PHASE−10『自分』



 ブリッジに入ったトールとミリアリアは目を丸くした。普段は張り詰めた空気が充満しているブリッジに歓喜の声が溢れているのだ。

 トールとミリアリアは自分の持ち場に着き、ミリアリアが隣のサイに尋ねると、サイは誰よりも笑顔で数分前の出来事を興奮しながら話した。

「第八艦隊の先遣隊と通信が繋がったんだよ。後二時間くらいで合流できるってさ。そしたら、先遣隊と一緒に本隊と合流して、だから、俺ら助かるんだよ!」

 興奮しているせいかサイの声はいつもの冷静さを欠き、所々で声を詰まらせた。第八艦隊や先遣隊などミリアリアには何のことか良く分からなかったが、助かるという言葉だけで十分事足りた。同じように事の次第を聞いたトールと顔を合わせ、皆に遅れて喜びを露にする。

 サイは興奮を抑えきれずに立ち上がり、そのままブリッジを出て行こうとする。何処へ行くの、とミリアリアが問うとサイの笑顔がより一層輝いた。

「フレイのところさ。先遣隊にはフレイのお父さんも乗っているんだ。知らせてあげなくちゃ」

 本来無断でブリッジを出ることは許されていないが、丁度サイは交代の休み時間であったので咎められることはない。それでなくとも、あのナタルさえ安堵の表情でサイのことなど気にもしていない。

 トールは喜びを噛み締めながら、早くカズイに知らせてあげたいと思った。友達うちでは一番度胸がなく、戦闘に向かない。早くこの状況から抜け出したいとカズイは心底思っている。そうトールは考えたのだ。それでも今さっき休み時間を終えたトールがブリッジを出ることは許されず、トールは他の誰かが伝えてくれるのを願った。

 トールの願いは届いたが、カズイは喜びを感じる暇がなかった。

 MSデッキに程近い整備員の休憩室でカズイは絵を描いている。マークに半ば攫われるように連れてこられたカズイはマークの願い通りの絵を描くのに集中している。目の前の机の上には同じ動物ではあるが、様々な形の絵が描かれた紙が散らばっている。絵の能力に関して言えば、キラ以上なのは間違いない。

 願い出たマークはあまりにもカズイが真剣に描いているので介入する余地がなく、MSデッキをうろうろしていた。そんなところに吉報を抱いたニキが現れ、マークに近づくと微笑みと一緒に吉報を渡す。

「第八艦隊の先遣隊と通信が取れたようです」

「ハルバートン閣下が近くに来ているのか?」

 マークは渋めの表情を一転明るくして反射的に尊敬する人物の名前を挙げた。ニキも微笑みを増しながら頷く。

 マークが口にした人物、ドゥエイン・ハルバートンは連合軍准将、第八艦隊司令官にして智将と謳われる有能な人物であった。このハルバートンが伝説のMSガンダムの復活を提案し、現にXシリーズを開発させた男である。

 マークもニキも養成所に居たころにパイロット候補生を労うために訪れたハルバートンを見ていた。さらに成績優秀であった二人は直接会話をしたこともあり、また彼の智将と呼ばれる所以も知っていた。それ故に二人はハルバートンを高く評価し、尊敬していた。

 その人物がアークエンジェルの迎えに月の基地から出て来たということは、二人にとって大きな励ましとなる。今まで戦ってきたことがそれだけで意味を成した気さえ、二人はしていた。

「確か艦長たちは第八艦隊所属だったな。きっと、閣下も艦長たちも喜んでいるだろう」

 満足そうに何度も頷く。ニキも今ばかりは冷たい表情が出せないようで、自然と微笑みが浮かび続けている。

「おっと、このことをカズイにも伝えてやらないとな。一番嬉しいのはきっと、あいつらだろうしな」

 そう言ってマークはニキに別れを告げるとカズイが絵を描いている質素な休憩室に戻った。机の上に散らばる紙の量が一目見て増えているのが分かる。

 マークが入室したことにも気付かないようで、カズイはひたすらペンを動かしている。近寄りがたい雰囲気が全身から溢れ出ていたが、マークはカズイの肩を軽く叩いた。

 思いもよらずに触れられてカズイは体をびくっと震わせ、勢い良く振り向いた。額には幾つも輝かしい汗が浮かんでいる。

「作業中悪いな。いい知らせだ。お前たちはもうすぐ、戦いから解放されるぞ」

「……えっ、本当ですか?」

「ああ、本当だ」

 マークの笑顔を見て、カズイも笑顔を見せた。だがマークが予想していたような大喜びはなく、小さくやった、やったと繰り返すだけに終った。そしてまた絵を描くのに没頭する。

 自分で頼んでおいたことながらマークは呆れてしまった。ここまで本気にならなくてもな、と胸の中で呟いて幾つかの紙を取って眺めてみた。どの紙にも描かれているのは真っ赤な瞳をした黒くて細い体をした動物、黒い豹である。

 紙には真正面を向いた顔だけのものや、疾走している姿のもの、岩に前脚をついて上を見上げている様など色々ある。中には同じ姿のものもたくさんあるが、気に入らないらしくて捨てられていた。

 何枚か見たあと紙を机の上に戻し、今描いている最中のものを上から覗き見た。

「これいいな」

 思わず感想が零れる。今描かれているのは全体的に前を向いていて、赤い両眼でこちらを見つめている絵だ。今にも飛び掛ってきそうな迫力がある。

 しげしげと眺めているうちにマークはこの絵を気に入り、カズイにこれにしてくれと頼む。

「分かりました。でも、もう少し、上手く描けると思うので待っていてください」

 えらく真面目な表情で言われてマークはなぜか丁寧に「はい、よろしくお願いします」と答えた。普段の彼を見ている限り、目の前の彼は別人のようにマークの瞳に映ったが、マークは気にしないことにした。

 敵が来なければやることのないマークはカズイと対面になる席に座って天井を見上げていた。暇つぶし兼訓練としてキラとシミュレーターでもするかな、と思っていたところにカズイの声がかかった。

「ギルダー中尉は、あのラクスっていう女の子、どう思いますか?」

 それは随分唐突な質問であった。だが答えない理由はないし、暇つぶしになるなとマークは天井を見上げたまま答える。

「別に普通の女の子のように見えたがな。それが、どうかしたのか?」

 これも何気ない質問であった。特に意味はなかったが、カズイにとっては十分な意味があった。進んでいた手を止めて顔を上げると、マークに食堂での一件を話した。

 カズイの話を聞き終わるとマークの表情が変わる。嫌悪感を含んでいるようでもあり、納得できるが認めたくない、といった感じでもある。

「確かにあのラクスって子はコーディネイターだ。だからってイコール強いってのはどうかと思うぜ。フレイって子の気持ちも分からなくはないがな」

「そうですよね。でも、女の子だからって弱いってわけでもないですよね……」

「そりゃぁ……な。そもそもお前たちはヘリオポリスにいたんだろ? あそこはオーブのコロニーだから、普通にコーディネイターもいたんじゃないのか?」

「いますよ、キラみたいに。でも、見ただけじゃコーディネイターかどうか分からないし、実際に知っているコーディネイターはキラくらいなんです」

「なるほど。それにしてもフレイって子はブルーコスモスかよ。幾らなんでも軽蔑し過ぎだと思うがね」

 カズイはブルーコスモスかよという台詞に苦笑した。彼自身、以前フレイのことを「ブルーコスモス?」と思ったことがあるのだ。ブルーコスモスとは簡単に言えばコーディネイターを排除しようと言う組織であり、<蒼き清浄なる世界のために>というフレーズを掲げている。フレイのコーディネイター嫌いは激しいものがあるが、彼女はブルーコスモスではない。それをカズイは知っていても思ってしまったのだ。

 これ以上会話が続かなくなって、カズイは作業に戻った。食堂の一件を聞いたマークはキラの心情を心配した。ここまで来る間にも随分キラは辛い思いをしている。それに加えて、目の前で同胞とも言うべき女の子を蔑まれてはいい気はしないだろう。自分もまた、アークエンジェル唯一のコーディネイターであるのだから。

 何か嫌な予感を感じ、マークはキラに会うことを決めて休憩室から出て行く。その後ろ姿をカズイは見送り、また作業に戻る。

 サイは気持ちを抑えきれずに重力制御が行われている区間を走り出した。民間人が住まっている区間であり、本来なら乗艦員の寝床になるはずの区間だ。なるべく住みやすいようにこの区間はきちんと重力がかかっている。

 フレイが寝泊りしている部屋まで走り終えたころには息が上がっていた。それでも笑顔を崩さずに扉を開ける。フレイは二段ベッドの下の方に座って、退屈そうな顔で足を投げ出していた。

「フレイッ! いい知らせがあるんだ」

 息を切らしながらも笑顔を浮かべているサイにフレイは驚いた。しかしそれも数秒のことで恋人が言い知らせを持ってきたと理解すると立ち上がって、サイの瞳を覗き込むように体を前に出す。

「なに、なに、どうしたの?」

「もうすぐ、フレイのお父さんが乗った艦と合流できるんだ。そしたら、そのまま本隊と合流して、俺ら助かるんだよ!」

 フレイはこの船に乗って初めての本当の喜びを感じた。歓声を上げ、サイの体に抱きつく。

「ほんとにパパが来てくれているの?」

「ああ、本当だよ」

「やったっ、やったっ!」

 欲しかった玩具を与えられた子供のようにフレイは無邪気にはしゃいだ。サイとフレイは若さ満点で抱き合いながらその場でくるくる回った。サイも、フレイも、今までにないくらい笑顔を見せ合っている。

 回転が止まるとフレイは喜び余ってサイの唇に自分の唇を押し付けた。突然の攻撃にサイは大きく仰け反って、そのまま倒される。友達連中、特にキラが見たら卒倒したかもしれない光景だ。

「これでやっと安全なところに行けるのね。そしたら、買い物とか、映画とか、一緒に行きましょうね!」

「あ、ああ、行こう」

 サイは頬をこれでもかと真っ赤にしている。まるで熟れ過ぎた林檎のような赤さだ。フレイはあまり気にしている様子はなく、立ち上がると気持ちを抑えきれずに軽く踊っている。

 体温が上昇したサイは全体的に赤くなりながら、顔をどうにか改めてフレイの肩を掴んだ。

「喜ぶのはいいけどさ、その前にやることがあるだろ? キラに、あの女の子に謝るんだ、な?」

 フレイの喜びはこの一言で吹っ飛んでしまったように見える。溢れるばかりの笑顔はさっと引き、冷たい表情が浮かんでくる。

「なんで私があの子に謝らなくちゃいけないのよ。キラには、謝るけど……」

「分かった、分かった。あの子には俺が謝っておく。だからフレイはアルテミスでのことと、さっきのこと、ちゃんと謝るんだぞ?」

 サイがフレイの頭を撫でてやるとフレイは顔を明るくし、元気よく「うんっ」と頷いて部屋を出て行った。早速キラに会いにいったのだろう。

 フレイが出て行ってからしばらくサイはその場で惚けていた。フレイとは恋人といっても親が決めたようなもので、たいした交際はしていなかった。もちろん、サイはそれまで他の女の子と付き合ったことはあるが、キスまでしたことはなかった。

 ほんの少し前のことが頭に蘇り、サイの顔は赤味を取り戻す。

「いけない、いけない。俺も謝りにいかなくっちゃ」

 両の頬を強く叩き、気持ちを入れ替えるとサイはラクスの部屋に向かって行った。その足取りはとても軽い。


 キラはラクスの部屋の前にいた。手には水が入ったコップがある。部屋に連れて行くとき食事は運んだが、水が無かったことを思い出し、持ってきていた。だが、キラは中々扉を開けようとしない。

 理由は簡単だ。部屋の中から聞こえてくるラクスの歌声に聞き入っているのだ。扉を開けて中に入りたいが、このまま歌を聴いていたい。中に入ったら歌が止まってしまうだろう。そんな考えがキラの足を止めていた。

 そうは言ってもずっと立っているわけにはいかない。誰かに見られたら間違いなく怪しまれる。キラは勇気を振り絞って扉を開き――本来ならロックがかかっているはずなのだが、今はなぜかかかっていなかった――右足を踏み出した。

 ラクスはベッドの端っこに座って両手の上にハロを乗せて歌っていた。キラが扉のところに突っ立って居るのを見て、歌をやめ、微笑みを見せた。キラは頬を赤く染め、あたふたしながらコップを質素な机の上に置く。

「どうなされましたの?」

「あ、あの、さっき水を持ってくるのを忘れていたので、その、持ってきました」

 中々はっきりしないキラの声にもラクスは微笑みをもって返す。これがキラの心を射抜く。

「ありがとうございます。実は、咽喉が渇いておりましたの」

 丁寧なお礼の言葉にキラの全身が熱くなる。キラはこんな思いはフレイを初めて見た時以来だ、と心に思う。それが先ほどの嫌な出来事まで思い出し、彼の表情に陰を落とす。

 すらりと立ち上がったラクスはハロを手放してコップを手にしながら、途端に暗くなったキラを見て心配そうに声色を変える。

「どうかなさいました?」

 覗き込むように自分を見るラクスにキラははっとなった。自分のせいではないのに、悪い事をした気分になって謝ろうと考える。頭が指示しているはずなのに、キラの口からは言葉が出ない。

 その間にラクスは静かに水を飲んで咽喉を潤す。手放されたハロはラクスとキラの間を飛び跳ねてしきりに『オマエモナー!』『ラクス!』などと口にしている。

 水を飲み終えるとコップをキラの方に差し出す――これにも極上の微笑みがついてきた。

「ありがとうございました」

「い、いえ」

 ラクスは微笑みを称えたまま再びベッドに座り、今度は少し沈んだ表情を浮かべる。

「ここは退屈ですわ。私は皆さんとお話がしたいだけなのに、ここから出てはいけないなんて」

「仕方無いですよ……ここは、連合の船の中なんですから……」

「それでも貴方は、優しくしてくださるわ」

「そ、それは……」

 悲しみと微笑みが入り混じった表情にキラは気圧された。自分のせいではないのに、やはり、どうしてか悪いことをした気になってしまう。

 数秒口を開けたり閉じたりしてから、呟くように言った。

「僕も、コーディネイターですから……」

 ラクスはキラの言葉に何度か瞬きをした。

――やっぱり、言わない方がよかったかな……。

 キラが思いを胸にするのと同時にラクスはキラの思いを裏切る言葉を告げる。

「それでも、貴方は貴方でしょう? 優しいのは、貴方がコーディネイターだからではなく、貴方だからですよ」

 ラクスの口調はさも当然な感じであるが、キラには衝撃であった。

――僕が、僕であるから……。

 言われてみれば当たり前のことだ。コーディネイターだから優しいとは限らない。同じコーディネイターだからといって優しくする理由もない。

 ラクスの言葉はキラの胸に刺さっていた棘を抜いた。今までキラが悩んでいたことのほとんど総ては<コーディネイタ―>が関係していた。

 自分が好きな相手は極度のコーディネイター嫌い。自分が戦えるのはコーディネイターだから。自分がMSを動かせるのはコーディネイターだから。

 キラにとっては<コーディネイター>とは忌むべき言葉であった。望んでそうなったわけではないのに、自分はそうであり、そうであるから悩む。

 だがラクスの言い分は違った。コーディネイターであることなど、個人が個人であることに関係はない。弱いコーディネイターもいれば、強いナチュラルもいる。所詮はその個人がどういう個人であるかによる。

 キラは心を洗われた気持ちで少し明るい気持ちを取り戻した。

「そう、でうすね。僕が、僕であるから……ですよね」

「ええ、そうですわ」

 ぎこちないながらもキラは笑顔を浮かべた。ラクスもまた、笑顔を浮かべている。

 キラにとって今が久しぶりに感じる至福の時といえた。しばし二人で笑顔を見せ合っていると、二人にとって思いも寄らぬ人物が入って来た。

「失礼します――あっ、キラ。なんでこなんところに」

 キラとラクスの瞳に映ったのはサイ・アーガイルであった。思わずキラも同じような言葉を口にする。

「サイ、なんでここに」

 二人はぽかんと見詰め合っていたが、サイのほうが先に自分を取り戻し、ラクスのほうに寄って行って、頭を下げた。

「さっきのフレイ――その、赤い髪の女の子です――のこと、ごめんなさい。彼女も本当はあんなこと思っていないんですけど、こういう状況で、少し、動転していて……」

 突然現れて急に謝られたラクスは目を丸くして、何度か瞬きを繰り返した。そのうちそれが食堂でのことだと思い当たり、微笑みで返す。

「気にしないでください。仕方のないことですわ……分かっていただけなかったのも」

 そうは言うものの、声色はどこか物寂しげだ。キラもサイもそれに気付いて顔を暗くする。

「貴方も優しい方ですのね。この船には、優しい方がたくさんいるようで、嬉しいですわ」

 お世辞だったのかもしれない。それでもキラとサイの心は多少救われた。これ以上ここにいて誰かに見つかると面倒になりそうなので、二人は軽くお辞儀をして出て行った――もちろん、外れていたロックをかけ直して。

 部屋の外に二人が出ると、部屋の中から再び美しい歌声が聴こえてきた。キラも、そしてサイも聞き惚れる。

「綺麗な声だな。これも、遺伝子弄って作った声なのかな」

 サイの心無い感想に、キラは自分に与えられた言葉を使った。

「違うよ。きっと、彼女が彼女だから……だよ」

 そうだな、とサイはキラに微笑んで見せた。

 もう少しだけ歌に耳を傾けると二人は並んで歩き出した。向かう先は、食堂だ。

「そうだ、キラ。フレイには会った?」

「フレイ? いや、会ってないけど」

 そうか、とサイはそれっきり頬を赤くして黙ってしまった。キラは不思議に思いながら、ラクスの言葉を心の中で繰り返した。

「僕が僕であるから、か……」

「ん、なんか言った?」

 自然と口に出していたらしい。キラは慌てて否定して、サイと同じく頬を火照らせた。

 二人はもう少しで食堂に着こうというところでマークに呼び止められた。

「いたいた、やっと見つけたぜ、キラ」

「「ギルダー中尉」」

 キラとサイの声が被る。マークは頭を掻きながら近づいてきた。

「お前らさ、やっぱりその『ギルダー中尉』っての止めてくれるか? なんか、やっぱりしっくりこないんだよな。マークでいいんだぜ」

「でも、階級がありますから」

 サイの真面目ぶった返答にマークはまた頭を掻いた。

「階級って、お前らは正式な軍人じゃないんだ、気にすんなって。それより、キラ」

 マークはそれだけ言って黙ってしまった。マークは、キラが落ち込んでいるだろうと思って探していたのだが、今のキラは生き生きとしているように見えた。

「今から訓練だ。ついてこい」

「え、あ、はい。じゃぁね、サイ」

「ああ、頑張ってな」

 慰めるつもりだったマークは少し残念に思えたが、そんな思いは振り払って、わざと軍人らしい厳しい声でキラに言った。そして返答をまたずに足早に歩いていく。

 キラはサイと簡単に挨拶を交わしてマークの後を追う。キラは今までマークに一勝もしていなかったが、今日は一勝できるかもしれない思いにかられ、戦意を向上させた。


 本国を後にしたザフトの二隻の戦艦は連合軍の艦を捉えていた。思わぬ遭遇といっていいだろう。今の二隻の任務はラクス嬢の救助であったが、クルーゼは平然とそれを無視した。

 MSのパイロットたちをブリッジに集め、作戦、というには簡単過ぎるものを説明する。

「我々は今、連合軍の艦を三隻捉えている。恐らく、足つきへの補給が目的だろう。そこで、我々は連合軍に攻撃をしかけ、合流を阻止する。上手く行けば、足つきから姿を見せるかもしれん」

 ごく当たり前の説明をほぼ全員がごく当たり前に受け止めた。唯一人、アスランだけが異を唱える。

「しかし隊長、我々の任務はラクス嬢の救助であって……」

「アスラン、我々は軍人だ。目の前で足つきの補給を行わせるわけにはいかんのだよ」

 クルーゼの言い分は最もであり、アスランも引き下がるしかなかった。ろくな階級制度がないとはいえ、隊長と部下の上下関係は絶対である。食いついたとしてもクルーゼが意見を変えることがないのは良く知っていた。

 クルーゼはパイロットたちに自分の機体で待機しているように言い下がらせる。ただアスランだけは自分の機体がなかったのでその場に残された。

「君はミゲルへの土産に乗るといい」

「はっ」

 クルーゼが指すのは愛機を失ったミゲルへの土産としてクルーゼが手に入れた最新といってもいい機体、ジン・ハイマニューバのことである。この機体はジンの高機動タイプであり、攻撃力こそ劣れど、その運動性・機動性はシグーに及ぶものがある。ただ難点なのはまだ試作段階といっていい出来なので本来の性能は発揮できない。それでも手に入れたからには、それなりの性能があったからだ。

 アスランはすぐに返事をしてブリッジを出たがあまり乗り気ではなかった。ハイマニューバが嫌なのではなく、そのカラーリングがミゲル用にオレンジに塗装されているからだ。アスランはあの色合いがあまり好みではなく、渋ったのだ。とはいえ乗ってしまえば見えるわけでもなく、そんなわがままが言えるはずがない。

 アスランが退室した後で、クルーゼは口を歪に曲げながらハーティに通信を入れた。一瞬でモニターにゼノンの濃い顔が映る。お互いいい表情ではなかった。

『連合の艦を叩く、そう言いたいのだろう、クルーゼ?』

 ほとんど無表情のままゼノンはクルーゼの胸のうちを明かした。見透かすことには慣れていても、見透かされることに慣れていないクルーゼは渋る。現状とクルーゼの性格を考えればその行動を予測するのは簡単なことだ、とゼノンは部下に言ったことがある。

「その通りだ。分かっているのなら早い。すぐに仕掛けるが、問題は?」

『ない。各個撃破でいいのだろ?』

「ああ、それでいい」

 ゼノンの年齢以上に渋い声と顔とが消えた。二人のやり取りは簡単なもので、ある意味では友人のような存在かもしれない。クルーゼは他の隊の隊長よりも能力・才能ともに抜きん出ていて、命令口調になる。そして相手はそれを甘んじて受ける。だがゼノンは同じような態度で返してくる。これはある程度知り合っているからだと言えるはずだ。

 もちろん、当人たちが友人になりたいと思っていることはない。敵視しているわけではないが、気に入らないことに変わりはないのだ。だからと言って任務に支障を出すわけではないのだから、周りはとやかく言おうとはしない。

 ヴェサリウスとハーティは並んで連合の艦へ向かって進んだ。連合の艦とアークエンジェルが合流するのが先か、戦いが始まるのが先か、クルーゼとゼノンにはそれが明らかであった。


 アークエンジェルと合流し、とりあえずの補給を施す予定の先遣隊の三隻<モントゴメリ>、<ロー>、<バーナード>はその身に迫る危機に気付かないでいた。

 特にモントゴメリのコープマン艦長は隣の席ではしゃいでいるジョージ・アルスター事務次官の相手をするのに精一杯であった。アークエンジェルに娘が搭乗していると知ると、娘の自慢話を始めた。かれこれ三十分は経っているだろうが、話は一向に終りを迎えない。

 飽きれ返って聞いている振りをしていると、それよりも嫌な情報が耳に入った。

「……! ジャマーです、エリア一帯干渉を受けています!」

「戦艦級の熱源反応二! ナスカ級とローラシア級と思われます!」

「なんだとっ!」

 コープマンの変わりようにジョージは黙らざるを得なかった。そもそもこれから戦闘になろうというのに、娘の自慢話をしている場合ではない。

「さらにMSの熱源反応七! ジン六、不明機一!」

「メビウス全機出撃! ローとバーナードにも伝えろ!」

 数瞬までジョージの声以外聞こえるもののなかったブリッジは途端に慌しくなった。モントゴメリを含めた三隻から多数のメビウスが出撃、敵機に向かっていく。

 コープマンは焦りながらも的確な指示を出す。

「アークエンジェルに打電! ランデブーは中止、アークエンジェルは反転離脱しろと伝えろ!」

「な、何を言っているんだ。ここまで来て、合流しないでどうするんだ」

「アークエンジェルがやられては元も子もないでしょう!」

 事務次官の怯える声を一蹴してコープマンを全身を強張らせた。数ではこちらが上でも性能とパイロットでは相手のほうが遥かに上、ただでは済まないことがそれだけで分かる。

 既にMSとMAの戦闘は開始された。それは幕開けに過ぎず、これからが本格的な戦闘になる。




「艦長、前方で戦闘と思われる反応あり!」

 安心しきっていたマリューの耳に凶報が届く。いや、マリューだけはない、ブリッジクルーの誰もが青ざめた。

 続いてモントゴメリから打電が入る。

「モントゴメリから打電です! ……ランデブーは中止、アークエンジェルは反転離脱せよ、とのことです!」

 コープマンの指示は正しかった。守るはずのアークエンジェルを戦闘に巻き込んでは意味がない。離脱し、戦闘を避けつつ本隊と合流するのが望ましい。

 しかしマリューは同胞がやられるのを見過ごせるほど軍人ではなかった。ナタルからきつく問われ、意を決めて命令を下す。

「今から離脱しても逃げ切れる保証はないわ。それに、仲間を見殺しには出来ない。アークエンジェルは先遣隊の援護に入ります!」

 ナタル以外は誰もがそれで納得したようだ。アークエンジェル艦内に素早く第一戦闘配備がひかれ、戦闘体勢に入る。

 一人ナタルだけは艦長の命令に反対であった。先遣隊が命を張って逃がしてくれるというのに、わざわざこちらから出向くなど、おかしな話だ。それでも反論しなかったのは、ナタルにもまだ甘いところがあるからだった。

「戦闘配備……? どういう、こと……?」

 キラを探して艦内をうろついていたフレイは艦内放送を耳にして体を振るわせた。先遣隊には父親が乗っているのだ、心配するなというほうが無理だろう。

 自分の力ではどうしようもなく、うろうろしていると走ってくるキラが見えた。謝ることなど頭の隅のほうに追いやって、フレイはキラの腕にしがみ付き、涙目で懇願する。

「ねえ、キラ、戦闘配備ってどういうことなの? お父様の船は大丈夫なの?」

「分からない。でも、僕らも行くから、きっと大丈夫だよ」

「ほ、ほんとに? パパを助けてくれるのね? ほんとうよね?」

「うん、約束するよ。だからフレイは心配しないで待っていて。それじゃっ」

 キラはこの時急いでいるあまりに破れない約束を結んでしまった。フレイの泣き顔を見るのが辛くて腕を振り解いてそのままMSデッキに走る。

 キラは急ぎながらフレイとラクスを頭の中で比べていた。どちらも一目惚れした女の子。だが性格は正反対といえよう。自分はどっちが好きなのだろうか。戦闘前だというのにキラは思春期の子供らしいことを考えていた。

 MSデッキに着き、ストライクのコックピットに潜り込むときにはそのことを振り払い、戦闘に意識を集中させる。この辺り、キラは戦士として成長してきているといえるだろう。フラガのゼロ、ニキのガンブラスターは先行したようだ。今マークのハーディガンが弾き出される。

 キラはストライクをカタパルトにセットし、深呼吸をした。その間にエールストライカーが装備される。

『キラ、聞こえるか? 先遣隊にはフレイのお父さんが乗っているんだ、助けてあげてくれ』

 気持ちを落ち着かせているところにサイの声が入って来た。サブモニターに心配げなサイの顔が映っている。

「うん、守ってみせるよ」

『頼んだぞ、キラ!』

「ストライク、キラ・ヤマト、出ます!」

 サイの声に後押しされるように、エールストライクはカタパルトから撃ち出され、戦場に向かった。



 アスランはハイマニューバのコックピットで意識を集中させていた。数で言えば連合のほうが多い。ざっと二倍、三倍くらいはいるだろう。

 一般的にジンとメビウスの戦力比は一対三から一対五と言われている。この場合もセオリーに乗っ取り、連合のメビウスは三機で固まって迫ってきた。

 距離が近づくと三機のメビウスはミサイルをばら撒き三方向に散る。相手がこちらを囲もうとしているのは明白で、アスランは機体の機動性・運動性に物を言わせてミサイル群を突っ切る。

 アスランが思っていた以上にハイマニューバは性能が良く、一発も当たることなくミサイル群を抜けると、そのまま加速して一機のメビウスに突撃する。限りなく接近されるとメビウスの図体と動きではMSの攻撃を避けることは叶わない。呆気なくすれ違い様にハイマニューバの銃剣によって両断された。

 一機のメビウスが四散すると、残った二機が背後に回りこむように移動する。それを見切ったアスランは機体を反転させ、ろくに狙いもせずに機銃を撃ち放つ。撃ち出された銃弾は狙いが定まっていたかのように正確に二機のメビウスを貫く、破壊した。
 
 あっという間に三機のメビウスを破壊するとアスランは次の標的を探した。戦場となった宙域のあちらこちらで爆発が起こっている。その総てがメビウスであろう。先ほどまでわらわらといたメビウスは急激にその数を減らしている。

 それでも連合軍の粘りは賞賛の域に値した。出来る限り三機以上で編隊を組み、攻撃を仕掛けている。既に被弾したジンも何機かいて、完全勝利とはいかなさそうだ。

 ただアスランのハイマニューバを足止めできるメビウスはいなかった。近づいてくるメビウスはアスランの手によって次々と破壊されていく。どのメビウスもハイマニューバに掠らせることも出来ない。

 護衛機をあらかた片付けてアスランは一隻の護衛艦に狙いをつけた。護衛艦<バーナード>は必死に応戦するが、護衛艦でMSを狙って落とすのは不可能に限りなく近い。アスランは迫り来る弾丸、ミサイルを掻い潜ってまず砲塔を破壊し、攻撃を無力化してからブリッジに狙いを定めた。

 一機のメビウスが特攻の勢いで突っ込んでくるがもう遅い。ハイマニューバの機銃から放たれた弾丸がブリッジを貫き、バーナードを無力化させる。

 特攻してきたメビウスは猛攻をしかけるがハイマニューバを捉えることはできない。次々と繰り出す攻撃は次々と避けられ、そして最後には相手の攻撃に貫かれ、爆発した。

 連合軍の戦力が確実に減っていく中、新たな熱源反応がセンサーに示される。それはMSの物であった。

 アスランは迷う事無く接近してくるMSの方に機体を向け、一気に加速して間合いを詰める。メインモニターに映ったのは見慣れた白いMSである。

「ストライク……キラか」

 アスランは苦痛を伴って親友の名前を口に出し、苦虫を噛み潰したような表情でストライクに接近する。


「<バーナード>戦闘不能!」

「なぜだ、なぜジンの一機も落とせない!」

 通信士の悲痛な声にジョージが怒り声をあげる。だが誰も反応しなかった。そんな今さらなことを言われても、誰も反応できないのだ。

「これは……大型の熱源反応、アークエンジェルです!」

「なに! くそっ、なぜ離脱しなかったんだ!」

 コープマンはシートの腕を叩く。それとは対称的にジョージは引き攣った笑顔を浮かべている。

「助けに来てくれたのか!」

「仕方がない。事務次官は救命ポッドへ」

 コープマンは有無を言わさない強気な口調でジョージに言う。ジョージもここで死にたくはないようで、大人しく救命ポッドに向かった。

「どうにか、アークエンジェルだけでも……」

 艦長のこの弱気な意見をクルーが聞いていたのなら戦意喪失になっていただろう。幸い、誰もが生きる為に集中していて艦長の言葉は聞いていなかった。

 そうこうしているうちに凶報が二つ。

「<ロー>撃沈!」

「ジン、向かって来ます!」

 まずメインモニターの左方向で大きな爆発が起きた。ローが撃沈された証である。そして中央、ジンがバルルス改の銃口をこちらに向けている。

 これまでか、誰もがそう思ったところへ一条の光が差し込み、ジンのバルルス改を撃ち抜いた。続いて二つ、三つとビームが飛来し、ジンを貫く。ビームの先には砲台を背負ったMS、ハーディガンはいた。ジンを落とすとすぐさま他のジンに向かう。


 戦闘が始まってからというものの、フレイは慌てふためくだけで何も出来ないでいた。それでも戦闘が気になってブリッジに向かう。

 本来戦闘中はクルー以外がブリッジに入ることは許されてないのだが、誰もが戦闘に集中していて気付いたのは扉に近いところにいるカズイだけであった。

「フレイ?」

 低重力のブリッジ内では床を蹴るだけで容易に進める。フレイは床を蹴って浮いたところを、カズイの声で気付いたサイに受け止められた。

「今は戦闘中です。非戦闘員はブリッジから出て!」

 マリューの荒々しい声を無視して、フレイは怯えながらモニターを見つめる。

「ねえ、パパの船は? パパの船は大丈夫なの?」

「ああ、大丈夫だ。だから、出るんだ、フレイ」

 フレイを抱き寄せながらサイが優しく言葉をかける。だがその言葉を裏切るように、モニターに爆発が映る。

「<ロー>撃沈!」

 ジョージが乗っている船ではないが、フレイはそのことを知らない。小さく悲鳴を上げながら暴れ出す。サイはそれを必死に抑えてブリッジの外に連れ出すと、怯えるフレイの瞳を覗き込んだ。

「あれはお父さんが乗っている船じゃないから、きっと大丈夫だから」

「ねえ、あの子は、キラはどうしたのよ? あの子、守ってくれるって約束したのよ? ねえってば!」

 サイは顔を歪めた。確かにキラは約束してくれた。だが、キラはあくまでも民間人だ。船を守りながら戦えるかどうか、定かではない。

 それでもサイはキラを信じ、フレイに言い聞かせる。

「キラはよくやっているよ。でも敵のほうが数が多いし、新型もいるみたいなんだ。だから苦戦しているけど、きっと、守ってくれる。フレイは心配しないで、ね?」

 サイも立派なブリッジクルーなので長い間席を外すわけにはいかず、フレイの返答を待たずにブリッジに戻った。

 残されたフレイは恐れ、怯えながらもその瞳に悪意の炎を生み出し、一目散に走り出す。フレイが向かったのはラクスがいる部屋であった。部屋の前に来ると扉を開けようとする。だがロックがかかっていてフレイでは開けようがない。

 そのままであれば良かったものの、どういうわけかロックが外れ、ラクス自ら部屋を出て来た。

「あら、貴女はあの時の。どうかなさいましたか?」

 緊張感の欠片もない平穏な顔を睨みつけると、フレイはラクスの腕を力強く引っ張り、ブリッジに向かう。

 走るフレイの目には悪意とも殺意とも言える狂気の炎が浮かび、ラクスの目には不安が浮かぶ。

 少女二人がブリッジに戻ったころ、戦闘は終幕へと近づいていた。

 




 あとがき
  どうも陸です。
  やっぱり書いてて楽しいシーンは筆が良く進みます。
  一応マークのラクスに関する意見を入れて見ましたが、どうでしょうか。
  ところでこれではアニメと違い、フレイとサイがやたら仲が良いです。
  これがこの先どうなるのか、それはお楽しみということで。ただ、アニメのようにはなりません。
  ではまた次回に。

 

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代理人の感想

来ましたねー。

次回あたりに来るであろう例のシーンは、「お、このアニメ面白くなるかも」と思った最初で最後のポイントだったのをよく覚えています(笑)。

他に褒めるシーンというとストライクとイージスの最後の一騎打ちくらいだったもんなあ(爆)。

 

それはともかく、浮世離れしすぎていてある意味不気味なラクスに比べ、ここらへんのフレイ様(笑)は味があっていいキャラだったと思います。

この作品ではここらへんをどう料理してくれるのか、楽しみです。