んでしまった。

「横島さん、私達も同席していいんですか?」
「う〜ん…ま、いいんじゃないか? 人数増えてる事はもう伝わってるわけだし」
 と言うわけで、アスナ、古菲、夕映の三人はこちらの居間の方に残って依頼主を待つ事にした。出来ればすぐに温泉に入りたいと考えていたアスナ達だったが、それはしばらくお預けである。

見習GSアスナ極楽大作戦! FILE.64

 それから三十分もしない内に依頼主がやって来て扉を叩く。今回の仕事は役場が依頼主だったので、スーツ姿の役場の人間がやってくると思っていた。確かに扉を開けてみるとそこにスーツ姿の男性の姿があったのだが、更にその後ろには着物姿の老人が控えていたのだ。それが誰なのか分からずに横島が疑問符を浮かべていると、スーツ姿の男性がその老人がこの町の町長であると教えてくれる。
「いや〜、どうもどうも。貴方が若手GSのホープ、横島忠夫さんですな」
「か、勘弁してくださいよ」
 町長に握手を求められ、それを受けながらも乾いた笑いで返す横島。その額に冷や汗が一筋流れているのを夕映は見逃さなかった。町長の方も一見にこやかに握手をもとめているが、その目は何故か笑っていない。
 「若手GSのホープ」、友人のピエトロ・ド・ブラドー、時には伊達雪之丞と共に最近よく言われる事なのだが、彼等としてはあまりその話には触れたくなかった。何故なら、その話題を突き詰めると、「ならば、令子やエミはもう若手じゃないのか」と言う疑問にぶつかってしまうからだ。はっきり言ってこれは怖い。令子よりも年上である六道冥子は、こんな話題はあまり気にも掛けないだろうが、令子とエミの二人は気にしそうである。
 二人を部屋に招きいれ、一同はテーブルに向かい合うようにして座る。横島の前には町長と役人の二人が、彼の右側にはアスナ、古菲が並び、左側には夕映が並んでいた。
「急遽人数が増えたと言う話でしたが……いや〜、華やかで羨ましい!」
 扇子で扇ぎながらがっはっはっと笑う町長。横島は彼女達は除霊助手だと説明するが、町長はまったく聞いていない。その目は如実に「この好色め」と語っていた。仕方なく、横島は「除霊料金は据え置きですので」とだけ告げて町長との話を切り上げ、役人の方に話を振る事にする。
 すると、役人の男はファイルに閉じられた何枚もの書類を横島の前に並べ始めた。件のバケモノの目撃談などをまとめたものらしい。
「と言っても、目撃者によってまちまちで、相手がどんな姿をしているかも分からないのですが……」
 横島達はそれぞれ書類を手に取って内容を見てみるが、確かに「巨人だった」、「毛むくじゃらの獣だった」等々、人によって目撃したものが違っており、中には無人のトラックに追い掛けられたと言うものもある。
 山に入るとどこからともなく現れるようで、最近は観光客はおろか地元の者も誰一人として山には近付かないようにしているようだ。
「も、もしかして何匹もいるって事だったり?」
「分かりません。山中で目撃されているぐらいしか共通点がないので……」
「何を言うか、それは昨日までの話ではないか!」
 おずおずと問い掛けるアスナに役人が答えるが、その会話を町長が遮った。彼の話によると今日の昼頃、温泉を目当てに来た宿泊客の一人が町中で件の怪物を目撃したそうだ。幸い怪我などはなかったようだが、町中にまで姿を現した事に、住民は危機感を募らせている。
 そのため町長は不機嫌であった。そもそも、GSの都合と言う事で今日まで待たされ、いざ来たら二十歳も越えていない若造が美少女四人を引き連れて来たのだから、無理もあるまい。文句の一つも言いたくなるだろう。もっと早くにGSが来てくれていれば、町中にバケモノが出没する事もなかったと考えると、尚更である。
 アスナはその態度にカチンと来た様子であったが、それに気付いた横島が、彼女を手で制した。
「しかし……正体も分からない、数も分からないとなると、明日一日で終わらせるのはツラくないアルか?」
「いや、だいたいの正体の見当はついてるし」
「ええっ、そうなんですか!?」
 隣のアスナが、町長に向けて身を乗り出そうとした勢いのまま、そのベクトルを横島へと向けて驚きの声を上げる。顔が近い。横島はアスナの吐息を頬に感じながら自信有り気に頷いた。どこにいるかも分からない相手を探す仕事を一日で済ませると予定を立てていたのはこのためなのだ。
「その正体は、一体何だと言うのです?」
「おそらく、化ける事を覚えた動物でしょう」
 怪訝そうな表情で問う町長に、横島はキッパリと答えた。
「化ける…狸や狐が化かしていると?」
「イノシシが化ける事を覚えたって例もあるっスよ」
 そんな馬鹿なと言いたげな町長に対し、横島はキッパリと断定口調で答えた。彼が令子の下で除霊助手をしていた頃に、実際に遭遇した霊障の一つだ。自分が経験しているだけに自信満々である。何が件のバケモノに化けているのかはまだ分からないが、その正体が化ける事を覚えた野生動物である事はまず間違いないと横島は考えていた。
「あの、どうしてそんな事が分かるのですか? 実際に、バケモノが居ると言う事も考えられるんじゃ?」
「その辺は普通の動物と同じように考えると良いんです。妖怪と言っても、生きているんですから」
 自信なさ気に問い掛ける役人に、横島は噛んで含めるように説明する。
 現実的に考えた場合、巨人などが本当に居た場合、それは何を食べて生きているのかと言う問題が浮上してくる。あまり考えたくはないが、既に被害者が出ていればその問題は解決するのだが、今回のケースの場合、被害者はまだ一人も出ていない。次にそんな巨体が山中を徘徊しているとすれば、足跡等の痕跡が残るはずなのだ。しかし、資料の方にそれらしき報告は書かれていない。つまり、「実体がない」と考えた方が自然なのである。説明を聞いた役人は、なるほどと納得した様子であった。
「ところで、バケモノが出始めた前後に、交通事故に遭った野生動物とかいませんかね?」
 横島が出会った化けるイノシシは、つがいが交通事故に遭って保護され、それを殺されてしまった勘違いしたつがいの片割れが、怨念で化ける事を覚えてしまった。今回のケースもそれではないかと役人に問い掛けるが、彼はそのような事故は起きていないと言う。
 令子は「何かの『きっかけ』で化ける事を覚える」と言っていたが、その何かを具体的には言わなかったので、横島にはそれ以上の事は分からない。しかし、見鬼君を使って霊気を辿れば見つける事が出来るのだ。
 それに、山に入れば向こうからやってくると言うのだからますます好都合である。明日山へと入り、向こうが近付いてきた所で捕まえてしまえば良い。
「それでは、退治していただけるのかな?」
「……相手によります。俺の予想が外れて、本当に人に仇なす怪物だったら責任を持って退治します。でも、化けるだけの動物だったら、保護する方向で進めていきますので」
「保護してどうする? また山に放つ訳にはいくまい」
「それについては、こっちでちゃんとしますので、ご安心ください」
 これは「人と人ならざるものの共存」を目指す横島にとっては引く事の出来ない一線である。町長は面白くなさそうな顔をしているが、決してこの土地に迷惑を掛けるような真似はしないと言い含め、今日のところはお開きにして帰ってもらった。

「横島師父、どうするアルか? イノシシとか捕まえても麻帆良に連れて帰ったら、超に鍋にされるアル」
 古菲は半分冗談混じりに言ったようだが、誰もそれを否定する事は出来なかった。
 実際、イノシシかどうかは分からず、タヌキやキツネの可能性も否定できない。しかし、その正体が何であれ、野生動物を連れ帰って飼ったりできない事は確かだ。
「何にせよ、捕まえない事には始まらねーしな。とっとと夕飯食って、今日は休もう!」
 横島はそう言って話を切り上げると、書類を片付け始めた。確かに、人によって異なる目撃談から相手の正体を掴む事は出来ないだろう。ただ、夕映だけは何か隠れた共通点があるかも知れないからと、まとめた書類を受け取り、板の間の藤座椅子に腰掛けて書類一枚一枚に書かれた情報をじっくりと吟味し始める。
「それにしても、イヤな人でしたね」
「ん、ああ、あの町長か……まぁ、当然だろ。俺が学校休んでもう少し早くに来てりゃあ、町中にまで現れたりしなかったかも知れんし」
 アスナは町長の態度に頬を膨らませているが、横島はあまり気にしていないようだ。
 そもそも、一般人にとって霊障と言うのは「何かよく分からないトラブル」である。彼等は別段オカルトに興味を持っていると言う訳ではなく、そうでなければGSなんて胡散臭い者達とは係わり合いになろうともしないような者達なのだ、本来は。横島は既にその事を理解しているのだが、アスナはまだその辺りがピンと来ないらしい。
「そいや、美神さんが言ってたなぁ、ああいうイヤなクライアントの時こそ仕事はきっちりしろって」
「そうなんですか?」
「除霊失敗して、何かトラブルが起きてアフターケアしなきゃならんようになったら、また顔を合わせてイヤな事言われるだろ。だから、代金もらったら二度と顔合わせずに済むように、きっちり除霊しろってさ」
「……なるほど」
 その通りだとアスナは頷いた。
 所謂「嫌なヤツ」と言うのは得てして恨みを買いやすい者が多い、逆恨みも含めて。そう言う者は、一度悪霊を祓ったとしても、また別口の悪霊に憑かれてしまう事があるのだ。その時に「ちゃんと除霊してなかった」とか抗議されないようにと言う自己防衛の意味合いも含めた令子の教訓である。
 更に彼女は、次にその依頼主が来た時は、思い切り高額な除霊料金を吹っ掛けてぼったくるか、見捨ててやれと言っていたが、それについては流石に真似する訳にはいかなかった。

「うわ〜、美味しそう〜!」
 横島と、急遽増えたアスナ達四人のために用意された夕食は、山の幸、川の幸をふんだんに盛り込んだ懐石料理だった。アスナと古菲は目を輝かせ、寝ていたエヴァも匂いにつられてのそっと寝室から姿を現す。そして、夕映も一旦書類の束を置いて居間の方に戻って来た。
「て言うか、エヴァ。お前は今日食べ過ぎじゃないか?」
「案ずるな、全開状態で魔法を使ってるのに血を吸って魔法力を補給する事も出来んのだ。これでもまだ足りん」
 エヴァの食事については気を付けて欲しいと茶々丸に頼まれていた横島。呆れた調子でエヴァに注意するが、彼女は吸血出来ない事を理由に対抗してきた。本当か嘘かは分からないが、そう言われてしまっては横島も彼女を止める事が出来ない。
「貴様が血を吸わせてくれると言うなら、考えなくもないが……どうだ?」
「そしたら俺、吸血鬼やん」
「そうだろう、そうだろう。つまり、私は食べるしかないと言う事だな」
 一人満足気に頷くエヴァ。横島も食事時にこれ以上言い争いをする気もなく、あっさりと引き下がった。ここは彼女の完全勝利である。一同は歓談を交えながら懐石料理に舌鼓を打った。
「ところで、エヴァ。明日は……」
「ああ、話は聞こえていたぞ。もし、町中にそいつが現れたら、私が片付けてやろう」
 居丈高に手伝ってやると言っているが、要するに面倒な山の探索には手を貸さないと言う事だ。町に行っても遊園地に行きたいエヴァを満足させるようなものはないだろうが、それでもどこに居るかも分からない敵を探して山を歩き回るよりかはマシなのだろう。予想通りの返答だったらしく、横島も動じずにそのまま話を進める。
「それじゃ、夕映ちゃんはエヴァと一緒に」
「分かったです」
 図書館探険部で鍛えているため、体力にはそれなりに自信はあるが、流石に横島、アスナ、古菲の三人と比べると勝てない上に、戦いに関しては素人である夕映は、明日はエヴァと一緒に留守番と言う事になる。
 当然の判断だと思ったので、夕映は何も反論する事なく頷いた。
「で、アスナと古菲は俺と一緒に山の探索だ。見鬼君で敵を追うぞ」
「分かりました!」
「了解アル!」
「そんな力入れなくていいって。今日の仕事に比べりゃ大した事ないから」
「「はーい」」
 張り切って返事するアスナと古菲に、横島は苦笑する。確かに今日の仕事は奇しくも大事になってしまった。しかし、妖怪や悪霊が関わっていそうにない明日の仕事に関しては、そんな事にはならないだろう。
 ちなみに、化ける事を覚えた動物と言うのはあくまで動物であり、妖怪としては扱われない。放っておけば妖怪化しかねない事は確かだが、この段階ではまだ、『動物の霊能力者』として扱われるべき存在なのである。
「横島さん、明日の事について聞いておきたいのですが」
「ん、仕事以外にか?」
「ハイ、明日の宿泊先についてです」
 ああ、と横島はポンと手を打った。明日の仕事は早朝から山に入るため、こうして今日の内に現地入りした。ならば、明後日の仕事はどうなのかと夕映は聞いているのだ。
 横島はフムと考え込む。三日目の仕事は早朝から出向かなければならないものではない。そのため、明日もこの旅館に泊まり、明後日の朝、現地に向かっても何ら問題はなかった。おそらく、あの若女将も歓迎してくれるだろう。しかし、急遽人数を増やして迷惑を掛けてしまった事を考えると、明日もその厚意に甘えてよいのかと問われると、首を傾げざるを得ない。
「…あ〜、明後日の仕事先教えとくから、明日にでも連絡とって五人分の部屋確保しといてくれるか?」
「分かりました。近場ならば、現地でなくても構いませんか?」
「大丈夫だ。早朝でなけりゃいかんって仕事じゃないから」
「分かりましたです」
 横島はさらさらと連絡先をメモ書きして夕映に渡す。それを受け取った夕映は、自分にも手伝える事が出来たのが嬉しかったようで、大切そうにそのメモ書きを仕舞い込むのだった。


 その後、食事を終え、仲居達がやってきて布団を敷いていく。当然の話だが、寝室に全員分の布団を敷くわけにはいかず、寝室の方にはアスナ達女性陣四人分の布団を、横島の分だけは居間の方に敷いてもらう事になる。
 後は温泉にでも浸かってゆっくりと疲れを癒したいところなのだが、ここで一つの問題が浮上してしまった。それは、旅館の大浴場を利用するか、この部屋専用の温泉を利用するかだ。アスナ、古菲、夕映。三者三様の思いが複雑に絡み合っている。
「大浴場に行くか、この部屋のお風呂に入るか……」
「せっかくあるのですから、使いたいところです」
 せっかくあるのだから使いたい、と言うのは紛れもない本音であろう。三人は備え付けの風呂の方へと視線を向ける。無論、居間から見えるはずがないのだが、視線を遮っているのは、薄い衝立だけなのだ。
「あれは、流石に……」
 言葉に詰まって「恥ずかしい」と続けられずにいるのは夕映。部屋に居るのがアスナ達だけならば気にせず入っていただろうが、横島も居るとなると、どうしても意識してしまうのは仕方のない事だろう。
「………」
 顔を真っ赤にして黙り込んでいるのはアスナ。こちらは、この部屋の風呂なら混浴しても良いのではないか。横島と一緒に入れるのではないか。いや、入るべきではないかと、頭の中でぐるぐると混乱した思考が渦巻いている。頭から湯気が噴いており、冷静な判断が出来るような状態ではないようだ。
 弟子と師匠だから良いのではないか。『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』とマスターだから良いのではないか。除霊助手と雇い主だから良いのではないか。理由は色々と思い浮かんでいる、どれも間違っているような気がしないでもないが。この風呂には男湯、女湯の規定はないのだから、良いのではないか。今は自分達のプライベート空間なのだから、良いのではないか。良いではないか、良いではないか。あ〜れ〜。と、アスナはどこかで思考がおかしな方向に進んでしまっていた。
「み、皆、入らないアルか?」
 一方、古菲は直接見られるような状態ではないのだから、別にいいのではないかと軽く考えていた。今日はたくさん汗をかいたので、今すぐにでも温泉に入りたいのだが、アスナと夕映が動かないので、動くに動けずどうしたものかと頭を悩ませている。

 そして、渦中の人である横島はと言うと―――

「さぁー、横島。さっさと風呂に入るぞ!」
「コラ、引っ張るな。って言うか、魔法で縛るな、アホー!」

―――エヴァにより、風呂に引きずり込まれようとしていた。その身体を氷の輪が縛り付け、両腕が動かせない状態になっている。
「何やってんのよ、エヴァちゃんッ!」
 これにはすぐさまアスナが反応する。すぐさまアーティファクト『ハマノツルギ』を召喚し、その後頭部に渾身の一撃を食らわせた。
「〜〜〜っ!」
 全開状態のエヴァの魔法障壁すら無効化する『魔法無効化能力(マジックキャンセル)』の能力を持っているアスナの、言わば天敵の一撃。エヴァは頭を押さえてしゃがみ込み、痛みを堪えてプルプルと震えている。
「いきなり何をするか、神楽坂明日菜ーーーっ!」
「それはこっちの台詞、なに抜け駆けしようとしてんのよっ!」
 エヴァはすぐさま立ち上がって反撃するが、アスナも負けてはいない。
「茶々丸がいないんだぞ! 横島が一緒に入ってくれなければ、誰が私の背中を流してくれると言うんだっ!
「自分でやれえぇぇぇーーーッ!」
 アスナの絶叫が響き渡った。弾かれたように横島を縛っていた魔法が消え、彼は飛び跳ねるようにして起き上がる。
「あのなっ、一緒に風呂とか流石にいかんだろっ! うれしーけどっ! すっごくうれしーけどっ!」
 血の涙を流して口惜しがる横島、もし引きずり込もうとしたのがアスナであれば彼の理性もアウトだっただろう。傍目には子供であるエヴァだから何とか踏み止まる事が出来たのだ。アスナの方も一緒に旅行と言うシチュエーションに酔っていたが、エヴァを反面教師とする事で理性を取り戻したようだ。「だったら、私が流してあげるわよ」とエヴァを小脇に抱えて風呂場へと向かっていく。
「あ、アスナさん、待ってください!」
「それじゃ横島師父、お先に戴くアル」
「おう、俺はお前らの後で入るから」
 本音を言えば覗きに行きたいのだが、横島は自重した。風呂場と隔てるのが衝立一枚と言う事は、向こうからもこちらの動きが分かりやすいのだ。流石に覗きに行くのはリスクが大きすぎる。リスクが大きい程燃えるものではあるが、今はそんな事をする必要はない。
 何故なら、窓を開けていれば衝立の向こうから彼女達の声が聞こえてくるのだ。わざわざリスクを犯さなくても、耳をそばだてるだけで彼は十分なメリットを得られるのである。

「痛い痛い! もっと優しくせんか、神楽坂明日菜! 貴様と違って私の肌はデリケートなんだ」
「そこまで言うなら、自分でしなさいよ。茶々丸さん、いつもこんな事やってるの?」
「貴様は茶々丸を見習え。あれ以上の『魔法使いの従者』はおらんぞ」
「私は横島さんの従者なの!」

 特に色気のあるような会話などはなかったが、それでも横島は満足であった。
 アスナ達が上がり、交代して入浴した横島は、猿相手に走り回った今日の疲れと汗を一気に洗い流した。アスナ達の残り香に悶々としてしまうが、奇しくもそのおかげで横島は身体の疲れを癒すと同時に、霊力の回復まで行っている。横島ならではの荒業であった。

 その後、横島が風呂から上がって部屋に戻ってみると、四人の浴衣姿が迎えてくれた。アスナと古菲が向かい合った藤座椅子で向かい合って座り、くつろいでいる。エヴァは先程までテレビを見ていたようだが、見たい番組がなかったのか、今は寝室に引っ込んで四つ並んだ布団を占拠して、ごろごろと転がって遊んでいるようだ。
 そして、夕映が先程まで夕食が広げられていたテーブルの上を例の書類で埋め尽くしていた。
「まだ見てたのか。それで、何か見つかったか?」
「色々な角度から検討していますが……これと言って共通点は見つからないです。土偶羅さんが居れば、何か分かったかも知れませんが」
 そう言って夕映は手に持った仮契約(パクティオー)カードを弄んでいる。その土偶羅は現在魔界で残業に苦しんでいるはずだ。今日はもう呼ぶなと言われているので、明日は明日で仕事がある事を考えると、明日の夕方以降まで呼び出す事は出来ない。
「とりあえず、出没した時間を見てみたところ、同時に二箇所出没している事はないように思われるです。時間が不明瞭なものも多いので、断言するわけにはいかないのが、はがゆいですが」
「つまり、横島師父の言う、動物が化けてる可能性が高いと言う事アルな」
「その一頭を捕まえれば終了、明日は楽勝ですね!」
 対症療法としてはそれで終わりだろう。横島個人としては、その動物が化ける事を覚えたきっかけまで突き止めたいところだが、交通事故のような人の元に記録が残るようなものでない限り、それは難しいであろう。

「しまった、役人の人に密猟者とかいないか聞いといた方が良かったかな」
「化けるようになったきっかけですか?」
 流石は夕映と言うべきか、その一言で横島が考えている事を理解してしまった。
 化ける事を覚えるきっかけは、やはり怒りや恨みと言った強い感情である事が多い。交通事故がなかったとすれば、密猟者がその動物のつがいを撃ち殺したのではないかと横島は考えたのである。
「エヴァさん、動物と話せる魔法はないのですか?」
「ぼーやのとこの小動物を呼んだ方が早いと思うぞ」
 要するにエヴァは使えないと言う事だ。オコジョ妖精で人語を解するカモを呼ぶのも一つの手ではあるが、それは実際に捕まえた後の話であろう。とりあえず、今はこの話を脇にどけておく事にする。
 とりあえず、夕映には仮契約カードは忘れずに持っていてもらおう。山中では携帯電話も使えないかも知れない。その点、仮契約カードを使った通信ならば、距離が離れ過ぎない限り、どこでも一方的ではあるが、横島の声を夕映に伝える事が出来る。
「ま、後は明日実際に山に入ってから、だな」
 横島の言葉にエヴァを除く三人がコクリと頷いた。これにて仕事の話は終了し、後は明日に備えて休むのみである。疲れていたのか、横島は早々に床に就いてしまった。
 アスナ達もそれに倣うが、すぐさま寝られるわけではないので、天井の小さな常夜灯の薄明かりの中、アスナと古菲と夕映の三人は歓談に花を咲かせた。気分はまるで修学旅行の夜だ。もっとも、彼女達の修学旅行は非常に慌しく、こんなにのんびりと過ごせるようなものではなかったが。
「まだゴールデンウィーク初日だってのに、こんなに疲れるなんて……」
「アスナさんの場合、エヴァさんとケンカしたからでは?」
「うぅ……」
 その通りであるだけに、言い返す事が出来ない。
 当のエヴァは既にすやすやと寝息を立てている。「寝顔は天使」と言う言葉があるが、アスナはそれが真実であると思い知らされていた。そのあどけない寝顔は正に天使である。同時に彼女は悟った。「寝顔『が』天使」なのだとすれば、起きている時はその限りではないと言う事を。
「くーふぇは、あんまり疲れてなさそうね」
「疲れてるアルよ。アスナより余裕があるのは確かだけどね」
 やはり鍛え方の差だろうか。アスナも体力には自信があったが、ストイックに鍛えてきた古菲にはまだまだ敵わないようだ。要精進である。

「ところでさ、くーふぇは中学卒業したらどうすんの?」
「ム、唐突アルな」
「いや、GSになるのかな〜って思って」
 アスナの中では「GSになる」と「六道女学院の除霊科に進学する」がイコールに近い形で繋がっているのだろう。だからこそ「中学を卒業したら」と言う話になっているのだ。
「う〜ん……そこまではまだ考えてないアル。横島師父と一緒なら人間より強いヤツ等と戦えそうだし、横島師父が東京に戻るなら、付いて行くのも悪くないかも知れないアルな」
「へ、へ〜」
 あまり色気がない話ではあるが、何とも古菲らしい答えであった。
 そして、今度は夕映がアスナに問い掛けてくる。
「アスナさん、一つお尋ねしたいのですが」
「何? 夕映ちゃん」
「アスナさんは霊力を使えるようになるまで、どんな修行をしたですか?」
「え、え〜っと……」
 言葉に詰まるアスナ。アスナが霊力を使えるようになるためにやった修行と言えば、横島に霊力を送り込んでもらうアレだ。あの修行は、身体中を巡る霊力に横島を感じる事が出来て、くすぐったくもあり、心地良くもある。そのせいでエヴァから「朝っぱらからあふんあふん言ってる色ボケ」などと言われた事があるため、アスナは夕映に対し、はっきりと答える事が出来ずにいた。
「ゆ、夕映ちゃんも、GSになりたいの?」
「GS、と言うか……横島さんの足手纏いにならないようになりたいです」
 現在のところ、夕映は横島の『魔法使いの従者』であっても、除霊助手ではない。図書館探険部で鍛えているため、身のこなしにはそれなりに自信があるが、除霊に関しては素人同然なのだから、当然である。アスナの場合は、GSを目指していたので弟子入りと言う形で除霊助手になったが、夕映の場合は、そう言う訳にはいくまい。横島も素人である彼女を除霊助手として雇ったりはしないはずだ。
 夕映にも横島に付いて行き、共に三界の秘密を紐解いて行きたいと言う願望がある。しかし、素人のままではそれは難しい。だからこそ、横島の側に立つためにも、除霊助手になれるだけの力を身に着けねばならないのではないかと、彼女は考えていた。
「夕映ちゃんも色々考えてるのねぇ……」
「そう言うアスナはどうアルか?」
「え?」
「このかさんから聞きましたが、六女の入学案内を取り寄せてもらったそうですね」
「アスナこそ、横島師父に付いて行く気満々アルな!」
「あ、ああ、それは……」
 古菲と夕映、二人掛かりの攻勢にアスナもたじたじである。そのまま彼女は、あやかに勉強を教えてもらうようになっている事まで白状させられてしまった。
 結局のところ、一番横島に付いて行きたいと強く願っているのは、他ならぬアスナなのだ。

 そんな調子で三人の歓談は深夜まで続いた。
 翌朝、三人は寝不足状態に陥る事になるが、それはまた別の話である。



つづく


あとがき
 茶々丸がエヴァの身の回りの世話をしている事は、『見習GSアスナ』独自の設定です。
 原作の方にもそれらしい気配はありますが、はっきりと言及されているわけではありませんので。

 また、化ける事を覚えた動物が動物なのか妖怪なのかについての線引きは、『黒い手』シリーズ及び、『見習GSアスナ』独自の解釈で書いてあります。ご了承下さい。

 







感想代理人プロフィール

戻る





代理人の感想
まー、あの世界喋る犬とかサンポを強要する犬(狼だけど)とか、色々いますし。

それはさておき今回はわがままエヴァちゃん大暴れ。
それでいてメインの流れには全く絡んでこないのがものぐさというかなんというか。w
もはや代理人のイメージは血を吸うダッコちゃんまたはピグミーマーモセットレベルまで到達しております。
つか原作にあった悪人としての矜持などかけらも残ってませんな
(爆)。

で、メインの除霊のほうですが・・・横島は簡単に済むといってますが、甲斐ランドがあんなことに発展した以上、またぞろなにやらありそうですよねぇ。
ああ、楽しみだ。w


※この感想フォームは感想掲示板への直通投稿フォームです。メールフォームではありませんのでご注意下さい。

おなまえ
Eメール
作者名
作品名(話数)
コメント
URL