オーブ侵攻と並行して準備が進められていた、第三次ビクトリア攻略作戦。
アラスカ、パナマでのザフト地上軍弱体化を睨んだこの作戦は、再生産されたストライクダガーを主戦力とし、それを元にした各種改良型やXナンバーをもって楔とする事で、戦局を優位に運ぶ算段であった。
今回の主戦力となるのはユーラシア連邦及びアジア共和国の部隊となる。
アラスカやパナマで散々大打撃を被った彼らに対しても、何らかの利潤を回さなければとても持たないと、アズラエルが判断したのだが……それすらも気休めである事は承知している。
ユーラシアの独自の動きはますます露骨になりつつあり、アジア共和国も自力でのMS開発計画の存在が推移されている。
各国共に既に戦後に向けた動きが活発であり、それらの情勢を読み違えれば大損害を被る事は明白なだけに、情報把握は彼にとっても死活問題だった。
それだけに、思わぬイレギュラーの存在には大きく興味を惹かれていた。
作戦実行一歩手前における、根回しに奔走していたアズラエルは、ふとそんな情報を耳にしていた。
士官の何気ない言葉を前に、アズラエルは思わず、頬杖をつくのを止めてしまった。
誰が何処で糸を引いているかド派手に宣伝していた。
暫く眉を曲げて考え込んでいたアズラエルだったが、やがてあくどい笑みを浮かべて指示した。
恩を売ったつもりは無かったが、大仕事を前にした目晦ましとしては、これ以上無いものである。
突発事態すら機会と成す……かの男と遣り合ううちに、真っ先にアズラエルが知った事でもあった。
通り過ぎていく偵察機を前に、苛立たしげな声が聞こえた。
だが男は……レーツェル=ファインシュメッカーは機会を待たない。
突発事象を自ら生み出し、高いリスクの中を確実な思考と判断で掻い潜り、先へと向かう。
敢えて連合側に動きを察知させる事で、それに呼応した動きを誘発させ……今度はそれに乗じてこちらが真の目的を果す。
現在の連合に冷静な決断が出来る将兵は……悲しいかな皆無だと……レーツェルは悟っていた。
多少の人物は判断だけは可能だろう。
だが世界規模で展開しているイメージ戦略を前にしては、我すら流される。
“ワン・アース”アピールなどがその典型だった。
中立を保っていたオーブや赤道連合、スカンジナビア共和国に対する、恫喝に近い声明。
並行して行われたマスメディアによる大衆操作により、これらの国々に対する国民感情は過去最悪となっていった。
多くの国がこれに屈し連合の傘下に入り、オーブに至っては滅亡へと追いやられたのだ。
今や地球は一つに纏まりつつあり、それを拒む者は敵とされる。
……黒か白か。二面しかない単純な世界へと移っている。
失う事を畏れない者しか……この流れから脱する事は難しい。
レーツェルと同伴していた人影は、愛想笑いさえ浮かべていない。
一応は雇い主の様な彼に対し、挑戦的な態度で只睨むだけだ。
左右の目が、それぞれ異なる意味合いでレーツェルを睨んでいる。
主に怒りの表情とはいえ、その変化は実に極端に起こっていた。
その問いに、すぐさま否定の形で首を振った。
嘘でもはったりでも、せめて最後ぐらいは安らかに……と、虚偽の報告をした事は何十回もあった。
真実が死へと追いやった事を、今更ながら再確認させる必要は無い。ならば幻想でも何でもいいから、死と言う終わりとは別の事を考えさせなければ、と考えたのだ。
そしてその度に……嘘が下手だと笑われて来たのだ。それこそ何十と。
その投げやりだが労わりの篭った微笑を回顧して……つられて彼女も笑った。
他ならぬ、自分自身を。
レーツェルが一束の花を放った途端、背後に並んだジン式典仕様のライフルが吼える。
海面に散った花が、漂う残骸の中に紛れ……嘘に飲まれ藻屑と化した、一時の同胞へと手向けられていった。
基地に白いディンが帰投するのを、イザークはぼんやりと眺めていた。
カーペンタリアが保有するディンは、その総数を大幅に減少させており、ビクトリア侵攻に備え大部分が移動した事も重なって必要最小限の機体しか残存していない。
その貴重な一機を用いて、今しがた戦果を上げたというクルーゼに対し、イザークは素直に歓びが湧かなかった。
本当に何故かは解らない……だが、アラスカの頃からクルーゼという男に対する尊敬の念は薄れ、何か得体の知れない空気を前に圧倒されていた。
何かが違う。いや違うとしたらそれは最初からで、違う様になったのは自分では無いのか……もし、まだ彼女が居たならば、その変化を端的かつ直球で指摘してくれただろう。
今になって、一時は上官であった少女の緊張感の正体に、イザークは気がついていた。
彼女にとっては任務が終わった後も、敵地だったのだ。
地上に降りてから隊一つ任された時の戸惑いは、疑惑の上官を野放しにする事に対する躊躇もあったに違いない。
それでもそれを引き受けたのは……何も知らない自分達が良い様にされる事の方が、余程気がかりだったから。
気がつけば、もう同期と呼べる人間は側には居ない。
戦友は次々と死に、一人取り残された形。宇宙に上がったとしても、そこに居場所は無いだろう。
この戦いで築き上げた居場所は、自分でも気が付かぬうちに崩れていたのだから……最後まで信じ切っていた、ザフトという寄る辺もまた。
それでも、彼女らの様な新たな兵を、同じ場所に引きずり込む事だけは避けなければならない。
だから誰も付いて来ないように、惹かれないように振舞うイザークだった。
例えその先が、一人であっても。
最終ミーティングが開始され、シースの動きも慌しくなった。
寄せ集めの艦隊とはいえ、その作業分担は軍隊的な形式へと落ち着いている。
とはいえ全ての人間が直接戦闘が出来る訳も無く、皆割り振られ、あるいは見つけ出したやるべき事に専念している。
人種も思想も違う彼らを纏め上げているのは……只“帰る”という情念のみ。
今回の作戦は奇襲前提のゲリラ戦。
その鍵を握るのは矢張り、元ザフトのパイロット達だった。
助けを求めた仲間の末路を知り、彼らの殆どは迷いを振り切っていた。
しかし、逆に言えば帰る為には味方を撃たねばならないのだから、その当惑はまだ残る。
ミゲルは彼らの最後の躊躇いを払拭する為にも、これを問わずにはいられなかった。
予想はしていたとは言え、思ったよりも深い裏のつながりにどよめきが走る。
既に逃げ道すら用意されているのだから、用意周到である。
当初から道はあった。
シースにも属さず、ザフトにも連合にも帰らない事を希望した人間は、ジャンク屋組合に率先して紹介を受けたりもしていた。
プラント評議会の中核に居る人物が設立した、アマゾン奥地の村へと移住した者も中にはいる。
……それは“死”だった。
かつての自分を捨てて、全く新しい生き様を探す事は、様々な意味で辛い。
積み上げてきた全てを捨て、愛してくれた誰かも忘れる……そんな事が出来る者は、本当に僅かしか居なかった。
壁際で腕を組んで睨んでいたオクト1の視線を感じ、オクト2が代わりに質問する。
連合側の人間にとっては、ザフトの様に戻るだの捨てるだの言っている場合では無かった。
社会的にその地位を抹殺されてしまった彼らにとっては、勝ち残る事こそが“生”に繋がるのだ。
今でこそMIA扱いだが、のこのこ元の世界に舞い戻った途端、裏切り者扱いされる事は明白である以上。
その響きが聞こえた途端、一同揃ってレーツェルの横の男を見る。
プロジェクターを使用した暗所であったにも関わらず、開眼した瞳を誰もが感じた。
その中で猛る……戦の空気もろとも。
ゼンガーの口が開かれ、突きつけられた現実に対する反応は沈黙。
それは望むべくして望んだものでもある。
長身が立ち上がっただけでもどよめいたのに、今度はそれが前に傾いたのだ。
困惑は最高潮に達する。
……生けるままの伝説とも言うべき武神が、頭を下げて頼み込んでいるのだから。
面白げに口元を歪ませるオクト1。
彼女の目はゼンガーだけを見ていた。期待めいた調子で、只真っ直ぐに。
ザフト地上最大の拠点、カーペンタリアに静寂は来ない。
イザークが乗るこのシャトルを含め、多くの宇宙艇が次々と宇宙へと駆け上っている。
その様は壮観に見えなくも無かったが、それはザフトの敗走の証しでもあった。
地球連合軍は既に地球上の全てのザフト駆逐を目指し行動を開始している。
圧倒的な物量と、ある程度独立した軍団が有機的に動く事により、徐々に徐々に包囲網は狭まっている。
これより少し前にアラスカ基地のゲートの正確な位置を把握できたのは僥倖だった。
人的資源に乏しいプラントには、戦争を長期に渡って継続する体力は無い。
オペレーションスピットブレイクを勝利で飾り、戦争を終わらせる最後の一手は……終わってみれば崩壊の序曲へと変貌してしまった。
徒に連合側に時を与えてしまったことでプラントは息切れを起こし、連合に至っては自前のMSを手に入れてしまったのだ。
全てが遅すぎたとしか言いようが無い。
今頃母であるエザリアはどれほどの苦境に立たされているのだろうかと、イザークは想う。
彼女はプラント評議会の一員であり、パトリック=ザラを筆頭とする主戦派でもある。
今の情勢ではかなり厳しい立場だろうとは感じている。しかし今更非戦を唱えた所で通用する状況でもないのだ。
ずるずると闘い続けるしか……先は無い。
彼女を守る為だけでも、戻る必要がある。
そう考えて納得させたかったが、それを同僚に成り得た男の存在が邪魔をした。
アスラン=ザラ。
イザークらを抜き、アカデミーを主席で卒業したエリート中のエリート。
格闘戦、射撃、チェス……何をどうしても敵わなかった本物の天才。
ククルと言う鬼才に喧嘩を売らなければ、多くの戦果を上げていただろうし……腕をへし折られる事も無かっただろう。
その彼が常日頃から言っていたのだ。
“俺は誰の言いなりにもなりたくない”と。
アスランは実の父であるパトリックを、憎んでいる節さえあった。パトリックに自らの人生を操作される事から逃れようと必死になり、パトリックの息子ではなく、“アスラン=ザラ”という一人になる事を目指した。
……誰も巻き込まず、只ひたすらに強くあろうとする姿勢は、イザークも認めていた。それだけに、親の元へと逃げ帰るような今の己に、どうしても納得がいかないのだ。
耳元で囁かれた声に、イザークは鋭い目で反応する。
声の主であるフレイは回りこみ、一瞥して座席に収まっていた。
彼女は一人になったのではなく、一人にされた。
だと言うのに泣き言一つどころか、下手をすれば泣かすほどの覚悟がある。
これから向かう先は完全な敵地だと言うのに、不安そうな顔一つ見せない。
それはイザークの思い違いだった。
良く見れば彼女の手は微かながらに震えている。
平静を装っていても、唇はきゅっと結ばれ何かに耐えている。
見かけは只の女にしか見えないが、これまで何度も自分達を脅かし……実際ミゲルやニコル、そしてディアッカを奪った敵の一人。
それでさえも耐えているのだ。自らの奥底から湧き上がる原初の恐怖に。何処にも行き着く場所が無い孤独に。
今までのプレッシャーは、触れてくる全てを警戒し、もうこれ以上何も失わず、奪われまいとしていたのだ。
触れるもの、迫るものの多くが……彼女を奪おうとする者ばかりだったが為に。
フレイの隣に居たクルーゼは、それを全て承知していた。
子供に言い聞かせる様な優しい声色で、それでいて偽りの無い調子で言った。
優しく延ばされたクルーゼの手を、フレイは呆気に取られた様子で見ていた。
普段なら鋭い目で牽制するもののそれすらない。
抵抗をするでもなく、その手が彼女の手に触れようとしたその時……激しい振動がシャトルを揺さぶった。
急な動きによろめいたイザークは、左右の背もたれに手をやってこけるのを防ぐ。
そして窓から垣間見えた光景を見て、絶句した。
湾口方面から幾つかの矢が立ち昇っていく。
光を纏い煙の尾を引くそれらは、瞬く間に施設に突き刺さっていく。
一旦置いての大爆発と共に、船窓が完全に光に満たされた。
イザークは忌々しげに顔を歪め、今来た搭乗ハッチに戻ろうとする。だが……。
クルーゼ隊の新人らがイザークの前を遮った。
彼を刺す視線は迫力が足りないものの、精一杯の勇気が篭っていた。
威力偵察や挑発程度で、ここまでの攻撃は無い。
これは完全な侵攻作戦である。
かつての連合軍ならば、軽くあしらう程度の覚悟でも良かったが、今の連合にはMSがある。
物量と性能に勝るこれらを投入されれば、この基地が落ちる事は無くとも大きな被害が出る事は免れない。
シホ隊員が寂しげに微笑し、敬礼する。
他の面々もそれに同調した後、我先にとシャトルから降りていった。
外の戦闘はますます激しくなっている。
ビクトリアやジブラルタルを無視して、いきなりカーペンタリアに侵攻する事は予測出来なかった。
大体連合軍は、つい先日のオーブ攻略戦でも相当の被害を被った筈。返し刀で攻略出来る様な拠点では無い事は流石に解るだろう。
それでも向かってくるというのは……確実な勝算があると言う事だ。
ならば尚更、新人程度では生き残れない。
立ちつくしていたイザークが乱暴に押しのけられる。
起き上がろうとした時、真紅の髪が鼻をくすぐった。
イザークは身構え、フレイに飛びかかろうとする。
ここで伍式が連合軍に合流する事にでもなれば、戦局の波は大きく変動してしまう。
もしこの機会を狙っていたのだとしたら、とんだトロイの木馬である。
その笑みは満身ながらも……通常とは全く異なる、得体が知れない何かで満たされた代物だった。
あまりの答えを前に、イザークは不思議な笑い声と共に取り残されていた。
達観したクルーゼの物言いに、遂にイザークは我慢できなかった。
彼が居る席までずかずかと迫り、問い詰めようとして絶句した。
そこにはフレイを凌駕する程の、凶悪な邪笑が浮かんでいたのだ。
イザークは苛立ちを隠そうともせず、ハッチの方へと駆け出した。
何かを考えているクルーゼを放置し、飛び降りるようにシャトルから離れるイザーク。
既に戦線は広範囲に渡って展開しており、兵員が慌しく行き来している。
その中の一台のジープに相乗りし、HLVによる打ち上げに備えていたデュエルの元へと急ぐ。
一番裏切ってはならない者……それは他でも無い己だった。
己に嘘をついたままで、己で在り続ける事など土台無理だったのだ。
それに自力で気付かなかった事が情けなく、気付かせてくれた彼女には感謝さえしていた。
まだ格納庫に残っていたデュエルはすぐさま起動した。
ビクトリアにMSを移送したが為に、カーペンタリアに配備されている、稼動可能な機体は僅かだった。
まだパナマでのダメージも色濃いのだ。無事生還した機体も殆どが動けないまま……そんな中、動かせるものは全て動かそうという試みは、イザークに素早いアクションを許していた。
もっともそれは、月下に佇む闘士の苛立ちを、ほんの僅かばかり軽減させたに過ぎなかったが。
声の方へと向いた誰もが息を飲み、イザークでさえも信じられないと言った風に敵のMSを睨んでいる。
炎を斬り出したかのようなその身は、動くたびに周囲を紅蓮に包み込んでいた。
まるで炎の如く、舐めるように次々と敵を倒し、向かってくるのだ。
それは克服した筈の、悪夢の再来だった。
代理人の感想
うお、燃える。
シースの面々。
イザークの部下達。
自分を裏ぎらなかったイザーク。
そしてその前に現れる紅蓮の騎士!
もーテンション上がりっぱなしですよ!
そして、全編暑苦しくも燃えるそんな中で
「あーいいやもうわかった」は一服の清涼剤でした(笑)。