自室に戻り、僅かな私物をまとめていたゼンガーの背中から声が響く。
自然と振り向くゼンガーだったが、フレイの姿を見て暫く沈黙した。
それは地球連合軍で採用されている下士官用の制服だった。
先程まで軍とは遠い筈だった少女が着ると、何処か現実味が薄れてしまう。
俯いていたフレイがパッと顔をあげ、潤んだ瞳でゼンガーを見上げた。
ゼンガーの一声に、フレイは声を詰らせた。
思いも寄らない言葉にフレイは固まった。
凍り付く様なゼンガーの視線に見据えられ、遂にフレイは押し黙った。
ゼンガーが静かに言った途端、艦内に警報が鳴り響いた。
第一戦闘配備を伝えるそれに、ゼンガーはすっと立ち上がる。
纏めた荷物を置き去りにして、ゼンガーは慌しく格納庫へ向かった。
そう呟くフレイの視線は、真っ直ぐに走り去っていくゼンガーへと向けられていた。
搬入作業で慌しくなっているデッキまで辿り着くと、そこではまだ避難民の移送が完了していなかった。
予定ではメネラオスに移ってからシャトルで地球降下を行う予定だったが、大気圏内用支援戦闘機“スカイグラスパー”の搬入も重なり若干の遅れがあった。伍式すらまだ搬送されていないのだ、その混乱ぶりが窺える。
子供特有の甲高い声が響いた先には、イルイと、いつぞやの幼女が駆け寄っていた。
無重力状態なので二人共不器用に浮き上がったが、ゼンガーはそれを大きな手で受け止めてやった。
舌足らずな様子で言うと、幼女が小さな花を差し出した。
花と言ってもそれは、お世辞にも綺麗には折れていない折り紙だったが。
母親に連れられて、エルと呼ばれた幼女が手を振りながらゼンガーから離れていく。ゼンガーはそれに対し笑顔で見送った。
それに対しコクコクと頷くイルイに、ゼンガーは不信がる。
周囲を見回しても、誰も彼女を迎えに来る人間がいないのだ。
すっと自然な動きでゼンガーに抱きつくイルイ。
甘えるイルイに対しゼンガーが頭を撫でると、頬を赤くして微笑んだ。
ふわりとイルイは浮き上がると、ゆっくりとシャトルへと流れていった。
珍しく神妙な顔のマードックに対し、ゼンガーは頷く。
親指を立てるマードックに送られるようにして、ゼンガーは床を蹴って伍式のほうへと流れていった。
ガモフでのひと悶着を通信で拾ったククルは、ヤレヤレといった表情をしたが同時に安堵していた。
ゼンガーから受けた傷はそれ程深くは無かった……いや、深いからこそ恥辱を削ぐ為に必死なのだろうか。
電波妨害を開始した為に顔は見えない。しかしその表情が憤怒で歪んでいるのは容易に想像出来た。
……ラクスとアスランを引き渡した後、ヴェサリウスは全速でガモフと合流。更には途中ガモフと同じローラシア級ツィーグラーと合流して艦隊行動を取っていた。
攻撃目標は足付き事アークエンジェル……そして第8艦隊。
ガモフから出撃したブリッツが、マガルガの横に来る。
ガモフとヴェサリウスの距離は大分あると言うのにだ。
その返答に安堵したのか、ニコルは短く息を吐いた。
まるで戦艦等脅威では無いと言わんばかりの物言いだった。
それも無理が無い話で。ジンのメビウスとの戦力対比は一対五とされており、圧倒的優位を誇っていたのだ。
そしてMA以上の運動性能を持つMSにとって、戦艦は誘爆する分的以下と考えられていた。
敵将であるハルバートンの実力はククルも、そしてクルーゼも買っていた。
それだけに旧式の戦術・装備を駆使せねばならぬ彼を不憫にすら思っていた。
ククルの前をツィーグラーから発進したジンが、三機編成で先行していく。
ヴェサリウスを始めとした三艦も砲塔を旋回させ、青い地球をバックに展開する大艦隊へと艦首を向けていた。
暗い真空の海に花が咲いた。
ジンが交戦を開始したものとばかり考えていたククルは、それっきり失われた輝きにハッとなった。
前方で怪訝そうに索敵を行っていたジンが急に動きを止めた。
そして、その機体が文字通り切り裂かれ、そこから現われた機影にククルらは愕然となった。
見慣れた赤い機体が無数のメビウスを従え、真っ直ぐ向かっていたのだ。
しかも第8艦隊のメビウス隊は訓練不足と表されていたにも拘らず、しっかりと編隊を組んで伍式に付いて来ている。
短時間で余程の訓練をこなしたのか、有能な前線指揮官が現われたか……。
深く考えるまでも無く後者だろう、とククルは判断した。
アークエンジェルと共にアラスカへと降りるものとばかり考えていたニコルは、その予想外の展開に言葉も無い。
だがククルはニコル程の焦燥は感じていない。心の何処かでこの展開を望んでいたに違い無かった。
イザークもククルと同じくゼンガーとの対決を渇望していた。
レールガンやミサイルランチャーが接続された、増加装甲を纏ったデュエルが伍式を追う。
間に合わせとは言えザフトの技術力の結晶。その性能は素晴らしいものがあった。
メビウスのレールガン程度は位相転移装甲を使うまでもなく弾き返し、各所に設置されたスラスターにより運動性能はむしろノーマルデュエルを超えている。
にも関わらず伍式はビームを平然とかわし、ミサイルを難なく切り払う。
ディアッカは周囲に取り付いているメビウスの相手で忙しかった。
ヒットアンドアウェイを徹底しているのか、一発撃っては離れを繰り返す為中々数を落とせないのだ。
言いつつククルは何機目かのメビウスを両断する。
今の戦場はとんでもない過密状態にあった。
Xナンバーが全機、ジンが六機、そしてメビウスが数十機以上……。
これでは格闘戦を主体とするククルは入り込めない。
援護射撃をしようにも、専用ライフルは対艦刀に貫かれ、失われているのだ。スキュラを使うのは問題外だった。
意外にも厄介なのがメビウスで、絶対に散開しようとせず、蝿の如くしつこく至近距離を纏わりつくのだ。
そしてうっかりそれを撃とう物ならば、避けられた挙句確実に味方に当たるのだ。ディアッカもそれを恐れ、折角修理が終わったインパルスライフルを使えず、ちまちまとイーゲルシュテルンやミサイルランチャーで迎撃している。
そして恐れていた事態が起こった。
デュエルが放ったレールガンが伍式のパンツァーアイゼンに阻まれ兆弾。
それが運悪く一機のジンの頭部に直撃し、モニターが死んだジンに対しメビウスの砲火が集中したのだ。
爆発する友軍機を見て、他の隊のジンが一気に動きを鈍くした。
同士討ちを恐れて攻撃の手が鈍ったのみならず、いつの間にか味方が半数に減っていた事に対し恐怖していたのだ。
また一機ジンが対艦刀の餌食となり、残ったジン隊は半ば恐慌状態に陥りつつあった。
それとは対照的に、乱戦状況にも関わらず伍式は的確に敵を見据え、次々と屠っている。
味方が次々に落とされていく状況に、ニコルも焦っていた。
ランサーダートが一機のメビウスに突き刺さり爆発するが、それが目晦ましとなってまた一機のジンが対艦刀の露となった。
しかし誰もその言葉を聞こうとしない。
メビウスがその数を半数まで減らした為か、伍式もろとも後退を始める。
それに対しデュエルを筆頭に何も考えずに追撃していくMS隊。対応する様にツィーグラーとガモフも前進を開始した。
と言いつつデュエルに付随する辺り全然解っていない。
常に物事を側面から見る事が出来たディアッカも、味方のMS隊が壊滅するという事態に熱くなっていた。
当然の様に後を追おうとしたブリッツを、マガルガは力ずくで押さえ込んだ。
そこに今まで沈黙していたヴェサリウスから、冷静なクルーゼの声が響いた。
その瞬間、ツィーグラーが第8艦隊から一斉に艦砲射撃を受けた。
光の雨がツィーグラーに降り注ぎ、その艦体をあっという間に削っていく。
一発の艦砲を撃つ間も無く、ツィーグラーはこの宇宙から消滅していった。
今しがた失われた命に対し、全くの配慮をしようとしないこの男に、ククルは殺意を覚えた。
その深さは、ある意味ゼンガーに対するそれを上回るほど……。
半数を失ったメビウス隊を率いて、ゼンガーは第8艦隊へと向かっていた。
伍式そのものを最前線に立たせ、ザフトの攻撃力の要であるMSを一気に叩こうという目論みは予想以上の成果を上げた。
たった一度の戦闘でMSを6機も撃墜する等、いかにエリート揃いの“教導隊”と言えど群を抜いた成果だった。
メビウス隊もまた多大な犠牲を出しつつも、一機のジンを落としている。その戦果はアーマー乗りにとってどんな訓練よりも効果的だったろう。
ホフマンの冷ややかな声と同時に、ゼンガーの後方で駆逐艦が一隻、轟音と共に沈んでいく。
次の瞬間には戦艦のブリッジが砲撃を受け、沈黙する。
……追ってきたデュエルとバスターによるものだ。
ハルバートンの言葉は何の慰めにもならなかった。
既に生還したメビウス隊の弾薬や推進剤も完全に尽きつつあった。
飛んでいるのが不思議なぐらいの損傷を受けているものもある。
そのうち一機に最後のジンが飛び掛った。
ゼンガーに斬られ、メビウスに落とされ、更には艦砲によって蒸発した仲間の敵と言わんばかりに、メビウスの上に乗るとバズーカの銃口を押し付けた。
しかし引き金が引かれる直前に、ゼンガーはパンツァーアイゼンを発射しジンの腕をとった。
そのまま力の限り引き寄せバランスを崩した所で、他の艦の護衛に当たっていたメビウスからの攻撃が命中する。
蜂の巣になったジンは爆発し、これでジン隊は全滅した。
そうしている内にまた二艦が戦闘不能に追い込まれていた。
ゼンガーが一機のMSを倒す間に倍以上の戦力を削っている……これがコーディネーターの圧倒的な力だった。
今のままでぶつかれば、まず勝ち目は無いのは人類の方なのだ。
それがたった二機のMSの為と言うのだから、流石のハルバートンも声を荒げた。
自身が推進したG計画がここまでの成果を……しかも味方を潰す方に作用しているのは皮肉としか言いようが無かった。
ゼンガーは全ての生き残りのMAが近くの艦艇に収容されるのを見て、バッテリーを気にしながら再び対峙すべく転進する。
只ならぬ勢いで迫るデュエルに対し、伍式の対艦刀を構えた瞬間、ハルバートンから全艦隊に向けて通信回線が開かれた。
ハルバートンの無茶な命令にも驚いたが、言い出しは間違いなくマリューだとゼンガーは悟った。
上官が上官だと部下も部下だ……と、ゼンガーは自分の事を棚に上げて苦笑した。
嵐のようなデュエルとバスターの攻勢に圧倒されていた前線が、ハルバートンの一声により奮い立った。
そして何よりこの戦場には“大天使の剣”がいる……赤き守護神が、自分達と共にある事が何よりの励みとなっていた。
その言葉が宙域に響いた時、デュエルのビームサーベルが伍式の目前に迫っていた。
パンツァーアイゼンの爪を発射せず、左腕で固定したままデュエルの右腕をホールドする。
ギリギリと腕を振り下ろそうともがくデュエルだが、伍式の腕はぴくりともしない。
そのまま右腕を振りかぶった伍式は、デュエルの頭部に拳が当たると同時にパンツァーアイゼンを発射する。
拳の衝撃とパンツァーアイゼンの推力によって大きく引き離されるデュエルだったが、すぐさま爪から脱すると肩部ミサイルランチャーを使用する。
対艦刀でミサイルを一気に全て払い落とすと、ゼンガーはデュエル目掛けて前進した。
そこにバスターがインパルスライフルをお見舞いするべく狙いを定める。
が、それは四発同時のピンポイント攻撃によって阻まれた。
ガンバレルを展開したメビウスゼロが、バスターに撃ちかかったのだ。
勿論撃ち返すバスターだったが、メビウスゼロはするりとかわしていく。
バスターの足止めをフラガに任せ、ゼンガーはそのままデュエルとの交戦を続ける。
眼下にはアークエンジェル。しかしその白い姿は何故か揺らいでいる。
アークエンジェルのみではない。その近くにいるメネラオスも、バスターもメビウスゼロも、目の前のデュエルも全て……。
そう、ゼンガーらは地球に近付き過ぎていた。大気圏ギリギリに近いこの場所は、正に灼熱地獄への一歩手前だった。
そこへ好き好んで突っ込んで来る、もう一隻の戦艦があった。
デュエルとバスターが開けた第8艦隊の陣形の穴を抜けてきたガモフだった。
既に砲火に晒され満身創痍だったが、猛然とメネラオスへの砲撃を続けていた。
今までバッテリー節約の為に、殆ど発生させていなかった収束ビーム刃を起動させるゼンガー。
突然のガモフの行動に虚をつかれたデュエルのスキをついて、ゼンガーは一気にガモフに肉迫する。
ザックリとめり込んだビーム刃が、ガモフ艦内に次々と誘爆を引き起こした。
また対艦刀の切り口からみるみるうちに熱が入り込み、その崩壊を飛躍的に早め、遂には内部から装甲が膨れ上がり、弾けた。
メネラオスはまだ辛うじて持ち堪えていた。
が、既に突入限界点を突破したこの艦が、地球の引力を脱する手段はもう無かった。
メネラオスから一機のシャトルが放出され、徐々に姿勢を制御して離れいった。
……それがメネラオスに搭載されている大気圏突入可能な、唯一のシャトルであるにも関わらず。
遂にメネラオスが燃え上がり、その船体がバラバラに砕ける。
その様を至近距離で見守っていたゼンガーの視界が、涙によって歪んでいく。
ゼンガーはどんどん降下していくアークエンジェルと、先程離脱したシャトルをそれぞれ見据え……。
ハルバートンの思いに答えるべく、動き出した。
対艦刀によって、文字通り断たれてしまったガモフの最期を、イザークは見ていた。
これがこの戦争において、対艦刀の犠牲となった初めての船だったが、それを見届けたイザークも衝撃が大きかった。
例え度重なる砲撃によって損傷していたとしても、一撃で戦艦を斬り倒したMSなどザフトにもありはしない。
その時イザークの視界を横切ったものがあった。
メネラオスから放出されたシャトルだった。
しかし翼に若干の損傷があるようで、その動きは実に危なっかしかった。
放っておいても燃え尽きる可能性が高かったが、イザークはそれを見逃すほど甘くは無かった。
デュエルのビームライフルからビームが放たれる直前、デュエルは背後から激しい衝撃を受けライフルを取り落とした。
無様に体制を崩しているデュエルの横を、悠然と伍式が横切った。
その瞬間デュエルの手から離れたビームライフルが、赤熱して燃え落ちた。
伍式がシャトルに取り付いたところでビームサーベルで切りかかろうとするデュエル。
だがサーベルは程無くして溶け落ち、徒手空拳のまま近付いたデュエルは伍式の左手に首を絞められる。
位置的にシャトルの船窓が見えたイザークは愕然となる。
そこから映る顔には、まだ幼い幼女の姿すらあったのだ。
それだけ言うと無造作にデュエルを突き放す伍式。
暫く只漂っていたデュエルだったが、やがてその体躯を震わせるようにして起き上がった。
シールドを捨て、デュエルの手を自由にしたイザークは絶叫する。
シャトルを支えつつ、左肩のマイダスメッサーを掴もうとする伍式の動きを制して、イザークはシャトルに取り付いた。
イザークはアサルトシュラウドに接続されていたレールガンも切り離し、全推力でシャトルの機動を安定させた。
それを見た伍式も同様に反対側からスラスターを吹かし、シャトルを支える。
自分でも何をやっているかイザークにも解らなかった。
熱で頭がどうかなったのかとも考えていた。
……実際そうだった。しかしそれは、大気圏突入時における機内温度によるものではなかった。
ゼンガーの言葉が、イザークのプライドを超えた何かに触れたのだ。
程無くしてシャトルはコースを安定させ、滑る様にして降下していった。
カタログスペックではXナンバーは位相転移装甲のお陰で大気圏突入すら可能にしている。
だがそれはきちんとした突入体勢を取り、アンチビームシールドを掲げて辛うじて可能と言うレベルだった。
決して本来の安全基準通りではない。
しかもデュエルは度重なる戦闘により、機体各所に重大な損傷があった。
このままでは姿勢を保てず、メネラオスの後を追う事は確実だった。
落下しながら伍式がデュエルを押さえ込むと、そのまま横方向へと押し出した。
それによってデュエルは突入角を適当な状態に保てるようになった。
これならば大気圏に弾かれる事も、突入角が深すぎて燃え尽きる事も無い。
そのまま深い角度で地表へと落ちる伍式を、イザークは目で追うことしか出来なかった……。
無論この様子はシャトルの避難民にも見えていた。
皆船室の窓に張り付くようにして、二機の奮闘を見守っていた。
何故助けてくれたかは解らない……しかも片方は、散々アークエンジェルと戦った機体の一機だと、誰もが知っていた。
モニターごしに殺気を撒き散らしながら、自分達を襲っていた相手が何故……と疑問に思う。
だがどちらにしても助かった事は確かだった。その代償として、今正に自分達の守り神が燃え尽きようとしているが。
泣きそうな表情で必死に祈るイルイを見て、エルも一緒になって祈り出した。
こうなってしまえばもう、それぐらいしか意味がないと、子供心に感じていたのだ。
しかし子供は大人と違う。
エヴィデンス01の発見により、三大宗教を始めとした多くの“神”がその存在を否定された今でも、純粋に“神”の存在を信じる事が出来るのが子供だった。
道理など関係無い。只自分達を守ってくれる存在を無心に願う……。
その願いが叶えられない事を知った時、子供は大人になる事が多いが……今回は違った。
本当に、“神”が手を下したのだ。
避難民の一人が何かを指した途端、船窓一杯に黒い影が横切った。
巨大な翼に比する長大な爪、そして口腔部が醜く空いた人型の頭……。
胴体に棘のある球体を抱えたそれは、一瞬シャトルを横目で見ると、すぐさま伍式の方へと向かっていったのだ。
いつの間にか目を開けたイルイが優しく言った。
その眼は自分の母親のそれよりも、遥かに落ち着いているようにエルには感じられた。
代理人の感想
出たっ!
・・・・・・・・・・・つーか、あれ人間の顔がついてたんだ。知らなかった(爆)。