そうして出向いた先に、そいつはいた。
 まさか、とは思っていた。しかし可能性としてはありうるとも。
 聖杯降臨の地になるほどの場所、ならば大聖杯建立の為の場所になりうるのだと、心の中で納得していたのかもしれない。それとも衛宮切嗣と衛宮士郎の因縁が結ばれた場所であるここが、最も戦うことに相応しい場所であるのだと。
 昨日と同じ、かつて住宅街であり、現在は公園と成り果てた、衛宮士郎の始まりの場所。
 そこに立つのは、死んだ時と同じ姿の衛宮切嗣だ。
「――切嗣、イリヤは何処だ」
「さあな。クライストがなにやらやっていたようだが……私には関係ない」
 その言葉は、引き金そのものだった。
 ガン、ガンと撃鉄が叩きつけられる幻想の感触が俺の脳髄を叩きのめし、魔術回路を走る魔力の奔流が両手に収束され現実を侵食する幻想の産物を実体化させる。その全ては、たった一つの言葉によって引き起こされる、許されない奇跡の一端だ。
投影、開始(トレース・オン)!!」
 何時の間にか走り出していた体を、切嗣は呆れたといわんばかりの表情で銃を向け――
 ガン、カン、キン――!!
 弾道を予測し、干将莫耶のその幅広の刃を持って跳ね返す。
「――む?!」
 魔力をつぎ込むことで強化した脚力を持って肉薄し、干将を持って武器を断ち、莫耶を持って首を――

 全く手応えは無い。
 ――しまった、固有時制御か――?!
 足を切り返しては動きが止まり的になるだけ――ならば勢いそのままに駆け抜け――左腕を打ち抜かれた。衝撃で莫耶を取り落とし、増幅された痛覚とやらに、全身が焼け落ちるような幻覚を見せられる。
 そんなものは幻覚に過ぎない。
 痛みはただの銃弾一発、左腕一本が動かない程度で負ける訳にはいかない。
 敵の武器は銃。
 こちらは剣。
 ならば、一気に接近し、切り裂くか、或いは――


Fate偽伝/After Fate/Again
第二章第五話『正義の味方』



 俺が体勢を立て直した時、既に切嗣はマガジンを交換し、足元に転がる莫耶を手にしていた。
「投影魔術――ではないな。現実を侵食する幻想――ならばこれは劣化した固有結界なのだろう」
 拾い上げた莫耶を見て、切嗣は皮肉な笑みを浮かべている。
「そうか、初めてやった魔術が投影……それがお前にとって最も自然な魔術、本質的なものだったということか」
 それは――本物の衛宮切嗣でなければ、知り得ないことではないのか。
 ではこの男は、やはり切嗣なのか。
「だが、如何なる素質才能であろうとも、死ねば全てが終わる」
 銃使いの魔術師は、感情の消えた顔でありながら、其処に笑い顔を造っていた。

「―笑うなっ!!」
 呪文を唱えるより早く莫耶を生み出し、更なる追撃を!!
 あの戦いの中で流れ込んだ、英霊エミヤの戦いの記憶――そうだ、あいつのシンボルたるこの宝具陽剣干将・陰剣莫耶、あいつならこの双剣を使った戦闘法を考えているはずだ!!
 ならば思い出せ、引きずり出せ、経験を、記憶を、今の俺が出来る事は、自分との戦い!!
 敵との闘いなど、その副産物に過ぎない!!
 イリヤを助ける為に、ここで敗北する訳にはいかない、だから、この、自分自身を何百という剣で切り裂くような痛みなど、この意志をもって切り伏せるのみ!!
「…切嗣!! イリヤは返してもらう!!」
 たった数手。
 それをすれば、碌に動く事も出来ないほどに消耗するのはわかっている。英霊エミヤの戦闘手段を衛宮士郎が使う無理など元より承知!!
 痛みを更なる痛み――穴の空いた左腕を振るうこと――で、動こうとしない左腕に強制的に言う事を聞かせ、干将を切嗣めがけて投げつける!!
「―――鶴翼、欠落ヲ不ラズ(しんぎ、無欠にしてばんじゃく)
 シャァッ!!
 空を斬り裂き、刃を持って敵を切り裂く白の剣。
 切嗣は、髪の毛数本と引き換えに避ける。
 そんな事は元より承知、アルトリアの剣を避け切る魔術と体捌き、俺程度が同行できるものじゃない、だからこそのイカサマだ。
 ピシュッ!!
 第二射。黒の剣は切嗣のコートを切り裂く。コートは中に吊り下げられていた銃の重みで半ばから切れるがそれだけ。
「何のつもりか知らないが、投げた武器など避ければ済む事だ!」
 銃撃。
 ガン、ガン、ガン、ガン、ガン!!
「――凍結、解除(フリーズ・アウト)
 用意していたもう一組の投影。
 再び投影した干将と莫耶、双剣をもって盾とする。
 バン、バン、ガン、ドン、ゴウ!!
 炸裂弾。
 着弾と同時に衝撃と炎と爆風が発生、視界を大きく遮られ、聴覚を殺される。腕はしびれ、魔力をもって意思の束縛から逃げようとする両腕を強制的に動かす。

 ――戦闘を予測するんだ。
 衛宮切嗣の攻撃方法は、殺傷能力に長けている。
 本来なら掠めただけで死ぬか、行動不能になるよう細工してある!
 確実に仕留めるなら、長距離からの狙撃――拳銃は狙撃に向かず、ライフルやショットガンの類は持っていなかった――ならば接近戦か?
 否!
 持っていなかったからとして、ここに無いなどという事にはならない!!

 くず折れる――いや、自分で自分の体を地面に叩きつけて地に伏せ、地を這う蜘蛛の如く駆け出し、頭上を過ぎ去った銃弾が掻き乱した空気の流れを知り、その発射地点へと駆け抜けるのみ!!
 衛宮士郎がどのような事件に遭遇し、苦悩し、結論を出し、世界と契約したのかはまだ分からない。
『鶴翼欠落不。
 心技泰山至、
 心技黄河渡。
 唯名別天納。
 ――両雄、共命別』
 だが、この双剣を最も愛用した理由はあるはずだ。無ければ、このような言葉を刻む事は無かっただろう。視界には、どこか楽しげな顔の切嗣――それが映る。
 この場において、まだ笑うか!!

「―――心技 泰山ニ至リ(ちから やまをぬき)
 地を這う姿勢からの莫耶の切り上げ。
 ギンという致命的な破壊音は、銃のグリップ――カートリッジの底部に防がれるが、これでこの銃は封じた!
「―――心技 黄河ヲ渡ル(つるぎ みずをわかつ)
 この俺の、自身の予測さえ裏切る首を切り裂く干将の斬撃!!
 ぐぉんという、鋼鉄のぶつかり合った音が響いてライフルの銃身がくの字に折れ曲がる!!
 ガンという、金属臭を感じる一撃。
 襲ったのは顎、接近しすぎたのか切嗣の足が何時の間にか蹴り上げられていたのか?!
 上下に揺れる脳を、魔力という生物の常識を覆すもので叩き伏せ、その状態から後ろに飛ばされる体を無理やり捻って双剣を振るい、必殺の一撃を――気づかれた。
 ガ、ゴッ!!
「―――唯名 別天ニ納メ(せいめい りきゅうにとどきめ)
 切嗣は追撃によって完全に壊れた二丁の銃を飛礫代わりに放ち、袖の中のバネ仕掛けのスライドから新しい銃を引き出し――背後に迫る干将を弾き飛ばし、莫耶を爆発によって砕き!!
 完全にタイミングを狂わせた複数の攻撃。その体勢は狂い、立て直す事は不可能。これはただそれだけの必殺の技。
 ――殺った!!
「―――両雄、共ニ命ヲ別ツ(われら ともにてんをいだかず)

 切嗣の目が、崩れた大勢からなお顔を俺に向けて、あざ笑った。


>interlude 5-1


 遠坂凛が使い魔の目で魔術師クライストの姿を確認し、柳洞寺へと走り出した頃、柳洞寺はまた別の客人を迎えていた。

「……キャスター…お前は今、一体どうしている」
 華一輪を持ち、ほんの数日間暮らしただけの相手を想い、献花する。
 その意味は、彼自身が最もよく理解していた。
 ただの朽ち果てた殺人鬼。
 流れ流れて辿り着いたのが寺であったのは、彼の中にいまだ朽ち果てていない思いがあったからではないだろうか。
 そう。だからこそ彼は、この場所にきていた。

 キャスター。
 聖杯を欲する魔術師によって召還された、七騎のサーヴァントの一つ。おのれの主人を殺し、消滅の危機に瀕し、わずかでも魔力のある場所へと……そうして辿り着いた場所。
 コルキスの王女メディア。
 ただ一人の少女でありながら神に心と運命を弄ばれ、愛した英雄に、彼女を救った国に、生き続ける日々に悉く裏切られた稀代の魔女。
 その彼女が見つけた、あまりにも朴訥で実直な一人の男。
 人が人の心を察する事は出来ても、知ることは出来ない。
 葛木宗一郎は彼女のことを殆ど知らない。知る必要もなかった。だが、それでも……一緒に居る事が苦痛ではなく、悪くないと思え、安らげたのだ。理屈でなく、そう感じたのだからそれは真実であると。
 おそらく、彼女もまたここで彼と一緒に居た数日こそが、最も大切な日々であったろう。
 彼女の魂が何処にあるかは分からない。だから宗一郎はここに、二人の記憶のある場所に華を捧げに来たのだ。

 ジャッ。
 突如飛来する長針。
 一部の見切りで、掠める事無くかわす。
「ホウ、良くぞかわした」
 そう言うのは、インバネスコートを着た、青年の外見をした、得体の知れないもの。
 その違和感に、葛木は身を引き締める。
 あれは、違うものだと。
「ここは寺。悔い改める気で来たのか?」
「なぜ、私が悔い改めねばならないのだね」
「…血の臭いがする。それも何十という人間の苦しむ血を吸った臭いだ」
「それが分かる……貴様は何者か」

 表情を変える事無く、葛木宗一郎は言う。
「ただの朽ち果てた…殺人鬼だ」
 その言葉は、引き金そのもの。
 命のやり取りを、始める為の号令だ。
 人形の口が開く、いや顎から外れる。
 出てきたのは機銃。爆発音そのものを撒き散らし、弾丸を撒き散らし、死を撒き散らす。しかし銃弾は直進するものであり、銃口を見れば、宗一郎に避けられないものではない。
「人形……? 魔術師か」
「クアァカカカカカカ!!!」
 口を銃に変えたからか、人形は人間の言葉を発する事は出来ず、しかし驚愕は表情に浮かべた。轟と、人間がすべきではない動きをもって人形に肉迫する宗一郎。軽く握られた拳は毒蛇の牙のように自在に動き、人形の顔の下半分をもぎ取ったから。
「カキャカッ?!」
 大きく顔を失った人形に、既に人間の言葉を話す能力は無い。
 人間の言葉を話す為に、人間の構造まで再現した人形……その構造は、ここにきて最悪の敵に出会ったことで容易に破壊される。頭蓋骨が陥没し、眼窩ごと両目を潰され、耳穴に指先を突き刺され、肩は付け根から捻じ曲げられ、手は指ごと粉砕される。
 人形とは言え操っているのは人間――そのために一部とはいえ意識を移している――のだから、ここまで容赦なく人体を破壊する敵に遭遇し、人形遣いは恐怖を持った。
 ここは危険だ、逃げなければ殺される、人であるのか人形であるのかなど些細な事で、恐怖による死を与えられる。
 恥も外聞もなく、人形の体の中に内蔵している武器、毒、呪い、それを使うことを考える事さえ許されず、ただただ衝撃と共に破壊される。

 笑う事も泣く事も、一切の感情を浮かべる事もなく。
 葛木宗一郎は、人形の全てを破壊する。
「死者の安息を妨げる訳にはいかん。滅べ」
 ただ、この寺という場所を汚す者を排除するだけ。


>interlude out


 なんて――イカサマかッ!!
 首を両断する一撃、それを固有時制御で難無くかわす――いくらなんでも、やりすぎじゃないか!!
「――チェックメイト」
 両肩を貫く衝撃。
 干将と莫耶を持ちつづけることは不可能。
 体が衝撃だけで浮き上がり吹き飛ばされ、頭と全身が地面に叩きつけられる。
「――!!!」
 既に声さえ、出せないのか?!

 一撃で相手を殺す手段があるのに、イリヤの居場所を聞き出すまでは……そう考えたのが甘かったのか? まさか一太刀浴びせる事も出来ないまま倒されるなんて!!
 ああそうだ。アルトリアさえ翻弄する動きだろうと、固有時制御という魔術だろうと、覆す手段はある。例えそれがあっても、この状態では――
「待て、始末屋」
「――クライスト、処置は終わったのか」
 今までの人形とは違う、人間の形の枯れ木にインバネスコートを着せたような姿。それを切嗣は魔術師クライストの名で呼んだ。桜達が相手をした近代兵器の塊のような人形は、魔術が使えなかったらしい。
 なら、処置とやらが魔術的なものだったとしたら?
 それは目の前に居るのが、本物であるという事にならないか?
 何がしかの大規模な魔術を行使したのか、クライストの顔には、高齢や疲労からではない、もっと別の何か……そう、恐怖のようなものが堆積している。だがそれを振り切って、ギルガメッシュを思い出させるような尊大な表情を浮かべ、言葉を発した。
「大聖杯は生きた魔術装置、そう簡単に処置は終わらぬ」
「まだ第一段階すら終わらないのか。大言壮語の割りには体たらくだなクライスト」
 ギシリと、歯を噛み締める音がした。
 クライストが左腕の掌を殊更見せつけるように持ち上げ――
「――切嗣、自らの足を撃ち抜け」
 其処に書かれていた、血文字にも似た擬似令呪が一つ、皮膚から血を吐き出しながら消えた。それはマキリの魔術を無理にコピーしたからか。
 それを考えるよりも先に、銃が火を噴いた。
「ぐ、あっ…!!」
 まさか、味方をわざと傷つけるなんて?!
「たかが人形の分際で、私に逆らうとは…」
「…お前だって大して変わらないだろうに」
 再び歯軋りの音が響く。
 だが流石に今度は短慮は起こさず、余裕を見せつけるように俺を、切嗣を見下して、
「その小僧を連れて行け。固有結界を使う人形……作れるなら面白い事になるだろうからな」
 クライストが俺に見せつけたもの、それはやはり令呪だった。


>interlude 5-2


 本来浄域であるはずの教会。かつて、ある強大な存在を現界させ続けるために此処ではおぞましい儀式が行われていた。言峰の後任として派遣された神父はその痕跡を浄化したが、此処はいまだに清浄と呼べるほどには回復していない。
 日の当たる地上とは違い、この地下にはいまだに浄化されきれないものがわだかまっていた。
「…皮肉なものですね、此処にまた来る事があろうとは」
「アルトリアさん、ここに来たことが?」
 既に完全に武装したアルトリア。彼女は背後に桜を従え、風王結界を手に進む。
 その意識はかつて、この場で行われた選択を思い出していた。

 自分の身を埋める後悔。
 求めるものは、イフ。有り得ない仮定を現実に置き換えたいという思い。
 だが、同じ苦痛と苦悩と願いを抱きならがも、否定した少年の想いの尊さ。
 その言葉によって、死を受け入れた者達。
 その時に感じた、自分の本当の思い。
 それを思い出す。
 思い出したのは大切な事。
 過去は過去にすぎず、否定してはならない、とても大切なものであること。

 そう考えていたのは、あの時のように倒れている人影――それを見るまで。
「まさか―!」
 すわクライストかと剣を持つ手に力を込め、しかしその力が緩む。
 倒れているのは服装も、そして顔も見覚えのある神父。だが、肩口からべっとりと臭うほどの血を流しているその姿は、かろうじて呼吸音が聞こえなければ、生きているとは思えないほどだ。
「駄目だ、サクラ!!」
「き、ゃぁーー?!」
 駆け寄ろうとした桜を、アルトリアは全力に近い力で引き戻し、背後に押しやる。
 桜が文句を言おうとして彼女の顔を見た時、其処にあるのは戦場にある騎士の顔だった。
 斬!!
 斬り捨てられた、理解したくも無い『黒いもの』が、アルトリアの持つ宝具『風王結界』という、人間のものとは比較する気にもなれない圧倒的な魔力をぶつけられて形を失い消滅していく。
「今の、まさか―」
「あの時の、呪いでしょう…」
 それは、神父の体、切り裂かれた肩から漏れ出ていた。
 それを見てアルトリアの顔が、卑劣な、薄汚いものを見たと苛立ちを隠そうとしないものになる。

 キチキチ、カチカチ、キチ……
 硬いモノが、硬い物を叩く音。
 猿、獅子、虎、熊、鼠、蛇、鳥――見覚えのある形が、無理やり刃物や鉄塊で造られた、到底人形に見えない人形――金属と石室の床が壁が天井が、ソイツらによって埋め尽くされていく。

 チャリ、と音を立てて風王結界を構える。相手は人形、斬りつけるのではなく、風王結界の名の由来――風の塊、空気の渦で完膚なきまでに潰すのが正解と見て取ったのか。
「あ、アルトリアさんっ?!」
「……人形遣い……なるほど、一筋縄で行く相手ではないようです」
 アルトリアは背後に桜と神父を庇い、人形の群れを眼前にして緊張を隠さずにいた。
 叩くだけなら簡単だ。
 桜と神父さえ居なければ。
 これほどの敵が居るのなら、この場に留まって守りながら戦うしかない。それがどれほど危険な事か、幾つもの戦場を駆け抜けてきた彼女には苦しいほど分かる。
『マキリの娘に、剣士か』
 歪な甲殻類の群れの中、比較的人間に近い――だからこそ、本能的に嫌悪感を催す――人形が言葉通り『人間でないものが人間の言葉を話した』ような、砂と砂をすり合わせたようなおかしな声を出した。
 その声に覚えは無いが、口調は記憶にあった。
「クライスト――!!」
『ヒトガタの人形は中々高価なのでね、安物ですまないが……この限定された空間でなら、君たちを容易に殺せるだろう』
 二言三言、言葉を紡ぐたびに別の人形が話し出し、まるでクライストが何人も居るように感じられ、またそれが耳障りで気分が悪くなっていく。

「桜、私では神父ごと切り裂くしか出来ませんし、この人形から貴方達を守るので手一杯です。ですが貴方なら……出来ますか?」
 その目は敵を見据えながらも、意識の僅かな部分だけは桜、そして傷つき倒れる神父に向けられている。
 桜はそれを感じ取り、何故自分が一番強いアルトリアと組まされたかを理解した。だから彼女は自分に出来る事が何か、どれだけの事が出来るのか、それを自分が出来るのか、幾つも考え、結論を導こうと必至に考え、出てきた答えをもってアルトリアに言葉を返す。
「……分かりません」
 でも、と。
 決意を見せて、
「やって見せます」
 そう言いきった。
 一瞬だけ、背を向けたまま微笑む。
「それでこそ、桜だ」
『出来る訳が有るまい!!』

 マキリの魔術は教育ではなく、調教によって伝えられる。
 日の光の及ばぬ、地の底でおぞましい蟲の群れの中での、ただただ苦痛を享受し、耐えるだけの日々。そこに差し込んだ日の光は、彼女の最も嫌う魔術を使う者でありながら、全く別の生き方を持った少年だった。
 ――放課後の校庭で、延々と走り高跳びを続けていた姿。
 自分には出来ない、それを知っていても挑みつづけるその姿に感じた憧れ、怪我を契機に通うようになった衛宮家での暖かさ、そして衛宮士郎の朴訥な人柄。それは何時の間にか彼女の中に恋心を芽吹かせる事になる。

 けれどそれは聖杯戦争と事件と、その日々に大きく揺らがされた。
「…私だって」
 義兄である慎二の死。
「魔術師なんです…」
 士郎の戦いの日々と、その苦痛、心に残った傷。
「だから…」
 繰り返される闘い。
 マキリ臓硯の暗躍。
 自らの危険など省みる事無く、ただ真っ直ぐに突き進む少年の不器用さ、そして差し伸べられた救いの手。
「私だけが立ち止まってるわけには、いかないんです!!」
 後は全てを振り切って、自分と戦う。
 衛宮士郎が弓と魔術に自分自身との戦いを求めたように―――彼女もまた、自分自身と戦い、超えることを選んだ。
 意識を集中し、自身の魔術回路を引き出し、神父に相対する。
「苦しいかもしれません……けれど、きっと助けてみせます!」

 切嗣。
 士郎。
 衛宮の姓を持つ二人。
 その戦いがどれほどの苦痛をもたらすものか。アルトリアはそれを察し、戦うことを選び、突き進む。僅かでも少年を苦痛から守るために。
 初めて会った時に騎士としての誓いを掲げ、そして聖杯の破壊と共に果たされた誓い。今の彼女は騎士でも王でもなく、たった一人のアルトリアという少女。だからこそ、士郎と言う少年を守りたいと願う。
「アルトリア・ペンドラゴン――いざ、推して参る!!」
 ズゥオッ!
 踏み込みからの一歩目でトップスピードに、壁となる空気そのものを叩き伏せて鋼鉄の人形に肉薄し、その膨大な魔力を遺憾なく剣をもって目前の敵へと迫る!!
 吹き荒れる暴風。
 アルトリアこそが暴風。
 蒼き暴風となりて、ただ敵を打ち砕く!!
 地を駆け襲い来る獅子を一刀の下に断ち切り、その残骸を砕け散る事さえ許さずに粉微塵とする。
 空を翔ける鷲を貫き、渦巻く風によって千に斬り裂き、地に積もるチリとする。
『ば、馬鹿な?!』
「魔術師クライスト。戦の中に慢心を持ち込むこと、愚かと知れ――!!」


>interlude out


 いつの間にこのような場所が作られていたのか。
 昔、柳洞寺の地下にあった大聖杯と比べればあまりにも小さいが、瘴気が無い事を除けばそれとよく似た空気がこの場に溜まっている。渦巻くほどのこれは、間違い無く魔力だ。
 よく分からない。
 衛宮士郎の異常な解析能力をもってしても、この場にある魔方陣の意味が分からない。まるで、英霊エミヤが遠坂に護身用だと渡したあの宝石の剣のように――あの剣? あの時英霊エミヤは何と言ったか? 第二魔法の恩恵を受けた剣といったはずだ。
 ならばこの魔方陣は、魔術ではなく、魔法の為の……?!

 ――その中央、あの時は黒い塔に塗りつぶされて見る事が出来なかった場所に、白金色の、奇妙なドレスを着たイリヤが居た。
 うまく体を動かせないのか、その目を涙でにじませて、引きずられている俺と……切嗣を見ている。

 クライストは何か、奇妙な本――かつてライダーのマスターだった慎二が持っていた本に似た――を取り出し、こちらに近付いてくる。
「―クライスト、先に処置を終わらせろ。お遊びをしている暇など無いぞ」
「死にたいのか切嗣」
「それはこちらの台詞だ。令呪の縛りでこいつを殺せないが……おそらく此処はかぎつけられた」
「―何?」
「聖杯の無いこの状況でどうやったかは知らないが、セイバーが居た」
 セイバー。
 それは聖杯を欲し、生きたまま英霊となり召還された……かつてのアルトリアのこと。
 切嗣にとっては、いまだに彼女はセイバーなのか。
「セイバーのマスターはこの男。聖杯の無い今では令呪による召還は不可能だろうが……繋がっているのなら、此処を知られた公算が高い」
「貴様、何故それを知って黙っていた――」
「貴様が気に入らなかったからだ。下劣な魔術師」
 それは決定的な決別の意思の現れ。
 クライストと切嗣の間には、他の全てを切り捨てて殺意だけが存在する。
「切嗣、そいつの心臓を撃ち抜け。次は貴様自身の心臓だ」
 偽りの令呪がその力を発する。
 だが偽りであろうと無かろうと、令呪の力は、偽りのサーヴァントたる切嗣を縛る!!

 殺される、それだけは出来ない。
 イリヤを助け出し、みんなの所に帰り約束を果たす。
 それだけが今の衛宮士郎の中にある意味!!
 ならばする事は決まっている!!

投影、重層(トレース・フラクタル)!」
 その言葉によって生み出すのは、存在する物を存在しない物に組み替えた存在。因果すら狂わせ、敵を貫く赤い槍。
 衛宮士郎の意思に、捻じ曲げられた存在、生み出されるのは赤い短剣。穂先そのままの刀身に、植物のツタが絡まるようなデザインのグリップ。剣製時の負担は大きいが、この脳髄を沸騰させるような痛みなど、イリヤを襲う恐怖に比べれば我慢できないものではない。
 たった一つ、本物さえ凌駕する究極の偽物――あえて名付けるなら、投擲短剣『ゲイボルクII』――を、右腕にズシリと存在感を与えるそれに、更に魔力を注ぎ込み、偽りの真名さえ与え、呼び、その真価を発揮させる!!
刺し貫く――死翔の偽槍(ゲイボルク)!!」


>interlude 5-3


 かつて大聖杯の設置されていた大空洞、大規模な陥没を起こし今は無い。
 しかしここは冬木で最も優れた霊脈の集まる場所。故に、ここを呪いで汚染すれば街へと一気に『死』は広がっていくだろう。
 偵察用の使い魔がここに立つクライストの姿を確認し、遠坂凛は一秒の時間も惜しいとばかりに此処へと辿り着いた。

 陥没した地面の調査も終わり、整地がもうすぐ終わる柳洞寺の建設予定地。
 其処はまたもや戦場と成り果て……その一方的になるはずだった戦いは、逆の意味で一方的な戦いになり幕を下ろしていた。それを見て駆け込んできた遠坂凛は……数秒間、言葉を失っていた。
 だからこそ、この場に居る一人の男に声をかけざるを得なかったのだ。
「……葛木先生、一体此処で何を?」
「気にするな。この寺に厄介になっていた者として、このような者の跳梁を許す気は無かっただけだ」
 何事も無かったかのように話す葛木宗一郎の足元に転がっているのは、既に残骸と呼ぶべき代物に成り果ててはいたが、クライストの使っていた人形と判断できる程度の部品は残っていた。
 それが砕かれ毟られ折られ陥没し、人形であるからこその、元が人間の形をしていたとは思えないほどの不気味な状態をさらしている。

「魔術師を相手にするなど久しぶりであったからな。手加減は出来なかったが、人形であったとは」
 ……魔術の事を知っている?
 身構え、もしもの場合の事を考えて、いつでも宝石を放てるよう、手中にしのばせる。

「遠坂」
「……なんでしょうか葛木先生」
「キャスターから聞いている。お前はマスターだったのだな」
 ――キャスター。
 七騎のサーヴァントの一つ、魔術師のクラス。柳洞寺に巣食い、アサシンを門番に置き、深山町のみならず新都まで手を伸ばし生命力という魔力そのものを奪い取っていた存在。
 衛宮邸を襲撃し、果ては突如襲来したギルガメッシュによって跡形もなく斬られ貫かれ消滅した存在。
 それを知るのは何故かと思うよりも先に、理解した。
 ならば葛木もまた魔術師なのかと、更に緊張を高める。

「聖杯とは何だ。あいつはそれを欲していた。だから私はそれをさせていた。……だが、あいつが消えてからふと思うときがある。聖杯とは一体、なんだったのかと」
 奇妙な言葉だった。
 聖杯。
 魔術師だけでなく、宗教家も知り、ほんの僅かオカルトをかじっただけの一般人でも知っている存在。それを本心から知らないと言っているのか。
「先生、本当に知らないのですか」
「ああ。当時は全く興味が無かったのでな」
「……そうですか」
 その言葉に嘘は無かろう。
 油断をせず――詠唱を必要とせずに行使できる魔術を幾つも頭の中で用意しつつ――さらには夏にアーチャーから託された一本の宝石剣さえ用意して――言葉を発する。
「全ての願いを叶える万能の釜、それが聖杯。この冬木市にあったのは、それを再現した、本物と同じ力を持つ偽物でした」
 その言葉の中に、衛宮士郎に対する評価と同じものがあることに気づき、一瞬だけ笑いたくなった。では偽者の士郎、その本物は切嗣なのだろうか。そう考えたときには悲しくなった。
「しかしそれは呪いに汚染されていて、願いはそれと同じだけの破滅をもたらします」
 同じだけ、だろうか。
 それ以上では無かったか。
 士郎もまた、切嗣の呪いに侵されているのではないのか。
「それどころか。呪いが開放されるような事があれば、それは間違い無く人類全てを殺すまで止まらない物になっていました」
 そして、いまだに回避されたのかわからない未来……そこでは、憎悪ゆえに英霊の座についた赤い騎士の存在がある。
「……そうか。この人形の言っていた『再建』というのは、それを知った者が破壊したと言う事か」
 何か感じ入る物があるのか、葛木は言葉を切る。

「願いなど、叶えてしまえば空虚しか残らない」
 言って、かつて大切な物を幾つも失い、取りこぼしてきた自分の手を見つめる葛木の心は一体何処にあるのか。
「だが」
 視線を凛へと向け、
「空虚以外の物が残るなら、それは本当に大切な物なのだろう」
 そう言って凛の脇を抜け、参道の階段を下りていく。その後姿には、失った者を、失った後にその大切さをかみ締める人間の後悔が張り付いていた。
「――本気で愛した相手なら、絶対に手放すな」
 まるで、お前はこうなるなと忠告しているように。

 凛は動けなかった。
 あのような空虚な目をした人間が居るという事実に。
 彼をそう変えてしまったものが、人の心そのものであるということに。


>interlude out


 ドン!!
 肩を貫く衝撃。死んだ方がマシなくらい痛むが、イリヤを助ける方が先、そんなものは後回しだ。掻き乱される意識を必要な分だけ集めて、意識を集中、次の一手を――
「投影―」
 わらっていた。
 嘲笑なんかじゃない。本当に、楽しそうに笑っていたんだ。
「強くなったね、士郎。君はもう、一人前の正義の味方だ」
 その顔にあるのは協会の暗殺者でも、アインツベルンの刺客でもない。俺がずっと憧れてやまなかった、衛宮切嗣という正義の味方だった。
「何故外した切嗣、早くそいつに止めを――」
 ゴッ……
 今までの銃弾とは明らかに異なる音。
 それがもたらしたのはクライストの言葉を、そして命を完全に断ち切る一撃だった。生きているのがおかしいくらい高齢なクライストの体は、倒れこむより先に吹き飛ばされ、紅蓮の炎に包まれて、重機に巻き込まれた人間のように軽々と吹き飛んでいく。
「魔術師クライスト。元からお前に大聖杯の再建なんて出来やしない――イリヤの呪縛さえ解けば、お前のような外道に用など無い――」
「れ、れいじゅ…」
 生きているはずの無いクライストは、それでも言葉を放ち――
「馬鹿だな。英霊さえ従えるマキリの令呪ならともかく、急造の偽造品なんか、痛みを我慢すれば大した事は無いんだよ」
 痛みに耐える事で毛細血管が破裂し、いたるところから出血しながらも……切嗣は笑ってみせた。
「ホムンクルスの寿命は短い――けどな、生まれたからには、自分で意味を決めて生きる――イリヤの決意の邪魔はさせない……」
 ガクン…と、切嗣の膝が折れた。

「オヤジ――!!」
 膝を突くオヤジを見かねて駆け寄ろうと――
「来るんじゃない!!」
 足を止められた。
 ボタボタと落ちる真っ赤な鮮血。
 オヤジの胸には深々と、俺が作った赤い短剣が突き刺さっている。あれは間違い無く致命傷だ。ここに至って俺は間違えてしまったのか。人ではない、ホムンクルスの体だからなのか、まだオヤジはその体を動かせる。
 いまだ体を動かす事の出来ないイリヤの体を持ち上げ、
「アインツベルンの至宝『天のドレス』――人間が触れれば、黄金と化す――だがこれさえ破壊すれば……少なくとも、イリヤが生きているうちに聖杯が再建されることは無い」
 そう言いながら、天のドレスを破り捨てた。
 代わりに自分のコートをイリヤに着せるその姿に、俺は何も言えなかった。
「本当はもっと早いうちに何とかしたかったんだけど……ごめんねイリヤ、駄目な父さんで」
「キリ、ツグ――?」
 震える瞳。
 その目に映っているのは、きっとオヤジの姿だけ。10年前、突如アインツベルンを捨てて消えてしまったイリヤの父親。その追い求めた姿がそこにある。
「イリヤ、君にもう聖杯の呪縛は無いんだ。だから……ただの人として生きていいんだ。好きな人と一緒になって、子供を産んで、おばあちゃんになって、普通に死んでいけるんだ」
「オヤジ、アンタまさか――」
「イリヤは聖杯にされて、それでも生き残れたんだ。その魔力のおかげで生命力の強さは普通の人間として生きれるくらいに強くなってる。なら、それを邪魔するものを全部壊してしまいたくてね」
 怪我をさせて、怖い思いをさせてごめん、と。

 ジャコッ。
 俺がそれを何の音か理解するよりも先に、オヤジはイリヤをこちらに投げ――?!
「伏せろ、二人ともッ!!」
 悲鳴をあげる彼女を、何とか受け取り、その言葉を理解するより先に、イリヤを抱きしめて地に伏せ――その原因を見る事に成功した。
「―キャ?!」
「イリヤ!!」
 ゴバァッ!
 衝撃に震え全身から血を流しながら――ホルスターに残る最後の拳銃を松明同然のクライストに向け――発砲した。
 その中にあった弾丸が、どのようなものであったかは分からない。
 だがクライストの体は炎の中にあって凍りつき、ついには砕け散り、存在を全て消滅させた。
「油断…した。まさか、自分の本当の体まで、人形扱いしているなんて…ね。二人とも……無事かい?」

 ああ。
 そうだ。
 俺は一体何を見てきたのか。
 衛宮切嗣は死ぬまで、そして死んでからも『正義の味方』だった。
 英霊エミヤの憧れたものは、そして衛宮士郎の憧れたものは、真実エゴイストで、本物の正義の味方だった。

「ああもういいや。イリヤが無事ならさ」
「――そっか。士郎も今じゃお兄ちゃんか」
 本気でどうでも良くなって笑った。オヤジも笑っている。きっと今、俺達は二人揃って子供みたいな顔して笑ってるんだろうな。
 オヤジは笑ったまま真面目な目をして――
「僕は嬉しいんだ。息子も娘も、僕なんかよりずっと立派になって」
 イリヤの髪をなでるその姿。
 その姿に、俺はもう居ない、火事で死んでしまった父さんと母さんの姿を思い出した。
 何で、こんなにも大切な事を忘れてしまっていたんだろう。どんなに時間が経って色褪せてしまっても、そこにある一番大切なものは捨てられない、消えない、忘れない。
「そう、もうこれで消えてしまえる。未練なんて無い」
「え――?」
「――どうして―?」
 何でそんな事をいうのか。
 まるで、あの時消えていったアルトリアと同じ表情をするなんて。
「おいおい、僕はもう死人だよ。それに、この急造の体は、何もしなくても後何日ももたなかった。今は、君たち生きている人間の時間なんだ。死んだ後に後悔の消えた僕の台詞じゃないけどね。生きているからやれる事がある、だから生き続けるんだ。死んだって後悔しない自分である為に、誰も後悔させない死を迎える為に」
「やだ、やだやだやだやだやだやだ!! しんじゃやだ!! いっしょにいてよキリツグ!!」
 困った。
 嬉しそうにそんな顔をしてオヤジはイリヤを抱きしめた。
「どうしよう、未練が出来ちゃいそうだ」
「だったら、私が何とかするから、だから、だから……だから死なないで、お父さん!!」
 その一言は、何よりも雄弁だった。
 袂を分かってしまった父親。キリツグとしか呼べなかった父親。だから、彼女は全ての感情を封じていた。たった一言、呼べば封じたものが溢れ変えるのは分かっていたから。溢れ変えるのが分かっていても、呼びたかったから。
 それほどまでに、お父さんを愛していたから。
 オヤジはイリヤの額にキスをして――
「ありがとう、イリヤ、士郎。僕は……きっと誰よりも幸せなんだ」

 その言葉に全ての思いをのせて、衛宮切嗣は二度目の生を終えた。


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