ゼンガーはひっきりなしに自分を呼ぶ声で覚醒した。
そして見た。自らの過ちで壊した日常を……己の未熟で失ってしまったものを。
砕け散った大地、漂う同胞の骸……そして志を同じとした女性(ひと)の死に様。
目を背ける事など、出来る訳が無かった。これは十字架なのだ。
守るべきものを守れなかった……愚かな自分に対する。
マリューの安堵の表情がみるみるうちに萎んでいく。
ゼンガーの只ならぬ雰囲気に、察するところがあったのだろう。
マリューは唇をキュッと噛み、顔を背けていた。
同じ職場で、同じ理想の為に働いていた二人は、それなりに話す機会もあったのだ。
代え難い一人の科学者の死に、二人して悲しみに暮れた。
あくまで冷静なナタルの言葉に、マリューは激昂する。
彼女としては任務に忠実なだけであったが、その態度は共に同じ時を過ごした人間にとっては過酷だった。
意外にもゼンガーは、ネート博士の死を直に乗り越えたように思えた。
そしてそれは、次の行動で証明された。
一見すると道理に合わない行動にナタルはついきつい口調になる。
コロニーに存在するシェルターは、緊急事態になるとそれ自体が救難ボートとして機能し、コロニーから離脱するよう設計されている。
その為あれだけの騒ぎの中でも、民間人の死傷者は極端に少ない筈であった……軍人はほぼ全滅だが。
その強い調子に反論するような者は、一人も居なかった。
……そして数時間後、ゼンガーの予測通りヘリオポリスに海賊及びジャンク屋が集結。
“あるもの”を廻り熾烈な争いを繰り広げる事となる。
退避能力を無くした救難ボートでは、無事ではなかっただろう……。
伍式と共に救難ボートが収容された後、格納庫から声が上がった。
鮮やかな赤毛と、なめらかな肌、そして儚げなその表情は多くの人の目を引いた。
フレイ=アルスター。ヘリオポリスの学園の生徒の一人だ。
そして先の戦闘で、ゼンガーに保護された学生グループの一人、サイ=アーガイルの恋人……のようなものだった。
この二人の関係はフレイの父親が半ば強引に決めた節があり、まだ二人共それ程の仲ではない。
心底不安そうにサイに腕を回すフレイ。
所が本来喜びの只中にいる筈のサイは、気になる事があった。
サイは最年長だけあって、かなり落ち着いた思考が出来る男だった。
まあそれだけに、再びゼンガーが空から降ってきたときは目を丸くしたが。
どうやら教導隊は、タラップやウインチを使っての乗り降りを邪道と考えているらしい。
搭乗時はよじ登るのではなくジャンプして飛び乗るのだ、と今彼に言われればサイは信じてしまいそうだった。
しかしゼンガーから出た言葉は、彼らを労わる言葉だった。
思わずフレイから手を離し、サイはゼンガーに一礼していた。
その背中からフレイは、ゼンガーに見入っていた。
質実剛健がそのまま服を着たようなゼンガーが見せている、極めて珍しい笑顔に。
フラガが整備士であるコジロー=マードック軍曹と共に歩み寄ってきた。
職人気質と言うか何と言うか、とにかくこざっぱりはしていないマードックの風貌に、フレイは思わず眉をひそめた。
自分の感触を全く隠そうとしない気質……言うなれば傲慢さが多少彼女にはあった。
それを承知で付き合っているサイは、少々胃が痛い思いをしている。
それだけ言うとゼンガーは物静かに格納庫を歩んでいく。
その様子にフラガもマードックも、声をかけ辛かった。
しかし空気が読めないのか、フレイが躊躇いもせず声を掛けた。
普段の慇懃無礼な態度を知っているだけに、サイは彼女の意外な行動に驚きを隠せなかった。
その何ともいえぬ不気味な間に、フラガ達は思わず息を飲む。
が……。
フレイを除く男三人を唖然とさせる中、ゼンガーはブリッジへと向かってしまった。
ずり落ちた眼鏡を元に戻しつつサイが呟く。
強引で、多少融通が利かない所が、何処と無くフレイと共通していたのだ。
ところがサイにも、フレイ程はゼンガーの事を理解する事は出来なかったようだ。
似た者同士ならではの、シンパシーと言ったものを感じていたのかもしれない。
だからこそ自然と、あんな言葉が出たのかもしれないとフレイは考えていた。
ゼンガーが去って直に、入れ違いに四人の男女が息を切らして格納庫に現われた。
サイのクラスメイト達と、イルイだ。
おんぶしていたイルイをゆっくり降ろすと、トール=ケーニヒは伸びて格納庫の床に転がり、ゼエゼエと息をした。
そんなトールをたしなめるかのように、ミリアリア=ハウが唇に指を当て笑う。
本気で青い顔をして咳き込んでいるのはカズイ=バスカーク。
ついさっきヘリオポリスで命がけの逃走を繰り広げただけに、説得力のある意見ではあった。
サイが心配そうに皆を見る。
たった一人の少女の為にここまで出来る優しさと行動力を、トールは持っていた。
そんな優しいトールの事をミリアリアは気に入っていたから付き合ったが、カズイの場合は完全に巻き込まれたといった感じである。
消沈するイルイを慰める様にトールが言う。
しかしその仕事と言うのは戦争である事に気がつくのは……言って後悔した後だった。
ブリッジに全士官が集結して今後の方針を検討していたが、どれもこれもパッとしないものであった。
何せこのアークエンジェルは大半の乗組員を失った挙句補給もままならない状態で発進しているのだ。
しかも今は多数の避難民を乗せて、ザフトがうろつく宙域を漂っている。
再び戦闘になった際に頼りになるのは、虎の子の伍式と旧式のメビウス・ゼロ一機のみ。
地球を挟んだ衛星軌道上に存在する、月面の大西洋連邦本部まではとても持ちそうに無い。
そこでナタルがヘリオポリスに近い軍事拠点“アルテミス”への寄港を提言したが……フラガやゼンガーの反応は鈍い。
地球連合軍は一つの組織ではない。
国家や組織の複雑な思惑が絡み合った、軍事同盟に過ぎないのだ。ザフトの様にコーディネーターの殆どが一丸となっているような結束力は皆無。
特にアークエンジェルとXナンバーを開発した大西洋連邦と、アルテミスが所属するユーラシア連邦は妙なライバル関係にあり、足並みが揃った事は殆ど無い。
それでもマリューは決断した。
ベストでは無いにせよ、ベターな判断だと言う事でゼンガーらも渋々承諾する。
囮が発する情報でザフトを引き寄せ、その隙に熱量を感知されぬ様最初の噴射で得られる推進力だけで航行するつもりなのだ。
はっきり言って運任せという面が大きい作戦だ。
そしてザフトが近寄ろうものならば……と、ゼンガー心の奥底で燃える黒い炎に気付く人間など、居る訳が無かった。
隊長室に呼び出されたと言うのに、ククルの態度には一つも敬いが無かった。
元々ザフトは階級や年齢序列は余り重要ではない。問題となるのはその能力と、それに相応しい仕事。
階級は単なる責任の現われであり、権力とかはこの際二の次、と言うのが標準的な考え方となっている。
……それが詭弁である事は、ククルは知っていたが。
いかに身体能力が向上しようと、所詮中身は大差無いのだ……ナチュラルと。
その点ククルは上官としてラウ=ル=クルーゼに一応の信頼はおいていた。
人格はともかく、任務遂行に対する躊躇いのないやり方にある程度共感していた。
もっともやり過ぎと感じる事も多々あるが……使える上官なので我慢している。
クルーゼも、好戦的だが多大な成果を上げる事が出来る彼女を上手く活用して任務をこなしてきている。
だからこそ多少は気安い態度を取っていた……使いやすい駒として。
先の戦闘についてだと直感的に悟ったククルは、顔を強張らせ俯く。
今まで確かに仲間が失われても気にもかけなかったが、それには訳がある。
軍人が死ぬのは何も任務中だけではない。不測の事態により命を落とす事だってある。
着艦しそこねて激突死した者、小惑星に正面衝突し圧死した者、手順を省略したせいで重火器が暴発、爆死した者と、殆どが己の不注意によるものだった。
中には連合軍の宇宙戦闘機メビウスと戦闘し、死んだ者もいるが、他の多くが生き残った以上迂闊でしか無いと感じていた。
あくまで、今までは。
……ヘリオポリスの戦闘において、このクルーゼ隊は半数のパイロットを失ってしまったのだ。
ラスティ、ミゲル、トロール、マッシュ……特にラスティはククルと同じく、エース級の腕前を持つ“赤”だった。
それがMSに触れる事無くたった一発の銃弾で倒れ、残りの三人も決して腕は悪くないにも拘らず、漫画の如き最期を迎えた。
死神の如き勢いで同胞の命を奪う存在の出現で、初めてククルは仲間を失う事を恐れるようになっていた。
それを聞いてラウは立ち上がり、ククルの肩に軽く手を置いた。
普通ならこんな風変わりな銀のマスク男に触れられれば、セクハラで訴える所だ。
しかしククルは眉一つ動かさない。彼女は女を捨てている。
固い決意を感じたクルーゼは笑みを浮かべ、机に戻っていった。
次の出撃……それはアークエンジェル追撃である。
確かにデコイは発見した。
しかしその情報に惑わされる事無く、クルーゼは進路をアルテミスへと向けている。
しかも残りのXナンバーが積載されているローラシア級を、保険として月方向へ向かわせもしなかった。
二人そろって不敵な笑みを浮かべてから、ククルは部屋を退出しようとする。
出撃までやるべき事は沢山あるのだ……まずはマガルガのOSを自分用に合わせなければならなかった。
だからクルーゼの独り言を、一々気にしてはいなかった。
そしてそんなクルーゼ隊の動きを、アークエンジェルでも捉えつつあった。
そう、敵艦であるナスカ級ヴェサリウス……クルーゼの乗艦だ……は、アークエンジェルの左舷方向を並行して航行していた。
まだこちらの存在を察知はして居ない、が……。
見事に自分達の作戦が見破られていた事に、フラガは舌打ちした。
その焦りは後方のCICにいたナタルにも伝わった。
射撃指揮を任されていたロメロ=パル伍長が恐怖が混じった声を上げる。
これでアークエンジェルは二艦に挟まれた事になる。
マリューとナタルが絶望するよりも先に、ゼンガーとフラガは動き始めていた。
管制官であるジャッキー=トノムラ伍長に指示を下すゼンガーに、思わずマリューは動揺する。
しかしそれ程有効な手は、フラガもゼンガーもまだ浮かんではいなかったが……。
結局それ程良い手は見つからなかった。
今度の作戦も運任せと言うか……殆ど博打に近いものだった。
アークエンジェルに攻撃と注意を集中させている間に、フラガがメビウス・ゼロで前方のナスカ級を叩き、離脱するといったものだ。
突っ込むフラガも、ザフトを押し止めるアークエンジェルとゼンガーも全員が危機に晒されてしまうものだった。
しかし僅かな時間で実行可能な策は、これしかなかった。
ゼンガーは格納庫に向かう道で、葛藤を覚えていた。
今此処でアークエンジェルを守らなければ、多くの民間人が死ぬ。
だがそれが解っていてもなお……ゼンガーには甘い誘惑が囁いていた。
周囲を気にせず、只己の怒りに全てを託し、近付くザフト兵を思うがままに殺戮していくという選択が、生まれつつあったのだ。
普段のゼンガーならばそのような考えは起こらなかっただろう。
だがゼンガーはソフィアを失い、深い悲しみと怒りを無理矢理押さえつけている。
それがいつ爆発するか……ゼンガー自身にも解りそうに無かった。
一体何と、何の為に戦うべきか……決断しなければならなかった。
迷いは、すぐさま自身と周囲全てを地獄へと引き込むだろうから。
角を曲がった所でゼンガーは立ち止まる。
通路の向こう側から、先の学生グループが通信傍受・情報解析担当のダリダ=ローラハ=チャンドラ伍長に連れられやってきたのだ。
全員が地球連合軍の制服に身を包んで。
あっけらかんと言うカズイに続き、襟を正していたサイが説明する。
確かに彼らは工業科の学生だが、無理強いをした覚えは無い。
直に戻れと言いたかったが、先にトールが口を開いていた。
その小さな決意に、ゼンガーは雷で打たれたかのような衝撃を覚えた。
ミリアリアですら戦おうと言うのだ。
次第にゼンガーの胸は熱くなっていった。
チャンドラ伍長の敬礼を、トール達もぎこちなく真似る。
それを見送ったゼンガーの目には、迷い等無かった。
そして格納庫に辿り着いたゼンガーの発するオーラに誰もが圧倒され、次に自信を取り戻していく。
以前からゼンガーには覇気があったが、それは威圧を伴うものでしかなかった。
が今は違う。その力への意志は内面ではなく外側に向けられ、全てを包み込む勢いであった。
漆黒のパイロットスーツに身を包んだゼンガーとフラガは、それぞれの愛機へと駆けていく。
伍式はゼンガーの到着を待ち望んでいたかのように、起動した途端に軽快な駆動音を発する。
艦橋のやり取り、そしてマリューとフラガの会話がゼンガーに届く。
リニアカタパルトによって射出されたメビウス・ゼロに続いて、ゼンガーの伍式もカタパルトで待機する。
元々Xナンバーの運用を念頭に置いている為、射出システムは伍式にも対応している。
出撃の瞬間を、今か今かと待っている時に、通信が入った。
照れ隠しなのか、笑いながらウインクするミリアリアの姿に、ゼンガーは苦笑した。
慌しく艦橋で指揮が飛ぶのをゼンガーは聞いた。
マリューも今を勝ち残る為、必死になって戦っている……それに答えなければならない。
微かだが、確かな勇気を守らなければならない。
それが今の……戦う理由だった。
強引なゼンガーのやり口にはマリューも大分慣れてきたようで、指揮系統の混乱を防ぐ為に即座に指示を下した。
しかしナタルは相変わらず釈然としない表情だ。彼女、良くも悪くも固すぎる。
ミリアリアも若いだけあって、即座に順応した。
……気にしたら負けなのだ。
宿敵が待ち構えているであろう虚空へと、ゼンガーと伍式は飛び出した。
ヴェサリウスから出撃したククルは、後方にいるローラシア級ガモフから出撃した機影を見て感心していた。
現在クルーゼ隊には余分なMSは一機も残っていない。全てゼンガーに一刀両断されたのだ。
だがクルーゼはそうは考えず、“まだ四機ある”と判断していた。
……そう、強奪したばかりのXナンバー全てを投入したのだ。
データの吸出しさえ完了していれば、ザフトの技術力を持ってすれば復元は可能ではある。
そうだとしてもかなり強引な選択ではあった。クル−ゼ以外の凡庸な指揮官ならば、まず帰還するだろう。
X-207ブリッツを強奪し、そのままパイロットを務めているニコル=アマルフィの声だ。
ククル以上に女性的な部分がある愛らしい少年で、外見どおり温和な性格の持ち主だ。
それだけの他のメンバーの好戦的さが際立って見える。
X-103バスターを預かっているディアッカ=エルスマンは、浅黒い肌に金髪と、黙っていれば良い男だが、これでも冷酷非道な戦士の一人。
最後のX-102デュエルに搭乗するイザーク=ジュールは、常日頃発している殺気だけならククルに匹敵する。
プラチナブロンドの髪とツリ目が、彼に抜き身の刃の様な危険さを与えていた。
このやり取りからも見て取れるように、ククルは仲間内にかなりの軋轢を生んでいた。
いやその言い方には語弊があるかもしれない。火種は主にイザークだ。
彼は仲間内でも特に上昇志向が強く、プライドが異常なまでに高い。
そんなイザークにとっては涼しい顔で黙々と大戦果を上げるククルが気に食わない。
ククルもククルで、そんなイザークを無視しようとせずに、嘲るような視線や笑みで答えるのだから状況は毎回泥沼と化す。
今まではラスティやミゲルがそのいざこざを抑えてきたが、彼らはもういない。
一応ニコルはククル寄りで、ディアッカはイザークとつるんでいるのでバランスは保たれているが、この二人に互いの相方を抑えるだけの力は無かった。
「一つ言って置く。あれを侮るなよ」
〈フン! ナチュラル如きに遅れを取る訳が……〉
あわや第二ラウンド開始と言う所で、ディアッカが警告を発する。
広域周波は普通は救難信号等を発する時に使うもの……通信傍受の恐れがある戦場では、まず使わない。
しかしその通信は、彼らが狙うアークエンジェル直上に浮遊する機影から確かに流れていた。
その声を聞いた途端、ククルは身体全体に震えが走った。
武者震いだ。つい数時間前にまみえたばかりだと言うのに、随分長い間待たされたような気分だった。
ククルら四機のXナンバーを前にして怯みもせず、仁王立ちをしてゼンガーの伍式は向かい合っていたのだ。
対艦刀一振りと、ソードパックに内装された幾らかの近接武器が全ての火器だった。
ディアッカが気が付いた時にはもう、伍式はかなりの距離をつめていた。
バスターは遠距離砲撃用の機体であり、94ミリエネルギーライフルや対装甲散弾砲等強大な火力を有するものの、格闘戦は全く考慮されていない。
つまり懐に入られればジエンド。伍式とバスターは、そういった点で相性が最悪だった。
それを護衛する役割を持つのが、ブリッツを始めとした他の機体である。
本来の計画ではアークエンジェルを母艦とし、ストライク(現伍式)が汎用戦闘を、イージス(もといマガルガ)が指揮、デュエルが前衛、バスターが後衛、そしてブリッツが偵察兼援護といった具合だった。
確かにXナンバーは兵器としてはハイレベルだが、運用面から考えると機能特化しすぎた部分がある。
今ニコルが操っているブリッツはそれが特に顕著で、装甲が薄い割には機動力はマガルガに劣り、主力の収束ビームライフルは全機中最も火力が低い。偵察能力を向上させているとは言え、今回はそれが裏目に出ている。
あっさりと左腕に装備されたパンツァーアイゼンに弾かれ霧散するビーム。
ニコルはこれでも不意を付いたつもりだったのだが、ゼンガーにはお見通しだった。
今度はビームライフルを放ちながらデュエルが突っ込んで来る。
デュエルは全Xシリーズの母体とも言える機体で、あらゆる面でのバランスが良い。
逆に言えば突出した性能を持たず、そこら辺はイザークが自らの腕でカバーするしかない。
しかし彼とゼンガーでは年期が違う。防御するまでも無く、伍式は全てよけていく。
対艦刀の収束ビーム刃が発生したのを見たイザーク達は、その冗談の様な巨大さに思わず息を飲んだ。
イザーク達はまだ気が付いていない。
ゼンガーのケレンがかった口上に乗せられてしまい、本来の目的であるアークエンジェル攻撃に全く着手していない事に。
人のペースを飲み込むことに関しては、ゼンガーはククルより遥かに上を行っていた。
ククルはイザークらのバラバラの行動と、アークエンジェルの濃密な弾幕に翻弄され、思うように攻撃が出来ないでいるのだ。
それで流れが変わる事を期待したククルは、クルーゼの隣で狼狽する副官アデスに構わず援護を要請する。
しかしククルは何かを忘れている気がした。
アークエンジェルの積載機はXナンバーのみ。うち四機はこちらにある。
もう向こう側にMSが残っていない事は明白だったが……。
その違和感はクルーゼでも感じていたらしく、唐突に命令を下す。
しかしそれに対応できる者は誰もおらず……全ては遅すぎた。
その後は激しい震動と爆発、そしてクルーの悲鳴と怒声が響き渡った。
ククルは怒りのあまりコンソールを拳で叩いた。
相手はあろう事か、本来守るべき戦艦とMSを囮として使い、旧式のMAで一発逆転を図ったのだ。
そしてそれは見事に成功し、オレンジ色の機体が火を噴くヴェサリウスの船体にワイアーを打ち込み、慣性で方向転換していくのをククルは目撃した。
そして……。
アークエンジェルの特装砲“ローエングリン”が虚空を引き裂いていく。
クルーゼが仇名で“足付き”と呼んだように、アークエンジェルは前方に二本の脚のような船体構造を持っている。
それはリニアカタパルトであると同時に、主砲“ゴッドフリート”と特装砲の収容スペースだった。
アークエンジェルは大気圏突入を考慮に入れていた為に、艦載兵器の全ては収納式となっている。
この特装砲は破壊力と使用エネルギーが大きすぎる為主砲のカテゴリーに入らなかったが、単純な攻撃力は間違いなく連合艦艇一だった。
クルーゼの素早い対応で何とか直撃は免れたものの、ヴェサリウスは掠っただけで右舷エンジンが大破している。
未だイザークらはゼンガーと戦い続けているが、勝負は一方的だ。
容赦無く振り降ろされる対艦刀の前にバスターは逃げ回る事しか出来ず、ブリッツの攻撃も蟷螂の斧とでも言わんばかりに無視。
イザークのみが善戦していたが時間の問題だ。最初期に開発されたデュエルでは、伍式のパワーを抑えきれない。
機体の慣熟度云々以前に、ザフトのMSパイロットには深刻な問題があった。
彼らは“MSと戦った事が無い”。
常に戦艦や宇宙戦闘機を意識して戦って来た彼らには、対MS戦の概念が薄かった。
連合軍がMSを投入する可能性も、所詮ナチュラルのものだと舐めてかかっていた。
……対する連合軍は開戦当初からMSと戦い続け、その戦術は徐々に構築されつつある。
そしてその結晶がこのXナンバー……しかも対MS戦術の先駆者であるゼンガーが操るのだ。例え赤といえども苦戦は必須だ。
ニコルのこの決断に、ククルもディアッカも驚いた。
普段あれだけ大人しい彼が、ここまでの決意を固める事が出来るとは……。
どうやらニコルは、ゼンガーと伍式を核に比するプラントへの脅威と感じているようだった。
確かにゼンガーならば、核を使うまでもなくセンターシャフトを一刀両断し、コロニーをも“断つ”だろう。
一端は後退を始めたが、結局は転進した三機が一斉に伍式へと攻撃を再開した。
これにはイザークもゼンガーも動揺したのか、動きがぎこちない。
即座にニコルのブリッツが、シールド兼武装複合ユニット“トリケロス”からランサーダートを発射する。
ランサーダートはロケット推進を行う槍の様な物で、純粋な貫通力で敵撃破を狙うものだ。
無論こんなものにみすみす当たる伍式ではない。対艦刀を振り上げ根元から真っ二つにした。
しかしその間のガードは、薄い。
そこにバスターの対装甲散弾砲が初めて命中した。
超大型ショットガンとでも言うべきこの一撃によって、伍式の位相転移装甲は大幅に電力を消耗した。
駄目押しの一撃とばかりに、マガルガが鮮やかな蹴りを一発、伍式へと命中させる。
そこで限界が来たのだろう、伍式の装甲が赤から暗い灰色へと変色していった……位相転移装甲が落ちたのだ。
クルーゼ隊に配属されて初の、本格的な連携行動だった。
自分にはそういった適性が無いと思い込んでいたククルは、やり方さえ間違えなければこれほど効果的な戦いが出来る。
開戦直後から戦い続けて、伸びきってしまったと思われた己の可能性を新たに見つけ、何ともいえない高揚感が湧き上がる。
しかしそれも長くは続かなかった。
一人イザークだけが、スタンドプレーを続けていた。
動きが鈍くなった伍式に猛然と突っ込み、背中のサーベルを一本引き抜こうとした。
だが、それより先に伍式が肩から突っ込んでいく。
左肩の鋭い突起を向けながら。
だが次の瞬間イザークが感じたのは、己の肉体がその突起に刺し貫かれる感触ではなく、猛然と何かが横切る衝撃だった。
ククルが咄嗟にマガルガをMA形態で突入させ、ギリギリのところで伍式をひっさらったのだ。
この様子をブリッジから眺めていたマリューは戦慄した。
勝てていたのだ、つい先程まで。
戦うまではあれほど厄介に思えたXナンバーを、赤子の手を捻るようになぎ倒していく伍式の姿に感銘すら覚えていた。
……それに甘えた結果がこのざまだ。
今マリューは、人類の希望ともいえる存在を失おうとしているのではないかと思うと、胸が裂けそうだった。
ミリアリアの悲痛な声を遮ったのは、余りに意外な人物だった。
CICに入っていたトールが思わず立ち上がって、イルイのところへ駆け寄った。
咎めるナタルに、額に汗を浮かべて息を切らすフレイが答えられる訳が無かった。
彼女もトールと同じくイルイに付き合わされた口だ。
対するイルイは呼吸一つ乱さず、ジッと画面を見つめている。
その無垢な瞳から窺える強い願いに、マリューはハッとなった。
会ったばかりの少女ですら、彼の帰還を信じているのだ。
今までゼンガーと共に理想に殉じて来た自分が、信じられないでどうすると。
その様子をレーザー通信で聞いていたフラガは、何とも複雑そうに言った。
話は少し遡る。
MA形態でがっちりと伍式をホールドしたマガルガが、物凄いスピードでこの宙域を離脱しつつあった。
そんなやり取りを聞いて、ゼンガーは鼻で笑った。
ギリ……と、拘束が強くなったのか伍式の装甲が嫌な音を立てる。
ククルは殆ど火器を使わない主義だった。
射線で敵に位置を知らせる事と、内装バッテリーの消費を嫌ったからだ。
特にXナンバーはビーム兵器を搭載しており、一発撃つごとに機体の電力残量が大幅に減っていくのだ。
そんなものを使うぐらいなら、格闘で多くの敵を倒すべきだというポリシーがあったが、今回は別だ。
ククルはこのマガルガの最大の武器、複列位相転移砲“スキュラ”の使用すら考えていた。
MA形態で戦艦に組み付き、ゼロ距離で発射する事で最大の効果を発揮するエネルギー砲だ。MSなどひとたまりもない。
急に無反応だった伍式が覚醒し、右手首を一回転させ、対艦刀の刃を逆手に持った。
咄嗟に伍式を解放し、防御体制を取ったが為に、マガルガの被害はライフルと右腰ブースターのみに止まった。
しかし対艦刀の実体刃の勢いからは逃れられず、一撃で戦闘不能に陥ってしまった。
一端距離を離した伍式に対し、デュエルが狙いを定めていた。
今度はライフルではない。その下に懸架されていたグレネードランチャーを放った。
一拍おいて、周囲を激しい閃光が包んだ。
その底冷えする声に、ククルもイザークも悪寒を覚えていた。
それほどまでに、爆炎の向こうにいる真紅の装甲に彩られた伍式には、圧倒的存在感があった。
ククルらの作戦は今一歩甘かった。
位相転移装甲が攻撃によってダウンするのは、大体大型実体弾を76発直撃させた場合だ。
先程の連携攻撃でディアッカが命中させた散弾砲は、その子弾が小さすぎた為に殆どのエネルギーが装甲に届く事無く消えてしまっていたのだ。
唯一マガルガの蹴りだけは綺麗に決まっていたが、ここでゼンガーは相手を油断させる為、あえて位相転移装甲をオフにしていたのだ。
獲物として睨まれたデュエルはひとたまりも無かった。
爆煙を切り裂くように迫る伍式相手に、身体を反らす事がやっとで、右腕は対艦刀に完全に捉えられていた。
一瞬の内に右腕を失い、コマの様に吹き飛ばされたデュエルを、マガルガと他のXナンバーが回収していく。
丁度援護要請を受けたフラガのメビウス・ゼロが駆けつけていたが、それ以上の追撃をしようとはしなかった……。
ゼンガーはもう、一人で戦ってはいない。
それを理解していたからこそ、これ以上の負担をマリューらにかけさせる訳にはいかなかったのだ。
ゼンガーがアークエンジェルに戻ると、思いがけない人物が彼を待っていた。
湯気と共に芳ばしい匂いが立ち上るコーヒーカップを握るイルイが、フレイと共に待っていた。
サイ達がブリッジに上がったと言うのに、一人だけ何もしていなかったフレイ。
彼らの様な工業科に属していなかった彼女では、大して役には立たなかっただろうが……それでも少しは良心が痛んでいたりする。
だからこうやって、自分が出来る範囲での事をしようと思い立ったのだ。
そんな二人の心遣いに素直に感謝を述べ、ゼンガーはイルイの小さな手からコーヒーを受け取った。
が。
一口飲んだだけで固まるゼンガーに、キョトンとした表情で首を傾げるイルイ。
痛恨の表情をしているフレイや、顔を背けているマードック軍曹らの様子を見ると、身をもって知っていながら止めなかったようだ。
それはそうだろう。こんな少女に上目使いで見つめられては無碍には扱う事が出来ない。
強靭な精神力でグッと堪えると、平然とした表情でゼンガーは答えた。
幼子の心を真実と言う刃で傷をつける訳にはいかない。
それに身体は受け付けなくとも、心は確かにその温かさを受け取っていた。
ブリッジの人間も大変だったな、とゼンガーは同情するが……実はナタルだけは素で言っていた。
それがイルイの行動に拍車をかけた事等、ゼンガーには知る由も無い。
ぱあっと笑顔を見せた後、続いて着艦した新たな獲物に対しイルイは向かっていった。
整備作業が開始された伍式を見上げゼンガーは呟く。
今は亡きソフィアの意志がこもった伍式に誓うと、ゼンガーは悶絶しているフラガにねぎらいの言葉をかけにいった……。
代理人の感想
・・・・・・展開自体は元ネタと全く変わらないのに、
主人公がアレになるだけでここまで濃くなるってのが凄いなぁ(笑)。
・・・さてさて(苦笑)。