PHASE−15『宇宙に降る星(前編)』
アークエンジェルが有する数ある部屋の中で一度も使用されることのないままの部屋がある。重厚な灰色の扉の上に銀色のプレートが備え付けられていた。そこには<作戦会議室>と刻まれている。本来ならここで与えられた任務でどのような作戦を取るか、どのように動くのか、と試行錯誤されるはずだった。しかし、ザフトの奇襲により正規乗組員の大半を失ったこの艦においては使用する機会が訪れることはなかった。だが、八艦隊と合流し、その総司令官であるドゥエイン・ハルバートン准将を迎え入れた今、初めてその名の通りに使われている。
横に長く取られた室内の中央には先端が丸まっている長方形のテーブルが置かれている。両端と左右の席を合わせて十二席。そのうち七席が埋まっていた。
上方に位置する端の席に座っているハルバートンは静かに閉ざした瞳をゆっくりと開く。人柄を表す瞳には厳しい色が浮かんでいる。穏やかさは鋭さを伴う静けさへと変わっていた。この場に居る誰もが、その変化に唾を飲む。
現在この場に着いているのはアークエンジェル内でのトップ達だった。艦長のマリュー、副長のナタル、エンデュミオンの鷹ことフラガ、MS乗りのマークにニキという面々だ。ハルバートンから見て左側の二席にマリューとナタル、右側の三席にフラガ、マーク、ニキという順に座っている。ただ一人、ハルバートンの副官であるガルンだけが彼の横で直立不動の姿勢をとっていた。
各々が着席してから一分、言葉にしてみれば短い時間だが、マリューたちにとっては長く重苦しい時間が過ぎ、ようやくハルバートンが口を開く。そこから紡ぎだされた言葉は、彼女らを驚かすには十二分だった。
「前置きは抜きにしよう。君たちには、このアークエンジェルにはこのままアラスカに降りてもらう」
言葉を失う、とはまさにこのことだろう。マリューは席から半ば立ち上がり、口を開いて何か言おうとしたが言葉が出ない。ナタルは眉をしかめて怪訝そうな顔を見せ、フラガは視線をテーブルに向け、二人のMSパイロットたちはただ無言で俯く。
「驚くのも無理はない。しかし、君らには何としてでもアークエンジェルとストライクのデータをアラスカに届けて欲しい。既にMSの量産を始めてはいるが、何せデータ不足でな。中々思うようには進まない。私たちは君らを無事地球に降ろし、その上でデータを月に持ち帰るつもりだ」
「し、しかし閣下、お言葉ですが今の私たちだけでアラスカに降りるというのは……」
恐る恐るといった様子でマリューが異を唱える。彼女が言おうとしていることは誰にでも分かった。
現在、アークエンジェルは正規の乗組員を欠いた状態で運用されている。それこそ回収した避難民から協力を得ているくらいだ。ここまでザフトの追っ手から逃げてこられたことだけでも不思議だというのに、その上地球への降下となると荷が重い。
マリューの投げかけた言葉にはガルンが返した。
「ラミアス大尉の言うことは分かる。だが補充要員を乗せた先遣隊が壊滅した今、我々に割ける人員はない。大気圏用のMA二機と物資の補給を渡すのが精一杯という状況だ」
「まったく、不甲斐ない話だと思う。が、君たちにはやってもらわねばならない。ザフトは次々と新型MSを開発、投入している。このままMSの量産が遅れれば、我々は瞬く間に敗北してしまうかもしれん。勝利の為よりも、まず耐えるためにMSが必要なのだ」
ガルンの毅然とした声に比べてハルバートンの声は些か苦々しいものが含まれていた。その表情にも只ならぬ気持ちが浮かんでいる。
マリューは己が信ずる閣下の表情を見て次の言葉を飲み込み、席に座りなおした。
続いて声をあげたのはフラガだった。冗談めいた調子を交えながらも、その実は真剣そのものである。
「しかし旧式のガンブラスター二機にMA一機じゃ、ちとキツイですね」
まさにお手上げとばかりに両手をあげてみせる。この場でふざけた真似を出来るのも、相手がハルバートンであり、自身がフラガであるせいだろう。
「ストライクはどうなるのです?」
待っていたかのようにナタルがはっきりと言うと、フラガは目を細めた。
「何いってんの、キラはここで降りるんだから使えないでしょうよ」
「その通りだ。これ以上民間人を、子供たちを巻き込むわけにはいかない。彼らには避難民と同じくシャトルで地上に降りてもらう。彼らの両親も無事、地球に降りているからな」
当たり前のように言うフラガとハルバートンにナタルは吠えるように言いながら席から立ち上がった。
「キラ・ヤマトは降ろすべきではありません、閣下! ストライクが使えないとなったら、それこそアラスカに降りることなど。使える戦力を持て余す余裕などないはずです!」
「ナタルッ!」
上官に対する無礼とも取れる態度と、キラを、民間人を利用しようとする発言にマリューは思わず名前を叫び立ち上がる。恐れ多くもハルバートンの前で、ナタルは堂々とマリューを睨みつける。
「キラ・ヤマトは恐るべき能力を秘めています。彼がいなければ今頃アークエンジェルは沈んでいたことでしょう。彼のMSを操る才能は、彼らも認めてくれるはずです」
ナタルは刺すような視線をマークとニキに向ける。二人はちらりとお互いの顔を覗きこんだ後、渋々だが頷きながらも反論する。
「確かにキラはコーディネイターということを除いても、MS乗りの才能があるように見える。訓練もしてない子供がコーディネイターというだけで操れるほど、ストライクは簡単な玩具ではないですからね」
「ですが、だからといってこのままキラ・ヤマトを降ろさず、パイロットとすることには反対です。彼自身がそう望むならともかく、こちらが無理やりそうするのは賛成できません」
「俺も、ニキと同じ意見です」
マークとニキのもっともな発言に賛同するようにハルバートンは頷く。それでもなお、ナタルは喰いついた。
「民間人だからといって、彼をこのまま野放しにするのですか! 彼は軍の最高機密であるMSに乗り、戦闘行為までしているのです。もしも解放したあとザフトにでも入られては……」
「ナタル、いい加減に」
「いい加減にしないか、バジルール中尉!」
部下の度の過ぎた発言と態度にマリューが叫ぶ前に、ハルバートンがその怒りを発した。両手でテーブルを強く叩き、知将とは思えないほど感情を前面に出している。傍らに立つガルンも静かに睨みを利かせていた。
「失礼しました……」
これ以上の発言は無駄だと示された以上、ナタルも食い下がるわけにはいかず席に戻った。隣の席に腰を降ろすマリューと視線がぶつかり、火花が散る。
「中尉の言うことも分からないではない。だがそれでいいのか、軍人として。民間人を巻き込み、利用しなければ戦えないのか? それは違う。民間人を守ることも軍人の役目だ。それがオーブの国民であろうとも、コーディネイターの子であろうと、巻き込むことを、利用することを良しとしてはならんのだよ。ましてや年端もいかぬ子供を無理やり戦場に立たせようなどと、恥ずかしいとは思わんのかね?」
威厳のある声色にナタルは気圧された。穏やかな雰囲気を纏う、人柄の良いハルバートンが激昂する様は普段との違いも大きく、周囲を圧倒した。決して声を張り上げて怒鳴っているわけではないが、その奥に潜む激しさは正真正銘の怒りだった。
ハルバートンが一息ついている間、ナタルは血が滲むほど強く唇を噛み締めた。先走った愚かな行為を悔いてか、これ以上反論できないことへの憤りか、それは本人にしか分かりえない。
「ともかくだ、我々はヘリオポリスからの避難民をシャトルで地球に降ろす。アークエンジェルはアラスカへ降下。その間ザフトは私たち第八艦隊が引き受ける。君らには苦労をかけるが、よろしく頼む」
そう言いながらゆっくりと頭を下げる。艦隊を率いる総司令官が頭を下げるなど、滅多なことではありえない。相手が尉官の部下であれば尚更だった。当然マリューたちは目を見開き、すぐに立ち上がって「やめてください、閣下」と口々に言う。
それでもハルバートンは頭をあげないで言った。
「今の私には、これくらいしか出来ない。恥ずかしいことだ。補充要員を送ることも、MSを送ることも出来ない。その上で厳しい任務を言い渡さなければならない。何が<知将>、笑わせてくれる。君たちを援助する良い知恵がこれ以上浮かばない私には、不似合いな綽名だ」
乾いた声は、およそ知将ハルバートンには似合わぬそれであった。上官として、一人の人間としてハルバートンを尊敬するマリューは口を手で塞ぎ、薄っすらと涙さえ浮かべながら小さく「閣下」と呟いた。フラガはただ無言で敬礼をみせ、一足先に会議室から出て行く。
月の養成所で声をかけられる以前からハルバートンを尊敬してやまないマーク、ニキは言葉もなく拳を握り締め、強い決意を胸に抱いた。ハルバートンが顔をあげると、二人は敬礼をして会議室から出た。
「ルーファス中佐、バジルール中尉と一緒に子供たちのもとへ行ってくれ」
ガルンは頷いてから微動だにしなかった肉体を滑らかに動かし、ナタルの傍によると肩を軽く叩いた。唖然として固まっていたナタルは体を小さく震わし、立ち上がって敬礼をしてからガルンに続いて子供たちのもとへと向かう。
残ったハルバートンはマリューの傍に立ち、可愛い生徒に声をかけるかのように優しい声をかけた。
「頼んだぞ、ラミアス大尉。君たちは私たちが守ってみせる」
そう言い残して扉の前に立つと、振り返って言った。
「私は格納庫に行ってストライクを見てくるよ」
マリューは敬礼をみせるのが精一杯で、声を出すことは出来ず、扉の向こうに消えるハルバートンの背中を見送った。その背中に悲しみが滲んでいるのに、気づいたのは彼女だけであった。
「俺たち、ここで降りられるのかなあ」
二段ベッドの一段目に腰をかけたカズイが沈んだ声でそれとなく漏らす。向かい側のベッドに同じように腰をかけたトールが雰囲気をよくする自前の明るい声で答える。
「当たり前だろ。俺たちは民間人なんだしさ。これだって、ちょっと協力しただけし」
そういいながら両手で紺青色の軍服の肩辺りを摘まんでみせた。キラだけに辛い思いをさせまいと彼らもブリッジクルーとして協力していた。正規の軍人でなければろくな訓練もしていないのでどれだけ効果があったかは定かではないが、それでも役には立っただろうという自負が、彼らにも多少はある。そう思うと、トールは少し無念そうな表情をした。
素早くミリアリアが頬を膨らませながらトールを肘で小突く。
「トール、その顔は何よ。まさか残ろうなんて思ってないわよね」
「んー、そりゃね。でも少し勿体ないかなあ、って。俺たちでも戦えるんだしさ。ここで降りるのって、なんだか逃げる気がするんだよ」
眉を寄せ、腕を組みながら答えるトールの肩を叩いて、サイが言う。
「そりゃ俺たちでもある程度は出来たよ。俺もこのまま降りるのは気がひける。少しかもしれないけど関わったわけだし。でも、だからってこのまま残るわけにもいかないだろ? きっと新しい人員が来るだろうから、俺たちの出る幕はないよ」
「そうそう、だから変なこと考えないの」
サイとミリアリアに言われて「そうだよな」と明るい笑顔を浮かべる。一見和んでいるようにみえる室内だが、奥のほうで小さく縮こまっている女の子がいた。膝を抱え込み、その腕の中に顔を埋めている。
サイはトールとミリアリアが雑談を始めるとそっちのほうに視線をやり、小さく呟いた。
「フレイ……」
サイが床を蹴り、フレイの傍に寄ろうとしたときだった。開けっ放しの扉の方から聞きなれても耳に痛い、高い声が入ってきた。
「お前たち、全員揃っているか?」
ナタルは廊下側に立って室内を見回すと、キラがいないことにすぐに気がついた。
「キラ・ヤマトはどうした?」
何事もなくても高圧的な態度のナタルに子供たちは馴染めなかった。だからといって嫌っているわけでもなく、カズイがぼそぼそと「ストライクを見に行くっていってました」と答える。
「そうか、なら後で渡しておけ。これを」
無言でぴくりとも動かず佇んでいるガルンから受け渡された一枚の紙を子供たちに配る。フレイを除いた四人に渡ったそれには「除隊許可証」と書かれている。
「俺たち軍人になってたの?」
ごく自然にトールは驚いて声をあげた。ミリアリアもカズイも同様に驚き、小さな悲鳴じみた声を出す。サイだけが動揺を隠すように質問を投げた。
「これはどういうことですか?」
サイの質問に間もなく答えたのはガルンだった。予め予想していたのだろう、止まることなく流れるように説明をする。
「致し方なかったとはいえ、民間人が戦闘行為をするのは犯罪だ。それも結構な罪になる。そこで処置として取ったのがこの方法だ。ヘリオポリス襲撃前に遡り、君たちを入隊したことにした。軍人が戦闘行為を取るのは当然罪にはならない。そういうわけだから、その紙は大事にすることだ。失くしたら除隊できなくなるぞ」
まさに軍人といった風貌、声色のガルンに子供たちは一歩、二歩と後ろに下がる。そして改めて除隊許可証を見下ろすと、ただの紙には有り得ない重みを感じることができた。
各々が除隊許可証を眺めていると、不満な色を隠しきれない声でナタルが言う。
「分かったらキラ・ヤマトにもちゃんと渡しておけ。以上だ」
そのまま去ろうと振り向いたナタルの背中に、思いもかけない声がかかった。
「あ、あの、待ってください!」
誰もが声の方へ顔を向けた。そこには立ち上がり、小刻みに震えながら片手をあげるフレイがいた。まずサイが「フレイ」と声をかけるが、彼女は反応せず数歩前に出て、か弱い声を絞り出す。
「わ、私、軍に入りたいんです! 雑用でも何でもしますから、お願いします!」
「君は、アルスター外務次官の?」
ガルンがいつになく柔らかい声を出すと、フレイは小さく頷いた。
「私、目の前で父が殺されて、それで、その……」
「復讐というのならやめたほうがいい」
「ち、違います。ただ、このままじゃいけないなって思って。なんていえばいいのか分からないけど、私も戦わないといけないと思うんです。父の代わりは勤まらないけど、それでも少しは……」
ガルンとフレイの応酬を見ていたサイが耐え切れずに割って入る。
「何言ってるんだよ、フレイ。君が戦うことなんてないだろ? 軍人になるってことが、どれだけ危ないか分かっているのか? そんなことしたって君のお父さんは喜ばないよ」
「貴方に何が分かるのよ、サイ。これは私が決めたことなの、私自身が。口を出さないで」
今までに見たことのない剣幕にサイは息を呑んだ。いつもの彼女とは全く違う彼女がそこにいた。あまりの変貌ぶりに、サイは二の句がつげられなかった。トールやミリアリア、カズイも見守ることしか出来ない。
サイを退け、再びナタルとガルンの方を見る。普段見せるお嬢様ぶりは微塵もなく、愛らしい瞳には力強い光が宿っていた。しばらく視線を合わせていたナタルは、溜息をついてから頷く。
「いいだろう、そのように処置する。今は、一人でも多く人手が欲しいからな」
ナタルの決断にガルンは眉を顰めるだけで何も言わない。トールたちは困惑した表情で互いを見合い、頷きあう。真っ先に手をあげたのはトールだった。
「俺も軍に入ります。なんだか、このまま降りるのは逃げるような気がしていたから、ちょうどいいや。それにこのままフレイだけ残していけないし」
「わ、私も。トールが残るなら残ります」
二人が率先して残ることを伝えると、しばらく間が空いた。その間に二人は除隊許可証を破り捨てている。続いて名乗りあげたのは、フレイの背中を見つめていたサイだった。
「俺も残ります。フレイだけ残して降りるなんて、出来ません」
サイもまた除隊許可証を破り捨てた。先の三人は揃って悩んでいるカズイを見る。その瞳には「一緒に残ろう」「お前はキラと降りろ」という二色が入り混じっていた。三人を順々に見てから、カズイは除隊許可証を破って両手をあげる。
「俺だけ降りるってのもね、気が引けちゃうよ。こうなったら最後まで付き合うさ」
「ということで俺たちみんなここに残ります。キラだけは降ろしてやってください。あいつはもう十分戦ったから。今度は俺たちが頑張ります」
古臭くだけど失われることのないガッツポーズを見せて頷く子供たち。ただ一人、フレイだけは睨むようにナタルを見つめていた。
「本当にいいんだな。もう降りることは出来ないぞ」
ナタルの確認に五人は首を縦に振って応えた。ナタルは心中で「もしかしたらキラ・ヤマトも」と思わずにいられなかった。彼が友達を守るために戦っていたのなら、残る友達を守るために残るのではないか、と。
そんなことを思いながら「よし分かった。キラ・ヤマトを降ろしたいなら、忘れず除隊許可証を渡しておけ」と言い残し、子供たちの下を去っていく。高々と靴音を鳴らしながら。
そんなナタルを横目に、ガルンはその場に留まって子供たちを見下ろした。
「そうだ、一ついい忘れていたことがある。君たちの家族は無事回収され地球に降りたようだ。今はオーブ本国にいるとのことだ」
家族は無事。これを聞いてトールたちは弾けたような飛び上がり、喜びを分かち合った。互いに抱き合い、「よかった、よかった」と半ば涙声で言い合っている。
その中で一人、フレイは冷たい表情を浮かべていた。目の前で父親を殺された彼女にとって、今の光景は快いものではない。
それに真っ先に気づいたのはやはりサイだった。喜び跳ね回るトールとミリアリアを抑えて、フレイに近寄り、呟いた。
「ごめん、フレイ」
トール、ミリアリア、カズイも居た堪れなくなって表情に翳を落とし謝った。フレイは毅然として頭を振り、「気にしないで」とそっけなくサイを突き放す。
一部始終を見終えたガルンが言葉を続ける。
「家族が無事と分かった今、それでもこの艦に残るというのか?」
彼らは現実に引き戻された。家族が無事なら本国に降りて再会したいと思うのが本音だろう。フレイは、その会うべき父親を目の前で失い、だからこそ志願したとも言える。だがトールたちは違った。半ば同情から、便乗して志願したのだった。
しかし、彼らの気持ちはしっかりと繋がっていた。サイが口を開く。
「残ります。家族が無事と分かったなら、安心して残れるというものです」
うんうん、と各々頷く。ガルンは堅苦しい表情を少し和らげ、一度だけ頷く。
「それなら一つだけ言っておく。死ぬんじゃない。難しいことだが、不可能なことでもない。無理はするなよ、少年たち」
ガルンは中佐の地位に着くまで、数多の戦場を駆け巡り幾多の死に出会ってきた。彼らほどの少年兵が目の前で命を落とす様も、少なからず見ている。彼らがそうならないように、彼は心中で祈りながら部屋を後にした。
少年たちはその逞しい背中を見えなくなるまで見つめていた。
全高約十八メートルにも及ぶ鋼鉄の巨人。天辺からつま先まで灰色一色で統一されたそれは、僅かな音も立てることなく佇んでいる。特徴的な頭部はまさに輝かしい戦歴を誇る『ガンダム』に類似している。V字型のアンテナにツインアイ。これにトリコロールカラーが加われば紛れもない『ガンダム』だ。ただキラが見上げるこの機体、<ストライク>はPS装甲を起動して初めて、トリコロールカラーに成り代わり正真正銘のガンダムタイプのMSとなる。
キラは『ガンダム』の数々の戦歴を知っている。それは学校に通ったことのある者なら誰もが知りうる程度の知識から、それ以上に深い知識にまで及ぶ。初めてガンダムが誕生した一年戦争から、最後の勇姿になるはずだったザンスカール戦争まで数々のガンダムタイプのMSが数多の戦場で戦い、生き残り、成果をあげてきた。
『ガンダム』を語る上で外せないのがパイロットである。多くの場合、『ガンダム』のパイロットはキラよりも年下の少年が多かった。彼と同じく偶発的に乗り込み、戦って戦果を出した者も少なくない。また、『NT』と呼ばれる一種の超能力のような力を得ていた者も多い。キラにはそのような力こそないが、境遇は似ている部分も多い。ガンダムのパイロットが語られることは少ないが、極々貴重な資料にはそのことが載っている場合もある。
彼は自分と同い年、それ以下の少年たちが『ガンダム』のパイロットとして戦い、活躍したことを知らない。もしも知ることがあったなら、彼の気持ちも少しは安らいだだろう。自分と同じ境遇にあった者たちが、少なからずいると分かれば。
短い間だがガンダムのMSパイロットとして戦ったキラは、別れ際になってストライクの姿を見に格納庫に来ていた。ストライクの行く先を遮るかのように伸びる通路の上に立ち、神妙な面持ちでその巨躯を見上げる。
短い間とはいえ鋼鉄の巨躯に命を預け、戦場に出て戦ったキラは別れが惜しくもあった。
しかし、キラはその思いを振り切る。まるで自分が戦いたがっているような気が彼の心を覆った。愛着がわいただけというのに、戦意がわいたように思えて自分の気持ちが許せない。爪が食い込み、血が滴るほど強く握った拳はそういう気持ちの表れなのだろう。
「いざ別れるとなると、惜しくなったのかね?」
冗談交じりでも自分の心を見抜いた声に、キラははっとなって声の主を見た。顎をさすりながらストライクを見上げていたハルバートンがキラに柔和な笑みを見せる。
「べ、別にそんなことは……」
嘘つくことの後ろめたさがあるのか、心もとない声が出る。ハルバートンはそれに気づかず、視線をストライクに戻してから話を進めた。
「ストライク、実に良い機体だ。そうは思わないかね。これが量産されれば、連合も少しはザフトに対抗できるだろう。それで戦争が長引くのは嬉しいことではないが、黙ってやられるわけにもいかん。戦争とは、いつの時代でも難しいものだな」
それはほとんど独白であった。キラはどう反応していいか困り、やはり同じようにストライクを見上げる。灰色の巨人は何も物を言わない。
「君には助けられたよ。コーディネイターとは凄いものだな。MSをああも鮮やかに使いこなすとは。君にもまったく驚かされた。何でも瞬時に、独自でOSを書き換えたそうだな。その上、十二分に扱うとは。恐れ入った」
「僕は……!」
ハルバートンの口調にはそれを知らず少し含むものがあったのかもしれない。キラは咎められている気がして声を荒げた。
やりたくてやったんじゃない、仕方がなかったんだ。自分でも分からないまま、頭が、手が動いていたんだ。そう弁解したくても言葉が出ない。
「悪い、悪い。君を責めているわけではない。本当に感心すべきところは、君自身にあるのだからな」
「僕自身に?」
キラがオウム返しをしたところで、通路の奥からガルンが姿を見せハルバートンの傍に寄ると、「時間です、閣下」と言った。
ハルバートンは頷き、キラに背を向け数歩行ったところで振り向いた。
「友達を守ろうと戦う、その心にこそ私は感服するよ、キラ・ヤマト君。幾らやれるだけの力があろうとも、実行に移さなければ意味はない。そして、平和な日々を送っていた君が、それを実行するのは並大抵のことではないだろう。友達を守るというためだけに、己を投げ出してまで戦おうとする気持ち、この艦を降りても忘れないで欲しい。私もまた、君と同じ気持ちで戦っているのだ。いや、私だけではない、多くの者は君と同じ気持ちだろう。大切なモノを守るために、我々の力は振るわれるべきだと、私は思うよ」
一呼吸置いて、ハルバートンは言う。
「死ぬなよ、少年。良い時代が来るまでな。その時代は私たちが作ってみせる」
真面目な、しかし優しい表情だった。ガルンに催促され彼は再び歩き出す。
遠ざかる背中を見てキラは、つまりながらも声を張る。
「あ、あの! 僕は、戦わなくていいのでしょうか。ストライクを使えるのは僕だけ、なんですよね。その、僕がいなくても……」
キラの問いに答えたのはガルンだった。しかし彼はハルバートンの代弁者として十分な返事をした。
「君一人、ストライク一機があろうと大局が変わるわけではない。戦いは我々に任せ、君はもう休むといい」
「そういうことだ、キラ君。生きているうちにまた会えるなら、平和な時に会えるといいな」
振り向くことなく、ハルバートンは右手をあげてから再び歩き出した。去りゆく二人の背中を、キラは見つめることしか出来なかった。
背中が闇の中へ消えてもキラは尚見つめていた。彼女から声をかけられるまで。
「どうしたの、キラ君?」
「えっ、あ、ラミアス大尉……」
当然の来訪者にキラはしどろもどろになりながら振り返った。白い軍服に身を包んだマリューが、明るい笑顔を携えて後ろに立っていた。
「どうしたんですか、こんなところまで?」
沈黙が訪れるのを恐れてキラは口を開いた。やはり動揺しているのか声が若干震えている。
「あなたにお礼を言いに来たの。それに、私のことはマリューでいいわ。あなたは軍人じゃないんですから」
大人の女性が出す雰囲気にキラはたじろいだ。女の子とさえ話したことが少なく、それこそ大人の女性となると先生相手くらいにしかない。理由もなく頬が赤くなり、顔を背けてしまう。
「そ、その、マリュー……さん。お礼なんていわれることしてないですよ、僕は」
「いいえ、してくれたわ。艦を守ってくれたじゃない。正直、あなたが戦ってくれなかったら拙かったのよ。フラガ大尉やギルダー中尉、テイラー少尉の腕は確かだけど、新型のG相手をしながらジンまで相手をするのは辛いようなの。だから、艦を守ってくれてありがとう」
やたらに真面目な声色に振り向いてみると、マリューは頭を下げていた。ハルバートンと同じく、今の彼女に出来ることは限られていた。
慌てながらキラはマリューに言い寄る。「や、やめてください、マリューさん」と言われてようやっと顔を上げた。その表情は困惑している。
「本当はね、あなたに残ってもらいたいのよ。最低ね、私って。心の奥底ではやはりあなたの力を頼っている。まだ遊び盛りのキラ君のような少年を、頼っているのよ。軍人として、いいえ、人として駄目よね、こんなの」
「そ、そんな……」
言葉が詰まる。正面きって頼まれても困るものだが、こう遠まわしにいわれると余計に困るものだ。キラは視線を鈍い色の床に落とし、考えを巡らせる。
「だからこそ、あなたにここで降りてもらうのは良いことだと思うの。いつまでもあなたに頼っているなんて、情けないものね。あなたは、あなたたちは無事に地球に降りてね」
はっとなって顔を上げると物寂しげな笑顔が浮かんでいた。マリューはキラの肩を優しき二度叩き、敬礼をしてみせてからキラに背を向け、歩き出した。ハルバートンたちが向かった先とは反対の方へと歩いていく。
ハルバートンに言った言葉と同じ言葉がキラの口から飛び出しそうになった。だが愚かな質問のような気がして、咽喉の先まできた言葉を飲み込む。
白い背中が通路の先に行き、見えなくなるとまたストライクを見上げた。
「僕は……」
それ以上、何を言うこともなく、キラはストライクの下から立ち去った。
先行するガモフに合流するため移動中のヴェサリウス、ハーティの二隻は同じ任務を与えられたラコーニ隊と合流を果たした。本来ならこの三隻にガモフ、ポルト隊を加えた五隻で<足つき>を追撃する予定だったのが、予期せぬ事態で一隻失うことになった。第八艦隊と目標が合流した今、五隻でさえ十分ではないというのにこれ以上戦力を失うことになり、クルーゼは仮面の下の表情を歪めた。
彼の隊が与えられた正式な任務はラクス・クラインの発見、保護であったがクルーゼはそれを後回しにするつもりでいたのだ。見つける前に<足つき>と接触、これを撃破すべく交戦。となればザラ国防委員長も文句は言うまい、そういう腹積もりであった。
しかし偶然とは怖いもので、その仇敵<足つき>がラクスを救助していたおかげで早期に保護するはめになった。そうなった以上、彼女を戦場に連れて行くわけにはいかない。
その原因が兵士たちに愛想の良い微笑を振り撒きながら小型艇の方へ歩いていく。ヴェサリウスのMSデッキにはいつになく活気があった。普段は姿を見せないような兵も、ラクス・クラインを一目見ようとデッキに押しかけている。
小型艇への道を作るように兵士たちが両脇に立つ。その人の壁に手を振りながらラクスはゆっくりと進んでいく。一番奥、扉の手前にクルーゼとアスランは立っていた。
「せっかくお会いできたのにもうお別れなんて、寂しいですわね」
アスランが差し出した手を握り、その場に立つとラクスは愁いを込めた瞳を向けた。目を合わせるのが辛いのか、アスランは視線をそらしてそっけなく返す。
「我々には重要な任務があります。仕方がありません」
その言葉にラクスは静かに俯く。しばらくぶりに婚約者に会えたのに彼は笑顔を見せるどころか、優しさも見せてくれない。一人の少女の心を暗闇が覆う。
「笑っては、くれませんのね」
「笑って戦争は、出来ませんよ」
皮肉めいた答えにラクスは言葉を返せなかった。これ以上時間がないとクルーゼがそれとなく言い、ラクスは小声で「では、また」と呟き、床を蹴った。
宙に浮いた華奢な体をアスランは悲しげに見送る。本当なら笑顔で会いたい、好きなだけ話をしたい。だがそれが出来る状態ではない。自分は、笑えるような状況じゃないんだ。自分に言い聞かせて、目を背ける。
もう少し早ければアスランと視線を合わせられたのに、やや遅れてラクスは一度だけ振り返り、言葉を漏らす。それは彼女が意図せずとも、この場に居る兵士全てに向けられていた。
「誰と戦わなければならないのか、戦争とは難しいですわ……」
扉の奥に消えるラクスに向けて各員敬礼をした。
「誰と戦わなければならないのか、か。なるほど、その通りだな」
廊下に備え付けられた小さな窓から遠ざかる小型艇を見つめるアスランに、不意に声がかけられる。首を少しだけ声の方に向けると、クルーゼが傍に立っていた。
再び窓に視線を戻すと、沈んだ暗い己の顔が映っている。
「イザークのことは聞いたかね?」
唐突な話ではあったがアスランは短く頷いた。
先行しているガモフが第八艦隊と合流直前の<足つき>を襲撃、その際エースパイロットの一人であるイザークが怪我を負った。まだ子供の域を出ない男とはいえ、その腕は誰もが知っていた。ましてや乗機が敵から奪取したGの一つということもあり、各員が与えられた衝撃は大きい。
アスランも事の次第を聞いたとき、我が耳を疑った。イザーク程のパイロットが傷を負ったこと、仲間が傷ついたことに驚かずにはいられなかった。
それにもう一つ。その相手が幼き日の親友であることが、何より彼を不安にさせた。
「彼を討たねば、次に討たれるのは我々かもしれんぞ」
クルーゼは含みのあることを言い残し、落ち込んだ小さい肩を軽く叩いて去っていく。
いつもなら敬礼を見せるところ、複雑な気分の彼は思わず敬礼を忘れた。クルーゼが言った意味を十分理解した上で、忌々しく一言吐き出す。
「キラッ……」
無重力の空間に虚しく言葉は吸い込まれた。
ガモフのMSデッキでは急ピッチで損傷したデュエルの修理が行なわれていた。それに加え、G奪取の際一緒に運び出したパーツ類の中にあったデュエル用の装備が組み立てられている。
連合がうまい名称を考えられずに追加装甲とだけ呼んでいたそれは、彼らが皮肉を込めて強襲用屍衣<アサルトシュラウド>と名づけられた。屍を包む布<シュラウド>というのは、実に嫌味な名前だ。屍になり損なったデュエルが纏う鎧としては、あながち間違ってはいないだけに誰も文句をつけることはない。
<アサルトシュラウド>は追加装甲と呼ばれていただけに、本来なら防御力をあげるためのものといえる。しかしデュエルを含むGシリーズにはPS装甲が採用されており、実弾兵器に対する防御は完璧に近い。追加装甲をつける真の目的とは、平凡な攻撃力を補うためであった。肩アーマーに装備された115mmレールガン<シヴァ>、220mm径5連装ミサイルポッドは、全てのGに通ずる基本的な性能しか持ちえず、その分足りない攻撃力を補うには十分な装備といえよう。またバックパックを推力の高い大型のものに換装することで、見た目の重厚さとは裏腹に高い機動力を確保している。
難点をあげるならばその総重量の重さゆえに重力下のもとでの運用は厳しい。またPS装甲の上に装甲を追加するわけだから、実弾攻撃も有効になりうる。もちろんその下にはPS装甲が控えているので実際には損傷ないが、追加装甲の無駄ともいえないことはない。
何にしても奪取直後から細々と組み立てられていた追加装甲を纏うデュエルの姿は、本来のすらりとした細身のものから雄雄しき気迫をもつものへと変貌を遂げた。
その雄姿をMSデッキが望める待機室から見下ろす姿があった。顔の右側の大半を包帯で覆っている。見開かれた瞳には狂気が燃え盛り、強く握る拳は赤くなっている。
自分の機体と共に様子を一変させたイザークは吹き上がる憎悪を抑えきれず身体を震わせ、歯軋りをした。
「ストライク……貴様は俺が倒す」
腹の底から吐き出された言葉は禍々しい。待機室に入ってきたニコルは恐怖さえ感じ、ディアッカは友として苦渋の面持ちだ。
イザークを挟み込むように立つと、二人とも狂気の瞳の先にあるデュエルを見下ろす。修理は手早く終わり、アサルトシュラウドもほとんど装着されている。
「クルーゼ隊長が戻ってきしだい、足つきを追うってさ」
イザークは二人を見ようともせず、その身に纏う雰囲気が話しかけ難い空気を生む。元々気弱なところがあるニコルは気圧されていて、代わりにディアッカがいつもの調子で誰に言うでもなく言った。
「いつだ」
小さく呟くような声にさえ怒気が混じり、するとでもなくディアッカを睨む。
「詳しいことは分かりませんが、そうかからないでしょう」
怯んだディアッカに代わって少しばかり震えた声でニコルが答えた。今度は返事もせず、不敵な笑みを露に顔に浮かべ、開かれた口からは嬉々とした声が出る。
「待っていろよ、ストライク……」
自分の世界に入り込んでしまっているイザークの背中越しに、ディアッカとニコルは顔を見合わせた。ディアッカは両手をあげ、お手上げといった様子だ。ニコルも不安げな顔をしながら頷いて同意する。
二人にしてみれば気まずい雰囲気の中へ、また一人入ってきた。
「何をしている、三人揃って」
そんな雰囲気をもろともせず、ミゲルはいたって普通に声をかけた。ディアッカとニコルは各々微妙な表情で振り返ったが、相変わらずイザークは乗機デュエルを見つめている。
「元気そうだな、イザーク。何よりだが、少しは体を休めろよ。次の戦いで決着をつけるようだからな、激しくなるぞ」
頼れる兄貴、というのを演じているわけでもないだろうがミゲルは彼らの先輩として、彼らの面倒を見てやるつもりだった。
彼らは確かにエースの証、赤服を着ているがそれはあくまで個々の能力の高さを示しているに過ぎない。彼らよりも早く戦場に出、仲間たちと戦ってきたミゲルに言わせれば、戦場で彼らの力は必ずしも役に立つわけではない。
だが裏を返せば、連携さえ取れれば彼らに敵う連合のパイロットは早々いないだろうと、ミゲルは踏んでいた。それが惜しくて、彼らに連携の訓練をさせていた。
気さくにニコルの肩に手を置き、場を和ます意味でも明るい笑顔を見せた。それをちらりと見たイザークは、余計に表情が苦くなる。
「お前たちが巧く連携を取れれば、今度こそストライクを討てるはずだ。期待しているぜ、エースたち」
ほんの冗談で言ったつもりが、イザークの心に火をつけた。いや、元々燃え盛っていたのだから油を注いだというほうが正しいだろう。
「ストライクは俺が討つ! お前たちは手を出すなぁっ!」
激しい剣幕で顔を突きつけられミゲルは眉を寄せ、一歩引き下がるが面と向かって対立する。
「馬鹿をいうなよ。お前一人でやれないこともないだろうが、確実にやるなら三人がかりだ。甘い考えは身を滅ぼすはめになるぞ」
そういってミゲルは後悔した。イザークは既に甘い考えのせいもあって、その顔に傷を負った。表面の傷も痛々しいが、彼にしてみればプライドを切り裂かれたほうが屈辱だった。
細かい階級こそないが、先輩は先輩。手をあげるなど普通に考えればしてはならないが、理性が失われているイザークはミゲルの胸倉を掴み、自分の胸に引き寄せる。
「五月蝿い。何かと言えば説教ばかり、貴様は何様だ? 赤服の俺が、この俺が、お前のようなやつに指図される覚えはない。余計な口出しはやめろ」
これにはミゲルも怒りを感じずにはいられなかった。赤服ということで調子に乗ることは、ある程度仕方がないと許容してきた彼も、これは限界を超えている。
売り言葉に買い言葉になろうとしたとき、ニコルとディアッカが止めに入った。ニコルはミゲルを、ディアッカはイザークを引き離す。
「やめろよ、イザーク。いくらなんでも言いすぎだ。ミゲルが言ってることは、悔しいが正論なんだよ。今のお前は少し落ち着いた方がいい」
「ごめんなさい、ミゲルさん。あんなことがあったばかりでイザークも気がたっているんです。ごめんなさい」
本当に申し訳なさそうに頭を何度も下げるニコルを見て、ミゲルは先輩らしい落ち着きを取り戻した。掴まれて歪んだ襟をただし、ディアッカの背中越しにイザークを一瞥する。イザークは喚きたて、暴れているがディアッカがどうにか抑えていた。
「俺も言い過ぎたな、すまない、お前たち。ともかく、次の戦いは激戦になるだろう、しっかり休んでおけよ」
気休め程度の笑みを見せてからミゲルは待機室から出て行く。その背中を、イザークは怒りと憎しみをもって睨み続けた。
アークエンジェルの格納庫の一つにたくさんの人たちが訪れていた。メネラオスに移り、シャトルに乗って地球に降下するためだ。移動のための小型艇へと伸びる長い列の最後尾にキラは立っていた。
結局、彼はうやむやな気持ちのままアークエンジェルを降りることに決めた。トールたちも降りるのだから、何も思うところはないはずなのに、それでも何かためらわせるものが彼の中で燻っている。
あまり晴れない顔で列の前を覗いてみるがトールたちの姿はどこにもない。部屋にいなかったのなら先にいっているのだろうと思っていたのに、彼らはどこにも見当たらない。
その代わり、というわけではないが前回の出撃前にぶつかった小さな女の子が、母親の手に連れられているのが見えた。女の子もキラを見つけて、顔を明るく輝かせながら母親の手から逃れてキラの元へ飛んでくる。
「エルちゃんっ」
母親の声に振り返ることもなく、エルは小さな体をキラに受け止めてもらい床に降りた。そしてつぶらな瞳でキラを見上げると、愛らしい小さな手を差し出した。
「いままでまもってくれてありがと、おにいちゃん」
小さな手にはユニウスセブンを訪れた時に作った折り紙の花が握られていた。キラは弱々しい微笑を浮かべながら受け取ると、小さく礼を言う。
「ありがとう」
エルはうんと小さく頷き、追ってきた母親の方を振り向いてその胸に飛び込んだ。
「おかあさん、このおにいちゃんがわたしたちをまもってくれたんだよ」
母親の胸の中でどこか誇らしげにそういうと、母親は信じられないといった表情を浮かべた。だがキラの顔が暗いことを見て、「ありがとうございました」と頭をさげて、礼をいい、エルを連れてもとの場所に戻っていった。
「ばいばい、おにいちゃん」
エルは振り返り、キラに向けて手を振った。キラもそれに応えて手を振り返す。そして手元の折り紙の花を見下ろす。
「守ってくれてありがとう、か」
友達を守るために必死で戦ってきた。それが自分の意図とは違えども小さな子供に感謝され、お礼まで言われて、嬉しくないはずがない。自然とキラの表情は和らぎ、命懸けで戦ってきたことが無駄ではなかったことを、改めて噛み締めた。
だからこそ、アークエンジェルを降りることが躊躇われた。自分に他人を守るだけの力があるなら、それを使わずにおくことは良いことなのだろうか。けど自分は軍人ではなく、民間人。
だし、戦争に巻き込まれるのはもう嫌だ。相反する二つの気持ちが、キラの心を押し潰す。
次々と小型艇にやっと軍艦から解放されると安堵した人たちが入っていく。既にエルもその母親の姿もない。
トールたちが現れることもなく、もうそろそろキラの番だ。彼の後ろには誰もいず、彼が最後の搭乗者ということになる。
「トールたちはどうしたんだろう」
心配になって振り返ってみると、ちょうどトールたちがキラを呼びながら近づいてきた。
「みんな、その服……」
キラの視界に入ったトール、ミリアリア、サイ、カズイはそれぞれ軍服を着ていた。もう出発直前だというのに、なぜ準備していないのだろうという思いが浮かび、トールの一言によって打ち砕かれる。
「ああ、これ? 俺たちさ、軍に、というかアークエンジェルに残ることにしたんだ」
キラの怪訝そうな視線を受けてトールがあっけらかんという。それにカズイが続いた。
「フレイが軍に志願したんだよ。それで、俺たちも残ろうってことになってさ」
「フレイが……?」
何事か理解できずに名前を繰り返すとサイが頷いた。事情を聞こうにももう前に並んでいる人は僅か。すぐに番が回ってくる。
それに気づいてから、そそくさと懐に手を入れてトールは除隊許可証を取り出し、キラに差し出した。
「これ持っていけってさ。一応入隊したことになっていて、これがないと除隊できないんだって。ほら、失くすなよ」
トールは相変わらず元気で明るいが、キラは対して闇の底といった様子だ。
――あれだけ戦うのを嫌っていたのに、必死で守ってきたのに、それなのに自分を残してみんなここに残るの? なんでだよ。生きて地球に降りるために、僕は頑張ったのに……。
心の中の独白には毒が含まれていた。友達を守るため、そういう気持ちで嫌々ながら戦場に出て戦ったのに、守られる側の彼らはせっかくの降りるチャンスを棒に振って残るという。なんのために守ってきたのか、キラには分からなくなった。
唖然と除隊許可証と友達たちの顔を見比べる。それに、脳裏にフレイの顔が映った。父親を殺されて激昂した彼女の顔、そのあと謝りに来たときの彼女の顔が。
――フレイもアークエンジェルに残る。だからみんなも残るの。なんで、なんで……。
頑なに閉ざされた扉の奥でキラは呟き続いた。聞きたい、そこまでして残る理由を。そう思って口を開こうとしたとき、背後から連合の兵士が声をあげた。
「おい、そこの、乗らないのか!」
それに答えたのはサイだった。
「こいつ、乗ります、ちょっと待ってください!」
言葉が出ないキラに、次々と明るい別れの言葉が投げかけられる。
「じゃぁな、キラ。平和になったらまた会おうぜ」
「キラ、今までありがとね」
「今度はさ、お前の分まで俺たちが戦うよ」
「またな、キラ」
言い終わると、友達たちは手を振りながらブリッジに向かうために遠ざかっていく。声をかけたいのに、突然突き放されて一言も出ない。
「おい、はやく」
兵士の声を遮って警報が鳴り響き、続いて状況が知らされる。
『ナスカ級一、ローラシア級三、接近中! 第一級戦闘配備! 繰り返す……』
呆けていた顔がはっとなる。キラは兵士の言葉を聞き流しながら、握り締める除隊許可証と折り紙の花を見つめる。
――いままでまもってくれてありがと、おにいちゃん
――ありがとうございました
少し前の出来事が頭に浮かぶ。笑顔でお礼をしてくれた小さな女の子とその母親。自分の力が他人を守れることを証明してくれたといってもいい二人。
――トールも、ミリアリアも、サイも、カズイも――そしてフレイも、アークエンジェルに残り、戦う。この艦を守るためにマークさんも、ニキさんも、フラガさんも命がけで戦う。それなのに僕は、僕だけが地球に降りる。そんなの、そんなこと出来ない。僕には戦えるだけの力がある。それなら、少しでもその力を人のために使えるなら、僕は。
「おい、早く乗れって言っているだろう!」
焦っているのか一際声が大きくなったとき、キラは除隊許可証を破り捨てて、兵士向かって頭をさげた。
「すいません、行ってください。僕は……残ります」
兵士の返答をまたずしてキラは床を蹴っていた。意識はすでにロッカールームへ向けられている。
フレイはキラのパイロットスーツが入ったロッカーの前にいた。正式な軍人になったとはいえ、今のフレイに出来ることは何もない。ブリッジクルーで少しの間とはいえ働いていたトールたちとは違うのだ。
彼女はキラが降りることを知って、自分がストライクに乗るつもりでいた。操れるとも、動かせるとも思ってはいない。気持ちの問題だった。父親を奪ったコーディネイターを許さない、という決意の表れといえる。
ゆっくりとロッカーを開くと、そこにはキラのパイロットスーツがあった。それに手をかけようとすると、背後から聞こえるはずのない声が自分の名を呼んだ。
「フレイ? なんで君がここに……」
言いながら近づいていくとフレイが自分のロッカーを開けているのが分かった。細い白い手がパイロットスーツに伸びているのを見て、キラは驚きの声をあげる。
「まさか君がストライクを? そんなの無理に決まっているじゃないか」
フレイは一瞬顔を背けてからすぐに悲しげな顔をして振り返り、ロッカーを押してキラに抱きつく。
友達の恋人とはいえ、好きな女の子に抱きつかれて冷静でいられるほどキラは大人じゃなかった。思わず頬が赤くなって、肩を抱き締める。
「だって、私……キラがいなくなったと思って、それで、それで……」
声も体も震え、瞳には薄っすらと涙が浮かぶ。そんな彼女を見て、キラは戻ってきてよかったと思い始めた。
「大丈夫、ストライクには僕が乗るから。フレイの分も、フレイの想いの分も戦うから」
優しく言葉をかけ、肩を少し話して顔を見つめあう。尚のことキラの頬は赤くなった。
「なら、私の想いがキラを守るわ」
そういって、フレイは静かに唇をキラの唇に重ねた。
胸の鼓動が高まり、体が震える。思わず目を瞑り、フレイを受け入れようとした。だが瞼の裏にいつでも親切なサイの顔が浮かび、はっとなってフレイを突き放す。
予想外のことにフレイは目を見開き、自分の唇に指を当てた。キラは口を多い、目を細くし、フレイを受け入れようとした自分を呪った。
「ご、ごめん、フレイ……。でも、僕は……」
自責の念がこみ上げ、言葉が続かない。拒絶されると思わなかったフレイもまた、一言も喋ろうとしない。
「ごめん。でも、僕は戦うよ。フレイを、みんなを守るために」
キラはぎこちない笑顔を見せてフレイの手を取り、扉の方に体を押す。
フレイは裏切られたような気持ちと、自分のした行為の恥を感じ、大粒の涙を零した。だがそれを見られまいと、震えながら言葉を残し、ロッカールームから出て行く。
「ううん、いいの。私の想い、受け取ってくれたから。死なないでね、キラ」
パイロットスーツを手に取ったキラが振り返ると、すでに彼女の姿はなく、ロッカールームは静まり返っていた。
「これで、よかったんだよね……」
少し後悔を感じながらも、やはり友達を裏切るようなことは出来ないと気持ちを取り直し、素早くパイロットスーツに着替える。
段々着慣れたパイロットスーツに四肢を通すと、言い知れぬ安心感に包まれた。キラは一度目を閉じ深呼吸をすると、決意を固めた引き締まった表情でストライクへの元へ、戦場へと戻っていく。
補足
本編との相違点を一つ説明しておきます。
アサルトシュラウドですが、これは元々連合のモノということにしました。あの短期間でしかも奪取したMSにあわせてパーツ作るのも変ですから。
連合は実験も兼ねてデュエルの装備として用意。敵に回ったデュエルの活躍ぶりから、ダガー用に採用。
ザフトもまたデュエルの活躍からジン用のものを造った。というような感じです。
あとがき
どうも、お久しぶりです。忘れられていないか不安な陸です。
色々あって大分投稿が遅くなりましたが、種運命を見ていたら触発されて書く気が起こりました。
久々なのでてごたえがよく分からないもので、指摘があったらどんどんよろしくお願いします。
細々続けていくつもりなので、またこれからも読んでくださると嬉しいです。
代理人の感想
前回陸さんの持ち味は淡々とした文章にあるといいましたが、今回もそれが悪い方に出ちゃった感じかなぁ。
悪く言えば盛り上がりに欠けるので、盛り上げるべきシーンを盛り上がりのないままに入念に描写すると「だるい」って感想になるんですよね。
キラと友人たちのシーンも、ラクスとアスランのシーンも、復讐に滾るイザークのシーンも、もっとさらりと流したほうが陸さんの芸風にはあっていると思います。
後「アサルトシュラウド」を「強襲屍衣」と訳したのはちょっと強引と思いました(笑)。
「死に装束」の意味と引っ掛けるなら「屍衣というニュアンスもある」くらいにしておいたほうがよかったかなと。