紅の軌跡 第25話
天に蒼
地に緑
晴れ渡った蒼穹の空から大地へと降り注ぐ陽光が、赤道地帯に繁茂する広大な森林を鮮やかに照らし出している。
そこでは熱帯特有の様々な生物たちが、生まれ、育ち、結ばれ、そして死んでいくというサイクルを遥かな過去から延々と繰り返している。
ここはインドシナ半島の付け根でトンキン湾の北西部、かつてはベトナムと呼ばれ、今は赤道連合と呼ばれる国家に存在する熱帯雨林の一角・・・・・
そんな強烈な日差しの下で、突然鳥たちがけたたましい鳴き声と共に一斉に飛び立つ。
地の獣たちも耳をそばたて、落ち着きをなくし慌てたように立ち去っていく。
やがてかすかに揺れる地面と重量物が地面を移動する際の音が響き、そして、ぬうっとばかりに熱帯雨林の間から巨大な人影が姿を現した。
その影はひとつでは終わらず続けて新たな巨大な人影、MSが姿を現す。
さらに2機のMSが続けて現れ、合計4機1個小隊のMSは熱帯雨林の中に設けられた軍用道路を重々しい音と共に進んでいく。
一列縦隊で進むそのMS達は森林迷彩が施されているが、外見から見る限り間違いなく地球連合軍が開発したストライクダガーであった。
「よし、もう少しで目的地に到着する。
各機異常はないか?」
ショックアブソーバーによって相当軽減されているとはいえ、全長18メートル前後の巨大な機体が動くことによる上下動を全身に感じながら、先頭のMSパイロットが後続の機体に向かって確認する。
さすがにNジャマーによる電波障害も、これだけ近距離であればほぼ問題なく使用することが可能だ。
「2号機、問題ありません」
「3号機、OKです」
「こちら4号機。左脚部にアラームが点灯しています」
問題発生か。
そう内心で呟くと、障害の詳細を把握するために質問を重ねた。
「何故直ぐに報告しなかった」
「点灯したのはつい先ほどです。
現在、自己診断プログラムを走らせて・・・終わりました」
「わかった。それでどの部分に問題が出ている?」
「左膝の部分です」
やはりか、とほぼ予想通りの結果に顔をしかめる。
重力下において活動するMSにとって、機体の重量を支える腰と膝、そして足首の部分はもっとも問題の発生しやすい部位である。その理由は、二足歩行を行う人間においても腰痛や膝痛といった下半身を中心とした身体の故障が多々起きることからも容易に想像がつくと思う。
「出発前のチェックでは問題がなかったはずだな。
自己診断プログラムは何と言っている?」
「どうもサーキットの一部がショートして、関節部の廃熱に問題が発生しているようです。
自己診断プログラムでは損傷部の温度上昇が記録されています」
「そうか。前線基地まで持ちそうか?」
「このままでは難しいですが、歩行速度を落とせば何とかいけると思います」
「了解した。行軍速度を落すが、前進は続行する」
「わかりました」
隊長機から2・3号機に速度を落とすよう指示がくだり、それまでやや早歩きといった風情で進んでいたMSが、普通に歩くような感じにペースを落とす。
「純プラント製のストライクダガーには問題が発生していないのに、赤道連合製のストライクダガーには問題が続発か・・・・・・やはり、工作レベルの技術格差は一朝一夕には埋まらないということか」
無線を切り、4号機の状態に注意を払うため後部の様子をサブモニターに映し出すように設定し直して、そう小隊長はごちた。
今次大戦勃発時、赤道連合は最先端科学技術において最低でも5年、平均して約10年、分野によってはおおよそ20年近い技術格差が、プラントの技術を導入している大西洋連邦やユーラシア連邦との間に存在すると見られていた。
そして、それはおおむね事実といってよかった(過去の例で言うと21世紀初頭の欧米諸国と中国ぐらい技術格差であろうか)
産業スパイによる非合法な情報収集により、大西洋連邦やユーラシア連邦のすそにしがみつき、自らを強引に引き上げるような真似をしていても、得られるのは一部の技術であるため周辺基盤に関する技術の向上がなかなか進まない。ただ、それが可能であるということだけでも把握できるため、脱落するというほどではなかったにしろ、やはり技術格差が発生することは避け得ないことだったのである。
そんな中、友好関係をより鮮明にしたプラントから提案されたMSのノックダウン生産、しかも部品代は完成品の輸入と比較して格安という代物は赤道連合にとって福音中の福音であった。
何しろ潜在的な国力はともかく、現時点では赤道連合は地球上の諸国家において最もMS関連技術レベルの低い国のひとつだったのだから。
上層部は導入に必要な時間を可能な限り節約するために、それまでの戦車工場の一部が潰され、ノックダウン方式によるMS組み立て工場として作り変えられた。
そのスピードはプラントとの間に正式な調印が結ばれるといっそう加速した。
一方のプラントにとっても、MSの完成品を運ぶよりはるかに効率よく輸送が行える上、磨耗しやすい部位についての部品の金型も提供することで赤道連合自身のMS生産能力の拡大が見込めることになる。そのため、当初作られたノックダウン方式のMS工場の外に、工業地帯で相当数の部品生産を行う工場の建設も行われており、一部の工場では生産も始まっている。
また、多数の工場建設及び部品の生産開始は一種の公共事業のようにも働いており、軍需生産の増大と共に赤道連合の経済は以前の停滞が嘘のような活性化の一途をたどっている。そのことは、失業率の低下といった具体的な恩恵を国民にもたらし、政府の政策を支持する世論を形成する一助にもなっていた。
だが、この赤道連合とプラントの契約、ぱっと見ると赤道連合に有利な契約に思えるかもしれない。実際のところ、この契約だけを見るならばプラント側のメリットはさほど大きいとはいえないだろう。
しかしながら、より視野を広げるとこの契約の持つ意味が理解できるはずだ。
赤道連合は中立を保っているとはいえ、プラント寄りの立場を明らかにしたために、地球連合による侵略の可能性というリスクを負ってしまった。
むろん、赤道連合もそのリスクは承知の上で行動を選択している。
ただ、ここでとあるひとつのことが頭をもたげてくる。
それは国家間の同盟関係を長く続けるためのひとつの鉄則である。
すなわち、同盟関係を維持したいならば双方に利益がもたらされるプラス・サムの関係でなければならないというものだ。
もし、そうではなく一方にのみ利益をもたらすゼロ・サムの関係、あるいは双方にメリットをもたらさないマイナス・サムの関係であったとしたら、その関係は遠からず破綻する。それは森羅万象をあまねく支配する天の法則、とまでは言わないが、人類の長き歴史から導き出されたまず間違いのない原則と言っていいだろう。
開戦劈頭からの同盟国である大洋州連合とアフリカ共同体と同様に、膨大な人口とそれにともなう巨大な市場を持つ赤道連合は、失うことの出来ない貴重な友好国に成り上がっている。当然、戦略的にもユーラシア大陸南部を占める赤道連合の位置づけは、得ると失うとでは天と地ほども状況が変わってくる。
さらに、これには戦後の市場獲得という長期的な視野も含まれている。
その最大の理由は、各国の人口にある。
赤道連合の人口は、大洋州連合とアフリカ共同体を足したよりもはるかに多い、約20億にも達しているのだ。そして、プラントの持つ膨大な鉱工業生産能力は、かつてのアメリカ合衆国のようにプラント自身の需要では、その供給を全て受け止めることが出来ない。
現在は、戦争という人間が行う行為の中で最大の消費行動が行われているため問題が表面化していないが、戦後の対処を誤ると今次大戦で被った損害など目ではないほどの経済的なダメージを受けかねないことを評議会議員のメンバーは承知している。
ゆえに、彼らは赤道連合をプラント寄りに引き寄せておくためにありとあらゆる手段を用いることを非公式に認めている。むろんその手段を巡って外交的な駆け引きが、少しでも有利な条件を引き出すために双方の間で繰り返されているのは言うまでもない。
そんな赤道連合にとって、今現在もっとも関心のあることはMSであることは言うまでもない。
現在のところ、赤道連合が追加でプラント側から勝ち取った成果としては、金型だけでなく専用の工作機械、マザーマシンの提供を認めさせたことであろう。むろん、ゲットしたマザーマシンについては届く端から工場への据付が行われている次第である。
基礎技術レベル及び応用科学技術レベルを短期間で引き上げることは簡単なことではないが、軍事技術だけに特化したレベルの向上は、最先端兵器を輸入し運用ノウハウを身に付けることができるという前提があれば十分に可能ということであろう。
そして、その証拠が彼らの搭乗する森林迷彩の施されたストライクダガーであった。
熱帯雨林に刻まれた文明の証たる道路を進むこれらのMSを構成するコンポーネントの40%近くが、赤道連合自身の手によって製造されたものであった。この数値は、これまで週単位で上昇カーブを描いてきており、このペースを維持できるならば、そう遠くない未来に純赤道連合製のストライクダガーが生産されることだろう。なお、パペールやレオノーラエンタープライズといった民間企業による参入も相次いでいるので、実現は予想よりも早まるかもしれない。
実際、これまでMSの製造経験がないことを考えれば、プラントから導入された最新の工作機械の扱いをわずかな期間でマスターし、一部の部品とはいえ自力生産までこぎ着けた工員たちの努力には頭が下がる。
下がるのだが、これまでまるで問題が発生しなかった部位に、次々と問題が発生するようになると、指揮官としての立場からは渋面にならざるを得ない。
なぜなら、東アジア共和国においても大西洋連邦からの技術導入により、MSの生産・配備が進んでいる以上、その軍事的圧力を受ける立場としてはMS部隊の稼働率は、今現在の赤道連合にとって非常に重要な問題なのだから。
「よし。基地が見えてきた。」
4号機の不調を押して行軍を続けてきた彼らの前に、目的地である前線基地がモニターの中に姿を現していた。
当初の予定よりも行軍速度が落ちていたため、日は既に中天を過ぎ傾きを増している。だが、基地の全貌はあまねく彼らの視界に映し出されていた。
この基地は東アジア共和国との国境地帯に続く山岳部の麓近くに存在しており、基地の中核をなす滑走路はメイン滑走路1本と横風用のサブ滑走路1本をL字型に交差させた合計2本の滑走路を持っている。
また、配備された軍用機は尾根の斜面に掘られた堅固なシェルターに格納されるようになっており、滑走路周辺や周囲の丘の上には高射火器や対空ミサイル部隊が配置され、厳重な対空防御態勢が敷かれている。
東アジア共和国の侵攻が現実のものとなった場合、空軍の前線における中枢として稼動するであろう基地であり、かつ機械化歩兵を中心とした陸軍も相当数が駐屯しているこの近辺では最大規模の軍事基地だ。
この基地は、今次大戦の勃発に伴い国境線の防衛力強化のために大幅な拡張工事が今も続けられている。建設大隊が滑走路の増設や兵舎、格納庫等の建設にいそしみ、随所に建築機械や積み上げられた資材が見えるのがその証だ。
ただ、それ以外の近辺に存在する防衛施設は、規模はさほどではない。その理由は、もちろん予算という厳しい問題もあるが、必要以上に東アジア共和国との間に強い緊張状態を招くことは赤道連合首脳の本意ではないということも大きい。
プラント寄りの立場を表明したとはいえ、参戦を決めたわけではない。可能な限りの利益を得るためには、中立を維持しつつ、かつ戦闘を行わないことが肝要だ。
そのため、あくまで防衛用としての陣地整備と、敵地上兵力侵攻の危険性と迅速な兵力移動の観点からヘリの駐機場を持つ程度の規模の基地を中心としたネットワーク化が進められている。むろん、遅滞防御が念頭に置かれているのは言うまでもない。まあ、純軍事的に劣る立場の国家としては国防と防衛戦力増強に伴う危険性のバランスを取っているといったところか。
もっともそんな雲の上の話は現場レベルには関係なく、国防の最前線というべき基地は非常に質実剛健な風情をたたえている。
そんな基地内部へと重々しい音と共に部隊が入り込んでいく。
既にMSが姿を現した時点で、誰何の装甲車両への応答が成されており、周囲に混乱らしきものは見えない。
施設部隊が新たに切り開いた広大な敷地は、巨大なMSにとっても広々と感じられるほどだ。
「確かブリーフィングでは、滑走路端に新しく格納庫を設けたと言っていたが・・・」
そう呟くと、MS頭部に備えられたゴーグル状のカバー越しに望遠レンズをゆっくりと動かしそれらしきものを探す。
すると、明らかに真新しい建物が建っているのが見えた。
巨大な倉庫と思しきその建物の入口は大きく開け放たれ、早く入って来いと言わんばかりである。
そのうえその周りには、非番なのかかなりの数の人だかりがいるのも同時に見えた。
「隊長、どうやら歓迎されているようですね」
三号機のパイロットを務めているヤン・メイファ少尉が明るい声で話しかけてくる。
確かに周りの様子を見る限り、かなり歓迎されているのは間違いないようだ。
「ああ。最近は国境線がきな臭いという噂が流れていたからな。
そこへMSが派遣されると聞けば野次馬も集まるだろうさ。
MSがどれほどの威力を持つかは、いやというほど聞こえてきているからな」
「そうですね」
「それはともかく、整備部隊は大丈夫でしょうか?」
さらに何か言葉を続けようとしたところへ副隊長を努めるナタリー・ブレイクウッド中尉が割り込んでくる。
今回が初めての副隊長ということで少々気負い気味だが、非常に優秀な士官であり、自身の搭乗するMSが抱える欠陥も熟知している。
そのため、懸念の方が先走ってしまうのだろう。
そんな彼女に落ち着いた声音で返事をする。
「輸送機で先発した整備部隊は、予定では既に展開を終えているはずだ。
まずは、あそこまでたどり着くことにしよう」
「了解しました」
「では、小隊各機、足元に注意しつつ格納庫まで前進せよ」
そう告げるとともに、自らの機体を前進させる。
そのまま4機のMSは滑走路の脇を、障害物にぶつからないよう細心の注意を払いながら進んでいく。重量数十トンの物体が時速数十キロでぶつかった場合の衝撃を考えれば、初めての土地で慎重に行動するのは当然のことだ。もっとも、交通整理のための人員が既に配置されていたらしく、足元に突然何かが飛び込んでくるということは特になかった。
やがて、望遠レンズを使うことなしにしばらくの間、自分たちの家となる格納庫がはっきりと見えてくる。
滑走路にの端の方に設けられた大きなプレハブ式の格納庫が臨時のMS格納庫となっている。
おそらくは航空機用の格納庫を展開したのであろう外壁は、やはり急ぎで対応したため至近から見るとその薄さがわかってしまうが、内部容積は縦横の違いがあるにしても同じく大きく容量必要とする航空機用であるため非常に広大なものがある。
さらに内部のMSメンテナンスベッドは、既にしっかりとホールドされており、ざっと見た限りでは運用に支障がないようなっている。その周りには整備兵があちこちに行き来を繰り返しており、メンテナンスベッドのひとつはちょうど立ち上げられるところだった。
むろん、このMSメンテナンスベッドもプラントからもたらされたものであることは言うまでもない。
このあたりの運用ノウハウの提供がなければ、これほど早く我々がMS部隊の実戦化を成し遂げることなど出来はしなかっただろう。
そんな広大な空間の中、左膝の部分に問題を抱えていた4号機は、念のため脇で控えていた3号機の手を煩わせることなく無事メンテナンスベッドに固定された。
それと同時に整備兵達がわっと群がるように機体に取り付き、早速関節部の装甲を取り外し始めていた。
既にメンテナンスベッドに機体を固定し、専用エレベーターで地上まで降りていたロイド・クライブ少佐は、ヘルメットを取りながら4号機の様子を見ている。
そこここでチェッカーを機体に射し込みデータを吸い上げている整備兵もいれば、フォークリフトで取り外されたばかりの膝の装甲板を運んでいる整備兵もいる。コックピットハッチが開け放たれ、パイロットにこれまでの状態を詳しく尋ねるためであろう整備兵が首を突っ込んで話を聞いている様子も見える。
「すまなかったな、少佐」
そんな慌しい様子を見ていた彼に、ふいに後ろから声が掛けられた。
ヘルメットを脇に抱えたまま素早く振り向くと、そこには50代がらみの痩身の男性が立っていた。
「たかだがハノイからここまで長距離行軍した程度でへたるような整備をさせたつもりはなかったんだが。
だが、迷惑を掛けちまったようだ。すまねえ」
そういって、被っていた帽子を取ると同時に頭を下げる。
「頭を上げてください、親父さん。
幸いにして途中で行動不能にならずに基地までたどり着けました。
ならば、問題と呼べることは何もないですよ」
慌てたようにそういう。
彼の目の前で頭を下げている整備部隊の隊長は、軍内部で車両整備の神様とまで呼ばれるほどの腕前を持つ職人肌の叩き上げの兵隊であった。
今回、新たなMS部隊を立ち上げるに当たり、人事部が三顧の礼を持ってして迎え入れた重鎮中の重鎮である。
そんな人物に頭を下げられては、こちらが狼狽してしまう。
「それに、部品の精度がプラント製のものに比べて落ちると聞いています。
そんな状態でこれ以上の整備を求めるのは難しいでしょう」
「そんなことは理由にならねえ。
もし、今回の作戦行動が実戦だったら、お前さん、今と同じ事を言えるのかい」
何とか頭を上げてもらおうと原因をあれこれと挙げるが納得はしてもらえないようだ。
しかもキャリアの長さは伊達じゃないだけに、一番痛いところをずばっと突いてくる。かつて東アジア共和国との国境紛争に何度も借り出された経験がそう言わせているのだろう。
「・・・戦場においては臨機応変に対処しますよ。
それだけの経験は積んでいるつもりです」
「ああ、わかっとる。お前さんが率いる部隊なら何とかしただろうとわしも思う。
だが、これが他の部隊で起こったとしたら、そしてそれが前線の作戦行動中だったとしたら。
整備不良で若者を死に追いやったとしたら、わしは自分が許せん」
そういう頑固オヤジの拳がかすかに震えているのを視界の端に収めつつ
「実戦前のいい実地試験ができたと割り切ってくださいよ。
それに整備部隊のトップがいつまでも現場を放っておくわけにもいかないでしょう?」
「まあ、それはそうだが・・・・・・」
その後もあーだこーだ言葉を交わし続けた。
根気よく説得を続けたおかげか、いつまでもそうしているわけにもいかないことは理解してもらえたようで、しぶしぶといった風であったが、最終的には頭を上げてもらえた。
「今回の借りはいつか必ず返す。覚えといてくれ」
「期待してますよ」
職人肌な整備兵は頑固オヤジという世界共通の法則があるのだろうかという考えが脳裏を掠めるのを感じながら、その頑固オヤジが返事を聞いてすぐ、怒鳴り声を上げながら喧騒の只中へと突進していくのを見送る。
ほうっと深いため息をついた彼だが、次の瞬間後ろから再び声がかかる。
次はなんだと内心思いながら振り返った彼の前に、敬礼をした士官が立っていた。
臨時のMS格納庫まで迎えに来た連絡士官に従って、送迎用の車両に乗り込んだクライブ少佐と部下の3名は、そのまま基地の司令部棟まで連れてこられた。
そして、司令官室に向かって廊下を歩いていた。
廊下の窓から見える基地内の様子は非常に活動的で、それでいて相当秩序立てて動いていることが見て取れる。自分達が祖国を守る城壁であるとの意識が末端の一兵にまで浸透しているのだろう。
さすがは、前線の指揮を任されるほどの力量を持つ司令官だとひそかに感心する。その中には、このご時世で力のない司令官を前線に配置することなく健全さを保っている軍全体への意識も含まれていた。
やがて、司令官室にたどりつくと、連絡士官が開けてくれたドアを潜り、部屋内へと進む。
「MS教導連隊機械化混成大隊第1中隊、第01MS小隊ロイド・クライブ少佐以下4名、ただいま着任いたしました」
装飾を剥ぎ取り、機能的にまとめられた部屋の主の前に整列し、敬礼しながら着任の挨拶を述べる。
「ようこそ最前線へ。我々は貴君らの到着を心より歓迎する」
デスクの向こう側に座った恰幅のよい男性が鷹揚に手を広げながら歓迎の言葉を述べる。
この地において伝説の再来と言われ、奇しくも姓名まで同一であるホー・チ・ミン将軍だ。
階級は少将だが、万一のことあらば北方防衛の全権を掌中に収めるであろう人物と言っていいだろう。
その彼の表情は穏やかだが、視線は鋭いまま彼をじっと見つめている。
その様は、彼らの人となりを図っているかのようであり、実際にそうであったろう。
やがて、納得がいったのか視線を和らげると、ひとつ頷く。
それを受けて、脇に控えていた副官が説明を始めた。
この基地で活動するに当たっての、主たる注意事項とMS部隊のための兵舎増設のスケジュール、他の部隊との連携を取るためのブリーフィングの予定等々。
ざっと、必要事項を聞いた後、ホー将軍がおもむろに主題を話しだした。
「困惑があるかもしれんから、初めに言っておくとしよう。
MS部隊の早期前線配備を求めた主たる理由は、国境の向こう側で不審な点が見られているからだ」
確かに、未だ育成途上にある部隊を前線に配備することに、違和感を覚えなかったといえば嘘になる。
だが、命令されれば従うのが軍人の務め。
それをわざわざ将軍自らがその回答を提示してくれるとは、こちらの士気を重視してのことか。
さすがとしかいいようがない。が、これを機会として確認できるだけは確認しておくとしよう。
「・・・連中が騒ぎを起こすのはいつものことでは?
実際、地球連合からの特使を迎えた時にも軍事的圧力が相当高まったと伺っておりますが。
もし、ザフトのカーペンタリア基地の戦力が我が国にいつでも移動できる様子を見せていなければ、彼らはそのまま雪崩れ込んできたと考えます」
「まあそれはそうだが」
ロイドの応答にユーモアを感じたのか笑みを浮かべる。
「だが、彼らとて戦力が余っているわけではない。
いや、むしろアフリカで大規模な反攻に出ており、またザフトのジブラルタル基地に対して圧力を増大させている今、部分的に戦力不足に陥っている可能性も充分考えられる。
にもかかわらず、わざわざ別の場所で火種を大きくするというのもおかしいと思わんかね?」
「はい。それは確かに」
司令官の指摘することは充分に説得力がある。
だが、まだ司令官の懸念する具体的な部分が見えてこない。
「それで、具体的なおかしな点というのは何でしょうか?」
「入手できた情報だけでも数個師団規模の戦力が活発に動いているのは間違いありません」
視線で大佐が指示したのを受けてここまで案内してきてくれた副官が、そういいながら壁面のスクリーンのスイッチを入れる。
そこには、国境線を挟んで対峙する2つの陣営が色分けされてユニット表示されている。最小単位はユニットのマークを見る限り大隊規模と判断してよいだろう。
そして、青色が自陣営、赤色が東アジア共和国陣営だというのは、戦域図から直ぐに読み取れる。
「2週間前の配置だ。
これから早回しで今日までの動きを写す」
そう司令官が断りを入れるとモニター上で動きが生じる。
青色の陣営には、それほど大きな動きはない。だが、赤色の陣営の動きは時間経過するにつれ不可解としか思えないものになっていた。
やがて、2週間分の動きが表示終わったのだろう、スクリーン上のユニットの動きが停止する。
「・・・敵陣営の動きの確度はどれほどでしょうか?」
「航空偵察、諜報員からの情報及び民間情報から収集した結果に基づいている。
確度は極めて高いと判断していいだろう」
「そうですか」
おそらく何度もチェックした結果なのだろう。その表情には微塵のゆらぎも感じられない。
それに、諜報員からの情報といっても、映画や小説にあるような荒っぽい手段だけで入手したものではないし、昨日今日に収集を始めたものでもない。
基本的に相手国内の官報や新聞などから得られる公式情報を丹念に収集し、整理したものが中心となっているはずだ。
むろん、集まった情報のひとつひとつは特に気を引かれるようなものではない。
だが、例えば、要地に通ずる幹線道路が何月何日に通行止めになるという知らせあったとすれば、陸軍部隊の移動が推察されるし、港湾労働者に緊急に募集がかかる、あるいは、石油会社の動向を見ることで間接的に艦艇の移動状況も割り出せたりもする。
断片的なものばかりであっても、それらを繋ぎ合わせてみると、軍が移動している様子が浮かび上がってくるものだ。
塵も積もれば山となり、重大な戦略情報を読み取ることが可能となる。これも情報部の重要な任務のひとつであろう。
そして、前提が間違っていない以上、この敵軍の動きは事実として考えるしかない。
「では、本当に動いているだけなのですね」
「はい。おっしゃるとおりです」
ナタリーの言葉に律儀に応答する副官。
「・・・・・・最大で旅団単位、平均すると大隊単位で動かしている?
いったい何だこれは?」
本当にわけが分からないというようにロイドの眉間にしわがよる。
そう、現在までに得ている情報を見る限り、東アジア共和国軍は、次々と部隊を前線に配置しては後方へと移動することを繰り返しているとしか思えないのである。
確かにこちらの陣営も一定期間で前線の部隊を後方に下げ、別の部隊を前線に出すというローテーションを組んでいる。それは、前線配備の部隊が穏やかにとはいえ戦力が必ず低下していく以上、やむを得ないことである。だがそれも、数週間あるいは数ヶ月という長いスパンの話だ。
今見たように、わずか2、3日で入れ替えを行うなど常軌を逸している。
しかも、動いているのはマークを見る限り戦車大隊や機械化大隊、そして先述の2つほどではないがMS部隊もそれなりの数に及んでいる。
極めて強力だが、同時に壊れやすい面も持つ機甲戦力を頻繁にそれも意味なく動かす。
あまりにも不可解だった。
「情報部から連中の行動についての報告は何かないのですか?」
「公式には何も分かっておらん。
まあ、東アジア共和国軍内部にはあまり情報部も浸透できてはいないらしいとは聞いているがな。
同期の伝を頼って探りを入れてみているが、こちらも芳しい情報は得ていないようだ」
大きくため息を吐くように言う。
軍において同期の絆は非情に固いものがある。
特に俺、貴様の間柄になるほどであれば、自軍に関するよほどの機密ならばともかく、仮想敵についての不審な行動程度であればこっそりと情報をよこす程度のことはしてのけるはずであった。特に前線勤務の同期からの頼みならば、大抵のことは対応してくれるはずである。
実際、我々MS部隊が育成途上にもかかわらずここに派遣されることになったのはホー将軍が裏で手を回したからだというおそらくは真実であろう噂を聞いている。
それでもわからないとなると、本当に情報がつかめていない可能性が高い。
「分かりました。私の方からも何かわからないか、知り合いに連絡を入れてみましょう」
「うむ。よろしく頼むぞ」
心底嬉しそうに返事をする。
少将の権限で分からないものが少佐の権限でどうにかできると過大な期待は抱いていないようだが、それでも藁をもすがるつもりなのかもしれない。
だが、無理もない。
国境線の向こう側で、膨大な戦力が戦術原則から外れた行動を繰り返しているのだ。不安のひとつやふたつ湧いても出よう。「人がもっとも恐怖を感じるのは、相手が未知のものである場合である」といった意味の警句地味たことわざは古今東西どこにでもあるぐらいなのだから。
「ですが、これほど大規模に部隊が動いている以上、無視することはできません。
電撃的に南アメリカ合衆国を併合した大西洋連邦の例もある。
我が国は国土が内海によって分断されているので一気に全土を制圧されることはないでしょうが、油断はゆめゆめ禁物と考えます」
「むろんだ。基地全体そして周辺地域の隅々まで警戒を怠っておらん。
一朝事あらば、即座に完全な戦時体制に切り替えられるよう訓練は怠りない」
さすがというべきか、前線を預かる将軍として当然のことだといわんばかりに答えが返ってきた。
「・・・万が一の場合は、我々も出ましょう。
ついては防衛計画の詳細を知りたいのですが?」
「・・・その前に、率直に意見を聞きたいことがある」
「はっ!」
それまで以上に眼光鋭くこちらを見てくるホー将軍に、緩んでいた姿勢にぴんと一本芯が通ったように姿勢を正す。司令官の放つ気迫がずしりと腹の奥底まで届いたかのようだ。
「我が国のMS部隊・・・・・・」
わずかに沈黙の時が流れる。
「貴官が率いてきた部隊に関してはそれほど心配していない。
貴官の勇名を常々聞いていたからな。仮に話半分だとしても十二分に信頼できる。
が、後続部隊のパイロットの腕前は戦場に投入可能なレベルなのだろうか?
現場を預かる責任者としての偽りない意見を聞かせて欲しい。
中央では、初めて持つMS部隊に有頂天になったような状況報告をよこす輩もいて、正確なところが掴めていないのだ」
咄嗟に答えを返すことができなかった。
それというのも一番痛いところを突かれたからにほかならない。
先にも述べたように実際のところ赤道連合のMS部隊は未だ練成途上にある。
前線に派遣されてきた自分たちと、一部の例外を除いてMS同士による機動戦闘を行えるほどの実力はない。あくまで、基本動作と型にはまった一定の動作を行えるだけである。
だからこそ、自分達に寄せられる期待の視線が痛い。
なぜなら、自分たちは見せ金なのだから。
我々にもMS部隊はあるぞ。
攻め込めば痛い目にあうぞ。
攻め込む前にようく考えろ。
東アジア共和国に対して、無言のうちにそう伝えるメッセンジャー。
それが今の赤道連合のMS部隊の実体なのだ。
もっとも、それも無理のない話なのだ。
赤道連合が実働的なMS部隊を編成してからまだ一ヶ月も経ていない。
それ以前からも、ジャンク屋を通して入手したジンの分析/運用試験を行っていたからこそ、自分たちのような例外的にMSパイロット適性があったとしか思えない人材を集めて少数精鋭の部隊を作り上げることができた。
しかしながら、あくまで自分達は例外なのだ。
少なくとも戦闘機パイロットを調達できるようなレベルまでMSパイロットに必要とされるものが下がらなければ、部隊を有機的に運用することなど夢のまた夢でしかなかった。
そして、プラントとの友好関係の促進により一通り完成されたナチュラル用OS付きのMSを入手することができた。
それだけでも、それまでの足踏み状態から見れば一歩も二歩も前進しているように思える。
だが、それだけでは足りないのだ。
今の赤道連合には、MS運用するためのノウハウが徹底的に欠けている。そして、現実に危機は今そこにある。
そのことを重々承知しているからこそ、プラントに対して三顧の礼を持って教官派遣を依頼したのだ。ある意味、ストライクダガーの設計図以上に彼ら教官役のザフト兵から得られた訓練及び整備等に関するノウハウの方が、友好関係を樹立したことによる得難い果実なのかもしれない。
しかしながら、いくらプラントのノウハウを導入した速成教育だからといっても、数週間程度の実技訓練しか受けていない状態では、MSによる防御戦闘を成しうるレベルまでできれば御の字だろう。
ロイドはしばし躊躇ったものの、結局実情を隠すことなく打ち明けた。
司令官が正しい実情を知らなければ、誤った判断を下す可能性がそれだけ高くなる。MS部隊の実情を知って憤慨するであろうことは予測できるが、司令官の誤断を導くような最悪の事態を招くことだけは避けなければならないし、何よりその不十分な戦力をどう有効活用するつもりなのか知らねばならないという考えからだ。
それにホー将軍の能力が噂に聞く通りであれば、我が国のMS部隊の実情をおおよそ把握している可能性もある。こんなことで、将軍との間に不和の種をまくわけにもいかない。
そう心を決め、視線を司令官に据えたままゆっくりと実情を話す彼の話を聞いて、ホー将軍の副官の顔に落胆の表情が表れるのが眼に入る。
せっかくの期待の新戦力が極端な話張子の虎であると知ったからやむを得ないといえよう。
しかしながら、司令官の表情には欠片も動揺は浮かんでいなかった。
あるいは、別のルートでMS部隊の実情を把握していたのかもしれない。
そして、ロイドの話が終わるとしばし沈思黙考したあと頷いた。
「話は了解した」
「・・・・・・訓練の方はここでも継続する予定です。
実機同士を結んだネットワーク空間上での訓練ですので、外部からの監視を免れることも可能と考えます」
静かに頷く司令官に今後の予定を話す。
さすがに悲惨な話だけではあれなので、後続部隊が揃った段階で可能と思われる行動の私案も開陳する。
ここに派遣されると決定した段階から、部隊内で練り上げてきた案である。
まあこの程度のことが出来なければ、教導連隊で部隊を率いる資格はないともいうが。
それに、確かに部隊全体の練度はおせじにも高いとは言えないが、軍隊はそこにあるものを使って戦わねばならない。そのことを目の前の司令官はきちんと理解しているはずである。
「むろん、訓練の方は続けてもらう。
が、そう肩肘張らなくてもかまわんぞ。
MSが常駐するということで基地の兵士たちの士気は向上している。
これだけでも、貴君の部隊は我々に充分貢献してくれている」
「お言葉はありがたく思います。
しかしながら、我々もプロフェッショナルとしての矜持がありますので・・・・・・」
・・・そのままなし崩し的に防衛計画の改修案の検討に入ってしまったのは、決してお互い熱くなりすぎたわけではないと思いたい。
しかしながら、司令官室を退去し司令棟を出た時には空は群青色に染まり、星々が輝き始めていた。見上げた視線の先には白々と輝く月が浮かび上がっていた。
「あそこの連中は、地べたを這いずり回っている俺たちをどんな思いで見ているんでしょうね」
キース少尉が月を見上げながらぽつりと呟くように言う。
「さてな。
だが、あっちはあっちで苦労しているんじゃないか。
少なくとも、この地球圏からは平和はほとんど失われてしまったからな」
「悲しい話ですね」
「だが、まだ俺たちの祖国は戦乱に巻き込まれちゃいない。
そしてその状態を可能な限り維持するのが今の俺たちの役目だ」
ロイドの言葉に皆が頷く。
天空の月はそんな彼らを何もいわずに見下ろしていた。
視界一杯に広がる月平線の向こう側に黒い星空を背景に青く光り輝く地球の姿が見える。
かつては、限られた宇宙飛行士しか見ることのできなかったこの光景も、宇宙移民が進み多くの市民が月に居住するようになった今では割とありふれた光景ではあるが、それでも感動的な光景に違いはない。
だが、その光景を映し出している月の地下で胸糞の悪くなるような作業に携わっている人間たちには、あまり関係のない話ではあった。
「・・・それにしても地球連合の横暴ここに極まれりといったところだな。」
「全くだ。」
港湾管制局の職員たちは、現在出航しつつある輸送船に積まれている、目の前のモニターに自分達の所属する都市から搬出される各種物資の一覧リストを映し出しながら、ぼやくように言う。
それでも、コンソールを叩く手元の動きに乱れはない。いわゆるひとつの職人芸というものだろうか。
「もっとも、こちとら満足な武力もない以上、あちらさんの言うことを聞くしかないんだけどな。」
「「・・・・・」」
先ほど同僚の言葉に黙ったまま頷いていた別の職員が諦めたように言う。
それに返す言葉もなく、職員たちの間を沈黙が垂れ込める。背景に聞こえるのは、皆が叩くコンソールの打鍵音のみであった。
そんな中、月面に数多存在する中立都市のひとつ、その第一層にある宇宙港から準備の完了した最初の輸送船が出航する。
ガイドビーコンが色鮮やかなオレンジ色に点滅し、真空の海へと船乗りを誘う。
そのビーコンに沿って輸送船が港湾ゲートをゆっくりゆっくりと潜り抜ける。
万一の事故に備え激突防止用のダンパーが設置されている港湾ゲートを無事に抜けた輸送船の主スラスターが大きく推進炎を吐き出す。
といっても、経済効率重視のスラスター推力は知れたもので、輸送船は徐々に徐々に加速していく。
その様子は港湾管制局でしっかりと把握されている。
「『ロウルデノウス』、港湾ゲート通過。問題なし。通常航路に遷移します。」
「第3埠頭の『アルダ・デダリ』より出航許可申請でました。」
「『ロウルデノウス』のゲート完全通過後、規定の時間経過を確認の上、『アルダ・デダリ』に出航許可を出せ。」
「了解。」
「こちらポートコントロール。『キルステン・マークス』へ。
上空使用航宙路の使用許可を確認する。コード0427−EF2G、プラン0413を承認する。あと9分後に航宙回廊が空く。それまで待機せよ。」
「了解。」
「『ハンジン・ベイジン』、出航待機に入れ。離陸許可をコード3で伝達する。」
次々と出航予定の輸送船の名前が飛び交う。
定期管制とは別枠で、一度に10隻を超える輸送船がそろって出航するために、港湾管制局のオペレータールームはかなり忙しいことになっている。
なぜなら、かつて空を飛ぶ飛行機は、飛行中よりも離陸時と着陸時が最も危険であるといわれていたが、航宙艦時代になってもその原則は変わっていないからである。そう、今の航宙艦にとって、出航時と帰港時こそがもっとも注意を要する時間帯となっているのだ。
もっとも、港湾ゲート通過に気を使う大型輸送船は、今回の出航予定リストの中には1隻もいないので比較的気楽なものだ。
だからこそ、次のようなおしゃべりもなくならない。
「・・・それにしても、地球連合軍の奴ら、本当に代金払う気あるのかねえ?」
「後払いの上に、定価の半額・・・に値切られたんだったっけ?」
「・・・最終的に踏み倒す気なんじゃないの?」
「「「・・・・・・・・・・」」」
いかにもありそうな未来に、わかっていても思わず沈黙してしまう彼らだった。
中立を保っている月面都市群に対し、地球連合から協力要請という名の武力を背景とした事実上の命令、いうなれば実質上の徴発が行われるのはこれが初めてではない。
ザフトのオペレーション・スピットブレイクが実施された後、地球上の中立国に対し地球連合からの加盟要請という名の強大な圧力が加えられたことは記憶に新しい。
地球連合に所属していなかった諸国家の内、赤道連合はカーペンタリア基地に存在するザフトの軍事力を見せ金にその要請を拒絶した。
一方のスカンジナビア王国は周囲をユーラシア連邦に囲まれているという地政学上の事実からその圧力に屈した。
そして中立の理念を金科玉条とする最後のオーブ連合首長国においては武力侵攻目前という事象を生じている。
ゆえに、世界中の目が地上の趨勢を固唾を呑んで見つめる事態となっているのは当然といえば当然なのだが、
それと時を同じくして、宇宙では月面上に多数存在する中立都市に対し、地上のそれとは違う圧力が加えられていたということは、地上の華々しい事態の影に隠れてわりと知られていない事態でもあった。
地球連合の月面中立都市群に対する要請は非常に多岐にわたっていた。
機動兵器や航宙艦を製造するのに必要な各種鋼材を初めとする多種多様な資材、艦や機動兵器に限らず航宙には必須の推進剤、さらに食料や酸素といった人間にとっての必須物資はむろんのこと、日用品、医薬品、各種嗜好品などそれはもう大量の物資が供与を要請されていたのだ。
ザフトが通商破壊戦の対象として中立国や中立都市の輸送船には手を出していないという背景があるとはいえ、地球圏全域に広がった戦争は地球−月間の通商に確実に悪影響を及ぼしており、月面都市群全体から見ても地球連合軍の要求する量を満たすのはかなりの苦労を必要とした。
そのため各都市は、やむを得ず備蓄の一部を取り崩すと共に、人員と資材を増強して資源採掘のピッチを上げざるを得なくなっていた。
月の表面は表裏を問わずその多くが「レゴリス」とよばれる砂で覆われている。
最大で数百メートルもの厚さの層を形成するこの砂は、セメント粉のようなきめ細かい砂で、これを熱処理することによって鉄、アルミ、ガラス、コンクリートなどの資源と、宇宙において最も重要な酸素を比較的簡単に取り出すことができる。
事実、数多の月面都市及び地球連合軍の軍事基地は、このレゴリスから産出した鉄とコンクリートを主な建材として用いることで極めて低コストで建設されている。
それ以外にも、レゴリスに次いで豊富に存在する酸化チタニウムを精錬して出来上がる、通称ルナチタニウムと呼ばれる鋼材も要所で用いられている。むろん、ルナチタニウムは兵器を初めとする各種機器にも当然用いられていることは言うまでもない。
ただし、コンクリートについてはちょっとした問題がある。それは地球上とは違い宇宙では固まったコンクリートの表面から水分子が蒸発してしまい、そして、そのまま放って置くとぐずぐずになってコンクリートが崩壊してしまうため、表面をコーティングする必要がある。
さらに、それ以外にも月面上では水資源が極付近に偏在するため、別途調達しなければならないなど、若干の問題もある。
しかしながら建築資材を現地調達できることのメリットは改めて説明する必要もないだろう。
仮に、全ての資材を地表から宇宙に打ち出す必要があったとしたら、いかにマスドライバーが実用化されているとはいえ、月面の諸都市や施設の建造に気が遠くなるような年月が必要とされたに違いない。
まあそれはともかく、これら豊富に採取できる資源は鉱物資源が徐々に枯渇する傾向にある地球に対しての重要な輸出物として、月面都市群の財政をまかなう源ともなっている。
実際のところ、プラントという資源供給の観点からみて貴重極まりない施設を失った地球連合が戦争を継続できていた最大の理由が、この豊富な月面からの鉱物資源の輸入であったことは疑いいえない。
だが、その残された命綱は断ち切られた!
オペレーション・スピットブレイクによって掌中にあった大規模宇宙港の大半と全てのマスドライバーを失った地球連合は、その月面との連絡線のほとんどを遮断されてしまったのである。
30年近くに渡ってプラントから搾り取った膨大な備蓄があるとはいえ、これまでの戦乱で相当量の資材・資源を消費している今、この事態は死への13階段に片足を掛けたに等しい。
それゆえ、地球連合は何としても連絡線を回復する必要があった。
そのような背景があったために、暴挙としかいいようのないマスドライバーを保有する中立国への武力侵攻という行為が認められることとなったのだ。
そして地上と月面の連絡線の遮断は、地上の本国にとっても非情に重要な事柄だが、同時に地球連合軍の各月面基地にとっても黙って看過しえることではなかった。
月面に存在する地球連合の主要施設は、軍事基地と資源採掘用の鉱山がその大半を占めている。
軍事基地内には航宙艦や機動兵器の生産設備を持ち、鉱山に隣接する施設では採掘した資源を精錬する設備も備えている。その能力は客観的にみて決して小さなものではない。
だが、ありとあらゆる生産及び工作設備が大規模かつ大量に揃っていたプラントと違い、月面基地では必要とするもの全てを自前で調達するには、不足しているものがあまりにも多すぎた。
ましてや地球連合は、C.E.70年6月に極めて重要な資源供給基地であったエンデュミオン・クレーターの鉱床と付随する各種施設を、勝利を得るためとはいえサイクロプスを暴走させたことで完全に失っている。
かつて旧世紀の植民地で行われていた程ではないが、それでも地球連合所属の月面施設では鉱物資源採掘に偏った面があるのは周知の通りである。
それでもこれまでは、月面から豊富に産出する資源を送り出し、不足する物資を地上及びプラントから受け入れるという貿易を行うことで何ら問題はなかったのだが、今次大戦の始まりによりプラントとの繋がりを断たれ、そして今また地球との繋がりを断たれた。
こうした事態に直面し、地上の本国同様、月面に駐屯する地球連合軍は形振りかまってはいられなくなったのである。
そして主に精神的に追い詰められた月面の地球連合軍が行ったことが、中立都市からの事実上の物資徴発であったというわけであった。もちろん、本国の承諾を得た上での話である。
月面中立都市群にとっては、ある意味宇宙海賊よりもたちの悪い存在であるとしかいいようがなかった。
そんな背景をよそに、かなりの部分が自動化されている宇宙港での作業は着々と進んでいく。
ベルトコンベアを経由して次々と輸送船の船倉に物資が積み込まれたコンテナが格納されている。
やがて船腹がコンテナで満載状態になった船は貨物昇降ハッチを閉じ、船内のチェック後に港湾局に出航申請を提出する。
そして、出航申請を受理された船からガイドビーコンに沿ってゆっくりと出航していく。
その様子をしっかりとチェックし、次々と出される出航許可申請をマニュアルに沿った対応を施しながら、それでも港湾管制局員たちの現状についての四方山話はやまない。
「まあ、拠出する物資の量を削れただけでも上の努力は認めてやらんとな。」
「最初の要求どおりなら、大型輸送船で10隻以上は必要な量だったんだろ?」
「ああ。それを交渉で削るとは上層部も意外に根性があったな」
「・・・そのことなんだけどよ」
「ん?なんだ?」
「どうかしたのか?」
おもむろに言葉をつなげた同僚の言葉をいぶかしみ、発言した当人へと視線が集中する。
「これは噂だから、事実かどうかはよくわからないんだけど。」
「いいから言ってみろよ。」
「そうだよ。別に噂でもかまいやしないだろ。」
急かすような同僚の台詞に、やや躊躇っていた職員もあっさりと話を進めた。
「極秘にプラントの使節が月面都市を訪問して回っているっていう話を聞いたことはないか?」
「うーん。俺はないな。」
「ああ。そういえば、そんなような話を聞いた記憶があるな」
「俺もネットでそんな情報が流れているのを見た記憶があるぞ」
「いや、俺は知らないな」
そこここから、知っているいや知らないといった意見が次々と湧いて出る。
やがて各人の意見表明がぐるっと一回りすると、最初の言いだしっぺの人間がおもむろに話を続けた。
「この対応は、その噂が本当だったってことじゃないのか?」
「どういうことだ?」
「つまりこう言いたいのか?
地球連合からの徴発に応じる量を減らしたのは、プラントからの何らかの働きかけがあったからだと」
「そう考えるのが妥当だと思わないか。
そもそも、軍事力を向けられたらこちらは対応のしようがないんだぜ。
なのに、相手の要求を下回る分しか送り出さないなんて、何らかの裏づけがなければやらないだろう?」
「確かにその可能性はあるだろうな。
それに、直接プラントに協力するのではなく、間接的に協力するというのであれば上層部も受け入れやすいだろうし」
「なるほどな」
「そうだな」
「あり得るかもな」
手だけは動かしながら会話は進む。
だが、それ以上の憶測は具体的な証拠もなく完全に想像の世界に入ってしまっていたのでやがてぽつりぽつりと灯が消えるようにその話題についての会話が減り、別の話題についての会話が増えていく。
無意識のうちに自分達がやばいことについて話しているとの自制が効いたのかもしれない。
時間は流れ、臨時の船団を構成する船舶すべてが出航する頃にはいつもの気だるい雰囲気が漂うようになっていた。
やがて、交代の時間になった彼らは交代要員への引継ぎを終えると疲れを癒すために三々五々、歓楽街へと繰り出していく。
当然のことながら彼らは港湾部のある月面上層部から階層を下がり、居住区の中でも官公庁が集中するビルの一角で話し合いの場がもたれていることなど知りようもなかった。
「どうやら地球連合への船団が出航したようですね」
光沢のある長い黒髪を腰まで伸ばした一見すると年齢不詳の穏やかな風貌をもった男が目の前の人物に対してそう話しかける。
「間接的とはいえ、プラントへの敵対行為に加担せざるを得ないことを遺憾に思っておりますぞ、デュランダル特使」
そう応えた中立都市の市長と視線が交錯する。
プラントからの全権大使として月面中立都市群に派遣されたギルバート・デュランダルは、僅かに笑みを漏らす。
静かなそれでいて張り詰めたような雰囲気が漂う。
「・・・最高評議会議員の方々は、月面都市群が取らざるを得ない行動について深く理解されています。
それゆえに私が派遣されました」
デュランダルは落ち着いた揺るぎのない声音で語る。
「評議員の皆様の配慮には感謝いたします」
「いいえ、我々はナチュラルとコーディネイターという違いこそあれ、共に宇宙に生きる同胞ですから」
「ありがたいお言葉です」
慇懃に外交的な文言が双方の間を飛び交う。
しかしながら、彼らの間に交わされる言葉が偽りであるわけではない。
もともと、月面の中立都市に住む市民たちは心情的にプラント寄りである。
壁一枚向こうは生命体の生存を許さない真空であるというシビアな生活環境が強要する能力重視の気風もさることながら、プラントほどでないにしろ月面の住民にも地球に搾取されているという意識があることが影響しているのであろう。
それにより、理性的な反応を成した住民達の間には、地上で吹き荒れた反コーディネイターの機運も月面上ではそれほど蔓延していない。
さらに、C.E.70年2月5日に発生した「コペルニクスの悲劇」は、理事国代表の大西洋連邦による、テロ行為がプラント側によるものであり、プラントによる地球への、ひいてはナチュラル全体への宣戦布告であると断定したことを余所に、その実質は地球連合による謀略と見なすものが大半を占めているのだから、大国への反感もあってプラント寄りになるのも無理ないことであった。
もっとも、冷静に考えてみればプラント側に国連に対しテロ行為を行うべき理由など存在せず、一方、時代は変われど大国と国連の確執が昔ながらに繰り返されてきたことを考えれば自明の理であることは、妄信によって自ら目隠しをした人間たち以外には当然のことであった。
すなわち、推理小説でもよく言うが「その行為によってもっとも得をしたのは誰か」ということである。
まあそれはここで述べることではない。
だが、如何に市民がプラント寄りとはいえ現実に武力を持った存在が同じ月面上に存在する以上、そうそう市としての姿勢を露にするわけにはいかない。
あくまでも中立を堅守する姿勢を周囲に対して見せ続けなければ、警察にちょっと羽が生えた程度の航宙戦力しか持たない月面都市など、あっというまに武力占領されてしまう。
そのことが念頭に置かれているため、その後ものらりくらりと外交辞令を交わしていた両者の間に最初の緊迫した雰囲気を思い起こさせる質問を投げたのは市長の方からだった。
といっても、持ち札はデュランダルの方が多いことを双方共に知っている。特に武力を構成する航宙戦力に関してはプラントに対して全くもって歯が立たない。その他の面についても月面中立都市全体としてならばともかく、一中立都市としては切れる札はそう多くはない。
従って、プラントの持つ弱点に切り込んでいかざるを得ないというのも、これもまた予定調和のひとつといえなくもなかった。
「・・・昨今の食料の輸入状況に関してはいかがですか。
いかに制宙権を確保しているとはいえ、連合の通商破壊もかなりのもののはず。
もし、必要であればある程度ご都合することも可能ですが?」
そろりと抜かれた刃を含む市長の申し出に、デュランダルはより一層笑顔を深める。
その様子は相手の申し出に心から感謝しているように見えた。
だが、容姿とは裏腹に海千山千の政治家や外交官と何度も丁々発止の切りあいを演じてきた彼にとって、予想された質問に答える術はいくらでもあった。
「御志はありがたく頂戴いたします。
しかしながら、そのご心配は無用となりつつあるのです」
「と申しますと?」
「ご記憶にありますように、開戦の発端のひとつとなったのはユニウス市の食糧生産プラントへの改修でした」
そこで言葉を切り、一息を入れる。
その様は散っていった同胞たちへの鎮魂の想いを思い出しているかのようだ。
「そのうちの1基、ユニウス7は連合の核攻撃により多くの同胞と共に崩壊に至りましたが、生き残ったプラントの改修は問題なく完了しています。
そして、食糧生産プラントは当初の予定通りの性能を発揮しました」
そのことを告げる声音は淡々としていたが、デュランダルの顔に浮かぶ笑みは全く変わらない。
逆に市長の表情はあまり芳しいものではない。
「その後の稼動状況にも大きな問題はなく、食糧生産プラントが供給する食料は、プラント市民の必要とする量を着実に満たしつつあるのです」
自信に満ちたデュランダルの表情と逆に硬い表情を見せている市長の姿そのものが双方の立場を物語っている。
「最高評議会の方々は、その供給量を見て安全を図るため他のプラントの改修に取り掛かっておいでです。
プラントの食料自給率は間違いなく遠くない将来に100%を超えるでしょう」
「それは・・・ようございましたな」
先の表情を取り繕い改めて感心したような表情を見せる市長。
だが、その内心はどうだろう。
実際のところ、プラントにおける弱点の双璧、人口不足と食料自給率のうち片方が解決された以上、月面都市からの交渉カードが一枚減ったことを意味する。
そしてデュランダル自身もそのことをきちんと押さえており、やんわりと伏せていた自らの交渉カードをめくり返す。
「今すぐというわけには参りませんが、そのうちプラントからの食料輸出も可能となるでしょう。
その時には是非、輸入対象としてして検討して頂ければと考えております」
「そうですな。考慮の余地は充分にあると思います」
「工業製品同様、将来的にプラントで生産できない食料はなくなります。
例えどのような要望であっても対応できるようになるでしょう。
同じ宇宙に住む住人として、是非その味を味わって頂けたらと思います」
「・・・それは楽しみですな」
そう言いながらも、ハンカチを取り出し汗をぬぐう市長。
顔色はほとんど変わっていない。だが、空調の効いた一室で汗が出ていること自体が動揺を示している。
まあ、無理もない。
プラントの食料状態はこれまで秘中の秘として全く不明の状態が続いていたのだ。
プラントの改修を実施していたとは言え、その成果を順調に回収できるようになるまでは備蓄を取り崩すしかない。戦争に打って出た以上それなりの備蓄があることは間違いなかったが、それが具体的にどれほどの量になるのかは地球連合はもとより月面都市においても興味の的のひとつであったのだ。
食料が尽き、プラントの降伏でこの戦争が終わる。
そうコメントする識者もいたくらいである。まあ、そこまで極端な意見に同調する人間はさほど多くはなかったが。
それが、断片でしかないとはいえ情報として提示されている。
動揺するなというほうが難しい。
おそらく、市長自身まずいとは思っているだろうが、生理反応を抑えきれるほどの鉄壁の自制心を求めるほうが無茶というものだろう。
仕切りなおしのためか、市長はゆっくりと姿勢を正している。
「・・・・・・それにしても大西洋連邦、いやブルーコスモスにも困ったものです。
中立国を根こそぎ自陣営に組み込もうとするとは」
「おっしゃる通りです。
これでは講和を斡旋する第三国がなくなってしまう」
「残された道は唯一つということになりますな」
しん、と緊張をはらんだ沈黙が立ち込める。
「どちらかが滅亡するまでの殲滅戦。
正直、仮にも大国と呼ばれる国家の指導者がそこまで常軌を逸しているとは思いたくはないのですが」
「人間は誰しも耳に心地よい事柄を聞き入れたいと思っています。
大国の指導者となれば、より人類社会の裏側が見えるゆえ、その心の間隙を突かれたのではありますまいか」
「お互いそれを他山の石としたいものですな。
そういえば、あの移動するコロニーはその後どうなっておりますかな?
用途についていろいろと噂が流れているようですが」
「私どもも様々な噂があるのは承知していますが、皆様、想像力が豊富だと感心しています。
ですが、あれはあくまで惑星間航行用のコロニーシップとしてのみ利用する予定です」
「ほほう。惑星間航行用ですが・・・」
唸るように呟く市長。
その様子をしっかりと眼に収めながらデュランダルは説明を続ける。
「ええ。地球圏において大規模な核の撃ち合いが発生した時、コーディネイターにとってのノアの箱舟となるべきものです」
「!」
それは、プラントがNジャマーキャンセラーを実用化したことをほのめかす一言だった。
そして同時に、プラントは最悪の事態が発生した場合に備えても準備を整えつつあるという宣言でもあった。
「それに風向きもいささか変わりつつあります」
「ほう。それは何でしょうか?」
これまでも間違いなく外交交渉における鍔迫り合いといってよい状態であったが、これまではジャブの応酬レベルであったと言える。それが、いよいよ一打必倒のストレートの応酬に入ったと市長は感じていた。
何とか相手のガードを崩したいところだが、今の持ち札ではかなり苦しいものがある。
だが、そんな市長に対してデュランダルは畳み掛けるように言葉をつむぐ。
「大西洋連邦の中枢がブルーコスモスに牛耳られているのはご存知の通りです。
しかしながら、彼の国の穏健派も手をこまねいているわけではありません。
おそらくはパナマの失陥が分岐点になったのでしょう。
いくつかのルートで講和に関しての探りが入っています」
咄嗟に市長の顔に驚きが浮かぶ。
まさか、いきなりここまでの情報を開示してくるとは全く予想していなかったのだ。
無理もない。
外交とはある種トランプのポーカーに似た面がある。
互いのカードを相手に伏せ、相手のカードを推察しながら、1枚1枚カードを切っていく。
そういったやり取りが当たり前のように行われるのだ。
そしてこの場合、デュランダルが切ってきたカードはジョーカーとまでは行かなくても、スペードのキングくらいの価値がある。
しかしながら、市長は先のNジャマーキャンセラーの件で地球連合穏健派の動きとして在り得るかもしないと考え直す。
自分達にNジャマーキャンセラーの存在を匂わせた以上、十中八九、地球連合にも最低限未確認情報として伝わっていることが予想できる。
戦争当事者の内、一方のみが大威力兵器を運用可能という事態は、それが政治的外交的に使用が困難であるという事情を鑑みても、講和の動きが具体化し始めているという話に充分な説得力を持たせていた。
「・・・しかし、今の状況ではそれさえも難しいのでは?
アフリカ大陸では大規模な衝突が繰り返し行われていると聞き及んでおります。
ましてや、太平洋でも新たな戦闘が始まるまで秒読み段階とか」
「ええ。まず間違いなく太平洋でも巨大な戦火が上がるでしょう。
ですが、だからこそ講和の機会が来たと彼らは判断したのかもしれません」
「・・・それは、あまりにも後ろ向き過ぎませんか?」
「かもしれません。
ですが、引き際を誤った戦争は後の世代にとんでもない負債を残します」
「それは、おっしゃる通りかと」
「勝てば良し。しかしながら、双方の戦場で敗北を喫した場合、いかに大国とはいえしばらく身動きが取れなくなるほどのダメージを受けることは必定。
そこで、国内の厭戦気分を盛り上げ停戦まで導こうとする。
仮に停戦機運の醸成に失敗したとしても、まだまだ土俵際までは余裕があります。
接触を求めるとして悪い時機ではありませんな」
「・・・・・・」
大西洋連邦穏健派の政治的術策を賞賛するデュランダルに対し、わずかに胡乱な表情を見せる市長。
互いの意識がほんのかすかにずれたことによるわずかな沈黙の後、ふと思い出したという風にデュランダルが新たな話を切り出す。
「そうそう。最高評議会の方々は月面にある核兵器について強い関心を寄せられております。
市長の方で、何か風聞を得たことはありますまいか?」
「!」
間髪置くことなく連続して重要なカードをさらりと切ってくるデュランダルの姿勢に、市長は内心恐れにも似た感情が浮かんでくるのを感じていた。
「ザフトは、プラントが二度目の核攻撃を受けることを非常に恐れています。
むろん、評議員の方々も同様です。
まあ当然といえば当然でしょう。
何しろ最高評議会議長自らが、ご自分の細君をユニウスセブンで失われておりますからな」
顔には相変わらず穏やかな微笑みを浮かべながら語るデュランダル。
例え内心がどうあろうとも、それを表情に出すようでは二流三流の外交官でしかないことを態度で物語っているかのようだ。
「地球連合の公式発表では、われわれプラントの自爆作戦となっていますが・・・・・・」
デュランダルの笑みがより深くなる。
だが、その眼の奥に瞬くものは決して暖かなものではない。
「果たしてそのようなことを信じるものが、この地球圏にどれほどいるのか実に興味深いものです」
「確かに、市民の間でも地球連合の公式発表を信じているものは極少数のようですな」
心構えをなんとか建て直した市長が、相づちを打つかのように、それでいて言質を取られない返事で応える。
「ですが、そのご心配もプラントによってNジャマーが散布されたことで払拭されたのでは?」
さりげなく、自分たちも発電システムに影響を受けていることをアピールする。
だが、デュランダルはその言をさらりと流す。
「所詮は一時しのぎにすぎません。
地球連合は、Nジャマーの効力を無効化するシステムの開発に相当の資金と労力を投入していますし、いつかはNジャマーも無力化されるでしょう。
もっとも、それを開発するのが地球連合と限ったわけではありませんが」
プラントがNジャマーキャンセラーを実用化していることを再度匂わせる。
デュランダルの微笑みは変わらず、対する市長の眼がわずかに細められる。
そして
「それゆえ、評議員の方々はプトレマイオス基地に貯蔵されている核兵器について、この世から消し去りたいとお考えのようですな」
その言葉を耳にした瞬間、市長の瞳の奥に強い光が浮かんだ。
それは、ほんのささやかな変化でしかなかったが、デュランダルにとっては待ち望んだ変化でもあった。
時計を見やり、驚いたような風に市長に暇乞いを告げる。
「では、そろそろお暇しなければならない時間を迎えたようです」
「おお。これは失礼しました。
何の歓待もできず」
「いや、お気になさらず」
「ちなみに、これからどちらへ?」
「他の月面都市を訪問する予定です」
「・・・ほう、左様ですか」
「一刻も早い平和な地球圏を迎えるためには、協力者は一人でも多いほうが助かりますので。
もちろん、その時には是非ともご協力をお願いしたいと思っています」
いけしゃあしゃあというデュランダルに苦笑を浮かべるしかない市長であった。
「しかし、よろしかったのですか」
会談を切り上げ、市長差し回しの送迎の車から降り、宇宙港内へと進む一行の中でデュランダルの直ぐ斜め後ろに従っていた男が尋ねる。
「話しすぎたと思うのかね」
顔を斜めに傾け、視線を後ろに伸ばしながらデュランダルが応える。
従者といっていい存在にも丁寧に対応し、進言をきちんと聞き入れるデュランダルは、護衛たちにとってもやりやすい人物だ。
それゆえ、本来ならば話しかけるべきではないことを話しかけてしまったのかもしれない。
が、一度出た言葉はなかったことにはできない。
発言した護衛役の人間は、デュランダルのの様子を見て中途半端に切り上げるよりはと思い、そのまま質問を続けた。
「特使のお考えに反対するつもりはありませんが、市長から連合へと情報が漏れる懸念はございませんか」
「それならそれでかまわないよ」
「は?」
デュランダルは視線を前に戻しながら、何の緊張も含まない声音で言う。
「これまで話してきた事柄は、いずれも敵方に漏れてもかまわない情報のみをピックアップされているのさ。さすがの私もプラントの秘密をそう易々とあけっぴろげにできるわけではないからね」
そのまま歩を進めながら話は続く。
「食料の話、核の話、そしてプラントが取るであろう今後の動向の話。
これだけの餌をまいたのだから何がしかの反応をしてもらわないと割りに合わないかもしれないね。
もっとも、あの市長にそれだけのことを成す決断力はないだろうが。
まあ、もし仮に予想が外れて連合の首脳部にその情報が届いても、今の地球連合には素直に信じることができはしまいよ」
「それはおっしゃるとおりかもしれませんが・・・」
「情報を得てもそれを使いこなせなければ意味がない。
今の評議会議員諸氏はそのことをよくご存知だ」
笑みを浮かべ歩き続けながらゆったりと頷く。
「むろん、様々な偽情報を初めとするカウンターインテリジェンスも行われているだろう。
私自身、自分の話していることが100%真実であるという自信がないくらいだからね」
知らない人間が見れば飄々と言った雰囲気を漂わせ、そうのたまうデュランダル。
だが、プラントの彼をよく知るものであればその韜晦するような素振りに「よく言う」と苦笑をもらすかもしれない。あるいは「お前がそんな玉か」とも。
ギルバート・デュランダルが若くしてアイリーン・カナーバ議員の懐刀と見なされているのはゆえないことではないのだ。
既にデュランダルの視線は前を向いているが、ほんのかすかな声で彼の言葉が続く。
「その上で、その情報を将来のパートナーに足る人達を見つけ出すための餌にする。
・・・・・・本当に評議員とは怖い方々だ」
「何かおっしゃいましたか?」
最後にそっと静かに呟かれた言葉が聞き取れず、男が聞き返す。
「ああいや。なんでもない。気にしないでくれたまえ」
「・・・はい。かしこまりました」
応じる男の返事が怪訝そうにワンテンポ遅れる。
そのことにまるで頓着することなくデュランダルは歩みを止めない。
その後にデュランダルに話しかけるものはおらず、足音だけを共に時間だけが進む。
やがて、彼らの貨客船が見えてくる。
「さて、我らの次なる戦場へと向かうことにしようか」
そうデュランダルの言葉を残し、彼らは乗船する。
地球連合への船団出航後2時間が経過した後、極秘裏に寄港していたプラントの外交使節船は新たな目的地に向かって地球連合向けの船団が出航したのと同じ宇宙港からひっそりと出航していった。
一方、同じ宇宙港を一番最初に出航した地球連合向け輸送船団の一隻であるロウルデノウスは、月面からの高度を上げ、目的地であるプトレマイオス基地に向けての巡航に入っていた。
「船長、船内のチェック終わりました。問題となるような事態は発生しておりません」
「そうか。何よりだ」
副長が、船内各所から集まった連絡をまとめ報告にきたことに対し、壮年の船長は鷹揚に頷いた。
例え本意ではない航海とはいえ、一度宇宙に出航したならば一切の手抜きは許されない。ちょっとした気の緩みによるミスが自らの安全に直結するかもしれないからだ。そのことを、行動で示す部下たちに船長は深く満足していた。
と、オペレータ前のコンソールが電子音を鳴らした。
当直のオペレータが何事だといった表情を浮かべてモニターを覗き込む。
「船首0時の方向に多数の熱源反応を確認!」
「何だと?確認急げ!」
モニターを覗き込んだオペレータが大声で周囲に内容を知らせると同時に船長が対応を指示する。
船長の命令に従って、出航後にオートパイロットに切り替えたことによってやることがなくなって、暇を囲っていた船員たちが慌てて次々と観測機器に群がっていく。
同時に、既に調査に取り掛かっていた最初のオペレータから続けての報告が上がってくる。
「この方向は、プトレマイオスクレーターです!」
「手空きのカメラは全て進行方向に向けろ!船首カメラ、光学ズーム最大!」
船長の指示に従い、正面のモニターに限界までズームがかかる。
月面の白と宇宙の黒が織り成すコントラストの中に飛び込むように焦点が縮まっていく。
わずかに左右にぶれた後、拡大停止されたモニターの中には白煙を引きながら上昇を続ける物体が映っていた。
その数は少なく見積もっても10を優に超えている。
「分析終了しました。
地球連合軍艦船の加速用ブースターと思われます」
「新たな熱源反応を捕捉。どうやら第二陣です」
「第一陣、月重力圏を突破します。
ブースター加速終了、分離を確認」
次々と船員から集まる報告がひとつの出来事を示している。
ごくっと誰かが喉を鳴らす音が、奇妙に喧騒の中で耳についた。
「・・・・・・地球連合軍宇宙艦隊が出撃した、そういうことなのか?」
思わずというようにこぼれ出た船長の呟きが室内に満ちる。
その疑問に答えられるものは誰もいなかった。
あとがき
真・女神転生Vを今頃終了。
どうもバッドエンドみたいだったんだけど、さすがにあのボリュームをやり直す気にはならんなあ(爆)そりゃ魔神ヴィシュヌに破壊神シヴァを揃えたりしたら時間もかかるか(核爆)
そんなわけ現在第三次αを2週目プレイ中。それにしても、強いなクォヴレー・・・
ところで、自分はSEED本編のシナリオを追っかけるより、こういった脇のお話のほうが好きらしいと開き直ったほうがいいかなあと最近思っていたり・・・・・・
いや、本当にいつオーブ攻防戦に辿り付くんでしょう?<マテ
>MS三機道連れにして散華したりはせんだろうなぁ・・・・。
散り様としてはそれもありかなーと思ったり(苦笑)
>今更ガンダムでもねーじゃん
スターゲイザーでしたっけ?最近巷を賑わしている情報って?
なんだかなあとは思いますが、0083みたいな良作が出てくる可能性も無きにしも非ず。気長に待つのが吉ですかねえ・・・
代理人の感想
まあ、それはそれでありかとw>脇だけ追いかけていく戦記もの
しかし黒い、黒いぞデュランダル。
正直なところ結婚詐欺師にしか見えん(爆死)。
まぁ、有能な外交官とか政治家とかの一つの典型ではあるのでしょうが。