戦いは終わった。
だがその果てに得た静寂は、所詮はその場限りのものである。
それが解るだけに皆、疲れ果てた顔をしているが……ククルの表情は何故か飄々としている。
……何処にも永遠などは存在しない。
手をかけ続けなければ、何事も維持する事は敵わず、好転する事もありえない。
そうした覚悟ゆえの態度であった。
残酷な分析は側に居たカガリを震わせる。
保険として自らの故郷を潰される等、堪ったものではない。カガリは歯を軋ませる。
そうだろうな、とククルは穏やかに笑った。
彼女の正体を知ってもなお、ククルの態度は崩れない。
ありのままであり続ける事が、嘘の仮面を被らない事が、彼女にとっての主義であり……護るべき、想い。
モルゲンレーテ整備格納庫では、M1のみならず漸駄無やマガルガの修理補修が進められている。
……無論、バスターやプロトアストレイも。
黒い、突き出た角が特徴的なアストレイの右腕に目をやり、ククルは今一度失ったものを意識する。
拒まず、受け入れ……その奔放さを愛し全てを賭けた者を。
湯気立ち上るカップを両手に持ち、座り込んでいる二人に目を落とした後、それぞれに手を伸ばすゼンガー。
カガリはあっ、と声をあげ、遠慮しがちに手を振ろうとするが、ゼンガーの微笑に負け、カップを手にする。
変わる事を拒否したがために、宗教は衰退した。
本来人の心の寄る辺となるべきものが、人を縛るようでは誰も心を許さない。
心と共にある神が、自らを見捨てるようならば頼ろうとはしないだろう。
かつて人は無知であり、それを補う為に何者かにすがった。
今人は叡智を手にし、それでも補えない飢えを抱え、またしても何かにすがろうとする。
ゼンガーは流れを変える。
それを望む者が大勢居た……共に理想を目指し、今残るは彼と、、マリューら僅かな“戦友”のみ。
世界という流れの中で、二度とあの少女の様に泣き叫ぶ者が現われぬよう……彼らは、戦う。
ククルは流される事を許さない。
流れに負け、自らの意志とは無関係な場所に辿り着き、諦めと妥協に身を腐らせる事を。
そこから友らを救い、立たせる為にもククルは、進んで流れに逆らうのだ。
ククルはごく普通の調子で、そのまま立ち去ろうとする。
そんな彼女の背中に対し、カガリは黙って頷いた。
その場から離れようとするククルに対し、ディアッカが茶々を入れる。
彼女に変えられた人間は、数知れないだろう。
価値観の変質、存在意義の再確認……彼女という無遠慮なモノが、只戦場にあり続ける事は、暴力というグロテスクなものを見せ付けると同時に、躊躇無い潔さが美しいとすら錯覚させる。
ディアッカもその一人なのだから、なおの事だった。
目線でククルが示した先には、ミリアリアがいた。
げっ、と声を上げそうになるが、ミリアリアは立ち尽くしたまま、俯くばかり。
やがて沈黙に耐え切れなくなったのか、素早く踵を返そうとするが……。
ククルの言葉にディアッカは判断に迷う。
普段から無遠慮ではあったが、これは幾ら何でも酷い。
振り向いたミリアリアの表情は、あの医務室でのものと似ていた。
いや、いくばか理性的なだけに寧ろ性質が悪い。
ディアッカは絶句する。
それはそうだろう……誰だって、死にたくなかった。死にたくないから戦っていたのに……。
そうしないと逆に殺される以上、止む終えないと納得しなければやっていけないだろう、普通は。
……そうでは無かったのだ。
ククルは、自分が手をかけた事実を、仕方が無いでは済まさず、重い現実として何時までも持っていた。
命令によって敵を倒したのではなく、自分の意思で殺した事を罪として意識し続けていた。
それでは拷問では無いか……だがその責め苦を彼女と、ゼンガー=ゾンボルトは甘んじて受け入れ、戦っている。
ある意味壮大なまでの自己犠牲である。それでいて、彼女は彼女であり続けようとするのだから、何と強靭な心を持っているのだろう……。
すう、と幽鬼の如くミリアリアの横を過ぎるククル。
きゅっと唇を噛み、ミリアリアは耐える。
だが駄目だった。冷たい床にぽつぽつと涙が零れ落ち、溜まる。
ここでハンカチの一つでもあれば、とディアッカは思ったが、今あるものは何も無い。
普通の女の子相手であれば、肩でも置いて慰めるだろう。だがこのいでたちで……彼女から奪ったものと同じ格好でそれをやるほど、ディアッカは無神経では無かった。
とはいえ他にやれる事といえば、何か喋って重い沈黙を打破する事しか無かったが。
そうじゃない、と言おうとして止めた。
あの状況なら、何もせずともゼンガーがカウンターを食らわせていただろうが、実際にニコルの死のきっかけを作ったのは、トールの一撃だ。
それを誤魔化す事は彼そのものを誤魔化す事になると思い、ディアッカは拙いながらも、それだけは徹底した。
いつの間にかククルを擁護する様な言葉を発していたディアッカだったが、それでも言葉を途切れさせない。
下手に考えたらどうしても飾ってしまい、逆に彼女を傷つけてしまう……そう危惧したディアッカは知らず内に確信を突いた。
だから許してやって欲しい、とは良く言わない。
だが何時までも、そんな風にベソをかいてもらっては困る……何故か困る。
しかしもうこれ以上は、いい按配に茹ってしまったディアッカの頭では、言葉を搾り出すことは困難だった。
いきなりバカにされてムキになるディアッカだったが、つんとして通り過ぎようとするミリアリアからの一言で、たちまち黙る。
その刹那に見えた笑い顔に見とれ、ディアッカは暫く我に返る事が出来なかった。
ククルが去った後も、カガリらはキラも交えて話し込んでいた。
ククルらの話も気になったが、今はもう一つ気になる事があった。
それはディアッカが連れて来たという避難民の事だった。
彼の危険顧みぬその行為のお陰で、信用を勝ち得るきっかけになった訳だが……。
アークエンジェルからの不鮮明な画像では、大人ではなく子供であると言う事しか断定できない。
しかも、その後シェルター内部の監視システムには、それらしき人影は見当たらなかった。
あくまでも一時避難所である為、その子供以外の痕跡は無い筈なのだ。
ところが映像でも、熱源でもそういった事実は確認されなかった。
カガリも首をかしげている。
少なく共、あの瞬間誰か居た事は確かだった。しかしその後の痕跡が霞の様に消えている。
それが本当に実体を持っていたとすれば、ある意味“神がかり”的な行動ではあるのだから。
嵐の前の静けさ、といった表現が最もよく似合うオノゴロ島海域。
寄せては返す波に、ストライクダガーやM1の破片が流され、あるいは漂着する。
激しい戦闘の名残はそこかしこにあったが、それすらもまだ前夜祭程度。
……本当の宴はこれから始まると言う。
破壊の波に乗る何者かに、幼い声が水を差した。
だがそれに対し文句を言うどころか、恭しく接しようとするのだから、不気味だ。
暫く、潮の音しか聞こえなかったが、やがて声が上がる。
人類の闇……。
それは飽くなき探究心、向上心が生み出した、歪で醜い夢の形。
彼らによって、この青き星に生きる者は、久しく忘れた暗闇の恐怖を想起し、飢えの危機を知った。
その怒り、その憤り……これを爆発させる為の一休止すら、こうまでも激しい。
果たして本調子ともなればどうなる事やら……それを考えると、身体中の震えが止まらない。
冷たい目をした少女に傅く男、ラウ=ル=クルーゼ。
仮面の下に浮かぶ嘲笑は、自らを含む何者に対しても向けられていた。
夜も完全に明け切らぬうちに、侵略の兆候が顕わになる。
活発になる通信、動き出す艦艇、耳をつんざく爆音……疲れ果て、神経を尖らせていた皆にとって、これほど不快な朝は未だかつて経験した事は無かった。
憤りを感じつつも、大天使が羽を休める間も無く飛翔する。
それに呼応して動き出すオーブ艦艇は……もう殆ど無い。
位が上がるにつれてそれが顕著になる。
得体の知れない力、自らが制御できない力に対しては、こうまでも臆病なのだ。
……解らない事を無くす。
人の基本的な欲求とは言え、それは解らないものを全て否定する事では無い筈だ。
全てを知り、操る事など……神であろうと不可能だと言うのに。
マリューは周囲を見回し、背後にいるサイらにも念を押すようにして、言った。
アークエンジェルから、プロトアストレイが飛び出していく。
曙光に照らされ、赤いバイザーが怪しく光る。
妙に軽い笑い声と共に、フラガは戦線をかき回していく。
それに対しマリューは顔を真赤にしつつ、何も言えない。
……半分以上本気なのだから、直の事。
雲霞の如き戦闘機相手に、ディアッカはM1隊と共同戦線を張っていた。
如何にM1が高性能と言えど、対空火器管制能力はそれ程高くない。
音速で飛び交う戦闘機を撃ち落す事は、拳銃で鳥を撃つのに等しく、コツがいる。
性能と、技量。そのどちらも買われてディアッカはいるのだ。
……オーブ有数のパイロットが、防衛戦二日目にして既に厭戦ムードである。
確かに技術力は確かだが中身がこれでは……と、溜息を吐きそうになったが、止す。
泣き言を言いたいのはこちらであったが、そんなのは誰だって同じだ。パイロットだからと、特別が許される訳では無い。
……寧ろ戦える力がある分彼女よりかはマシ。通信機の向こうにいるであろう少女を思い、ディアッカは耐える。
格闘戦能力の無いバスターを支援する筈だと言うのに、うっかり敵の接近を許していた。
振りかぶった鎌と投擲された鉄球が目前まで迫るが、いずれも寸前で叩き落された。
瞬く間に叱咤激励を済まし、マガルガとフリッケライが突っ込んでいく。
どうやら各戦線を回っては、サポートに回っていたらしい。
……と言うよりこの二体の足止めが主な役割だったようだ。
ククルとキラに勝るとも劣らず、敵のXナンバーは神出鬼没だ。
最大の戦力を期待していただけに、情けない声を出すアサギ。
ディアッカもこれには眉をひそめる。この大事な時に何を……と。
ククルにそう言われ、確かにとディアッカは納得する。
ストライクダガー隊の動きが極めて鈍く、慎重だ。もう制圧したも同然の地域においても、三歩進んで二歩下がる程の脅えぶり……。
亀をひっくり返すかの様に、フォビドゥンを翻弄しているククル。
マガルガの高い機動力と尋常では無い出力は、彼女のトリッキーな戦法にマッチしていた。
またフライトユニットを増設したフリッケライは、空中戦にも遅れを取る事無くレイダーと渡り合っている。
もっとも、ここでもキラの非凡な戦闘技術が作用している。
あれほどまで出来るのは、ククルを除けばアスランぐらいだと、ディアッカも口笛を吹いて感心していた。
……とはいえ、戦況を覆すには至らない。
そうしている間にも物量に勝る連合側は次々と橋頭堡を確保。
地形など詳細なデータの分析も進み、より有機的に空陸の連携を強めていく。
先の戦闘での反省から、陸上車両を駆使しての補給ラインも確保された事で、一気にオーブへの侵食が酷くなった。
アズラエルは技術屋では無いが、MSの特性については艦隊司令以上に熟知していた。
MSの最大の利点は不整地走破能力と、火器管制システムの集中運用にある。
戦闘機以外の何者よりも素早く進軍し、索敵、照準、射撃、移動と全ての攻撃アクションを一機で遂行する事ができる、言ってみれば地上戦艦の様なものなのだ。
その火力も、機動力も、既存の兵器と大きくかけ離れている……ならば、数が多ければ多いほど有利な筈なのだが。
自画自賛している訳では無い。
撃破される事などは論外だったが、時間的なリスクが大きい事は当初から解りきっていた。。
生体CPUであるパイロットらにはγ―グリフェプタンと呼ばれる薬物が必須であり、これの効力が切れると人事不詳に陥る。
Xナンバーもトランフェイズ装甲を始めとした特殊兵装の塊である。
電力消費量がストライクダガーなどとは比べ物にならず、高性能なだけに消耗も激しい。
今でもあれだけ動いているのは予想を超えた成果であり、それこそ“神がかり”な何かが作用しているとしか思えない。
……実際そうなのだろう、とは、アズラエルもおくびにも出さないが。
アズラエルを睨みつけると、艦隊司令は他所を向いてしまった。
この程度で言葉に詰まるようでどうする、と情けなく思う。
同じ質問をしても、現場の詳細な客観を理論立てて説明し、結局踊るのは自分達なのだと反論されて、アズラエルが唸る羽目になった男の事を考えれば……。
先日の戦闘で、ストライクダガー隊の未帰還数はかなりの数にのぼっている。
とはいえ、オーブ側からも捕虜として保護している旨は伝わっているし、オペレートによる撃破報告もカウントすればその数にズレが生じる事は無い……筈だった。
だが撃墜されず、オーブの捕虜に成っていないのに今現在戻って来ていない機体も僅かだが存在する。
僅かと言うがMS。一機云億の高級品である。それの行方が知れないと言う事の異常性を、軍は理解しているのか?
近海で睨んでいるザフトのせいだとか、漸駄無やマガルガにやられたのだという不確実な仮説を立てている様だが、今大局には影響しないとして放置している。
後で調査委員会に面倒は押し付けるつもりなのだろう。サイフを握るこちら側の考えなど、御構い無しである事がアズラエルには苛立たしかった。
何故かは知らないが、消えたストライクダガーが黒く塗りたくられている様子を、アズラエルは幻視した気がした。
そして、三機のXナンバーがマガルガとフリッケライ、更にはプロトアストレイ相手に敗走したのをきっかけに、再び連合軍は後退を開始した。
しかし今度の攻勢はオーブにとっても王手一歩手前であった。
迎撃施設は壊滅、オーブ海上艦隊はものの見事に全滅している。
M1部隊の損耗率も激しく……結果、オーブ軍も後退を決意。オノゴロを放棄し、オーブ群島の一つであるカグヤに集結を開始した。
痛み分けと言うには余りに劣勢であった。マスドライバーが存在するここで敗北すれは最期である以上、背水の陣である事は間違いなかった。
が……。
本来よそ者であるマリューらだけではない。
ヘリオポリス及び軌道エレベーターアメノミハシラの往復に利用されていた、イズモ級宇宙艦“クサナギ”も用意され、残存しているM1部隊が積み込まれているのを見ると……どう考えても、敗走の算段を立てているとしか思えなかった。
しかしマリューは、只逃げるだけでは無い事を、悟る。
考えたくなかった、最も最悪の事態が起ころうとしていることに、カガリは唇を噛んだ。
オーブは失われる。
結局、地上最後の理想を具現化したこの国は……その他多数の理想に塗り潰されていくのだ。
厳しい表情であったウズミに微かな変化が見られた。
まるでその名を口にするのがどうしょうも無い苦痛を強いられるかの様な、奇妙な間。
だが結局その名を口にする事は敵わなかった。
それでも、ウズミの根底にある想いはマリューらにも伝わっていた。
良い訳が無い。
何の為に、幾つもの想いを、志を継いでここまで辿り着いたのか。
そして今、またしても……倒れる者から託されようとしている。
それを支えるのは自分であり、自分ではない。
同じ未来を目指し、来るべき暗黒を畏避せんとする同志。
支えられるのも自分であって、支えるのも自分なのだ。
マリューは側のフラガと目を合わせ、微かに頷く。
彼の目からまるで、彼の分の想いまでも流れ込むような気がしていた。
それは失われたものから受け継がれた、新たな輝きでもあった。
アークエンジェルは現在、マスドライバーによる大気圏離脱を遂行する為の大型ブースターを取り付けていた。
このブースターは本来クサナギに使用されるものであったが、現在のクサナギは格納庫を含む中央ブロックのみが地上に存在し、M1を満載してもマスドライバーと自身の加速力で十分宇宙には上がれる。
アークエンジェルはクサナギの大型ブースターとローエングリンを併用し、ポジトロニック・インターフィアランスと呼ばれる陽電子の傘を展開する事で空気抵抗を激減させ、ようやく最低軌道離脱速度である27800キロに達する事が出来るのだ。
先程のダメージもあり、作業は難航しているが……確実に宇宙に辿り着くだろう。
それを考えると矢張り、戻る事は論外だとディアッカは思い知る。
ここで尻尾をまいて逃げる事は、一世一代の決意を無為にし、自らを全て否定する事に他ならない。
だがそこまでの決意をせずとも、ククルはここにいる。
彼女の認識が軽いのではなく、今や戦争そのものを完璧に、一人の人間として受け止め、空気のように感じ取り敏感かつ正しくあろうとする。
そのスケールの大きさは生涯真似できないだろうと、改めてディアッカは思う。
と、皮肉な微笑を浮かべ、パン、と手を合わせる二人。
それぞれの愛機に向かい、それぞれの意思を貫く……バスターはアークエンジェルへと向かい、マガルガは飛翔してマスドライバーを見下ろしていた。