「明けの砂漠に」

「勝ち取った未来に」

「じゃあ、まあそう言う事で」


 サイーブとマリューが掲げた杯を、フラガがあっさり締めくくった。
 ナタルを含めた四人が杯を空けたのを皮切りに、レジスタンスの拠点では戦勝祝いが行われていた。
 ……ただナタルだけが、酒の余りの強さにむせ返っていたが。


「し、信じられない……こんな強いのを? 少佐は大丈夫で……」


“バタ”


 ゼンガーに同意を求めようとしたナタルだったが、既に当人はひっくり返っていた。
 むせるどころでは済まなかったのだ。


「しょ、少佐ぁ?!」


「アルコールに弱いの、まだ治っていなかったのねぇ」

「解っててやったのかよ」

「いえ、だからコーヒーに少しだけ混ぜただけなんだけど……それでもダメみたい」


 からからと陽気に笑うマリューを見て、君はどうなんだと言った風に、横目でフラガが見つめていた。


「お酌……してあげようと思ったのに……」

「生粋のアーリア系民族ならば、アルコールに強い筈なんだがねえ……あ、もち嬢ちゃんは駄目よ。未成年だし」


 残念そうなフレイと共にゼンガーを担ぎ上げ、一時戦線を離脱するフラガ。
 背後からマリューに絡まれて助けを求めるナタルの声は、ひとまず放置だ。





 
 フラガやフレイと言った主役達を中心に、勝利の宴は続いていく。
 だが只一人……ゼンガーに次ぐ功労者である筈だった少年は、隅に座り込んで震えていた。


「殺したく……無かったのに……」


 今更言っても仕方が無かった。
 キャノピーごしに見える、敵の怒りと驚愕の表情。
 殺意を込めた指先の動きが、そのまま弾丸となってこちらに飛んできた時、出来る事はそれらをかわし、撃ち返す事。
 その砕け散った殺意を気にする間も無く、より強固な装甲と武装でデコレーションされた殺意を狙っていく。
 今度は戦闘ヘリや戦闘機と違い、相手の顔は見えない。
 だがその思惟は確実に……しかもより強力に彼を襲った。
 それぞれの思惟は単独ではなく、寄り集まる事でその力を増幅させているように思えた。
 それを許してはならない。
 巨大な敵意を許しては、自分のみならず守るべきものに危害が加わる。
 その我慢できない敵意に、彼は過剰に反応した。
 周囲に感じるありとあらゆる敵意を消していった。
 つまり、敵意を放つ存在を消し去る事を黙々と、マシンの様に遂行していったのだ。
 後から考えれば必要でない目標にも……無意味でも、迫り来る恐怖に対し銃口を向けざるを得なかった者達にも……。


「僕は……戦って無かった……戦争をしていたんじゃない……一つ一つの……敵意を相手に……」

『戦争は“殺人”を言葉として摩り替えただけに過ぎんよ』


 結局自力では見つけられなかった、かつての敵将の声が耳に入る。


『その重さに潰れる事は珍しくない……だが自分で引き起こした事象や意味は、他でもない自分自身で背負わねばならないのだよ』


 あの敵将を前にして迷いは捨てた筈だった。覚悟をした筈だった。
 それでも……。


「まあ今後生きてる限り必ず付いて回るんだ。一旦コーヒーでも飲んで落ち着いて、何をすべきか考えたまえ」

「え?!」


 それが幻聴ではなく、背中からかけられた声だと気付いた時、キラはすぐに立ち上がる事が出来なかった。
 二号機が叩き出した最大速度は、通常の安全基準を遥かに上回るものだった。
 だが何故か、絶え間なく襲うGにも、彼は殆ど何も感じなかったのだ。
 緊張感が痛覚をマヒさせる事は良く有るが、それとは全く別の意味で……。
 今になって筋肉痛程度の反動が来たが、普通の人間(ナチュラル)ならば死んでいる。
 そしてコーディネーターだろうとも、彼のようには動ける筈が無かった。
 


「おいキラ!」

「え? あ、カガリ……」

「主役がこんな所でほっつき歩いてどうするんだ! ほら行くぞ!!」


 追い立てられるようにして彼は立たされたが、その時振り返っても誰も居る筈が無かった……。





「ククル!」


 ゼンガーらの頭上、衛星軌道上にはザフト軍の船団が待機していた。
 作戦の為に大気圏突入を行う為だ。そしてその船影にはヴェサリウスも含まれている。


「ニコルか」


 答えた彼女よりも、遥かに少女めいた笑みを浮かべ、ニコルは並んだ。


「この間はありがとうございました」

「いや……少々場違いだった気もするがな」

「とんでもない!」
 


 心の底からニコルは言葉を発する。
 コンサート当日、ククルはニコル以上に注目を浴びた。
 それは彼女が“死人”だと言う事から来る、卑下したものではない。
 ザフト内部ならまだしも、プラントの一般社会で彼女の存在を知っている人間は極端に少ないからだ。
 軍の名簿に存在しない以上、戦意高揚の為の宣伝もやりようが無い。
 だからこそ、その時の視線は純粋にククルの出で立ちに目を奪われたものだった。
 白と緑を基調とした着物の上に、唯一輝く鏡のような装飾品。
 その神秘的な姿は、全席200席にも満たない小さなホールの空気を、完全に変えてしまった。


「……本当は、ククルや来場した人に見合うだけの演奏を、したかったんですけど……」

「まあ今の情勢ではな」


 ニコルは自身の演奏そのものを言ったつもりだったが、ククルは演奏会の規模の事だと受け取ってしまった。


「スピットブレイクさえ成功すれば、情勢は変わるだろう」

「ですね……」

「……成功できればの話だが」


 いきなり話題が転換され始めたので、ニコルは戸惑う。
 オペレーションスピットブレイクは、パナマ攻略を念頭に置いた侵攻作戦だ。
 地球連合軍が保有する最後の宇宙港であるここを攻略する事で、地球侵攻作戦全体を指す、“オペレーションウロボロス”の完遂を狙うものだった。
 


「パトリックは宇宙の人員を考えなしに降ろしているが、宇宙と地上は違う……ニコル、お前は重力下での戦闘経験は」

「アカデミーでの歩行訓練なら……そう言うククルは?」

「海賊やブルーコスモス相手に、遺棄されたプラント内での戦闘ならば何度か経験した……が、そんなもの何処まで当てになるか」


 まだ見ぬ大地に思いをはせるニコルと違い、ククルはあくまで深刻に考えていた。


「ある程度のフォローは出来るが、あてにはしないでくれ。私自身早く慣れないといけないしな……」


 その心が何処に向かっているか、ニコルは悟ってしまう。
 ゼンガー=ゾンボルト……MSという金棒を手に入れたことで、コーディネーター全体を揺るがし始めた鬼神。
 会う度に誰かが傷つき、あるいは殺されていく……。
 既にクルーゼ隊はその規模を半数未満にまで削られ、ラクス=クライン救出の際ユン・ロー隊が壊滅した。
 更にはツィーグラーに配備されたMS隊も全滅し、ガモフに至っては撃沈と言う憂き目に逢った。
 その無慈悲なる刃は地上に降りてからも止まらない。
 ゼンガー=ゾンボルトはアフリカ駐屯部隊を次々と屠り、遂には名将バルトフェルドも命を落とした……。
 その矛先に敢えて向かっていくククルはある意味尊敬に値するが、何時本当の意味で“死んで”しまうか解らない、危ない橋を渡っている。
 ……彼女には“生きて”欲しい。
 生きて、生き延びて……いつか戦いを自分の一部としてしまい込み、あの演奏会での姿のような姿を、もっともっと見せて欲しい。
 その為には余計な道へ引き込もうとする要素を、彼女を死へと誘惑する者を……全て排除しないといけない。
 


「……頑張らないと、いけませんね」

「ああ。お互いにな」


 そう言ってロッカー前で別れたククルを、ニコルは複雑な思いを秘めて見送った。
 






『バルトフェルド隊長戦死の報に、私も大変驚いております。地球に大天使を降ろしてしまったのは、もとより私の失態。複雑な思いです。オペレーションスピットブレイク、私も近いうちに地球に降ります』
 


 降りて来なくて良いと、仮面の男と通信しているザフト士官、マルコ=モラシムは毒づく。
 ボスゴロフ級潜水艦クストーの艦長である彼は、正直大天使とは係わり合いになりたくなかった。
 彼が主力とするMSは、只でさえデリケートな代物ばかりなのだ。慎重にもなる。
 空戦MSディンは確かに空中での巡航スピードは速いが、その分装甲が薄い上に武装が少なく、継戦能力が低い。
 水中用MSグーンは奇襲兵器としては優秀だが、潜水艦と違い深い深度まで潜れず常に水圧での圧壊の危険性が伴ってしまう。
 ……プラントの驚異的な技術力によって実現したMSの戦力化だが、こういった局地専用機体についてはまだまだ試行錯誤の段階だった。
 プラントには地平線の向こうまで広がる砂漠も、深度数千メートルの海も、高度数万メートルにも及ぶ空も無い。
 何もかも人工的に作り上げた為に、自らが管理できるぎりぎりの範囲でしか、世界の再現が叶わなかったのだ。
 当然そこで生み出されたMSも、その世界の基準に合わせている為、ディンやグーンに限らず、多くのMSが地球環境への適応を強いられていた。
 


「……まぁ、よかろう。乗ってやろうじゃないか。その大天使とやら、インド洋に沈めてやる」


 モラシムでなくとも、アフリカ戦線を突破したアークエンジェルの進路を予測する事は容易であった。
 東にはモラシム隊と同規模の潜水艦隊が幾つも警戒しており、南にはザフトのカーペンタリア基地がある。
 元来たルートを戻るのは論外として、残るは北……地球連合軍大西洋連邦本拠地、アラスカ基地を目指している事は間違いない。
 だが実際攻撃するとなると時間が無い。
 インド洋に展開しているモラシム隊は、アークエンジェルとは決定的に違う部分がある。
 母艦の移動領域だ。
 最新鋭とはいえ、アークエンジェルは信じ難い事に空を飛ぶ事が出来る。
 とはいえ大出力のエンジンにより低高度での航行を可能にしただけなのだが、潜水艦と違い水深に左右されない。
 インドネシア半島に入り込まれればもうそれ以上の追撃は不可能となる。
 


「だがクルーゼはともかく、あのバルトフェルドがやられた相手だ。急いては仕損じるやもしれん」


 艦長室でコーヒーを飲み干すと、モラシムは手持ちの戦力を用いた戦略プランを練り始めた。
 ……しかし彼もまたコーディネーター。
 技術のみで固められた戦法の危険性を理解していなかった。
 今でも、密閉環境の潜水艦内で、コーヒーを入れるのにサイフォンを使う……CO中毒という当たり前の危機すら理解せず、知らずに技術力でカバーするぐらいなのだから。

 





「……」


 赤道直下の強烈な陽射しに晒されながらも、目を眇める事すらせず一人佇むゼンガー。
 誰も居ない甲板に座り込み、近付きも遠ざかりもしない、果てしない水平線を眺めていた。


『僕達はもっと遠くへ、より果てしなく、自ら持つ力を限界まで使って、更なる高み目指して進みたいと願うものだ! ナチュラルでもコーディネーターでも、それは必然的な欲求だろう!!』

「欲深き人の性は……コーディネーターになろうと消えなかったか」



 それどころか寧ろ増大している。
 元より持つ力が強まった為、かつてより多くの選択肢が生まれ、そこから際限なく派生しているのだ。
 あれをしたい、これもしたい……そうやって可能性の枝を伸ばす事は決して悪い事ではない筈だった。
 だが伸び過ぎた。可能性を得ると言う事は誰かの可能性を潰す事でもあったのだ。
 元から才能も何も無い人間も、才能があった人間も、努力する事に虚しさを覚えるほど、コーディネーターは圧倒的だったのだ。
 スポーツ、科学、芸術、芸能……あらゆる分野で活躍するコーディネーター……。
 ここまで来ると人々は感銘を覚えるよりも遥かに先に、妬みを抱き始める。
 一人や二人ならまだしも、それが世界規模に広がればどうなるか?
 その答えがユニウス・セブンへの核攻撃だった……人類は、自らの“可能性”を守る為に、禁断の刃を抜いた。
 そしてコーディネーターも同じ様に守るべきものの為に立ち上がる。
 先に手を出した方が悪、という単純な理論は通用しない。
 この悪夢の連鎖の奥は深い……。
 


「いや……結論を出すには早すぎる。今のままでは敵を増やし続けるだけ……」

「あれ、少佐?」


 考えふけっていたゼンガーの後からカガリが現われた。
 ゼンガーと同じく潮風に当たろうとしたらしい。


「何か考えていた?」

「ああ……そうだカガリ、君は何故我らに付いて来た?」


 砂漠の地を離れる時、カガリはキサカやサイーブの後押しもあって無理矢理気味に乗艦していた。
 その理由は未だ不明だ。一応当人は“キラがザフトや連合に目を付けられているかもしれないので、航路上の中立国まで送る”と言い張っているが、バルトフェルドはそういう真似をしないだろう。
 連合軍も、砂漠の虎亡き後のアフリカで、それほどの影響力は回復出来ていない。
 どうもキラをダシに別の事を企んでいる事は間違いなかった。


「いやだから、その、あー……実は」


 砂漠での初対面以来、カガリはゼンガーにだけは素直に振舞う。
 実力の差を嫌ほど思い知っている事もあるが、それ以前に学ぶ所が多い人物だと、無意識のうちに感じているのかもしれない。
 もっとも、傍から見れば寡黙な主人に構って欲しいやんちゃな猫の様にも見える。


「借りを返したいんだ! その、砂漠では助けてもらったし……」

「本当にそう思っているならばついては来ないはずだ。只でさえこちらには余裕が無いのだからな」

「……ご、ごめん。嘘付いた」


 とは言うものの首を捻って考えている辺り、実は自分でも判っていなかったのではとゼンガーは不安になる。
 勢いだけで物事を進めるのは、若い人間に良くある事なのだ。


「私は……この戦いを終わらせる方法が知りたい! もうこんな馬鹿げたことは終わらせたいんだ。じゃないと、多くの人が死ぬ……」


 意外にも確固たる目標を持っている事に、ゼンガーは感心した。
 が、そこに至るまでの迷走ぶりは目に余るものだったが。


「それと砂漠でのゲリラ戦に何の関連がある」

「戦ってる人間の立場に立てば、何かが解ると思って……」


 そう言うカガリの表情は暗い。
 得たものはあったが、自らが求める本当の回答には遠かったのだ。


「戦場だから何かが解るかと言えばそうではない……戦場は憎しみに満ちている。多くの者はそれに呑まれていくだけだ」

「……私も、考えるどころじゃなかった。只憎くて……悔しくて」

「そうだな。誰もがそうなるだろう……俺を含めてな」


 ゼンガーも答えを持って居ない事を知り、沈んだ表情になるカガリ。
 何故なら彼も、答えを探している途中だったからだ。


「だが憎しみと悲しみを依代に、自らの生を守る為にあらゆる事を認めてしまえば……人類は己のエゴで潰れていた」

「え……?」

「受け入れるしかないのだ……悲しみを。奴は……俺の友はそうした」


 かつて志を同じくした、無二の友の事を思うゼンガー。
 テロと言う理不尽な暴力から多くの人を救うべく、彼は自ら、人質となった妻もろとも、テロリストに占拠されたプラントのドッキングベイを撃った。
 ブルーコスモスによる、プラントへの毒ガス攻撃と言う暴挙を止めるには、これしか無かったのだ。     
 彼は己と妻の正義に殉じ、結果的に軍人としてあってはならぬ民間人殺しの汚名を着る事となった。
 反プラントの気運が高まる時期の只中、ブルーコスモス寄りの軍の中であっては目障りな行為だったのだろう。
 彼は直に部隊から……教導隊から消えた。  
 だが彼は腐りもせず、怒りに身を任せる事もせず、今だ自らの信念を貫き暗躍している。
 犠牲を犠牲として、飲み込むことに成功したのだ。


「奴は強い男だ。だからこそ、理性をもって事実を受け入れた……しかし人類全てがそうできる筈が無い。結局時間と、命の代価が必要なのかもしれん」

「命の……代価?」

「相手を負かす事による民族的な優越感、金銭による賠償、領土の譲渡……世界はそうして動いてきたのだ」


「……ちょっと待て。でもこの戦争は……誰かの命を犠牲にしてまでやろうとしている事は!」


 恐ろしい答えを見出しそうになるカガリ。
 もし彼女の答えが正しければ、どうあってもこの戦争は止まらない事になる。
 奇しくもそれは、砂漠の虎が見出した回答の一つ……敵である者を、全て滅ぼす事。


「それが無意味である事を、万人に証明できなければ止まらないだろう……俺自身、証明する術を持たぬ」

「そんな!!」

「戦局が泥沼と化し、ナチュラルとコーディネーター……人類全てが共倒れになる事を考えればな。核に、ニュートロンジャマー……この星に破滅をもたらすには十分過ぎる」


 今自分達が置かれている状況が、どれほど切迫しているかを知り、流石のカガリも息を飲んだ。





「……それで、何時までそこにいるつもりだフレイ」


 話を続けようとしたカガリだったが、ゼンガーの呼びかけによってようやく背後の気配に気が付いた。
 何か棒の様な物を抱きかかえながら、フレイがじっと入り口で睨んでいたのだ。
 


「少佐の頼みだからお使いに行ったのに……」


「うむ、助かった。だが何故入ろうとしなかった?」

「そりゃあ……邪魔したら悪いから」


 カガリの方を敵意を込めた目線で見るフレイ。
 しかしカガリは何の事か解らずきょとんとしている。


「いや寧ろお前には聞いて欲しかったのだが……俺の話は解り辛かったか?」


「そんな事無いわ!」


 必死になって釈明するフレイに、矢張り首を傾げるゼンガー。
 もういいと言った風に、フレイは膨れた顔で持ってきた棒を渡した。


「それにしても、マードック軍曹に“竿”なんて作ってもらって何を……」 
 
「釣れるかも知れないと思ってな」


 アークエンジェルは現在、熱量でザフトに感知されない様水上航行を行っている。
 そして、船体が着水している為、面白がってイルカ等が周囲を跳ねていたりもしていたのだ。


「無理じゃない? 幾ら何でも」 

「何、只糸を垂らしているだけでも気は晴れる。時には何も考えない時間があってもな」

「はあ」 
 


 釈然としないまま、ゼンガーの側に立つフレイ。
 かつての彼女ならば日焼けや紫外線を気にして、長くは居なかっただろう。
 しかし今の彼女は、それよりも此処に留まる事を選んだ。
 艦内で最も安心でき、安らげる場所に。


「こんな場所でよくそんな事が出来るな、少佐ってば」

「こんな場所だからこそ、心を休める術を見つけなければ」

「……まあ四六時中デッキで素振りは、流石にしんどいか」



 と言いつつその場に居残るカガリ。
 フレイの刺さんばかりの視線には全く持って反応しない。
 装っているのではない……ただ気付いていないだけだ。
 結局フレイの方も飽きてきたのか、只黙って水面を見つめていた。


「……あ、糸引いてる」

「む!」

「嘘? 大きい……?!」
 


 本当に獲物がかかった事に驚く一同。
 リールなど無いので、ひたすら長い糸を海面付近で躍らせていただけなのだ。
 一気に引き上げると、針の先には大きな羽が生えたような魚が。


「飛魚か」


「何かビクビクしてるけど……触っても大丈夫か?」

「始めて見た……」


 興味津々と言った様子で、釣り上げた飛魚を眺める二人。
 揃いも揃って世間を知らない事が、二人の唯一の共通点と言って良かった。
 そしてそれを甘んじて感受しようとしない姿勢も。


『総員! 第二種戦闘配備!!』

「敵?!」

「大洋の真ん中とは言えザフトの支配圏内。今まで捕捉されなかっただけ運が良い」


 さっき釣り上げたばかりの飛魚を力の限り投げ、海へと返す。
 “彼”が居ればムニエルにでも出来ただろうが、ゼンガーでは刺身ぐらいしか作れない。
 飛魚はアークエンジェルから発せられる緊張した空気から逃れるように、勢い良く海面を跳ねていった。


「あいつら……しつこい!!」


 意気揚揚と駆け出していったカガリと共に、ゼンガーは甲板を後にしようとする。
 だがふと振り返り、フレイに漏らす。  
 


  
「……連合からの補給が全く来ないのは、我々が餌だからかもしれぬ」

「餌……」

「クルーゼ隊を破り、砂漠の虎をも下した我らは、ザフトからしてみれば比類なき大物だからな……赤道連合やオーブが近い。“ギガフロート”、実用の目処が立ったのかもしれん」


 フレイに気になる言葉を投げかけながら、ゼンガーもまた走り出す。





「スカイグラスパー一号機、発進どうぞ!!」

〈了解!〉


 アークエンジェル左舷から飛び立ったスカイグラスパーは、接近しつつある飛翔体を目指した。
 民間機にしては早すぎ、電波攪乱まで始まったのだ……これは攻撃と見て間違いない。
 早速アークエンジェルという餌に、ザフトが喰らい付いてきたのだ。 


「……アルスター二等兵の搭乗を待たずに出して、良かったのでしょうか?」

「海上で撃墜されたら、訓練不十分の彼女では余りに危険だわ」


 マリューの判断に納得するナタル。
 海上での脱出は困難を極める。
 沈む機体からの脱出は無論、救助が来るまで持ち堪えられるかどうかが問題となる。
 体温はパイロットスーツの機能により多少は保てるが、潮の流れや鮫といった、恐るべき危険が待ち構えているのだ。
 十分な訓練を積んだベテランであっても、完璧に対処するのは難しい。 


「では二号機はヤマト少年に?」

「元レジスタンスとはいえ彼は民間人よ。幾ら腕が立ってもやたらと頼る訳にはいかないわ」


 二人共キラがコーディネーターであるという事を知らない。
 何せ彼を超える実力を持った人物と、今まで共にあったのだ。
 見識が鈍るのも無理は無い。


「……それにキラ、何だかテンション落ちてたしな。何があったんだろうな、サイ」

「ほんと、何なんだよ、もう……」


 トールとシートごしに声を潜めるサイ。
 先程甲板に向かったかと思えば、ドアの前で凍り付いて急に泣きながら戻っていったキラ。
 何事かと甲板に行っても、ゼンガーがフレイとカガリと共に魚を釣り上げているだけ。
 ……特に何事も無い筈だが、と二人共頭をかしげていた。
   





 外部ではイーゲルシュテルンや、迎撃ミサイル“ウォンバット”によって接近して来るMSへ弾幕を張っている。
 巨大な六枚の翼を広げた二機のディンが、その最大の武器である機動性を生かし、何度もアプローチを試みていたのだ。


「空も飛べなけりゃ、泳げもしないって事ぐらい知ってるわ!」


 その内の一機にはモラシム自らが搭乗していた。
 今回の攻勢はアークエンジェルの戦力を少しでも削る思惑と、強行偵察の意味合いがあった。
 机上の理論だけでは納得できず、実際に砲火を交えて検証する姿勢は、彼が凡庸な指揮官では無い事を示していた。
 ……が、いままでことごとく“ザフトの常識”を覆してきた大天使とその剣相手では、まだ覚悟が足りなかったと言える。


“ザシュ!!”

「何?!」


 スカイグラスパーからの攻撃を回避した僚機のディンに、深々とナイフが突き刺さっていた。
 伍式のアーマーシュナイダーだ。
 しかし機影は何処にも見えない。投擲するには余りにも距離が離れ過ぎている……。


「?! まさかあれで?!」


 
 トリックを発見したモラシムは愕然とした。
 風を切る様に、弧を描いて落ちていく紅の爪を。
 パンツァーアイゼンでアーマーシュナイダーを掴み、射出後ワイヤーを限界まで引き伸ばした時点でアーマーシュナイダーを投げ飛ばしたのだ。
 砂漠の虎との戦闘により破損した際、若干ワイヤーの強度と長さを変更した為に実行できた荒業だ。
 


「えーい!グーン隊は何をやっている!」


 その時、アークエンジェルから機体が踊り、水柱が上がった。
 伍式がその身を自ら海へと投じたのだ。
 暫くした後大きな水泡が浮かび出した。
 その量と、爆発が無い事から、モラシムはグーンのバラストタンクが破壊された事による流出空気と判断した。
 今頃グーンは浮上できず、水圧で圧壊している頃だろう。


「馬鹿な……宇宙用の機体で水中のグーンに……!」


 伍式、X-105は汎用型として設計されている。
 特に主推進システムは、大気中では空気を取り込み、排出する事で推力を得る超伝導電磁推進を採用していた。  
 無論他のXナンバーにも搭載されてはいたが、ストライカーパックの運用を考慮して出力が高く、故に海中でも海水を取り込んで使用する事が可能だったのだ。
 ……モラシムは相手のスペックを完全に理解していた筈だったが、見事に穴に嵌まっていたのだ。
 伍式は奪取出来ていない以上、詳細なスペックはは実戦データと他の機体の性能から図るしか無かったのだ。
 またグーンは作業用マニュピレーターはあるが、基本的に一切格闘戦を考慮していない。
 ……グーン隊は艦艇相手に体当たりを敢行する要領で接近してしまった為に、自ら死線に踏み込んだ。
 しがみ付かれた所で、装甲の継ぎ目を狙って対艦刀を突き刺されたのだ。
 


「……一旦、退く!」


 スカイグラスパーとアークエンジェルの火線を抜けつつ、モラシムは転進する。
 確かに情報は得れたが、代価は余りにも大きすぎるものだった……。

 

 

代理人の感想

取りあえず、サイとトールのやり取りに大笑い。

この世界の男はこんなんばっかしか(笑)?

 

 

・・・あ、ゼンガーの悪影響というのもあるか?(爆)