風が優しく囁きかけるように吹き、梢を揺らす。
花は甘い香りをもたらし、嗅ぐ者の心を和ませた。
――平和。
そんな言葉がまさしく相応しい村であった。
外では魔物が他の町や村を蹂躙していると言うのにここでは全く関係ない事の様に時が流れている。
この時がずっと続けばいい……、白い花々に囲まれながら彼女はそう、願った。
まるで外界と隔絶されているとしか思えない村の中、風に揺られ、花の芳香に囲まれる。
それは一人で、独りでではなく、

「シンシア?」

優しげな響きと共に現れた少年。
草を踏み分けて来たせいだろう、靴が草汁に汚れている。
少年と言っても年の頃は十代後半、鮮やかな緑玉の髪を持ち、どこか人とは異なる典雅な容貌を持っている。
どうみても荒事には向いてなく、傍らの彼女と共に花園の中で笑い合ってるのが相応しい雰囲気。
そして彼女もまた、それを望んでいた。
シンシア――そう呼ばれた彼女は優しく微笑みながら振り向いた。
その微笑に頬を紅潮させる。

「どうしたのユーリル?」

小首を傾げながらシンシアはユーリルに話しかけた。
ユーリルはシンシアの言葉にマトモに返事ができず、早鐘の様に打たれる鼓動を抑えるのに必死だった。

「あ、その、シンシアを見かけたからどうしたのかな、って思って……」

ユーリルは思う。
ほんの少し前まではシンシアと話していてもこうはならなかった。
いつ頃からだろうか? 彼女を、シンシアを意識し始めたのは。
幼い頃から現在に至るまで彼女の姿は変わっていない。
その美しい容姿も、優しげな微笑みも、なにもかも。
未だ手を繋ぐことしか叶わなかった小さい頃、あの頃抱いていたのは憧れ。
それが恋へと変わったのは何時からだっただろうか?

「ユーリル?」

何時までたっても言葉を返さないユーリルに訝しげな目を向けるシンシア。
ユーリルはそれにすら言葉を返さず、そっと腕を伸ばしてきた。
シンシアが驚きの声を上げている刹那にその華奢な身体はユーリルの胸の中へと抱かれていた。
優しげにシンシアの背へと手を回し抱きしめるユーリル。
ユーリル自身、なぜこんな事をしたのか分からなかった。
気づけばシンシアを抱きしめており、その温もりに更に混乱する羽目になっている。
微かに鼻をくすぐる甘い香り、初めて抱きしめたシンシアの身体は柔らかく、その感触に先ほど以上に鼓動が早くなる。

「ゴ、ゴメン!!」

シンシアの背に回していた手を解き、離れるユーリル。
その顔は見るまでもなく紅潮しているのが分かるだろう。

「ええと、その……」

気が動転しなにを言えばいいのか分からないのだろう、意味の無い言葉だけが出てくる。
慌てたユーリルの姿に思わず小さく笑みを零してしまうシンシア。
その笑みをどう受け取ったのか、

「ホントごめんっ!!」

と言葉を残しユーリルは駆け出した。
残されたシンシアは小さく溜息を零し足元に置いてある羽帽子を手に取る。
羽飾りを指先で玩びながら、

「ユーリルの意気地なし」

ポツリと呟いた。

 

 


 

 

シンシアの元より逃げ出した、としか言いようの無い状態のユーリルは息が切れるまでに走り続けて漸くその足を止めた。
両膝に手を置き、荒々しく呼気を吐き出す。
手の平より感じるのは固い感触。
今、手の平より伝わる感触とは真逆のそれを思い出し、またもや頬が紅潮してくるのをユーリルは感じた。

「……はぁ、嫌われたかなぁ」

いささか情けない事を呟くユーリル。
尤も、自分から抱きしめたと言うのに逃げ出しているのだから言葉以上に実際は情けないが。

「どうしてあんな事しちゃったんだろ」

自分の行動が信じられないと呟くユーリル。
再び溜息を零すがそれで過去が覆る訳でもなし、結局とぼとぼと歩き始める事しかできなかった。

 

優しく吹く風も、馥郁たる香りもユーリルの気落ちした心を慰める事はできなかった。
代わりと言うべきか、気落ちした心に飛来したのは、

「なんだろう、この感じ……」

胸を掻き毟る様に指を立てるユーリル。
ざわざわと不安が押し寄せる。
まるで悪意持つ何者かに心臓を直接握り締められているような感覚。
汗が、吹き出る。まるで真夏の日差しに照り付けられている様に。
ハァハァ、と海より上げられた魚の様に口を半開きにし、呼気を求める。
身体に異常など無い。だと言うのにこの苦しさは異常だ。

「どこ……から?」

今にも倒れこみそうな身体、ぐるぐると回転しているかのような視界。
掻き消えそうな意識を必死に保ち、周囲を見回す。
何一つとして変わったものは無い。
唯一変わっていると言えば誰一人としてユーリルの異常に気がつかないということだ。
まるで誰の眼にもユーリルが視えないかのように。
だがユーリルにはそのような事を気にしていられる余裕は無かった。
この生きたままナニカに蝕まれていく感覚に抗う為に、その感覚の発生源を探す為に。

「宿屋……」

霞んだ視界の中で見咎めた建物。
普段と変わらぬ、とても上等とは呼べない建物だと言うのに今日だけは、今だけは異なって見える。
意のままにならぬ身体を引きずりながらユーリルは一歩一歩進む。
それはさながら生贄の祭壇へと向かう子羊のように。
胸に爪を突き立てつつ異常者同然に荒々しく息を吐き、吸う。

吐く息が――熱い。

灼けた鉄を肺に詰めたかのように。

身体が――凍る。

背骨を抜かれ、代わりに氷柱を詰められたかのように。

刹那が永遠、と思える程に時の流れが遅く感じる。
蝕まれた身体、永遠の様な時、灼熱の吐息、狂々と回転する世界、全てが呪わしく忌々しい。
宿屋の扉を開く。
喧騒とは程遠いざわめきが熱気となっている。
だがそんなものはユーリルの耳に入らない目に入らない。
ユーリルが認識する者はただ一人。
孤高というものを具現化すればあの様な者になるであろうと思われる男。
ざわめく宿屋の中でただ一人超然とした姿で在る男。
まるで月光を梳ったかの様な長い銀色の髪。
紅玉をはめ込んだかの様な瞳。
ただ色素が薄い……というものではなく、遺伝など関係なく、その姿で在れ、と絶対者が決めたかのような姿。
怜悧な美貌がそれを際立たせる。
帽子の影より覗く瞳が闇の中で燦々と輝いてる太陽を思わせる。
それはさながら闇の太陽。
光で世界を照らす太陽ではなく、暗黒で世界を覆う太陽。
その瞳を、男をユーリルは見た。
そして男もユーリルを見た。

世界が――乖離する。

世界が男とユーリルだけしか存在しない世界となる。
周囲の全てが色を、意味を剥奪された。
白黒の世界の中で色彩を持つ者は男とユーリルのみ。
男の、まるで血を紅として指したように紅い唇が微かに弧を描いた。
笑みが浮かんでいる。
笑みが語っている。
――漸くミツケタ、と。
大事な、大切な誰かを見つけた時に浮かべるような笑み。

――ドクン。

一際、大きく、鼓動が鳴った、気がした。
男の笑みを見た瞬間から、否、男の姿を認めた瞬間から、早く鳴り続けている鼓動。

 

身体中の血が沸騰したかの様に熱い。

その血が叫ぶ。
アレは敵だ。だから戦え、と。

身体中の血が凍りついたかの様に冷たい。

その血が叫ぶ。
アレは敵だ。それでも隷属しろ、と。

 

共に敵と叫びながら異なる答えを示す血。
その差は一体なにから来るのか。
答えを見出す間もなく、ユーリルは宿屋の戸を吹き飛ばすように開け、駆け出した。

 

こわい! こわい!! 恐怖こわい!!!)

ガチガチと歯を鳴らしつつ駆けるユーリル。
滲み出て来る――ではなく、溢れ出てくる恐怖。
それに溺れてしまいそうになる。
心という海の海水が恐怖という名を付けられる。
誰かにぶつかった。誰かも判らない。
あの男ではないだろうが、それでも……ユーリルは助けを求める気にはなれなかった。
誰も助けにはならないと識っているからだ。
この恐怖を感じ続けるくらいならば死んだ方がマシだ、と心中で絶叫しながらユーリルは自らの家へと駆け込んだ。
母親が驚いた顔で出迎えた。
突然、扉が開いたと思ったら息子が凄まじい形相で入ってきたのだから当然だろう。
声を掛けてみるがユーリルは返事をせず、

「あの男……あの男……」

と宿屋で遭った男を思い出しながらまるで呪詛の様に呟いている。
それは……心ではなく血が呟かせる呪詛。
心はただひたすらに男の事を忘れたがっている。
その祈りに等しい願いを血は叶えさせず、呪詛を吐き続けさせる。
震える体。怯える心。
何も考えたくなく、ユーリルは幽鬼の様な足取りで自室へと向かった。

 

小奇麗に整頓された室内。
ベッドと陽光の温もりが残るシーツ。
それに倒れ込むように身体を預け、ユーリルは震える身体を抱きしめる。
震えが止まらない。
今こうしてる間にも男が来そうな気がして。
あの誰もが見惚れそうな微笑を浮かべて自らの元を訪れそうな気がして。
あの男の前では何もかもが無駄になりそうな気がする。
痛みと共に学んだ剣技・剣術も。何度も失敗しながらも学び、修めた魔法も。悔しさと共に憶えた戦い方も。
全て、そう、全てがだ。
ユーリルという存在の全てを否定するような男。
それに気づきたくなくて、忘れたくて、ユーリルは瞼をキツク閉じた。

なぜか――無性にシンシアに逢いたかった。

彼女の――笑顔が見たかった。

この手に――シンシアの温もりが残っている気がした。

その手で自らを抱きしめている。それだけで、この凍える身体が温かくなった。

あぁ……、と吐息のような声を零しながら、

(明日は……シンシアに逢いに行こう……)

安堵感からか急激に眠気が襲い掛かってくる。
闇に沈んでいく意識の中ユーリルは想う。

(それで……彼女に告げよう……)

シンシアの事を想うだけで恐怖が拭い去られてゆく。

こんなにも自分が彼女を想っていたとは気づかなかった。
こんなにも自分が彼女を必要にしていたとは気づかなかった。

――だから。

(君が……好きだって……)

そうしてユーリルは眠りへと落ちていくのであった……。

 

 


 

 

ユーリルの目を覚ましたのは雀の囀りなどではなく、爆音であった。

「なんだっ!?」

突如響いた爆音に驚きながら窓より外を見ると、

「村が……燃えている」

轟々と夜の闇を焼く炎。
聞こえるのは剣戟の音と悲鳴。

「ユーリル!!」

いつもは巌の様にどっしりとしている父親が剣を持ち、蒼白の表情でユーリルの部屋に駆け込んでくる。
その表情からただ事ではないと知るユーリル。

「よく聞け。……魔物が攻め込んできた」

ユーリルの両肩に手を置き、口を開く。
その衝撃的な内容にユーリルもまた顔を紙のように白くし、

「じゃ、じゃあ戦わないと!!」

自分の剣を手に取ろうと手を伸ばすが、

「駄目だっ! お前は……倉庫へ行くんだ。あそこには地下室がある。あそこなら魔物達の目から逃れる事も可能だ」
「父さんっ!!」

ユーリルは父親が何を言ってるのか理解できなかった。
いや、理解はしていた。ただ、信じられなかった。
こんな時の為に剣を学ばせたのではないのか? こんな時の為に魔法を学ばせたのではないのか?
そんな思いが出てくる。
だがそんなユーリルの思いを裏切って、

「ユーリル……お前は生きろ。いや、生き延びなければいけないんだ」
「父さんなにを……?」
「いいから聞くんだ。……17年、だったな。お前と暮らしていたのは」

聞きたくない、痛切にユーリルはそう思った。

「俺は、良い父親だっただろうか?」
「父さんそんな場合じゃ……」

嫌だった。父親の言葉をこれ以上聞くのは。
だがそれでも言葉は紡がれた。

「ユーリル……俺は、母さんは、お前の本当の親じゃない」
「……がう」
「お前の本当の親は……」
「違うっ! 父さんは……母さんは僕の父さんで、僕の母さんだ!!」

だからホントウの両親なんて知らない、と全身全霊で叫ぶ。
その叫びを聞き、

「ありがとう……」

透き通る声で言葉が返された。

「だけど、それでも、お前は勇者なんだ……」
「ユウ……シャ?」

どこか哀しそうな顔をした父を見ながらユーリルは言った。
その言葉の意味を理解できなかったから。

「ああ、そうだ。魔物を倒し、世界に平和を、光をもたらす者だ」
「僕はっ……!!」
「だからお前は生きなければ、生き延びなければいけないんだ」

ユーリルの言葉を切り、自分の言葉を続ける。

「俺も母さんもお前の本当の親じゃない。だが、それでもお前は本当の息子だった」
「……」
「ユーリル。本当の事を言うとな、俺にとってこの戦いは『勇者』を守る為なんかじゃない」

ふっと苦笑を浮かべる。
だがその苦笑はどこか誇らしげで……。

「俺にとってこの戦いは……『息子』を守る為の、戦いだ」
「とう……さん」

ユーリルの両肩より手を離し、室外へと駆け出していく。

「ユーリル! お前は生きろ!! それが……父親としての俺の最期の言葉だ」
「父さんっ!!」

父親の後を追う為、駆け出すユーリル。
部屋を出て、出口へと向かう。
居間には父親の姿は無く、母親の姿は無く。
零れそうになる涙を抑えながら出口を目指す。
そして出口にあった姿は、

「ユーリル!!」
「シンシア!?」

白い肌が煤に汚れながらも、尚も美しいと思えるシンシアの姿。

「こっち!!」

ユーリルの手を引き、駆け出すシンシア。
目指す場所は父親の言っていた倉庫だろう。

「シンシア! 父さんがっ! 母さんがっ!!」
「お願い……走ってユーリル。誰も貴方に死んでほしくないの」

悲痛なシンシアの声にハッと息と言葉を呑むユーリル。
その声に幾許か冷静さを取り戻しシンシアに手を引かれながら周囲を見渡す。
穏やかな村は形を潜め、今は死臭と様々なモノが焼ける臭いが充満している。
その光景に血が出るほどに唇を噛むユーリル。
哀しくて、悔しくて。
それでも叫ばないのはただ、手より伝わる温もりが在るから。
程なくして倉庫にたどり着く。
この事を予期していたのか、頑強な造りの倉庫へと。
扉を開け入り込む二人。
シンシアが床に偽装された入り口を引き上げる。
そして再びユーリルの手を引き、地下室へと入っていった。

 

長い事使われていなかったのだろう、地下室の中は黴臭く、汚れていた。
だがそれでもその頑強さは見るだけで分かった。

「ユーリル」

静かにシンシアは呼びかけた。
その呼びかけにゆっくりとシンシアの顔へと視線を向けるユーリル。
今にも泣き出しそうなその顔。
だがそれを誰が責めることができようか。
突如、魔物に襲撃され、父親にホントウの親ではないと告げられ、そして――。

「ここなら安全よ」

いつもと変わらない、優しい笑みを浮かべてシンシアは言った。

「ユーリル。もう、聞いたと思うけど貴方は……」
「……らない。知らないっ! 勇者なんて知らないっ!!」

涙を堪えきれない。
シンシアの口からだけは聞きたくなかった言葉。

 

「勇者なんてどうでもいいっ! 逃げようよ! シンシアッ!!」

無様に涙を流し、まるで子供の様に叫ぶユーリル。

「魔物も何も関係ないっ! ここから逃げようよ、シンシアッ!!」

その姿は人々が望む勇者の姿などでは無かった。

「君だけは……せめて君だけは死んでほしくない……」

人々が望む勇者ではないけど、でも、その姿はただ、哀しいけど、愚かしいけど、それでも――。

きっと、シンシアが望んだ姿。

醜くて、弱くて、無様で、愚かしくて、情けなくて――。
けど、ただ『シンシア』を『見ている』、シンシアだけの勇者。

だけど、それは――。

 

「――だって僕は君のことが……」

ユーリルの言葉はそれ以上続けられる事が無かった。
唇に感じる仄かな温もりと感触が遮ったから。
外では今も人が死に、魔物が死んでいるだろう。
なおかつそれは『勇者』への祝福ではなく、『ユーリル』への祝福。
それは天空の城に座す、神に背く祝福だろう。
それでも、それでも……この時だけは神聖で、決して侵してはいけない時。
だがそれは決して永遠ではなく、

「ユーリル、その続きは今度……逢った時にしましょう?」
「シンシア……」

呆然としているユーリア。
気づかぬうちに自分の唇をなぞっている。

「でもね、私の気持ちだけは言っておくね」

にっこりと花が咲くような笑顔で、

「私は……ユーリルの事――好きだよ」

え、と小さく呟くユーリル。

「『勇者』なんかじゃなくってユーリルの事が……」

この黴臭い倉庫が華やかになりそうなほどの笑顔を浮かべているシンシア。

「……好き……だから……」

その笑顔とは裏腹に声が震え、掠れていく。
ユーリルには決して知らせることのできない、この後の避けることのできない別れを思い。
震える声、掠れる声、でも、その言葉だけは決して掠れていない。
シンシアの瞳より涙があふれ、一筋の線が頬に描かれ、一滴落ちる。
それは美しい輝きを持った紅玉――ルビーへと変わり、

「あ……」

儚げな声と共にユーリルが差し出した手にその『涙』が落ちた。
人の手に触れれば砕けてしまうそれはなぜか砕ける事無くユーリルの手の中に残った。
まるで……シンシアの決して砕けない思いを表したかのように。

「ラリホーマ……」

大切そうにそれを受け止めたユーリルを見て、儚げな笑みを浮かべ、『力有る言葉』を口にするシンシア。
ユーリルは急激に襲い掛かる睡魔という言葉では足りないほどのそれに抗いながら、

「シンシア……」

絶望的な表情でただ彼女の名前を呼んだ。

「ユーリル。それじゃあ、またね……」

『また』など無い事は彼女自身が分かりきっているであろうに、それでもその言葉を口にする。
笑みを崩さず、これ以上、悲しみの涙を溢れさせない様にしながら。

 

視界が闇に閉ざされていく。
こんな眠気など! と抗うユーリル。

意識が消えていきそうになる。
言葉を紡ぐシンシア。紡いだ後にシンシアの姿が己と寸分違わぬ姿となる。

身体が強制的に眠りへと落ちそうになる。
己の姿をしたシンシアが踵を翻し外へと出て行く。

抗えない。この眠りに。
魔法がもたらす睡魔であろうと強い精神を以ってすれば抗えるはずなのに。
まるでシンシアの願いが込められているかのように。

意識が、闇に、沈む。
地下室だというのにそれでも響くのは声を発した者の大音声のせいだろう。

「デスピサロ様! 勇者を仕留めました!!」

その大音声を以ってしても眠気を払うことは出来なかったが、

(デス……ピサロ……)

その名をユーリルに知らせる事だけはできた。
それが、宿屋で出会った男の名だと直感的に悟る。
だがそれ以上に、

(誰を……仕留めた……?)

勇者と呼ばれていたのは自分だったはず。だが、外の声は仕留めたと言った。
ならば、それは――。

(シン……シア……)

そして完全に眠りの世界へとユーリルは落ちた。

 

 


 

 

目覚めの切っ掛けがなんであったのかは分からない。
ただ、ユーリルは目覚めた。
手にシンシアの涙を握り締めながら立ち上がる。
まるで幽鬼の様にフラフラと危うげに歩きながら地下室を出て、倉庫を出る。
外に出て見た光景はさながら地獄絵図であった。
魔物の血と肉によって汚染された為に出来上がった毒の沼地。
家屋には魔物のものとも人のものとも分からぬ血が塗られていて。
不思議な事に魔物の死骸はあるのに人の、村人の死骸が見当たらない。

(ああ、勇者を仕留めたと言ってたし、晩餐会にでも出されるんだろうな)

マトモに働かない思考、マトモな答えを出せない精神。
危うげな心と足取り。それ故に転んだ。
べシャッと受身も取らず、顔面より地面に倒れるが鉄臭い泥のお陰で怪我は無い。
汚れただけだ。――地面にぶちまけられた血と土、という泥に
。 緩慢な動作で立ち上がり変わらず危うげな心と足取りで歩き出す。
目指す場所は唯一つ。
その唯一つにたどり着いた。
そこにはシンシアのお気に入りであった花畑など最早無く、その残骸と死骸が転がるだけだ。

「どうして……」

昨日までは――。 昨日まではここでシンシアと話していたのに。
呆然となるユーリアの視界の片隅に見慣れたものが入った。
それは汚れきっているが、

「シンシアの……帽子」

純白の羽飾りは元の色すら分からぬほどに汚れている。
それを拾い、シンシアの涙と共にそっと……抱きしめる。
そうすればシンシアの温もりが感じられると思ったから。
だけど感じたのは血に塗れた冷たい、それ、だけ。
温もりなど残っていなかった。
その冷たさがユーリルの砕けた心を修復した。
その冷たさがユーリルが認めたくなかった現実を知らしめた。
村の者達が死に絶えたということを。

 

彼女を――シンシアを喪ったという現実を。

 


「あ……」

一度零れだすと、もう、止まらなかった。

「あ、あ、あああ、ああああああああああああ!!!!」

溢れ出す涙。止まらない慟哭。

「ああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

羽帽子とルビーを胸に抱き泣き叫ぶ。
天に向かって慟哭する。
もう会えない。父親に、母親に……シンシアに。
泣き叫ぶ中で脳裏を過ぎるのは数々の思い出。
彼女の笑顔が、怒った顔が、泣き顔が、喜んだ顔が。
もう、見ることは、できない。
そうして最後に思い出したのは消え行く意識の中で聞いた名前。

「デス……ピサロ」

鬼の形相でその名を口にした。
その名を口にするだけで、聞くだけで、憎悪が止まらない。
なにより止める気が無い。

「デスピサロ……」

今一度呟く。
己の敵の名を。殺すべき敵の名を。
噛み締めた歯より鮮血が溢れるがその血も痛みも気にならない。
否、それこそこの何一つとして守りきれなかった己への劫罰として受け止める。
血走った眼が蒼天を睨む。
その先に憎むべき存在がいると言わんばかりに。

「殺して……殺してやるぞ」

言葉は呪詛として大気を侵食する。
吐く息がまるで炎のように見える。

「絶対殺してやる……。デスピサロ……貴様だけは……絶対に殺してやるぞぉおおおおお!!」

死と呪いの果てに生み出されたものは勇者ではなかった。
ただ、大切な者を喪わされた復讐者が生まれた。

 

胸の中で紅玉が哀しげに輝いてた……。

 

 


 

 

今週のNGコーナー☆

 

デスピサロとの初対面、より。

――その瞳を、男を、ユーリルは見た。
そして男もユーリルを見た。

「ユーリル。あんたはなににすんだい?」

「あ、それじゃあ軽いのでなにか一杯」

「かぁ〜! 真昼間から酒かい? シンシアが悲しむよ」

「……」

――五時間後。

「そりゃあね、子供っぽいとか言われてるけど僕も男なんだよ?」

「いや、分かったから、いい加減私を解放してくれ……」

「分かってない! シンシアも分かってない! 僕の気持ちを分かってない!!」

「……」

「僕だっていつまでも子供じゃないんだ。そりゃあ大きな声では言えないけどシンシアの事を考えてちょっとえっちい想像をした事もあるよ」

(ロザリー……助けてくれ……)

銀髪の男(デスピサロ)に酔って絡み続けるユーリル。
その後、延々と続く愚痴はシンシアが引き取りにくるまで続いたそうだ。
ちなみにこの事が元で、

「デスピサロ様、勇者は?」

「……変な人間はいたが、勇者はいなかった」

疲れきった表情で呟いたデスピサロの言葉にこの村は壊滅より免れたのであった。

 

 

 

代理人の個人的感想

なんでも「この連載で俺がダークでないことを証明して見せる!」と公言してるそうですが。

本気ですか〜〜〜?(斜め視線)

そう思ってる人はこんなネタは選ばないんじゃないかな〜、などと思ってみたり(笑)。

 

 

それにしても「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄」とか「貧弱、貧弱ゥ!」とか、

そ〜ゆ〜セリフを吐きそうなデスピーであることよ(爆)。

シンシアはシンシアでおなかに傷があって男を亡くした経験がありそうだし(爆死)。