一心のみの振りが、凍てつき時が止まった岸辺を砕いていく。
宇宙空間に撒き散らされた氷片が、プリズム効果を生み出して周囲に幻想的な雰囲気を作り出した。
レーダーがそれを捉える前に、ゼンガーはモニターの異変に気がついた。
デブリと化した一隻の船の周囲を見回す一体のMS……。
電子戦機能を充実させたジン強行偵察型だ。
ステルス能力も多少あるために、レーダーに感知されるのが遅れたのだ。
即座にゼンガーの伍式は加速し、一直線にジンへと向かう。
アークエンジェルか作業MSミストラル……どちらかが発見される可能性が高かったからだ。
何かに気を取られていたのか、ジンが接近する伍式に気が付くのに若干のタイムラグがあった。
それはパイロットに反撃の機会と、救援を呼ぶスキを同時に失わせていた。
あっけなく横一文字に薙がれるジン。
だが爆発によって近くの敵を引き寄せては元も子もない為、上半身だけは無傷だった。
今度はゼンガーよりも早くアラームが異変を知らせた。
だがそれは、敵性が無いもののある意味非常に厄介な代物だった。
伍式が帰艦した時、一緒に撃破したジンの上半身と救命ボートを運び込んだのだ。
流石に今回ばかりはナタルの主張にも同調したが、彼には軍人としての意地があった。
軍人は戦う術を持たない弱者の為に存在する。
制服や階級はあくまで組織維持に必要な儀礼であり、真に忠誠を誓うべきは連合の庇護を信じている人々だとゼンガーは考えていた。
……ザフト軍は捕虜を取らない方針を取ってはいるが、連合は別。
勿論尋問などはあるが、男女問わず銃殺していくよりかは遥かに人道的だ。
それ以前に、捕虜を取れるほどの戦いを、連合は滅多に行えないという問題は有るが。
マードックの手で救命ボートのハッチが解放された。
周囲に待機した兵が銃を構え……次の瞬間降ろしていた。
気の抜ける声を発しながら飛び出すピンクの球体。
耳がパタパタと動き真ん中には二つの目……何とも脱力する形をしていた。
そして、中からフワリと現われた人物は、この場には明らかに異質だった。
ふんわりとした桃色の髪、ほっそりとした腕に柔らかな表情……。
サイらと殆ど変わらぬ年頃の少女が出てくるとは誰も予想がつかず、その場にいた人間は暫し唖然となった。
ぼんやりとそのまま漂って行きそうな少女の手を、ゼンガーがそっと掴んだ。
裏表の無いその微笑に、思わずゼンガーの気が緩む。
しかし緩みっぱなしにはできない理由があった。それは……。
のんびりとしたその物言いに、ナタルは溜息を付きそうになった。
が、息を吐こうとした瞬間にそれは起こった。
ジンのコクピットから突如黒煙が上がり、何かが飛び出してきたのだ。
ゼンガーは投棄する予定だったが、マードックがパーツぐらい取れるだろうと持って来させたのが裏目に出たのだ。
周囲の兵が銃を構えるが、それより先にゼンガーが少女をフラガに託し、飛び出した為に発砲は出来なかった。
フラガがウンザリした表情でぼやいて直に、煙の中から二つの影が飛び出してきた。
ゼンガーの豪腕に掴みかかられ、身動きが取れないでいるパイロット。
良く見れば彼が着ているスーツは、あのククルと同じ物だと気がつくのにさほど時間はかからなかった。
事の事情が解らないのか、実に少女はマイペースであった。
アークエンジェルの奥に存在する独房に、ゼンガーはアスランと呼ばれたザフト兵を収監した。
まさか就航すらままならなかった新造艦の独房の初の利用者が、ザフトのエリートパイロットとは誰も予想が付かなかった、とナタルらは感心していたが、ゼンガーにとってそんな事は問題では無かった。
先程助けた少女の名はラクス=クラインと言った。
現プラント最高評議会の議長、シーゲル=クラインの娘だと、自ら嬉しそうに話したのだから間違いない。
しかもアスランが自分の婚約者である事までも話したのだ。
彼女曰く、ユニウス・セブン追悼慰霊団としてこの宙域に赴いたものの、乗っていた民間船が連合の艦艇に捕捉され、砲撃されたらしい。
その民間船はスクラップとなって漂っているのを後に見つけたが……ゼンガーらは黙っていた。
こんな宙域に地球連合軍が赴いた挙句、態々民間船を狙う理由がゼンガーにはさっぱり解らなかったが、彼女の存在を知っていたならばそれも多少理屈が合う……何処でどう知ったかは謎だが。
コーディネーターの扱いについては、その他の他国の場合と同じと表向きにされているがそれは違う。
実際にはプラントを国家として見なさず、ザフトを単なるテロリストと判断する場合もあるのだ。
主に大西洋連合寄りの軍人に多い傾向で、場合によっては命すら保障できない。
マリューやゼンガーの様な考え方の持ち主が寧ろ異端なのだ。
……またコーディネーターの捕虜確保が難しいもう一つの理由に、民間人の存在がある。
彼らがザフト兵を引き回した挙句に惨殺するというケースは珍しくも何とも無く、いかに両者の憎悪が深いかが窺えた。
ゼンガーの憂慮に気がついたのか、アスランは自らの名前を名乗った。
地球の体制下ではまず考えられない事なので、ゼンガーには多少の戸惑いがあった。
コーディネーターは能力があるものが、それに見合った仕事をするべきという風潮がある。
社会的に上層部に位置する筈の彼らでも、その考えは浸透していた。
……それだけザフト軍が機能的に構成されている事に驚きはするが感心は出来なかった。
それは同時に機械的であると言う事の裏返しであり、指示された目標を官民構わず破壊していくやり方には怒りすら覚えた。
だからこそこの静かな空気も長くは続かない。
格子越しにぶつかる二人の視線は、既に戦場でのものと大差が無かった。
ザフト軍が開戦直後に地球に投下したニュートロンジャマーは、本来核兵器の使用を阻止する為のものであった。
しかし全ての核分裂を阻害するこの装置は、同時に地球の生産能力を大幅に殺ぎ落としていった。
地球での発電手段は依然として原子力が主力だった為だ。その為多くの大都市が闇に閉ざされ、孤立。
その為戦争による被害を遥かに超える犠牲者を出す結果となった。立地によっては、都市まるごと全滅してしまったケースもあるぐらいだった。
一度は押さえ込んだ筈の負の感情が、再びゼンガーに襲い掛かった。
大切な者を奪った存在に対する憎悪は、邪な力となって人を突き動かす。
……連合が11ヶ月も圧倒されつつ、尚も抵抗を続けられているのはその為だ。
各国の思惑を超えた、深い怒りと悲しみが世界を動かしていたのだ。
突如独房に響いたおっとりした声に、二人して凍りついた。
同時にその場に渦巻いていた激しい殺意も凍てついてしまっている。
とても反省しているとは思えない、ぽやっとした口調でラクスは言う。
悪びれず、しかも本気で邪念なしで答えるラクスにゼンガーは大いに戸惑っていた。
いいわけない、とゼンガーは咎めたかったが、彼女を前にしてはどうもそんな気が起こらなかった。
完全に勢いを挫かれると言うか……とにかく、ゼンガーはラクスの前では普段どおりにはいられなかった。
ゼンガーが振り向くと、格子の向こう側で飛んで跳ねているハロを前に脱力しているアスランの姿が。
と、可笑しそうなラクスにつられてアスランも苦笑する。
その様子を何とも複雑そうな目で見つめていたゼンガーだったが、不思議と先程の様な激しい敵意は湧かないでいた。
その頃ククルは、補給整備を終えたヴェサリウスに搭乗すべく、軍事ステーションへと赴いていた。
そこには既にクルーゼが待っていたが、もう一人パトリックも何やら話しこんでいた。
このような場所に態々出向く人間では無い……とはククルは考えていなかった。
クルーゼと何か話している時は大抵都合が悪い事態が起こっている、と考えてよかったからだ。
パトリックが消えたのを見計らって、ククルはクルーゼの元へと向かった
簡潔なクルーゼの言葉に、ククルは微かに眉をひそめた。
それを聞いてククルの顔が険しくなった。
そのパトリックの焦りが、今を生きる者達を危機に晒した事に対し、ククルは嫌悪を隠さなかった。
冷酷なククルの視線を受けても、クルーゼは薄く笑っていた。
食堂から何やらもめる声が聞こえたので、ゼンガーはラクスを連れたまま立ち止まった。
見れば彼らのものとはまた別の、食事のトレーが二つ。
それを運ぶ役をフレイが頑なに拒否しているのだ。
同意を求められたゼンガーは、答えに迷った。
ゼンガーが反射的に振り返った時にはすでに遅し、ラクスが入り口でニコニコして立っていた。
一瞬固まっていたフレイ達だったが、我に返って大いに慌て出した。
「それにわたくしはザフトではありません。ザフトは軍の名称で、正式には」
ゼンガーの制服をギュっと握るフレイ。
その恐怖は背中越しにゼンガーにも伝わっていた。
だがそうだとしても……ゼンガーにラクスを倒す事など、出来る訳が無かった。
「一緒ではありませんわ。確かにわたくしはコーディネーターですが、軍の人間ではありませんもの……あなたも、軍の方では無いのでしょう?
でしたら、わたくしはあなたと同じですわね?」
柔らかな笑みと共に差し出された小さな手。
……普通の人間だったらなら、フレイとてそれを素直に受け入れられたかもしれない。
だが彼女は“コーディネーター”……その事実が、フレイに決定的な断裂の言葉を吐かせていた。
悲鳴に近いその叫びを、ゼンガーが鋭く遮った。
奥で竦んでいるイルイの姿を見たゼンガーが、彼女の事を案じたのだ。
しかしゼンガーとて、コーディネーターに歩み寄る気は無かった。
だからこそラクスに対し怒りの目を向けたりもする。
若干ながらその笑顔を曇らせ、ラクスはゼンガーと共に食堂から出て行った。
流石にその物言いにはミリアリアも反発を覚えていた。
フレイを除く学生らは皆、フレイの言葉を聞いてからと言うもの、一様に暗い顔をしている。
うっかり口を滑らしそうになるカズイにサイが釘を刺す。
……彼らのグループにおいて、唯一この場に居ない“彼”の事は、フレイには黙っていた方が良いと考えたからだ。
そこまでは考えて居ないだろうと、フレイの飛躍した考えに呆れる一同。
だがそれは誤りだと言う事を……むしろフレイより深く考えているとは、彼らは知る由も無い。
士官室に辿り着き、食事のトレーを置いたゼンガーは、今になって自分自身に対し嫌悪感を覚えていた。
彼らとて、好き好んでコーディネーターになった訳では無いのだ。
コーディネーターは受精卵段階で遺伝子情報をデザインして生み出される。つまり、コーディネーターになるか否かは、その子を産む親の決定に委ねられる。
双子のうち片方だけを遺伝子調整した例もあるが、それがどう言う結果を生んだかは想像するまでもない。
しかしラクスの天真爛漫な姿を見て、間違った存在などとはゼンガーには考えられなかった。
だがこの気質、この容姿……全てが遺伝子操作のものであったならば……。
思いも寄らない切り込みにゼンガーは怯んだ。
しかし表情は依然として柔らかい。
それはゼンガーが今まで打ち込まれたどんな振りよりも、深く心に突き刺さった。
ラクスはほわりと微笑み、一拍おいて答えた。
そう呼ばれた途端、ゼンガーは己が太古の騎士にでも成ったかのような気がした。
結局ゼンガーはラクスの問いに答えられなかった。
真っ先にゼンガーに浮かんだのはソフィア=ネート博士だった。
彼女の地球を守りたいと言う、一途な願いに打たれたゼンガーは、マリューと共にその理想に殉ずる事を誓った。
しかし彼女は既に亡く……彼女の理想も、その殆どをザフトに奪われ歪められてしまった。
ゼンガーは一端思考を中断して、アークエンジェルのブリッジへと入った。
希望に満ちたマリューの笑顔につられる様に、ゼンガーにも安堵の表情が浮かんだ。
ハルバートン准将は第8艦隊の提督であり、今回のMS開発計画を強力に後押しした人物だった。
ともすれば官僚主義に凝り固まりがちな軍部において、極めて柔軟かつ果断な判断が下せるゼンガーらの上司だった。
智将ハルバートンと謳われるだけあって、ゼンガーもその実力に一目も二目もおいていた。
あくまで形式ばっていたが、それでもナタルの報告にも喜びが滲み出ている。
それだけに、次のパルの言葉には大きなショックを受ける事となる。
折角掴んだ希望が掌から滑り落ちていくのを、マリューらは感じていた。
つまり先遣隊はザフトに捕捉されてしまったのだ。
しかしマリューが振り向いた先には誰もいなかった。
既にゼンガーは決断を下して出て行ったのだ。
全力で通路を走っていたゼンガーだったが、ドアが開いた士官室からラクスが現われ歩みを止めた。
再度鍵を掛けなおし、今度こそと駆け出したのだが、またしても道中腕を捕まれ歩みが止まる。
不安な顔のフレイだった。
今までも何度かこういった表情を見せていたフレイだったが、今度はかなり追い詰められていた。
指が食い込むほどゼンガーを強く握り、青い顔で震えている。
真剣な眼差しに見据えられ、思わずフレイは指を緩めた。
そのスキにゼンガーは一直線に格納庫に向かっていった。
伍式のシートについた途端、ゼンガーは起動シークェンスを大幅に省略して無理矢理伍式を立たせた。
ソードパックを装着していると、割り込むようにサイが通信を入れた。
ゼンガーは短く答え、伍式をカタパルトへと進めていった。
マガルガは両腕と両足に装備された、計四本ものビームサーベルでクルクルと宇宙を舞った。
優雅さすら感じるその死の舞踏に見入られ、今ローの船体がバラバラに分解され、炎に消えた。
先行していたジンの一機が、二つの火球と化した。
その火を纏ったかのような真紅の機影が、ククルの前に現われるまでそう時間はかからなかった。
器用に手足を振り、しきりに伍式を攻めるマガルガ。
それらの一撃を際どい所でかわし、受け流し、ここぞという一撃を繰り出しては離れる伍式。
傍から見れば二人共全力で戦っているように思えたがそうでは無かった。
互いにその心には、僅かな枷があった。
両者の熾烈な戦いは他の介入を許さなかった。
逆にそれは、両者共他への介入を不可能にしていた。
そうしている間にも、先遣隊のメビウスは次々とその数を減らし、残ったバーナードとモンゴトメリに砲火が集中していった……。
アークエンジェルのブリッジも事態が混沌としていた。
今の所先行して伍式とメビウス・ゼロが出撃したものの、アークエンジェルそのものは奥のヴェサリスに対して砲撃が出来る位置には居ない。
残った二機のジンも手ごろな獲物である先遣隊に狙いを絞っており、こちらには見向きもしない。
焦りが生まれてきたブリッジクルーには、突如ドアが開いたことに気がつくのが遅れた。
青ざめた表情のフレイが、全身を震わせながら戦闘の様子を見ていた。
マリューの一喝を聞いてサイが持ち場から離れ引き離そうとするが、フレイは激しく抵抗した。
旗艦モンゴトメリの艦長から苦渋の命令を受けるマリュー。
思わず唇を噛み、反論を試みる前にフレイが叫んだ。
艦長の後に、アルスター事務次官の姿があったのだ。
しかし当の本人は取り乱して、モニターの娘の姿に気がついていない。
一方的に切られた通信に対してまだ叫び続けるフレイ。
サイに連れられてブリッジから出ると、フレイは思わずその場でうずくまる様に身を縮めた。
フレイが掠れた声でサイに聞いた。
サイはフレイをどうにかしてなだめようと、居住区へと連れて行った。
気休めとはいえ、この状況では他にやりようが無かった。
現状には全く場違いな、穏やかで優しいメロディが彼らの耳に入った。
ラクスだ。ラクスが士官室でただ一人、たおやかに歌い続けていたのだ。
……彼女はプラントにおいてはアイドルとして有名であった。
その歌声は多くの人々の心に平穏をもたらす筈だったが……今のフレイにとって、それは心を逆なでし、挑発するものでしかなかった。
何の前触れ無しに扉を開け放ち、フレイは憎しみで歪んだ顔でラクスの手を掴むと、そのまま士官室から連れ出してしまった。
一方、戦局の方は佳境を迎えていた。
遂に先遣隊の僚艦である二艦が轟沈してしまったのだ。
これで残るは旗艦モンゴトメリのみ。
マガルガに取り付かれっぱなしの状況に、流石のゼンガーも苛立つ。
しかしこれ以外の選択肢は無かった。もしマガルガを放置したまま攻勢にまわり、ジン三機とヴェサリウスを潰せたとしても……その間に先遣隊はアークエンジェルもろともコマ切れにされてしまっている。
頼みのメビウス・ゼロも後退を余儀なくされてしまっている。マガルガ抜きでも、ジン二機と戦艦の援護さえあれば容易く連合艦艇など沈む。
予想以上に先遣隊が脆かった事が大きな誤算を呼んだのだ。
突如コクピットにフレイの割れた声が響き、ゼンガーは固まる。
マガルガもその動きを止めている……マガルガのボディに伍式の腕が接触していた為に、通信がククルにも届いていたのだ。
一足遅かった。
ゼンガーやククルの見守る中、モンゴトメリに二本の線条が突き刺さった。
その光は内部から膨れ上がり、やがては全てを包み込んでいった。
ゼンガーの絶叫と、弱々しいフレイの呻き声が重なった。
更にそれに続いて、ナタルの声が全周波で響き渡った。
ナタルの言葉よりも前に動きを止めていたククルだったが、それを聞いて残ったジンも動きを止めた。
つまりナタルは、二人を人質に使ったのだ。
これでザフトも手出しは出来ない筈だった。
が……。
クルーゼの指示を待たず、ククルはナタルに対し言い放った。
伍式から発射されたパンツァーアイゼンが、静止していたジンを弾き飛ばした。
我に返ったマリューが咎めようとするが、ゼンガーには一切耳に入っていなかった。
そして再び、二人の時間は動き出した。
代理人の感想
あ〜、原作では一番キツかった展開のあたりですね〜。
人質とるわフレイの父親は死んでしまうわキラは××だわフレイは様付けに昇格されるわ(爆)。
カタルシスというものがカケラもありませんでした。
それでもゼンガーが「問答無用!」と咆えるだけで妙な爽快感が出てくるのはやっぱり人徳かなぁw