ここに一つの始まりがある。
一人の少女が、不屈の心を胸に大空を翔ける物語の、その始まり。
始まりは一つの出会い。
出会いによって、少女は力を得た。
優しい少女は、優しさを貫く力を得た。
けれど。
始まりというのは、決してそれだけでは成り立たない。
“始まり”にも始まりがある。何処かの誰かが残した何かを受け継いで、新たな始まりとなる。
これから語るのは、そんな『始まりの前』のお話だ。
始まりの前であるが故に――既に、終わっている物語だ。
時計の針を逆に回そう。そう、ほんの五十年ほど。
きっと貴方の期待は裏切られる。貴方が望む人は其処には居ない、貴方の望む結末は此処には無い。
既に終わっているという事は、そういう事だから。
それでも良ければ、どうぞ最後まで。
魔法少女リリカルなのは偽典/Beginning heart
――EpisodeⅠ【地底】
びょう、と風に巻き上げられた砂埃が蒼穹を覆う。黄土色の風は容赦無く目や口の中に砂塵を運んでくる。フードを目深に被っていても遮る事は難しい。砂塗れになりながらも、しかし作業の手を緩める事は無い。集中しているのだ、周囲の状況に気を配る余裕が無い程に。
新暦15年、第191観測指定世界<アジャンタ>辺境――ビラドーラ古代遺跡。
砂漠のど真ん中に打ち捨てられた、かつて栄華を誇った国家の残骸。砂嵐に嬲られ、現在進行形で朽ちて行くその遺跡の中に、数人……否、十数人の人間達が居た。
彼等は黙々と、遺跡を掘り返していく。砂嵐が視界を塞ぎ、風の音が声を遮るその中で、彼等はほぼ無言のまま、発掘作業を進めていた。碌な合図や会話も無しに、見事な連携で砂に埋もれた建築物を地上に露出させていく。熟練した職人集団でも中々こうはいかないだろう。それぞれがそれぞれに、自分のやるべき事を理解し、実行している。故に指揮する者は必要無い。
以心伝心、彼等はそれを体現している――そう、家族の様に。
だがそんな集団からやや離れたところに、一人の少女が居た。年の頃は十三、四だろうか。集団の中では男女合わせ、彼女より若い者はいない。
作業に一切手を出さず、また集団の方も、彼女に対して何も言わない。仕事しない事が彼女の仕事、そんな感じだった――だがそれは決して、彼女が怠慢という訳では無く、また年齢から作業に参加させて貰えない訳でも無い。
風に煽られ、少女のフードがばさりと後ろに捲れる。鮮やかな栗色の髪が風に靡き、砂を巻き込むのを嫌ったか、少女はすぐにフードを被り直した。
「うーん……この近くだと思うんだけどなー……」
ぶつぶつと呟きながら、彼女は手元の端末を操作しつつ、周囲を見回す。とは言え砂塵で数メートル先も見えない様な状況だ、あまり意味のある事では無かった。
「皆が掘っているのが“本殿”なら……こっちで間違い無い筈なんだけど……」
『メイリィ、そっちはどうだ?』
不意に目の前へ通信ウィンドウが開き、五十代半ば程の男が姿を現した。つるりと剃り上げた禿頭に口髭。やたらと目つきが悪く、睨むだけで子供の一人や二人は泣かせてしまうだろう。現に、メイリィと呼ばれた少女も幼い頃に何度もその餌食となっている。さすがに今では見慣れた顔だが。
いきなりの通信に多少驚いたものの、メイリィは肩を竦め、お手上げと言いたげに掌を晒して見せた。
「駄目駄目です。全ッ然、影も形も。“本殿”みたいに、元々地上に露出しているものじゃなかったのかも……」
『そうか……“本殿”の方はあと一日もすれば完全に発掘されるだろうから、そっちから辿ってみるか』
「あんまり期待出来ないですけどねー。つーかもう、この砂嵐さえなきゃ今日中に片付いていたのに」
『愚痴るなよ。例え如何なる障害にあっても、“失われた遺産”を見つけ出すのがお前達だろう?』
にやりと笑いかけられ――その笑みも、笑顔だか威嚇だか分からないものだったが――メイリィは苦笑した。
「そりゃ、そーなんですけど。けどほら、あっさりちゃちゃっとすぴーでぃに片付く方が労力を節約出来るじゃないですか」
『何だろうなあ。俺の中にあったお前さん方“一族”のイメージが、現在進行形でがらがら崩れてくぜ』
勤勉に。こつこつと。誰に知られる事も無く、ただ実直に。それが、メイリィの“一族”に対して世間一般が抱くイメージである。
一つだけ付言すれば、別に彼女、特段に面倒臭がりという訳では無い。過程に価値を見出さないだけである。モノが見つかるのなら、地道な発掘作業の結果だろうと天災による偶然だろうと、どちらでも構わないのだ。
結果さえあれば良い。過程を、或いは手段を問わないその性格は、他の“一族”とはかなり毛色の違うものであり、通信の相手が戸惑うのも無理は無かった。
「あっはっはー。イメージ先行ってのも困ったもんですねー。アイドルだってトイレに行くんですよ?」
『は。いつの時代だ、そりゃ。まあ、“一族”の人間が全員真面目に遺跡掘りしてる訳じゃねえ事くらいは知ってるさ』
「ま、ぶっちゃけ墓荒らしと変わらなかったりしますしねー。だからこそ、イメージ戦略は大事なんですよう」
『端からお前さんがブチ壊してるだろうが。言ってる事が三秒前と正反対だぞ?』
男が笑う。メイリィも笑った。
砂嵐がやや収まってきた。叩きつける様な風が押し付ける程度の弱さになっている。視界を覆う砂塵も薄れ始めていた。
この分なら向こうの作業も捗るだろう、メイリィは振り返り、背後で発掘作業を続ける仲間達を見る。
『そうだ、デバイスの調子はどうだ?』
「え? 一昨日調整したばっかじゃないですか。快調快調、無問題ですよ」
『そうか。いや、お前さんはデバイスの扱いが荒いからな。いつ壊すか、結構ひやひやしている』
心配性ですねー、とメイリィは左腕の袖を捲ってみせる。細く白い手首に嵌められたブレスレット、その中央にある赤い宝玉がきらりと光った。
と。
『……む?』
「あら?」
メイリィの背後、発掘現場の方で派手な物音が響いた。作業は中止だ、逃げろと誰かが叫んでいる。
――お仕事だ。
少女の中でギアが切り替えられ、意識の方向性が組み替えられる。目の色が変わるというのか、およそ少女のものとは思えない眼光が、メイリィの瞳に宿った。
「ゲンさん、それじゃあたしはこれで」
『ああ、気を付けろ、メイ』
最後にメイリィの愛称を口にして、通信ウィンドウが閉じられる。
きゅっ、とメイリィの形の良い唇が吊りあがった。年頃の少女にしては剣呑過ぎる笑みを浮かべ、彼女は発掘現場へと向けて走りだす。
左手首のブレスレットにそっと触れ、硬質な手触りがそこにある事を確かめた。
どうっ――と、間欠泉の如く砂が噴き上がり、その中から一匹の巨大な生物が姿を現す。芋虫に似た巨体が砂に覆われた大地に大きな影を落し、砂塵を孕んだ風の中で蠢いた。
砂蟲。メイファ達がそう呼ぶ、第191観測指定世界の原生生物。
「メイリィ!」
「ロッソ、皆の避難おねがーい! あいつはあたしが引き受けるからー!」
現場から逃げ出してきた男にそう言い残し、彼と入れ替わる様にして、メイファは砂蟲へと駆け寄って行く。
溢れんばかりの昂揚と共に、少女は叫ぶ。
――快哉を。
「さあ、スーパーヒロインタイムのスタートよ! <アウロラ>、用意はいい!?」
【無論です。いつでもどうぞ】
ブレスレットの宝玉が明滅し、電子音によって構成される声が、メイリィの言葉に応えた。
「<アウロラ>! セットアップ!」
【Stand by ready.set up.】
電子音声が起動を告げ、宝玉から放たれる眩い光が辺りを包んだ。蒼穹の如く澄み渡った空色の光。メイリィの衣服が光の粒子となって分解され、再構成される。
光が弾けた時、そこに居たのは一人の『魔法少女』。手には身の丈を超える長さの魔導杖。白と蒼を基調とした、袖の長い長半纏・法被。布地面積が非常に多い、民族衣装か、或いは踊り子の様な意匠の防護服。風に煽られた振袖部分がばさりと鳴った。
「とうっ!」
大地を蹴って一回転。砂蟲の頭を飛び越し、地表に露出した遺跡の柱と思しき構造物へと着地する。
砂蟲を見下ろし、杖の先端を突き付けて、メイリィはヒーローの如く――それはつまり、何とも魔法少女らしくなく――過剰なまでに大仰な動作で、びしりとずばりと、地獄の様に格好良く悪夢の様に格好良く、見得を切った。
「メイリィ=スクライア! 人呼んで魔法少女ミラクル☆メイ! 只今参上っ!」
【……痛すぎます、マスター】
彼女のデバイス――<アウロラ>の血を吐く様な言葉は、残念ながら主の耳には届かなかった。
スクライア一族。
数多の次元世界を渡り歩き、失われた古代の遺産――ロストロギアを発掘する事を生業とする一族である。
古代遺跡のある世界、ロストロギアという遺産を残せるだけの魔導文明が栄え、そして滅びた世界には必ず現れる。そう謳われる程に、彼等の古代遺跡に対する執着は強い。
ある時はその世界の政府に要請されて。
ある時はその世界の権力を押し退けて。
様々な援助を受けながら、或いは様々な弾圧に晒されながら、彼等はただ古代遺跡を掘り返した。
定住地という寄る辺を持たない彼等は、人間が己の寄る辺として生み出してきた文明が如何に脆く、簡単に滅びるものかを証明する様に、古代遺跡を、時間の果てに埋もれたその遺産を、歴史の向こう側から引き摺りだしてきた。
それが己等の存在理由であるかの様に、黙々と、粛々と。
彼等の始まりが何処に在ったのか、知る者は居ない。居るとしても、それを語る者は皆無だ。
これより後に、例えそれを語る者が現れたとしても、それは今では無い。時が必要なのだ。語るべき機会と、語るべき者が揃うまでには。
故に今、語るべきは。
スクライア一族の異端たる、一人の少女についてである。
「どっ……せぇえええい!」
およそヒロインらしくない掛け声と共に、デバイスが砂蟲の頭に振り降ろされる。非力な少女にも扱える様に重量こそ控えめだが、その硬度は充分に鈍器として利用出来る。ハンマーよろしく遠心力を加えた状態なら尚更。がつんっ、と厭な音がして、頭を盛大に殴られた砂蟲がのた打ち回った。
とは言え、“杖”という形状を取っている事からも分かる通り、メイリィ=スクライアのデバイス<アウロラ>は本来そういった使い方をするものでは無い。下手をすれば魔法を行使する為に必要な箇所が破損してしまう。先程まで通信で話していた男にやんわり釘を刺されたにも関わらず、とうの昔に彼女の頭からそんな事は消えていた。
【もう少し丁寧に扱ってください、マスター】というアウロラからの訴えをあっさり退け、メイリィは一度砂蟲から距離を取る。
ぶぉん、と杖を振ると、足元に水色の魔法陣が展開される。杖の先端を砂蟲へと向けると、魔法陣と同色の魔力光が先端から僅かに離れたところで収束を始めた。光に照らし出されたメイリィの顔には笑みが浮かんでいる。
「いくぞぉ……カロリック・バスタ――!!」
【Caloric Buster.】
轟、と魔力光が吼え、砂蟲へと襲い掛かる。だが着弾の一瞬前、砂蟲は足元の砂漠へと飛び込んで、地中へと姿を消した。
刹那遅れて魔力光が突き刺さる。一気に空気を送り込まれた風船の様に砂漠の地表が膨れ上がり、次の瞬間、爆煙と爆炎が噴き上がった。
「抹殺完了!」
【いえ、逃げられています、マスター】
「……ノリが悪いなー。こういう時は、アウロラも決め台詞言ってよ」
【『抹殺完了!』はどうかと思いますが】
微妙に不毛な会話を続けながら、メイリィはアウロラを肩に担ぎ、すり鉢状のクレーターと化した爆発跡へと歩いて行く。
クレーターはさほど深くない。爆発こそ派手だが、メイリィの一撃<カロリック・バスター>はそれほどの破壊力を持たないのだ。こけおどしと言われれば否定は出来ない。もう少し威力のある技も勿論存在するが、メイリィの『派手さが足りない』という一言で封印されている。
スクライア一族は総じて魔法技術に長けている。この世界の遺跡もそうだが、重機を使っての発掘作業が難しい遺跡は少なくない。地盤が緩かったり、天候が悪かったりといった要因や、政情が不安定で作業がしばしば中断させられる様な場所での作業において大型の重機は邪魔になる。道具の使用が必要最小限で済む魔法技術の利用が進むのは当然だった。
だが、発掘作業の為の魔法であるが故に、今回の様に戦闘行為では役に立たない事も多い。護衛としての、戦闘特化の魔導師は必要だった。だが遺跡発掘を至上の命題とするスクライア一族に、発掘作業に直接役立たない戦闘用魔法を覚えようとする者は殆ど居なかった。
結果として、それは一族の異端である少女が志願した事によって、問題とはならなかったのだが。
「うーん。どうだろアウロラ、また仕掛けてくると思う?」
【可能性はあります。“私”で頭をぶん殴っただけですので。ただ野生動物ならば、ある程度痛い目を見せればそれ以上手を出さないとも言えます】
「もう少し警戒を続けろ、って要約でOK?」
【はい。次回からはもう少し簡潔に意見を述べさせていただきます】
遠まわしに嫌味を言われた気がする。
軽くデバイス先端の宝玉部分――<アウロラ>の本体だ――を小突いて、メイリィはクレーターの内部へ滑り降りた。
「砂蟲の逃げた穴、見当たらないなー」
【カロリック・バスターの爆発で、埋まってしまったものと思われます】
つまり自業自得だ。
仕方ない、一度皆のところに戻って、様子を見よう――と、メイリィが踵を返した瞬間。
「あり?」
ずるっ、と視界がずれ込んだ。いや、今もずれ続けている。ずるずるとするすると、クレーターの淵が、地表が緞帳の様に引き上げられていく。
【いえマスター、違います。我々が引き摺り降ろされているだけです】
「あ、そうなんだ。……て、ぅおいっ!」
悔しいくらいに、愛用のデバイスは冷静だった。
気付いた時には既に遅い。クレーターは大きな蟻地獄と化した。無論、ここで言う蟻とはメイリィ=スクライアの事。必死になって這い上がろうとする様は本物の蟻地獄に捕まった蟻以上に滑稽で、残念ながらヒロインとしての可憐さはその何処にも見当たらなかった。
「落ちる! 落ちる! 落ちるー!」
四肢を使い、四つん這いになってメイリィは蟻地獄を駆け登る。だが少し進めば砂が崩れて元いた場所より更に下へと落ちていく。これの繰り返しだ。
蟻地獄の中心には黒々とした穴。メイリィ一人は軽々と入る程度の穴が、砂を飲み込みメイリィを誘っている。
【第97管理世界に棲息する昆虫は、こうして捕まえた獲物の体内に消化液を注入し、筋肉と内臓を溶かして食べるそうです】
「何その無駄知識!?」
【マイスター・園崎が教えてくださいました】
「あのハゲ!」
毒づいても状況は変わらない。
【マスター、一つよろしいでしょうか】
「何よ!?」
【何故飛ばないのです? 苦手なのは存じておりますが、浮遊する程度ならそれほど難しくないと思いますが】
……忘れていた。
慌ててメイリィは足元に魔法陣を展開、それを蹴って跳躍、浮遊――する筈だったのだが。
魔法陣を蹴る直前、足元が一気に崩れ、あるべき反動を受けられずメイリィが態勢を崩す。同時に蟻地獄中央の穴が一気に広がり、砂もろともメイリィの身体を奈落が飲み込んでいった。
「……痛ぅ……」
目が覚めた時、周囲は薄闇に包まれていた。一瞬、日が落ちるまで気絶していたのかと思ったが、すぐにそれは違うと気付く。
ひやりとした空気は妙に停滞していて、風の様な流れが無い。砂の粒子も含まれていない様だ。此処が地下であると気付くまでに、そう時間はかからなかった。
上を見上げる。月の無い夜よりも尚真っ暗な天井に、一つだけぽつりと白い穴。恐らくはあそこから落ちてきたのだろう。距離感がいまいち掴めないが、穴の大きさから、相当高いところにあるのは分かる。良く生きてたなあ、とメイリィは自身の強運に感謝した。
【お目覚めですか、マスター】
「何とかー。アウロラは?」
【問題ありません】
あっそ、と呟いて立ち上がる。硬質な手触り。床は石造りで、明らかに人工物。恐らくはこのビラドーラ古代遺跡の一部だろう。地表に露出しているのはほんの一部、遺跡の本体は地下に広がっていると予想されていたが――予想外にも、メイリィがその裏付けを取る形となった。
尻がやや痛かったが、あの高さから石造りの床に落下して、この程度で済んだのなら御の字だ。とは分かっているものの、やはり愚痴が出てしまう。
「やだなあ、痣とかになったりしないよね、コレ?」
【恐らくは。尻から落ちたのは幸運だったかと】
「全ッ然幸運じゃないよ。女の子のお尻がどれだけ重要なものか分かってる?」
【残念ながらマスター、貴方の身体は性的な欲望をそそる形をしていません】
無言でデバイスを床に叩きつける。がんっ、と派手な音が地下空間に響いた。
【……訂正します。極一部の嗜好の方には堪らないカラダです】
「フォローになってないっての!」
まったく、要らん事ばっかり言うんだから。
自分の事を完全に棚に上げ、メイリィは相棒を振り回す。
「ふんだ、その内あたしだって、むちむちのばいんばいんになるんだから!」
【夢を見るのは素敵な事です】
「ほら、乳だって揉まれれば大きくなるって言うし!」
【迷信です】
「あーもー、一々うるさい……ん?」
奇妙な気配に、メイリィは黙り込み、周囲を見回す。頭上の穴から差し込む光が唯一の光源である地下空間は酷く薄暗い。気配の主の姿を捉える事は出来ないが、息遣いや物音で、そこに居るという事だけは分かる。
アウロラを構え、何処からでも来いと身構える。隙を窺っているのか、相手は仕掛けてこない。
「アウロラ、明り出せる?」
【はい】
メイリィに応え、アウロラが魔力弾を精製する。魔力の圧縮をぎりぎりまで抑えた魔力弾はメイリィから離れた直後に爆ぜ、一帯に光を撒き散らした。
「…………」
【…………】
見なけりゃ良かった。
光に照らし出された地下空間。そこは思ったより広く、しかし思った以上に狭苦しかった。
空間は広い。というより通路か何かなのか、奥行きがありすぎて端が見えない。
だが狭い。広い筈の空間なのに、実感として酷く狭苦しい。
何故か。
ぐるりとメイリィの周囲を取り囲む――大小様々な、色も、形も様々な、二十を超える砂蟲のせいで。
「あー……その、話せば分かるよね、皆さん」
【交渉する前に手を出したのは、此方ですが】
ざり、と砂蟲達がにじり寄ってくる。どう見ても友好的な雰囲気は無い。そもそも砂蟲との意思疎通が出来た試しは無かったが、敵意だけは察知出来た。
さて、どうするか。この手のピンチは決して初めてでは無い、しかし冷静に対処出来る程の経験を積んでいる訳でも無かった。
「……①美人でぷりてぃなメイリィちゃんは突如反撃のアイデアが閃く。②仲間が来て助けてくれる。③どうにもならない、現実は非情である」
【何ですか、それは?】
「この前読んだ漫画で、そんなのがあったなーって」
仲間は来ないだろう。どれだけ気絶していたのかは分からないが、多分メイリィが蟻地獄に飲み込まれた――この地下空間に落ちてきた事自体をまだ誰も知らないのでは無いか。救援は期待出来そうに無い。また今この場に現れたところで、戦闘魔法に乏しい人間では何の役にも立つまい。
かと言って、③を選ぶほどメイリィは諦めが良くなかった。現実が非情なのはとっくの昔に知っている。どうにもならない事をどうにかするのが魔導師だ、そうそう簡単に諦めていたら魔導師などやっていられない。
「――という訳で、美人でぷりてぃなメイリィちゃんは反撃するのです!」
【突っ込んだ方が良いですか?】
アウロラをぐるりと半回転、先端を床へと向ける。収束する魔力光。目の前の敵が何をするつもりなのか、砂蟲は知らない。だがそれが脅威という事は本能的に察知したか、鉄板同士を擦れ合わせる様な鳴き声と共に、その巨体をメイリィへと飛び掛らせた。
「カロリック・バスター! 出力低め脂多めの麺固め!」
【……出力20%、Caloric Buster.】
撃ち出された魔力がすぐ下の床に叩きつけられ、一瞬、眩い光を放ったかと思うと爆煙を噴き上げた。魔法として成立する限界ぎりぎりまで威力を落した一発。煙と粉塵が一気に周囲を覆い、広い地下空間へと拡散していく。
無論、地中を主な生存域とする砂蟲に煙幕、目晦ましの類は効果が薄い。だが爆発となれば話は別だ。一瞬だが発生した熱量は砂蟲の感知機能を狂わせ、術者の姿を見失わせる。
ぼっ、と煙の中から飛び出してくる人影。言うまでもなくメイリィ=スクライア。低威力とは言え爆発の中心にいたせいかバリアジャケットはところどころ焦げているが、怪我の類は見当たらない。ただ残酷な事に、彼女の頭はそれはそれは見事な、縮れて膨れて丸まった、アフロヘアーと化していた。
鏡が無いので、メイリィ本人は気付かない。杖の先端、アウロラの本体である宝玉が一度だけ無音で明滅し、するするとメイリィのアフロが解けて普段通りのストレートへ戻る。
砂蟲はメイリィの姿を見失っている。絶好の隙。その隙を利用して、魔法少女たるメイリィの取った行動は――逃走だった。
当たり前だ。如何に不意を打っても隙を衝いても、数の違いは覆しようが無い。単純に見ても彼我戦力差一対二十、或いはそれ以上。とかく暴走しがちな彼女ではあるが、退き時を弁えているという点では、優秀な魔導師だった。
「わわわ! 追ってきた追ってきたぁ!」
【とにかく逃げてください、マスター。貴方なら振りきれます】
アウロラの言葉は決して根拠の無い励ましでは無い。百メートルを11秒フラット、それがメイリィ=スクライアの身体能力。魔導師の常識から少々、否、大分外れた体育会系。巨体に見合って鈍重な砂蟲達には追いつけない。少しずつではあるが確かに、追ってくる砂蟲達との距離は離れていた。
【マスター、前方に多少開けた空間がある様です。光学迷彩魔法を使用し、やり過ごす事を提案します】
「え、でも……あたし、あの魔法使った事無いよ!?」
【マイスター・園崎によって私の中に登録されています。気配の遮断だけに特化すれば、何とかなるかと】
本来、オプティック・ハイドという魔法はかけられた対象を透明にする魔法である。だが副次的な効果として、レーダーやセンサー類をも騙す効果がついていた。アウロラを造ったデバイス・マイスターが登録したのはこの副次効果をメインにしたものであり、光学迷彩による透明化という本来の能力をある程度犠牲にして、術者の気配を遮断出来る。光が射さない地下では透明化は別に無くても良いし、砂蟲は目が退化している。問題は無い。
術者が直接習得している魔法では無い為、術者本人にしか効果は無い。とりあえずはそれで充分。アウロラの提案を呑み、メイリィは速度を上げた。
不意に、足音が広く遠く、拡散していく。アウロラが言っていた『開けた空間』に入ったのだろう。先程作り出した魔力光もここまで届いてはおらず、真っ暗な闇に視界は塗り潰されている。
ずるずると、体躯を引き摺りながら砂蟲達が追いついてくるのが分かる。メイリィは右へ――暗闇の中だ、自分が本当に右を向いたのかは不明だったが――曲がり、手探りで壁を見つけ出すと、それに凭れて砂蟲が来るのを待った。
と。
「――!」
喉から出ていこうとした叫び声を必死で押し留める。
ぼっぼっぼっ、と何かが発火する様な音が響き、周囲が一気に明るくなった。気付けば此処は四百平米ほどの空間。その空間の四囲、そして天井に、オレンジ色の光球が張り付いて、室内を照らしている。
さしたる明るさでも無かったが、暗闇に慣れた目にはやや辛い。叫び声を何とか嚥下した後、メイリィは掌で目を覆い、順応するのを待った。
「…………?」
何だあれ、とメイリィは部屋の中央へと視線を向ける。
部屋の中央は一段高くなっており、そこに長方形の石塊が三つ、正三角形を描く様に置かれている。まるで棺桶だ。この地下遺跡は墓場だったか?
……いや違う。ここは墓場では無い。現代に残る幾つかの文献にはメイリィも目を通している。確か、古代ベルカとほぼ同じ時代に栄えた文明の、魔法技術の研究機関だった筈。その文明自体は古代ベルカより二世紀ほど前に滅びており、どの様な研究がなされていたのかは記録に残っていない。
ロストロギアが残されている様な古代文明は概してある程度文明が発達しており、機械的な印象を受ける事も多いが、この世界の遺跡はそういった感じが薄い。ミイラとかゾンビとかが出てきてもおかしくない様な雰囲気がある。そう考えれば、棺桶の一つや二つや三つ、あっても何らおかしくない――いや、やっぱりおかしい。
「ねえ、アウロラ――」
【砂蟲が来ます。魔法を展開しますが、宜しいですか?】
「……うん。よろしく」
【Optic Hide.】
視界に薄い布が被せられたかと思うと、すぐに透明になって消えた。幻術魔法が展開された証。一拍遅れて砂蟲が部屋に飛び込んでくる。
オプティック・ハイドが正常に機能しているのだろう、砂蟲達はメイリィの姿を見失い、うろうろと室内をうろついている。大小合わせて二十を超える砂蟲が這い回るその様は、見る者に生理的嫌悪感を催させるものだった。
何体もの砂蟲が一度に這入り込んで来たせいか、積もっていた埃が撒き上げられる。こそこそと部屋の隅へ移動していたメイリィの鼻を、その埃がくすぐった。
「へっ、……へっ」
【マスター、耐えて下さい。それはあまりにベタすぎます――】
「………………っくしょいっ!」
広い室内に、メイリィのくしゃみが殷々と響き渡った。
当然の如く当然に、砂蟲が一斉にメイリィの方を向く。わざわざ魔法を使ってまで隠した気配は一発のくしゃみで露見した。オプティック・ハイドの効力はまだ継続中なので“そこに居る”とは気付かれていないだろうが、“何か居る”という事はどうしようも無く勘付かれた。
「……ごめん」
【いえ。お約束ですので】
お約束を外さない女、メイリィ=スクライア。
アウロラの声には呆れも怒りも無かった。元より無機質な電子音である事に加え、最早メイリィに対してある種の諦めを持っているのだろう。
ともあれ、砂蟲は一斉にメイリィの方へと向かってくる。姿が見えなくとも、その巨躯が暴れれば無事では済むまい。一定以上の衝撃を与えれば魔法は解けてしまう、合理的では無いが賢い選択だった。無論、思考しての行動では無く、本能的に行っているのだろうが。
メイリィは駆け出した。背後にでも左右にでも無く、前方へ。“そこに居る”と気付かれていないのなら、すぐにその場を離れた方が良い。では何故前方か。深く考えての行動では無い、まさか相手から寄ってくるとは砂蟲も思わないだろう、その程度の読みだった。
迫る砂蟲の間をすり抜ける。目の前を重量物が通り過ぎていくのはさすがに肝を冷やしたが、幸いにも轢かれる事も撥ねられる事も無く、メイリィは砂蟲をやり過ごす事に成功した――と思った、次の瞬間。
「あだっ!」
床の凹凸に足を取られ、盛大にすっ転んだ。衝撃でオプティック・ハイドが解除される。突然現れた気配に、砂蟲達が揃って振り向いた。
完全に、見つかった。
「……あ、あちゃ~……」
座りこんだままで後ずさりするも、すぐに背中が何かに当たった。逃げられない。背中のそれが先程見た石棺だと気付くのに、少し時間がかかった。
「だ、大ぴんち?」
【短い人生でした】
じりじりと砂蟲達が距離を詰めてくる。
かたかたと身体が震える。アウロラを持つ手も小刻みに揺れ、杖の先端が背後の石棺に当たってかちかちと鳴った。
砂蟲達の敵意が伝わってくる。今まで感じた事の無い感覚。当たり前だ、こんなものを日常的に感じていたら頭がいかれてしまう。真っ白になる意識は、その一方で不思議と冷静に現状を認識していた。
ああもう駄目だ、出来るならなるべく苦しまない様にしてよね――そんな思いと共に、メイリィは瞼を閉じる。
ごり。
何か、重たいものを擦り合わせる様な音がした。
気のせい? 死ぬ前に、幻聴か?
ごり、ごり、ごり。
違う。幻聴では無い。
メイリィは目を開いた。砂蟲達は未だ襲いかかってきていない。逆に、眼を閉じるよりも距離が開いている気がする。
ごり、ごり、ごり――ずしんっ!
何か重たいものが、背後で滑り落ちた。埃が再び舞い上がり、メイリィの視界に薄くカバーをかける。
音はすぐ後ろから。まさか、という思いと共に、メイリィは振り向いて――息を呑む。
まるで棺桶の様だ。先程そう思った石塊は、やはり棺だった。蓋がずり落ち、外気に晒された“中身”が、天井へ向けて手を伸ばしている。石棺の中に閉じ込められていたというのに、その腕はまるで乾涸びていない。だが奇妙に青白い手は、どうしても亡霊のそれを思わせた。
手は虚空の何かを掴む様に指を折り曲げ、そして開く。そのままゆっくりと降ろされ、石棺の淵を掴んだ。ぐ、とその指に力が篭もる。
体重をかけている――起き上がろうとしている。それが分かった。
「あ……あ?」
間抜けな声が自分の喉から漏れたと気付くまで、妙に時間がかかった。
棺桶の“中身”が、立ち上がる。
少年――だった。
ロマンスグレーというのか、壮年男性の様に白髪が混じり、マーブル模様を描く髪。光の無い、泥炭の様なダークグレーの瞳。いっそ病的とも言える程に白い肌。年齢はメイリィと同じくらいに見えるが、はっきりと特定出来ない。
淡いクリーム色のローブを纏った少年が、ゆらりと棺桶の外に出る。操り人形の様に不自然な動きで、けれどそれが当然の様な動きで。
ちりん、と涼やかな音が鳴った。少年の右耳に付けられたイヤリング。小さな鈴が金の紐で吊るされている。鈴の大きさを考えれば、その音が聞こえる筈は無い。だが聞こえる筈の無いその音を、メイリィは確かに拾っていた。
石棺から外に出た少年は、虚ろな表情でメイリィと砂蟲を交互に眺めやった。砂蟲達の敵意が、潮が引く様に失せていくのが分かる。それは突然の闖入者に砂蟲達が驚いたという訳では無く、恐らくはもっと別の要因で。
メイリィに最も近い場所に居た一匹の砂蟲を、少年はじっと注視している。言葉は無い。挙動も無い。ただ見詰めている。
どのくらい、そうしていただろうか。
やがて砂蟲の一体がこくりと頷いたかと思うと、身を翻し、その場を離れていく。その背に続いて、他の砂蟲達も同じ様に部屋を出ていった。
ばいばい、と幼児の様に少年は手を振って、砂蟲達の背を見送った。砂蟲達の巨体がオレンジ色の光に満たされた室内から、暗闇に満たされた通路へと消えて行く。最後の一匹が視界から消えた後、少年は大きく欠伸をして、再び石棺の中に潜り込んだ。
「………………はっ!?」
メイリィが現実に戻ってきたのは、石棺の中からすやすやと寝息が聞こえてきた頃だった。
助かった。その事実は確かに認識出来たが、この現実感の無さはなんだ。絶体絶命のピンチを、地下遺跡の中で寝ていた変な少年に助けてもらいました? ある日突然現れた異世界の人間によって変身ヒーローにされました、という方がまだ現実的だ。だが残念ながら、つい今さっきまで自分の目の前で行なわれていたのは紛れも無く現実。メイリィ=スクライアはそれを自分自身に証明しなければならない。
そろそろと、おずおずと、メイリィは石棺の中を覗き込む。蓋が開けっ放し――というか、あんな重たい石蓋、内側からは閉められまい――なので、問題は覗き込んだ瞬間に棺桶の中へと引き摺り込まれやしないかという恐怖心だけだった。
幸い、或いは当然ながら、メイリィが覗き込んだところで何も起こる事は無かった。淡いクリーム色のローブを纏った少年が、石造りの棺桶の中で寝息を立てている事以外、特筆すべき事は何一つ無かった。
何処にでも居る、ごく普通の少年の寝顔。だが少なくとも、地下遺跡に在る石棺の中で寝ている少年に、『ごく普通の』などという言葉を使う権利は無いだろう。メイリィ=スクライアの脳髄がそう判断した瞬間、肉体は既に行動に移っていた。
「ねえ! ちょっと! 起きて起きて起きて起きて、起きろ起きろ起きろ起きろ!」
肩を掴んで揺さぶってみる。反応は無い。もう少し強く揺さぶってみる。寝顔から『安らかな』という形容が抜けたが、やはり反応は無い。石棺の内側をばんばんと叩き、外壁をがんがんと蹴りつけるまで、そう時間はかからなかった。
都合二分ほど、ただ耳障りなだけのストンプを続けてみるものの、少年からは何の反応も返ってこなかった。予想していた事ではあったが、さすがにここまでくると不愉快になってくる。窮地を救ったのだから、せめて救った相手から礼の一つも聞くのがそっちの義務ってもんだろう。
「……アウロラ、やるわよ」
【拒否します。マスター、貴方のやろうとしている事は人道を外れています】
アウロラの先端を石棺の中に突っ込み、カロリック・バスター発射態勢に入ったメイリィを、アウロラが必死に制止する。相変わらずの無個性な電子音によって構成される言葉ではあったが、そこには充分過ぎる程に感情が篭もっていた。
「いーからやんなさい! お礼の言葉も聞かない子にはお仕置きが必要でしょ!」
【今現在最も必要なのは、冷静に自分を見詰め直す事かと思われます】
「真っ二つにへし折るわよ?」
【バスター発射シーケンス完了。いつでも撃てます、マスター】
アウロラの先端に魔力光が収束していく。撃発音声を口にすれば、撃ち出された魔力は石棺の中で暴れまくる事だろう。アウロラの良心(?)か、魔力の収束は抑えられているが、それでも石棺の中へ撃てば威力は拡散せず、アフロ程度の被害では済まない事は容易に想像出来る。
「…………ん」
魔力の収束に気付いたか、単に偶然か、少年が僅かに声を上げる。メイリィは待ってましたとばかりに魔力収束を解除、ついでにデバイスもリリースする。
頭を振りながら、少年が上体を起こした。安眠を妨害されたせいか、その表情の三割ほどで不機嫌という感情を表している。残り七割が眠気。人間が浮かべる表情から読み取れるものがこれだけというのは、ある意味驚くべき事である。
人間が浮かべる表情は単一の感情で構成されていない。喜怒哀楽、あらゆる感情が様々な比率で配合されたモザイク模様から、最も色濃く出る感情を他者は読み取るのだ。だから必然、怒っている人間からも楽の感情を、哀しんでいる人間からも喜の感情を、そしてそれ以外の感情を、ごく僅か、ほんの僅かであっても読み取る事が出来る。
だが目の前の少年から読み取れるのは不機嫌と眠気。片方は感情と呼べるものですら無い。不機嫌という感情もどこか繕った様な、『他人が読み取る事』を前提として用意された様な印象を受ける。実質、読み取れる感情など皆無に近い。
結論としての感想は、ただ一つ。
こいつ、人間か?
「えっト……何か用、ですカ?」
妙に――片言の言葉だった。
不機嫌の感情が表情から消えて、塗り潰した様な無表情に摩り替わる。それまでの表情がどこか作り物めいていたのに対し、今の無表情は酷く自然に、これこそがこの少年のデフォルトであるかの様な印象を受ける。
綺麗な顔してるなあ。少年の言葉を全く無視する形で、メイリィは少年の端整な顔立ちにそう感想を付けていた。まずお礼だけでも、という考えは棚上げにされており、それが棚から滑り落ちてきたのは、多分全くの偶然だった。
「あ、えっと、その……ありがとう、助けてくれて」
「いエいエ。お休みなサイ」
メイリィの礼をあっさりと、それこそ右から左へ受け流す様にやり過ごして、少年は再び石棺の中に寝転がる。
「あ、ちょっと! まだ話終わってない!」
「……むー」
渋々と、しかしやはり感情の篭もらない無表情で、少年が身を起こす。
今度は無視されなかった事に少しほっとして、メイリィは言葉を続けた。
「ねえ、名前は? あたし、メイリィ。メイリィ=スクライア」
今度こそ、少年の無表情に亀裂が生じた。亀裂から滲み出てくるのは戸惑いの感情か。奇妙に歪な戸惑いの表情は、しかし僅か数秒で霧散した。
ふう、と少年が一つため息をつく。同時に口の端がほんの少しだけ吊り上がり、笑みとも取れる様な不思議な表情――の紛い物――を作り出した。
「セロニアス。セロニアス=ゲイトマウス=チェズナット」
謳い上げる様に、少年は己の名を名乗った。
ビラドーラ古代遺跡は砂漠のど真ん中にある。この時代やこの世界に限った事では無いが、古代遺跡と呼ばれるものは大概原始熱帯林の中とか、氷河地帯の最奥にあったりするから、それ自体は別に驚くべき事でも、珍しい事でも無い。寧ろ砂漠のど真ん中というのはポピュラーと言っても良いくらいだ。
古代遺跡の発掘は一月や二月で終わる様なものでは無い。砂場に埋まった玩具を掘り出す様なものでは無いからだ。だから必然、スクライア一族は発掘する遺跡の近くに居住する事となる。半年や一年をそこで過ごす都合上、スクライア一族は居住環境には非常に気を使う。基本的にはテントの様な簡易住居を遺跡近くに設置するのだが、これが凄い。熱帯林にある遺跡を発掘する際には湿気や虫などの原生生物対策が施されたものを、氷河地帯の遺跡を調査する際には保温性の高さが最優先されたものをと、環境に適したものが使い分けられている。
今回の様に砂漠地帯で使用されるテントは、砂塵をシャットアウト出来る密閉性の確保と、熱が篭もらない構造が見事に両立している。また外側からでは分からないが、中身はかなり機械化されている。遊牧民族の移動式住居の様に見えてエアコン完備というのを最初に知った時は、声を上げて驚いたものだ。
実際に此処でもう二ヶ月過ごしているが、実に快適という以外に感想は無い。
「まあ、そのせいでずるずる此処に居座ってる訳なんだがな」
誰にともなく呟いて、園崎玄十郎は湯呑みを取り上げた。
つるりと剃り上げた禿頭、恐ろしく悪い目付き。齢五十を超えて尚、筋骨隆々と評するに足る筋肉。そんな彼の容貌だけを目にして、彼が次元世界でも指折りのデバイス・マイスターであると納得する人間はほぼ皆無だろう。
デバイス・マイスター――魔導師が魔法を行使する際に使用する補助機械『デバイス』の開発・整備・調整を行なう人間。一般的な整備士と異なり、デバイスの開発を行ない、また整備・調整においても一般整備士の枠を超えた技術と技能を有する事から、職人という名で呼ばれている。
マイスターと呼ばれる人間はそう多くない。無論、マイスターに相当するだけの腕を持った人間ならば数多いのであろうが、マイスターとして名を馳せている人間はごく僅かだ。園崎玄十郎は、その僅かに属する人間であり――そして、その僅かから半分ほどはみ出した人間であった。
デバイス・マイスターに限らず、デバイス整備士は基本、何らかの組織に属している。大半が時空管理局であり、次元世界の一大勢力であるその組織に属するが為に名が売れ、デバイス・マイスターと呼ばれるのだ。玄十郎の様に何処にも属さない、フリーランスの技術者は希少である。
様々な組織や集団に直接交渉して、モノを売りつける。報酬を受け取れば次の取引相手を探す。本人曰く、『はぐれマイスター』。そんな玄十郎がスクライア一族と接触したのは、意外にも商売抜きの事からだった。
何の事は無い。息抜きと思ってふらりと立ち寄った観測指定世界――今も彼が居る、第191観測指定世界<アジャンタ>の事だ――でばったり会った『魔法少女』に、名の通り職人肌の男が自分の作品を使わせたくなったというだけの事。
「……帰りが遅いな。何かあったか……?」
ずず、と湯呑みの中身を啜りながら、これもまた誰にとも無く、玄十郎は呟く。
先程通信で会話してから既に五時間。テントの外は既に日が暮れ、一帯には夜の帳が降りている。昼間散々吹き荒れた砂嵐も収まり、奇妙なまでに静かだ。
テントの中には玄十郎以外誰も居ない。本来は物置として使われるテントの一つを、彼は個室として借り受けている。他の一族の人間が二、三名で寝所用テント一つを使っている事を考えると、破格の待遇と言える。マイスターとしての玄十郎の技術が、スクライア一族にとっても有用である事の証左であった。
衣食住、全てにおいて玄十郎は一族の世話になっている。代わりに彼は知識と技術を提供する。典型的なギブアンドテイクだが、園崎玄十郎にとっては滅多にやらない事だ。作り上げたデバイスを売り込み、報酬を受け取る。他者と関わるのはそれだけだ。今回の様に一つ所に腰を据えて仕事する、というのは普段の玄十郎からは考えられない事である。
滅多にやらない事をしているのは、二つの理由からだ。一つ、スクライア一族の気風が、実に倉塚の肌に合っていた事。
そしてもう一つが、この一族にあって異端と称される一人の少女に興味が湧いたからなのだが――その少女が、帰って来ない。
「参ったな。死んだか?」
楽しみが無くなってしまうな。聞く者の居ない冗談は、その実あながち冗談でも無かった。
昼間、大型の砂蟲が遺跡の発掘現場を襲ったと聞かされている。そしてそれにたった一人、メイリィ=スクライアが立ち向かったとも。
スクライア一族に戦闘用の魔導師は殆ど居ない。以前から玄十郎は「身を守るのに最低限の魔法は覚えた方が良い」と一族の人間に忠告していたのだが、残念ながらそれを聞き入れて貰えてはいなかった。尤も、玄十郎自身、半ば社交辞令の様な感じで勧めていたのだから、聞き入れられなかったところで何の痛痒も無かったが。
実際、スクライア一族の人間がそういった“危機意識”を持ち、発掘に携わるのならば例え子供であっても護身に最低限の魔法を覚えさせる様になるのは、あと四十年ほど先の話だ。無論、それはこの物語とは全く――とは言わないまでも、あまり関係の無い話である。
ともあれ。
メイリィ=スクライアの未帰還。もしくは死亡。これによって少しは意識改革でも起こってくれれば……などという考えを微塵も持たず、玄十郎は一人呑気に茶を啜っているのが現状だ。
別段、心配はしていない。彼女に持たせたデバイスは園崎玄十郎の作品の中でも最高傑作と言って良い。また、もしデバイスを持っていなかったとしても、彼女ならなんだかんだで道理を引っ繰り返して、何事も無かったかの様に帰ってくる事だろう。
楽天的な予測ではあったが、確信(らしきもの)があった。
逆説的ではあるが――その確信を裏切らないのがメイリィ=スクライアであり、だからこそ玄十郎は確信を抱いている。
彼女なら大丈夫だ。
いつだって、今だって。
「……ふん。戻ってきたか」
さく、さくと砂を踏む足音が聞こえる。それが誰のものであるか、玄十郎は疑っていない。
ただ不思議な事に、足音は二人分ある様に聞こえる。耳も目も、未だ老化は始まっていない。どころかそこらの若者よりも遥かに目が良いし、耳が良いのが園崎玄十郎という男だ。……生憎と、頭髪は短い友で終わってしまったが。
その耳で聞く限り、足音は二人分。間違い無い。――メイリィでは無いのか?
「ゲンさーん!」
果たして予想通り、テントの出入口にかけられた幕をはぐって顔を出したのは、目下行方不明で生死不明である筈の、メイリィ=スクライアその人だった。
「おう、生きてたか。随分と帰りが遅かったな。男でも出来たか?」
「わ、凄いですゲンさん。大正解!」
冗談で言った筈の言葉に「大正解」と返され、玄十郎は不審そうに眉を寄せる。
メイリィがテントの中に這入ってくる。勝手知ったる他人の家、というやつだ。倉塚ももう慣れているので注意もしないし不快感も無い。元よりこの住居は借り物なのだ。
ただ驚いたのは、メイリィに続いて這入ってきた人間が居た事だった。淡いクリーム色のローブを纏った、灰色の髪の少年。
どこかうろたえた、拾われた猫の様な顔をした少年は、メイリィに手を引かれ、玄十郎の前まで歩いてくる。
「……ウチでは飼えんぞ。捨ててあったところに戻してこい」
「ゲンさん、子犬じゃ無いですよ」
「だったら尚更だろうが。人攫いと人買いはするな、ってのが死んだ親父の遺言なんだが」
じろりとねめつけられ、メイリィは気まずげな顔で目を逸らした。
ふん、と一つ息をつき、玄十郎は少年へと向き直る。
「あー、悪かったな。どうせこの娘が無理言って連れてきたんだろう。犬に噛まれたとでも思って忘れてくれや」
「はア」
良く分からないがとりあえず、といった感じに、少年が頷く。返事は何故か、妙に片言の言葉だった。
その“どうでも良さ”に、玄十郎の眉が寄る。そもそもこの少年は一体誰だ。第191観測指定世界<アジャンタ>の中にあって、ビラドーラ古代遺跡は辺境も辺境、極地と言って良い。この世界の住人はまず寄り付かないし、そも、この世界は科学技術も魔法技術も然程発達してはいない。この遺跡の存在すら知られていないのが実情だ。世界の果てを見に行こう、と考える冒険家がやってくる可能性は無いでも無いが、無視して良いくらいには低い。
そんな訳で、この遺跡周辺に居るのはスクライア一族と、一族に厄介になっている玄十郎、総勢五十余名のみ。言うまでも無く玄十郎は一族の人間全ての顔と名前を記憶している、この少年が一族で無い事はすぐに分かったし、メイリィの発言からもそれは裏付けられる。
「お前さん……誰だ?」
甚だ曖昧で、答える側が言葉に詰まる類の問いを、しかし玄十郎はそうと知った上で少年に向けた。
少年の答えに時差は無い。恐らくは意図的に、そして確信的に、問いの上澄みだけを掬い取った答えを返す。
「セロニアス=ゲイトマウス=チェズナット、いいマス」
「略して、セロ!」
『セロニアス』って、何か言い辛いですよね? と、ある意味微妙に失礼な台詞と共に、メイリィから愛称が提示された。この少女は他人に愛称をつける事を好む。玄十郎なら『ゲンさん』といった具合にだ。勿論それは自分も同じで、一族の人間や仲良くなった人間に『メイ』という愛称で自分を呼ばせている。……実際にそう呼ぶ人間はあまりいないのだが。
「ふん。セロ、か。初めましてセロ、俺は園崎玄十郎という。まあ、宜しく頼む」
玄十郎は手を差し出す。
セロニアスと名乗り、セロという愛称を付けられた少年は、差し出されたその手に困った様な表情を浮かべたが――すぐに笑みを浮かべて、その手を取った。
何処か、作り物めいた笑みだった。
「こちらコソ、宜しくデス――『ゲンさん』」
玄十郎がこの地に腰を据える理由が、一つ増えた。
三つ目の理由――メイリィ=スクライアの連れてきた少年に、興味が湧いた。
Turn to the Next.
後書き:
初めまして、透水と申します。ここまでのお付き合い、ありがとうございました。
元々リリカルなのははあまり真面目に見てはいなかったのです(ニコニコ動画でMADを見る程度)。半年くらい前に友人からDVDを借りてざっと見て、その程度でした。二次創作を書くつもりとかも無かったのですが、ふらりとこちらのサイトにお邪魔した際、TANK様の『魔法少女? アブサード◇フラット』を読んで一気に火がつきまして(笑)。何というか、リビドーのままに書き上げてしまいました。TANK様と読者様に感謝の言葉を。
最初は原作本編のパラレル物にしようかなと思ったのですが、人と同じ事やっても面白くないなあと、ちょっと変化球で。
まあそんな訳で、本作はリリカルなのは第一期から五十年ほど前の話です。00における00P……というよりは、ボトムズにおけるメロウリンクな関係に近いかも。あくまで製作側のイメージですが。
タイトルでバレてる感じがありますが、原作本編で重要な『アレ』の開発秘話みたいな感じになる予定です。時間軸的に原作のキャラは殆ど顔を出せませんが、ご了承下さい。
一応、既に全話書き上げている状態です。ところどころ修正しながら投稿していきたいと思っております。
宜しければ、次回もお付き合いください。
おまけ:元ネタ暴露コーナー
友人に本作を見せたところ、セロという名前の元ネタは某有名マジシャンだろと言われ、セロニアスといったら氣志團のあの人だよなと言われました。腹が立ったので、本作における名詞の元ネタをここでバラしていこうと思います。
・セロニアス=ゲイトマウス=チェズナット(Thelonious=Gatemouth=Chesnut)……ジャズピアニスト『セロニアス・モンク』、ギタリスト『クラレンス“ゲイトマウス”ブラウン』、ソウルミュージシャン『コーディ・チェズナット』から。要は寄せ集め。
・第191観測指定世界<アジャンタ>……インドにある古代の仏教石窟寺院群『アジャンター石窟群』から
・ビラドーラ古代遺跡……インドにあるインダス文明の大都市遺跡『ドーラビーラ』から
・砂蟲……漫画『トライガン・マキシマム』に出てくる生物『砂漠虫』から
・アウロラ……ギリシア神話に登場する女神
・カロリック・バスター……18世紀頃まで存在した、物質の温度変化に関する学説『カロリック説』から
・園崎玄十郎……名字は『ひぐらしのなく頃に』に出てくるキャラから。名前は即興。某サイトでひぐらしの二次小説を書いているので、そちらからの流用です。
以上です。次回以降もこのコーナー……やるだろうか。うーん。
感想代理人プロフィール
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代理人の感想
悪魔だ、悪魔がいる。むしろ破壊魔?w
まぁあくまなだけであって、魔王では(今んとこ)ないようですが。
取りあえず相方のアウロラとの掛け合いがイイデスネー。この夫婦漫才・・・・あれ、アウロラって女の子か?(爆散)
まぁ、夫婦か単なるドツキ漫才かはともかくとして、被害(突っ込み)担当がもう一人出来たようなので次からは彼(彼女?)も多少は楽になるでしょう。
セロくんにはグレートにいい迷惑でしょうが。
何はともあれ続きが楽しみです。
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