オレはいつも見る夢、真っ白い平原をずっと歩いていた。どこまで行って白い景色は変わらず、足元の草も空も真っ白なのに景色として認識できてる。
誰かの声が聞こえた。
(〈リース〉?〈レゥ〉?)
あたりを見回しても声の主は見つからない。オレは諦めるとまた歩き出す。今度はよりはっきりと聞こえた。聞き覚えのある大人びた女性の声。
(〈リース〉?)
そうだ、大事なことを忘れていた! オレは〈リース〉を見つけ出し早く治療を受けさせないといけない。だけど辺りを駆け回り探せど探せど彼女はいなかった。
(〈リース〉、どこにいるんだよ!)
足元を気にせずに歩いたせいで石に足をひっかけ転げた。オレは仰向けになり白い空を眺める、相変わらず白く変化がない。
オレは荒い息が吐き出し再び彼女を探そうと起き上がる。
起き上がった少し先に彼女が立っていた。
(〈リース〉、良かった! 早く治療しないと!)
彼女は寂しげな笑みを浮かべているだけで何も言わない。オレは近づこうとするけど彼女は来るなというように首を横に振った。
(どういうこと?)
彼女は何も言わない。
ただ寂しそうに微笑んでいるだけだった。そうこうしているうちに彼女の身体が白い風景に溶け込んでいく。
オレは慌てて駆け寄り手を伸ばし〈リース〉の手を掴んだ。柔らかさを一瞬感じたけどオレの手はそのまますり抜けた。
(え?)
そのまま彼女は消えてしまった。それと同時に世界が歪んでくる。真っ白い世界に亀裂が入り、差し込む光が眩しかった。オレは慌てて眼をつぶりその眩しさから眼を守った。
My Merry
May
“蝉 時 雨”
─ Lease, after that ─
Vol. IV
(12)レプリスという名の存在
オレは閉じた瞼に光を感じそっと目を開けてみる。
オレの部屋でもない、たえさんの部屋でもない見知らぬ清潔な白い部屋。窓からは光が差し込み、開けられた窓から蝉の鳴き声が聞こえた。
「恭介! 気づいたか!」
その聞き覚えのある声に視線を向けるとドアを開けた状態でアニキが立っていた。
「あれ? どうしてアニキがいるんだ? それにここは何処?」
オレはだるい身体を起こす。あれほど出た咳や全身の痛みは全くなかった。オレのそばにアニキがやってきた。
「俺はお前のメールを見て飛んできた」
「メール? オレ送ってないよ。電話が通じなくてメールを送ろうと思ったけど途中で意識が切れて……って〈リース〉!」
オレは大事なことを思い出した。〈リース〉の治療をしなきゃいけないんだ。ベッドから飛び起き、アニキに掴みかからんばかりにすがりついた。
「アニキ! 〈リース〉の治療をしてくれよ! 早くしないと彼女が、酷い怪我なんだ」
「恭介、落ち着け。後ろを見てみろよ」
アニキはやれやれといった感じで頭を掻き、顎をしゃくってオレの後ろを指し示した。
「え?」
オレは慌てて後ろを向いた。オレのベッドの隣にゴテゴテと機械を取り付けたやたらゴツイ、ベッドのようなものがあった。駆け寄りガラスになった部分を覗き込む。
結露で真っ白になっていたのでパジャマの袖で拭い中身を確認する。あのカプセルにいた〈レゥ〉のように全裸の〈リース〉の身体が横たえられ浮かんでいた。
「〈リース〉!」
彼女を観察し緩やかに胸が動いていることを確認したオレは安心したせいで力が抜けへたへたと膝をついてしまった。
「良かった、〈リース〉、良かった」
自然と涙が出てくる。拭いても拭いても涙が止まらなかった。自分の愚かさから失ったと思った彼女がここにいる事にオレは何度も神様に感謝した。今、彼女がここにいる、それだけで涙が止まらない。
そんなオレに何も言わずアニキはオレとベッドを見ていた。落ち着いた頃を見計らってアニキが声をかけてくる。
「恭介、無理するな。まだ寝てろよ」
「大丈夫だよ、アニキ、〈リース〉は治るんだよな?」
「心配するな、オレを誰だと思っているんだ? わ……」
アニキお得意のセリフだった。
「渡良瀬恭平だぜ、だろ?」
少しだけ格好つけて後に続くセリフを言った。
「……おい、人のセリフを取るなよ」
アニキはオレの側にくると髪をくしゃくしゃに掻きまわした。
「でもさ、メールって誰が出したんだ? 〈リース〉は行方不明だったし」
「〈リース〉だ。お前の応急処置をしたあとの状態がしっかり書かれていた。おかげですぐにお前の手当てが出来たよ」
「え?」
アニキのセリフにオレはビックリした。いつの間に戻ってきたんだろう? そんな風に思ったけど〈リース〉がオレを助けてくれたのは間違いなかった。オレが彼女を助けるはずだったのに立場が逆転している。自分の情けなさに再び涙が出そうだった。
「〈リース〉はお前に寄り添うように倒れていたよ。しっかりお前の手を握ってな」
「オレの手を?」
「ああ」
オレは起きる直前に見た夢を思い出す。寂しそうな笑顔をしていた〈リース〉の手を握った時、暖かさを感じた。改めて自分の手を見直してみるけどいつも通りのオレの手だった。
オレは〈リース〉が入っているベッドを覗き込む。静かに眠る彼女の顔に変化はなかったけど何となくあの寂しい笑みを見たような気がする。
「〈リース〉は3日もあれば出られるさ、それより恭介……」
オレはアニキの言いたいことが分かったので素直にベッドに戻ろうとする。
「わかった、寝ているよ。なあ、アニキ。オレの身体おかしいのか? いきなりこんな状態になったんだけど」
「ああ、お前の身体はお前が思っている以上に弱い。だからちゃんと言うことを聞いてくれ。じゃないとまた〈リース〉を泣かす事になるぞ」
「ごめん」
「それは〈リース〉に言ってやれ」
オレは〈リース〉の隣にあるベッドに潜り込もうとしたところで気づいた。オレがアメリカに行こうと思った理由。
「アニキ! 〈レゥ〉は? アイツはどうしたんだよ!?」
「いいから寝てろ」
底冷えのする声色でそう言ってアニキはオレの顔を見る。
「だけど!」
アニキの沈痛な表情と雰囲気にオレの背筋が凍った。最悪の事態、〈レゥ〉は……アイツはもういないのか?
「う、嘘だろ。ならあの時オレを〈レゥ〉に逢わせてくれなかったんだよ!」
「知っているのか?」
アニキの冷静な声が聞こえる。
「〈リース〉から聞いた。〈レゥ〉を助ける為にオレを逢わせなかったんだろ! でも〈レゥ〉はオレに逢いたがっていたって。助けられなかったなら……意味ないじゃないか!」
アニキの顔を呆然と見ていたけど、怒りが込み上げてきた。アニキの胸倉を掴んで怒鳴った。
「助けられないんだったら……なんでそんなことをしたんだよ!! オレが逢った方が助かる確率が高かったんじゃないのか? 答えてくれよ、アニキ!!」
今までアニキと喧嘩したことなんてなかった。いつもアニキがオレの我が侭を聞いて苦笑しながらも聞いてくれたんだ。いつもオレのことを考えて行動するアニキ。
アニキはオレを思ってそうしたのは分かっているけど止められなかった。そんなオレの背後から声がかけられた。
「だめ!! おにいちゃん、けんかはだめなのー!!」
「なんでだよ〈レゥ〉! アニキはオマエを見殺しにしようとしたんだぞ!」
「それでもけんかはだめなの!」
アニキを庇う〈レゥ〉の声を聞いて益々オレの怒気が高まった。
……って〈レゥ〉の声?
(え?)
何かがおかしかった。後ろから〈レゥ〉の声か聞こえてきた。
変だ、何か、変だ。死んだはずの彼女の声がなんで聞こえる?
もしかしてオレも死んでいてここは───大霊界?
「……へ? 〈レゥ〉?」
オレはアニキの胸倉にかけてある手をはずしは後ろを向くと〈レゥ〉が立っていた。
大きな瞳に涙をいっぱい溜め泣きそうな顔と姿はオレの知っている〈レゥ〉そのものだった。
目の前の現実にオレは混乱してしまう、〈レゥ〉はアイツは死んだんじゃなかったのか? また力が抜けて意識が白くなっていく。
「恭介!」
倒れかけたオレをアニキが支えてくれた。〈レゥ〉が駆け寄ってオレに抱きついた。彼女が抱きついてきた時に感じる干草を干したような暖かい日向の匂いは記憶のままだった。
「おにいちゃん! しんじゃやだ!」
「れ、〈レゥ〉? 死ぬのはオレじゃなくって、お前が死んだんじゃ……」
「もうもう! かってにわたしをころさないでよう!」
オレの言葉に目の前の〈レゥ〉は頬を膨らませて怒っている。いまだに思考が回ってない。
「え? どういうこと?」
オレは視線を身体を支えてくれているアニキに向ける。サングラスに隠れた目が笑っているようだった。
「「そういうこと」」
アニキと〈レゥ〉は同時にそう言うとおかしそうに笑った。
「さ、詐欺じゃん、ソレ」
オレはそれだけ言うとまた視界が白くなった。でもそれは全然不快じゃなく、むしろ心地良さを感じたオレは安心して眼を閉じた。
* * * * *
数分後、再度目覚めたオレは心配して泣きじゃくる〈レゥ〉の頭を優しく撫でながら詳細をアニキから聞いていた。
「はぁ……アニキ。どうしてこういう事をしたのか聞かせて欲しいんだけど?」
オレの不満を押し殺した声にアニキは苦笑している。
「すまんすまん、恭介。〈レゥ〉と感動の再会をさせてやろうと思っていたんだが……タイミングがずれてな。ま、今までの説明はするから」
さすがにやりすぎたと思ったのかアニキは素直に頭を下げている。それに感動の再会はともかくタイミングってなんだよ。
(まったく、病人に向かってやっていい事と悪いことが……)
オレは内心でぶつぶつ言っていた。でもそれ以上に〈レゥ〉が生きていた事が嬉しかった。指に感じる透き通るような色をしたさらさらの髪が酷く懐かしい。
「俺が説明するその前にだ。〈レゥ〉、恭介に言いたい事があったんじゃないのか?」
「うん、おにいちゃん。いっぱいいっぱい、ごめいわくかけてごめんなさい」
アニキに言われた〈レゥ〉は頭をなでていたオレの手をとって握りしめるとそう言って頭を下げた。
「いいよ、別に。お前が元気ならオレは気にしないから」
「ほんと!?」
「ああ」
オレは〈レゥ〉を安心させるように大きく頷いた。本当に彼女が生きていたってだけで嬉しかった。もう2度と逢えないかもしれないと思っていたから。
「それとね、んとね。〈レゥ〉、おにいちゃんといっしょにいていいの?」
相変わらず舌ったらずな声と少し怖れの混じった表情を浮かべ〈レゥ〉はオレを見ている。そして握っているオレの手をぎゅっと強く握りしめた。そうすればオレがずっとそばに居てくれるというように。
「なに馬鹿なこと言ってるんだよ、当たり前だろ」
「おにいちゃんはずっと〈レゥ〉のおにいちゃんでいてくれるの?」
「ずっとね」
「ほら、〈レゥ〉、俺の言った通りだったろ」
それまでオレと〈レゥ〉の会話を聞いていたアニキが口をはさんできた。オレの返事を聞いた彼女は泣いてる。
「うん、うん。きょうへいさんと、たまむらのおじちゃんがいったとおりだった」
〈レゥ〉の落ち着かせるように頭をなでる。こうして頭を撫であげるのは何回目のことだろう。夜泣きした時も、嬉しくておねだりした時も、みさおちゃんにレプリスだというのがばれた時も、こうしてずっと撫でていた。
「たまむらのおじちゃんって?」
オレは〈レゥ〉の言葉に見知らぬ名前がある事に気づき聞いてみた。それには彼女ではなくアニキが答えた。
「ああ、レプリスの設計者の一人だ。感情や情緒の研究を行っている人で、レプリスの情緒機能の基礎設計は彼が創った。とても優秀な技師で俺たちは尊敬を込めて玉村先生って呼んでいる」
「そうなんだ」
オレはその人にもお礼を言わなきゃいけないよな。たぶん、オレの言葉だけじゃ全然〈レゥ〉には足りないと思うし。
「おにいちゃんがごびょうきってきいたときにね、おじちゃんがおかおをみてこいって。そうすれば〈レゥ〉のもやもやもなくなるって」
“たまむらのおじちゃん”のことを思い出したのか〈レゥ〉は嬉しそうに話している。〈レゥ〉は人見知りしないから誰とでも仲良くなれるんだよな。オレはけっこう人見知りするからそういう意味では彼女が羨ましい。
「それとね、きょうへいさんが〈レゥ〉がおねむのあいだずっとおはなししてくれたの」
(へぇ、このアニキがねえ……どんな話したんだろ)
オレは〈リース〉の処置ベッドの調整ををしているアニキを横目に見ながらそんなことを思った。
「へえ、どんなこと?」
「うん、おにいちゃんのちいさいころのおはなし」
「げ、そんなこと話したの?」
「ああ。多分〈レゥ〉が一番知りたいことだからな」
アニキがずれたサングラスをくいっと上げながら笑っている。
「おにいちゃんもやっぱり〈レゥ〉とおんなじだったんだね」
「へ? オレとお前が」
オレがそう言うと〈レゥ〉は嬉しそうに大きく頷いた。彼女と同じってどういこう事だろう? そういえば夜祭に描いた絵の時もオレと同じって言っていた。それにあの時の絵にはオレと〈レゥ〉の目は赤く描かれていたけど……。
「うん、さみしんぼさんだとか、よわよわだとか。あと、おつむがよくないとか!」
「おつむが良くないのは余計だ!」
オレはその言葉に憮然としてしまう。自分でもそう思っているとはいえ、面と向かって言われれば不愉快になろうってもんだ。それがお子様な言動の〈レゥ〉に言われればなおさらだった。
「えへへへへ!」
〈レゥ〉はオレに向けて向日葵のような満面の笑みを浮かべた。やっぱり彼女には笑顔が良く似合っている。塞ぎ込んで寂しそうにしているなんて似合わないんだ。そんなことにも気づいてやれなかった。
「おい、〈レゥ〉。本当はお前、凄い頭が良いんだぞ。覚えた事は絶対に忘れないし、覚えた瞬間から高いレベルでの応用が可能なんだから」
「そうなのー?」
情けなさそうな顔をしてアニキが〈レゥ〉に言っている。アニキ曰く、Pmfhは世界最高の出来って自慢げに言っていたしな。まあ今の〈レゥ〉の言動を見ればその自信もなくなるんだろうけど。
「ああ、恭介より頭が良いんだ、勉強して教えてやってくれ」
「ほんと! じゃあ〈レゥ〉いっぱいおべんきょうしておにいちゃんにおしえる!!」
「勘弁してよ、アニキ」
〈レゥ〉に勉強を教えられている自分を想像してちょっと情けなくなった。オレのうんざりしたような声と表情を見たアニキが呆れたような表情を浮かべた。
「ん? レプリスの勉強するんだろ。お前にはこれから絶対に必要になる。彼女たちがヒトという存在であったとしてもな」
アニキの言う事はもっともだった。レプリスと呼ばれる彼女たちのことをほとんど知らなかったオレは、そのせいで〈レゥ〉を失いかけた。その存在をより知る為に技術開発者であるアニキに教えを乞い勉強しなければならなかった。
「そうだね、今回はいろいろ考えることがいっぱいあったから」
「なーら、勉強するんだな。〈レゥ〉や〈リース〉と一緒に」
「え? でも〈レゥ〉は」
オレはアニキの言葉に耳を疑った。〈レゥ〉や〈リース〉と一緒にってことは!
「お前、なんの為に〈レゥ〉を連れてきたと思っているんだよ。ようやくオヤジからOKが出たんだ、2人をお前の元に置いておくって話」
「マジ!?」
その言葉にアニキとオヤジには感謝してもしきれないくらいだった。特にアニキにはまた迷惑をかけている。でも2人と一緒に居られる事は本当に嬉しかった。これからも〈レゥ〉や〈リース〉と一緒に暮らしていけるんだ。
「ああ、説得と逢うのに時間がかかってな。オヤジは今、レプリスの量産と存在を各国に認めさせる為に飛び回っているんだ」
「相変わらず忙しいんだな、オヤジ」
そういえばオヤジの顔をどれくらい見てないんだろう? 今回の件のお礼も含めて1回オヤジに逢いに行った方が良いんだろうな。
「ああ、レプリスを人間の単なる奴隷にしない為に頑張っているよ。オヤジは彼女たちを“人間がより幸せになる為のパートナー”として開発したんだからな」
(パートナーか、〈レゥ〉と〈リース〉はそうだよな)
明るく元気な〈レゥ〉の存在は寮のみんなに愛されていた。彼女の表裏のない性格や行動を見ていると微笑ましくなり気持ちが明るくなった。おそらく他の人間も同じ思いで〈レゥ〉を見ていると思う。〈レゥ〉と話す彼らにも常に優しい笑みがあったから。
〈リース〉もこの2ヶ月ですっかり寮の一員として認められている。阿見寮という辺鄙な環境の中で助け助けられオレや皆と暮らしていた。
そんなことを考えていたオレの気持ちに水を差す様にアニキは言葉を続けた。
「それとな今回はPmfhを同一箇所で複数を稼動させた場合のテストを兼ねているんだ」
「アニキ、だから物扱いは……」
オレは相変わらず〈レゥ〉や〈リース〉を物扱いしようとするアニキに釘を刺す。
「すまん、すぐに適当な言葉が見つからないんだ。でもそれがオヤジの条件なんだよ」
「わかったよ、でもテストってなにやるの?」
「生体間リンクだ」
「生体間リンク?」
オレはその聞きなれない単語に首をかしげる。ネットワークは知っているけど生物の間にネットワークを張り巡らせるというのがイマイチ想像できない。その表情を見てアニキが分かりやすいように説明してくれた。
「ああ、分かりやすい言い方をするなら“テレパシー”だ」
「それってニュータイプ?」
「なんだそれは? 何が言いたいのか分からないがPmfhに搭載した機能だ。個体間に目に見えないネットワークを張りめぐらせてある。その利用法の一つが代視だ。オレが最短時間でこいつを見つけ処置できたのは〈リース〉が代視を使って〈レゥ〉の目が見ている景色から場所を特定したからだ。そのおかげでこいつは助かった」
そう言って〈レゥ〉の頭をポンポン叩いている。
「それは〈リース〉から聞いてるけど」
「きょうへいさん、〈レゥ〉にも、〈レゥ〉にもおはなしさせてよー!!」
そう言って〈レゥ〉が会話に割り込んできた。けっこう退屈だったのかもしれない。アニキが苦笑しながら〈レゥ〉のお願いしているし。
「わかった、わかった。じゃあ恭介に説明してくれ」
「うん!」
* * * * *
場所は自然公園内にひっそりと立っている廃屋。恭平は錆の浮いたドアを押すと、ギギッと嫌な音を立てながら開いた。中は小さな明かり窓だけなので薄暗かった。
彼は目を慣らすように細めた後、周囲に視線を走らせる。そして自分の足元に目を向けると探している〈レゥ〉のピンクのカバンが落ちているのに気づいた。その周りには彼女の持ち物が散乱している。
「これは……やはりここか。〈レゥ〉、探したぞ」
「きょう……へい……さん? えへへへ、みつかっちゃ……ったんだ」
「帰るぞ、恭介が待っている」
恭平は薄暗いにも関わらず危なげない足取りで〈レゥ〉に近づいていく。そして予想通りの状態になっていることを確認した。
壁にもたれるように寄りかかっている〈レゥ〉。彼女の身体に左腕はなかった。少し離れた場所に肩から脱落したそれは寂しそうに転がっていた。右足もおかしな方に向いていた。
今の彼女は自身の存在意義が揺らいだ為、身体の崩壊が始まっていた。そして壊れたマネキンのように放置されている、そんな感じだった。
「おにい……ちゃんは……来てくれな……かったんだね、それだけが……〈レゥ〉のさいごの……きぼうだった……のに」
〈レゥ〉の口から小さくため息が漏れた。
「恭介は病気でお前の元にこれない」
「う……そ、きょうへいさんの……うそつき」
「嘘じゃない、恭介は病気なのにさっきまでお前を探していたんだ。今は疲れて寮でお前を待っている。ほら我侭を言うな、帰るぞ」
「いや、〈レゥ〉かえ……らない、ううん……かえれない……よう」
〈レゥ〉は涙声のまま小さく頭を振った。涙の雫が飛んで床に跳ねた。
「どうして」
「いっぱい……いっぱいごめいわくを……かけちゃったし〈レゥ〉のいばしょはないもん。それにおにいちゃん、〈レゥ〉をいらない……っていうかも。」
「絶対に恭介はそんな事は言わない」
「いう……かも……しれないもん」
恭平の断言を信じないというように、いやいやをするように〈レゥ〉は頭を振る。その度に彼女の眼に浮かんだ涙がこぼれ床を濡らしていく。
その言葉を聞いた恭平は少し苛立たしげに〈レゥ〉を見た。
「〈レゥ〉、仮にだ、恭介がお前の事をいらないと言っても阿見寮にはお前のことを必要としている人達がいるんだ、それは知っているだろう! あそこがお前の居場所なんだ」
「いないもん!」
「どうして!? 杵築さんは! 恭介の友達たちは!」
すべてを否定しようとする〈レゥ〉の言葉に常に冷静な恭平が激高していた。
「きっと……〈レゥ〉のことなんてなんとも……おもってないよ。それに〈レゥ〉は〈レゥ〉は……っ!」
そして〈レゥ〉はありったけの力をこめて恭平に言った。
「おにいちゃんにだけひつようにされたいんだもん!」
血を吐くような〈レゥ〉の悲痛な言葉。すっかり意固地になっている彼女に恭平の言葉は届いていない。それを理解した彼は奥の手を使うことにした。
「わかった、じゃあ恭介がお前を必要としている証拠を見せてやる! いいか、〈レゥ〉、恭介の顔と声を思い出すんだ」
「おにい……ちゃんのお……かおと……おこえを?」
「そうだ。目を瞑ってあいつのことを思い出せ」
「うん……わかった」
そう言って〈レゥ〉はそっと目をつぶった。少しするとすべてを否定し絶望の表情を浮かべていた彼女の顔に安堵にも似た表情が浮かんだ。ずっと探していた待ち人を見つけた、そんな感じだった。
「ほん……とだ、おにいちゃんの……おこえとおかおが……みえる……」
じっと何かを聞くように静かに、長いまつげをを震わせた。何かに聞き入っていたがしばらくするとまた涙が溢れて彼女の頬を濡らしていく。
「おにいちゃん……おにいちゃんは……そんなふうに……おもって……いてくれたんだ」
〈レゥ〉のすすり泣きが聞こえた。恭平は近寄ってそっと彼女の頭を撫でた。彼の内心も色々な感情が渦巻いているのか、恭介が行うそれよりずっと優しかった。
「きょうへいさん……〈レゥ〉、おにいちゃんに……あいたいよ。ずっといっしょに……いたいの、それはだめなことなの?」
あとからあとから流れる〈レゥ〉の涙が零れ自分の服を濡らしていく。
「心配するな、必ず逢わせてやるから。一緒にいられるようにオヤジにもかけあってやる。だがその前にお前の身体を治さないとな。このままだと恭介がびっくりして気絶する」
恭平は自信に溢れた口調でそう言い、〈レゥ〉をそっと抱き上げた。その行動で〈レゥ〉の瞳から零れた涙が恭平のスーツを濡らした。
「うん、そうだね。きょうへいさん……おしえて。おにいちゃんは……なんで〈レゥ〉を……わたしをきどうさせたの」
「多分、寂しかったんだろうな。俺やオヤジは構ってやれなかったから。だから恭介はお前にずっと一緒にいられる妹を、家族を求めたんだろう。〈リース〉とは違った意味でお前は恭介に必要とされ、愛されている。俺からも頼むよ、ずっとあいつの側にいてやって欲しいんだ」
「……うん」
〈レゥ〉は小さくそう言うと気を失った。恭平は興味深そうに彼女の顔を一瞥し外に向けて静かに歩いていく。寝ている〈レゥ〉をおこさないように、傷つけないようにそっと。
廃屋から出ると外には〈リース〉が待っていた。
「〈リース〉、ご苦労だった。〈レゥ〉の荷物と腕を頼む」
「はい、恭平様」
彼の言葉に〈リース〉は頷くと廃屋に入っていき、すぐに鞄を持って出てきた。
恭平は携帯を取り出しどこかに電話をかける。
「恭介は?」
電話をかけ終えた恭平は脇に控えている〈リース〉を見た。彼女は軽く頷くと今までの経過を説明した。
「はい、やはり限界だったようで。処置をして阿見寮にお送りしました。現在はお部屋で寝てらっしゃいます」
「そうか、あのバカ、無茶しやがって。じゃあ〈レゥ〉を国立生化学研究所に搬送する。手伝ってくれ」
「はい、かしこまりました」
恭平が先頭を歩き、〈リース〉がその後に続く。公園の入り口にはタクシーが待っているはずだった。
「ごめんなさい……〈レゥ〉」
〈リース〉の小さな呟きは誰にも聞かれずに夜の公園に吸い込まれていった。
* * * * *
「そしたらね、“ぴっきゅーん”っておとがしてね、おにいちゃんのおかおがみえて、おこえがきこえたの」
〈レゥ〉の説明が続いている、拙い話し方ながらもアニキのフォローのおかげもあって大体の事情が分かった。
「オレの声と顔が?」
「ああ、〈レゥ〉が拒否することは予想できたからな。あらかじめ〈リース〉が映像を送り込むように準備しておいた。予想通り拒否したからな、〈リース〉の記憶映像を〈レゥ〉に送り込んだ。“ぴっきゅーん”はリンク接続音だ」
「そうなんだ」
アニキと〈レゥ〉の話を聞いて再度、レプリスと言われる存在が人間と違うことにびっくりする。〈リース〉はともかく〈レゥ〉にそんな事が出来るとは思わなかった。
「で、〈レゥ〉、オレはなんて言っていたの」
「んとね、〈レゥ〉のことをね、“だいじないもうと”、それと“だいじなかぞく”って」
「あれ? それって」
どこかで聞いた言葉にオレは頭を捻った。
「あとねあとね、もっとうれしかったのは……おにいちゃんが“ずっといっしょにいたい”って……いってくれたことなの」
〈レゥ〉はオレの手をぎゅっと握り、彼女の瞳はずっとオレの顔に向けられている。その真摯な眼差しに顔が赤くなってしまう。オレは彼女の視線に応えてあげたくて滑らかな白い頬に手を伸ばしそっと撫でた。
嬉しそうに〈レゥ〉がオレの手に自分の手を当て目を瞑っていた。好きな人のそばにいられる嬉しさを噛み締めている、そんな風に見えた。その顔はほんの少しだけ大人びていて、〈リース〉の顔とだぶって見えた。
その顔を見てそのセリフを誰に言ったのか思い出した。
「あ、それって……」
「あの時、お前が〈リース〉に言った言葉だよ。俺にも同じ事を言っているが俺は代視なんて出来ないからな。彼女の記憶から転送させた」
〈レゥ〉は撫でられたことに満足すると、続きを話し出した。
「おにいちゃんのおこえをきいたらね、むねのおくがあったかくなって、もっともっとおにいちゃんといっしょにいたいっておもったの! そしたら、おからだのいたいのがなくなってそのままおねむしたの」
「俺は意識を失った〈レゥ〉を連れてここ、津久見市にある国立生化学学研究所で応急処置をしたあとアメリカのラボに送って治療を開始したんだ」
「ここがそうなんだ」
オレはあたりを見回す。研究所って言っていたけど普通の病院と同じだった。窓の外には緑も多く、津久見市のシンボルとなっている山も見えた。
「ああ、内密だが日本の厚生保健省とタイレルの出資している場所だからな。安心して〈レゥ〉の応急処置や〈リース〉とお前の治療が出来る」
そう言ってアニキは〈リース〉の入っている処置ベッドを見た。
「厚生保健省って……レプリスは認められていないんじゃないの? ニュースでもレプリスの存在がどうのこうのって言っていたけど」
「おいおい、お前の隣にいるのは何者だ? お前は素直で良いなあ、恭介」
「それってオレが単純ってこと?」
オレの隣にいる〈レゥ〉を見たあと、疑問の言葉には何も返さずにやりと笑うアニキ。無言が肯定を意味しているようだ。自分で分かっているだけに悔しい。
「日本政府自体はレプリスとレプリス技術の存在を認めている、じゃなければ日本を含めた先進各国がタイレルに莫大な資金を援助したりしない。未だに認めていないのはレプリスが人型をしているからだ」
「どういうこと?」
オレの疑問にアニキはこう答えた。
「簡単だ、人間が人間型の生物を使役することに反対の声があるからだよ。彼らはレプリスを何でも言うことをきく奴隷だと思っているんだ。人道、尊厳を持ち出してきて反対している。人型だから“奴隷”ね、俺たち開発者からすればあまりにも単純かつ直線的な発想で羨ましいくらいだ」
そう言ってアニキは苦笑し頭を掻いている。そして真面目な表情を浮かべると語りだした。
「レプリスは人間のパートナーという開発理念があるがあくまでも道具だ。例えるなら車などと一緒で(自立機能を有してはいないが)人間の言うことを何でもきく。その道具を奴隷とは言わないだろう?」
「確かにそうだけど」
オレは道具と言い切っているアニキの顔を見た。その顔は真剣で真面目に本気でそう言っていた。今ここにいるのはレプリスを道具として割り切り研究を続ける開発者の渡良瀬恭平だった。
「道具を使用するのはあくまでも人間なんだよ。レプリスを得た人間の心持ち次第なんだ、パートナーにするのか奴隷にするのかはな。彼女たちは何色にも染まっていない、その色を決めるのは人間だ。
それに“奴隷”とは同次元の存在を下位に置き、貶め、尊厳を無視されている存在のことをいう。道具という別次元に属しているレプリスに適用する言葉じゃない」
アニキの言葉は開発者としての見地からレプリスを道具として割り切ってみていた。オレはそれに不快感をもったけど、アニキにはアニキの立場があるので黙っていた。それにアニキの言葉には一端の真実が含まれているから。
「人型とはいうのは便利な反面、人型ゆえに人間にさまざまな影響を与える。その存在を扱うということは人間としての在り方にも関わってくる。しばらくはこの問題で日本の認可はおりないだろうな」
アニキは疲れたような溜息をついて窓の外を見た。蝉の鳴き声は相変わらずしている。
「いろいろ大変なんだね、アニキも。オレは〈レゥ〉や〈リース〉を奴隷や道具とかそんな風には見れないよ」
「まあ、人それぞれの見方と真実があるんだ、お前はお前の気持ちと真実を信じれば良い」
そう言ってアニキは俺の髪をくしゃくしゃにしてもう一つの疑問を説明してくれる。
「それと政府の発表はマスコミに対する牽制だ。いいか恭介、この世界は嘘と欺瞞で満ちているんだ。与えられる情報がすべて真実で出来ていたらそれこそ嘘だ。だたその嘘と欺瞞の中には少しだけ真実が含まれている。その真実を見つける事ができないと駄目だ」
オレはアニキの言葉に苦笑してしまう。世の中の人間のどれくらいが真実というものを見つけられるのだろう? オレみたいなその日を生きるのに精一杯な人間にそれは可能なのか本気で悩んでしまう。
「そんな簡単に見つけられたら苦労はしないって」
「まあな。だから自分を磨き、高めろってことだ。じゃないとヒトとして存在している〈レゥ〉と〈リース〉に見捨てられるぞ」
「うっ!」
アニキはそのシーンを想像して冷汗をかくオレの表情を見て軽く笑ったあと、話を続けた。
「ついでだからもう少し話しておくが〈リース〉が短時間でお前の好みや望むような態度を違和感なく出来るようになったのも生体間リンクを利用しているんだ」
「そうなの? 確かに〈リース〉といたのはたった数日なのにずっと以前から一緒にいたようにオレの相手をしてたから不思議だと思ったんだけど」
以前、不思議に思ったことをアニキが説明してくれるようだった。
「ネットワークを通して〈レゥ〉とデータの共有化を行ったんだ。Pmfhは経験値の高い個体のデータベースにアクセスし不足している情報取得を行う。〈レゥ〉が蓄積していたお前のデータベースを取り込んで〈リース〉は自分の経験にしたんだよ」
オレは〈リース〉が来てからのことを思い出す。〈リース〉があれほどオレが望むような態度が取れた理由が分かった。
「だからあれだけ早く対応出来たんだ」
「そういう事だ。基本的にPmfhは医療用だからな、情報の共有化は必須なんだ」
「どういうこと?」
「看護は専属で行えれば最適なんだがそうもいかないだろう? 人間も生物だからな、当然休息が必要だ。その間は他の人間が面倒を見なきゃいけない。
普通は数人がかけもちで多数の患者の面倒を見るが、看護する人数や看護される人間が多くなった場合、患者の知っているべき情報を知らない人間も出てくる」
アニキの長ったらしい説明を聞いて感じたことを口に出した。
「医療ミスがでそうだね」
「お、珍しく冴えているな恭介」
「珍しくは余計だよ」
「すまんすまん。で、人数が多くなれば情報の共有化は難しくなる。Pmfhの場合、この生体間リンクを使用することで、個体間の経験や情報のデータベースからデータを瞬時に取り込み情報の共有・均一化をおこなう。
これにより短時間で高レベルの医療従事者になることが出来るんだ。彼女たちは1回覚えれば二度と忘れないからな、最初に正確な知識を与えれば問題はない」
アニキの話を聞いてこの前のニュースで高齢化社会によって医療従事者が減って大変だとか言っていたのを思い出した。それを考えるとレプリスの存在って貴重なのかもしれない。穏やかで優しくて病人の相手を嫌がらない、むしろ進んで世話を焼こうとする性質はそういった仕事に向いていると思った。
(それに病は気からって言葉もある、〈リース〉や〈レゥ〉みたいな可愛い女の子に看病してもらった方が治りが早そうだし)
「代視もこの為にある。人間の情報取得のうち7割は視覚で占められている。他人の見ている物を代視で見る事で自身の状況判断を行い、判断力を養う事ができるんだ。
Pmfhは元から高い自立判断能力を持たせてあるが、この機能を使う事でより高い判断を行えるように訓練する事ができる。例えば手術などは多人数が押し掛けて様子を見るのは無理だろう?」
「言っている意味は分かるけど」
「そこでリンクを張った状態で代視を使い至近でオペの状態や技術を観察することで、文字やデータでは得られない見た目そのままの状態や雰囲気などの経験を積ませることができる」
「そんなことまで考えていたんだ、レプリスって」
「ああ、レプリス技術は拒否反応のない臓器移植用の素材を作ることが大本だ。俺たち技術者からすれば医療看護者としての価値はおまけみたいな物なんだがな。
それに“人間のパートナー”ってだけじゃ人間には認められないんだよ、道具ならなおさらだ。商品的価値がないと駄目なんだ、世知辛い今の世の中はな」
そう言ってアニキは皮肉気に口元を歪め笑った。あんまりアニキに相応しくない表情だと思った。
「ま、俺たちとしてはレプリスがどうなるのかはオヤジの努力に期待するしかない訳だ。
……それにしても相変わらず落ち着きがないな、こいつは」
そう言って退屈だったのかオレのパジャマのすそや手で遊んでいる〈レゥ〉を見て呆れている。
「きょうへいさんのおはなしはむずかしすぎるんだよう」
アニキにそう言われた〈レゥ〉はむくれてしまう。確かに説明ばかりだったから退屈だったのかもしれない。でも以前と変わらず元気なのは嬉しかった。
「〈レゥ〉が元気なのは良いことだよ。そういえば治療に随分かかったんだね、アニキ」
「ああ、〈レゥ〉のこの身体、Pmfh-000001のボディに拘ったからな。新しい処置ベッドを作ったりなんだかんだで、完全に修復するまでに2ヶ月もかかった。まあ処置ベッドは〈リース〉の役にたったから作った甲斐はあったんだがな」
そういってアニキは満足そうにごついベッドを見ている。
「どういうこと?」
「あの時〈レゥ〉の身体は見た目以上に崩壊が進んでいて、治すより新しく作った方が早かったんだ。すでに起動準備が出来ていたPmfh-000003のボディに遺伝子情報と記憶を移すなら3日、新しいボディを作って載せ替えても2週間で治る」
「何か問題があったの?」
アニキの言っている意味が良く分からなかった。それよりも〈レゥ〉がコピーできる存在だという事の方が驚いてしまう。アニキが言っているのは曖昧な心ですら複製が可能だと言っているのだから。
「おいおい、お前は〈レゥ〉に心があると言っていただろ。じゃあ当人と全く同じ記憶と遺伝子、仮に心もだ、新しい身体に移したらそれは当人だと思うか?」
アニキの例えを考えて見た。人間を丸ごとコピーした人間は当人かと聞かれているんだから……たぶん違うと思う。生物という存在は唯一であり丸ごとコピーできたとしてもそれは別人だと思う。
オレという存在は世界に一人しかいない以上、コピーできたとしてもそれはオレじゃなかった。何より唯一の存在がそう思っているのだから。
「え? それは……たぶん違うと思う」
「どうして? 全く同じ記憶、遺伝子をもっているんだぞ」
アニキはオレの顔を真剣に覗き込んでいる。
「うん、それでも違うと思う。だって生物は1回死んだらそれっきりだから。新しい身体に移したのは違う生物だとって……だから?」
「そういう事だ。だから000001のボディを手間暇かけて治したんだ。俺からすれば000003のボディに移した方が苦労が少なかったんだが。そうなったら……おそらくお前は〈レゥ〉が死んだと言うだろうから」
たぶんアニキの言っていることは合っていると思う。もしそんな事態になったらオレは新しい〈レゥ〉をあの緑萌える5月に生まれた〈レゥ〉とは違う存在としてみただろうから。
「ごめん」
「いいさ、俺はこいつの存在を見て信じたくなったんだよ、このボディに“魂”が宿っている事をな」
「研究者のアニキらしくないセリフだけど」
「ま、俺も生きているからな、たまにはそんな事を言いたくなるのさ。研究者といえどそれのみでは生きていけないんだ」
アニキはオレの言葉に肩を竦めて苦笑した。そしてしかめ面をするとこっちを見た。
「でもお前なあ、大変だったんだぞ。ようやく〈レゥ〉が治ったのは良いがお前に逢うのが怖いってゴネてたんだからな。説得するのに時間がかかったんだよ」
〈レゥ〉がオレを怖がるってどういう事だろう。さっきは逢いたいって言っていたのに。オレはやっぱり退屈で眠そうに眼をしょぼつかせていた〈レゥ〉を見た。
「〈レゥ〉、オレがこわいの?」
「うにゅ……うん、おにいちゃんにあうことがちょっぴしこわかったの」
「なんで?」
「だって、おにいちゃんには〈リース〉さんがいるから。〈リース〉さん、〈レゥ〉とちがってきれいだし、おしとやかだし、やさしいし。そんなひとがいたらやっぱり〈レゥ〉のこといらないっていうかもって」
「馬鹿、さっきも言っただろ、オレはお前の事が必要だし、大事な家族だ」
オレはほとんど触る程度に軽く〈レゥ〉の頭をこづく。
「うう、〈レゥ〉ばかじゃないもん!」
「馬鹿だ」
頬を膨らませ涙目になってオレを睨んでいる。それでもオレはもう一度繰り返す。
(バカで情けないのはきっと……)
「うーっ、ばかはおにいちゃんだもん!」
「そうだな、オレがバカだ」
(オレだから)
「ふぇ? おにいちゃん?」
自分のことだと思っていた〈レゥ〉が訝しげにオレを見ている。オレは彼女に笑いかけて手を伸ばす。
「あの時はお前の気持ちを考えてやれなかった、ごめんな」
「えっ? おにいちゃん?」
〈レゥ〉に逢ったとき自分に必要なのかとか色々聞こうと思ったけどやっぱりやめた。今はこの言葉だけで十分〈レゥ〉に届くから。
「〈レゥ〉、おかえり」
一瞬、オレの言葉の意味が分からなかったみたいだけど、すぐに理解して満面の笑みになり……。
「うにゃあ!!」
ネコのような声をあげるとオレの胸に飛び込んできて顔を擦り付けている。喉をごろごろ鳴らしてすりついている様子まるっきりは親に甘える子猫だった。
〈レゥ〉はオレの顔を真っ直ぐ見つめると目を閉じ軽く口をすぼめた。オレは彼女が何を求めているのかが何となく分かった。けどさすがにソコは〈リース〉に悪かったのでおでこにそっとキスした。
「えー! なんでそっちなのー、おくちじゃないの!?」
「妹にはお口にしないものなの! そっちは大事な人にする場所なの!」
「ぶう。そっか、だからおにいちゃんは〈リース〉さんのおくちにしたんだ」
〈レゥ〉は少しむくれたと思ったら今度はうんうんといった感じで頷いている。
「えっ!」
(な、なんで〈レゥ〉がそんなこと知っているんだよ)
「ちょっとまて。〈レゥ〉、なんで知っているんだよ」
「んとね、てれびでみたのと、たえさんがおしえてくれたの。こういうときにするんだって」
(たえさん、貴女って人は……まあ〈レゥ〉を女の子として教育をしてくれているんだろうけど)
オレは頭が痛くなる思いだった。この場合は礼を言うべきなのか文句を言うべきなのか、びめおいや、微妙だ。
「いや、それもそうなんだけど、オレが……」
「あ……。〈レゥ〉ね、〈レゥ〉ね、みちゃったの」
「みちゃったって……まさか?」
「えっと、その。おにいちゃんと〈リース〉さんが……ちゅ……ちゅっ……」
レゥは真っ赤になって俯いて指の先をツンツンと合わせている。何をそんなにテレているか大体分かるけど妹の教育上なんて言えばいいのか。そう思うとオレの顔まで赤くなるというか頬が熱い。
二人して顔を赤くして黙りこくっているオレたちを見かねたのかアニキが直接的な表現でフォローを入れた。
「ん、キスのことか?」
「や、きょ、きょうへいさん! そんなにはっきりいっちゃ……」
〈レゥ〉はアニキの露骨な言葉に耳まで真っ赤になっている、頭から湯気が出ないのが不思議なくらいだった。本当はオレの方が恥ずかしいはずなんだけど……すっかり蚊帳の外になっている。変に振られるとこっちが困るのでこのままの方が良いんだけど。
「べつにおまえが恥ずかしがる必要はないだろう。それとも〈レゥ〉もお年頃になったか?」
その様子を見てアニキが面白そうに〈レゥ〉をからかっている。
「きょうへいさん、からかわないでください!」
〈レゥ〉はつーん、と言った感じで視線をアニキから逸らしむくれている。オレはその姿に可愛らしさと微笑ましさを感じながら彼女に聞いてみた。
「でもさ、〈レゥ〉、あの時居たのか?」
「ううっ、ごめんなさい、みるつもりはなかったの。おにいちゃんがずっとおそとにいたから、おかぜをひかないようにって、もうふをもっていこうとしたら……」
〈レゥ〉の言葉に廊下に落ちていた毛布のことを思い出した。不自然なタイミングで落ちているから変だとは思ったけど。
「あ、じゃあ、あの落ちていた毛布はお前が」
「うん、おにいちゃんたちがもどってきたからあわてておとしちゃって。きょうへいさん、さきににげちゃうんだから、ずるいんだよ」
「へ? アニキまでいたのか?」
そういえばアニキも空港やさっき、それらしい事を言っていた。どうりで意味ありげなセリフが多かったわけだ。
「ん? たまたまだ」
アニキはしれっとした感じで言っているし。たまたまな訳ないだろうって。
「まったく、二人してデバガメかよ」
オレは呆れる思いで〈レゥ〉とアニキを見た。〈レゥ〉が好奇心に満ちた目でオレを見て聞いてきた。
「でばがめって……なになに?」
「〈レゥ〉は知らなくていいんだよ」
「うー、そうやってすぐ〈レゥ〉をこどもあつかいするんだからあ!」
オレの言葉に完全にむくれてしまった。
「ほら、〈レゥ〉。そうやってすぐにムクれるから子供扱いされるんだ」
アニキまで突っ込みいれているし。ますますむくれてしまう〈レゥ〉。
「むくれてなんかいません。もうもう! 〈レゥ〉はおかんむりなんだからね!!」
「ほらほら頭を撫でてやるから機嫌なおせって」
オレは本気で機嫌を損ねた〈レゥ〉にそう言って頭を撫でた。途端に嬉しそうに目を細め撫でられる感覚を楽しんでいる。ほんと、ネコ好きなだけに当人もネコ化するんだろうか。
〈レゥ〉は一頻り感覚を楽しむと撫でているオレを見つめた。
「〈レゥ〉ね、〈レゥ〉ね。おにいちゃんとずっといっしょにいられるなら“いもうと”でもいいの」
「え?」
突然〈レゥ〉が言い出した事に面食らってしまった。
「だって〈レゥ〉が“いもうと”ならおにいちゃんはぜったいきらいにならないし、ずっといっしょにいられるって、たまむらのおじちゃんがそういっていたの」
「別に妹じゃなくても嫌いになる訳ないだろ?」
「ううん、どんなにけんかしても“かぞくっていうきずな”をもっているならいっしょにいられるんだって。じぶんが“いもうと”とけんかしたときもそうだった、っていってたの」
「そっか」
「〈レゥ〉ね、〈レゥ〉ね、えらいえらい?」
「ああ、良い子だよ、〈レゥ〉は」
そのセリフと〈レゥ〉の笑みの中にあるかすかな寂しさを感じることが出来た。でも〈レゥ〉がそう決めた以上、オレには何も言えない。自分にできる事は彼女を寂しがらせず、妹として家族として精一杯愛することしかできないから。
オレは〈レゥ〉の頭を撫でたあと、そっと抱きしめてこのセリフを言う事しかできなかった。
───「ありがとう」って。
(13)バグと進化
〈レゥ〉はあの後、冗談めかして「おにいちゃんが〈レゥ〉におれいをいうなんて」と言った後、今まで逢えなかった分を取り戻そうとするかのように散々オレに甘えていた。そして疲れてしまったのかオレのベッドで丸くなって寝てしまっている。
アニキは〈レゥ〉がオレが起きるまでずっと心配でべそをかきながら側にいて看病していたって言っていた。ますます彼女に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「恭介、話の続きだがな〈レゥ〉には9人の姉妹がいるんだ」
「〈レゥ〉の姉妹って〈リース〉だけじゃないんだ」
「ああ、増加試作型も含めてだけどな」
「だから、アニキ。物扱いは……」
頭の良いアニキなのにこれだけ言っても分からないって不思議だ。研究者の視点みたいな物が染み付いているのかもしれない。
「分かった、分かった。話を進めるぞ? 現在稼動しているPmfhは〈レゥ〉〈リース〉以外に000003、000005、000007、000009の4人だ。すでに関係者の間に配置してモニターテストを行っている」
「残りの偶数番号は?」
空いている番号のことが気になったので聞いてみた。
「トラブルが起きた場合のスペアだよ。他の個体はおおむね問題なく稼動している。トラブルが起きて奇数偶数の2人を同時に稼動させているのはお前だけなんだ」
「うっ!」
アニキの言葉につい身を縮めてしまう。責めているという感じはしないけど何となくだった。
「そう縮こまるなよ、今回起きたトラブルは偶然なんだから」
アニキは身を縮めたオレを苦笑しながらみている。確かにあの時、落雷がなければこんな事にはなっていなかったと思う。だけどあのおかげでオレは今の〈レゥ〉と〈リース〉に逢えたんだし。
「さっきも言った生体間リンクのテストは単体でのモニターテストが終わった後にやるはずだったんだよ、それを一足先にお前のところでやるってことだ。最終的には全員を起動させ同時に稼動させてネットワークの負荷などを調べる。今のところ2人の間では問題がなさそうだが、稼動時間が少ないのでもう少し調べたいんだ」
アニキはそう言ったあと少し口篭りベッドで丸くなって寝てしまった〈レゥ〉を見た。
「それに……特殊な〈レゥ〉もいるしな。影響を見たいってのもある」
「特殊って……おかしいところはないんじゃないか?」
「おいおい、〈レゥ〉と〈リース〉はレプリスとしては規格外なんだぞ」
「あ、そうだね」
確かに心を得た〈レゥ〉と〈リース〉はレプリスとして見るなら規格外だった。アニキは窓際に寄り壁に背をつけると今までとは違う雰囲気で話し始めた。
「恭介、お前は〈レゥ〉が怖くないのか」
「〈レゥ〉が? どうして」
アニキの言いたいことがオレには分からない。〈レゥ〉のどこが怖いというのだろう?
「〈レゥ〉は存在自体がバグだ。そして彼女の中には落雷によって人格形成プロセスが損傷したバグによって“心”と呼べる物が出来、複雑な感情を得ている。
〈レゥ〉の存在とバグは心のある人間は当然だが、心や魂のないレプリスにまで影響を与えていくんだ、まるでウィルスみたいにな」
そう言ってオレと〈リース〉の寝ている処置ベッドを見た。
「アニキ、ウィルスって酷くない?」
オレの軽口にアニキは肩を竦めただけで何も言わなかった。そうして窓の外を見て続きを話し始めた。
「俺は正直、技術者として〈レゥ〉の存在が怖いよ。自分もそうだが一緒にいることで心のないレプリスにまで心という名の概念を与え進化を促すんだ、彼女は」
「言っている意味が分からないよ、アニキ。進化ってどういうこと?」
「〈レゥ〉は偶然起きたトラブルで心を得た。もしかしたら“魂”すら持っているのかもしれない」
いきなり魂とか言い出したアニキに面食らってしまう。そんなあやふやな定義を持ち出すような人じゃないのを良く知っているからだ。先ほど〈レゥ〉の治療の時に聞いた、
「俺は信じたくなったんだよ、〈レゥ〉のこのボディに“魂”が宿っている事をな」
という言葉はけっこう本気だったのかもしれない。
「〈リース〉はお前も知っている通りバグなど持っていない完璧なレプリスだった。だがお前や〈レゥ〉といることで生体間リンクを通して心と感情を学習しているんだ。彼女はすでにレプリスという範疇を逸脱している」
「〈リース〉が逸脱って」
〈リース〉が心を得たのはオレと〈レゥ〉と一緒にいたのが原因だっていうのか? アニキの説明を聞く限り〈レゥ〉から得たのは分かるけどオレからも取り込むっていうのが良くわからない。もしそうならオレは……?
(そんなはずはないよな、オレはオレだし。アニキの比喩なんだろうな、きっと)
「正直〈レゥ〉を見るまでここまで影響を与えるバグだとは思っていなかった、完全に想定外だ。それだけに予測がつかないから怖いんだ。どんな事態が起こるか、それは神のみぞ知るというやつだな」
アニキの言葉の間でシンと静まり返った部屋に窓の外から蝉の鳴き声が聞こえてきた。処置ベッドの低い稼動音と〈レゥ〉のかすかな寝息を掻き消し、存在を否定するように蝉の鳴き声は響いた。
「じゃあ〈リース〉は人間なの?」
「人間か……人間から痛みを伴って生まれた存在が人間だと仮定するなら、人間によって無から作り出された存在はヒトなのかもしれないな」
オレはアニキの言葉遊びと哲学めいた言葉に頭が痛くなりそうだった。
「なんか難しいね、言葉遊びみたいだ。じゃあ……」
「限りなく人間に近いヒトだ。〈レゥ〉はバグにより偶然にそうなった突然変異個体だが〈リース〉は〈レゥ〉のバグすら取り込んで学習し進化していく。人間に限りなく近い存在、それが今の〈リース〉を現すのに一番あっている。
最終的に〈レゥ〉に追いつくのか、それ以上の存在になるのか分からない。もしかしたら人間にはなれないのかもしれないし、なれるかもしれない。もっとも〈レゥ〉も成長していくから永遠に追いつけないのかもしれないが」
オレはアニキの言葉遊びを聞いて理解できたし、畏怖にも似た気持ちを持った。この2人が進化し続ける存在だということに。進化なんて言葉は教科書の中にだけある言葉だと思っていたから。
オレは処置ベッドの窓から見える〈リース〉の顔と安らかな寝息をたてている〈レゥ〉を見た。
「〈リース〉ってそんなに凄い存在だったんだ」
「いったろ、〈リース〉は優秀なんだよ」
アニキはほんの少しだけ自慢口調で言ってベッドを見る。
「それとな〈レゥ〉の治療をしているときにアイツに言われたんだ。
“たましいのないわたしがあのひとをすきになるのはつみなのでしょうか”ってな。
背筋に寒気が走ったよ、言葉自体は図書館で借りた絵本のセリフなんだが」
アニキが聞いたという〈レゥ〉の言葉は彼女に似合ってなかったけど、今の話を聞いたあとだと妙に心に残る言葉だった。
「アニキはどう答えたの?」
「お前はどう思う」
「質問に質問で答える男は嫌われるよ」
「いいんだよ、俺は元から偏屈なんだから」
オレはアニキの言葉に苦笑すると今の言葉の意味を考えてみる。
魂のない存在が人を好きになる。一見矛盾しているように思えたけどふと気づいた。もし心はおろか魂がないのなら自分自身を疑うことが出来るのかと。その疑いこそが、心や魂の存在を証明する事じゃないかと思った。
そして心を持つ者が他人を愛するという事は自然なことで、何人たりともその思いを罪と決める事はできない───それがたとえ神であろうとも。
そして神に祝福されない存在として生まれてきた彼女達だったとしても。
オレはアニキに向かって今の考えを伝えた。
「心を持たない者が自分の存在や気持ちを疑うことはおかしいと思うんだ。心を持つ〈レゥ〉が人を愛するのは自然のことだし、誰も彼女の愛を罪には問えないよ。それがたとえかみさまであったとしてもね」
オレの答えを聞いたアニキはマジマジとオレを見たあと、嬉しそうな顔をしてオレの頭をいつも通りくしゃくしゃにした。
「俺はお前を見くびっていたのかもしれないな。世話のかかる弟かと思っていたんだが」
「そう? 相変わらず迷惑かけてばっかりのような気もするけど」
「わかっているじゃないか」
そういってアニキは唇の端を歪めて笑う。でも嘲笑とかそんな笑いではなくほんの少しだけからかいの混じった笑みだった。
「ちぇっ、言わなきゃ良かったよ」
そう言ってオレも同じように笑った。
「なあ、恭介そこまで分かっているなら聞きたいんだが。今回の発作は〈リース〉の自我が原因だったとしたら……お前は彼女を許してやれるか?」
「いきなりな質問だね」
唐突なアニキの言葉の後にうるさいくらいに蝉が鳴き出し、それに続くように他の蝉も鳴き出した。その鳴き声を聞いてアニキはぽつりと言葉をもらした。
「蝉時雨だな」
アニキはそう言ってじっと鳴き声に耳を澄ませている。オレはアニキの言葉になんと答えようか真剣に悩んだ。
「許すとか許さないとかオレはそんな偉い人間じゃないから。もし彼女が何かを望んだのが原因でそうなったのならオレは……嬉しいな」
「嬉しい? 自分が死ぬ目にあってもか」
少し呆れた感じでアニキが呟いている。確かに死ぬ目にあってそんな事を言うのはおかしいのかもしれない。
「まあ死にたくはないけどさ。でも〈リース〉は自分の望みを叶えようとして、結果的に間違ったのならオレは責めないよ、むしろなぜ間違ったのか一緒に考えたいんだ」
オレは聞こえてくる蝉の鳴き声を聞いた。あの蝉たちも大きな声で鳴いて自己を主張し、雌を呼び寄せて自分の命をつないでいくんだ。
そしてオレは自分の一番望まない事をアニキに言った。ヒトとして自己を主張し始めた彼女を得難い存在だと感じているから。
「それに責めちゃったら彼女の自我を無視する事になるし、なにより今の彼女を否定して〈リース〉が〈リース〉じゃなくなるのは嫌だから」
「ほう、じゃあ〈彼女〉の存在を認めるって事か」
「アニキ、今そこにいる〈リース〉が全てだよ、それ以上でもないしそれ以下でもない。認めるっていうのはさ、言葉遊びになっちゃうかもしれないけど人間の傲慢だと思う。オレはただありのままの〈リース〉を受け入れて一緒に生きてくだけだよ」
オレは自分の思った事をそのままアニキに向けて言った。自分でも格好つけたクサイ言葉だと思うけど今の自分の気持ちを言うならこんな感じだった。
「仮に〈リース〉の存在が罪だとしたら? そして彼女がそう思っているとしたらどうする?」
「変なことを言だすな、アニキは。生物は罪で成り立っていて、罪を重ねることで生きているんだよ。生きるってだけで他の生物を殺し糧にしていているんだから。なんで〈リース〉がそんなことを考えているって思ったの?」
「いや、気にするな。何となくそう思っただけだ」
アニキは曖昧に笑ってそう言ったけど何か引っかかる話題だった。〈リース〉は自分の存在について悩んでいるんだろうか? 確かに今の彼女はレプリスでもなければ人間でもなかった。アニキの言葉を借りるなら限りなく人間に近いヒトという存在。
「じゃあ、もう一度だけ聞く。お前はこれから〈リース〉を護っていかなきゃいけない。良いことばかりじゃない、むしろ辛い事の方が多くなる。それでも彼女と一緒にいたいんだな?」
これが最後の問いかけという風にアニキの言葉は重かった。でもオレは決めたんだ〈リース〉を選んだ時に、共に歩むと。
「ああ、ずっとね。1人じゃ無理でも2人ならなんとかなると思うから。それに〈レゥ〉もいるから心配ないさ」
「恭介、お前は相変わらずお気楽な奴だな」
「そうかな」
自分があまり物を考えないで動く人間だというのは知っているけど、でも今回はこれで良いと思う。
「ああ。それがお前らしいといえばお前らしいよ。ま、俺はそんなお前を見守り続けるだけだからな」
ぽつりと言葉を漏らしたアニキはなぜかとても寂しそうだった。
「アニキ、オレも聞きたい事があるんだ」
「なんだ?」
「空港でアニキが言った言葉だよ、『お前はオヤジに良く似ているが……異なる者なんだな。安心したよ』ってやつ」
オレは空港で言われずっと気にかかっていた事をアニキに聞いた。
「ああ、それか。オヤジは人間が愛せない人なんだよ。愛せないというよりは極度に不器用なんだ」
「オヤジは人間を愛せない? オレは……もしかして愛されてないの?」
自分が小さな頃からひとりぼっちで過ごしていた事を思い出した。天井のシミを数えていたあの頃。薄ボンヤリと覚えている母さんの顔
「ちがう。オヤジがお前に〈レゥ〉〈リース〉を送ったのはお前を本当に心配し、愛しているからさ。愛するっていうことのは人にはそれぞれにさまざまな形があるんだよ。今回はただそれがそういう結果になっただけだ」
「そうなんだ」
「ああ、お前はオヤジが愛したヒトの忘れ形見だからな。オレがそう言ったのはオヤジと違ってお前が不器用なりにきちんと真っ正面から〈レゥ〉の相手をし、〈リース〉の事を心配し、愛しているからさ」
「ふうん、わかったよアニキ」
オレは何となくアニキの言葉に釈然としない物を感じたけどアニキは一度もオレに嘘をついたことはなかったからその言葉を信じるしかなかった。
* * * * *
米国シカゴにあるタイレル・バイオ・コーポレーション・レプリス開発室。恭平のパソコンのモニタがつけっぱなしになっており、メールが開かれたまま放置されていた。よほど慌てていたのかもしれない。恭平の同僚がそれを見つけてモニタを消した。
恭介が〈リース〉の危機を告げ、自分の気持ちを書いたメール。恭介の文面の後には〈リース〉によって書かれた彼の治療の結果。そして最後にこう書かれている。
恭平様、今回の恭介さんの発作は私が原因です。
私の〈レゥ〉に対する嫉妬が彼を不安にさせ私が不幸な事故に巻き込まれた事が原因で恭介さんはご自分でご自分を精神的に追い込まれてしまいました。
本当に申し訳ありませんでした。
私も恭介さんのことが好きです。ずっと一緒にいたいと思っています。
ですが恭介さんを独占したいと願う私にその資格があるのかわかりません。
恭平様、私は一体何者なんでしょうか?
心や感情を持った私はレプリスなのでしょうか?、それとも人間なのでしょうか?
そのどちらでもない私があの人を愛する事を、恭介さんを愛する事が罪だというのなら私は何をもって償えば良いのでしょう。
もしかしたら心のない普通のレプリスだった方が幸せだったかもしれません。
与えられた存在意義を忠実に果たすだけの存在。
そのような存在だったなら私は自分の得た愛や罪で悩む事はありませんでした。
ですが私は心を得ました。いえ、自分の中に眠るその存在に気づかされました。
恭平様、私という存在が許されるにはどうしたら良いのでしょうか。
そして恭介さんはそんな私を受け入れてくださるのでしょうか?
(14)蝉時雨
三日後〈リース〉の身体は完全に治りベッドから出られるようになった。あと数回、検査を受ければ退院(病院じゃないけど)し、元の生活に戻る事になった。
オレと〈リース〉は検査の合間を縫って緑に囲まれたこの研究所の庭を散歩している。暑い7月とはいえ、自然の多いここは街中に比べると過ごしやすかった。
オレと隣を歩く〈リース〉の距離はほんの少しだけ遠かった。
「恭介さん、今回はいろいろご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「別に〈リース〉が謝る事はないよ、悪いのはオレだから」
「いえ、そういう意味ではないのです」
少し困惑している彼女の雰囲気を察してオレは視線で〈リース〉に話の続きを促した。
「恭介さん、私はあなたの側にいて良いのでしょうか? 〈レゥ〉も戻ってきましたし、私は恭平様と一緒にアメリカに戻った方が……」
オレはその言葉を聞いても慌てなかった。もしアニキとの会話がなかったらきっと慌てたに違いない。アニキとの会話のあとオレはずっと考えていたんだ、〈リース〉の存在と彼女が背負っていると思っている罪のことを。
「なんで?」
「ですから恭介さんのそばにいる資格が私にあるのか、その……」
「良いんじゃない、別に」
オレの意図的なお気楽過ぎるセリフに唖然とする〈リース〉。彼女はすでにこんな表情を浮かべることすら出来る。きっと本人は気づいていないんだろうけど。
でもその表情を見てやっぱりと思った。あれはアニキの遠まわしな忠告だったみたいだ。彼女は自分の存在意義を失いかけていると言ってくれていた。
「ですが! 私はレプリスでもなければ人間でもありません! こんな中途半端な私が……恭介さんの側に居て良いとは……思えませんから。それに私は罪を……」
彼女はそう憤ったあと悲しげな微笑みを浮かべオレから視線を逸らした。その寂しげな微笑みはあの白い世界で見た表情そのままだった。もしかしたらあの白い世界は彼女の心の中なのかもしれないと思った。
真っ白で何にもない世界。生まれて間もない彼女はこれから色々な経験をしていく。そして自分で心という名のあの白い世界に色をつけていくのかもしれない。
「〈リース〉、心や魂を持たない者が自分の存在を疑ったり、罪を意識したりしないと思うんだ。それに生物はみんな罪をおかして生きているんだよ、〈リース〉と何ら変わりないんだ」
「恭介さん、私は……あなたを愛する事は罪ではないのですか?」
「罪? 人が人を好きになるのは自然なことだよ、心があるなら普通のこと。そこに何の問題があるの?」
オレの言葉を〈リース〉は黙って聞いている。オレはずっと考えていた事を彼女に話した。仮に〈リース〉が限りなく人間に近いヒトであったとしても心を得た存在はオレたちと変わらないと思うから。
罪に関しては生まれて間もない分、〈リース〉の方が余程少ないだろう。長く生きているオレの方がよっぽど罪を犯している。〈レゥ〉〈リース〉、彼女たちを傷つけアニキに死ぬほど迷惑をかけて生きている。
そのオレが偉そうに言ってはいけないセリフだけど、今は彼女に分かって欲しかった。罪など何もないし、あったとしたらオレたち2人で背負って生きていけば良いだけだって。
「もしそれが罪だとしたらオレだって〈リース〉の事が好きだから変わらないし〈リース〉も一緒。なら2人で一緒にいて贖罪を続けていけば良いよ、アニキが牧師役で罪を聞いてもらいながらさ」
オレの言葉に〈リース〉の瞳が潤み涙が溢れてきた。
木漏れ日の下、彼女の流す涙はとても綺麗だった。ぽたぽたと涙を流して彼女は嬉しそうに微笑んだ。心の篭ったとても嬉しそうな泣き笑いは今まで見てきた〈リース〉の表情の中で一番自然だった。
「恭介さん、私はあなたがマス……」
オレは〈リース〉を抱き寄せて唇を塞いだ。今の彼女にはレプリスとして存在する為の制約など何もないし、オレはマスターでもないんでもない。
お互い自分が自分で自身の存在価値を決める事が出来る存在だった。
オレはそっと唇を離すと〈リース〉の目を見た。コンタクトをはめた黒い瞳があの時、キスした以上に驚きで揺れている。もしかしたら生体間リンクでオレの心を見ているのかもしれない。
もしそうならこれも伝わっていると思うけど言葉にして彼女に教えてあげたかった。
「君にマスターなんていない、オレがいるだけだよ」
「……恭介さん」
〈リース〉はオレの言葉を聞いて胸に顔を埋め泣いている。低い嗚咽の声は蝉の鳴き声にまぎれてオレにしか届いていない。
オレは〈レゥ〉を落ち着かせるように、幼い〈リース〉の髪を撫でた。今の彼女は幼い自分を守る為にまとっている大人っぽく落ち着いた外套を捨てている。その下にあるのは〈レゥ〉以上に儚く得たばかりの幼ない心。
だからオレは安心させるように抱きしめ、子供をあやすようにぽんぽんと軽く背中を叩いている。〈レゥ〉の大泣きとは違った意味で困惑してしまうけど、でも〈リース〉の本当の姿を見れて嬉しい。
しばらく泣いていた〈リース〉だったけどそっと顔をあげてオレを見た。涙の残る瞳がきらきらと輝いている。オレの視線を受けてはにかんだ笑みを浮かべて抱きしめているオレの手の中から抜け出した。
「恭介さん、ありがとう」
そのセリフはオレが〈レゥ〉に言った言葉とまったく同じだった。
* * * * *
オレと〈リース〉はまた散歩をしていた。今度は先ほどのような距離はなかった。身も心も以前よりずっと近い距離にいた。
研究所へ戻ろうと今度は手を繋ぎ森の中の小道を歩いている。蝉の鳴き声は相変わらず続いている。
「先ほどのセリフ、何だか恭介さんらしくなかったです」
〈リース〉は思い出したようにそう言ってオレに向けて悪戯っぽく笑った。
「それってオレには格好良いセリフが似合わないってこと?」
「いえ。そういう意味ではありませんけど、何となく」
そう言って彼女は曖昧に笑った。
「ヘタレなオレの方がオレらしいって事なのかな」
「そうなのかもしれませんね。でもそういう恭介さんも私、大好きですから」
オレは〈リース〉の眩しい笑顔を見れた事は嬉しかったが、そのセリフを聞いた後では素直に喜べない。どう解釈しても贔屓の贔屓倒しにしか聞こえないし(涙)。アニキのような格好良いセリフは一生言えないのかもしれない。
「はいはい、似合わないことはもう言いませんよ」
少し子供っぽいけど不貞腐れてつぶやいた。
急に〈リース〉の身体がオレの前に回り、そっと寄り添った。
「恭介さん、そんなことはありません、私は……」
そう言って静かに目を閉じた。
オレは〈リース〉の顔に近けたところで突然ソレはやってきた。
「おーにーいーちゃーん!!」
ドップラー効果の効いたセリフを残し素晴らしい速度で駆けてきた。いつものようにお約束で途中でこけるに違いないと思っていたのにそのままの勢いでオレの胸に飛び込んできた人間ロケット……いや〈レゥ〉が繰り出したそれは見事なフライングタックルだった。
オレはそれをモロにくらい吹き飛んで倒れた。前にいたはずの〈リース〉はさりげなく逃げているし。
(〈レゥ〉、よもやこんな風に進化していたとは! おにいちゃん、やられたよ(涙)
ひっくり返ったオレのお腹の上に〈レゥ〉はのっかって嬉しそうにしている。みぞおちに鈍い痛みを感じて少しだけ涙が出た。
「おにいちゃん! 〈レゥ〉ね、〈レゥ〉ね……」
「お〜ま〜え〜と〜い〜う〜や〜つ〜は〜! いい加減、学習しろって!!」
せっかく〈リース〉との良い雰囲気を邪魔された怨嗟の声とオレの眉間のシワを見てヤバイと思ったのか〈レゥ〉は素直に頭をさげて謝った。
「あ、いたかった? ごめんね、おにいちゃん」
「まったく。で、どうしたんだよ」
「おなかへった! ごはん、ごはんー!」
オレはそのセリフを聞いてがっくりと力が抜けた。〈リース〉もくすくすと笑っている。〈レゥ〉をオレの上からどかせると立ち上がって服についた土を払う。〈リース〉がオレの背中の土を払ってくれている。
「はぁ……お前は初めて逢った時からそればかりだよな。じゃあ〈レゥ〉は何が食べたいんだ?」
オレは〈レゥ〉が初めて言葉を発しコミュニケーションがとれた時を思い出した。あの時も「おなか、へった」という短い言葉を言ったんだっけ。それに彼女のメニューは決まっているだろうけど一応聞いてみた。
「おこさまランチ!」
〈レゥ〉はいつも通り元気一杯といった口調で、いつものメニューを答える。自分の食べたい物をはっきりと告げる、〈レゥ〉が〈レゥ〉であるためのセリフ。
「やっぱりそれか。オレは暑いからザルソバが良いな、〈リース〉はなにが良い?」
あのデートの時と同じ問いかけ。
彼女はなんと答えるのだろうか? あの時はにっこり微笑んでオレと同じ物と答えていたけど。人間に限りなく近い存在の彼女の答えが聞いてみたかった。
「私ですか? そうですね、やはり暑い時は熱い物や刺激的な物が良いですから……カレーが食べたいです」
「えー、〈リース〉さん、カレーなら〈レゥ〉がつくってあげるから、おこさまランチにしよ?」
「お、おこさまランチですか? それは……ちょっと。それに〈レゥ〉、お店で食べるカレーは貴女が作る物と味が違いますよ」
〈レゥ〉の言葉にちょっと引いてしまう〈リース〉。確かにお子さまっぽい〈レゥ〉と違って(それでもミドルティーンの少女がお子さまランチを食べているのは変だが)大人びた真面目な雰囲気の〈リース〉がおこさまランチを食べていたら怖いよな。
これこそ夏の怪談になるかもしれないし。でも怖いもの見たさな気持ちはある。
「かわんないよ。でもぜったい〈レゥ〉がつくったほうがおいしいもん! あついときにあついのは、いや!」
「いえ、やはり夏はカレーです。それにお店毎に違う味ですからね、カレーが良いです。恭介さん、私はカレーが食べたいです」
「やー、おにいちゃん、〈レゥ〉おこさまランチがいい!」
「いえ、やっぱりカレーです!」
〈リース〉がムキになっていた。そして自分の食べたい物を彼女は主張していた。オレの好みでもなく〈レゥ〉の意見にも迎合しない、自分で考え、自分の為に発した言葉。オレはその言葉を言っている彼女がとても愛しく思う。
オレはそんなことを考えながらその2人の様子を微笑ましく見ていたが結局、最後にはオレに回ってくる訳で。
「恭介さん(おにいちゃん)!」
〈リース〉と〈レゥ〉はくるりとオレの方に身体を向けて真剣な、そして殺気にも似た雰囲気をまといながら問うた。
「どっちにするの(するんですか)!?」
2人に激しく詰め寄られたオレは答えに困る。どっちを選べって言われてもどっちも大事で選べないからあの時と同じ選択肢を選んだ。もっとも彼女たちではなく、ご飯だったけど。
「あははは、どっちも……じゃ駄目?」
オレの言葉を聞いた〈レゥ〉がオレの顔を見て溜息をつき、呆れたようにぽそりと呟いた。
「……おにいちゃん、ヘタレなのね」
「なっ、なにいぃ!!」
オレと〈レゥ〉のやりとりを見て〈リース〉はお腹を抱え涙目になるほど笑っていた。
───けっこう傷ついちゃったんだけどね、オレ(涙)。
オレたちは3人でご飯を食べに研究所の建物に向かって歩いていく。その新しい関係の始まりを合図するかのように蝉の鳴き声が被さった。
それはうるさいくらいに激しく鳴き出し、それにつられるように数を増やしてオレたちを3人を包んでいった。蝉達が自分の存在を甲高い鳴き声で主張し雌を呼び寄せていた。命を燃やしている、そんな感じの鳴き声。
季節は萌えるような春から憂鬱な梅雨を過ぎ、夏になった。オレたちはこれから夏を経験し、安定した秋が来て、もしかしたら様々な試練を迎える冬が来るのかもしれない。
でもそれは来てみないと分からない。少なくともオレたち三人はこれからも一緒に過ごし、巡ってくる季節を生きていく。
オレはそんなことを思いながら入道雲の浮かぶ青い空とうるさいくらいの蝉の鳴き声を聞いていた。
───生命力が燃える夏の到来を告げる、激しい蝉時雨だった。
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