黒い手 3


「な、なぁポチ。お前さえよければこのまま魔界で暮らさないか?」
 このまま魔族化が全身に及べば横島に人間界での居場所はなくなるだろうし、なによりベスパは1人でいる事に疲れていたのかもしれない。
 しかし、横島は苦笑いをしながら首を横に振った。
「いや、戻るよ…」
「…あの女の所に帰るのか?」
「美神さんか…」
 横島の顔が曇る。しばしの沈黙の後 横島は絞り出すようにこう言った

「俺は、美神さんを恨んでいるのかもしれない…」





 ベスパが沈黙を以って先を促すと、横島はやがてポツリポツリと話し始めた。
「あの時の同期攻撃ってさ、2人の力が均等じゃないと成功しないんだよ」
「…?」
「…成功しなくなってたんだよな。俺があれ以上強くなってると」
 つまり、横島はこう言っているのだ。
 あの時、まだ強くなれる可能性…ルシオラを救える可能性はあった。それを放棄せざるを得なかったと。
「ポチ、それは…」
「逆恨みだって事はわかってる! アシュタロスを倒すにはあれしか手がなかった! でも、俺は…エネルギー結晶を破壊したように、あの時もルシオラを見捨てちまってたんだ!」

 慟哭。横島の悲痛な叫びがベスパの胸に刺さる。それは モニターで様子を伺う小竜姫達も同じだった。










「…よし、妙神山に戻るよ」
「え?」
「戻るんだろ?」
「あ、ああ…っておい!」
 ベスパは有無を言わせず横島を担ぎ上げる。横島としてはその姿は情けない事この上ないが、今は抵抗する事すらできぬ程衰弱していた。

 待ってろ、あたしがお前を救ってやる。

 肩に担がれた横島からは見えなかったが、その時のベスパの瞳には決意の炎が灯っていたと言う。





「横島さん!」
「ヒャクメ! すぐに治療の準備を!」
「わかったのねー」
 いつもならゲートに横島を放り込んで終りのベスパが今日に限って妙神山まで横島を連れて来たと言うのは少し気になるが、小竜姫達はそれどころではなかった。 「安心しな、それ以上魔族化する兆候はない。それよりしばらく休ませてもらうよ」
「あ、私が温泉に案内するでちゅよ」
 ベスパは横島にかかりっきりの小竜姫たちをよそにずかずかと中に入って行き、パピリオもそれに続く。当然の事かも知れないがパピリオは横島の魔族化をさほど危険視していなかった。
 確かにベスパの言葉通り横島の魔族化は神聖な気に満ちた妙神山に戻る事で抑えられているようで、治療の方はいつも通りの怪我の治療と消耗した霊力の回復だけに留めておいた。
 できる事ならば魔族化した右腕の方もどうにかしたいが、この右腕は明らかに横島の中のルシオラの影響だ。下手に人間のそれに戻すとルシオラに及ぼす影響は想像もつかない。
 下手をすればルシオラを消す事にもなりかねないからだ。
『世界唯一の文珠使い』横島の重要性を考えるならばルシオラを消してでもこの魔族化した右腕を人間に戻すべきなのかも知れないが、小竜姫は横島の事を考えるとどうしてもその決断を下せないでいた。
 そんな不肖の弟子を見かねて猿神は助け船を出す。
「本来、ルシオラの魔力は横島の体内に潜り込んで眠っている状態のモノじゃ。こうして表に現れ、ここの神聖な気に晒され続ければおのずと消耗する物。ルシオラはこのまま捨て置いてもいずれ生存本能で体内に引っ込むはずじゃて、転生もせずに消えていくのはこやつにとっても不本意じゃろうからな」
「わ、わかりました」
 露骨にホっとした様子の小竜姫に猿神は苦笑した。










「ほら、どーでちゅ 私もちゃんと成長してるんでちゅよ♪」
「そーいうのはブラつけるようになってから言いな」
「…ベスパちゃん冷たいでちゅ」
 パピリオとしては久しぶりの姉妹一緒の時間を楽しみたかったのだろうが、生憎今のベスパはそれどころではない。



 妙神山に入るまではうまくいった。
 ここからだ、ここからが問題だ。



「なぁ、パピリオ」
「なんでちゅか?」

 ベスパは覚悟を決めた。
 もしかしたら神族、魔族のデタントの流れを壊してしまうかもしれない。双方を敵にまわす事も考えられる。

 それでも…



「お前…姉さんに会いたくはないか?」




つづく


「よろしいのですか?」
「ごまかしようはいくらでもあるわ。そのあたりはまかせとけ」
「貴方様が自ら動くとは珍しいですね」
「なんやそりゃ? わしが普段サボってるみたいな言い草やの」
「そう言ってるんです」
「…さよけ」