フレイはフラガと共に地下ドックへと辿り着いていた。
アラスカ基地中心部、“グランドホロー”内部に設けられたそこには、何席もの潜水艦が兵士を飲み込みつつあった。
ユーコン川河口に近いが為に、この様な芸当ができるのだが……元々、グランドホローそのものが空洞内で無数のサスペンションで接合された人工地盤であり、その上に施設が多数存在している。
その規模故に人工ドックの建造も容易だったが、今更そんな事に驚く二人ではない。
……移動している人員が、余りに多い。
パナマへの増援にしては遅すぎるぐらいだし、そう考えるよりかはまるで……何かから逃れようとしている風に見えた。
だがそんな違和感に何らリアクションを起こさないナタルに対し、フレイは馬鹿にした目で彼女を見、その手から指示書をひったくった。ナタルは只、嫌われているんだなと一人納得してしまい、多少期待していたフレイの視線には気が付かない。
フレイの気持ちも解らないでもなかったが、フラガは空気を壊さぬ様、いつも通り振舞う。
硬いナタルをほぐすつもりか、フラガは手を差し出して、その手を握る。
急な事にナタルは目を瞬かせていた。彼女は敬礼で別れを済ませようとしたらしい。
……ここで意固地になっても仕方が無いと思ったのか、フレイもまた右手を差し出そうとした、その時だった。
突如フレイは踵を返し、いきなり通路のほうに走り出した。
突然の行動に、誰もが只背中を追うばかり。
追いかけていくフラガの横顔は、確信犯的だった。
よしんば間に合わなければそれでいい、とも考えているのかもしれない……。
ここで自分も……とは出来ない。
自分は軍人であり、その規範から外れてはならないのだと、ナタルはずっと前から誓っていた。
彼から受け継いだものを自分が捨ててしまえば……完全に、彼は忘れられていくだろうから。
しかしそれでも……ナタルにとって彼らは……大天使は決して過ぎ去りし過去ではなかった。
捨て難い、自らの一部として。
だから敢えて、少女をあそこまで突き動かした言葉が何であったか、問いていた。
規範ではなく、“信念”の為……。
目的を果たす為、何をやっても良い訳では無い。
際限無く手段を選べばやがて目的を失い……遂には手段を取る事すら敵わなくなるからだ。
そうやって、今度の戦争では核を使い、核を封じられ……地球も、プラントもその生産能力を大幅に落としている。
無論、代替エネルギーは両陣営共に存在するが、主流であった手段を封じられ、すぐさまいつも通りと言う訳にはいかない。
それに加えて長引く戦乱……弱き人々にはひとたまりもない。
そんな彼らを護るには、“恐れを知らぬもの”が必要だと言う。
瞼は閉じられ続けており、その真意は、全体の微かな揺らぎで察するしかない。
問われた男は言いよどむ。
……己という手段で彼は、多くの目的を果たしてきた。
敵を斬り、敵を退け、敵を葬り……只それだけに専心し、突き進んだ。
それが“護る”という目的の為に、絶対に必要な事であったから。
……それが、何処かの誰かの“目的”と“手段”を消し去る事だとも、解っていた。
そう、解っていた筈だった……しかし彼もまた、とうの昔に本当の“目的”を失っていた。
乗り越えた筈だった。亡くした目的に替わる、新たな目的の為に。
炎となりて影すら残さず、消えた仇敵。
目指したものは同じでも、目指す場所が交わらなかった……護るものがあり、それを一度失った事も同じだったというのに。
亡くした人の形見を駆り、誰も亡くさぬべく、こちらを亡き者にせんとした少年を、討った。仇敵にとって失い難い人間を……。
奪われたら、奪い返す。
殺されるから、殺す……。
単純かつ、唾棄すべき輪廻に……未だ、囚われていたのだ、お互いに。
そこに、今しがた語り合っていたサンルームへと、邸の主が顔を出した。
穏やかかつ礼儀正しい口調であったが、毅然とした態度で口を出す。
深刻な懇願は、コール音によって一旦断ち切られた。
導師と呼ばれた男と、邸の主は、惑う事無くモニターへと向く。
邸の主、シーゲル=クラインは、この突然の言葉に微かに目を見開いただけだった。
あらかじめ、覚悟は出来ていたのだ。何時かこの日が来ると。
モニターの前の女性は息を飲んだが、暫しの沈黙の後頷いた。
緊迫した調子の会話に、男が割り込んだ。
一瞬険しい顔をした女性……アイリーン=カナーバ外交委員長だったが、目線で発言を許した。
男はつい先日、現状への愚痴を彼らから延々と聞かされ、不意にそのような言葉を投げかけられたのだ。
ナチュラルである彼が、冷遇されているとはいえ、プラントでその名を知られる科学者らと交友があったのは……かつて、愛した人と親しかった人物ばかりであったが為だった。
カナーバらも、この衝撃の事実を受け止めている。
……状況証拠が揃っている事もあったが、例えかつてプラントを、真っ向から震撼させた“敵”の言葉でも……プラント全体を欺いた、現指導者よりかは信頼に値すると判断したのだ。
男はおもむろに立ち上がり、導師の瞼の奥を見通した。
愛らしさを含んだ声が空気を止めた。
ところが大の大人相手であるにも関わらず、その少女は凛とした表情だ。
それに、微かな憎悪が浮かんでいる事は……その場に要る誰もが気が付いた。
想いは、消える事は無い。
果たされても、そうでなくても……それを覚えている限りは。
果たされなくなった想いが、生きている者達に残るのも……今が、犠牲になった数え切れない想いの上に成っているからだ。
しかし全てが残る訳では無い。
人は違う、故に継げない想いもある。だからこそそれを成し遂げようと、人は自らの想いの為に必死に生きる。
時に、何者も犠牲にしてでも……。
果たしてこの粘着質な声の主にも、それはあるのかとフラガは思う。
今や、ザフトに残る数少ない二つ名、“仮面の男”ラウ=ル=クルーゼ。
こうして直接対決、しかもよりにもよって連合(こちら側)の最終拠点でまみえる羽目になるとは、幾ら何でも予測できる訳が無い。
だが予測出来なくとも、すぐ側に現実はある……。
揶揄めいた言葉と共に影が動き、咄嗟に仕掛けるフラガ。
破損したコンソールを飛び越え後を追おうとするが、その必要は無かった。
……最初から、逃げる気など無かったのだ。
とは言うが、クルーゼの方が銃口を向ける速度が速い。
もう何も考えている暇は無く、ほぼ条件反射的にフラガも銃を向けるが、まず間に合わない。
その一声と、一太刀がクルーゼの王手を阻んだ。
鋼の刃が黒い鉄塊にめり込み、銀の仮面に紅の華が映り込む。
視線で人が殺せそうな形相のフレイが、太刀を打ち込んでいたのだ。
良く見ればフレイの顔は半泣きだった。
今の一撃も、考えたと言うよりかは半ばパニックめいたものだったのだろう。腰を抜かすのではなく、敵に一太刀と言うのが何とも過激だったが。
……ここでフラガに疑念が浮かんだ。
アラスカ基地はフレイの様な素人は元より、普通の軍人でも迷うような構造をしている。
にも関わらず、この仮面の男はどうやってグランドホローの……最深部である中央管制室に辿り着いたのかと。
フレイが次の行動に移るより遥か先に、クルーゼは動いていた。
空いていた左の拳が、彼女の鳩尾を突いたのだ。
全体重を込めた一撃を右手だけで受け止めたのと同じ様に、クルーゼは意識を失った彼女を片手で担ぎ上げていた。
フラガが撃てない事を察し、悠々と太刀を拾い上げると、クルーゼはドアの向こう側に消えた。
後を追うにも盾にされればどうする事も出来ない。慙愧に耐えない思いだったが、フラガはふとコンソールに目をやった。
まさか居るかどうかも解らない少女を誘拐する為に、こんな場所に来た訳は無い。
敵陣へ単機突入するだけの理由が、そこには……。
それが何であるか、フラガにも気がついた。
すぐさま無人の管制室から飛び出すと、彼は我武者羅に走る。
蒼然とした状況であるにも関わらず、不気味な程閉散とした通路を……。
陸に、海に、空に……まるで何かの種子の様に、鋼鉄の巨人達が群がっている。
潜水母艦からのミサイル砲撃が、地面を耕すように陣地を掘り返し、MSが展開している戦力をまるで雑草でも刈り取るかのように駆逐していく。
オペレーション・スピットブレイクの最終段階……それはパナマへの攻撃をブラフとし、手薄になった最高司令部を叩くという乾坤一擲の攻勢であった。
地上戦力の大半を投入しただけあって、守備隊は総崩れとなっている。兵力の密度が高ければ高い程、その攻勢を押し止める事は困難なのだ。
……無論それは、連合も同じだ。
突如瀑布を割って出現した巨体が、その力を振るった。
瞬時に周囲は爆発に包まれ、束の間戦力に空白が生まれた。
対空砲台を狙っていたザウートが、戦車隊の一斉射撃を受け爆散する。
後方からそれらを排除しようと迫っていたバクゥも、戦闘機の空対地ミサイルを受け沈黙した。
……大局的に言えば、たった一隻の特装艦の戦線投入に過ぎない。
それは局地で戦う人間らにとっても同じ意味では無い。戦力以上の何かが、彼らに恩恵を与えている。
巨大な水柱が上がり、沸騰した海水が水蒸気を撒き散らした。
水流の壁が後続のミサイルを飲み込んで爆発する。
舞い上がった海水に混じっていたグーンやゾノを、眼下の艦隊が撃ち落していく。
それを確認する暇も無く、イーゲルシュテルンが迎撃したミサイルがブリッジを揺らした。
マリューは唇を噛む暇も無い。
残存する部隊では、これだけのザフト軍を押し止める事はまず不可能なのだ。
それどころか、生き残る事すら困難だろう……ここまで“分散された配置では”。
つい大局的な思考を巡らせた為に、反応が鈍った。
飛来したミサイルへの対処が遅れ、激しい光がブリッジを包んだ。
……が、全弾とまではいかなかったものの、目前で殆ど迎撃出来たようだ。
周囲にはいつの間にか、二機の戦闘機が旋回していた。
近付いてくるディンやジンを片っ端から追い散らしては、巧にゴッドフリートやバリアントの射線に誘導していたのだ。
余程慌てているのか、口調もぞんざいになりつつあった。
抗議の声も遮って、マリューは強引に要請を受諾した。
暫定的とはいえ、これで二機の直衛機を得た事になる。
その動きを存分に生かし攻撃を再開。周囲は再び爆炎に彩られ、残骸が雨の様に海へと落下していく。
ふとレーダーに目をやると、この船に接近しつつある光点が幾つも見えた。
それはザフトを示すものではない……友軍だ。
全てユーラシアに所属する艦艇とは言え、異様な状態だった。
新たな指令が下されたとは、とても考えられないが……。
サイが毒を吐いたが、誰も同調も反論もしない。言った本人すら自傷気味だ。
思い当たる節は、自分達にも大いにあった……自分達もまた、トップランクの力におもねっていたのだから。
それが、力を持った者の……義務。
今は無き剣は、それを砕けるまで実践した。
苦しい戦いだった筈だ。独りで先を進む事も出来た……そうはせず、自己を抑え続け、あらゆるものに手を貸し、気を配り、護る。
誰の為? 何の為? その苦しみを真の意味で理解出来る人間はもう居ないのだ。
……本当にそうか?
居ない人間は、何者を慄かせる事も、奮い立たせる事も出来ない。
その存在が消滅すれば、それに連なる全てのものが、消えていく。
……そうではない。
何も消えていない。居なくなっては居ない……まだ、砕けては居ない。
ここに自分が“在る”限り、自分達が“在ろうとする”限りは……彼は……彼の想いはまだ“在る”。
今は恐怖を覆い尽くそうと敵が迫り、そうはさせじと味方が来る。
……やるべき事は既に見えている。
彼ならどうしたか……ではない。その意思を継いだ自分達が、どう動くかである。
アラスカ近海で浮上し、海上基地として潜水母艦クストーが待機していた。
クルーゼはアラスカ基地より脱出し、乗機であった専用ディンと共に着艦する。
……もうあそこに用は無いのだ。
かの地そのものが、此処で終わる。
愛機のデュエルと共に、イザークは上機嫌であった。
これほどの規模の戦闘は、ザフト始まって以来であり誰も経験した事が無い。
そこで大きな戦果を上げる事は、後の歴史にも名を刻む事になる。
興奮するのも無理は無い。
強張ったイザークの表情に対し、クルーゼは含みを込めた笑みで返す。
胸を張ってイザークは答え、補給が完了したデュエルへと向かっていく。
背後から輝かんばかりの刀身が、クルーゼの首元に当てられた。
呆れた口調でクルーゼは呟くが、唐突に刀身を掴んだ。
当然、手の平からは血が噴出し、白いクルーゼの制服を汚していく。
すっとクルーゼは首を動かし、フレイの視界が一気に広がった。
同時に彼女の瞳孔も……。
彼女の何かが、避け難い事実を前に今度こそ崩れていった。
カズイは泣いている事を隠そうともしない。
CIC内部も混乱しつつあり、この状況は下の艦隊には伝えられないなとマリューは歯噛みする。
……こちらの気も知らず、僚艦はアークエンジェルの火力の穴を埋めようと奮闘している。
その効果は相当なもので、ザフトMSは中々背後のメインゲートへの侵入を果たせていない。
しかし確実にこちらの戦力は削られつつある。
その時。
確かに翼から煙を出して、一機の戦闘機が突っ込んで来る。
ノイマンは声を上げるが、マリューは咄嗟にオクト1に命じた。
程無くして戦闘機は右舷デッキに突っ込んだが、爆発も何も無い。
マードックがあらかじめ着艦用のネットを展開していたのだ。
その両方である事を、マリューはうすうす解っていた。
解っていたとは言え、エレベーターから飛び出してきた人物の姿には、微かな驚きを隠せなかった。
サイクロプス。
それは強力なマイクロウエーブ発振装置であり、発振機が巨大な円形状になっている為、一つ目の怪物の名が与えられている。
その威力もバケモノじみており、開戦直後月面で使用され、限定的とはいえかなりの戦果を上げたとされている。
……そう、この兵器は限定的であり、同時に非人道的な代物。連合の命運を決するこの一戦で、使われて良い代物ではない。
ブリッジの人声がしんと絶えてしまった。
只聞こえて来るのは、シートを物凄い力で掴む音だけ。
サイとミリアリアが息を詰めてコンソールの手を動かした。
他のクルーらも、その先を信じさっと持ち場についた。
激しいがまでの意気に、誰もが感服する。
その通信を聞いていた全ての友軍は息を飲み、聞き入っていた。
固唾を飲んで見守っていたクルーにも、ようやく光が見える。
フラガに至っては眩し過ぎて、微笑み間際に目を瞑りたくなるぐらいだ。
……だがそれはしたくない。
今の彼女は強く……不謹慎と思いつつも、美しかったから。
エンジンが唸りを上げ、船体が急速に加速を開始した。
そして、海上の僚艦も一隻残らず追随を開始し出した。
状況証拠ばかりで、断定するに足りない状態だった。
そんな曖昧な判断では全体の混乱を生むだけであると、時折入り込む友軍の反応を見てマリューは判断したのだ。
多かれ少なかれ、大天使はシンボルとして注目されている。その一挙一動がそのまま影響してしまう故に。
マリューの潤んだ目を、フラガはふっと笑顔で見つめると、顔を寄せささやいた。
振るべき方向が定められた大天使を、止める事は誰も敵わなかった。
脱出を試みる艦隊の先頭を切って、退路を切り開いていくその姿はザフトにも見えていた。
何とかして止めようと、ミサイル砲撃が絶え間なく続くが、一発たりとも届いていない。
周囲の僚艦や戦闘機が、片っ端から撃墜しているのだ。そして大天使そのものは、湾の入り口で整列し、海上封鎖を試みている潜水艦隊目掛けて砲撃を敢行する。
対しザフト軍は、MSで囲んで集中砲火を行おうにも、配置が密過ぎて迂闊に近寄ろうものならば対空砲火で確実に落とされるのだ。
遂に、ゴットフリートが一発潜水母艦に直撃し、真っ二つになって海中に没した。
既にアークエンジェルは満身創痍。ギリギリの勝負であった。
ラミネート装甲は過熱し、放熱システムが機能していない。弾薬ももう尽き掛けである。
枯れる声でマリューが叫ぶが、それを嘲笑うかのように船体が大きく揺れた。
他には目もくれず、グゥルに搭乗したデュエルが一直線に迫っていた。
頭を潰せばいい……この一見して確実そうで、現状では最も困難な一撃を、皮肉にも最期のXナンバーが果たそうとしていた。
濃密な弾幕も、位相転移装甲と巧みな動きで切り抜けた末に、再び大きな振動がマリューらを襲う。
次の瞬間、艦橋目前にデュエルが降り立った事から、いつぞやの様にグゥルをぶつけてきた事が解る。
ここまでしか考えられなかった。
余りに鮮やかな手際に、絶望だの何だのと、思考をめぐらす余裕は無い。
ただ混沌とも言える、ぐしゃぐしゃした何かがマリューの頭を廻っていた。
電光石火の一撃が増加装甲ごとデュエルの右腕を寸断した。
乱入者はアークエンジェルの甲板に降り立つと、艦橋を庇う様にビームサーベルを構える。
果てしなく深い蒼の装甲に、巨大なウイングバインダー……最も特徴的なデュエルと同系のツインアイとブレードアンテナは、Xナンバーを彷彿させる。
そういった理由から、イザークは目の前のMSを瞬時に敵と認識した。何より……。
……問答無用な所もまた、そっくりだった。
両足を瞬く間に切断した手際も、何処かで見た。
そう……何度も何度もこの技によって地を這わされ、泥にまみれ、それでも立ち上がって此処に立っていたのだから。
またしても多くの“想い”を継いで、一本の剣が降臨した瞬間だった。
管理人の感想
ノバさんからの投稿です。
いやぁ、見事に引いて終わってますね(苦笑)
さすがに親分でも、サイクロプスは止められませんか。
・・・ま、止めたら止めたで話が無茶苦茶になりそうですがw
それにしても、結局フレイは浚われましたね。
う〜ん、次に登場する時はどんなキャラになっている事やら(汗)