「俺が寝ている間に、とんでも無い所に降りちまったそうじゃないか?艦長」

「ええ。ですが仕方ありません。ストライクと‥‥‥彼を失うわけには行かないのですから」

「だけど、やな処に下りちまった」
アークエンジェルが地上に降りた際の衝撃で、意識を取り戻したムゥ・ラ・フラガは覚醒後の間も無くして艦長室に呼び出された。
気絶した後の状況を艦長席の椅子に腰掛けているマリューに教えられたムゥは、今後の方針を固める為にブリーフィングを執り行っていた。


「ここが、アラスカ‥‥‥」
頬に奔る一本の傷跡を左手で摩りながら、モニターをつつっと人差し指でなぞっていく。
アークエンジェルが向うべき本来の目標地点はアラスカである。
しかし、先の衛星軌道戦時にデュエルの援護に駆けつけたイージスの反撃に遭い。
地球の引力に蹴り落とされたストライクを確保するために、マリューは連合軍勢力圏内への予定コースを破棄してストライクを上部甲板に着艦させた。
そして、現在は―――。


「ここ。見事に敵の勢力圏内だ」
アフリカ大陸のほぼ北端に位置する所で彼の人差し指の動きが止まった。
新たに直面した危機に暗い表情を張り付けたまま、マリューは深い溜息を吐き出した。
―――彼らが宇宙から逃げ延びた地。そこは敵軍『ザフト』勢力圏内のド真ん中であった。








T/interlude








鉛の様に重い瞼が眼球に圧し掛かる。
全身を締め付ける悪寒と共に脳髄を猛烈に揺さぶる頭痛と吐き気。
口内に滴る唾液が干乾びた喉に触れ、より深い激痛を促す。


「‥‥‥ん‥‥ああぁ」
虚空をか細い声音で喘ぐ。
喘ぎ、呻くしか、助けを求める手段が無い。
苦しい。
とても、苦しい。
とても、痛くて苦しい。
だから、無理やりにでも瞼を抉じ開けた。


「ここ‥‥‥生きて‥‥がはァッ!」
咳き込む。
ヒリヒリなんて生易しい物じゃない。
ビリビリと、まるで酸を無理やり飲み下したかの様な激痛が迸る。
熱で茹だれた身体を冷ますにも、できれば水が欲しい。
水を――水をくれ。


「目が覚めたのね。キラ」
耳に届く穏やかな女の声。
声のした方―――つまり、ベッドの傍らから俺を見下ろす彼女を嗚咽交じりに見上げた。
薄い膜の張った眼ではその人物の輪郭をハッキリと映し出せなかったが、俺は喉に奔る激痛を消し去りたいのに必死だった。
だから俺を見下ろすその人物が、誰であろうと素直に助けを求めた。


「がほッ!‥‥水を‥‥‥!」

「水ね‥‥‥ほら」
冷やかに呟く彼女の片手には透明なガラスのコップが携えられていた。
朦朧とする意識の最中、俺の虚ろな瞳はコップの飲み口から立ち昇る白い煙を写し出していた。
その白い煙を吐き出す『水』を『水』と形容するのは、余りにも不自然だ。
だが、俺の疑問を他所に彼女はコップを俺の乾いた唇へと運ぼうとして――――?


「っ‥‥‥な‥‥なにを」
夢と現実の区別がつかない程に混濁する意識。
その迷宮で助けを求める俺の頭上に、彼女はもうもうと白い煙の揺れる水入りのコップを掲げ、ガラスの歪みを見上げる俺の顔面に目掛けて『水』を浴びせ掛けた。
刹那―――!


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

「ふふっ。熱い?痛い?パパはね‥‥‥きっと、モットつらかったと思うわ」

「あづぅういいい!―――こんのクソアマァアア!!」
膨大に膨れ上がる憎悪に全霊を込め、罵声を投げつける。
その瞬間。掠れていた喉が裂き切れ、血痰と唾液が混ざり合う。口の中に酷い鉄臭さが充満した。
だが、それよりも!
平気な面して、俺の顔面に熱湯を浴びせた、あの赤毛の女『フレイ』の冷やかな嘲笑で痛みなんか吹き飛んだ


「どうしたんだよ?フレイ!」
俺の悲鳴を聞きつけ、部屋に立ち入るトール。
フレイは咄嗟に、体を丸めて焼け爛れた傷口を抑える俺を覆い被さる様に抱きしめながら、まるで虫けらを見下ろすクソの様な嘲笑から、誰もが魅了される切なげな面持ちに切り替えて告げた。


「目を覚ましたんだけど、キラが間違って替えのお湯を‥‥‥」

「た、たいへんじゃないか!」
熱湯を浴びせられ、火傷で体を丸める俺に駆け寄るトール。
しかし、俺の眼光は奴―――フレイ・アルスターただ一点に向けられていた。
あの女は蹲る俺から一歩だけ遠ざかり、コップを後手に隠しながら侮蔑を孕んだ視線で俺を見下ろしていた。
まるでクソの様な女だ。
俺はお前になんか興味無いって言うのに!ロッカーの時の借りがよほど悔しかったのだろう。
喉が切れたせいで苦悶を漏らす事さえ儘ならない。
今の俺に出来る事と言えば目の前にいる醜悪な女を睨みつけるしかなかった。
そういえば、なぜ俺は生きているんだ―――?








『第五話・俺のために死ね』








太陽が沈み、泥炭色の暗闇に満たされた砂の世界。
果ての無い鬱蒼とした夜空を見上げれば、丸い月明かりが世界を薄くライトアップしている。
その幻想的な砂の舞台で眠る大天使を、虎視眈々と狙う狩猟者がそこにいた。


「どうかな?噂の大天使の様子は」

「はっ!依然、何の動きもありません!」
うつ伏せの姿勢を維持しつつ、小高い砂丘から顔だけを出して赤外線スコープを覗き込んでいたマーチン・ダコスタは背後から近寄る上官の声に顔を上げ、振り仰いだ。


「Nジャマーのお陰で地上の電波状況は滅茶苦茶だからな。彼女はスヤスヤとお休み中‥‥‥か」
自己流ブレンドの珈琲を淹れたカップを片手に、寝静まるアークエンジェルを見据える野戦服を着た男。
精悍な野性味を漂わせ、自分で入れた珈琲を味わい深く堪能している。
ダコスタは、そんな掴み所の無い上官に提案した。


「仕掛けますか?クルーゼ隊の報告では、足付きのストライクは“堕とした”との事ですし‥‥‥」

「そうだな‥‥‥ん!?」

「どうかされましたか?」

「いや、今回はモカマタリを5%減らしてみたんだがね、こいつはいいな!」
はぁ、と肩をがっくりと落とし、拍子抜けしたダコスタは上官の密かな趣味に内心あきれた。
日で小麦色に焼けた面長の上官は踵返した。
慌てて立ち上がったダコスタは背後の麓に向かって駆け下りていった。
犬の形を模した巨大なロボットが悠然と佇む砂丘の麓。
その周囲では兵士達が忙しなく動いていた。
兵士達は砂丘から降りてきた上官の存在に気付くと、一斉に整列した。


「では、これより地球連合軍新造艦“アークエンジェル”に対する作戦を開始する!―――目的は、敵艦の戦力評価である!」

「倒してはいけないのでありますかぁ?」
横一列に並んだ兵士の一人に質問された上官は端を折りながら答えた。


「MSが出てこないなら、こちらから降伏勧告を出しておくつもりだ‥‥‥まぁ“一応な“」
キリッとした鋭い顔つきを元の締りの無い笑顔に切り替えた上官が、最後に一言だけ付け加えた。
それを聞いた兵士達の間に自信に満ちた笑みが伝わり、揺るぎの無い連帯感が漂う。


「では、諸君の無事と健闘を祈る!」
砂漠の虎―――アンドリュー・バルドフェルドは号令を下した。







U/interlude







不思議だった。
四肢の殆どを砕かれたストライクが大気圏突入に成功したこと。
バルドフェルドが縄張りを占めている砂漠の大地に降り立ったこと。
そして、あのアスラン・ザラ君が俺を殺し切れなかったことだ。
奴は俺“キラ・ヤマト”の抹殺に失敗したというミステイクを犯した。この代償は高くつくぞ、アスラン。
俺を殺し切れなかった責任を必ず後悔させてやる―――絶対に。


「―――まるでミイラみたいだな」

「‥‥‥うるせぇ」
軍医に火傷の治療を施してもらった俺は、トールの感想に悪態を吐いた。
肉体の調子を万全と判断するには程遠いものの、いつぞやの様に、また寝ている間に沸騰した湯を浴びせ掛けられる訳にはいかない。
事件の当事者であるフレイはタイミングを見計らって、陽が射した影の如く姿を晦ました。
艦内に居るのは確実だが、白昼堂々と病人に熱湯を掛けるえげつない女だ。
罠の一つや二つ。それこそ原作の様に自分が“か弱い女”である事を平然と周囲にアピールするだろう。
今のフレイは、正にそういう女だ。


「‥‥‥かえる」

「あ、まてよ。整備の人がこれ」

「?」
パイロットとして宛がわれた自室に立ち去ろうとした俺を呼び止めたトールが、ゴソゴソとポケットを弄りながら目当ての物を見つけると俺に差し出した。


「キラのだろ、この折り紙」

「あ‥‥‥ああ。サンキュ」
トールが俺に差し出した物は、ストライクのコクピットの計器に差し挟んでおいた鶴の折り紙であった。
やはり彼女は死んだのだろうか?
それとも無事に地球に降りて戦争とは無縁の生活を送っているのだろうか?
わからない。
わからないが、生死を知らされたところで、既にどうしようもないのが事実だ。
皴だらけの折鶴をポケットに突っ込みながら俺は医務室から姿を消した。








自室で不貞寝しようとした俺は廊下を歩いている最中にボロボロの状態で大気圏を突破したストライクが気がかりになり、格納庫に寄り道した。
いや、単純にストライクに会いにきたと表現した方が正しいのかもしれない。


「おあらー!もたもたしてんじゃねぇぞ!奴さんが来る前に直すんだよ!」
野太い男の声が、だだっ広い格納庫の全体に響き渡る。
キャットウォークの上から忙しなく走り回る整備員達を眺めた。
誰一人気付いていない。
そうだろう、なにせ。ストライクは―――。


「ストライク‥‥‥すまん」
ビームの熱刃で、惨たらしく溶断された右腕。
大気摩擦で焼け爛れた装甲の表面は全身を火で焼き焙られたみたいだ。
この状態ではおそらく出撃は困難だろう。
穿たれた左腕。アスランのデコ野朗に切り裂かれた右足は予備パーツを用いる事で、丸ごと交換されていた。
新品の真新しい右腕と右足が、ストライクの灰色の全身に傷付けられた掠り傷や火炙りじみた焼け後がより深く、凄惨な様相を浮き彫りとしていた。
―――背後から此方に近寄る足音が聞こえた。俺は振り返らずに満身創痍のストライクを見据えたまま、答えた。


「‥‥‥坊主。その包帯は?」

「ムゥさん‥‥‥お怪我の方は?」

「おいおい。質問を質問で返すなよ」
それだけの元気があれば、既に完治したのも同然だろう・
肩を竦めるムゥに興味が失せた俺は、右目に掛けて、包帯でぐるぐる巻きにされた顔を押えながら沈黙するストライクに視線を向けた。


「‥‥‥貞操を示す必要なんてないんだぞ?部屋で素直に寝ていた方が良い」

「別に、ストライクが心配できたんじゃありませんよ」

「それじゃ、なぜ?」

「ストライクに会いたかったんです。ただ‥‥‥それだけです」

「ぷ‥‥‥あーはっはっはっ!」

「悪かったですね。おかしくて‥‥‥」
不機嫌そうに視線を背けたが、次第に気恥ずかしさで顔に熱が帯びていくのがわかった。
自分でも信じられない。
これでは、まるで、好きな女の子に向って「好きです」と、告白したようなものだ。


「そうか、そうか。じゃ仕方ないよな。そりゃ」

「‥‥‥別に、いいじゃないですか。コイツを好きになったって」

「ああ。全然悪くは無いぞ」
そういって、ムゥは踵返した。
背を向けて立ち去ろうとするムゥ。俺はポカンと口を半開きにしたまま呆然とその後姿かを見つめていた。


「ちょ‥‥ムゥさ―――!」

<第二次戦闘配備発令!繰り返す、第二戦闘配備発令!―――>

「って‥‥‥敵!?」
突然の敵襲の報せに、俺は慌てて、傷だらけのストライクへと振り返った。
アークエンジェルの整備士たちは響き渡る警報の音に焦燥を見出す。
ストライクを急場凌ぎでもってしても修復させようと急いでいるのだ。
だが、それでは間に合わない。
ストライクの灰色の眼光を見上げ、覚悟を決める。
―――戦士の傷は未だ癒えず、けれど戦意は消失せず。
―――主。己が力を我に示さんと。
―――我が士魂の昂りが敵を殲滅せしめん。
ムゥの制止を振り切った俺はストライクのコクピットへと駆け出した。








1/閑話








指揮者の助手席に搭乗していたバルドフェルドは、赤外線スコープを覗き込みながら呟いた。
無限軌道を用いたバクゥの高速機動にまんまと翻弄されるアークエンジェルの姿を見詰めながらも、バルドフェルドは常に余裕を絶やさずにいた


「どうやら、彼女はやる気のようだ」

「降伏する気は無いようですね」

「だろうねぇ。しかし、MSも無しに我が軍のバクゥをどう対処するつもりか、見ものだと思わない。ダコスタ君?」

「はい‥‥‥」
隣の運転席に座るダコスタに喋り掛けながら、戦火の火蓋を切ったアークエンジェルの砲火を注視するバルドフェルド。
このまま状況に変化が来さなければ虎の勝利となろう。けれど―――。


「ん!?」

「自前の珈琲が不味かったのですか?」

「こんなときに何を言っているダコスタ君。見ろ」
バルドフェルドから乱暴に手渡された赤外線スコープを四足の犬型ロボット『バクゥ』や戦闘ヘリ『アジャイル』に向けて必死の迎撃を打ち放つ、アークエンジェルへと渋々ながら覗き込む。
すぐさまにダコスタはバルドフェルドの異変の意味に気付いた。


「ストライクですね。報告とは違う。ですが―――」

「左腕は解体‥‥いや、切断されたようだ。ともかく、あんな整備状態でよくもやろうとする」

「砂漠で思うように動けないようですし‥‥‥嘗められたものです」

「彼女も、それだけ必死だと言う事だ」
バルドフェルドは眩いビームの閃光とミサイルの爆風が渦巻く、向こう側で広がる戦火の波をただ淡々と眺め続けていた。










V/interlude








胸がムカムカして、吐き気がする。
頭はグルグル宙を渦巻き、包帯が邪魔で十分な視界がとれやしない。
ストライクのシステムを起ち上げ、目前のレバーを握り締める。


「出してくれ」

『無茶言わないで!ストライクはまだ修理中なのよっ!それにキラだって!』
鼓膜に響き渡るミリアリアの怒声が煩わしい。
これでは艦長に発進命令の許可を受諾できない。

「艦長‥‥‥構わないか?」

『キラ!』

「黙れ!俺はお前に訊いてない、艦長に訊いているんだ!」
押し寄せる不快感に苛立たしく罵倒を飛ばした。
眼を見開いたミリアリアの先ほどまでの威勢は消え失せていた。
一渇の下に沈黙した女を無視して、艦長に再び訊ねた。


『敵の位置や数も把握し切れていないわ。それにさっきも言ったとおりストライクは出せないわ』

「‥‥っ!ですけど、もたもたしていたら、こっちがやられる!」

『貴方の満身を増長させるための道具ではないのよ!わかりなさい!』

「お、俺が!?オモチャ!?満身!?」

『解ったのなら,そこでジットしていないさ―――』
モニター越しで怒鳴り声を張り上げたマリューはストライクとの通信回線を閉じようとしたところで、他の女性の声と入れ替わった。


『ヤマト少尉。発進しろ』

『バジルール中尉!』
マリューが入れ替わりに入った声の主に驚いて振り向いた。
ピンと睨む両者の視線に張り詰めた緊張感が漂う。


『我が艦の艦砲では小回りが利きません。それにPS(フェイズシフト)なら実体弾にはある程度は時間が稼げます』

『越権行為よ。中尉』

『艦長も艦長なら、正しいご判断を“少佐”』
眉を吊り上げて睨みつけるマリュー。
その憎み見る視線にナタルは物怖じせず、冷然と睨み返す。
俺は両者の間に窺い知れない女性のプレッシャーに思わず怯んだが、マリューが先に降参した。


『‥‥‥そうね。艦長なら当然ね。ストライク出て頂戴』

『え‥‥は、はい!ストライク発進スタンバイ』
戸惑いながらもマリューの指示に従うミリアリア。
マリューの自嘲的に呟きに怪訝がよぎるが、俺は一先ず指示に従う事にした。
背部四基のスラスターを装着させる事でストライクに爆発的な推進力を発揮させる高速戦闘用『エールパック』が、ストライクの重厚的な灰色の背中に装着された。
本来ならランチャーパックが装備させられるのだろうが、左腕が未修理の状態なのだ。
強大な威力を秘めたインパルス砲『アグニ』は装備できない。


『ストライク。敵戦闘ヘリを排除せよ―――重力を忘れるな』

「了解‥‥‥すまない、副長。面倒を掛けさせてしまった』
これを切っ掛けにマリューとナタルの両者の溝は深まり、艦の指揮に混乱が生じるのではないかと、俺は危惧の念を抱いた。
けれど―――。


『そんなことよりも自分の心配をしろ、少尉。』
と、俺の不安をナタルは鉄面皮な表情を張り付かせたまま一蹴した。
目前へと集中。思考を切り替え、ナタルに警告された言葉を反芻しながら一気に戦士の思考へと埋没する。
そうだ。こんな時に他人の事など考えるな。
何時でも何処でも全力で覚悟を決め、容赦の微塵も無く敵を撃殺する。


『‥‥‥了解―――ストライク!出るぞ!!』
憎しみの痛みが残る右目を包帯で隠し、俺は出撃の咆哮を張り上げながら、ストライクを大天使の懐から砂漠の大地へと羽ばたかせた。








W/interlude








「くぅ!‥‥‥気持ちわりぃ」
足元の砂が流れ落ちる。
着地時の激しい振動が、病み上りの身体に鞭を打つ。
カタパルトハッチから飛び出した俺は着地の態勢を安定させるのに失敗した。
戦闘ヘリが撃ち放つミサイルの軌道に煽られ、仰向けに転倒した。
ストライクの無様な醜態をこれ以上晒しはしない。
起き上がるのと同時に背部に装着された四基のスラスターを跳ね上げ、戦闘ヘリにビームライフルの照準を合わせる。
刹那。飛翔したストライクを視認した戦闘ヘリが近場の砂丘の影に身を隠し、ビームライフルの射線上からすぐさま姿を消した。


「ちっ!」
シールドが装備されていない片腕のストライクをなるべく平坦な砂上へと降り立たせた。
けれど、まるで液体じみた砂粒がさらさらと流れ、ストライクのバランスを崩そうとする。
出撃前に必ず行うはずであった砂漠戦用のOSへと迅速に書き換えねば、こちらの不注意などという下らない理由で殺されてしまう。


「俺の馬鹿が!くそったれ!」
自身を叱責し、罵倒した。
砂漠の粒状性に対応できる様にコクピットの奥からキーボードを取り出す。
一コンマでも早く作業を完遂させようとキーを弾こうとする。
けれど、そうはさせぬと砂丘の陰から黒い『何か』が飛び出した。
現在のストライクでは反応すら困難な速度で、強烈な体当たりを打ち込んできた。


「ぐぅ!!おぇえ!」
轢き飛ばされたストライクの転倒の衝撃で未消化の胃液が喉元にまで一気に迫り上がり、喉が強烈な胃酸で灼かれた。


「―――つぅ!」
―――苦しい。
―――気持ち悪い。
―――喉が痛い。
唇の端に零れる胃液を手の甲で拭う。
体当たりで仰向けに転倒したストライクを立ち上がらせようとする。
だが、そこへストライクを中心に囲んでいた無数の『黒い何か』が、数え切れない程のミサイルをストライク目掛けて殺到させた!


「なっ!ぐぅうううう―――!」
着弾、爆発。
モニターが灼熱の火花一色に染まりあがる。
立ち昇る爆炎に錐揉まれながら、ストライクは蒼い月の浮かぶ夜空に吹き飛ばされた。
その丸い円月を眺めながら、残された微かな意識の糸がプッツンと途切れた。
朦朧とした視界が暗闇の中へと堕ちていくのを、俺は何処か他人事のように感じていた。








2/閑話








「キラッ!?キラ!応答して!」

「ストライクはどうなってるの!?」

「ダメです!応答ありません!パイロットが気絶しています!」

「なんですって!?」
ミリアリアの報告にマリューやブリッジのクルー愕然とした。
何せ先日まで高熱で魘されていたパイロットだ。
パイロットに極度の負担を掛ける戦闘Gに病み上りの身体で耐えられる筈が無い。
爆炎の煙が晴れた。PS装甲により無事なままであるストライクの姿に、ひとまずの安心を得た。



「あれは!?」

「敵機五!TMF/A―八〇二。ザフト軍モビルスーツ『バクゥ』と確認!」

「バクゥ!?」
月夜に紛れて、姿を現した見慣れないブルーグレイの四足機体。
地上の重力下を想定した四脚によって身軽な跳躍と無限軌道(キャタピラ)による高速走行を可能とした、犬型ロボットである。
背部には十三連装ミサイルランチャーを備え、地上の主力兵器としてザフトの各部隊へと配備されている。
倒れ伏したまま動かないストライクに容赦の欠片も無く、編隊を組むバクゥは豪雨めいた激しい勢いでミサイルランチャーを降り注いだ。
爆裂するミサイルの衝撃で飛び跳ねるストライクの醜態にナタルはギリッと歯噛みした。


「スレッジハマー!撃て!」

「ストライクに当たります!」
管制官のトノムラがナタルの指示に抗議する。


「PS装甲がある!」

「しかし!」

「命令だ!あれではどうにもならん!叩き起こしてやれ!」

「‥‥‥了解!スレッジハマー発射!」
アークエンジェルの後部ミサイル発射官から大量の対空ミサイルが白煙の軌跡を描きながら、ピクリとも動かないストライクの周辺に構えるバクゥに降り注がれた。


「キラ!―――避けて!」
間に合わないと知りつつも、ミリアリアは声を上げて叫んだ。
刹那。空間が爆(は)ぜた。








X/interlude







朦朧とする意識の毛糸球が、やがて一本の神経として形成されていくのを徐々に感じていた。


「‥‥‥いっつぅ!」
頭痛に苦しむ頭を抑え、霞掛かった視界に活を入れる。


「―――――」
―――気絶した。
艦長にアレだけの大口を叩いておきながら、こと肝心な時において目を回して気絶したのだ。
何がキラ君とは違うだ。
キラよりも無様で見っともない、自身が晒した醜態に俺は恥じた。


「泣き言はいい!状況は?敵は何処だ!」
危うく戦闘中に愚痴を吐き捨てようとした自分自身を罵倒し、身を乗り出して計器とモニターに目を這わす。
突然、耳に響く警告音に目を見張った。
その音が無数のミサイルの接近を意味している物だと瞬時に理解した。
同時に、回線から響くミリアリアの叫び声と俺の叫声が重なり合う。



『キラ!―――避けて!』

「対空ミサイル!?くるんじゃない!」
地べたを這いずりながら、すぐ近くの砂丘の陰に隠れた。
刹那。ストライクの周囲の砂丘が粉々に爆裂し、その強烈な衝撃が脳漿をぐちゃぐちゃに掻き乱されたかの様な苦痛で支配された。
数瞬後。全身を縛り付けた麻痺が消滅し、モニターを塞いでいた砂塵が掻き消えた。


「砂の粒状性をマイナス十五だったか二十だったか‥‥ちっ!アーマーシュナイド!シューッ!」
ビームライフルはミサイルの衝撃でどこかへ弾き飛ばされた。
俺は目前へと急速に押し迫る『黒い何か』―――バクゥ目掛けて太ももから取り出したアーマーシュナイダーを投擲した。
無論。うつ伏せの状態から投擲したナイフなど容易く命中する筈が無い。
アーマーシュナイダーを回避したバクゥはそのままストライクの顎を蹴り上げた。
コクピットまで浸透する鋭い衝撃。空中へと蹴り上げられ、円弧を描きながら落下していく惨めな自分に嫌気が差す。
だが―――。


「流れに流れて此処まできたんだ!今更後戻りできるカァ!」
咆哮と共にキーボードを目にも留まらぬ速度で叩く。
忙しなく動き回る指先がエンターキーを最後に叩き込む。
ストライクのバーニアを噴射。今度は安定した姿勢で着地できた。
滞空したホンの一瞬でOSを書き換えた―――無茶とは思えたが案外やろうと思えば出来るものだ。


「いままで散々苦労させてくれたな、このゾイドモドキが‥‥‥」
背後から飛び掛ってきた一機のバクゥに裏拳を叩き込むことで黙殺し、仰向けに腹を晒して倒れたバクゥのコクピット部分に必殺の手刀を刺しこむ。
抜き取り、灰色の無骨な掌に赫い――――無視した。


「―――――」
砂漠の設置圧の修正は済ませた。
後は人を好い様に甚振ってくれた犬ッコロを殲滅するのみ。


「ビームライフルは‥‥‥あそこか!?」
周囲を見渡す。月の薄明かりで鮮やかに照らされたビームライフルを発見した。
砂埃にまみれ、距離は遠い。
俺は残された右腕でビームサーベルを肩から引き抜き、逆手に持ち替える。
此方を中心として囲むバクゥの数は残り四機。少々不利だがやるしかない。
突如、バクゥの一機がストライクを爆殺せんとミサイルランチャーを連射した。
十三連発のミサイル攻撃。直撃しても死ぬ事はないが、電力を著しく消耗し、衝撃を浴びる事で肉体の意識が再び刈り取られるだろう。
そうなったら今度こそ―――殺される。


「―――たわけ!」
飛翔する。
原作通り、水平発射された誘導性の低いミサイルランチャーが先ほどまでストライクがいた地面に突き刺さり、砂塵を撒き散らしながら爆発した。
その刹那の間をおかずして、別のバクゥがストライクの真上に飛び跳ねた。
ストライクに圧し掛り、地面に転倒させようとするソイツのがら空きの腹部をビームサーベルで斬り払う。
鮮やかに流れる光の刃が、バクゥの身体をいとも容易く両断した。
地面に崩れ落ちる残骸を一瞥し、ビームライフルが放置された場所へ着地する。
ストライクの着地時に三体目のバクゥが飛び掛るのを想定。
逆手に構えていたビームサーベルを背後に据える。
瞬間。何かが突き刺さる感触をビームサーベル越しに感じ、紫電の悲鳴が戦場に木霊した。


「これで三機‥‥‥残り、二機」
ゴトッと鈍い音を立てながら崩れ落ちたバクゥに一瞥もくれず、砂まみれのビームライフルを拾い上げた。
くすんだ色を讃える銃口。砂埃で煤けてはいるが使用には未だ耐え得る様だ。
―――抜群の機体性能と肉体の素質だけに驕り、我正義と思い上がるキラ君と俺の絶対的な違い。
伊達に戦場から生き延びたわけではない。
今の俺は戦で培った血肉を貪食(どんしょく)し続ける生き物だ―――だから。


「俺のために死ね‥‥‥」
突如、モニターの奥で白い軌跡が過ぎる。
半円を描きながら、アークエンジェルに降り注がれんとする無数の点。
あれは―――確か!?


「艦砲攻撃か!?」
砂礫(され)で形成された足場は大小の砂丘を作り出し、機体のバランスを保つのに多大な苦労を費やしたが、今はもう、そんな心配をする必要は全く無い。
四基のバーニアを全力噴射。敵の攻撃と味方の砲撃で、バッテリーが切れ掛かっているがアークエンジェルが撃沈したら元も子もない。
天高く飛翔し、疾風と化す。
その進行を阻もうと此方に身を投げ出したバクゥを睨みつけた。


「邪魔だぁア!!どけぇエエ!!」
膨れ上がる殺意を乗せた咆哮でバクゥの顔面を踏み台にし、より高く飛び跳ねた。
アークエンジェルと敵の艦砲ミサイルを見下ろし、ビームライフルの照準を刹那めいた速度で迫る艦砲ミサイルの軌道に合わせる。
―――人の目でミサイルを狙撃するのは不可能だ。だが、奴は見事に狙撃して魅せた。
―――ならば同じ存在である俺にだけ、不可能などと言う理屈は無い筈だ。
―――キラに出来て、俺に出来ぬはずが無い!


「当たれぇええエエ!!」
大気を切り裂く、一筋の鋭い光。
俺の全霊を託した烈光の弾丸は、夜の闇を捻り切り、静かに、ただ静かに、艦砲ミサイルに吸い込まれた。
刹那。一際高い爆裂音が大気を震撼し、空間が軋む。


「次、捉え!」
次々と補足し、瀑布めいた勢いで放たれた艦砲ミサイルを即座に撃ち落とす。
その度に放たれる一撃は必至の如く、文字通り『必中の光弾』であった。
―――その光景はまるで夜空に咲き乱れる花火の様な、圧倒的で鮮やかな光景であった。
艦砲を全て狙撃したストライクは悠々と着地し、周囲を見渡す。


「‥‥‥と、後は有象無象か」
しかし、ストライクのエネルギーが底を尽きかけている。
何時、PS装甲がダウンしても可笑しくは無い。
にじり寄り、背中のミサイルランチャーで掃射するバクゥ。
瞬時にストライクのレバーを踏み込み回避行動を取ろうとした―――だが、それは急迫するミサイルを撃ち落した地上からの火線によって阻まれた。
その砲撃により、無事な戦闘ヘリも瞬く間に撃墜されていく光景に俺は唖然としたが、すぐに事態を理解した―――『明けの砂漠』だ。


『そこのモビルスーツパイロット!死にたくなければこちらの指示に従え!』
この時―――窮地から救い出された俺はホンの一瞬でも、この金髪娘を女神様と思ってしまったのを恥じたのは言うまでもない。


『そのポイントにトラップがある!バクゥをそこまで誘き寄せるんだ!』
テレビの時と同様に女気のない男気質な口調に辟易した。
だが、大人しく従わなければならない。
繰り出されるバクゥの爪先を寸前に躱し、レーダーに表示された場所へと小刻みに翔けた。


「―――――」
敵に悟られない様に逃げる。
けれど、追い付かれない様に速度を上げ、爪先による襲撃を狙うバクゥを誘き寄せる不慣れな行動には骨が折れた。
そして―――残り二機のバクゥをポイントに誘い込んだのと同時に推進剤をフルに点火。
全力で空高く飛び上がった。
刹那、爆発―――穿たれた地面に陥没した二機のバクゥは凄烈な爆炎に飲み込まれた。


「―――――」
その凄惨な情景を淡々と見詰める。
俺は全身を縛る疲労と戦闘後の重圧に苦しみながら、鉛の様に重い瞼を閉じていった。
生憎と勝利の余韻に浸る気分にはなれなかった。








3/閑話








「この戦闘での目的は達成した。残存部隊をまとめろ」
バルドフェルドは戦闘の被害が及ばない、砂丘の陰に隠した指揮車へと歩き出した。
当初の戦闘の目的。
敵の戦力評価は達成された。
片腕を損失したボロボロの新型モビルスーツと地上に降りたばかりの戦艦を相手に―――。
最後に介入した勢力は別としても『砂漠の虎』の異名を持つバルドフェルドも、今回の様な戦闘は経験をした事はない。


「しかし。あのパイロット」
砂地に足を滑らせ、無様に地べたを這い蹲るモビルスーツが突如、敏捷な動きを魅せた。
間違いない。戦闘中に運動プログラムを書き換えたのだ。
その後は正に鬼神の如き強さを見せ付けた。
東洋の映画で垣間見た『手刀』という拳法でバクゥを倒し、片腕だけだというのにビームサーベル一本のみでバクゥニ機を一挙に撃破した。
それに一瞬の内に飛来するミサイルをライフルで撃ち落す鋭敏な手腕といい―――。
バルドフェルドは唸り、本当にナチュラルなのかという、疑念を抱いた。


「あれがナチュラルの仕業だと―――?」
バルドフェルドは皮肉気な笑みを浮かべ、そう遠くない未来において、奇妙な敵と再会を果たす事になるだろうと予想しながら、最後に彼は背後を見遣った。


「いずれにせよ、久々に手応えのある相手のようだな。大天使どの―――そして‥‥‥」
その視線の先には砂埃で煤けた背中を晒す、隻腕のモビルスーツの姿があった。








4/閑話








アークエンジェルとバギー集団『明けの砂漠』は戦闘地域に程近い場所で、夜が明けた直後に合流した。
アークエンジェルの外に出たマリューとムゥは、腰に銃を所持したまま大男達の前に警戒しながら踏み出した。
同時に恰幅の良い男が前に進み出る。同様に背後の男達が警戒しながら前に進み出た。


“どうやら、この大柄な男が集団のリーダーらしい”
リーダーと思われる男は値踏みする様な品の無い目で、マリューとムゥを見比べた。


「助けていただいてありがとう―――と、お礼を言うべきなのでしょうね?―――地球連合軍第八艦隊所属、マリュー・ラミアスです」
彼女の名乗りに、未だ幼さの残る少年が「あれ?第八艦隊ってのァ、全滅したんじゃなかったっけ?」という嘲笑にマリューは少年を睨みつけた。
目前のリーダーらしき男が少年の嘲りを制し、手を振る。


「俺達は『明けの砂漠』だ。俺の名はサイーブ・アシュマン‥‥‥礼なんざいらんさ、わかってんだろ?別にあんた方を助けたわけじゃない―――こっちもこっちの敵を討ったまででね」

「『砂漠の虎』相手にずっとこんなことを?」
傍らに立つムゥの呆れ声に、サイーブ・アシュマンはじろじろとムゥを凝視した。


「‥‥‥アンタの顔はどっかで見たことあるな」

「ムゥ・ラ・フラガだ―――この辺に知り合いはいないよ」

「へぇ『エンデュミオンの鷹』と、こんなとこで出会えるとはよ。しっかし、その傷はどうしたんだい」
多少呆気に囚われたマリューとムゥ。
指摘された頬の傷を摩りながら、ムゥは言葉を濁しながら答えた。


「ああ、これ?ん、まぁ‥‥‥男の勲章って奴かな」

「ふーん。なるほど」
それだけで、その傷跡の意味を汲み取った男はそれ以上の事は詮索せずして、話を戻した。


「―――それで、力になってもらえるのかしら?」

「話そうてんなら、まずは銃を降ろしてもらわねぇとな」
食えない笑みをベタベタと浮かべた男は、ハッチの影で伏せて置いた兵の存在にとっくに察知していたらしい。
マリューは片手を上げて、合図を出す。


「‥‥‥で?」

「アレのパイロットもだ」
サイーブが顎で指し示したのは、膝を折り、PSが消失したストライクであった。
マリューは短く息を吐き、ストライクに向き直った。


『ヤマト少尉!降りてきて!』
その直ぐ後に、外部マイクでマリューの音声を聞いたキラがラダーに捕まりながら降りてきた。
制服の襟元を緩めながら、歩き出す。
男達の間にどよめきが募る。


「―――おい、なんだよあの怪我?酷いもんじゃないか、あれでパイロットをやらせてるのか?」

「しかも、まだガキだぜ」
頭から片目に掛けて、包帯でぐるぐる巻きにされたキラの痛々しい姿を目撃し、その幼い容姿と相成り男達の中でアークエンジェルを非難する囁き声も聞えた。
その中で、大きく息を飲んだ金髪の少女がキラの前に飛び出した。


「お前‥‥‥!」
少女の突然の行動に驚く様相を見せず、どこか他人事のように見詰めるキラ。
緊迫する雰囲気。
固く握り締めた拳が振るわれようとしたが―――。


「‥‥‥殴らないのか?」

「‥‥‥怪我人を殴れるわけないだろ。馬鹿」
寸前でキラの頬に突き刺さそうとした拳を引っ込めた少女は、搾り出す様にして答えた。
少女は顔を上げ、問い質した。


「お前がなぜ、あんなものに乗っているっ!?」
親の仇でも見るかのような瞳。
睨み据える少女の眼光にキラは怪訝な表情を露にした。
けれど、すぐさま元のぼんやりとした顔つきに戻して答えた。


「‥‥‥さぁ、それを考えるのも。もう、止めたからな。敢えて言うと、愛機だからか」

「愛機?」

「そう、他に必要ないだろ“コイツに乗る理由”なんて‥‥‥」
その言葉を最後に彼は疲労のピークに達したのか、皆が唖然とする中、仰向けに仰け反りながら盛大にぶっ倒れたのであった。