「パット! 早くしないとまた遅刻するよ。パットってば。パット!」
まぶしい朝日の光。さえずる小鳥の鳴き声。優しく耳朶をくすぐる春の風。
今日もまた、新たなる一日が始まろうとしている。
パトリック・ザラは、困った顔をしながら玄関脇の窓をがらりと開けると、インターホンのボタンを押しながら盛んに彼の名を呼び続けている黒髪の美少女に声をかけた。
「あのなあ。わかったから、もうやめろって」
慟哭の宇宙(そら)
〜機動戦士ガンダムSEED外伝SS〜
By 李章正
パトリックは、顔を洗い服を着替えて身支度をすませ、手早く大学へ行く用意を整えた。朝食代わりのプロティン入り牛乳紙パックにストローを差し込みながらドアに鍵をかけると、玄関先で待っていたレノアと合流する。そのまま、二人は大通りへ向かって並んで歩き始めた。パトリックが進んだ大学が、レノアの通う中学のすぐ近くにあるために、朝はたいていこうするのが、最近の二人の日課となっている。
「ったく、しょうがないなあ。七歳も年上の相手に向かって『パット』はないだろ。それも、あんなでかい声で」
歩きながら、いつものようにそうぼやくパトリック。それに対し、少女は少しだけ俯いてみせる。
「ごめんね、聞こえてないかと思って」
「はあ、まったく」
口ではぶつぶつ文句を言っているものの、パトリックは彼女にそう呼ばれることを、本心から嫌がっているわけではない。レノアにもそれはわかっているようで、青年に苦情を言われるたびに一応謝りはするが、かといって呼び方を改めようとはしなかった。
(いや……、一度だけあったか。そう言えば)
それはレノアが、朝彼を起こしにくるようになって間もない頃のこと。一向に起きてこようとしないパトリックに業を煮やした彼女は、玄関ドアのロックを解除して勝手に部屋に上がり込み、ベッドで惰眠を貪っていた彼の毛布を強引に引き剥がしたのである。――そこまではよかった。レノアに、朝の男性特有の生理現象を目撃されてしまうまでは。
(学者先生がたも、どうせ遺伝子をいじくるんなら、あーいうこともきちんと制御できるようにしておいてくれればよかったのに。大体レノアもレノアだよ。自分の不法侵入はまるっきり棚に上げて「エッチ馬鹿変態!」って、めちゃくちゃな騒ぎようだったからなぁ……。でもってしばらくは呼び方も「あら、お早う御座います。Mr.ザラ」ってな調子だったし)
その騒ぎのおかげで、以後鍵の暗証番号を誕生日のままにしておくのをやめ、セキュリティに気を使うようになったわけだが、そのことについては同じく心に棚を作っているパトリックである。
「? 何にやにやしてるの? 思い出し笑いは気色悪いわよ」
気がつくと、レノアが覗き込むようにして自分の顔を見上げていた。万一気取られでもしたら、いささか厄介なことになりそうだ。無視してやり過ごすか、反撃して気をそらすか。一瞬考えた後、パトリックは後者を選んだ。
「おいおい、気色悪いはないだろ。仮にも家庭教師をつかまえて」
「ふーんだ。毎朝起こしにきてくれる可憐な美少女に対して感謝の言葉もろくにない根暗青年なんて、それくらいの評価で十分よ」
パトリックは愚鈍の対極にいる青年だが、彼の隣を歩む少女も負けず劣らず機知に富んでいる。青年はレノアをごまかし切れないと悟り、懐柔策に転じることにした。
「わかったよ。今度の休みに昼食をおごるから……。どこがいい?」
少女はにっこりと笑って、
「う〜んとね。……まず駅前の『黄帝』で中華。そのあと、『シャトー・ティエリー』でいちごショート付きなら」
「うげ……、ちょっとは手加減してくれよ。高いんだぜ、あそこ」
「ダーメ♪」
◆ ◆
ジョージ・グレンに端を発し、次々とこの世に生まれ出た人々、コーディネイター。その第一世代としてこの世に生を受けたパトリックが進んだ大学のある町に、その少女は住んでいた。青年がアルバイトとして選んだ家庭教師の、先生と教え子としてまず知り合った二人だったが、彼女の家と、パトリックの住まいとが近接していたこともあり、親しい間柄になるのにそう時間はかからなかった。
二人にとって、人生はまだ始まったばかりである。彼らの周囲には豊かさと歓びと穏やかな平和とが満ちあふれ、その未来も光り輝いているようにしか思われなかった。
――だが、彼らが幸福そのものの青春を謳歌していたその時にも、時代の暗い影が徐々にその色を濃くしつつあったのである。
◆ ◆
「今日こそは、はっきりと聞かせてもらうよ父さん。どうして、僕がレノアと結婚するのに反対なんだい。
そりゃ、確かに彼女はまだ学生だけど、来年には二十歳だ。早すぎるってことはないだろう? 僕だって、憚りながら彼女一人を食わせるくらいの甲斐性はあるつもりだよ。
レノアは優しいし、頭もいい。それに綺麗だ。これだけそろっていて、なお渋るっていうのはどういうわけなのか。きちんとわかるように言ってもらわないと、とうてい納得なんかできない。……その時は、母さんたちには悪いけど、僕はレノアを選ぶ。この家を出ていくからね」
くつろいだ格好で居間のソファに腰を下ろしながら、その姿に似あわず顔一杯に渋面を浮かべている父親を、パトリックは容赦なく追求した。レノアとの結婚を決意し、家族にその旨を報告したとき、賛成してくれるとばかり思っていた両親がなぜか、理由もはっきり言わないまま言を左右にし続けているのである。
彼は家族もレノアも同じように大切に思っていたが、理屈の通らない両親の態度には好意を抱くことができなかった。もし、どうしても二者択一を迫られるなら、父母を捨てることになってもレノアを選びたい。しかし、できれば両親が反対する理由を明確に知りたいとパトリックは考えた。果たしてそれが、自分をも納得させるほどのものであるか否か、どうしても確かめたかったのである。
何人かの天使が、行列をなして二人の間を通り過ぎていく。その後、熊の胆でも口に含んだような顔をしていた父親が、漸く重い口を開いた。
「レノアは良い子だ。それは、十分わかっている。だが……、彼女はコーディネイターだ」
父の言葉にパトリックは一瞬毒気を抜かれた。ついで、むらむらと心中に怒りが湧き上がる。
「はあ? ……なんだいそれ。一体、それのどこが理由なんだよ! 第一、僕だってコーディネイターだ」
「そうだ、パトリック。おまえも、彼女もともにコーディネイター。まさにその点こそが問題なのだ」
◆ ◆
科学者が、受精卵に遺伝子改変を加えることでこの世に出現したコーディネイター。その最初の一人であったジョージ・グレンが当時の人類に与えた衝撃は、コーディネイター出現以前と以後とで時代を分ける歴史区分が生まれたほどに、絶大なものだった。その頃、人類社会のほとんどで遺伝子調整が非合法とされていたにも関わらず、多くの親たちが、優秀な子どもを求めて禁断の実をもいだ。結果、若干の例外を出しながらも、頭脳優秀、体力抜群、容姿端麗、身体強健と、非の打ち所のない子供たちが次々と誕生し、それは更に人々の焦りと期待を煽ることになった。ほどなく、全人類がコーディネイターとなったユートピアとしての未来像が真面目に語られるようになり、ついに、諸国はドミノ倒しのようにして遺伝子調整を合法化することになったのである(そこに、他国との競争に打ち勝つためという隠れた理由があったのは言うまでもない)。かくして、遺伝子改変は奨励すべきものとなり、C.E.20年代には全世界で一大コーディネイターブームが巻き起こったのであった。
そのブームが潮を引くように終息し、遺伝子改変が以前より遥かに厳しく禁忌とされることになったのは「神の領域に手出しをしては後のしっぺ返しが恐ろしい。実際人間は昔から、何度となくそういうことをやっては、自然から仕返しされてきたではないか」という意見が巻き返しに成功したからである。何よりそれは、当時徐々に明らかになり始めた事実に裏づけされていたのであった。それは、一体どういうことだったのか。
……コーディネイターといえど人であることに変わりはなく、いかに優秀といってもそれは人間としての能力を逸脱したものではない。事実、コーディネイターをしのぐ非コーディネイター(その当時はまだナチュラルという呼称は一般的でなかった)も、少数とはいえ全くいないわけではなかった。では彼らはどうやってその優秀な能力を得たのか。
それは、遺伝子の中で「不要」なもの、「有害」なものを切り捨て、「そうでない」ものに置き換えることによってだったのである。
数字札をすべて取り去り、五十二枚すべてをエースと絵札だけにしたトランプでポーカーをやるとする。五枚を無作為に選んでも、最弱でもジャックのワンペアであり、フルハウスやフォーカードも、当然ながら本来のトランプの場合より遙かに高い確率で出現することになる(本来のトランプの場合、ただのワンペアですら出現率は2.37回に1回の割でしかない)。たいていのコーディネイターが、そうでない者に対して優位を占めることができたのは、確率的に見ても当然だった。別な例えをすれば、手ぶらの人と、重いリュックを背負った人とで競争をするようなものだったのである。どちらが速く走れるかは言うまでもないことだった。
しかしそれは同時に、コーディネイターの遺伝的形質を「優秀な」点で均質化することを意味していたのである。科学者が不要・有害として切り捨てたもの、そこにこそ人類を種として多様ならしめている部分があったかもしれないのにも関わらず。結果として、コーディネイター同士の婚姻には、全く血縁がなくても近親婚的弊害が出てくることになるであろう、と早くから予言されることになった。すでに人類は遺伝子を組み替えた農作物を作り出し、その功罪両面を経験していたために、その議論は多くの人々に大きな説得力を持ったのである。
先ほどの例えでいうなら、短距離の競争と遙か彼方への旅行との違いということになる。水も食料も持たない手ぶらのランナーは、初めのうちはいくら速く走れてもさほど遠くへは行くことができず、ついには途中で力尽き倒れるしかない。遠方への旅を続けていけるのは、結局は荷物を背負った人ということになろう。コーディネイター第一世代が成人した頃から明らかになり始めた、彼らと、従来の人々との間における出生率の僅かな差。これこそが人々に先のような結末を予感させ、薔薇色に彩られていたはずの未来が急速に色あせることになったのである。
……やがて、決定的とも言える事態が発生することになった。極めて強い毒性を持つ新型のインフルエンザウイルスが出現し多くの人々がこれによって倒れた中、コーディネイターにはほとんど被害が及ばなかったのである。その事実は病気の流行時「これこそ、遺伝子改変の輝かしき成果」として喧伝されたが、それは同時に、それまでコーディネイターを「優秀ではあるが、結局は同じ人間」と思っていた人々の多くを「ヒトの病気に罹らない、つまりは人類にあらざる存在」という考えに押しやってしまうことになったのだった。その結果、かつては冷笑まじりに語られることが多かったBLUE COSMOSに代表される原理主義的勢力が、その力を飛躍的に増すことになったのである。
仮定の話にすぎないが、もしこの新型の病気が実際とは逆にコーディネイターを好んで冒すものであったなら、それ以後の大動乱はついに起こらなかったかもしれないのだ。その意味でこのインフルエンザの出現は、自然界の、ヒトに対するあまりにも巧妙かつ悪意に満ちた復讐だったのかもしれなかった。
◆ ◆
肉親の死は、ほとんど全ての人間にとり大きな悲しみである。その若さに似ず、堅実さと豪胆さを併せ持つ国の舵取りぶりによって、内外から「オーブの獅子」なる異名を奉られているウズミ・ナラ・アスハの場合も、それは例外ではなかった。かつて国外に駆け落ちしたままずっと音信不通だったにも関わらず、彼は先日爆弾テロの犠牲となったたった一人の妹のことを心から悼んでいたのである。だから、彼宛に送られてきた匿名の荷物の中身が、仮死状態にされた男女の赤ん坊と亡き妹の肉筆で書かれた一通の手紙、そして一枚の写真であるのを知った時、彼は大いに驚くとともに再び悲しみを新たにしたのだった。ウズミは、蘇生した赤ん坊の世話を側近に命じると手紙を持って独り私室へこもり、その封を切った。
「親しく懐かしいお兄様。
お兄様がこのお手紙をお読みになっているとき、多分わたくしはもうこの世におりますまい。お兄様はきっと、戒めも聞かずに家も国も捨てて外へ飛び出し、とうとう帰ることのなかった愚かな妹を、今も激しくお怒りのことでしょう。そのことについては、本当に申し訳なく思っています。でも、わたくしはユーレンについて行ったことを今でも後悔はいたしておりません。わたくしが悔いているのは、彼を止められなかったこと、それだけです。でも、今更こんなことを申し上げても始まりませんわね。時間が、もうあまりないのですから。手短かに事情だけご説明申し上げます。
ユーレンが、安定的なコーディネイター創出の研究をしていたのはご存じですね。彼は、人里離れた辺境(どことはあえて書きません。地球系の中、とだけ申し上げておきます)にラボを設け、日夜その仕事に打ち込んでいましたが、いつしかその目標が、超コーディネイターの創造に置き換わってしまっていたのです。彼は、わたくしの願いにも耳を貸さず、わたくしの卵と自らの精を材料に、ぎりぎりまでの遺伝子改変を繰り返していました。途中で研究資金が尽きてしまい、怪しげな依頼に基づいて非合法な実験に手を染めたこともあったらしゅうございます。『ございます』というのは、彼から直接そのことを聞いたわけではなく、別な人から聞かされたからでございますが。それはともかく、彼は、わたくしたちの子供になり得たはずの骸の山を築きながら、それでも研究をやめようとはいたしませんでした。ユーレンが、未調整の受精卵を一つだけわたくしの子宮に戻してくれたのは、彼に残っていた最後の優しさだったのでしょう。
結局わたくしたちが今、狂信的な人々に追われるようになってしまったのも、ですから半ばは自業自得と言えるかもしれません。彼らにわたくしたちの命を奪う権利などあるはずもございませんが、少なくともわたくしたちには、彼らに狙われるようになる前に立ち止まる自由はあったのでございますから。
少しお話が逸れたようですわね。つまりユーレンは、とうとう目的を果たしたのでございます。人間たり得るぎりぎりの限界まで遺伝子に改変を加えた、コーディネイター中のコーディネイター、超コーディネイターの誕生ですわ。もっとも、彼一人をこの世に生み出すためだけに何十人もの兄弟がガラス管の中で朽ちていったことを考えれば、それを成功などと言ってよいものかどうか、わたくしにはわかりませんが。そもそも、単なる偶然の結果に過ぎないかもしれないのですから。
ところで今、『彼』と申し上げましたとおり、二人のうち男の子の方が、そうなのでございます。もう一人は、わたくしが自らの子宮で育んだ子。しかし、どちらも、わたくしの可愛い子どもであることに変わりはないのですわ。そして親に罪があるとしても、子どもにそれを負わせるわけには参りません。
そう、秘密に研究を進めていたにも関わらず、ユーレンの仕事は結局外部の人々の知るところとなってしまったのでございます。夫は資金繰りにいつも苦しんでおりましたから、恐らくはそういうつながりで漏れ出てしまったのでございましょう。そうなれば、BLUE COSMOSと呼ばれる人々にとって、ユーレンと、わたくしの子どもとが最優先で排除すべき対象となるのは、考えてみれば当たり前のことでございました。何者かの手によって研究所と家とをたてつづけに破壊され、わたくしたち一家は、とるものもとりあえず逃げ出さなければならなかったのでございます。しかし敵は大勢。そういう仕事のプロも多いはずです。こんなことには素人のわたくしたちが逃げおおせる望みは、限りなく低いのは言うまでもございません。ユーレンは楽観的なことばかり申しますが、むしろそれは、わたくしたち夫婦が受けるべき報いではないかとさえ思われます。しかし、それにしても心残りなのは子どもたちのこと。この子らに、いったい何の罪がありましょう。わたくしたちが報いを受けることがあっても、子どもたちは決してそれに巻き込まれるべきではありません。
お兄様。わたくしにはもうこの世にお兄様のほか頼れる方がいらっしゃらないのです。後生ですからどうか、この子たちに平穏な生活を授けてやっていただけませんか。罪深い親のことなど知ることなく、純白の人生をこの子らが送ることができるように。愚かな妹のあつかましい願いですが、どうか聞き届けてやってください。男の子には、ユーレンが自分の名を与えました。ユーレンJr.・キラ・ヒビキです。女の子には、勝手ながらお兄様が昔お亡くしになった、わたくしにとっては姪の名を頂いて、カガリ・ユラ・ヒビキと名付けました。もっとも、これらはあくまでもわたくしたちがつけた仮の名前。特にユーレンやヒビキの名は、ある人々にとっては忌まわしい響きを持っていますから、この子らにとっては後々良くないことになることもありえましょう。新しい名前をお与えになるか、その場合どのような名前にするかは、お兄様のご判断にお任せいたします。アスハの名を与えるかどうかも含めて。もっとも子供たちのためになると、お兄様が判断されるとおりになさってください。
長いお便りになってしまいましたがどうかお許しくださいね。キラとユラのこと、くれぐれもお頼み申します。わたくしはこれより後、キラのように生まれ出ることができずにこの世を去ったほかの子たちを抱いて、運命の日を待つことにいたします」
手紙はそこで終わっていた。ウズミはそれを二度読み返し、首を振り、黙然と亡き妹に思いを馳せた。
彼は数日前に受けた「ヒビキ一家四人、潜伏先のホテルで爆死。BLUE COSMOSが犯行声明」という知らせのことを思い出した。黒こげの肉片はDNA鑑定もされており、それがヒビキ親子の遺体であるのは確実だという話だったのである。しかし、この手紙が真実だとすれば、少なくとも子どもだけは助かったのかもしれなかった。二人の母親は、自らの命を投げ出して子どもたちの未来を守ったのだ。
だが、これからも彼らを守り続けようとするならば、秘密の厳守が不可欠なのはわかりきったことである。もし双子を双子として彼が育てたなら、将来疑念を抱く者が出てこないとも限らない。また世襲制をとり血の継承を重んじる、オーブ最大首長家たるアスハ家においては、遺伝子をいじったコーディネイターは正嫡とはみなされず、相続権はないのであった。彼の胸中に男女の双子を別々に育て、でき得れば一生会うことのないまま過ごさせるための方策が、形を成し始めた。
しかし、すべては真実がはっきりしてからでなければならないのは言うまでもない。彼は部下を呼んで、極秘に双子のDNA鑑定をするよう準備をさせるとともに、養子を欲しがっている夫婦のリストを持ってくるよう命じたのであった。
◆ ◆
あなたが自分の子をコーディネイターにしたい、と考えたとする。その場合あなたはすぐに、富豪でなければ無理というほどではないにせよ、やはりある程度の出費を覚悟する必要があるのを知ることになるだろう。
つまり、国によっては人口のほとんどを占めるその日暮らしの人々などにとっては、我が子をコーディネイターにするなどということは最初から無縁の世界の話であった。結果として、コーディネイターのほとんどは大きな国力を有し、従って経済的に豊かな人の多い国で生まれることになったのだ。皮肉としか言いようのない話だが、PLANT住民の両親や祖父母の出身地として最も多数を占めているのは、反コーディネイターの急先鋒たる大西洋連邦なのである。
「……だから、あれはいわば兄弟喧嘩みたいなもんだな。連中が兄弟同士、仲が悪いのはまあ奴らの勝手だが、巻き込まれるこっちにしてみれば全くいい迷惑さ」
子どもらを集めての青空学校で歴史の話をしていたはずが、いつの間にやら脱線していた話の締めくくり。サイーブ・アシュマンは、頭を振りつつそうぼやいた。
「孫や曾孫を諦めて優秀な子どもを得るか、凡人続きでもいいから子孫が続くのを望むか。どっちをとるかは個人の好みの問題だろうがな。東洋の諺ではこう言うそうだ、二匹の兎を追う奴は、結局一匹も捕まえられない、と。子孫がずっと優秀でありつづけるもんなら、滅びる王朝なんかありはしない。
ま、所詮人間社会にはいつまで経っても寧日なし、といったところだな」
ここで、彼の話にじっと耳を傾けていた子どもたちの一人が口をはさんだ。
「でも『それは、かつてはコーディネイターがいなかったからだ』って、PLANTでは言われているそうだよ」
それに対し、サイーブは冷笑で報いただけである。その嗤いが、質問を発した幼いアフメドに向けられたものでないのは、言うまでもないことだった。
◆ ◆
マルキオがその病院を訪れたのは自身が治療を受けるためではなかった。そこにはかつて彼が教団で机を並べもし、個人的に師事もしていた男が入院していたのである。数年前教団と袂を分かち、BLUE COSMOSに入ってその精神的指導者となっていた彼は、一週間前コーディネイターの青年が惹き起こした爆弾テロにより瀕死の重傷を負い、その病院にかつぎ込まれて辛くも命をとりとめていたのであった。そのために、盲目の彼が単身旧知の先達を見舞いに来たのであるにも関わらず、マルキオは物々しい警護の男たちによって念入りにボディチェックを受けねばならなかったのである。漸く病室に入ることができたマルキオだが、ベッドに横たわる師兄の姿を見ることができたなら恐らく息を飲んだことであろう。片手片足を失い、残った体にもほぼ隙間なく包帯を巻かれたその姿は、爆弾による被害がいかに大きなものだったかを雄弁に物語っていたからである。
事前に聞かされていたその事実は、彼を見舞うとともに報復をやめるよう求めにきたマルキオの心を重苦しいものにしていた。だから、ベッドに横たわる怪我人が求めぬ先から護衛たちに人払いを命じ、穏やかな声で来訪に対する謝意を述べた時、マルキオはまず、大いなる安堵を感じたのである。
「師兄よ、わたくしには今もってわからないのです。なぜあなたが、よりにもよってあなたが、BLUE COSMOSなどにお入りになったのか。……確かに、人は時として変わり果ててしまうこともままあるもの。しかしながら師兄にお会いした今、わたくしには、あなたが昔のまま揺るぎない知性と人々への深い愛に満ちあふれているのがはっきりと感じられます。
それだというのに、一体なぜなのですか。わたくしにはどうしても理解ができません」
ひととおり見舞いの言葉を述べた後、マルキオはそう切り出した。全身を包帯に巻かれて床に就いている男は、その姿に似合わぬしっかりとした口調で答えた。
「賢弟よ、それはわたしをあまりにも買いかぶっているというもの。人の値打ちとは所詮、あるがままのものでしかない。ミイラ男のように包帯まみれの、死にかかった見苦しい老人、それがわたしだよ。それ以上でも、それ以下でもありはしない」
「たとえそうだとしても、師兄とBLUE COSMOSとにはあまりにも大きな隔たりがあるように思われます。……師兄は、彼らに全く似つかわしくありません」
「いや、そんなことはない。……少なくとも『コーディネイターは、滅ぼさざるべからず』という意見では、完全に一致しているのだからな」
「コーディネイターは、滅ぼさざるべからず」という台詞自体は、これまでうんざりするほど耳にしたことのあるマルキオであったが、それが狂信的な叫びではなく、逆に深い哀しみをたたえた声音で語られたのを聞くのはこれが初めてであった。とはいえ、その台詞が発せられた以上彼は黙っているわけにはいかない。
「なぜですか。コーディネイターといえど同じ人間ではありませんか。彼らに何の咎あって、そこまで憎まれなければならないのでしょう。……その昔、民族浄化などという愚かしいスローガンのもと、どれほどの悲劇が生み出されたか知らぬ師兄でもありますまいに」
「わたしはコーディネイターを憎んだことはないよ。それどころか、彼らには本当にすまないと思っているのだ。……わたしはまだこうして生きているが、そのことも実際申し訳なく思っている。片手片足だけではなく、あのまま全身をずたずたに引き裂かれて当然だったのだ。わたしはそれだけの罪人なのだから」
かつての先輩の言葉はますますマルキオを混乱させた。或いは傷の痛みのせいで錯乱しているのだろうか? だが、それにしては口調はしっかりとし、語尾も明白である。狂気の予兆はまるで感じられなかった。
「一体どういうことでしょう。コーディネイターに何の悪意も持たないにも関わらず、彼らを滅ぼすべきなどとおっしゃるのは」
「彼らに対してどう悪意の持ちようがあろう。彼らがコーディネイターであることに関して、彼ら自身にはなんの責任もないというのに。……問題は彼らがコーディネイターであることそれ自体。いや、ただ単に、彼らに生殖能力が著しく欠けていること、その点にあるのだよ」
マルキオにも、旧師の心の奥底に秘められた真意が徐々に伝わり始めた。怪我人は話を続けた。
「コーディネイター。優れた頭脳と強健な肉体と洗練された容姿。来るべき未来における、進歩した人類の新しいあり方。……それが真実であったならどれほど良かったことか。もしも、自然にそういう人々がこの世に生まれ出たのであったなら、わたしは心からそれを寿ぎ、新しい人類に栄えあれと願ったことであろう。たとえ、わたし自身が旧き人類として滅ぶべき運命に立たされたとしても。
だが、実際にはそうではなかった。遺伝子の改変は、優秀な能力の代償として彼らから生命力を奪ってしまった。コーディネイターの出生率は代を重ねるごとに低下を続けている。第三世代のそれなどは、もはや目を覆うばかりだ」
「しかし……、しかし。たとえコーディネイターに未来がないとしても、なぜ今生きている人々まで滅ぼす必要があるのです? 今は二つに分かれた人類は、やがてまた一つに溶け合うでしょう。それでよいではありませんか」
「溶け合う……、まさにそれが問題なのだよ。生命力を失ったコーディネイターが、ナチュラルに溶け込んだ時、一体そこに何が起こるか。バートランド・ラッセルではないが、能力もなく生命力もない子孫が大量に生まれるかもしれない。そんなことになれば、人類の未来は甚大な影響を受けないではいられないだろう。
例えるならコップに入ったミネラルウォーターと、庭にある池の水のようなものだ。別々になっている限りミネラルウォーターを飲もうがどうしようが容易なこと。しかしいったんそれを池に注いでしまえば、もはや分離することは不可能だ」
マルキオは、思わず首を左右に振りながら、激しく反論した。
「しかし、それなら両者を離しておけばそれでよい筈ではないですか。コップごとミネラルウォーターを打ち砕く必要が、一体どこにあるのです」
「水ならば確かにそのとおりだろう。だが彼らはミネラルウォーターではない。人間なのだ。このままでは自分自身の子孫を残すことができないと知ったとき、人間は果たして従容とその運命を受け入れるだろうか。答えは否だ。コーディネイターとナチュラルとの間なら、今のところ出生率に異常な数値は出ていない。何もせずにいれば世の中は、必ずその方向に進んでいくだろう。人間というのはそうしたものだ。そうでなければ、そもそもコーディネイターが出現したはずもないのだから」
旧師の論理の正しさは、マルキオも認めないわけにはいかなかった。だがしかし、そこから導き出される結論に首肯することは、絶対にできない。
「しかし、だからといって、彼らを殲滅しようというのはあまりにも乱暴ではないですか。生まれた者には生きる権利があるはずです」
「それについては申し訳なく思う。だが人間はこれまでも幾度となく自然に逆らい、そのたびに痛烈なしっぺ返しを受けてきた。今回だけが例外になるとは、わたしにはどうしても思えないのだ」
「それならば、全ての人類がその咎を負うべきでしょう。なぜ、コーディネイターだけが犠牲の羊にならねばならないのです?」
「ナチュラルの大半は、先祖にコーディネイターを生ませた者がない人々だ。責任がない人々に、結果だけ負わせることになるという意味では違いはない。……実際のところ、コーディネイターがナチュラルに再び溶け込んだ時、必ず悪影響が出るかどうかは誰にもわからないことだ。或いは、ほとんど心配する必要もないほどに確率の低い話なのかもしれない。だが、それによって左右されるのが全人類の未来である以上、どんな小さい可能性であっても、わたしは無視するわけにはいかないのだよ」
見舞いを兼ねた会見は終わった。病棟の個室を辞し、玄関まで手を引かれて案内される。病院へ迎えに来ていた車に乗り込みながら、マルキオは師兄と交わした先ほどの話を心の中で反芻した。
……多数を救うために少数の圧殺もやむなし、という彼の意見に同調することは絶対にできない。人類はこれまでも、その論法によって数え切れないほどの悲劇を繰り返してきたのだから。しかし、自然の営みに手を出して、人間がその都度手痛い目に遭ってきたのもまた、否定しようのない歴史上の事実なのだ。
全人類の未来、という観点からするならば、マルキオではなくBLUE COSMOSの方こそが、正しい、といって語弊があるなら、より被害の少ない選択であるのかもしれないのである。真実など、いったい誰にわかるだろう。
マルキオは頭を振り、肺腑を空にしそうなほどに深く重い溜息をついた。尊敬していた先達が、狂信者に堕したわけでも、軍産複合体に魂を売り渡したわけでもなく、昔のままの人柄であったことを確かめた喜びはとっくに消え去っていた。むしろ同じように人類の未来を慮るが故に、あまりにも深く越え難い溝が生じてしまったのだという現実に、どうしようもない絶望感が頭をもたげかけていた。前に運転手が座っていなければ、顔を両手で覆って泣き出したい気分だった。
……マルキオが、“Superior Evolutionary Element Destend−Factor”という、ヒトの認識力に対する新たな概念を自らの思想に取り入れ、遺伝子を幾らいじったところでヒトはヒトでしかありえない、人間はむしろ、精神の革新をこそ目指さねばならないと唱えて、ナチュラル、コーディネイターを問わず多くの人々からの支持と尊敬を集めるようになる、およそ一年前のことである。
◆ ◆
「アスランはどうした? 姿が見えないようだが」
居間に座って書類を読んでいたパトリックは、ふと顔を上げると妻にそう尋ねた。台所のテーブルにスタンドアローンを置き、『六分の一G下における効率的な散水及び施肥の方法について』という論文を書いていたレノアは、キーボードを忙しなく叩きながら答えた。
「あの子ならお友達の家よ。ほら、この間会ったヤマトさんの息子さん。仲良くなって、最近ではいつも一緒みたいね。いいことだわ。あの子、どうも友達を作るのが下手なところがあるから」
「ふむ、そうだな」
パトリックもうなずいた。彼には「人間が正しくあるには、恐い存在が必要である」という持論があり、厳父慈母こそが、子どもにとっての両親の理想像であると考えていた。そのため、レノアが彼らの息子に愛情をたっぷりと注いでいる分、自らは厳格な父親として振る舞うよう心がけていたのである。結果として息子は自分には距離を感じている節があるが、これはやむを得ない。淋しさを感じないわけではないが、息子の将来に比べればささやかな犠牲だ。
そんな彼だから、息子の性向が最近少しばかり気になっていた。コーディネイターの子供らしく、わずか五歳にして早くも色々な方面に天稟を現し始めている彼だが、同時に人見知りが激しく、容易に人の輪の中に入っていけない傾向が見受けられる。畢竟、一人で本を読んだり、黙々と機械いじりに熱中したりする時間が多くなり、それはそれで、若い両親の心配の種になっていたのであった。
まあしかし、この分なら大丈夫だろう。パトリックはそう思った。一人息子を得てから後、彼ら夫婦は子どもに恵まれていない。二人とも多忙だから仕方がない、今まではそう思っていた彼だが、アスランのためには弟か妹が必要なのではないかと考え始めたとき、妻に再度の懐妊の兆候が全くないことが、かつての、父親の不吉な予言を思い起こさせるようになっていたのである。
しかし、漸くその心配も無用のものとなりそうであった。宇宙はいまだ開拓が緒についたばかりであって人口爆発を受け入れるほどの余地はない。ちゃんと育ちさえすれば、子供は一人で十分ではないか。生まれないのではない。必要がないから作らないだけなのだ。
「ねえ、あなた。お願い、コーヒー淹れてくださらない?」
しばらく物思いに耽っていたパトリックだが、妻の疲れた声に、書類を置いて立ち上がった。論文が一段落したらしく、レノアは腕を頭の後ろで組んで大きく伸びをし、首をくりくりと回している。その細い肩から、コキンと骨の鳴る音がした。
湯気の立つコーヒーカップを手にしたパトリックは、レノアの前にそれを置くと黙って彼女の背後に回り、その肩を揉み始めた。……息子を含め、外での彼を知る者が見たら我が目を疑ったことだろうが、これが彼ら夫婦の、二人だけの時の普通の姿なのだった。
◆ ◆
地球諸国との緊張が日を追って高まるにつれ、PLANT指導部においては、防衛戦略に関する深刻な対立が発生することになった。それはつまり、国防線をどこに引くかという問題である。ある人々は、PLANTの諸宇宙都市を包摂する形で球状の領宙を設定し、専らその防衛に努めれば良いと主張した。別な人々は、PLANTは「言うなれば、地球大陸に近接する孤立した島国である」とし、歴史上、海洋国家の多くが取った戦略に習うべきだと唱えた。彼らは「英国の国防線は、英国の海岸でもなければ海峡の真ん中でもない。それは大陸側の港の背中にある」(フランシス・ドレーク。16世紀の英国の提督)という言葉を、自らの論拠として好んで取り上げた。そして、かつて海洋国家がしばしばそうしたように、PLANTがもしその生存を確実にしたければ、地球という「大陸」に確実な橋頭堡を保持する必要があると頑強に主張した。彼らは、「英国は、大陸に政策上の足枷となる不動産を持つべきではない」(リデル・ハート。20世紀の英国の軍事学者)という言葉を支持する人々との間に、幾度となく論争を繰り広げた。この争いは結局、一方が他方を論破することがないままに、「血のヴァレンタイン」の後、“オペレーション・ウロボロス”の発動によって一応の決着を見ることになるまで、延々と続けられることになった。
しかし、ここで新たなる問題が発生した。“オペレーション・ウロボロス”は、地球における宇宙港をすべてZAFTが制圧することを目指すものである。核による飽和攻撃という悪夢から、PLANTを護るために必要不可欠とされたそれは、翻って地球側から見た場合、宇宙への足がかりを奪われ、地上へ閉じこめられることを意味していた。更に言えば、エネルギーや鉱物資源の多くを宇宙に依存するようになっていた当時の地球諸国にとって、それは首根っこをZAFTに掴まれ、その支配下におかれることに他ならなかったのである。地球諸国が、これを断じて受け入れられないと考えたのもその意味では無理からぬことだった。その結果、PLANTにとっては、安全を希求するが故に実施された作戦が戦争自体の長期化を招き、かえってその安全が揺らぐという、皮肉な状況をもたらすことになっていくのである。
◆ ◆
『人は、神が作りたもうたものである。
コーディネイターは、科学者が作ったものである。
つまり、コーディネイターは人ではない。
人でないものに、人権は存在しない!』
TVの画面の中では、BLUE COSMOSの幹部とおぼしき誰かが、大勢の聴衆を前にして右手を振り上げながらアジっていた。人々もまたプラカードや幟を振り立て、大きな歓声を上げてそれに応えている。ハルマは、うんざりした顔でチャンネルを切り替えたが、あいにくその時間には彼の興味を引く番組は流れていなかった。しばらくリモコンの操作を続けた後、ようやく彼は諦めてTVの電源を切り、今度は妻の姿を目で追った。カリダは、丁度キッチンでお茶の用意をしているところだった。
「やれやれ、どうも年々ひどくなってくる感じだな。いったい、どうしてそこまでヒステリックにならないといけないのか。正直理解に苦しむよ」
カリダは、上を向いてぼやいている良人の前にことりとティーカップを置くと、その中に香りの良い紅茶を注ぎながら答えた。
「ほんとうにね。月はまだ平穏だからいいけれど、地球はだんだん騒がしくなっているみたい。どうして、みんなで仲良く暮らすことができないのかしら」
「まったくだ。……ほう、これはダージリンだね。うん、いい香りだ」
「そうね。でもはずれ、セイロンよ」
くすりとカリダが笑った。ハルマも、つられて笑い出しながら
「時に、キラはまだ学校から帰って来てないのかい」
「まだよ。お友達と一緒に遊びに行ってるんじゃないかしら」
カリダは、黒い髪と緑色の瞳を持つ少年の姿を思い浮かべながら答えた。息子のキラは優しい性格で誰とでもすぐ打ち解けるが、彼とはとりわけ仲が良く、昔からいつも一緒に行動している。
ふむ、と頷きながらハルマは再び紅茶を啜った。
「それはそうと、ねえあなた、この間のお話、考えてくださった?」
「PLANT移住の件かい? ……うーん、君がそう言うのもわからないではないんだが。
どうかなあ、それは」
首を傾げて唸るハルマ。カリダは黙って、良人がその先を続けるのを待つ。
「わたし個人としては、別に異論があるわけじゃないんだ。ただ……、キラがね。あの子には、できればナチュラルとコーディネイターの架け橋になって欲しい。多少は親馬鹿もあるかもしれないが、あの子は気立ての良い、本当にいい子に育っているからね。
そのためにはナチュラルかコーディネイター、どちらかしかいないところではなく、両者がともに、平穏に暮らしている場所で成長していくのがいいんじゃないか。そう思うんだよ」
良人が語ること、それは無論カリダが望んでいることでもあったから、彼女はそれ以上何も言うことができなかった。少しだけ重くなった場の空気 ――ヤマト家では滅多にないことだったので―― を変えようと、ハルマは急に冗談めかした口調で、
「それに、ここだけの話だけどね。一緒に行くとなると、ちょっとねえ。いや、ザラ夫人はいいんだけど、御亭主の方が。……実を言えば、少しだけ苦手でね」
良人の意を察して、カリダは表情を緩め、微笑んだ。
「あなたが、人のことをそんな風におっしゃるのはめずらしいわね。まあ、気持ちは分からないでもないけど」
カリダはそう言って自分も紅茶を飲み、自らの言葉に頷きながら、
「でもね、レノアがそばにいるから大丈夫よ。確かにザラさんにはちょっとだけ、頭が良すぎて周りのことが見えなくなる傾向があるような感じだけど。
レノアがブレーキ役を果たしてくれるわ。あのご夫婦は、そういう組み合わせなんだから」
◆ ◆
ハイテク工業のインフラ建設が軌道に乗った後、PLANTはさらにその力を強め、C.E.60年代の後半には明らかに強力な「国家」となった。その理由の一つとして、モビルスーツ(MS)の発達とともに、宇宙における大西洋連邦宇宙艦隊の優越が終了したことがあげられる。MSとは、戦闘機並みの機動力、戦艦並みの火力、戦車並みの防御力を併せ有するものであり、当然ながらそれまでのあらゆる兵器より格段に大きな戦闘力を持つものであった。更にNジャマーによる戦場の有視界化によって、MSは進撃してくる敵艦に肉薄し、その装甲を撃ち抜くことができるようになったのであり、それらによって宇宙戦艦がそれまで誇っていた無敵性が失われたのである。
C.E.70年、「血のヴァレンタイン」の後立て続けに発生した、グリマルディ会戦及び要塞衛星“新星”攻防戦において、兵力の少ないZAFTが地球連合宇宙軍を破り、地球系における航宙優勢の大部分を手中にするのに成功したのは、彼らがそれまでの常識にとらわれることなく、航宙艦の配備を抑えてまでMSを大量に建造し、これを一気に戦線に投入したからである。それは、宇宙において戦艦が王座にある時代の終わりを告げるものであった。
ところで、見易いことだが、MSは高度な工業製品だったので製造には技術が必要であったが、運用するのは基本的にパイロットと少数の整備員で足りた。それは、例えばオーブ連合首長国のように、技術水準は高いが人口は小さく、専門的に軍事に携わる者も少ない国の軍事的立場を強めるものであった。このことが、大西洋連邦、PLANT双方の注意を引き、皮肉にも前者の介入を招くきっかけとなった。
◆ ◆
「我らは忘れない。あの“血のヴァレンタイン”、ユニウス7の悲劇を。……二十四万三千七百二十一名。それだけの同胞を失ったあの忌まわしい事件から一年。それでも我々は、最低限の要求で戦争を早期に終結すべく心を砕いてきました。だがナチュラルは、その努力をことごとく無にしてきたのです。
……我々は我々を守るために戦う。戦わねば守れないなら、戦うしかないのです!」
会議は、PLANT最高評議会議長、シーゲル・クラインにとって何の実りもなく、かえって自らの影響力の失墜を確認するだけの結果に終わった。ザラ国防委員長に率いられる強硬派の勢いは日に日に力を増しており、彼らが現政権に取って代わるのも、もはや時間の問題と思われた。
それが国民の選択というのなら是非もない。そう思おうとしつつ、しかしクラインが単純に割り切ることができないでいるのは、ザラをはじめとする一連の強硬派たちに対して感じる危うさを、どうしても拭いきれずにいたからである。
私怨を公憤と取り違えてはいけない。
自派の評議員たちに取り巻かれて議場を去るザラの後ろ姿に、クラインはそう呼びかけたかったが、しかしそれを口にすることはできなかった。たとえ、彼がそう言ったところで、それはザラの態度をより頑ななものにするだけであろう。また、実際に家族を戦火で失った者にしてみれば、同じ境遇にあるわけでもない彼が何を言ったところで、所詮綺麗事としか思えまい。どれほど言葉巧みに弁舌を操ったところで、たった一つの事実が持つ説得力に及びはしないのだ。
クラインは、自らの無力さを苦い思いで噛みしめながら、その場に立ち尽くすしかなかった。いかに豊かな生得の才を誇ろうとも、コーディネイターもまた、所詮は有限なヒトという存在であった。
◆ ◆
誰かが、彼を起こそうとしている。
地球軍との最後の決戦に備えた激務につぐ激務でたまった疲労が限界を超えたためだろうか、議長室に独り座って報告を待っている間、ついうとうととしてしまったパトリックは、はっきりしない意識をなんとか取り戻そうと自らを叱咤しながら、うっすらと目を開けた。
そこには、黒い髪と緑の瞳を持つ美しい女性が、ひっそりと幻のように立っていた。
「……レノア、君なのか。なぜこんなところに? いやそうじゃない。まさか生きていたなんて。レノア」
思わず手を伸ばし、妻を抱きかかえようとするパトリック。だが、すぐ目の前に立っているはずなのに、どうしてもその手は彼女に触れることができなかった。レノアもまた彼に向かって両手を差し出し、必死に何ごとかを訴えかけているように見える。しかし、パトリックの耳もまた、どうしてもその声をとらえることができない。
「レノア、一体どうしたんだ。何が言いたい? 言ってくれ、俺は」
「……長。議長。ザラ議長」
「う……、む……?」
夢を見ていたのだろうか。
ふと気がつくと、執務卓の前に側近の若い将校が居心地の悪そうな顔をして立っていた。
「お起こししてすみません。……その、御子息が。先ほど、アプリリウス1に到着したと。港から連絡がありましたので」
「わかった。構わん、早急にここへ連れてくるよう伝えてくれ」
やはり夢だったのだ。わずかに肩を落とし、そそくさと部屋を出て行く側近の背中を見送りながら、パトリックはずっと昔のことを思い出した。まだ学生だった頃の自分。レノアが毎日のように彼を起こしにきてくれた朝。
あの頃は、なんと世界が光り輝き、彩りと歓びに満ちあふれていたことだろう。だが、彼女が永遠に失われてしまった今、彼の目に映る世界はほとんど全ての色を失ってしまった。残されているのは、鋼の鈍色、そして血の赤だけだ。
それも仕方がない。パトリックは拳を握り締めながら思った。彼は立ち止まってはならないのだ。彼女を奪った輩に対して鉄槌を下すまで。彼のように、失ってはならぬものを奪われる者が、もう二度と生まれることがないように。運命が与えた杯がどれほど苦いものだろうと、彼はそれを飲み干さねばならない。それが生きるということであるのなら。
(PHASE−41に続く)
(後書き)
好! 李章正です。
初めてガンダムを書いてみました。ファーストや、現在放映中のそれではなく、SEEDものですが。
毀誉褒貶の多かった作品ですが、SSを書く側から見れば、穴があるのはそれだけ書くネタが多いことを意味しますから結構ありがたくもあります(笑)。
方針としては、あくまでTV本編の補完を目指し、設定についてはわかる限りオフィシャルに準拠するよう心がけました。
残念だったのはムルタ・アズラエルです。李は当初「彼はああ見えて実はおよそ百歳であり、若僧なのは見かけに過ぎない。遺伝子改変の研究初期、財力にものを言わせて不老長命化処置(メトセライズ)を受けたが、ジョージ・グレンによってコーディネイター技術が公開された結果、年をとらなくなっただけで何の優秀性も持たない陳腐な存在と化してしまい、故にコーディネイターを殊更に憎むようになった」というような裏話を考えていたのですが、オフィシャルで30代半ば、コーディネイター嫌いも子供の頃に受けた屈辱感のためというようなことがわかってしまったので、断念せざるを得ませんでした。
カガリ・ユラ・アスハについては、こんなことだったんじゃないかなあと。単なる姫君として扱うのなら、血縁のない養女とかでも問題はないでしょうが、十八歳のはっきり言えば小娘が、首長家の家長のみならず国家元首に推されるというのは、血統カリスマが存在した故と考えるのが自然ですからね。ただその場合、オフィシャルでは、カガリ(及びキラ)の実父はユーレン・ヒビキだったようなので。じゃあ、母系で繋がってたと考えればいいや、と。
一方、ヒビキは研究資金に困っていたという描写もありましたから、妻の実家(金満国家オーブ)の援助を受けられない状態だったはず。
これらの条件を満たすには? そうか、駆け落ちだ、と(笑)。
あと、ブルーコスモスについても、単なるテロリスト扱いじゃつまらないなと。そもそも「正義対正義」の戦いを描くのが、ガンダムのガンダムたる所以じゃなかったかと思うので(今放映中のものは、なんとなく脱線しかけているような気がしますが)。その結果、単なる嫉妬とかではない、コーディネイターを滅ぼすための理由をでっち上げねばなりませんでした。
或いは、「迫害にはコーディネイターにも半分責任がある。有能な人間には往々にして棘があるもので、そのために無用の摩擦が絶えなかったから。遺伝子改変は知力、能力、体力の向上が可能だっただけで、人格のそれができなかったことが、そもそもの原因だった」というようなネタも考えはしたんですが、あまりに殺伐とした話になりそうなんでやめました(笑)。
いろんな視点から書いてみた話ですので、我ながらまとまりに欠ける気もしますが、お楽しみいただければ幸いです。
それではまた。
代理人の感想
一瞬「これはどこのギャルゲーだ」と思いましたよ(爆)。
それはともかく、確かに全体を通してみるとパトリックの一代記なのか
同時代を生きた人々の群像劇なのか、やや中途半端な点は否めませんね。
まぁ、ネタを楽しむSSなんであまり気になりませんが、それより問題だったのは
「サイーブ・アシュマンって誰?」ってことですな(爆)。
砂漠でレジスタンスの親分やってたおっさんの名前なんていちいち覚えてられませんや(笑)。
後カガリですけど、養女にもかかわらず血縁があるということだったら、どー考えても素性はバレバレってことじゃないですか?(爆)
まぁ「妹の卵子を使って生み出した子供」とかなんとか言いくるめようはあるでしょうが
その場合「過去と無縁に」って訳にはいかないだろうしなぁ。