プラントの国内情勢に暗雲が立ち込めていた。
アラスカに次ぐパナマでの大損害は、誰も口にはしないものの周知の事実であった。
涙を堪え唇を噛み、俯いてうな垂れる人間達が何よりの証拠……帰って来ない者を想っても、“死んだ”とすら認められぬ為未だに切り換えがつかない。
感情は理屈に勝り、ラクスを始めとしたクライン派の行動について、同情的な意見も多くなりつつあった。
パトリックによって捻じ曲げられた真実は、パナマという厳しい現実を前に霧散している。
もし情報漏洩が彼らによって成されているのだとすれば、パナマにおける新兵器の無効化、進軍ルートの察知等は説明がつかない。
この二つを実際に漏洩出来るのは、パトリックに極めて近い人間で、しかも情報の鮮度を高く保てる人間以外にありえない。
……だがこの同情もあくまで同情であり、ラクスの言葉を真剣に受け入れる者は皆無。
悲しみは際限を超えて溢れ出し、怒りは膨らみきって破裂する寸前……もうこれを治めるには、個人レベルでの断罪では不十分であり……。
戦いの終わり等、誰も望まなかった。
勝っても負けても、失われた人々の敵が討てれば満足……誤った方向に理性を振り切ったコーディネーターは、後先の事を……次世代(つぎ)の事すら失念しつつあった。
かつて、ソフィア=ネートが懸念したコーディネーターの滅びの道が、いよいよ現実のものとなりつつあった。
彼女はブルーコスモスの様な人類至上主義を掲げている訳では無かった。しかし遺伝子工学における突然変異の危険性を深く認識していた彼女は、とある仮説を立てていた。
……コーディネーターの急激な遺伝子改変を行った人体に、全ての器官がついて行っていないのでは無いかと。
特に母体については、強力かつ高密度の遺伝子情報を持つであろう精子を、危険因子として排斥してしまう可能性があると、彼女は指摘していた。
実際にはもっと酷く、卵子の遺伝子情報を精子が破壊してしまい、受精すら起こらないと言う悲劇的な状況であった。
これを避ける為に、メンデルにおいて開発されていた人工子宮や強化培養卵子を、プラントは使用していたが……これでは最早、子供を生むのではなく、“製造”していると言った方が正しかった。
彼らは聡明で、ナチュラル以上に先見性はあった筈だった。
しかしそれすらも、純然たる怒りと憎しみを前にして完全に曇ってしまった。
彼らは失い続けてきた……だからもう何も失わせない……奪おうとする者全てを蹴散らす事で、それを実現しようとするのだ。
……その先に待つものこそが、“バラル”の望むところである事を解する者は……“彼ら以外では”今や、プラントにおいてたった一人になってしまった。
許された罪……無知を退けた最期の一人として……パトリック=ザラは戦い抜く所存だった。
忌むべきはその意志を……次世代(つぎ)に伝え損ねた事だけ……。
そう懸念する自身でさえも、他人を躍らせる事しか道は無い。
その無様さを笑いつつも、パトリック=ザラは吼えた。
クライン派によるゲリラ的な放送に対し、プラント側も手をこまねいては居ない。
国防委員会、もといパトリック=ザラ直属の特務隊により必死の捜索が続けられているが、効果は薄い。
中々尻尾が掴めないのも無理の無い話であり……よもや司法局及び一部プラント科学者、それに特務隊そのものにも“離反者”が居るとは、考えが及ばなかった。
パトリックもまた頻繁に演説を行う事で、真っ向から対決する。
ナチュラルの悪行を並びに並べ、自らの所業には一切触れぬ一方的な断罪。
……こうするしかありえない。相手は“地球外に存在する自己以外の勢力全てを”裁こうとしている。
応報の様な上等な理屈では無く、只在る事そのものを罪とする不条理しかない。
その不条理に巻き込まれ、ユニウス・セブンの命は消えていった……目と鼻の先にある危機に対し、机上の平和論は余りに脆い。
かつてもそうだったのだ……パトリック=ザラ自身も幾度と無くブルーコスモスのテロに遭い、生死を彷徨った事もあった。
月に身分を隠してアスランを留学させたのも、彼の身を案じてのであり、緊迫した情勢の中必然的に警戒感は強まっていた。
シーゲル=クラインもまた、コペルニクスクレーターにおいて国連総長ら首脳陣もろとも爆殺されかけたのだ。
しかもそれを、国連に成り代わり成立した地球連合はプラント側の陰謀と断定し……あの忌まわしき血のバレンタインが起こった。
よもやプラントそのものを破壊すると言う暴虐までは、想定していなかったパトリックは……自らの甘さを果てしなく呪う事となったのだ。
それどころか次は無い事を知るものは、ほんの僅かしか居ない。
……一度地球に“弓引いた”存在を、“神”が捨て置く訳が無いのだから。
可能性に挑戦する、その事自体を罪に問われる前に……。
だが砂時計に留まり続ける限り、その悲壮な覚悟は他の何者にも理解出来ない。
それは地球のカーペンタリア基地でも同じ……。
慇懃かつ他人事にクルーゼは称している。
クルーゼ隊はほぼ壊滅状態にあったが、今では新しい人員を補充していた。
最早古参はイザーク只一人。
イザークにとって、ククルとの関わり合いもあり……今まで隊長として慕ってきたこの仮面の男への疑念はますます深まっていた。
それに拍車をかけたのが、何よりも……。
確かにイザークとて、ラクス=クラインの歌は好きだった。
一人のファンとして魅了すらされていたし、その無垢な様に心奪われていた。
そんな彼女が反逆者とは、到底信じられなかったが……それを、この敵である筈のフレイ=アルスターに言われる筋合いは無い。
彼女が居るだけで、まるで猛獣の檻の中に入れられた様な緊張感が漂う。
抜き身の刃のように――実際に封をされた太刀を持ち歩いている事もあり――危険な香りがあり、表面上は猫を被ったかのようにクルーゼの側でぼおっと突っ立ってはいるが、その実虎視眈々と何かの機会を窺っている事は間違いなかった。
毎度毎度二人が顔を合わせるたびに空気が変わるのだが、新たな同僚達は鈍感だ。
女性であるシホ隊員のみが、何処と無く寒気を感じている様だが、そんな様でマトモに使えるかどうかも不安の種ではあった。
もっとも一番の不安……いや寧ろ不信は彼女に対するクルーゼの態度だ。
刃渡り一メートル以上はあろう刀剣を持っておいて、何ら問題は無い訳が無い。
イザーク自身は無論、多くの同僚が幾度と無くその事に対し抗議したが……。
といった趣旨の反論しかして来ない。
しかも回収されていた伍式の修繕作業について色々な権限を与えているらしい。
この場に居る誰よりも伍式に近い人間である事は認めざるを得ないが、それはあのゼンガーに最も近かったという意味でもある。
邪な考えを持った兵らを一時とは言え、刃を抜く事無く実力で押さえ込んだその技量は驚嘆すべきものがあるし、結局押し倒された際も涙を溜めつつも人を殺せそうな視線で相手を睨んでいたのだから、芯の強さも恐るべきである。
……無論その様な無粋かつ情けない真似を承知するイザークでも無く、彼女を結果的に助ける行動に走ろうとした。
だが誰一人として彼の言葉に耳を貸さぬばかりか、裏切り者扱いされる始末……結局“偶然”居合わせたクルーゼが全員射殺、という結果に終わった。
この期に及んで錯乱するような兵は、要らないとして……。
幾ら何でも露骨過ぎるクルーゼの態度では有るが、別にかのバルトフェルドとアイシャの様な関係には見えない。
どちらかと言えばククルとの関係に酷似していた。
互いを警戒しつつも、果すべき目的のために嫌々手を組んでいると言った風に。
では果たして、この仮面の男と赤毛の少女は何を企むのか?
……もう、言葉に従い続けるだけでは流石に危険だ。
アラスカとパナマで失われた命や、同僚達は……その甘言に踊らされてしまったのではと、しつこい疑念がイザークを襲う。
約束された地は、誰かに連れて行って貰うものでは無いのでは……その現状への疑いが、彼に新たな道を示しかけていた。
無念の声が、潮風に流れ消えていった。
オーブに急接近し、マスドライバー崩壊による連合軍の混乱をついて電撃的な離脱を果したシース。
ゼンガーは今、その中心人物たるレーツェルと……いや、かつての戦友(とも)との再会を果した。
ウズミ=ナラ=アスハは獅子であった。
その牙は自らをも滅ぼしたが、その屍を越え、多くの子供達が新たな地平へと進んだ。
その死を悼むかのように、静けさを取り戻した海が冷ややかな光に照らされ、鎮魂歌を紡ぐ。
帰るべき場所を、自ら失したレーツェル。
その絶望、その慙愧……真にそれを知るからこそ、彼は再現を許さない。
平穏を。今更願っても己には二度と訪れぬ平穏を願い、レーツェルは動いている。
既にシースは、元来の設立目的であった“戦争調査機関”としては逸脱している。
原因を……罪を知っているのならば目を背けず、寧ろ知った者の宿命として呑み込んでしまう。
彼に空いた空白は、それほどまでに広大で深い。
何も出来ずに、後悔だけを残して死んでしまったアルスター事務次官とは違うのだ。
残された娘たるフレイが、どれほどの喪失感を味わった事か。
それを引き起こしたのは、先人たる自らの不甲斐無さだとゼンガーは自覚している。
ナチュラルもコーディネーターも無いと言う、オーブの理念もゼンガーは受け継いだ。
大天使が空に舞う時、一人残ったゼンガーが託された獅子の魂……オーブが中立性を保ち続けていたのは、“来るべき災厄”に備えての事と、明かされたのだ。
それがソフィア=ネートの警告と同じく異星文明の干渉なのか、宇宙規模の災害に際してか、それとも地球が抱える病巣なのか……それは明かされなかった。
だがどれも、国家と言う垣根が残存していては柔軟な対応など望むべくも無い、深刻な脅威である事は間違いなかった。
暴虐に屈する事を畏れるばかりではならない。寧ろそれらと対決する勇敢さを彼女に与えるつもりだった。
もう何も奪われず、奪う事も無いように……それを成すのは、結局は意志だと知っていたから。
それを途中で投げ出す形になってしまったのだ。
願わくば、強き意志が彼女に根付いている事を……ゼンガーは切に願っていた。
それが裏切りを働いた自身に対する、激しい殺意であっても。
各艦の甲板上では、ストライクダガーの設定更新(主にリペイント)作業が進められていた。
……離脱したのはシースだけではなかった。
中立国を侵すと言う、矛盾した正義を行使するのに疲れた兵士達もそうであった。
オーブに投入された兵力からすれば、ほんの一握りの兵力であり、たった数機のMSである。
だがその一握の砂でさえ、積み重なっていけば巨大な山となり……悪逆を阻む事が出来るのだ。
その為に彼らも揺り篭を脱するつもりでいた。
些か、過激かつ横暴とも取れる手段で……。
その頭上にもまた、獅子の魂を継いだ者達がいた。
大天使とクサナギ……共に地球と言う揺り篭を巣立ち、自らの足で当て無き放浪を始めた孤高の艦。
現在はクサナギの中央モジュールに残りのパーツを接合する作業に入っている。
イズモ級二番艦クサナギは、船体をブロック式に組み上げる事で柔軟な運用を可能にしていた。
平時において武装モジュールを全て取り外し、往復船として運用していたのもその一環であったが、今ではゴットフリート二門、ローエングリン二門もの大火力を有する宇宙戦艦へと変貌していた。
……しかしこれは、あくまで“取引”でしかなかった。
それに関連し、格納庫ではちょっとしたトラブルが発生していた。
ランデブーポイントを確保していたMSのパイロットが、契約に則ってプロトアストレイを回収すると宣告して来たのだ。
確かにモルゲンレーテから示された期間は三日……この黒き死神が戦場に顔を出して、三日は確かに過ぎている。
しかし、それはあくまで覚悟の問題だとばかりマリューらは考えていたので、まさかこの様な形で履行されるとは考えていなかった。
位相転移装甲も核機関も搭載しないにも関わらず、高い性能を誇るこの機体を失う事は大きな痛手となる。
何とか思い止まって貰おうと、フラガは抵抗していたが……相手をする少年は冷淡だった。
フラガの読みは当たった様で、おお、と感嘆を洩らし少年は目を輝かせた。
ビクトリア基地はアフリカのビクトリア湖近辺に建造されているのだから、キーワード自体にそれほど隠匿性は無かったが。
酒樽と言うのはメビウスゼロのガンバレルを示すのだろうが、その調子には嘲り等は見られない。
只純粋に、フラガの戦果を讃えている様にしか見えなかった。
見つめる眼差しも、まるでヒーローに出会ったかのように純粋かつ、憧れに満ちていた。
少年は乗って来たデュエルに酷似する機体を指差す。
しかもどちらかと言えば面構えはストライクダガー……マードックが言うには、まず十中八九連合製だと言う。
……クサナギのパーツを管理していたのは、未完成の軌道エレベーターアメノミハシラ。
そしてそこに移送されていた多数のM1……フラガの頭の中で何かが繋がる。
それを聞いてフラガは何とも複雑だった。
自分達に次ぐか、もしくはそれ以上の実力を有していながらも、オーブの理念には納得がいっていなかったようなのだから。
戦乱に乗じてにしては上手く行き過ぎだ。恐らくずっと昔から、改革の機会を窺っていたのだろう。
その為に現政権は邪魔以外の何者でもなく……助ける筋合いも無かったと。
そして少年の言い分が全てを極端に示していた。
その“姐さん”はオーブの中立性はオーブの利潤とは釣り合わないと判断し、オーブ国民の生活を保護する為にも連合側に阿る必要があると判断したのだろう。
確かに今のこちら側の行っている事は、オーブの国益を損なうだろう。
連合の版図に収まった……オーブにとっては。
とはいえ、フラガにも譲れ無い物があるのだ。
己の運命が流される事を、フラガはずっと感じ続けていた。
跡取の資格が無いと実父に冷遇され、何者かの放火によって全てを失い、混沌極まる世界情勢でパイロットとして西へ東へ……信じるものも、信じる仲間も命令によってころころ変わる日々。
そんな中ようやく、本当の意味で“戦友”となれる仲間が出来た。守るべき想いを見つけたし、心から信を置ける頼り甲斐のある上官にも恵まれた。
そんな彼女から頼られる事が……信じた人が同じように信じてくれる歓びを犯されたアラスカで……フラガは決していた。
迷う事無く、一心不乱に……自らの運命を彼女も巻き込んで創り上げる事を。
自分の恋焦がれる者を貶める存在に一矢酬いる事も無く、只大人しくしてなど居られないと。
だからフラガには剣が必要だった。今此処に残る、酒樽を抱えた相棒ではまだ、不十分なのだ。
しかし、今更そんな事を言っても仕方が無いと解っていても、つい口に出してしまったフラガの言葉にも……しっかりと少年は答えを返す。
その言葉に覚悟すら匂わせて。
剣が必要なのはフラガだけではない。
オーブの為の別の正義にも……目の前の少年の幸せの為にも。
力の独占が何を生むかは、最早広く知られている……これぐらい分散していてもいいのでは、とフラガは自分を納得させた。
しかしそれをどうやってマリューに知らせるかは、また別次元での困難を要するが。
それも子供の無邪気な笑いを前にしては、些細な事と思ってしまうフラガであった。
……誰であろうと、嫉妬や妬みとは無縁の邪気の無い羨望を受ければ悪い気持ちにはならないものなのだ。
それが例え、人ならざる戦友(ソキウス)であっても無論の事。
その清らかな心と小さな体躯に眠る、潜在的な何かに怯える方が余程異常である事を……多くの人類は知らないでいたのだ。
代理人の感想
フレイが怖い(笑)。
後気になったのがクライン議長。
いえ、今回どうとかという問題ではなくてこの先どうなっていくのかなと。
いくらでも美味しく出来たはずのキャラクターだけに気になるんですよね。