『声を掛けなくてよかったんですか?』

〈んん? 今はあやつらにとって一大事。下らぬ野暮用で、気を揉ませてはいけないだろう?〉


 漸駄無もマガルガも無い状態でのザフトへの一時帰還……客観的に見れば深刻な危機を孕むはずの行為も、彼女にとっては野暮でしか無いと言う。
 マリュー艦長ら最低限の人間には報告したものの、途中で勘付いたディアッカはともかく、他の大多数は知らぬまま。
 その大多数の中には、オーブ戦への介入を決定付けた筈の、カガリも含まれているのだ。
 護衛を無理矢理買って出たニコルは、そんなククルの考えに今更ながら呆れていた。


『……僕も心配なんですが、これでも』

〈笑顔で心配されてもな〉


 モニターごしに表情を読まれ、少し笑うニコル。
 だが彼女はつられない。


〈面倒加減ではそなたの方が上だ……辛いぞ、黄泉還りは〉


 一瞬思い悩み、ニコルは唇を噛む。
 今はブリッツで彼女の小型連絡艇を守っているが、送るだけ送って帰るつもりはない。
 かと言って、ククルに追随していくような真似もしない……ニコルには、ニコルのやるべき事がある。
 


『大丈夫。僕は、自分がやられて嫌な事はしません』

〈と言うと?〉

『……僕は貴女にもう一度会えて、飢えを知りました。もっと時を過ごしたい、もう二度と離したくはない、誰にも好きにはさせたくない……って。飢える事は、終始満足である事よりもずっと意味があると思います。飢えていれば求め、進み、愛する事が出来るから』

〈満足な豚より不満足なソクラテスを目指すか。だがな、既に充足している人間にとって奪う為の干渉は歓迎されん〉

『……それが、絶望によって充足した人でも?』


 ククルが目を伏せる。
 彼女は、ニコルが何処に向かうつもりなのかを察したのだ。
 黙って首を横に振り、自らの意見を訂正する。


〈ならば存分に奪って来るがいい……私も精々、集り倒してくる〉

『集るって……ねえ?』


 あんまりといえばあんまりな“野暮”な形容に、ニコルは誰とも知れず同意を求めた。
 しかし受け取ってくれた唯一の相手は、愛しい邪笑を浮かべるばかりだった。






「……何て哲学的な問答をしても、効くものは効きますね……」


 つい数時間前のやり取りを思い出し、矢張り自分はまだ覚悟が足りなかったと、ニコルは後悔していた。
 ククルとは宇宙要塞ヤキン・ドゥーエの索敵圏内直前で別れ、自身はブリッツのミラージュコロイドを展開させてマイウス市に辿り付いていた。
 適当な場所に機体を隠し、本来二度と戻る事は敵わぬ筈の故郷に足を踏み入れたが……矢張り、ニコルは殺されていた。
 


「……僕はこんな形でデビューしたくは無かった」


 良く好きな音楽家のディスク等を捜した事のある店には、ニコルがコンサートで演奏した曲が売り出されていた。
 勇者の追悼、と言う事だろうか。自分の死を売り物にされるのも気に食わなかったし、知らない誰かの死の補強材料にされるのもたまらなく嫌だった。
 ジャケットにある、穏やかな笑みを浮かべる自分の姿が、本当に遠く感じられる。
 


「ククルも、こんな目に……?」


 自分の姿をした何かを、自分では無い何かに作り変えられるギャップ。
 それを埋める手段が何も無く、只その歪に身も心も引き裂かれるままとなる……。
 耐えれない。
 絶対に耐えれない。
 今此処で手に持ったケースを濡らしてしまう様な自分には、到底その孤独に抗う事が出来ない。
 誰にも見られず、見てくれず、無視され黙殺されるだけの存在に、果たして意味はあるのだろうか?


「……ニコル?」

「え?」

 しかし、まだニコルは真の孤独には程遠かった。
 誕生の痛みと歓喜を……決して忘れず覚え続けている人が居るのだから。






〈ラクス=クラインは利用されているだけなのです!その平和を願う心を……その事を私達は知っています。だから私達は彼女を救いたい。彼女までも騙し、利用するナチュラルどもの手から……〉


「私達を騙し、ニコルの死を利用した連中が何を!!」


 ユーリ=アマルフィは吐き捨てる様にしてテレビの電源を切ると、ぶつけた傷がぶり返して悶絶した。
 あらあら、とのんびりとした口調でロミナがそこをさすり、ニコルはそれを呆れたように、困ったように眺めていた。
 ……それは、ニコルの命運が“断たれて”から、永久に奪われた筈の家族の日常だった。
 


「父さん……痛く、ありませんか」

「こんなもの、お前が死んだ時に比べれば……」


 と、まじまじとニコルを見つめると、ユーリは感極まって泣きながらニコルを抱きしめた。


「幻覚では無いようだな……」

「もう、それにしたって母さんを疑うなんてどうかしてますよ」

「ごめんなさい……あなたが居なくなって、お母さん少し塞ぎこんでて」


 先程店先で人目はばからず号泣し、抱擁してきたロミナにニコルは大いに慌てた。
 ヘリオポリスで撃墜されてから、どうにか自力でプラントまで戻ったミゲルの苦労話を聞いていたからだ。
 ミゲルの死は大々的に報道されており、それが今更生きてました等と判明すればザフトの総合能力を疑われる結果になる。
 しかも、衛星軌道上でゼンガーと大天使相手に大敗北を喫した後だっただけに、ザフト側は司法局まで動かして彼の身柄を拘束しようとしたのだという。
 彼はたまたま、新装備を受領する為に来訪していた傭兵の手助けもあり脱出に成功し、ジャンク屋組合などを経由してシースへと身を寄せる事となったらしい。
 今となっては笑える話だ、とミゲルは豪語していたが、それを再現しつつあるニコルには、とても笑えない状況だった。
 幸いにも人違いと言う事で互いに演技をし、家まで辿り着いたのだが……そこからが更に大変だった。
 ロミナが喜びのあまり勢い余ってユーリに連絡してしまったのだ。
 だが、ロミナが情緒不安定になるのは茶飯事なのか、通信機越しのユーリは随分と淡白な反応だった。
 流石にムッとなったニコルがロミナとかわり、その姿を晒したのだが……その結果、ユーリは法定速度を完璧に無視して仕事場から駆けつけた挙句、慌てすぎて玄関先で盛大にすっ転び今に至る。


「……プラントも大変な事になってますね」


 先程映っていたイザークの母、エザリア=ジュールの訴えを思い返す。
 未だ反逆者であるクライン一派の足取りを掴む事が出来ず、今度は人々の悪意を煽るのではなく、善意を期待して狩ろうとしている。
 何もこんな、思想統制の様な真似をせずとも犯罪者を捕捉できる実力を、プラント社会は持っていた筈なのだ。
 だがそれも、エヴィデンス01破壊未遂事件等を見るまでも無く、綻びに綻びが合わさり、広範囲に解けつつある。


「新鋭の主力機もラインに乗ったが、ナチュラルにはゼンガー=ゾンボルトを初めとした“超人類”が居る。工業力、人材面共に差が縮められつつある以上、苦しいな……」

「あなた……」

「いやもうお前には関係の無い話だったな。今は何をしているんだ? ジャンク屋か、それとも……」

「いえ、僕はまだ戦ってます」


 柔らかではなく、しなやかさを備えた笑みがニコルに浮かんだ。







 その意味を掴みきれず、戸惑うユーリとロミナだったが、ニコルは持っていたケースをテーブルの上に置き、開けた。


「これは……タグか?!」

「……アラスカとパナマで、僕と皆さんが回収したものです」


 それを聞いてロミナが短い悲鳴を上げる。
 タグに付着した赤黒い粉が、何であるかを察したが為に。


「シースに参加していたのか?! ニコル!!」


 ユーリもシースという組織の存在は耳に入れていた。
 宇宙移民の先駆者として名高い、ブランシュタイン一族縁の人物を中心に結成された、戦争調査機関。
 地球圏を二分する大戦乱で発生した破壊や需要を細かに分析し、如何なる勢力に対してもその情報を提示する組織だ。
 だがその実体はジャンク屋組合の上部組織とも、反ブルーコスモス派企業体の秘密機関ともされており、ザフトでさえその実体を掴んでは居なかった。
 何せ軍事機密である筈の物資情報までも把握し、様々な事情が絡み補給が滞った戦線に対し民間やジャンク屋を通じて援助をするという無茶すらやらかす。
 それで救われた人間も多い以上、連合もザフトも強くは出れない。
 連合に至ってはブルーコスモスの盟主自体が、彼らへの干渉を禁じているらしい。面倒だからだろうか。


「助けられた、と言う方が正しいですね」

「成る程……あの一族が関係しているなら、その義手義足の性能も納得がいく」


 ニコルは右手だけ手袋をしているのだが、その動きは実に自然で機械的な不自然さが感じられない。
 足も同様で、重々しさが無く、下手をすれば生身よりもスムーズだろう。
 技術者としてユーリが嫉妬するほど、そのシステムは大成されている。
 メンテナンスも既存の部品のみで殆ど可能であり、愛する息子の為を考えると、自分で代わりを造る気が失せてしまうぐらいだ。
 


「レーツェルさんは活動を宇宙に移すと言っていました……多分、今後は小競り合いどころか大規模な合戦にも介入すると思います」


「……ダメだ、止せ。これ以上お前が傷つく事は無い! お前はゆっくりと、好きな事をすればいいじゃないか!?」

「だからこうして……好きにしてるんですよ、僕は」


 かつてを思い出す、天使の様な笑顔を見せるニコルに、ユーリとロミナは息を飲んだ。
 それは義務を超越した、心からの願望……愛に、満ち溢れていたから。
 だから迷いが無い。心魂が真っ直ぐで、行き着く先も確かに見えていたから。


「……そう、ククルさんも一緒なのね」


「何?!」

「か、母さんなんで?!」


「だってこの間もそうやって嬉しそうに、あの人の事を話してたじゃない? 図星でしょ」


 人の悪い笑みを浮かべるロミナに、ニコルは慌てふためき咳き込んでしまう。 
 対するユーリは脱力し、疲れた表情でソファーに沈んだ。


「そうか……それで彼女はマガルガを受け取る時……」

「……?! あ、あの父さん」

「解っている。怒っては居ないさ……ただ、気付いてやれずに居た事がな」
 


 奪い、奪われる悪夢の輪。
 そこに囚われた自分を、彼女は憂いの目で見ていた事を……ユーリは無意識へと追いやってしまったのだ。
 一人でも敵が居れば、家族に牙を向くであろうという、極端な臆病さから……悪夢でも構わないと、妥協していたのだ。


「なら彼女も私が何とかしよう! パトリックが干渉するだろうが構うものか、必ずその安全を保証す」

「……往生際が悪いですよあなた」


 そんな風にロミナに言われ、ユーリは大いに戸惑った。


「もう私達が与えるだけじゃ、ニコルは満足出来ないって言ってるんです」

「い、いやしかし」

「しかしも案山子も無いですから……ニコルなら私達が愛した以上に、私達を愛してくれますよ。だから甘えましょう」


 にっこりと威圧され続け、ユーリはどもり出すが、やがて観念したように頷いた。


「……昔は父さん行かないでと泣いて、出かける前にはキスすらしたのにな……早いものだ」

「何時の話ですかそれは?!」


 十年以上前の話を出されて流石に呆れるニコル。
 だがそのもどかしさは、とても居心地の良い物だった。
 時にうんざりすらしたこの光景が……とても、大事なものであったと最後に気付けたから。








「ニコル、私はお前は誇りに思うよ……今度もまた、何時でも来なさい」

「はい……じゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい、ニコル」


 玄関先で両親の体温を全身で感じ、久しぶりにキスまでして出かけていった。
 何時か……否近い将来必ず、戻ってくるときはコンサートの夜には果たせなかった、彼女を両親に紹介する事を心に決めて。
 こんなにも心安らぎ、満たしてくれる空間は自分だけには勿体無い……美味しい料理でもてなし、音楽室で二人きりの演奏会を開いたりと、望みは際限無く広がっていく。
 一度全部奪われて、こんなにも貪欲になったのかと自分を笑いつつ、ニコルは住宅街から離れていく。


「親子の感動の別れは済んだみたいだな」


 しかしそれは“生きてこそ”果される夢である。
 今際で見る幻想に貶められては、価値が無かった。

「……! 司法局?!」

「いんやハズレ」


 拍子抜けするような乾いた音が二回路上に響き、ガクリ、と膝をつくニコル。
 


「え?」


 何が起こったか解らないまま三発目。今度は右腕がずしりと重く感じられた。


「マシンなんてのは弱点つけば脆いもんさね」


 そのまま悠々と近付いてくる、赤髪の男。
 人の良さそうか顔をして、口元は陰惨に歪んでいる。
 だがそれに対しニコルは脅える事無く睨み返す。
 まだ終わりでない。
 まだ終わるには早いぞと、極めて強烈なプレッシャーをかけつつ。


「しぶといね、君も」


 それが単なる気休めで無い事を知り、男は後ろに飛ぶ。
 同時にニコルは関節を外す要領で義手を捻り、駆動部分に挟まっていた弾丸を強制的に排除した。
 


「くふっ!!」


 当然、擬似とはいえ接合部には神経が繋がっているのだ。右腕全体を炎に晒したかのような激痛が駆け巡る。
 構わず膝から下の感覚が無くなった足の、腿の人工筋肉だけで飛び上がり距離を離す。
 着地した時には蛙の様な無様な体制だったが、どうせ周囲は緑化地帯。一目をはばかる理由は無い。


「何なんですか貴方は!!」

「光ある所に影あり、正義の裏側即ち悪党、ってね。納得いった?」


 いく訳が無い、と叫ぶ前に右腕を盾にする。
 何度か気味の悪い金属音が響くが、このままでは撃ち抜かれるのも時間の問題かに思われた。
 が……。


「……って、悪が栄えた試しなしってか?!」


 今度は派手な削岩音が聞こえ、赤毛の男は大慌てで遁走していった。
 何事かとニコルが見上げると、眼界一杯に黄昏色が広がっていた。


「ミゲル!!」

<危ない危ない! 辛うじて間に合ったみたいだな。いや俺も里帰りの途中で性質の悪い嬢ちゃんに狙われてな……>


 硝煙が昇るライフルを、ミゲル専用のジンはぶんぶんと横に振る。 
 意味がある訳では無いが、ミゲル本人が長話をする時は大抵ペンやフォークを振ったりするので、それをMSにもやらせているのだろう。
 壮絶な才能の無駄使いである。
   


「あの長々とお話している余裕は無いと思われるのですが?!」

<おお、すまんすまん>


 ミゲルのジンがニコルを拾い上げ、コクピットに収容した頃には装甲車やらなにやらが駆けつけていた。
 だが、ミゲルのジンには見向きもせず、軍は途中で奪ったのかスクーターで遁走する赤毛の男を全力で追撃していた。


「あちゃー、現段階じゃこれ以上の“仕込み”は無理なんだな、これが!」


 最早興味は無いと言った風に、ミゲルは反転して港の方へと急ぐ。
 登録が抹消された筈のMSがうろうろしていても、ガードロボットすら反応せず、あっさりブリッツの元へと辿り着く事が出来た。


「彼は一体何者なんでしょうか?」

「さあ……影だとか鏡がどうだとか言ってた気もするがそれはさておき。今回はパトリックが奴らを燻る為に俺らを利用したに過ぎない。他の状況は少し拙いな」


 腕同様に弾丸が食い込んでいた脚部の応急処置を済ませ、ミゲルは簡単な状況説明を始めた。


「他の状況?」

「クライン派のプラント内での活動を抑止できる目処がついたんだろうよ。だからあいつらを追っかけまわしたり、泳がせていたアスランをとっ捕まえたり」

「アスランを?!」


 アカデミーの同期で、クルーゼ隊をククルと入れ替わり去る羽目となった彼を、記憶の底からニコルは思い出した。
 後から彼がククルの幼なじみだと知って、多少複雑な思いがあったのも最早思い出に過ぎなかったのだが……。


「彼も、戦っていたんですね」

「そうだとも」


 ならば現実問題に発展する事は遠くないのではと、らしからぬ懸念を振り払うように左手を握る。


「助けましょう、今すぐ!!」

「あ、大丈夫。ククルがもう行ったから」

 その何気ない言葉に、ニコルは暗い業を微かに感じずにはいられなかった。
 封印されていた筈の醜い想いが、再燃しつつあったのだ。

 

 

 

代理人の感想

・・・・あらまぁ。

こう言う展開は予想してませんでしたねー。

赤い髪の変な喋り方の誰かさんとか、恋の鞘当とか(爆)。