翌朝、並んで眠る四人の中で、一番最初に目を覚ましたのは葵だった。
隣を見れば一つの布団で薫、横島、紫穂の三人が眠っており、薫がコアラのように横島に抱きついていた。紫穂の方は普通に仰向けの体勢のようだが、横島の腕枕で眠っている辺りちゃっかりしている。昨日、古物除霊を手伝っている間は平気そうにしていた紫穂だったが、やはり怖かったようで昨夜は横島から離れられなかったのだ。そこで、葵も隣の部屋から布団を持って来て、こうして四人揃って一つの部屋で寝る事になったと言うわけである。
そして、葵はいつも通り隣の部屋で一人で寝るのも寂しいし、かと言って横島と一緒に寝るのも恥ずかしいので隣に布団を敷いて寝ている。
こうして四人で並んで寝る場合、葵の隣は大抵薫になる。彼女はその寝相のため、朝になると左右の横島か葵のどちらかに抱き着いている事が多い。確率は五分五分だが、今日は横島の方だったようだ。
「むにゃ……えへへ、にいちゃ〜ん」
「ベタな寝言やなぁ、夢の中まで横島はんと一緒かいな」
葵はむくりと起き上がり、枕元に置いてあった眼鏡を手に取った。まだ早朝と言っても良い時間のため、薫達はまだまだ起きそうにない。葵は彼女達を起こさないように注意しながら、そっと部屋を出て、足音を立てないように洗面所へと向かった。
時間が時間なので先客はおらず、葵は顔を洗って眠気を覚ますと、パジャマ姿のまま、次は台所へと向かう。
「おっはよーさん」
「グッド・モーニング、ミス・葵」
「あら、今日も早いですね」
台所に入ると、今日はマリアと小鳩の二人がエプロン姿で朝食の準備をしている真っ最中であった。基本的にこの家の食事は、この二人に愛子とテレサを加えた四人の内の二人で料理を担当する当番制で作られている。例外は六女の生徒が来て人数が増える土日だ。この日はおキヌを含む毎週プチ合宿を行っているメンバーも手伝っていた。
「ほな、ウチも手伝うわ」
葵は用意していたエプロンを身に着け、少し背丈が足りないため踏み台を用意し、マリアの隣に立って手伝いを開始した。実は、彼女は洗濯物の取り込みを手伝うようになってから、様々な家事を手伝うようになっていたのだ。毎日している訳ではないが、料理の手伝いもその一環である。無論、葵はまだマリア達四人のように上手に料理が出来るわけではない。そのため、マリアを手伝うと言う形で料理に参加していた。これは、マリアならば自分の作業を進めながら、同時に葵のフォローも出来るからである。
「よっしゃ、卵焼きに挑戦や! 今日こそやったるで〜」
葵は今、卵焼きに挑戦中だ。前回失敗してしまったため、今日こそはと張り切っている。ちなみに、前回は卵の巻き方に失敗して炒り卵と化し、横島のお弁当のおかずの一品となっていた。味付け自体には特に問題がなかったため結構美味しかったそうだが、葵は納得していないようだ。
マリアと小鳩が手を止めて見守る中、葵が慎重に卵を焼いていく。ひっくり返そうとした瞬間に三人揃って息を呑み、悪戦苦闘の末になんとか無事に返し終えると、皆の顔に笑みが浮かんだ。慎重にやり過ぎたのか、少々焼き目が強いが、十分成功したと言えるだろう。
「おはよ〜……おっ、いい匂いだな」
「あ、横島はん! 丁度ええとこに来たで!」
背後から聞こえてきた声に振り返り、眠そうな目をこすりながらそこに立っていた横島の姿を確認すると、葵はぱぁっと顔を輝かせた。焼き立ての卵焼きを載せた皿を手に、横島に駆け寄る。
「葵は今日も手伝いか?」
「そや! 見てみぃ、今日は上手くいったで」
そう言って葵は、手にした箸で卵焼きを一つ摘むと、あ〜んと差し出した。身長差があるため、横島は屈んでそれを口に入れる。
「今日はちゃんと巻けてるな、美味いぞっ」
「ほんま?」
焼き立てで少し熱かったが、横島はゴクンとそれを飲み込み、葵の頭をわしゃわしゃと撫で、葵は少しはにかみながら、それでいて実に嬉しそうに撫でられていた。
葵は、薫や紫穂と違って、この家では極力『瞬間移動能力(テレポーテーション)』を使わないようにしている。使うのは洗濯物を取り込む際に手が届かない時ぐらいだ。その分、普通の子供がするような事を率先して手伝っている。
『超度(レベル)7』の超能力者ではなく、普通の子供として過ごしたいと言う願望があるのだろう。それだけに、葵はこうして家事を手伝って褒められるのが嬉しくてたまらなかった。
「そいや横島はん、例のハニワの奥さんの捜索どないするん? ウチらも手伝った方がええんやろか?」
「ああ、大事なのはむしろ娘の方で……確か、澪だったか? そっちはテレサがついてくって話だし、ハニワ兵達に任せていいだろ。俺も今日は学校行くし」
続けて小鳩の作ったおかずをつまみながら横島は答えた。小鳩はつまみ食いはいけませんよと嗜めながらも、その表情はしょうがないなぁと言いたげに苦笑している。
ちなみに、横島達は昨日の内にテレサを通じて娘の名前が澪である事を聞いていた。元・銀行強盗のハニワ兵が生きていた頃は小さい子供だったが、今ならおそらく薫達と同年代ではないかと思われる。不確かなのは、彼の生前の記憶が曖昧なため、正確に何年前の事なのかが分からないためだ。古い新聞を探せば記事が見つかるかも知れないが、横島達はあえてそれを避けた。時間がないのも理由の一つだが、何よりハニワ兵の心境を考えての事である。自覚があるとは言え、自分が死んだなんて記事は見たくないだろうし、娘がどうなったかは自分の目で確かめたいと元・銀行強盗のハニワ兵が譲らなかったたのだ。
「まぁ、ハニワの娘も大事だけど、葵達もそれを理由にサボろうとか考えんなよ」
「分かってるて」
葵としてはハニワ兵の娘――れっきとした人間である事は分かっているものの、彼女が一体どんな顔をしているのか気になるところだ。しかし、こうして横島に釘を刺されてしまっては学校に行かざるを得ない。
とは言え、流石に今日学校に行って、放課後帰ってくるまでに解決している事は流石にないだろう。いかにテレサが付いているとは言え、ハニワ兵がいきなり訪ねて行って「澪の父です。娘がいつもお世話になっています」と言う訳にはいくまい。
だから、澪を発見出来ても一旦戻って横島なりに相談するはずだと葵は考えていた。そうでなければ、学校に行く振りをしてこっそりハニワ兵達と合流しようと企んでいたかも知れない。
なお、本来の予定であれば今日の放課後はB.A.B.E.L.に行く予定であったが、当然の如くそれはキャンセルである。
準備が出来た朝食を横島と葵の二人で居間の方に運んでいると、ようやく薫と紫穂の二人が起きてきた。
「にいちゃん、おっはよー!」
薫は横島の姿を見るや顔を輝かせ、念動能力(サイコキネシス)で自らの身体を浮かび上がらせると、横島の肩にしがみ付くように抱き着き、その頬についばむようなキスを雨のように降らせる。対する横島は、朝食を持って両手が塞がっているため、落とさないようにバランスを取るので精一杯であった。
「ほらほら、じゃれついていないで朝ごはんにしましょ」
されるがままの横島を見かねて紫穂が薫のパジャマの裾を引っ張ってたしなめる。
パジャマの上にエプロンを着けた葵やパジャマ姿のままの薫と違い、紫穂は既に着替え終えて、身嗜みを整えていた。この辺りは性格の差なのだろう。いかにこの家は女性が多いとは言え、男性の視線がない訳ではない。他人行儀と言うわけではないが、あまり寝起き姿を人には見られたくないらしい。
ちなみに、この家の男性と言えば寝起き姿どころか寝顔まで見ている横島を除けばカオスぐらいなのだが、紫穂の場合は心が読めるだけにハニワ兵の視線も気になってしまうようだ。あまり知られていないが、実はこの家のハニワ兵達はハニワ子さんと目付きの悪いハニワ兵以外は男性ばかりの男所帯だったりする。
その後、皆揃っての朝食中に薫と紫穂の二人に、今日はハニワ兵達に付いて行かず、ちゃんと学校に行くよう横島は言うのだが、案の定、二人は不満たらたらの様子であった。元々同じ事を考えていたとは言え、予想通りの反応に葵は苦笑している。
「こっちは私達で何とかするから、あんた達はちゃんと学校に行ってきなさい」
「ちぇっ、しょうがないなぁ」
「しょうがないわね。私達の超能力じゃ役に立てないからタマモさんに行ってもらうわけだし」
しかし、紫穂の接触感応能力(サイコメトリー)はおろか、薫の念動能力も今回ばかりは役に立ちそうもないため、二人は渋々ながらも学校に行く事を了承する。しかし同時に、二人ともB.A.B.E.L.に行く事についてはすっぽかす気満々であるのは言うまでもない。
これで良いのかと言う気がしないでもないが、今のところB.A.B.E.L.の方から何か言って来る様子はない。局長である桐壺が、薫達三人に甘いためだろう。無論、特務エスパーとしての任務があれば、すぐさま駆け付けなければならないのだが、年齢のためか夜間の任務はあまりなく、日中の任務がほとんどであるため、むしろ学校の授業中に抜け出す事が多いそうだ。これについても横島はどうなのだろうかと疑問を抱くが、その辺りは「強力な超能力者は、その力を世のために役立てなければならない」と言うB.A.B.E.L.特有の事情なのだろう。こればかりは桐壺の力を以ってしてもどうにもならない。
「帰ったら教えてくれよな!」
「どーせ普通に会いに行くわけにはいかないんだから、見付けたら帰ってくるわよ。そもそも、ホントに見付かるかどうかも怪しいのに」
しかし、タマモはあまり乗り気ではないようだ。今日の捜索は彼女の鼻、すなわち超感覚頼りなところが大きいのだが、当の本人はそれで本当に発見できるかどうか疑っている。
こればかりは仕方あるまい。昨日、元妻を見掛けたのは人通りの多い通りであり、紫穂も大勢の人達が行き来しているため判別できないと判断したのだ。この問題はそのままタマモにも当てはまる。
それでも皆がタマモを当てにしているのは、ひとえに超感覚は概念的なものすらも嗅ぎ分けてしまうためだ。ハッキリ言ってこれ以外の手となると、あの場で再び元妻を見掛けるまで張り込むしかない。
「そう考えると、ハッキリ言って賭けよね〜」
そう愛子が言うが、正にその通りである。しかも、勝率は著しく低いであろう。
にも関わらず、タマモが断らずに行くのは、彼女自身にも一つだけ当てがあるためだ。
「話聞いてる限り色々あったみたいだからねぇ、他の人より負の気なり陰の気なりが強い可能性があるわ。この先入観が仇にならない事を祈るしかないわね」
超感覚のような霊能力による捜査は主観が入り込む余地が大きく、本来ならば先入観はタブーとされている。しかし、タマモは逆にそこに賭けたのだ。負の気、陰の気が強い者を片っ端から嗅ぎ分けていく。基本的にものぐさで妖怪食っちゃ寝娘の彼女であるが、出来る事ならば探してやりたいと言う思いがあるのだ。手間の掛かる方法であり、時間の経過と共に残された手掛かりが薄れていくと言う間違った相手を追跡してしまえば後が無い危険な方法ではあるが、残念ながらタマモ自身もこれ以外の方法は思い付かなかった。
タマモの話を聞いて薫達も納得したようで、おとなしく学校に行く事にした。途中までは横島達も一緒のため、薫は横島と手を繋いでの登校である。
「まったく、薫も子供やないんやから……」
「いいじゃない、横島さんの手ならもう片方が空いてるわよ」
「べ、別にウチもしたいとは言うてないやろ!?」
「へー」
葵は慌てて否定するが、紫穂は全く信じていない様子だ。繋いでいる手を大きく振って歩く薫も合わせて何とも微笑ましい光景である。そんな彼女達を眺める愛子と小鳩の目は優しい。
やがて、横島達の高校へと向かうバス停に到着した。丁度バスがやって来たところで、薫達とはここでお別れである。
実はこのバス亭は横島達が本来乗り込むバス亭よりも少し遠くにあるのだが、薫達の通学路上にあると言う事でこちらを利用していた。
「そんじゃにいちゃん、ねえちゃん、また放課後な〜♪」
ブンブンと大きく手を振る薫に見送られて、横島達を乗せたバスが走っていく。本来の三人の予定では、この後学校に行かずにハニワ兵達と合流するはずだったが、横島にも言われたので、おとなしく学校に行く事にした。遠距離を通学する横島達に合わせて家を出たので、のんびりと。
一方その頃、ハニワ兵達も元妻の捜索に出発しようとしていた。
メンバーはハニワ兵以外からはタマモにテレサの二人が、ハニワ兵からは元・銀行強盗、元・結婚詐欺師のハニワ兵二体に加え、サングラスを掛けたハニワ兵と、その舎弟を気取る元・野球少年のハニワ兵の合計四体だ。マリアやハニワ子さんもハニワ兵の娘については気に掛けていたようだが、彼女達がいなくなると家事をする者がいなくなってしまうため、今回は留守番である。
「て言うか、なんであんた達までいんのよ」
「(そう言うなよ、嬢ちゃん。タマモの嬢ちゃんが腕っ節が強いヤツがいた方がいいって言うから、俺が行ってやるんじゃねぇか)」
「(そーだそーだ、サングラスの兄貴を除け者にするなよなー!)」
「いや、ハニワ兵が強いと言われても……」
かく言うテレサは、かつてハニワ兵に爆破された事があるのだが、ルシオラ製のハニワ兵である彼等には自爆装置そのものがない。そのため、目付きの悪いハニワ兵以外は強い印象がない。しかし、彼等は生前の経験と言うものがある。特にサングラスを掛けたハニワ兵は、かつて遠い海の向こうのコメリカでマフィアをやっていたので、荒事の経験に関しては、もしかしたらこの家で一番かも知れなかった。
もっとも、このハニワ兵の場合は、向き不向きなどは関係なく、親切心よりも単に暇つぶしで付いて来ようとしている可能性が高いが。
「(カオスのじいさんから武器ももらったしな!)」
そう言ってハニワ兵はどこからともなく拳銃を取り出した。どうやら体の側面に収納スペースがあるらしい。
「オモチャじゃないの? それ」
「(じいさんの説明はよく分からんかったが、これは霊力を撃ち出す銃らしい。ハニワ兵のボディだから使えるんだと)」
「それって……」
霊能力者でもなかった者が使える霊力を弾にして撃つ銃。これだけ聞くと、凄い大発明のように思えるが、実はそうではない。一見オモチャに見えるその銃は、カオスの言う通り、このハニワ兵のボディだからこそ使える物なのだ。
実は、この銃が弾を作るのに使う霊力は、ハニワ兵の動力源に接続する事で取られている。本来、霊能力を使えない人間は、自分の魂を維持するのに精一杯でそれ以外の用途に使えないのだが、彼等の場合はそれを動力として使っているため、こんな芸当が可能なのだ。
「……まぁ、調子に乗って撃ち過ぎないようにね」
しかし、テレサはあまり良い顔はしなかった。もちろんカオスが作った物だけに大きな欠点もあるような気がしてならないのだ。
テレサは知らなかったが、それは大正解である。動力源と言う事で機械的に力を引き出せるようになっているとは言え、それが魂である以上、ハニワ兵の命である事には変わりはない。撃ち過ぎると疲労し、撃ち尽くしてしまえば死に至る諸刃の剣でもある。
「あんたら、遊んでないで早く行くわよ。時間との勝負でもあるんだから」
テレサとハニワ兵が玄関で話をしていると、外からタマモが呼ぶ声がした。元・銀行強盗と元・結婚詐欺師のハニワ兵も既に外で待っているようだ。テレサ達も慌てて玄関から飛び出した。
「ところで、なんで腕っ節の強いヤツがいるのよ?」
「負の気とか陰の気を追って行くのよ? 間違えてたらどんなのに遭遇するか分からないじゃない」
「なるほど」
要するに、タマモは自分のボディガードを必要としていたのだ。それならば横島を連れて行けば良いんじゃないかとも考えるが、実際に危険と遭遇するかは五分五分、いや、警戒しながら進めばそれ以下となるため、あくまで念のための保険でしかない。そのため、学校を休んでまで同行させる訳にはいかなかったようだ。
「人間の不審者相手なら、私で十分だと思うけどね」
「あくまで念のためよ。人間らしいのを選んで追うから、流石に悪霊と遭遇とかはないと思うけど」
悪いのを選んで追うため、流石のタマモも慎重になっているのだろう。サングラスを掛けたハニワ兵も乗り気であり、タマモも譲る気はないようなので、テレサは溜め息を一つついて彼等の同行を認める事にする。即席ではあるが、「ハニワの娘捜索隊」の結成である。
まず、彼等は昨日、元妻を見掛けた場所へと向かった。無論、行くのは目撃した場所ではなく、実際に彼女が歩いていた車道を挟んで向かい側の歩道だ。まだ朝早いため人通りも少ない。
「それで、どっちに行ったの?」
前述の通り、霊能による捜査に先入観は厳禁だが、今回は判断材料が乏しすぎるため、あえて尋ねる。
問われた元・銀行強盗のハニワ兵が元妻が歩いて行った方を指差すと、タマモは子狐の姿になるとそちらを向いて這うように地面の臭いを嗅ぎ始めた。人目があるため、人間の姿のまま四つん這いになるのは避けたようだ。
目を瞑り、集中して臭いを嗅ぎ分けようとしてみると、本当に大勢の人間がここを通っている事が分かる。近くの商店街への行き帰りに通る人が多いためか、正負で言えば正方向が多いが、負の気も少なからず存在している。ただし、一つではないので、ここから更に絞り込まなければならない。
聞けば、元妻は赤子を抱いていたらしい。再婚相手らしき人物も居たとの事なので、別の人の赤子を預かっていたとは考えにくいだろう。かつては、夫のために色々と不幸であったが、今はそうでもない。
ただ闇雲に負の気を探すのではなく、相手の状況を推理し、それがどんな『臭い』を発するかを推測し、そのイメージに近い臭いを探すのだ。
死んだ夫の事は今も引きずっているのだろうか。その場にいなかった娘は今はどうしているのだろうか。
既に死んだ夫の事は吹っ切っているかも知れない。娘はただ単にその場にいなかっただけで元気にしてるのかも知れない。
もしも後者であれば、今の彼女は幸せであり、負の気を探すのは全くの的外れと言う事になる。
しかし、タマモはあえてそれについては考えなかった。今が幸せであるならば、急いで探す事はないのだ。逆に不幸であるならば、今すぐにでも見つけなければならない。だからこそ、タマモは今も不幸である事を前提にイメージしていた。
出来る事なら間違っていて欲しい――が、そんな事は祈ってはいけない。願ってもいけない。その迷いが、イメージが、感覚を鈍らせてしまう。今はクールに徹して超感覚を働かせる事に意識を総動員する。
そんなタマモの姿を元・銀行強盗のハニワ兵はハラハラしながら、それでいて心配そうに見詰めていた。もっとも、タマモはテレサと違ってその視線の意味に気付く事が出来ないのだが、集中を乱されないと言う意味では、その方が良かったのかも知れない。
「これは……違うわね。嘆いているけど、俗物的なものだわ……」
「こっちは物凄くどろどろして濁っている感じ、これは……微妙だけど、ちょっと違うわ。聞いた感じよりもずっと若い気がする」
「……イメージに近い気がするけど、これは男性的ね」
「その言葉だけ聞いてると、ここロクなヤツが通ってないように聞こえるわね」
誤解を招きそうだが、あくまで無数にある人の残留思念の一部、負の気のみをピックアップしているだけである。
その後も徐々に前進しながら捜査を進め、物騒なものや痛々しいもの、様々な負の気をタマモは発見するが、どれも彼女の抱くイメージとは異なっていた。曖昧な事しか分からないが、ロクなものではないだろう。そのうちの幾つかは追跡するとそれこそハニワ兵のボディガードが必要な事態になりそうだったが、タマモは冷静にそれらを回避していく。
時間が経過し、人通りも増えてきた事、丁度道が分岐する交差点に差し掛かった所で疲れて垂れていたタマモの耳がピクンと勢いよく立ち上がる。
「これは……!」
「見つけたの!?」
テレサが釣られて覗き込むが、超感覚を持たない彼女には何もない地面にしか見えない。しかし、タマモはそこに何かを発見したようだ。
「不幸とも幸せとも取れない微妙な思念……戸惑いと恐怖が入り混じってる……」
「何それ?」
テレサの問いに子狐姿のタマモは「さぁ?」と首を傾げて答えた。彼女は残留思念から感じ取れるイメージについて喋っているだけなので、それが具体的に何であるかまでは分からない。
これが元・銀行強盗のハニワ兵の元妻のものかどうか、いまひとつ確証が持てないが、タマモの勘はこれを追うべきだと告げていた。
何より、この思念は尋常なものではない。もし、これが元妻のものだとすれば、娘の安否が心配になってくる。これを探し出すのに時間が掛かってしまったため、これを追跡してしまえば、再びここに戻って来た時には、まだ見つけていない臭いがあったとしても、今日ここを通る人達の新しい臭いで消えてしまっているだろう。
追うべきか否か、ここで決断するしかない。流石に一人で判断する事は出来ないため、タマモはテレサ達に相談する事にした。
「ねぇ、妙な臭いを見つけたんだけど」
「聞こえてたわ。でも、それがハニワの奥さんとは限らないのよねぇ」
「(問題はそこだな。違ってたとしても放っておくのは不味い気がするが、俺達にゃ関係ない事だ)」
「(そうだねぇ、僕達の目的は彼の娘を探す事なわけだし)」
自然と皆の視線が元・銀行強盗のハニワ兵に集まった。元々の目的は彼の娘を探し出し、安否を確かめる事だ。故に最終的な決定権は彼にある。
当然彼は悩むが、タマモにこの臭いも消えかけているから急いでくれと促されてしまう。
これが元妻のものかどうかは分からない。しかし、この思念の主が尋常な状態でない事は間違いなさそうだ。
「(これを追いましょう。少なくとも、今考え得る最悪の事態を防ぐには、これを追うしかありません)」
「分かったわ、付いて来て!」
元・銀行強盗の言葉を聞いてタマモは駆け出した。テレサ達も駆け足でそれを追う。この臭いはかなり複雑な思念をしているようで、それだけに特徴的であり、一度追跡を始めれば臭いを辿って行くのは容易かった。タマモは自信を持ってどんどん先に進んで行く。
あの時、元妻は買い物帰りだったと思われる。徒歩で買い物に来るぐらいなのだから、それなりに近い距離だったようで、幾つかの角を曲がり、横断歩道を越えた所で一同はある家の前に到着する。タマモは人間の姿に戻り「この家よ」と言った。少なくとも、複雑な思念の主がこの家に入って行った事は間違いなさそうだ。
「問題はこの家に住んでいるのが、元奥さんかどうかよね……」
テレサは表札を見てみるが、再婚して苗字が変わっているかも知れないし、何より彼女は元・銀行強盗のハニワ兵の生前の名前を知らなかった。
「(それにしてもデケー家だなオイ)」
「(再婚相手が裕福だったのかな? 惜しい、未亡人だったら良い獲物だったのに)」
ハニワ兵達が目の前の家を見上げながら勝手な事を言い合っている。横島の家も大きいが、向こうは和風建築で二階建てなのに対し、こちらはレンガ造りの洋風の佇まいで三階建て住宅だ。敷地も相当広い。こんな家に住んでいるなら、普通に幸せなんじゃないかと考えるが―――
「(でも、幸せでも不幸でもないんスよね?)」
―――それでは、この臭いの主の複雑な思念に説明がつかない。
「中を探る事は出来ないのかしら?」
「う〜ん……中に人の気配を感じるけど、詳しい事は分からないわね」
流石のタマモの超感覚でも、中に人の気配がある事が分かっても、紫穂の接触感応能力のように詳細までは分からない。
「(何人いますか?)」
「何人いるって聞いてるわよ」
「ん〜、多分三人ね。気配から察するに、多分大人一人に子供二人」
「(元奥さんが住んでるとしたら、旦那は仕事かな?)」
「(子供二人は昨日二人が見掛けた赤ちゃんと、澪って子かなぁ? よかった、死んでたわけじゃないんだ)」
ほっと胸を撫で下ろす元・野球少年のハニワ兵。彼は気付かなかったが、それを聞いたテレサがある事に気が付いた。
「ちょっと待ってよ。澪って子は薫達と同年代なのよね? だったら、なんで家に居るのよ、小学生は学校に行ってる時間じゃない」
一同に衝撃が走った。確かにその通りだ、この時間に小学生が家に居るのはおかしい。無論、病気で休んでいる可能性もあるのだが、その辺りはここからでは判別がつかなかった。
しばらく一同は顔をつき合わせて考え込んでいたが、いつまでも人の家の前をたむろしているわけにもいかない。そこで、タマモは少々危険ではあるが、あえて一歩踏み込んで確認してみる事にする。
「何するのよ?」
「チャイム鳴らして、直接話してみるのよ。インターホンなら出来るでしょ?」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
タマモを止め、テレサはまずインターホンを確認する。すると、中心部分にレンズらしき物を見つける事が出来た。つまり、これは家の中から訪ねて来た人間を映像で確認出来るタイプだ。最近、横島の家にはGSが住んでいる事が知れてしまったためか、訪問販売の類がよく来るようになっていた。そのため、先日テレサが頼んでインターホンをこれと同じようなタイプに付け替えてもらったところなのだ。
「これ、向こうに顔見られるわよ」
「そうなの? それじゃ……」
しかし、タマモは慌てず薫達と同年代の子供に化けた。少女ですらなく少年だ。これならば、直接会ったとしてもタマモである事は知られずに済むだろう。
テレサとハニワ兵達がカメラに映らない位置に移動をして行動を開始する。
チャイムをならしてしばらくすると、「どちらさまですか?」と女性の声が聞こえてきた。機械を通してなので断言は出来ないが、おそらく中に居る大人の女性のものだろう。
「あの〜、澪ちゃんいますか?」
タマモがそう言った瞬間、女性の驚いた様子がインターホン越しにも伝わってきた。
直後に「そんな子はウチにはいません!」と強い口調で言い放った後、ブツリと音を立ててインターフォンは通じなくなってしまう。
突然の展開にしばらく呆然としていたタマモだったが、やがて小さく溜め息をついて元の姿に戻ると、皆の方に向き直った。
「いるわね、間違いなく」
一同は揃って頷いた。どうやら、元・銀行強盗の元妻がここに住んでいる事は間違いなさそうだ。
そして、流石に今のやり取りで本当に澪と言う子がこの家に居ないとは思えない。むしろ、隠そうとしている意志がビンビンに伝わってくる。直接会えば、何故あんな反応をしたのかもう少し詳しい事が分かるかも知れないが、流石にあの調子ではもう一度チャイムを鳴らしたところで出て来てはくれないだろう。
「(どうする? 乗り込むか? 強行突破するなら力を貸すが)」
「(流石っス、兄さん! 俺もやるっスよ!)」
サングラスを掛けたハニワ兵が銃を取り出し、元・野球少年のハニワ兵もどこからともなくバットを取り出してそれに乗る。明らかにハニワ兵の体よりも長いバットだが、何故かハニワ兵のボディに収納出来てしまうらしい。げに恐ろしきはルシオラの技術力である。
「いや、流石にそれは不味いでしょ。あんたも乗らないの!」
今にも乗り込もうとする二体をテレサが嗜めて止める。サングラスを掛けたハニワ兵は半分冗談だったらしく、あっさり引き下がった。逆に元・野球少年の方は半ば本気であったようだが、サングラスを掛けたハニワ兵が止めたため、渋々引き下がる。
「(でも嬢ちゃん、実際どうするよ? 見つけるって目的は達成したようなもんだが、新しい問題が浮上してきたぜ?)」
「そう言われてもねぇ、私達に出来る事と言えば力押しばっかりだし、ここは素直に引き下がって紫穂を連れて来た方がいいんじゃない?」
自分でも悠長な事を言っている自覚はあるのだが、何をするにしても情報がない事には身動きの取りようがない。現状で出来る事があるとすれば、直接乗り込む事だが、これは実際にやってしまうと色々問題がある。
情報がなければ得れば良いのだが、テレサ達にはその術がない。結局のところ、紫穂の接触感応能力に頼るしかないだろう。
「ねぇ、テレサ。あんた達目立つからハニワ兵連れて先に帰っててくんない?」
「それは構わないけど、あんたはどうするのよ?」
「ちょっと調べ物してから帰るわ」
一方、タマモはまだ諦めていなかった。彼女にしては珍しいが、こちらは一度関わってしまった以上、出来る事はやっておきたいようだ。同じ横島家に住む者同士に対する彼女なりの仲間意識なのかも知れない。
テレサ達が素直に帰り、タマモもこれ以上この場に居ても得るものはないと、一旦この場から離れる事にする。
「ん?」
一歩踏み出したその時、タマモは何者かの視線を感じて振り返った。元・銀行強盗のハニワ兵がこちらを窺っているのかも考えたが、どうやらそうではないようだ。
視線の主は上の方、三階よりも更に上の屋根に付いている窓からだ。屋根裏部屋があるのだろう。タマモは屋根に並ぶ窓に人影があるのを発見したが、向こうは彼女の視線に気付くとサッと身を隠してしまった。
「………」
今の人影がおそらく澪なのだろう。重い病を患っていたと聞いていたが、今はベッドで寝たきりと言う訳ではないようだ。
タマモはしばらく彼女が顔を見せた出窓を見ていたが、これ以上粘っても澪が再び顔を出す事はなさそうなので、仕方なく一旦この場を去る事にする。
その後、タマモは適当なスーツ姿の大人の女性に化けて聞き込みを開始した。あの家の近所の評判を調べるのだ。
調査を進めて行くと、あの家は意外と評判が良い事が分かっていた。再婚であり、その相手がバツイチである事は結構知られているのだが、後妻の元夫が銀行強盗であった事は知られていないようだ。隠しているのだろう。最近子供が生まれて、家族で買い物する姿がよく目撃されているそうだ。
話に聞く限りは、幸せそうな家族だ。しかし、おかしな点が一つだけあった。
「……なんで、誰も澪の事知らないの?」
そう、近所の人達が誰一人として澪の事を知らなかったのだ。子供は新しく生まれた赤ん坊一人だけだと思われている。
つまり、澪は何かしらの理由で周囲から隠されていると考えられる。理由は分からないが、おそらく学校にも行っていないのだろう。
「まさか、虐待じゃないでしょうねぇ……」
それならばすぐにでも助けに行かなければならないが、これはあくまでタマモの推測であり確証があるわけではなかった。やはり、紫穂に調べてもらうしかない。確証が得られれば、後はいかようにも出来るはずだ。
何にせよ、これ以上はタマモ一人では調べるのは難しい。一旦ここで調査を打ち切り、タマモは帰宅する事にする。
家に帰ろうと踵を返したその時、突然どこからともなく声が聞こえてきた。高い声、女性か子供の声だ。
「どこで知ったか知らないけど、あたしの事こそこそ嗅ぎまわってるみたいじゃない」
周囲を探ってみても近くに何か潜んでいる事は分かるのだが、肝心な敵の姿が見えない。
そこでタマモは手近な塀を背にして背後から奇襲されるのを防ごうとしたが、それが間違いだった。
「……ッ!」
背にした壁からにゅっと手が生えてきて、タマモの首をがしっと掴んだのだ。
慌てて視線を後ろに向けてみるが、やはり、そこにあるのはただの塀。向こうに人が潜んでいる気配もない。
「どこ見てんのよ。こっちよ、こっち」
今度は前方から声が聞こえてくるが、目の前には誰の姿もない。それもそのはず、なんと、その声の主は地面の下に潜んでいたのだ。
地面から抜け出すように頭から姿を表したのは一人の少女。長い髪はタマモと同じ金髪だが、少しくすんだ色をしておりボサボサだ。だぶだぶの白いワンピース――いや、大きな大人用のTシャツなのかも知れない。スカートやズボンは穿いていないようだ。足元は裸足であり、全体的に薄汚れた印象を受ける。
強気そうな印象を受けるツリ目気味な目をしており、整った顔立ちをしているのだが、目の下のクマがそれを台無しにしていた。
何より、目を引くのは右腕だ。肘から先が無い。正確には肘から先がどこか別の場所に行っているイメージ。そう、葵のテレポートに近い感じだ。
「まさかっ!?」
「へぇ、結構早いわね」
ここでタマモは塀から生えた手の正体に気付いた。これは目の前の少女の手だ。何かしらの方法で腕だけをこちらに飛ばしている。
「あんた、今は別の姿してるけど、あたしの事調べてるって事はさっき来た子よね? 子供に化けるとこ見てたわよ、なかなか面白い能力じゃない」
「それを知ってるって事は……あんたが澪ね」
「ええ、そうよ。それをどこで知ったのか、詳しく話してもらいましょうか?」
タマモの言葉を澪はあっさりと肯定した。しかし、首を掴んだ腕を放そうとはしない。
「フッ……」
「何っ!?」
次の瞬間、大人の女性に変身していたタマモは、変身を解いて元の姿に戻った。大人の身体と少女の身体、そのサイズ差を利用して澪の拘束から抜け出した。それに合わせて塀から生えた腕は消え、肘から先が消えていた澪の腕が元に戻る。
澪は身構えるが、タマモは追撃しようとはしなかった。何をするわけでもなく悠然と立っているだけだ。
「あんたから出て来てくれるとは都合が良いわ、私も聞きたい事があったの――詳しく話してもらいましょうか?」
そう言ってニヤリと笑うタマモ。澪の方も「なかなかやるじゃない」と強気に笑い返す。
タマモと澪、いささか剣呑ではあるが、これが二人のファーストコンタクトであった。
つづく
『黒い手』シリーズ、及び『絶対可憐チルドレン・クロスオーバー』に登場するハニワ兵は、原作に登場したハニワ兵とは別物のオリジナル兵鬼です。
薫の寝相、タマモの超感覚についても、独自の設定を加えて書いております。ご了承ください。
また、原作の方では澪が海外出身らしき描写がありますが、『絶対可憐チルドレン・クロスオーバー』では日本出身としています。
作中ではハニワの娘なので、今更かも知れませんが。
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代理人の感想
澪登場。なんかシンパシーが芽生えてるような。w
このままタマモと拳で語り合う仲になったら・・・・それはそれで面白いか(爆)。
狐火VSターンXの如き生身オールレンジ攻撃だから、中々愉快な絵面になるのは確定ですね。w
それはそれとしてやっぱり虐待されてるっぽい澪ですが・・・
録画してた今日の「ク□ーズアップ現代」が丁度虐待児童を扱ってたので不謹慎にも笑ってしまいましたが、やっぱり超能力のせいかなー。あれ、見ようによってはとんでもなくグロいですからねぇ。
サーカスに生まれたりしていたら重宝されてたんでしょうけど。(ぉ
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