後方に遠ざかっていく激戦を尻目に、主天使はひたすらにバラルの園中心部へと向かう。
 砂時計の底の様に歪曲した大地は、思いの他静かであった。
 迎撃機も対空砲火も無い。全ての力を後の三隻の足止め、もしくは撃破につぎ込んでいるのか。


「あるいは、たった一人で十分と言う事か……」


 カタパルトハッチが開放され、次々と降下していく計四機の影。
 プラントのメインシャフト基部は本来、鬱蒼と木々が群生する美しい光景が広がって居る筈だが、今では氷塊すら見当たらない。
 シャフトを中心に数キロ四方、無味乾燥な世界が広がるばかりである。
 血のバレンタインの際、核攻撃で千切れたシャフトの向こう側には深遠の闇が広がる。
 その中に微かに見える小さな輝き。
 だが膨大なエネルギーの流れが、それを塗り潰さんと渦巻いているのと、この場にいる誰もが感じていた。


〈ようこそ、約束の地バラルへ〉


 白亜のMSがシャフトの前に立ちはだかっている。
 何ら攻撃的な武装を有していないにも関わらず、滲み出る迫力は隠し様が無い。
 その手の上でゼンガーらを歓迎する乙女の姿も、何らプレッシャーを軽減しない。
 寧ろ倍増している節がある。


〈大将自らの歓迎か……豪勢なのを期待していたがな〉

〈何故その様な野蛮な事をしなければならないのですか? 恩人に対して〉


 怪訝な顔をするイザークに、イルイとおぼしき乙女は笑顔で答える。


〈私はずっと見ていました……イザーク=ジュール。貴方は敵であったゼンガーの言葉に耳を傾け、己の内なる“憎悪”と言う名の欲に溺れなかった〉

〈……!!!〉


 イザークも何処かで見た事があると、漫然とした感触はあった。
 しかし、まさか大気圏突入時に勢いで助けてしまったシャトルの中の少女であった等とは、思いもよらなかったのだ。
 


〈じゃあ、オーブでの戦いの時、あんな所に居残っていたのは……〉

〈只あれは、ラウ=ル=クルーゼの迎えを待っていただけです。残念ながらあの時、それ程コーディネーターに期待はしていなかった。そんな時に貴方……ディアッカ=エルスマンは、“恐怖”と言う生存本能を差し置いて、私を助けてくれた……〉


 絶世の美女とも言うべき彼女に賞賛されても、微塵も喜びを感じられない。
 意識の根底に、コーディネーターと言う存在を、悪い方向に別格視する部分があったからだ。


〈貴方方も見た筈です。同胞の死すら食い物にする、貪欲な獣達の姿を……ニコル=アマルフィ、貴方はソレに貪られ、“怒り”を覚えませんでしたか?〉

〈……〉


 何も言えない。言える訳が無い。
 彼女と対面するまでは、彼女が引き起こした不条理に対する糾弾しか考えていなかったが……違う。
 彼女はある一方では不条理であっても、もう一方では驚くほど公正であろうとする。
 当たり前の事を曲げずに成そうとし、その規模が大き過ぎるが為に……この世の理をいくばか無視しているに過ぎない。
 簡単に打倒出来ないだろうし、すべきでもない。
 この乙女が、バラルの代行者が何を言わんとしているのかを、深く洞察せねばならなかった。







〈この青き清浄なる大地は、度重なる戦乱で傷付き、穢れ、飢えていきました……〉


 核兵器すら使用した大規模紛争、深刻な環境破壊、石油資源の枯渇。
 今から七十年以上前の世界情勢は、彼女にとっては極最近の事の様に語られていった。


〈人が無垢に自然と戯れていれば、こうまで酷い事にはならなかったでしょうが……時計の針は決して元には戻らない。落ち行く砂時計の砂は戻らない。なら、その先に災厄が待とうとも、敢えて進むしか無いと私は考えました〉


 永きに渡る戦乱による疲弊と、S型インフルエンザの流行……人類はこの時点で再編を余儀なくされ、国家の枠組みも既存の価値観も大きく変質していった最中の事。


〈その導き手としての役を、私は与えたのです。そう……人類最初のコーディネーターに……〉

 ジョージ=グレン。
 彼が生まれたのは、正に動乱の最中。
 宇宙を新たなフロンティアと見据えた人類には、人の可能性を限りなく実現していく彼の姿は、正に奇跡と呼ぶに相応しかっただろう。
 そのあり方に人は焦がれ、彼の後を追う様に新天地へと飛び出していく。
 だが本来そこは、決して人が踏み入る事が叶わぬ“神の領域”だった。


〈そして人類最初の災厄が、この星の運命を狂わせたのです〉


 その垣根を、彼は壊した。
 木星探査出発の直前に、彼は自らの正体と構造を暴露する……言わば神の座へと向かう道標を残し、彼は旅立ったのだ。


〈多くの者が邪悪なる甘言を抑えるべく奔走しましたが、無駄でした〉
 


 倫理に反するとして多くの宗教界では、彼とそのデータを異端扱いし、自然環境保護団体であったブルーコスモスも此処から活動を活発化させた。
 しかし世を実際に動かす者達にとって、倫理も世論も自らの都合で変わるものに過ぎなかった。
 各国の富豪層を中心に、合法非合法を問わずジョージ=グレンの後を追う者が続出した。


〈増え続ける災厄に油を注ぐかの如く、彼は更なる混沌を呼び込んだ〉


 地球外生命体の化石、エヴィデンス01の発見。
 以後コーディネーターの可能性に惹かれる者が更に増加し、需要の増加に伴いコストも低下、多くの追随者を招く。
 この事象の流れに対し、宗教界は無残にも敗北。その権威を失した。
 


〈確かに、彼の活躍によりこの星は豊かさを取り戻して行きました……しかし一方で穢れは増え続け、更なる混沌を招き続けた〉


 第一世代コーディネーターによる社会の蹂躙。
 成す術も無く、才能的に敗北していくヒトを、第二世代コーディネーターが更に圧迫していく。
 不満は蓄積される間も無く爆発していき、暴力と流血が彩る世界へと変質させていく。
   


〈そしてヒトも星も傷付き続けていった……ジョージ=グレンの裏切りが、いえ、私の早計な判断が、今の惨状を作り上げてしまった〉


 血で血を洗う状態になるまでに、さほど時間はかからなかった。
 ジョージ=グレンの暗殺は、所詮は結果に過ぎない。
 タダのヒトとコーディネーターの溝はますます深まるばかりであり、復活したS型インフルエンザの変質型、S2型の大流行がそれに拍車をかける。
 経済摩擦の発生によるヒト同士の軋轢に加え、自治を願うコーディネーターらの行動の圧殺。
 単純な力の応酬が繰り返される中に、最早ジョージ=グレンが目指した理想は欠片も無かった。
 後は転がるようにして状態は悪化していく。
 鋼鉄の巨人たるMSの戦力化。
 過ぎた核攻撃に対する報復として、核分裂の無力化。そしてそれに伴うエネルギー危機による大量の餓死凍死者の発生。
 ……天と地を分ける本格的な武力行使に至るまでに、さほど時間は必要ではなかった。







 そして今、混沌の終着点にゼンガーは立っている。
 凄惨な殺戮の繰り返しにより、地球もプラントもその力を失いつつある。
 恒久的宇宙都市“世界樹”や二基のマスドライバー、それにヘリオポリスを含めた多数のプラント。
 更にはアラスカやパナマと言った豊かな自然が、そこに育まれていた多くの生命もろとも、この世から消え去った。
 取り返しのつかない大きな犠牲の上に、立つ。
 その意義は極めて大きく、貴い。

「だからこそ……過ちを犯した人類は、歩みを止める事を許されない。それらを清算せんと心身を削り、眠っていった幾多の魂の為にも、我々は果てない贖罪を続けなければならない」


 故に、断罪してしまっては贖罪等果せるべくもない。
 


〈そう。そうやってヒトは、自らの足で楽園を見つける事が出来る……貴方の弛まぬ努力によって、星は輝き続けている。それが何よりの証明〉


 熱の篭った視線で、頭上に輝く母なる大地を見上げるイルイ。
 


〈でも〉


 しかし次の瞬間には無表情が、凍るのみ。


〈それが出来ないばかりか、不条理に嫉妬し、その座を奪わんと画策するような邪悪は……星の輝きを鈍らせる〉

「……!! イルイ、お前は……」


 バラル。
 このやりとりで、その本質が少しずつ顕わになった。
 彼らが護るのは星である。そしてそこに息づく多くの生命である。
 生命は生き死にを繰り返し、循環し、擬似的な永遠を奏でる。
 滅び行く種もあろうが、それとてその痕跡は何処か、別の枝分かれした何かによって受け継がれていく。
 言わば星を一つの生命と考えれば良い。
 生命が血液であり、地球の息吹を司り、その中で適合できないもの、耐えられないものが脱落し、新陳代謝の様に排斥されていく。
 ……では、身体から逸脱した血液は何になるのだろう?
 それが勝手に砂時計の中に納まっていき、勝手に増え続け、絶え難い腐臭を漂わせながらすぐそこにある。
 それだけでも我慢がならないと言うのに、そこから生み出された化物が、身体に害を成そうとする……そんな風に考えているのならば、地球と言う揺り篭を脱した存在は、彼女らにとっては全て“邪悪”となる。 


〈私はただ、自らの過ちに決着をつけるべく、動いているのです……〉

〈何故コーディネーターを抹殺する?! 遺伝子構造的に同一のヒトと区別して!!〉

〈ヒトは、いえ生命は……母の胎内で育まれ、愛を受けて生まれ出るものですよ? 試験管の中で培養されたものは、決して生命ではありません〉

〈……!!〉

〈嗚呼、そんな顔をしないで下さいイザーク……貴方方は奇跡的にも、自らのヒトとしての因子を甦らせる事が出来たのですから〉


 まるで泣きそうな子供をあやすかのように、イルイは穏やかに笑う。


〈何だよ、そりゃ……〉

〈どう言う事ですか?!〉


 急かす様なディアッカとニコルの追及にも、動じない。   


〈……私は貴方達の戦いをずっと見てきました。貴方達はこの星を護るために……多くの人を護るために……傷つくことを恐れず、その命を顧みず戦い続けてきました〉

「無論だ。それが我らの使命……何故なら、我らは力なき人々の剣であり、盾であるからだ」


 そしてそれを支えるのが、ヒトとしての因子。
 ヒトをヒトたらしめる、強靭かつ高度な感情……。


〈……ゼンガー。貴方なら、そう答えると思っていました。しかし……貴方のその意志が、人の意志がこの星にさらなる災いを呼ぶことになるのです〉
 


 またしてもイルイは、遠くを見据える。
 


〈ヒトは敵を倒す牙も持たず、寒さを凌ぐ皮も無い、脆い命……だからこそ、その生命の輝きはとても苛烈なものとなる……時として、母なる大地を傷つける程に〉


 人類の栄光。
 それは正しく、地球の身を削って得られたもの。
 


〈ヒトと地球が共に永くある為には、ヒトの良心に委ねるだけでは駄目なのです……ヒトの有り余る命の光を束ね、星を光に満たすには……超越的な力と、それに見合う視点を持った存在が必要です〉


「?!」

〈……俗世の倫理観を排し、絶対かつ高度な正義をかざす存在。これこそがヒトを救える救世主(メシア)と為る〉


 そう宣言するイルイの貌には何も無い。
 全てを超越したと言って良いその姿は……何処か、“神々しい”ものすら感じられた。








「……成る程、な」


 呆気にとられるイザークらを尻目に、一人ゼンガーは呟く。



〈解って頂けましたか、ゼンガー〉

「ああ、疲弊した人類を“神”と言う名の統一存在によって総括し、地球の管理維持を都合良く行う……成る程、中々に合理的な手段と言えよう」

〈そう。星を、ヒトを救うにはそれしか道は無いのです……その為に、貴方方は此処に来てくれたのでしょう?〉

〈そんな、僕達は……!!〉

〈何も心配する事はありません。付いてきた余計な者は、私自身の手で処分します。貴方方の手を煩わせる事はありません〉


 色が、変わった。
 ディアッカの、ニコルの帯びる気の色が、変わる。
 悪い空気、言うなれば“神気”に曝され、潜在的な恐怖心が引きずり出されていたつい先程までとは、違う。
 容赦の無いイルイの言葉のお陰で、“吹っ切れた”。


〈さあ、選びなさい………バラルの下で剣としての使命を果たすか……ここで異物として排除されるかそのいずれかを〉


 有無を言わさぬその姿勢は、イザークの気を嗜む(たしなむ)事にしかならなかった。
 彼の存在意義は、この様な存在の為にあるのだから。


〈さあ!〉


 答えは一つ。
 彼らの魂のうねりを、敢えてゼンガーが代弁する。















「そのどちらも選ぶつもりはない」

〈……?〉


 呆気にとられるイルイ。
  


〈ゼンガー……あの時の約束を忘れたのですか?〉


 拒絶されるとは思っていなかったのだろう。
 少なく共、彼には。 


〈あなたは私と一緒にいてくれると言った。守ってくれると……あの約束を忘れたのですか……?〉


 だがゼンガーはにべも無い。


「その約束を……お前とした覚えはない」

〈え……?〉

「俺は……今のお前とその約束をした覚えはない」

〈……………〉


 そして容赦無用。


「我ら人類が邁進するに、神等の手助けは不要!! 何故なら、我らは内に逆境を覆す必殺の牙……合理性や集団性を無視し、己の存在そのものを危機に曝す事を厭わぬ意志、“勇気”を残しているからだ!!」


 既に対艦刀は抜き払われている。


「俺が守ると誓った相手はバラル、お前ではない……俺が守るべき者……助けるべき者……それはイルイ、本当のお前なのだ!」

〈………!!〉

「そして、俺は斬る! お前を縛りつける鎖を……バラルの呪縛をッ!! 偽神の封印を、俺は伍式対艦刀で叩き斬るッ!!!」


 一瞬愕然となるイルイだったが、直に無貌へと変質する。


〈愚かな選択を……〉

「黙れッ!!」

〈!!〉


 しかし、それも直に驚愕へと彩られる。


「そして、聞けッ!! 我が名はゼンガー! ゼンガー=ゾンボルト!! 我は……!!」


 






   


武神装攻ゼンダム
其壱拾六 神を断つ剣なり

 

 

 

 

 

代理人の感想



 

 

 

他に何を言えというのだ!?