/1
その短い生涯に光は無く、祝福は無く、祈りも無い。
延々と続く陵辱の記憶は、過ぎ去った現象でしかない。
意味など無い――如何なる凄惨な日々も既に意味を持たない。
誰も憎んでいない。
誰も恨んでいない。
既に磨耗した心が何を感じると言うのか?
なにより、恐れていたのは彼に知られて、否定される事だったのだから。
そしてその懸念も無くなった。
彼は――衛宮士郎は彼女を受け入れた。
黒々と燃え盛る炎の様な呪いの汚濁に満ちた地の底で、黒い胎児を背にして間桐桜は微笑む。
朱線が幾筋も走る闇黒を身に纏って、静かに桜は待ち続ける。
人の窮極のカタチの一つとなって、つまりはこの世全ての悪となって、桜は待ち続ける。
微笑みながら見るのは目の前に立つかつて求めた姉ではなく、今、彼女のサーヴァントと戦う愛しい者。
自らの理想を彼女の為に捨て、今は人の形すら捨てようとしている士郎。
凛の語り掛けに桜は応えない。
ただ邪魔である者を排除する為に影の巨人を繰り出すだけ。
それが百度凛の持つ剣に切り裂かれようと関係無い。
もう、既に彼女は姉を求めてもいないし、憎んでもいない。
だから――
「■■■――」
なにを言われようともその心には最早届かない。
桜は哀れみを込めて、血に塗れた凛を見る。
その胸に桜を抱き、黒い衣を己が血で濡らす凛を見る。
優しげな微笑、ここ一番で失敗するのが遠坂の常だと言うのならば、桜の心を見抜けなかったのがそう。
そっと、姉の腰に手を回し、桜は言う。
「姉さん……」
唯一人、自分と血の繋がった姉に対する最後の慈悲と言わんばかりに優しく抱きしめる。
それに続く言葉に如何に慈悲が無くとも、その抱擁だけはただ優しかった。
「私を止めたかったのなら、私を殺すべきだったんですよ」
朗々と詩を奏でる様に、粛々と不出来な生徒を窘める様に、桜は言う。
唯一つにして、最大の間違いを告げる。
「アンリ・マユはただの切っ掛け。今、私が私であるのはそれが望みだから」
その目に狂気を、狂喜を滲ませて桜は語る。
それは間桐桜と言う少女が抱えていたものに他ならない。
決して、その内にあるサーヴァントに心を圧せられたからでもなく、アンリ・マユの呪いに侵されたからでもない。
「だから――今のこの状況は私が望んだ事。人を食らうのも気にならない。私は先輩だけを待っている」
悲しげに表情を歪める凛。
初めて気づいた妹の狂気。
否――それは、あまりにも純粋過ぎて、狂気にしか見えないモノ。
桜は、この少女はただ一途に衛宮士郎を見ているだけでしかない。
だから、桜の、妹の幸せを認めようと凛が願うのならば、その狂気を認めるしかない。
もう、戻れない、還れない妹の心のカタチを。
「好きでしたよ、姉さん。でも私はそれ以上に先輩が好き。だから――」
言葉を切り、凛を見上げる桜。
涙を零す凛に微笑んで、影を顕す。
黒い触手が凛を巻き取る。
幾重にも重なる呪い。
それはまるで棺の様に。
「――だから、さようなら、姉さん」
最後に遠坂桜として、彼女は涙を一筋零した。
/2
吼えるアンリ・マユを背に、桜は待っていた。
今にも歌いだしそうな位に楽しげに、嬉しげに、さながらデートの待ち合わせをしている少女の様に。
この死と呪いに満ちた世界の中では不似合いな表情をして待っている。
そして、花咲く様な笑みを浮かべる。
――待ち人来たる。
その身を内より剣に貫かれながら士郎が姿を現した。
「■■■――!」
最早言葉すら喪っている。
それでも桜には士郎がなんと言ったかわかる。
ずっとずっと見てきたのだから。
その歪さも、その心のありようも、何もかもが好きで受け入れたのだから。
そして、微笑みながら、影は、士郎を、貫いた。
剣を砕き、肉を裂き、骨を貫き、心臓を穿つ。
零れ出た血すら鉄と化したその姿。
信じられない、と壊れた脳髄に走る思考。
見開かれた目は微笑む桜を映して――ここに衛宮士郎は死んだ。
吼えるアンリ・マユを背に、桜は士郎を抱いていた。
受肉し、人類に呪いを注ぎ続けるアンリ・マユの下で、桜は士郎をその胸に抱きとめていた。
この隔絶した世界の外がどうなっているかなど、興味は無い。
百と押し寄せた人類の守護者がアンリ・マユの内でどう食われたかなど、興味は無い。
彼女が興味を抱くのは胸に抱く少年だけ。
万の剣に刺し貫かれて、肉が剣となった体は正しく人の肉に戻った。
離れた所には人のカタチをした剣の残骸。
第三魔法――魂を受肉させ、人を更なる位階に上げうる法。
アンリ・マユの元となった者が振るえる奇跡。
桜は士郎にそれを施した。
そうして、剣より人と返った士郎の体を桜は抱きながら寝物語を語る様に、静かに口を開く。
「先輩、聞こえていますよね?」
そうっと、幼子に語り掛ける様に、桜は言う。
膝に乗せた士郎の頭を優しく撫でながら。
「私、先輩の事が好きです。私の味方の先輩も……同じ様に正義の味方の先輩も」
それを壊したのは自分。
衛宮士郎が自分の在り方すら否定し、自分の味方となってくれたのが嬉しくて、悲しかった。
だから、桜は望んだ。
自分の味方であって、正義の味方である士郎を。
それが正しいか否かなど、関係無い。
彼女は正しいと思っているのだから。
なにより否定する人間が既にいない。
「だから私決めたんです。私の味方が私だけを見てくれる様に、正義の味方が私だけを追ってくれる様にしようって」
どこまでも純粋に桜は微笑んだ。
優しく士郎を抱きしめる姿はさながら聖母の様であると言うのに、その行為はあまりにも――悪。
最早存在しないのだ。
正邪の境目も、善悪の境目も。
ただただ自分が望む事を成すだけ。
「私、これから別の世界に行きますね。私には第二魔法は使えないけど――願望機がそれを叶えてくれます」
そっと士郎の抱きしめていた士郎を地面に降ろして、桜は立ち上がった。
向かう先はこの世の向こう。
幾多の魔術師が望み、叶えられなかった世界の向こう。
絶大の魔力を以って、門を開き、そこへ至る。
「目が覚めたら先輩も追ってきてくださいね? 私、ずっとずっと先輩だけを待ってますから」
アンリ・マユに下した唯一つの令呪。
衛宮士郎を呪うな、という命令。
それは、絶対の命令となって、呪いに塗れた人類56億の中で唯一人除外している。
「門は開けておきますから、先輩も願望機に触れれば私を追ってこれます」
歩きながら、その膝に残る温もりを感じながら桜は言う。
無邪気な恋人達がする行為の様に、自分を追ってきてと言う。
「願望機に触れれば、先輩も永遠を手に入れられますし、私を殺せる力も手に入れられます」
立ち止まり、桜は振り向く。
未だ士郎は眠っている。
それでもその言葉が届いていると確信している桜は言葉を続ける。
「私、先輩を殺したいし、先輩に殺されたいんです。だから――」
夢見る様な表情。
儚げで、綺麗で、美しくて、だから何よりも醜くて――そんな表情をして。
ただ愛しい人に追いかけて来て欲しいと言う当然の願い込めて、
「――だから、私を追ってきてくださいね?」
桜はその姿をこの世界より消した。
/3
目覚めてみれば死にも似た静寂が大空洞を支配していた。
胡乱気な頭で周囲を見回してみれば、人のカタチをした剣の残骸。
誰に言われるまでも無く、それが自分の死骸であったと悟った。
小さく息を零し、見上げてみれば黒々と世界に穿たれた穴。
それを見た途端、夢現で聞いた言葉が蘇る。
――だから、私を追ってきてくださいね?
見回した時に気づいていた。
あの、怖気を振るう程の呪いが消えている意味を。
静かに士郎は立ち上がった。
体が新しいせいか、満足には動かせずよろめいたが、大した問題ではない。
涙が零れる。
なぜ泣いているのかは自分自身にも理解できない。
歩き出す。
世界に穿たれた穴に、つまりは門に向かって。
一歩一歩踏み出す度に、記憶が蘇ってくる。
彼女と過ごした日々が、彼女と交わした会話が。
誓ったのは自分。
世界全てを敵に回すことになっても、間桐桜の味方であろうと、誓った。
人類全てを呪い得る存在が消えて今、人類は消えているかもしれない。
あの呪いの中で自己を保ち続けられる者など存在しない。
涙が零れる。
感情は混沌としていて、定まらない。
それでも――それでも、なにをすべきかは決まっていたし、決めていた。
あの日から、桜を選んだあの日から決まっていた。
愛した少女の味方であろうとするのなら、その望み通り愛した少女の後を追う、と。
正義の味方であろうとするのなら、その理想通りアンリ・マユの後を追う、と。
もう、そんな言葉などなんの意味も持たない。
壊れ果て、朽ち果てた理想でしかない。
それでも、桜が望んだのなら――自分は、桜の味方であって、正義の味方で在り続けよう。
哀しくなど無かった。
これが自分の選んだ結末だと受け入れたから、哀しむ余地も無く、価値も無かった。
「桜……」
門の前に至る。
涙は既にこの僅かな時間で流し果てた。
泣いてる時間など無い。
彼女が世界の果てで、地の果てで、時の果てで、自分を待っているのだからと。
「そう、だな、桜。俺、お前の恋人だもんな。じゃあ、追わなきゃな……」
哀しいほどに静かな聲。
所詮その身は全て贋物。
剣は折れ、守るべき理想を喪った。
その代わりに手に入れた真物。
衛宮士郎が真実手に入れた真物。
だから、それを再び抱きしめる為に、
「今、行くぞ――桜」
士郎は世界を超えた。
/4
――呪いは自身に返る。
人が、己が善で有る事を証明する為に、悪と言う呪いを掛けられた存在。
故に、その存在は自らを悪足らんとした。
そうであれと望まれたが故に。
そして、一度顕現すればそれは悪を為す。
そうであれと望まれたが故に。
永遠に人を呪い続ける存在は結局は鏡。
永遠にそれを呪い続ける人類は結局は自身に呪いが返ってくるだけ。
無限の世界に在ろうと、それの存在自体が悪を証明する為のもの。
故に、それを呪うのは人の内に根ざす悪心に他ならない。
故に、それの呪いは人の内より生まれたものを返しているだけにしか過ぎない。
つまりはそれは絶対の公平にして平等。
富める者も貧する者も、老いた者も若き者も、関係無く、等しく呪いを返す。
その中で唯一人、不平等で有る事をそれに望まれた者。
無限の世界の中で唯一人呪いより逃れうる者を、人は英雄と呼んだ。
「久しぶりですね、先輩」
永遠に等しい時の中で、共に過ごした時と変わらぬ笑顔を見せる桜。
死に絶えた世界の中で眩い笑顔。
「そうだな、桜」
優しく微笑んで相対する士郎。
手には陰陽の双剣。
背には無限と浮かぶ力有る武具。
影が躍る。
無限の世界で食らい、取り込んだ数多の英雄達。
在りし日の世界で魔法と呼ばれる物を振るった魔術師が居た。
剣聖と呼ばれた至高の剣士が居た。
無限の剣と無限の英雄。
共に一撃必殺の力を振るい得る存在。
そんな戦争の如き中に在って、二人は変わらない。
永遠と続く無限の逢瀬の中で、いつもの様に、
「好きです……先輩」
「ああ、俺も好きだよ……桜」
変わらない言葉と想いでその心を交錯させた――。
―――Mywholelifewas“unlimited blade works”
代理人の感想
・・・・やっぱ、こーゆー破滅型というか、突っ走り型の作品書かせると上手いなぁ。
ひょっとして「起源」に近いのかな(爆)。
つーかそれにしても、なぁ。
まるでエターナルチャンピオンだ(哀)。