後方に遠ざかっていく激戦を尻目に、主天使はひたすらにバラルの園中心部へと向かう。
砂時計の底の様に歪曲した大地は、思いの他静かであった。
迎撃機も対空砲火も無い。全ての力を後の三隻の足止め、もしくは撃破につぎ込んでいるのか。
カタパルトハッチが開放され、次々と降下していく計四機の影。
プラントのメインシャフト基部は本来、鬱蒼と木々が群生する美しい光景が広がって居る筈だが、今では氷塊すら見当たらない。
シャフトを中心に数キロ四方、無味乾燥な世界が広がるばかりである。
血のバレンタインの際、核攻撃で千切れたシャフトの向こう側には深遠の闇が広がる。
その中に微かに見える小さな輝き。
だが膨大なエネルギーの流れが、それを塗り潰さんと渦巻いているのと、この場にいる誰もが感じていた。
白亜のMSがシャフトの前に立ちはだかっている。
何ら攻撃的な武装を有していないにも関わらず、滲み出る迫力は隠し様が無い。
その手の上でゼンガーらを歓迎する乙女の姿も、何らプレッシャーを軽減しない。
寧ろ倍増している節がある。
怪訝な顔をするイザークに、イルイとおぼしき乙女は笑顔で答える。
イザークも何処かで見た事があると、漫然とした感触はあった。
しかし、まさか大気圏突入時に勢いで助けてしまったシャトルの中の少女であった等とは、思いもよらなかったのだ。
絶世の美女とも言うべき彼女に賞賛されても、微塵も喜びを感じられない。
意識の根底に、コーディネーターと言う存在を、悪い方向に別格視する部分があったからだ。
何も言えない。言える訳が無い。
彼女と対面するまでは、彼女が引き起こした不条理に対する糾弾しか考えていなかったが……違う。
彼女はある一方では不条理であっても、もう一方では驚くほど公正であろうとする。
当たり前の事を曲げずに成そうとし、その規模が大き過ぎるが為に……この世の理をいくばか無視しているに過ぎない。
簡単に打倒出来ないだろうし、すべきでもない。
この乙女が、バラルの代行者が何を言わんとしているのかを、深く洞察せねばならなかった。
核兵器すら使用した大規模紛争、深刻な環境破壊、石油資源の枯渇。
今から七十年以上前の世界情勢は、彼女にとっては極最近の事の様に語られていった。
永きに渡る戦乱による疲弊と、S型インフルエンザの流行……人類はこの時点で再編を余儀なくされ、国家の枠組みも既存の価値観も大きく変質していった最中の事。
ジョージ=グレン。
彼が生まれたのは、正に動乱の最中。
宇宙を新たなフロンティアと見据えた人類には、人の可能性を限りなく実現していく彼の姿は、正に奇跡と呼ぶに相応しかっただろう。
そのあり方に人は焦がれ、彼の後を追う様に新天地へと飛び出していく。
だが本来そこは、決して人が踏み入る事が叶わぬ“神の領域”だった。
その垣根を、彼は壊した。
木星探査出発の直前に、彼は自らの正体と構造を暴露する……言わば神の座へと向かう道標を残し、彼は旅立ったのだ。
倫理に反するとして多くの宗教界では、彼とそのデータを異端扱いし、自然環境保護団体であったブルーコスモスも此処から活動を活発化させた。
しかし世を実際に動かす者達にとって、倫理も世論も自らの都合で変わるものに過ぎなかった。
各国の富豪層を中心に、合法非合法を問わずジョージ=グレンの後を追う者が続出した。
地球外生命体の化石、エヴィデンス01の発見。
以後コーディネーターの可能性に惹かれる者が更に増加し、需要の増加に伴いコストも低下、多くの追随者を招く。
この事象の流れに対し、宗教界は無残にも敗北。その権威を失した。
第一世代コーディネーターによる社会の蹂躙。
成す術も無く、才能的に敗北していくヒトを、第二世代コーディネーターが更に圧迫していく。
不満は蓄積される間も無く爆発していき、暴力と流血が彩る世界へと変質させていく。
血で血を洗う状態になるまでに、さほど時間はかからなかった。
ジョージ=グレンの暗殺は、所詮は結果に過ぎない。
タダのヒトとコーディネーターの溝はますます深まるばかりであり、復活したS型インフルエンザの変質型、S2型の大流行がそれに拍車をかける。
経済摩擦の発生によるヒト同士の軋轢に加え、自治を願うコーディネーターらの行動の圧殺。
単純な力の応酬が繰り返される中に、最早ジョージ=グレンが目指した理想は欠片も無かった。
後は転がるようにして状態は悪化していく。
鋼鉄の巨人たるMSの戦力化。
過ぎた核攻撃に対する報復として、核分裂の無力化。そしてそれに伴うエネルギー危機による大量の餓死凍死者の発生。
……天と地を分ける本格的な武力行使に至るまでに、さほど時間は必要ではなかった。
そして今、混沌の終着点にゼンガーは立っている。
凄惨な殺戮の繰り返しにより、地球もプラントもその力を失いつつある。
恒久的宇宙都市“世界樹”や二基のマスドライバー、それにヘリオポリスを含めた多数のプラント。
更にはアラスカやパナマと言った豊かな自然が、そこに育まれていた多くの生命もろとも、この世から消え去った。
取り返しのつかない大きな犠牲の上に、立つ。
その意義は極めて大きく、貴い。
故に、断罪してしまっては贖罪等果せるべくもない。
熱の篭った視線で、頭上に輝く母なる大地を見上げるイルイ。
しかし次の瞬間には無表情が、凍るのみ。
バラル。
このやりとりで、その本質が少しずつ顕わになった。
彼らが護るのは星である。そしてそこに息づく多くの生命である。
生命は生き死にを繰り返し、循環し、擬似的な永遠を奏でる。
滅び行く種もあろうが、それとてその痕跡は何処か、別の枝分かれした何かによって受け継がれていく。
言わば星を一つの生命と考えれば良い。
生命が血液であり、地球の息吹を司り、その中で適合できないもの、耐えられないものが脱落し、新陳代謝の様に排斥されていく。
……では、身体から逸脱した血液は何になるのだろう?
それが勝手に砂時計の中に納まっていき、勝手に増え続け、絶え難い腐臭を漂わせながらすぐそこにある。
それだけでも我慢がならないと言うのに、そこから生み出された化物が、身体に害を成そうとする……そんな風に考えているのならば、地球と言う揺り篭を脱した存在は、彼女らにとっては全て“邪悪”となる。
まるで泣きそうな子供をあやすかのように、イルイは穏やかに笑う。
急かす様なディアッカとニコルの追及にも、動じない。
そしてそれを支えるのが、ヒトとしての因子。
ヒトをヒトたらしめる、強靭かつ高度な感情……。
またしてもイルイは、遠くを見据える。
人類の栄光。
それは正しく、地球の身を削って得られたもの。
そう宣言するイルイの貌には何も無い。
全てを超越したと言って良いその姿は……何処か、“神々しい”ものすら感じられた。
呆気にとられるイザークらを尻目に、一人ゼンガーは呟く。
色が、変わった。
ディアッカの、ニコルの帯びる気の色が、変わる。
悪い空気、言うなれば“神気”に曝され、潜在的な恐怖心が引きずり出されていたつい先程までとは、違う。
容赦の無いイルイの言葉のお陰で、“吹っ切れた”。
有無を言わさぬその姿勢は、イザークの気を嗜む(たしなむ)事にしかならなかった。
彼の存在意義は、この様な存在の為にあるのだから。
答えは一つ。
彼らの魂のうねりを、敢えてゼンガーが代弁する。
呆気にとられるイルイ。
拒絶されるとは思っていなかったのだろう。
少なく共、彼には。
だがゼンガーはにべも無い。
そして容赦無用。
既に対艦刀は抜き払われている。
一瞬愕然となるイルイだったが、直に無貌へと変質する。
しかし、それも直に驚愕へと彩られる。
代理人の感想
燃
え
!
他に何を言えというのだ!?