宙空に浮かぶ二体分の巨人の手足、剥離した装甲、飛び散る機械油……。
これらの即席のデブリ帯の中で、灰色の巨人が肩を怒らせ対峙している。
火花を散らしながら互いに背を向ける二体。
それぞれの信念に交わる部分は何一つ無かった。
卑劣とか卑怯とかいう感情すら、生まれる余裕はなかった。
只お互いに、どうやって滅ぼそうかという激情しか存在し得なかったのだ……。
結局ジンを全て破壊し、マガルガにも大きな損害を与えてからゼンガーは帰艦した。
伍式のダメージも甚大であり、両機揃って位相転移装甲も落ちてしまったからだ。
そんなゼンガーに険しい顔でフラガが詰め寄った。
ゼンガーの言葉に思うところがあったのか、フラガは掴んでいた手を離してしまう。
それをゼンガーは振り払うと、足早に行ってしまった。
そして居住区へと向かい、悲鳴が聞こえる医務室へと躊躇う事無く踏み込んだ。
その中には半狂乱のフレイと、それを必死になってなだめようとするサイとミリアリアの姿が。
ミリアリアの表情が来るなと訴えていたが、ゼンガーはそのまま近づいていった。
ゼンガーのそれに匹敵する程の目付きの凄まじさに、サイもミリアリアも脅えた。
金切り声を上げて罵るフレイに、ゼンガーは微動だにしない。
フレイはそのままゼンガーに詰め寄り、その細腕からは信じられない程の力で袖を掴む。
サイが割って入りフレイを引き離そうとするが、フレイは動きそうに無かった。
震えて咽び泣くフレイの手を、ゼンガーはそっと離した。
驚いてフレイが見上げた時、彼女の表情に大きな戸惑いが浮かんだ。
鬼の様な形相の彼の瞳からは熱い雫が流れ、視線を落とすと彼の拳から、赤いものが滴り落ちていたのだ。
しかしそれでも、ゼンガーはフレイから目を背ける事はしなかったのだ。
ククルもまた今しがたの自分の行為を歯痒く思っていた。
ああするしか方法は無かった。
アークエンジェル側に断固とした態度を取った事で、彼らも二人の事は慎重に扱うだろう。
それに加えゼンガーの怒りを一身に受け止める事で、ヴェサリウスへの危険も回避したのだ。
……しかしそれは、彼女自身の信念に大きな傷を付けていた。
友を傷つける事を、一瞬たりとも肯定した自分を許せそうに無かった。
とは言うが、辛うじて生還した二人のパイロットは最早使い物にならなかった。
目の前で仲間が両断された光景と、自身もまた斬られていく衝撃が、延々とフラッシュバックしていると言うのだ。
赤いものを見ただけで動きが鈍るぐらいなのだから、精神面のダメージは深刻だった。
死んでいるならまだしも、生きて捕虜となったとなれば士気に大きく影響してしまうだろう。
そして彼らの返還の為に多大な労力と時間を費やす事となる……可能ならばいかなる手を使ってでも奪還をしなければならなかった。
素早くククルの意図を察したクルーゼがほくそ笑む。
今のククルの頭にはもう、ラクスとアスランの救出プランしか頭に無かった。
その割り切りの良さが、彼女をここまで生かしたのだ。
そしてゼンガーは、人気の無い展望台で一人佇んでいた。
ゼンガーは、逃げ方を知らない男だった。故に全てを背負い込んでしまう……。
フレイのあらん限りの罵声も全て受け止め、その重荷を一心に背負っても、ゼンガーは倒れない……折れない。
心が強いのではない。倒れる事や折れる事と言う、“逃げ”方が解らないのだ。
だから必死になって足掻いた……その結果、いまや死と言う“逃げ”からもかなり遠ざかってしまった。
向かう所は敵なし……しかし逃げ場も無いのだ、今のゼンガーには。
しかしゼンガーは自分の行為に納得していた訳では無かった。
自分はククルとの死合に夢中になり、成すべき義務を果たさなかったのではないかという思いが、今の彼にはあった。
三度目になるラクスの不意の出現にも、もうゼンガーは動じなくなっていた。
君のお陰だ、とはゼンガーは言えなかった。
確かにラクスを人質に取った形にはなったが、それは戦闘を一時中断させたに過ぎなかった。
ククルの強い意思表明で続行した戦闘が一区切りついたのは、ザフト側の戦力激減が原因に他ならない。
その戦力であるジンを三機も葬ったのは……他ならぬゼンガー自身だった。
ラクスにとっては極当たり前の事だったが、ゼンガーには衝撃の事実だった。
寂しそうな目で、ラクスはハロを抱えたまま見上げた。
ゼンガーの呟きに、何かを感じたのかラクスが首を傾げる。
だが展望デッキの外には、フレイが待ち構えていた。
俯いていたフレイがビクッと震えた。
おずおずと目を上げると、ゼンガーが真摯な目で見つめていたのだ。
自分など相手にされないと思っていたフレイは、意識されていた事に喜びを感じていた。
だがそれと同時に、自らの傷をえぐる様なその言葉に怒りを覚え、二つの感情に挟まれて迷い切ってしまっていた。
しかしそんな迷いすら、ゼンガーは両断する。
そのコーディネーターであるラクスがいるにも関わらず、ゼンガーは遠慮無く続ける。
それを聞いたフレイの表情は固かった。
静かにフレイは答えると、躊躇わずにゼンガーの手を掴んだ。
その悲しい理由を前に、ラクスが笑える筈が無かった。
アスランはゼンガーに連れられる形で牢から連れ出された。
本来牢には電子ロックが二重にかけられているが、そのカードキーは二枚とも容易に手に入った。
ゼンガーがマリューに対し“尋問をする”と一言言っただけで、渋い顔をしながら渡したのだ。
彼の本質を知るマリューにとっては余りに意外で、残念な事だったのだろうか。
声を大にして否定するゼンガーのに、アスランの表情は固まった。
ゼンガーが隣に居た為か、途中何度もクルーとすれ違ったが誰も咎めようとはしなかった。
むしろ気の毒そうにアスランを眺めていたのだ。それだけゼンガーの実力は、“教導隊”の存在を知らぬ者にも浸透しつつあった。
また何か揉めているのかと冷やりとするゼンガーだったが、出てきたラクスの姿を見てアスランが顔面蒼白になっていた。
船外作業用スーツの中に自身のドレスを入れたために、ラクスの腹部はぽっこりと膨らんでしまっていた。
しかしラクスとゼンガーがそろって首を傾げるのを見て、フレイもアスランも咳払いして忘れる事とした。
更にアスランもパイロットスーツを着込むと、一行は格納庫へと向かっていく。
既に整備が完了した格納庫周辺は全く人気が無く、ゼンガーと二人が伍式に乗り込もうとしても誰一人として目撃するものは居なかった。
フレイを除いては。
自らの肩を抱き、憂いを帯びた表情でフレイは言った。
流石にマードックが異常事態に気がつき声を上げたが、既に伍式のハッチは閉じていた。
警報が鳴り響き、あちこちから作業員が駆けつけてきた。
フレイの泣き声が遠ざかっていくのを、ゼンガーは感じていた。
無為にはできぬその願い……必ず果たさねばならなかった。
言われなくとも散っていく作業員達。
伍式がカタパルトでソードストライカーを装備していると、艦橋のナタルから怒声が響いた。
確信犯的にマリューがそう答えた途端、ナタルの声は思わず上ずっていた。
珍しいものが見れた事ににやりとするマリュー。
同時にゼンガーが変わった訳では無い事を確認し、安堵していた。
既にククルはマガルガで待機し、他のメンバーも突入艇に搭乗済み。
彼女のプランは直にでも実行可能だったが、直前にアデスにストップをかけられたのだ、苛立ちもする。
クルーゼがククルに回した回線からは、彼女が待ち望んだ男の声が聞こえていた。
相変わらずアデスは慎重な考えだったが、ククルにとってはその言葉だけでゼンガーの真意が読めた。
また何時ものやりとりかとアデスはウンザリしていたが、マガルガが発進した途端クルーゼがこう言った。
今の軽口に意味があった事に気がついたアデスは、ただただ唖然となっていた。
アークエンジェルでもナタルが叫んでいたが、どう言う訳か既に待機していたフラガがさらりと言う。
絶句したナタルの姿を見て、マリューは周囲を気にしながら含み笑いを浮かべた。
だが次の瞬間口元を引きしめると、冷徹な艦長としての一面を垣間見せた。
イレギュラーの連続により、マニュアル主義のナタルの頭は半ばパニックになりつつあった。
全速力で互いを目指していた伍式とマガルガは程無くして接触した。
互いに制動の為にスラスターを吹かし静止するが、マガルガは四肢を、伍式は対艦刀を構えたままだ。
今までと何ら変わりの無い、緊迫した空気の中両者は語り合った。
ハッチが開いていくと、そこには同じ様にハッチを開放させつつあるマガルガの姿があった。
言われるままにアスランはククルへと呼びかけた。
ラクスが声を発するまでもなく、ククルは彼女の存在を感じていたのだ。
ラクスもまたひらひらと手を振り笑いかけている。二人のその親密そうな関係に、ゼンガーはこそばゆい気分になった。
ククルがジロジロ見回した末に出した結論は凄まじかった。
アスランが必死になって釈明する。
ゼンガーに突っ込まれ、アスランはあたふたとラクスを抱き上げハッチの上に立った。
ラクスの呼び声の柔らかさにククルは彼らの関わりを察した。
ゼンガーはコーディネーターであるラクスに、“分別のある”扱いをしてくれたに違いないと。
またアスランもそれほど警戒していない事からも、ゼンガーの本質には裏表が無い事も。
二人がマガルガへと乗り移った後、互いのハッチが閉じ、二つの機影はゆっくりと遠ざかっていく。
十分に距離が離れた瞬間、ゆっくりだった両者の動きに変化があった。
マガルガがビームサーベルを、伍式が対艦刀を突如として起動させたのだ。
その輝きに導かれるように、ヴェサリウスからはシグーが、アークエンジェルからはメビウス・ゼロがそれぞれ出撃する。
両者の動きに、憤りを感じる前に戸惑うアスラン。
ラクスと違い深い事情を知らぬアスランは、てっきりゼンガーが善意で逃してくれたものと思い込んでいた。
それが自分の甘い考えだった事を、アスランは思い知った。
本当にゼンガーは、殺すために逃したのだ。その相手が自分達では無いにしても。
その時……。
突如ラクスの凛とした声が、戦場に響いたのだ。
先程のナタルの人質宣言よりも遥かにインパクトを与えたそれは、クルーゼでさえも返答に暫し間が空いた。
唖然とするアスランにニッコリと微笑むラクス。
そして……。
一番怒る筈であったククルさえも、困った様な微笑を浮かべていたのだ。
自分の知らない部分を共有している二人の姿に、アスランは軽い嫉妬さえ覚えた。
そして同時に……婚約者であるにも関わらず、彼女の事を理解できていない自分への不甲斐無さも。
ラクスの活躍により無事帰艦したゼンガーとフラガを交え、マリューは艦長室にて査問を開いて、先程終わらせたばかりだった。
ナタルもちゃんといて、事情を問いただすと意気込んでいたのだが……真相に愕然となりフラフラと退室してしまっている。
理屈のみでゼンガーを屈する事などまず無理だと、マリューは言ってやりたかったが遅かった。
ゼンガーの予想は今回も見事に的中していた。
彼らが知る由も無かったが、ククルが直前まで用意していた手段は、そのものずばり白兵戦だったのだ。
マガルガで可能な限り伍式とメビウス・ゼロを引き付け、そのスキにステルス突入艇でアークエンジェルへ強襲。
ラクスらを救出後、可能ならばアークエンジェルを内部から破壊するという恐るべきものだったのだ。
ステルス突入艇の性能はヘリオポリス襲撃時に実証済みだ。中立とは言え連合はそれなりの警備体制は取っていたし、モルゲンレーテのセキュリティも非常に高度だった。
にも拘らず、その存在を知ったのは脱出された後だったのだから、ヴェサリウス側から電波妨害を最大に行われていれば容易に取り付かれていた。
クルーは定数を満たしていない上、難民も多い今の状況では、結果がどうあれ大きな被害が出たことは間違いなかった。
それが任務上の事であるとばかりマリューは思っていたが、実はフラガにとってはそうではなかったりする。
その真意を悟られる前に、とっととフラガは行ってしまった。
そしてゼンガーも退出したが、扉が閉まったところでゆっくりと横を向いた。
……そこには一人、弱々しげに立っているフレイの姿があった。
髪はやつれ、目も真っ赤だったが、ゼンガーの姿を見た途端花が咲いたかのように瞳だけは輝き出していた。
よろめく様に飛び込んできたフレイを、ゼンガーはしっかりと支えてやった。
彼女の口から漏れたのは、掠れるような嗚咽だけだった。
代理人の感想
・・・・・・・親分恐るべし。
これ以外に言葉が浮かびませんねー。
ただそれだけに、相対的にアスランの男が急降下したという事実には
この際目をつぶっていてあげましょう(爆)。