未だ警告灯が灯り続ける通路の一つ。
薄暗いこの空間に、鉛が描く軌跡と無重力素材製の刃が交差する。
パトリックが着地し、赤毛の男が大きく後退する。
男は頬を、パトリックはわき腹から鮮血を滴り落とす。
その様を黙って見ているしかない、少女。
男はそれを許さない。
飄々とした顔をしておきながらも、そこからダダ漏れる冷たい敵意は誤魔化しようが無い。
引き絞られたそれは、何かのきっかけさえあれば躊躇う事無く命を射る。
とはいえ、相手が悪かった。
同様にパトリックは装填されし必殺の一刀。
最高に研ぎ澄まされたこれを避けなければ元も子もない。千日手と言う奴だろうか。
背中だけで語るパトリックだが、かつてない程真摯な言葉に聞こえる。
重みがあるのだ。ザフト総司令官としての命令等、足元にも及ばぬほどの。
冗談にしては余りに平然としていた。
ククルは一瞬の思案の後、躊躇う事無く踵を返した。
そして。
と、交わして遠ざかっていく。
残った男二人はにらみ合いが続き、指先一つ動く気配が無い。
男が凍えるような笑みを浮かべ、誘う。
抜かせてしまえば後はどうにでもなるからだ。
しかし。
プラントの頂点に立っていた男を、彼は些か甘く見過ぎていた。
“影”の中でも手だれである彼に挑んだ所で、老いた己では結果は五分。
なればこのまま釘づけにし、確実にククルが逃れる様にする……それはパトリックと言う、一人の男のエゴを通す意味では、確実な勝利であった。
焦る男を前に、只パトリックは、静かに笑みを浮かべるのみだった。
どうして?
どうして終わってくれないのだ?
何故落ち着かせてくれないのか?
アスランは質量が大幅に減ったヤキン・ドゥーエ直上宙域で、苛々を募らせる。
ラクスの知らせだが、ゼンガー=ゾンボルトは“生き帰った”そうだ。
ミゲルらもどうにか生き延びている。
後は下からククルと……少し気に障るが父が帰れば全てが片付く。
その筈なのに何故か、落ち着かない。
センサーを向けても何の反応も無い。
敵も味方も、ジェネシスであったものにこうまで接近する気は全く無い。
暗く、深い……慣れている筈の宇宙の漆黒が、アスランを締め上げるようにして苛む。
一人、その感覚と戦うのに嫌気がさしたその時だった。
ようやく来てくれた。
自らのこの不安を打ち明ける事が出来、力になってくれるであろう半身が。
ククルにもラクスにも、弱みを見せる事は出来ない。
笑われるのは構わないが、それで今度以上の無茶をされては堪らない。
何の心配も要らない、と笑って流す為には、虚勢でも何でも張らなければならない。
父を頼るのはもっと出来ない。
全ての元凶に教えを請う事は癪だし……折角多少期待を持ってくれているのだ。下らない意地でそれをフイにしてしまうのも……可哀想な気がするのだ。
なればもう、頼るべきは友しか居ない。
アスランの問いかけを、先にキラが制した。
追随していたフラガからも、懸念の声が上がっている……嫌な予感は、していたのだ。
あの三機だけは、他のストライクダガー系列とは比べ物にならなかった。
今まではXナンバーだからと無理矢理納得して来た節があったが、こうして冷静に考えると明らかに異常だ。
一体どうやって、此処から遥か彼方のドミニオンからここまで進軍し、猛攻とも言うべき戦果を残したのか?
推進剤は、弾薬は、そして何よりバッテリーは……?
まるでそんなもの、気にもしないという怒涛の戦いぶりを各戦線で行っていたではないか?
とはいえ、そんなたかだか三機のMSを討ち洩らした程度で、こうまで焦燥するものだろうか。
絶対の不信の中で居て、唯一光を讃え続ける青い星。
その様すら何処か、今の彼には嘲笑われているかの様にに思えて……。
笑。
無色の微笑み。
薄汚い俗世の倫理を超越した、絶対的な慈悲の表情。
青き清浄なあの星に、アスランはそれを垣間見た。
更にそれは明確な形をもって急速にこの世に顕現しようとしている……。
言い終わる前に、居てもたっても居られずアスランはフリッケライの腕を掴み、離脱を開始する。
僅かに遅れて零式も追随する。フラガもまたアスランと同じく、いやそれ以上に醜悪な感触を味わっていたのだ。
それが、彼らを生き残らせた。
地球に警戒せよ。
その言葉を発したエルザムの側に居た者達や、その警告を聞き入れた者達も難を逃れていた。
後は、刹那の光芒の中へと飲み込まれ、消え行く者が多く居た。
大天使のブリッジは蒼然となる。
ある者は息を飲み、ある者は悲鳴を押し止める。
マリューは拳を震わせながら、現状の確認に努めようと必死だ。
明瞭に、吐き捨てるかのごとくエルザムが答えた。
確かに。
射程距離、威力、隠密性。
どれをとっても先程のジェネシスに匹敵、いやそれ以上の性能を秘めている。
この戦争において、当初こそプラント側に遅れを取ったが、連合側は技術力の発展に努め肩を並べるほどになっている。
先の戦闘ではコストと即効性を重視して核ミサイルを使用したが、技術的にジェネシスと同質のものを創り上げる事は不可能ではない。
だが、これは余りにもケタが違う。
エネルギーの残滓が電光となって周囲に散る。
巻き込まれた存在は何一つ残らない。
無論それは……。
アレは何だ?
プラントを狙っている?
連合はまだ戦うのか?
一体我々はどうなるのか?
……クサナギ内部では急速に緊張が高まりつつあった。
傷付き果てた収容者には、それに抗うだけの力も、心も残されていない。
恐怖を抑えるだけの要素は、何も無かった。
後一押しでパニック、ともなろう状態であったが……。
先の光芒に勝るとも劣らぬ、苛烈な憎悪がそれを制した。
まだ少女である筈のカガリから紡がれる呪詛は、重みに加え何より、生々しい叫びであった。
素直で、率直。剥き出しにして荒削り。
それだけに、どれほど判断力が鈍っていようとも、誰もがそれを理解する事が出来た。
深く赤熱した少女の怒りを。
撃ち貫かれ、大半を円形状に失っているヤキン・ドゥーエの向こう側で、勝ち誇る三機に向けた殺意を。
赤と青の武神が再び立ち上がる。
後には、友の無残な最期を目の当たりにし、泣き崩れている少女が居る。
己らの存在意義はジェネシスで終わらなかった。
この様な理不尽による、暴虐に打ちひしがれる者達から守る為に、まだ休む事は許されない。
例え自らも、絶え難い悲しみに襲われていたとしてもだ。
カラミティからオルガの通信が入る。
エターナルを面前にしても、一切の攻撃が無い。
問答無用と切り捨てたい衝動を押さえるフレイ。
自らが抑えずとも自制する彼女の姿に、自ずと平静を保つゼンガー。
しかしそんな努力も、次の瞬間どこかに消し飛んでしまう。
三機のXナンバーが横にどき、ぽっかりと空いたヤキン・ドゥーエの向こう側には青い星を覗き込む事が出来た。
その遥か先にゼンガーは、いやフレイも、確かに懐かしい気配を感じた。
彼女を知る者も、そうでない者にも、等しくその姿が晒される。
女神の様な微笑を浮かべ祈りを捧げる乙女が……大漸駄無の素体たる漸駄無、いやフリーダムに酷似したMSと共に。
アズラエルに身柄を渡してしまい、ナタルはそれきりだった。
軍人の立場からではこれしか出来無かったとは言え、後悔はあった。
ナタルの記憶の中にあるイルイは、少女であった。
この数ヶ月の戦いは永遠の様にも感じていたが、まさかそれが彼女にまで当てはまる訳があるまい。
不条理であった。
それでも彼女と解るだけに、尚々不安であった。
ゼンガーみたいな事を言う、と言うのが率直な感想ではあった。
ただ……物言いも内に秘める覚悟も同質なのだろうが、致命的になまでの錯誤があるようで、ナタルは素直にその言葉を聞けない。
困窮し、遂にエルザムの方へと目を向けるナタル。
矢張りと言うか何と言うか、彼ははなから不信どころか悪意と断定しているかの様な態度で、吐き捨てた。
問答を進めれば進めるほど、疑問符は増えるばかり。
直接問いただそうとしても、相手は恐らく遥か彼方。今現在では基本的に受身に回る他無い。
と言うか既存のコーディネーターの誰とも違う。
方向性は違えど、同じく底の見えないという意味では、該当する人物は一人いる。
自らの所業に酔い、他を省みないきらいがある所まで、そっくりである。
でも何処か、それを認められないでいる。
こんな優しい心は、あの男は持ち合わせていなかった。
謙虚さ等、はなから持ち合わせている訳もなく……どうしても、結びつける事が出来ない。
次の言葉さえ無ければ、そうだっただろう。
周りを省みない、一方的な判断。
それは独りよがりでも何でも無い、それにしては余りにも無機質過ぎた。
ここで初めてフレイは違和感に気がついた。
金の髪に、普通に見れば同じ女性として嫉妬を覚えるほどの美貌。
にも関わらず華やかさが無い。内から発せられる何かが無い。
あのクルーゼさえ、どす黒い憎悪によって肉体を色づけしていたと言うのに、彼女にはそれが無い。
完全無色。
ひたすらの空虚。
がらんどうの人形を相手にしているような物だったのだ。
クルーゼと比べるまでもない。
あれはもっと、大きな意志によって只突き動かされる……傀儡。
冗談の様なやり取りの中に含まれた、明確な殺意。
如何に鏡面の如く表層を取り繕っても、こればかりは誤魔化しようが無かった。
エターナル目掛けて殺到する鉄球を、歪曲したビームを、位相転移砲をゼンガーと阿吽の呼吸で迎撃する。
幸いにもこの一撃のみで、後が続かない。
僕(しもべ)と言うのは彼らの事も含まれているようだ。
明らかに物足りないと言う風なのに、ジッと堪えている。
思わず背後のプラント群を見やるフレイ。
冷たい予想が確信に変わる。
まるで害虫の様に“駆滅”と言ってのけた、その目標は……。
それはまず間違いなく、地球に達したジェネシスの一撃。
それを放ったのはそう……コーディネーター。
先程と同じ様に、無貌の笑みでイルイは答えた。
二人を越えた先、忌むべき夜明けを避けた人造の大地を……凍てつくばかりの破戒の意志をもって貫き、彼女の姿は消え失せた。
否、まるで母なる地球に吸い込まれるかのように戻り、待ち構えているのだ。
彼女が選んだ、“剣”達を。
代理人の感想
ついに来ましたねぇ。
ラストバトル!
最早言葉は要らず、只ぶつかるのみ・・・とはいかないようではありますが。
それにしてもパトリック。
色々とやってはくれましたが、最後はサムライチェアマンでしたねぇ。
合掌。