滅びの波動が浸透する。
関節の軋み、重々しい歩み、風を切る螺旋……どれも粉砕し、破砕し、消去し、処理する為の予備動作であった。
敵を。
人類の敵を。
理想の敵を。
……己の敵を。
滅ぼし尽くし、手に入れなければならなかった。
平和を。
誰も自らを責めず、迫らず、求めない、只静かな安らぎを切実に求める。
ある時から不意に、失われてしまった楽園を、今度は自らの手で取り戻す。
誰の手も要らず、只一人。
殺意と言う名の衣を纏い、憎悪と言う銘の刃を持ちて。
風を砕き、鋼を破り、器を貫き魂(なかみ)を裂く。
周囲は何もかもが脆すぎる。
意志があれば、それで足りる。
それを為す力は、矢張り相応しい意志に委ねなければならない。
汚されては、冒涜されてはたまらない。
守る。力を意志で抱擁する。
渡しはしない、誰にも……。
邪気が攻め、身体が反応する。
処理は後回しと言う事になる。
炎が来、達磨を蹴飛ばしてしまった。
……処理が出来ない。
何をする、と相手を睨み、不愉快になる。
力で犯すのではなく、意志を浸透した。
怒り狂う巨体に炎は怯まず、尚も煌々と燃え盛る。
決闘者の横には、さも当然と言わんばかりにフュンフが立っている。
追撃ならばまだしも、イザークが伍式の一撃を流したスキをつき、行動不能のジンの残骸を近場の格納庫に蹴り入れていた。
言葉が続かない。
あらかじめ合わせていたかのように両者左右に飛ぶ。
双槍が横切り、航空燃料のタンクに深々と突き刺さり、爆砕。
その只中から、巻き戻るように槍が飛ぶ。
倉庫を挟んで着地する。
紅と蒼。前と後の激しい炎に挟まれながらもなお、自らの色は失してない。
言葉に詰まるイザーク。
今の伍式はかつての伍式とは違う。
新型増加装甲を積載し、重量もパワーも比べ物にならない水準まで高まっている。
現行のアサルトシュラウドとは訳が違った。
内部搭載のバッテリーにより、各ブロックごとに独自に電力を供給している為、重量増加分の電力消費悪化が抑えられている。
コクピット周辺に重点的に備えられた装甲により、致命傷はほぼ受け付けない構造にもなっている。
無論、その為に犠牲になった性能の方が遥かに大きく、それこそ機体の感覚を熟知せねば扱えないモンスターであった。
しかも、量子無線端末の試験機にもなっている。
連合軍のメビウス・ゼロに積載された機動砲台ガンバレル。その機能をより高機能に昇華したのが量子無線端末だった。
有線が無線に変わり、より複雑な機動も可能になっているが、今の段階では単純な動きで、端末そのものを砲台の様に運用する事は敵わない。
だがフレイ=アルスターはその欠点と特徴を併せ呑んで使いこなしている。
狙いが定まらないなら、狙えるように機体そのものを動かし、自らのカンと経験だけでタイミングを計っている。
今はアクションが大きいので見切れているものの、コツを掴むのは時間の問題だった。
一指し指でコンと、フュンフの頭部を叩き、反論を待たずトンファーを構える。
舌打ちしつつイザークも決闘者のビームサーベルを抜いた。
駆け出したのはほぼ同時。倉庫の角、二つの交差点の真ん中で待ち構える伍式めがけて、走る。
まるで太陽に突っ込む様な無茶ではあったが、本人らに自覚はある以上、無謀でもなく、無理でも無かった。
だが求める者の気も知れず、太陽は彼らに面を向けなかった。
苛烈な赤があるとすれば、冷酷な銀もある。
伍式が全てを焼く太陽ならば、漸駄無は、何者も冷やす怜悧な月だった。
故に互いに感じあうのはごく自然だった。
中身の逃げ出した、鋼の屍の山の中でゼンガーは感じ取った。
叫びであり、慟哭。
心を引き裂かれんばかりの苦痛を依り代に、ただただ振われる絶望の一閃。
そんなもの、恨みと憎悪が渦巻く戦火の只中で、聞こえる筈が無かった。
ゼンガーは只見たのだ。
破壊によって後戻りの道を無くしながらも、救いがあると信じて前に出ざるを得ない……追い詰められた一刀を。
それで救いはもたらされない。
闇雲に突き進んだ先にあるのは、何処とも知れぬ荒野。
荒み切り渇き切った、己の心の具現しか無い。
そんな場所に進ませてはならない。立ちはだからなければならない。
通り過ぎた道は辛く、険しく、二度と見るのも憚られるだろう。
忘れ去り、消し去って、それで苦痛は消えるかもしれない。
……自分の足元を崩し、否定している事と同意義である以上、喜怒哀楽全ての心と共に。
悲しむ事も憎む事も恨む事も忘れれば、そこにはもう、只の冷たい鉄しかない。
本当に冷え切って固まる前に、今一度打ち直す必要がある。
その為に……かつてと同じ様に、男が足を踏み出す。
太陽が、這い寄る闇を感じた。
現実時間にしてほんの三秒、互いの空間が混ざり合い、ドロドロとせめぎあう。
そしてそのゼロコンマ一秒後には、太陽が闇を飲み込むべく、否定を生むべく襲い掛かった。
終わった。
完膚なきまでに否定された。
少女の理想・意志こそが紛い物であった事を、まざまざと見せ付けられた。
それは善であり悪。
許容にして拒絶。
何者におもねる事も無く、誰の借り物でもなく、決めつけた事は一つも無い。
只自由であり、自然で、抵抗なしに受け止める。
己の正義を曝け出し、現実と言う時の奔流にぶつかっていく。
そこで肯定し、否定したものには絶対は無い……正しいとか、悪いとか、そんな二極で割り切る事無く、固執する事も無く、誤りであった場合は次で正す。正しくあっても強化は無く、只の現実として組み入れる。
きっと、そうして重ねてきた過去は、石段の如き硬さがある。決して崩れる事も無い。
確かな栄光、何時までも残す過ち。結ばれるまま融け合うまま、何者になる事も無く紡がれる世界。
それを真似ようなど、おこがましい事だったのだ。
継ぐ等と、思い上がっていたのは愚かだった。
考えても無駄だった。もう取り返しがつかない。
ずっと否定して来てしまった。
友も、親も、師も……一方的な思い込みで自分の中から消してしまった。
それしか出来ないならばそれを貫こうと、安易な一極に留まってしまった。
赦される筈が無い。身を砕き、心を砕いて接してくれた彼の正義を、全力で裏切ったのだから。
だと言うのに……。
伍式の衝角は、漸駄無の目前で止まっていた。
そこからはピクリとも動かず、そもそも漸駄無は四秒前から身じろぎ一つしていない。
否定して欲しかったのに……殺意を鏡のように跳ね返し、自分と言う汚点を彼の中から消して貰いたかったのに。
ようやく聞こえてきた否定の言葉。
しかしそれは相変わらずやんわりと、諭す様に穏やかだ。
……貴方のほうが嘘つきじゃない。
少女は、フレイ=アルスターは小さく呟き、笑っていた。
こんなにも満ちて、これほどまでに温かく……心の底から安堵の涙を流せる今が、救い以外の何であると言うのだろうと。
決闘者が愕然とサーベルを落とした。
侮っていた。
あの少女の伍式に対する、そしてゼンガー=ゾンボルトと言う一人の男に対する並々ならぬ感情を。
殺意に飲まれ、自分を見失いかけていたと言うのに、あっけなく自らを取り戻している。
たった一言が、彼女を装っていた全てを溶かしてしまったのだ。
だとすれば、彼女を装っていた殻を造っていたのは誰か。
自分一人で作り上げたものならば、そう簡単に崩れる筈が無い。
意地や我意とはそういうもの……それがいともアッサリ砕けたのは、彼女一人ではない、歪な第三者の手が入っていたからに他ならない。
頭上に現われた援軍を、今は殺意を込めてしかイザークは見れない。
上官であろうと何であろうと……欺く事を嫌悪する。
伍式を背に、漸駄無が構えた。
クルーゼのディンは両の手に銃器を持ったまま、滞空を続ける。
イザークに震えが走った。
指先から足先に、心の臓は元より脳髄にまでその影響が及んだかのように。
今神経を走ったのが、怒りと憎悪である事を知るのに時間は無用だった。
立ち昇った光芒が、その場に居た全ての人間を照らし出す。
希望となり得た筈のそれらは、求めた者を置き去りにして立ち昇る。
HLVの打ち上げである。
しかも、中身は殆ど無く空のまま……空の向こう側に貴重な脱出手段を捨てる様な真似であった。
立ち昇った筈の星が、堕ちた。
針路を百八十度変え、一機、また一機と、カーペンタリアの沖合いへと不時着していく。
そう呼ぶには余りに乱暴な光景であり、傍から見れば隕石の雨が降るようなもの。
波に運ばれ、湾岸部の滑走路に大量の海水がなだれ込む。
煙壁を突き抜けて来たのは、漆黒の巨大な戦闘機だった。
ただ左右に腕があるだけだと言うのに、とても歪に見える。
背部にある二基のガンバレル・ユニットから来る想像の域とはいえ、イザークはこの機体に覚えがあった。
鷹を模ったその紋章にも……だが矢張り、その名を叫ぶ事は阻止される。
打ち上げられたHLVの中で唯一、完膚なきまでに破壊された物があった。
残骸が散り、ぶつかり、“切断される”……そう、屑鉄の中に只一刀、どんな力にも、どんな波にも飲まれず折れず、あり続けるそれがあった。
突然のレーツェルの問い。
恐らくは今この場では無意味で……無関係ではなく、根底の大前提を暴露したその言葉に、ゼンガーは只、態度で示した。
吸い込まれる様に、あるべき場所へと帰還を果す、紅の刃。
底知れぬ暗黒の中、幾たびの絶望に見舞われても、決して消える事の無かった志(こころ)の焔。
折れず、果てず、只あり続け守り通したそれは、紛れも無い彼の一部。
雪崩れ込んだ力は全身に浸透する。
否、これは開放だった。
元来あった、使われなかった黒い領域が、今照らし出されたのだ。
自由と言う名の翼は本来、ある者を目指して創られ、それに少しでも近付く為の手段として……“鍵”が、存在していたのだ。
六枚の翼が開き、本人すら見えていない速度で、体ごと振り上げられる光刃。
腕部に赤炎を纏っているかの様なその様は、心情風景では決してない。
腕部装甲の裏に隠された三つのブースターが吐き出したものがそれだ。
それは有効に扱われては居ない。
何故ならそこで生み出された速度は、元来ゼンガー=ゾンボルトが持ち得る太刀筋に、少しでも肉迫する為のものなのだから。
対艦刀を両の手で握った途端、もう三基も始動し、更なる速度を生み出し……。
遂に大漸駄無は、雷鳴の如き煌きを魅せた。
代理人の感想
吼えろっ! 大漸駄無っ!
と、一言で思いの丈を吐き出して。
名残惜しいが燃え話はとりあえず置いておきます。
冒頭、気になったのがちょっと状況がわかりにくいかなと。
どれがデュエルで、どれがフュンフで、どれが伍式で、どれがザコ(爆)なのか、それなりに区別できるような記号が文中から拾えないんですね。
暗喩で描写を行うのはいいんですけど、読者が状況をわかってこそ意味があるわけで。
そこらへんはもう少し気をつけたほうがいいんじゃないかと思います。