「……ではゼンガーは待たぬか」


 責めているとも哀れむとも取れる冷たい目が、アークエンジェルのブリッジを見渡した。
 慌しくと宇宙に上がった為に、戦力的なバランスを取る為の引越し作業が後回しになっていた。
 クサナギの接合作業と、アークエンジェルのブースター切り離し……特にブースターについては、アメノミハシラからの使者が早期返還を要請。その煽りを喰らい、クサナギに張り付いた形であったククルは、今の今まで戻る事が出来なかった。
 その行動に問題は無い。
 何時までも脱走艦である大天使と、オーブ旧政権から落ち延びたクサナギが留まっていれば流石に連合も目障りだろうし、ザフトも捨て置いてはくれない。
 もっともそれどころでは無いだろう、という予測は立っていた。地上ではオーブに続き活発な戦力移動が行われている。
 次の標的はビクトリア……マスドライバーを有するもう一つの攻略目標。
 オーブはこれの保険とされ……道連れ同然とは言え、ものの見事にその目論見を粉砕した形になる。


「ええ。これ以上の残留はあの人の行為を無にする事になりかねない。ひとまずはL4ポイント付近まで移動し、水場を確保するつもりです」


 かつて襲用に命を狙ってきた仇敵を前に、不思議なぐらいマリューらは落ち着き払っていた。
 良く見据えるならば、ククルがどういった人間であるかは一目で解ったからだ。
 彼女は流動的なのだ。
 空気の変化、感情の起伏を敏感に感じ取り、それが害成すものであれば即座にスイッチが切り替わる。
 彼女が何ら構えを取らないのは、ありとあらゆる変化に対しても備えがあると言う事だ。そこに不安も疑念も入り込む余地は無い。
 只あるがままに……目の前にある真実を曲げる事無く受け止める。
 彼女はどこまでも自然なのだ……今の今までずっと、異常の只中にあっては気付かなかった些細な事柄。
 それすらも考えられぬほど、ナチュラルとコーディネーターは逼迫しているのだ。
 


「L4……あそこは戦火が広がった為に、構成コロニーが殆ど破棄されておる。かつては良からぬ輩が根を張っていた事も在ったが、今ではその影も無かろうな」


 注目の目線を浴びつつも、ククルはすらすらと意見を述べる。
 それに誰一人異議を挟まないのは矢張り、オーブでの一件が効いている。
 それは連合軍の空挺部隊を壊滅させた事でも、新型のXナンバーと対等に渡り合った事でもない。
 等身大の己を曝け出して、敢えて拳を振るい、振るわせた事で、その一途なまでの素直さを皆知ったからだ。  
 


「しかし……本当に良いのか、君は」


 そんな彼女が信を置くならば……と、認めたい気持ちはあるが、矢張りフラガの警戒はもっともであった。
 彼女の後を身を竦めるようについている、ニコル=アマルフィについては。


「無論、君だけじゃない。もう一人の彼もだが……」


 言うまでも無くディアッカの事である。
 方やクサナギ発進の援護、方や防空支援及び避難民救助と言う、値千金の活躍をしているものの、質(ただ)す事は必要である。
 ニコルに至っては今この場が初の対面となるのだ。何時までも俯いていては判断し難い。


「オーブでの戦闘は俺だって見てるし、状況が状況だしな。着ている軍服に拘る気は無いが……だが俺達はこの先、状況次第ではザフトと戦闘になる事だってあるんだぜ? オーブの時とは違う。そこまでの覚悟があるのか……?」


 余計に表情が曇るニコルにつられ、マリューもどうしたものかと眉をひそめる。
 ニコルもディアッカも、現プラント評議会議員の子息。それでも直、戦争と言う国家の危機に敢えて立ち向かった決断は、一生分にも匹敵するだろう。
 それを今ここで曲げろと言うのだ。十数年足らずとはいえ、今までの生全てを否定しろと言っているのに等しい。
 不用意な同情等、それこそ失礼である。


「軍人が自軍を抜けるってのは、君が思ってるよりずっと大変な事なんだよ。自軍の大義を信じてなきゃ、戦争なんて出来ないんだ。それがひっくり返るんだぞ? そう簡単に行くか……少佐は信じても裏切られ、成そうとしても果せず、目指しても届かず……そんな事を何度も繰り返して来た。その末に、自分が本当に志すものを、大義の方が信じないと悟って……連合を見限ったんだ」



 ゼンガーの名が出た途端、微かにニコルが息を飲んだように見えた。
 かつて彼を“殺した”時、彼の操るブリッツの鬼気迫る攻勢をマリューは思い出す。
 執念とも言うべきあの動きは、一片でも迷いがあれば不可能。
 あの時彼は刺し違える覚悟だったのだろう。


「悪いんだけどな……一緒に戦うんならアテにしたい。良いのか」


 ……だが、その覚悟は誰に対してか?
 自らの命を狙う敵に対してか、それとも大義の為命を投げたか……そんな恐怖を胸にしたままでは、ゼンガーの相手は無理だ。それに大義の為ならば生き残るのが筋であり、それすら放棄し自己犠牲に酔う様ならば、ああまで冷静に一太刀返せる訳が無い。
 ならばその応えはマリューにも自ずと予測出来た。同じ様な覚悟をした者が……直側に居てくれるのだから。


「……僕の想い人を信じず、守ってくれない大義になんて……未練はありません!」


 ただ、言った後で数分の沈黙があった後に、伍式もかくやと思うほど顔が赤く染まっているのだ。
 不敵な笑みを浮かべるフラガに比べれば、まだまだ純粋な様だ。







「……まあ、そういう事だ。私もディアッカも同意見だ」

「って……僕を矢面に立たせないで下さい」

「聞かれたのはそなただからな。口を挟む訳にはいかなかった」


 穏やかな笑みがククルには浮かんでいた。
 皮肉も飾りも無い、透明な調子。
 何の罪も、何の思惑も無い無垢な言葉から生まれたものだ。


「……!!」


 自らその状況を生み出したにも関わらず、ニコルは今にも過熱で崩れそうだ。
 それを強制冷却させる様に、ククルはすぐさま真剣にマリューらを見据えた。


「確かにパトリックのやり方でも、我らコーディネーターの生存権確保は可能になろう。だがその過程で生ずる犠牲が余りに大きい……戦局が安定してからと言うもの、奴の動きはおかしい。まるで他に敵が居るようだ」

「……そりゃあ、自分自身の恐怖や思い込みの類?」

「その様な男ならば、ああまで登りつめる事もなかった……私を使おう等とも思わぬし、私も使われる気は無い」


 演じる様でもなく、深刻な様子で眉を8の字に曲げているククル。
 かつてザフトの前身であった“黄道同盟”において、シーゲル=クラインとパトリック=ザラは、共に同志として地下活動を繰り広げている。
 この様なゲリラ組織に置いては、俗世の欲が絡む事は崩壊の兆しとなる。
 だが多数の賛同者を得、評議会の過半数を掌握しても直、パトリックはプラントの自治権獲得を最優先に動いた闘士だった。
 その志の高さだけはククルも認めていたし、今となれば一人の少女の叫びを無視してでも、やるべき事があったのだと察する事も出来る……が。


「だが終わりだ。奴とは敵として、真正面からぶつかる事を覚悟せねばならない。私の友を、敵としたのだから」

「しっかりしてるねえ、君は」

「老けているだけさ」


 からかう様なフラガの言葉に、にんまりと人の悪い笑みを返すククル。
 お陰で張り詰めていた空気が割と和んだ。


「同じ様に、連合も我が友の命を狙った以上は……それ相応の返しをせねばなるまい」

「……カガリさんの事ね」


 マリューは神妙な目で隣のキサカを見るが、彼は黙って首を振る。
 クサナギから今後の方針を決める為に移ってきたが……普段なら、真っ先に飛んで来るであろうカガリは居ない。


「……肉親が目の前で逝ったのだ。その苦痛、その無力……呪わずには居られまいて」


 思い悩んだのも一瞬。
 ククルは静かに、光明をもたらす様な言葉を言った。


 
「プラント内部にも、反パトリックの気運が渦巻いている。その只中にはラクスがおる」

「……ラクス?」

「ああ、あのピンクのお姫様?」


 真っ先にフラガが気付き、マリューもようやく思い出した。
 デブリベルトで遭遇し……ククルが、羅刹の如き気迫で奪還を試みた少女。



「我が友でありアスランの許婚。そして現在俗に言うクライン派の中心人物だ」

「彼女が?!」

「見かけに騙されるなよ……? あ奴は、相当の策士ぞ」

「まあ人は見かけによらないとして……親父さんの方はどうした? まさか……」


 沈痛な表情をククルが返したので、周囲もつられて暗くなる。
 だがその応えは、どうにも不確実だった。


「……掻い摘んだ話しか解らぬが、どうもプラントには厄介な輩が潜伏しておる。奴らを撒くので精一杯だそうだ」

「パトリック=ザラの追っ手とはまた別か?」


 落ち着いた表情で頷くククルを見て、マリューは小さく溜息をつく。
 情勢が混沌としているのは何も、地上だけでは無いのだと。
  
 







「おう、話は終わったか」


 格納庫に入っていくと、ディアッカが待ち構えていた。
 全員で行くと不測の事態に備えられないから……と言うのが彼の言い分だが、どうもブリッジに行くのを照れている様な様子があった。


「それでその様では、あの娘にどう申し開きする」

「あー……それはな……」


 パイロットスーツではなく、モルゲンレーテのジャケットを着込んでいるディアッカは、あさっての方向へ視線を逸らす。
 その服を一体何時の間に手渡されたかは……大いに突っ込むべき所ではあった。


「……悪い。断れなかった」

「申し開きは当人にせよ。乙女のカンを前にNジャマーは無力ぞ?」


 苦笑いするディアッカを後押しするように軽く叩き、ククルはマガルガの方まで向かい、コクピットに入った。
 MSは今やバスターとブリッツ、それにマガルガのみとなり、クサナギの超過密状態を考えれば閉散としている。
 ……それでも、戦力的には大きくこちらに分がある。戦闘経験と性能という、質の面からすれば。


「……ククル?」

『少々潮風に当たり過ぎた。センサーの作動具合を見てくれぬか』
 


 紹介はされたものの、ニコルは釈然としない思いのままであった。
 時間が押しているとは言え、さも居るのが当然かの様な態度が今まで続いているのだ。
 苦難を乗り越え、無理を押してここまで辿り着き、戻る事が出来たと言うのに……幾ら何でも拗ねたくなるし、不思議にさえ思う。
 ……そんな余計な事を考えていたからか、先程の指示の際目が笑っていた事に気がつかなかった。
 と言うか、少し顔も合わせる事が辛かったのだ。


「……はい」


 落胆し、マガルガの胸の部分に立って様子を見るニコル。
 その瞬間、足元がいきなり無くなり、暗闇の中から手が伸びて来た。


「ええっ?! ああっ?!」


 闇の中に引きずり込まれたニコルはますます動転する。
 暗く寒い筈のこの場所で……何故か、温もりを感じるのだから。


「……こうでもせねば二人で話など出来まい」

「はっ……あ……?」


 天蓋が閉じ、微かな計器のみが顔を照らす。
 ここがマガルガのコクピットであり、自らが腕と胸に包まれている事を知るのに……ニコルは大分時間を要した。


「クっ……ククル?! 何を?!」

「……何故……戻って来た」


 罪人の様な静かな瞳が飛び込んでくる。
 そこには歓びが微塵も無い。
 あの神鏡を渡された時と同じ、夕日を飲み込んでいく海原を想起する暗い眼差し。
 どんなに微かな光さえも沈んでいく、果て無き償いの念……そんな様をニコルは望まない。
 だからニコルは顔を背けない。否定するのではなく、認めるべく。
 


「私に殺された事にして……好きにしても良かったのに……何故だ」

「……だからこうして……好きにしてるんですよ、僕は」


 ニコルの不自由な右腕をククルが撫でる。
 肩にそって手を這わせていけば、その歪な継ぎ接ぎ具合が感じられた。
 太腿から伝わる熱については……皆無だ。只冷たさしか感じられないでいる。


「それ程までに、私が憎いのだな……」

「ええ、憎いですよ。天邪鬼な所や、容赦無い所とか、放置癖があったり妙な所で鈍かったり無鉄砲で……」

「……一寸(ちょっと)待て」


 だがニコルは止まらない。
 今まで溜めに溜めていた不満やら何やら、とにかく洗いざらいを吐いた。
 だがそのどれにも……恨み言であっても殺意は無かった。


「まだまだ言いたい事は沢山あります。でも一切合切含めて……好きなんだから仕方が無いです」

「……!」


 責め立てている中でさえも、ニコルには可愛げがあった。
 しかしこの瞬間それは消え、精悍さすら感じられる微笑に変化した。


「この間みたいに誤魔化されるのは嫌ですよ……置いていかれるのももっと嫌です。だから……離しません」


 今度はニコルの不意打ちに、ククルが驚かされる番だった。
 強く抱かれたせいで微かに息が漏れるが、それすらも奪われ、飲み込まれる形となった……。









 





「……あら、裏切り者が何の用」


 

 イザークは頭上の冷ややかな視線を、更に殺気だった目で見据えた。
 アラスカ、そしてパナマの攻略失敗により、ザフトは戦線縮小を余儀なくされている。
 戦線を縮小すれば、戦力が密集して慌しくなる筈だったが……カーペンタリア基地は閉散としていた。
 殆どのMSはジブラルタルやビクトリアへと移され、連合による攻勢に備えている。
 だがこれ以上の戦力増強はありえない。クルーゼを始めとした優秀な実戦経験者が次々とプラントに帰還する事になっている事からも、その思惑は明白だった。
 プラント評議会は地球戦線の維持を断念したのだ。
 こうなれば後はジリジリと後退するしかなく、物量で勝る連合を押しとどめる事は不可能になるだろう。
 残るは、プラントのテクノロジーを動員して質を高めるしかない。
 ジン系のバージョンアップも盛んに行われ、最近ではシグー等次世代型の量産も進んでいる。そして新たな主力量産機の開発の噂も流れている。
 ……それすらも、かの男が有志と共に鍛え上げたXナンバーには、遠く及ばないという事実が、目の前に立ちはだかる。


「お前はどうなんだ。それは確かにナチュラルの機体だが、今はザフトの鹵獲機だ……それがどう言う意味か、解らぬ訳が無い」


 パナマでの無様な敗走を、彼女は眺めていたと言う。
 そう責められるのは当然かもしれないが、真実を語ってくれるのはある意味彼女だけなのだ。
 シホを始めとした新たな隊員は、イザークを“英雄”としか見ない。
 今ようやく戦場に立った彼らには……捻じ曲げられた真実を、正しく見る目も手段も無い。
 


「私は素直なだけよ。アンタみたいに躊躇ったり悩んだりしないわ」


 巨人に寄り添うようにして、フレイがイザークの方を流し見る。
 伍式の調整作業に、彼女は無くてはならぬ存在としてそこに居る。
 同時に、触れてはならぬ茨として。
 主無きかつての守護者を守る、性質の悪い精霊か何かにも見えない事も無かった。


「私が襲われた時……アンタ私を助けようとした」

「……!」

「でもしなかった。こいつはナチュラルだって……躊躇いがあった。そうよね、アンタ達にとっては地べたを這いずる私達の事なんて……どうしてもよかったんでしょう」


 何も言い返せず、イザークは唸る。
 あの時動かなかった罪は、何をしても償えるものではない。立場も、力もあったにも関わらず……何者のせいでもなく、自らの判断でその機会を失った。
 


「……悪いと思ってるでしょう。後悔してるんでしょう……余計なお世話よ」


 憎む事も無く、恨む事もせず、只フレイは見下ろしていた。
  


「気を付けなさい。アンタは一番裏切ってはいけない人を裏切ったのよ」

「……何?」

「……私は裏切らないわよ……絶対に」


 憐憫の眼差しを受け、イザークの中には何故か焦りが生まれた。
 理解が出来ない訳では無いのだ……解っていて、それを認める事が怖くて、敢えて無意識が無知を装っているのではないのか、と。























  
「……裏切り様が無いもの、これ以上は」