横島達が出発してから数分、続いて令子、蔵人のチームが出発する。
同行する撮影スタッフは横島達と同じく五名。これから起こる事を考えれば、この場に残った方が賢明なのだろうが、彼等も仕事だ。諦めてもらうしかあるまい。
「さて、それじゃ行きましょうか。ちゃんとエスコートして下さいね?」
「はっはっはっ、まかせたまえ令子君」
そう言って先頭に立ち意気揚々と進む蔵人、令子にはその後ろ姿がある動物に見えていた。そう、「山の羊」と書くある動物にだ。はっきりと言ってしまえば『生贄の山羊(スケープゴート)』である。横島が見ていればきっと「荷馬車に乗った仔牛」に見えていた事だろう。
「ところで、こっちから向こうのグループの様子を知る事はできるの?」
令子が振り返ってスタッフに問う。その相手はカメラマンより背後にいるため、本来なら出演者としては声を掛けるのはタブーなのだろうが、TV慣れしていない令子がそれを知るはずもない。
問われたスタッフの方も無視するわけにもいかないので、問い掛けられたスタッフはベルトから下げていたトランシーバーを令子に見せて答える。
「除霊中は互いに連絡を取り合う事はできません。非常時のためのトランシーバーはありますが、これは最初の場所に待機しているスタッフと連絡を取るための物です」
「…それじゃ、向こうで何があってもこっちには伝わらないのか…わかったわ、ありがと」
つまり、式神が暴走しても知らん振りができるという事だ。彼女にとっては有り難い話と言える。
その時、前を歩いていた蔵人がピタリと足を止める。
「ムッ…気を付けたまえ、悪霊の気配だ!」
その言葉に令子がふと地面を見ると、そこにはX印が刻まれていた。お約束だが、その印はカメラに映る範囲からは外れる位置にある。
周囲の気配を探ると悪霊の気配はまったくない、その代わりに数人の人間の気配を感じる。どういう仕組みで低級霊を操っているか疑問だったが、今の状況が解答を教えてくれた。吸引札に封印された低級霊を、近くに伏せたスタッフがタイミング良く札を破って解き放つ。
この状況では確認する事はできないが、間違いあるまい。意外と単純な手だ。
「それじゃ、蔵人さんにおまかせしてもいいかしら?」
「フッ…僕の華麗な活躍を見たいのかい?」
営業スマイルを顔に貼り付かせた令子の言葉に、蔵人は更に格好をつけて懐から除霊札を構える。
それを合図に草むらから低級霊が次々と飛び出すのだが、元々来る事を知っていた蔵人は慌てる事なく破魔札を使ってそれらを祓ってしまった。
視聴者達には、派手な爆炎を伴う華麗な除霊シーンに見えたであろう。しかし、令子は見逃さなかった。
…低級霊の除霊に、さんびゃくまんえん?
完全に目が点になっている。普段から破魔札を使うGSの性か、令子はあの一瞬で蔵人の使った破魔札の値段を全て見ていたのだ。元々破魔札の表面には値段が書かれているのだから、動体視力さえあれば難しい事ではない。
草むらから飛び出した低級霊は三枚。それに対し蔵人が使用した破魔札は三枚。その一枚一枚にはっきりと書かれていたのだ、「百万円」と…。
一撃で息の根を止めてやろうと神通棍の柄に手をかけた所ではっと我に返る。
蔵人の除霊があまりにも不経済なため、一瞬本気で殺意を抱いてしまっていた。
そして、同時に決意を新たにした。「この男は何が何でも抹殺しなければならない」と…己の金銭的価値観を守るために。
一方、別ルートを使って目的地に向かう横島と冥子。
草むらからいつ低級霊が飛び出して来るかわからない今の状況に対し、クビラとサンチラの組み合わせは思いの外相性が良かったらしい。草むらから低級霊が飛び出す…いや、草むらに隠れたスタッフが低級霊を解き放つ前にクビラが見つけ出し、サンチラが雷撃を放って焼き払う。無論、スタッフごと低級霊を封印した吸引札を焼いているのだが、相手の強さ、いや弱さを察知しているのか、威力そのものは紙を焼く程度に留めている。おかげで草むらに隠れたスタッフは酷くても髪がアフロになる程度で済むだろう。
そんな馬鹿らしくもある作業に勤しむ二体の式神を見た横島は、自分でも霊力を感じないのにすぐさま見つけて攻撃する二体、特にクビラの霊視能力の鋭さにただ感心していた。やらせである事は知っていても、まさか人間が潜んでいるとは夢にも思っていない。
「でも、こんな雑魚ばっかだとやる事ないなぁ」
思わず呟いてしまった横島に、他のスタッフも不謹慎ではあるが苦笑してしまう。事実、ここまで横島がした事と言えばサンチラが討ち損じた低級霊一体をサイキックソーサーで撃墜した事と、雷撃で発火した草むらをぼやになる前に消し止めた事ぐらいだ。
「まるで〜、皆で〜お散歩してるみたいね〜」
「は、はは…そうっスね」
最早、冥子に硬度はない。気が抜け切って、ふにゃふにゃのとろーんになってしまっている。
しかし、横島はそれを咎めはしない。安心しきってこの状況を「楽しい」と感じている限り、彼女が暴走する事はないからだ。
無論不意打ちで少しでも怪我をすればすぐさま破られる、障子紙のように脆い安寧ではあるが、それを守る事こそが今回の自分の仕事だと横島は結論付けている。少し情けない。
「美神さん達大丈夫かなぁ…」
空を見上げ呟いた横島だったが、次の瞬間本当に心配すべきは一緒にいる蔵人醍醐である事を思い出し顔を青くした。
「あの、本当にやるんですか?」
「ここで逃げたら、後でエミさんと美神さんに折檻されるケェ」
「…それもそうですね」
一方、令子達の行く先から少し離れた所に隠れているのはエミ、ピート、タイガーの三人。令子達の通るルートのすぐ近くはスタッフが隠れているため、そこから少し離れた位置で息を潜めていた。
「しかし、彼を失敗させるにもやる事がせこい様な…」
「それ、エミさんや美神さんに面と向かって言えますかノー?」
「………」
はっきり言って無理だ。
仕方なくピートはエミの命令通りに身体を霧化してそろそろと蔵人に近付いた。その目的はスタッフが低級霊を放つのと同時に蔵人の足首を掴んで転ばせる事だった。何でこんな事をと思わなくもないが、令子曰く最初のジャブらしい。
令子は気付いているだろうが、蔵人には周囲の霊力を感知する力もないらしく、あっさりと彼の足元まで近付いたピートは右手だけを実体化させて片足を掴んだ。
「へう゛ぁっ!?」
バランスを崩した蔵人はそのまま地面に顔面から倒れる…そうピートは考えていたのだが、スタッフの放った低級霊が重力に引かれて無防備な蔵人の顔面に見事直撃してしまう。
「Noooooゥッ! 前が見えないよ!!」
そしてそのまま地面を転がる蔵人。本来なら令子が助けるべきなのだろうが、彼女は明後日の方を向いて笑いを堪えるのに必死だ。蔵人が道を転がって十往復程した後、ようやく笑いが治まった令子が神通棍で低級霊をゴミ袋に群がる烏を追い払うように祓い、蔵人は何事もなかったように立ち上がり、
「フッ…僕がわざわざ手を下す程でもなかった様だね」
髪をかき上げて格好つけた。その仕草を見て令子は手にした神通棍を叩き込みたい衝動にかられたが、これからこの男は視聴者の前で実はGSとして三流以下の無能と言う正体を晒すのだと辛うじてそれを押し留める。
令子にはわかっていた、今のはエミ達が動き出した合図だ。ここから先、蔵人は隠れているスタッフを巻き込んで、阿鼻叫喚の地獄絵図に頭から飛び込む事になる。そう確信していた。
そして、令子にはわかるはずもなかった。
これから現実に起こる地獄絵図は蔵人とスタッフだけでなく、令子をも巻き込むと言う事を…。
一方、少し離れた所で蔵人の見事な倒れっぷりを見ていたエミはうずくまって笑いをかみ殺すのに必死だった。
「エミさん、次はどうするんですか?」
「そ、そうね…」
ピートの問いに答えるべく呼吸を整えるエミ。一度盛大に笑ってしまえば楽になるかも知れないが、今はそうするわけにもいかない。
「タイガー、次はあの男に幻術をかけて飛び出してくる低級霊が世にも恐ろしい化け物に見えるようにするワケ」
「わっかりましたジャ」
小声で返事をしたタイガーは虎の獣人に変化して蔵人を待ち構える。妙神山での修行で精神感応能力を使用する際に行っていた虎の幻覚を成長させて身に付けた獣化能力だが、元が精神感応能力に付随していた物のため、今は精神感応能力を使用するためにはまず獣化しなければならないのだ。不便ではあるが、こればかりは仕方がない。
「ついでに令子のバカにも幻覚見せてやってもいいワケ」
「…勘弁してツカサイ」
先程の転倒は既に忘却の彼方なのか、完全に自分のペースを取り戻した蔵人が意気揚々とこちらに近付いてくる。タイガー達がいるのは蔵人側から見て、茂みに隠れているスタッフの更に向こう側、両者の間にいるスタッフが低級霊を放つと同時に幻覚を発動させる。それだけの事だ。
それだけの事のはずだ…が、
「!?」
獣化して身に付けた動体視力が「それ」を捉えた。
スタッフが吸引札を破き、低級霊が飛び出た瞬間、横から飛び込み低級霊に喰らいついた「それ」を。
「!!」
エミの目にも「それ」の正体を把握する事はできなかったが、己の勘に従いすぐさま隣のピートに霧化を命じると、タイガーの襟首を掴んでそのまま走り出した。
「はっはっはっ、今日の悪霊はなかなかに派手じゃないか。流石はスペシャル」
そして状況を全く理解していない馬鹿が一人、乱杭歯の隙間から粘着質な何かを垂れ下げた「それ」を前に的外れな戯言をのたもうた。
そのすぐ後ろで「それ」を見る令子は当然気付いている。その後ろのスタッフも異様な雰囲気を感じている。にも関わらず全く気付かない男は懐から三枚の破魔札を取り出すと両手を交差して構える。
「さぁ! この天才GS蔵人醍醐を恐れぬならばかかってきたまへぶっ!!」
言い終わる前に「それ」の口が蔵人の手にした破魔札を食い千切り、足が彼の顎に吸い込まれるようにクリーンヒット。醍醐は横の茂みに頭から突っ込む。
そして令子は破魔札を咥えたまま着地したそれの全体像をはっきりと見た。
眼球の無い窪んだ両の眼窩、その上の額には捩れるように歪んだ左右非対称な二本の角。大きく裂けた口には乱杭歯が並び、細い手足とは不釣合いに大きな腹。
「餓鬼魂(がきだま)…」
しかも、低級霊、破魔札を「食べた」事から察するに霊力を食すタイプだ。そうなると次に狙われるのはハリボテGS蔵人ではなく…。
「やっぱり私ね!」
飛び掛かって来る餓鬼魂をムチと化した神通棍で弾き返すと同時に茂みから飛び出た蔵人の足を掴むと掛け声一閃。長身の成人男性一人分の体重を左手で大根抜きにするとスタッフの方に投げ捨てた。
この餓鬼魂は霊力を食う。眼球の無いそれはおキヌを追ってきた霊団の様に光学的にではなく霊力で視て判断しているのだろう。つまり、今この周囲で一番光り、餓鬼魂の注目を集めているのは令子だと言う事だ。故に餓鬼魂の狙いが他に移る事は無い。
「さぁて…本物の戦いってヤツを見せてあげましょうか」
詳しい状況はわからない。ただ一つはっきりと言える事は、眼前にいる餓鬼魂は素人のスタッフ達が扱えるような代物ではないと言う事だ。
一体どこから現れたのか? それは、今ここから離れていった気配の主達に任せれば良い。そう考えた令子は背後のスタッフ達が自分にカメラを向けるのを感じながら、必殺の気迫を込めた一撃を繰り出した。
「………あれ?」
拍子抜けした令子の声。それもそうだろう、何故なら令子の繰り出した一撃はあっさりと餓鬼魂を霧散させてしまったのだから。
ここでまともな戦いを繰り広げて蔵人との実力差をお茶の間の視聴者達に見せつけるつもりが、こんなにあっさり終ってしまっては片手落ちである。何とか引き伸ばす事ができないかと思案する令子。彼女の日頃の行いがよかったのか、その望みはすぐさま叶えられる事となった。
「う、上…」
背後の女性スタッフの怯えた声に空を見上げると…
「げっ」
辺りの木の枝全てを埋め尽くすように餓鬼魂がひしめき合い、軽く百を越える数のそれらが虚ろな眼窩で令子一人を見詰めていたという出血大サービス。余程彼女の日頃の行いが良かったのであろう、『キーやん』はよく見ている。
まるで雨が降り注ぐように一斉に襲い掛かる餓鬼魂達。
「限度ってもんがあるでしょうがーっ!?」
泣き言を言っても餓鬼魂達の攻撃の手は緩まない。戦術的な思考は一切なく食欲と言う名の本能のままに令子に襲い掛かってくるため、彼女をスルーして背後のスタッフに飛び掛らないのが唯一の救いなのだろう。彼女としては一部でもそちらにやれば自分が少しでも楽になって良いかな、と考えてみたりもするが、流石に実行に移すわけにはいかない。
「醍醐さん、起きて下さい、醍醐さん! 大変なんですよっ!!」
「……ハッ、ここは」
令子に投げ飛ばされ気を失っていた蔵人が眼を覚まし、辺りを見回す。
すると目に入るのは雲霞の如く押し寄せる無数の餓鬼魂相手に一人で自分達を守るべく戦っている令子の姿。それを見た蔵人はいつもの笑みを消して立ち上がると、真剣な顔でこう叫んだ。
「令子君、そろそろCMの時間だ。一旦戦いを止めたまえッ!」
「できるかぁぁぁぁぁッ!!」
やはり、馬鹿は馬鹿だった。
代理人の感想
サゲに爆笑。
あー、腹がいてぇやw