ぎしり。
 深い地の底で、何かが軋む音が響く。
 オレンジ色の光球が鈍く照らし出す地下空間。壁も床も天井も、敷き詰められた石板が砕け無惨な様相を呈している空間の景色に、一つ、どうしようもなく馴染まないモノがあった。
 橙色の光に照らされて尚、鬼火が如くに青白く明滅する正八面体の結晶クリスタル。この空間を満たす静寂を飲み込んだかの様に、それは冷たく光っている。
 常人は此処に満ちる静寂に耐え切れまい。聴覚器官を押し潰す静寂は人間の正気を容易く削り取り、精神を奈落へと突き落とす。世界との断絶を否応無しに突き付けられるこの空間はまるで墓穴。“死人紛い”がつい数日前まで此処で眠っていた事を考えれば、決して的外れな比喩でも無い。
 ぎしり。
 しかし静寂は続かない。断続的に響く軋音が、質量を持つかの様に空間を支配する筈の静寂をぶつ切りにする。
 軋音は正八面体の結晶から。間隔は少しずつ短く、そして音量は少しずつ大きくなっている。
 それは――カウントダウン。
 祭りの始まりを、指折り数えて待つ様に。
 

 始まりは遠く。
 しかして終わりは、すぐそこに。






魔法少女リリカルなのは偽典/Beginning heart
EpisodeⅤ【前夜】






「む。俺が最後か」

 時空管理局次元航行船<バルサザール>内、会議室。
 園崎玄十郎がメイリィ=スクライア、セロニアス=ゲイトマウス=チェズナットを連れてこの部屋を訪れた時、既に関係者は全てこの部屋に揃っていた。
 スクライア一族からの代表として長老他数名、時空管理局古代遺物管理部機動二課所属の人間達、そして最後にダイゴ=ナカジマ。総勢十六名の目が、予定の時間ぴったり、一秒と遅れず、まるで計ったかの様なタイミングで這入ってきた三人へと向けられる。
 ちなみに、バルサザール艦長の姿は、此処には無い。重傷を負って入院している――という事になっている・・・・・。昨日、メイリィによって盛大に叩きのめされたせいで、未だに意識が戻っていないのだ。
 最初に彼を吹っ飛ばした一発以外は、アウロラが咄嗟の機転で魔法を非殺傷設定に切り替えたのが良かったのか、魔法による外傷はほぼ皆無。しかしその前に散々デバイスで殴打されたせいか、それだけでもかなりの重傷。加えて幾ら非殺傷設定とは言っても、そうであるが故に、精神面へのダメージは甚大なものとなっている。意識不明の重態、下手をすれば廃人となっていた可能性すらあるという。
 この事実を知った管理局員達が小躍りして喜んだ事は、付け加えておくべきだろう。ついでに言えば、関係者が皆、喜々として裏工作に携わったという事も。
 
「んじゃゲンさん、そこの席でヨロシク」
「ああ」

 何故かその場を仕切っているダイゴに指示され(しかしこの男、確か艦では部外者ではなかったか?)、玄十郎は席に着く。その隣にメイリィが座り、そしてセロは座らずに二人の後ろ、壁際に佇んだ。
 座れ、と玄十郎は目で指示するも、ゆるりと首を振る事でセロはそれを固辞する。ふん、と一つ息をついて、玄十郎はセロから視線を外した。
 んじゃ、全員揃ったな――とダイゴが室内を見回す。玄十郎も眼球だけを動かして、同じ様に室内を、正確にはそこに揃った人間達の顔を見回した。誰も彼も、不安と焦燥を色濃く表情に浮かべている。無理も無い。恐るべき脅威を至近に置いて、しかしその全容が全く掴めないのだから。
 その為の、会合だ。
 ぱち、とダイゴが何かのスイッチを入れた。部屋の照明が落とされ、代わりに彼等がついている円卓の天板がぼんやりと発光し始めて、一人一人の前にウィンドウが展開された。
 ――現在、この艦バルサザールの機能は通常時の一割弱にまで落ち込んでいる。動力部に深刻な損傷があるのだから当然だ。今も必死の修復作業が行なわれているが、あくまで応急処置のレベルでしかなく、自力での本局帰還は絶望的と見られている。
 では何故、この会議室は使えるのか。
 言ってしまえば何の事も無い、バルサザールの動力部とは関係無い、艦の外部から電力を供給しているだけだ。
 園崎玄十郎は高性能な自家発電装置を所有している。砂漠のど真ん中であっても氷河の真っ只中であっても、デバイス・マイスターであるからにはデバイスを開発し、整備しなければならない。組織に属する人間はその辺のサポートも受けられるが、フリーランスのはぐれマイスターである玄十郎にはそんなものは無い。発電装置に限らず、彼が使用している機材は全て、彼が自腹で揃えたものである。とは言ってもその殆どがジャンク品を修理改造した、ワンオフのものであるのだが。
 スクライア一族も発電装置は持っている。しかし玄十郎の有するそれと比べて、性能が数段見劣りするのは事実。艦のごく一部の機能とは言え、要求される電力を賄うには明らかに力不足だった。
 そんな訳で、玄十郎の持っている自家発電装置は――実は結構無茶な繋ぎ方をしてはいるのだが――バルサザールの機能を復旧させる為に使われているのである。

「じゃあ、説明していこう。あまり時間に余裕も無いんでな、手早くいく」

 玄十郎が手元のコンソールを操作する。
 各人の前にあるウィンドウにまず表示されたのは、昨日、メイリィ達が入り込んだ地下空間での映像記録。彼女のデバイス<アウロラ>によって記録されていたそれは、最初の方こそどこかホームビデオの様にほのぼのとした雰囲気を漂わせていたが、地下空間での戦闘場面に入った途端にそれは霧散し、そして――

「……何だよ、こりゃあ……」

 空間に穿たれた“穴”から現れた銀色の蜥蜴人間が映像に出てきた時には、最早圧し掛かる様な絶望しか、そこに残っていない。
 蒼白となった顔色で呆然とダイゴが呟き、それを引き金に、次々とため息や生唾を飲み込む音が会議室に響く。
 玄十郎は顔色一つ変えないが、それは単に“見飽きた”というだけの事であり、初見の時は目の前の彼等の様に真っ青になって言葉を失った。
 ウィンドウの映像はセロと蜥蜴人間との戦闘に入っていた。Sランクに届こうかという程のセロの一撃が防がれ、逆に蜥蜴の一撃が彼の身体を吹き飛ばす。倒れ伏す彼の身体にバインドの光紐が絡みつき、陸上競技ハンマー投げよろしく振り回されたその小柄な身体が壁や床、天井に容赦無く叩きつけられる。それだけではまだ足りぬと、髪の毛を掴んで持ち上げ、その腹を執拗に殴りつける光景に至って、一人の女性士官が口元を押さえ会議室を飛び出していった。
 映像はメイリィが放った魔法が蜥蜴人間を閉じ込めたところで終わっていた。はああ、と大きなため息が各人の口から漏れる。それが室内の空気に溶ける瞬間を狙って、玄十郎は再び口を開いた。

「……以上が、昨日、ビラドーラ古代遺跡地下において記録された映像だ。多少編集はしているが、事実関係に変わりは無い。後は――」

 ことり、と玄十郎が机に置いたのは、普段はメイリィの左手首に嵌められているブレスレット。言うまでも無く、先の映像を記録したインテリジェントデバイス<アウロラ>の、待機状態である。
 
「――こいつから、説明してもらおう。……アウロラ?」
【はい。……アクセス開始。<Deseo>システム起動。データ、ロード開始。――起動確認。おはようございます】
「ああ、おはよう。アウロラ、説明を」
【了解しました】

 ウィンドウの映像が差し替えられる。動画では無い、固定の映像。映し出されたのは銀色に光る鱗で覆われた、蜥蜴人間の姿。
 先の暴虐を思い出したか、その姿を目にした人間達は皆一様に顔を顰める。ただ一人、その被害者である筈のセロだけが、平然とした顔で――否、寧ろ薄く笑みさえ浮かべて、その映像を眺めていた。
 
【この“蜥蜴人間”を、我々・・は<ヒドゥン>と呼称しています】

 アウロラの――その“口”を借りる誰かの――言葉は、聞く者に二つの反応を引き起こす。
 一つ。蜥蜴人間の呼称に含まれる、次元災害ヒドゥンの名を聞き咎めて。
 そしてもう一つ。アウロラの中に“居る”何者かが、己を指して『我々』と口にした事。
 前者はこの場に居る者の大半、ダイゴを初めとする管理局の人間達。
 後者は残る数名――と言うよりは、園崎玄十郎ただ一人。
 メイリィは苦虫を噛み潰した様な顔で画面の蜥蜴人間を睨みつけているし、セロに至っては興味無いと言わんばかりに眼を閉じている。
 一同が自分の言葉にどう反応するかを見ていたのか、微妙な間を置いて、アウロラは続ける。無論、それは前者の、蜥蜴人間の呼称に関してだ。
 
【“災害獣”ヒドゥン。数ある次元災害の中でも最悪をもって知られる、“次元嵐”ヒドゥンを生み出す存在です】

 「全てを凍てつかせる、時を壊す災害」。ミッドチルダにおいて、次元災害ヒドゥンはそんな伝承と共に語られている。
 それは次元嵐の一種と言われている。襲来した場所を中心に急速に世界を侵食し、時を壊し、因果を乱し、その世界の文化を完全に破壊し尽くす、と。数多の世界がその餌食となり、滅びた世界もあれば、時間が凍りついた事で二度と動き出さなくなった世界もある。ミッドチルダも過去に数度その猛威に晒され、多くの犠牲を払ってそれを食い止めてきた。
 だがそれに対して、ヒドゥンの正体は殆ど掴めていない。何が原因で発生するのか、その発生源は一体何処か。その発生を防ぐには、一体どうすれば良いのか。その研究は進んでいない――というより、全く行なわれていないと言った方が近い。
 調べようが無いからだ。全てが終わった後には何も残らず、幾度かその脅威を退けたミッドチルダにしても、“いつのまにか襲来し”、“いつのまにか去っていた”ヒドゥンが如何なる存在であるのか、判っている事は少ない。
 だが――それが。
 そんな正体不明の存在、不明であるその正体が、今、彼等の眼の前に。

【災害獣ヒドゥンは四つの段階を経て、次元災害ヒドゥンを生み出す存在へと成長します。まず第一段階ですが――】

 ウィンドウに映るのは、人間の胎児の様な、しかし人間の胎児とは似ても似つかぬ、気色の悪い生き物。そう、それは、蜥蜴と人を掛け合わせた様な。
 言わなくても解る。これはあの、蜥蜴人間の元だ。

【――こちらの“胎児”になります。この段階ではさしたる危険はありません。人間の胎児と同様、物理的・魔導的に防御力は皆無です】

 この胎児を、黒い靄が包みこむ。靄が胎児を包んでいたのはほんの一瞬、すぐにそれは胎児に吸い込まれる様にして消え去った。すると胎児は急速に成長を始め、蜥蜴そのものといった四足の生物へと変化する。

【この“胎児”が何らかの要因・・・・・・で変質し、第二段階へと成長します。この段階になると人間を初めとした周囲の生物を捕食し始めます。我々の文明が存在していた当時から、次元漂流者の何割かはこの第二段階の餌食となっていたものと思われます。また各種魔法も使える様になり、魔導師ランクに換算すればB+前後の魔法を行使する様になります】

 玄十郎はぶるりと身を震わせた。彼もまた、かつて次元漂流者だった人間だ。こんなおぞましい生き物の餌となっていた可能性があると言われて、平静ではいられない。
 四足の蜥蜴は更に成長を続け、やがてゆっくりと二本の脚で立ち上がる。猿が人へと変わる様に、蜥蜴はヒトガタの何かへと変わっていく。

【こちらが第三段階。先程の映像に映っていたものと同一です。この段階では魔導師ランクSSクラスにまで能力が跳ね上がります。……その戦力は、ご覧になって頂けたかと】

 AAA。セロニアス=ゲイトマウス=チェズナットの魔導師ランクの概算である――ただしあくまで、映像から判断しただけの非公式且つ不正確なものだが――数多くの魔導師を抱える時空管理局にあっても、AAを超える魔導師は全体の一割にも満たない。セロの能力は間違い無く一級、しかしそれであっても、SS相手となれば天と地ほどの差があるのだ――映像の中で、手も足も出ず敗北した様に。

【この段階になると、最早周囲の生物を捕食するだけでは無く、あらゆるエネルギーを貪欲に吸収します。普段は次元空間に生息していますが、この段階では各次元世界に出没し、エネルギーを食い漁る様になります】
「……あ」

 不意に、ダイゴが声を上げた。何事かと周囲の視線が彼に集まる。頭をがしがしと掻いて、ダイゴは「フラワーだ」と口にした。

「ジュエルフラワーだ……バルサザールが積んでるアレなら、あのトカゲ野郎の餌に丁度良い」
「ふん。確かにな。周囲のあらゆるエネルギーを吸収・増幅するあのロストロギアは、ヒドゥンにとっては格好の餌だ。微小なエネルギーでも時間をかければ莫大に増幅してくれるからな」

 全く、運が悪いとしか言い様が無い。
 バルサザールがジュエルフラワーを積まなければ。フラワーが暴走しなければ。この世界アジャンタに落ちてこなければ。……それなら、ヒドゥンも現れなかったかもしれない。次元の狭間で、もう少し先に、しかし確実に来るであろう機会を窺っていたかもしれない。
 考えても詮無い事だ。それは玄十郎も、無論、この場に居る全ての人間が分かっている。だが人間である以上、どうしてもIFを考えたくなるものだ。
 映像の中のヒドゥンが、更に変容していく。銀色の鱗が青く染まり、反して眼は更に紅く染まり。四肢の先が黒々と染まって。意匠は変わらないものの、その身の色彩は一層、禍々しさを増していく。

【これが第四段階。最終段階とも言えるこの段階ではそれまでに蓄積したエネルギーを使い、次元嵐ヒドゥンの精製を開始します。また、この段階は常に強固な魔力障壁を展開しており、物理的・魔導的両方の面において、外部からの攻撃を受け付けません】

 つまり、こうなったが最後、手の打ち様が無くなると言う事だ。何としても、この段階に進化する前に仕留めなければならない。
 だが、どうやって? 管理局の魔導師達は軒並み負傷しているし、そもそも皆Bランク、隊長であってもA-の魔導師だ。時間稼ぎの捨て駒にもなりはしないだろう。艦砲射撃で撃滅という選択肢も選べない。ジュエルフラワーの暴走、および墜落時の衝撃によって、艦の武装はほぼ壊滅状態に陥っている。

「……アウロラ、奴が出てくるまでの時間は?」
【およそ、二十九時間後と推定されます】

 一日強、というところか。
 現在、ヒドゥンはメイリィの放った魔法により、魔力檻に閉じ込められている。だが言うまでも無く、それは時間稼ぎに過ぎない。彼女の限界を超える魔法であっても、所詮は人間の業、規格外の“災害”を倒す事など出来はしない。
 二十九時間。それが彼等に許された時間。その中で彼等は、次元災害と戦う手筈を整えなければならない。文字通りの嵐を前に、人間風情が出来る事など知れている。だがやらねばならない。自分達が失敗すれば、空前の次元災害がこの世界だけでは無く、あらゆる世界に襲い掛かるのだから。

「ナカジマ。管理局からの増援は?」
「通信機がイカレてるからな。もうちょいで直るんだっけか?」

 ダイゴの問いに、近くに居たクルーがこくりと頷いた。あと二時間もすれば。そう言ったクルーの顔に、明るさは無い。猶予は二十九時間しか無いというのに、その内の二時間を取ってしまう。かと言って、もっと早く直らないのかと言う口はダイゴにも、無論、玄十郎にも無かった。修理作業に掛かっている人間がどれだけの無茶をしているのか、この場に居る全員が知っていた。
 それに――

「もし二時間後に直っても……多分、増援は間に合わねえ」

 管理局がこの脅威を認識したとして、対策を打ち、増援を派遣するまでには、どう少なく見積もっても四十時間はかかる。忌々しげにダイゴはそう言った。大組織であるが故のレスポンスの悪さ。今回はそれが致命的だ。しかも被害を受けるのがのろくさ仕事している管理局の人間では無く、現場で命を張っている人間、そして何の関係も無い民間人であるのだからやりきれない。
 
「結局――俺達だけでやるしか無い訳か」

 ため息混じりに、玄十郎が呟く。
 まあ、解っていた事だ。一民間人には荷が重すぎる話ではあるが、だからと言って投げ出せるものでも無い。
 仕方が無い。
 ちと面倒だが、生き残る為の策を始めよう。

「さて――皆さん」

 玄十郎は懐から一枚のディスクを取り出し、机に置いた。昨日の夜、徹夜で作り上げたもの。もしかしたら不要になるかもしれない、寧ろそうであれば僥倖。使われない事を望みながら、園崎玄十郎が組み上げた“策”。
 救援無し、時間の猶予無し、敵戦力はおよそ考え得る限りの最大。一切の楽観を排除し、徹底的な悲観主義を前提とした、その上でそれを引っ繰り返せるだけの策。一民間人には用意するだけでも僭越に過ぎるそれを――無論、元管理局員という肩書きもある程度利用してはいるが――玄十郎はこの場に集った者達に説明し始める。
 説明を続ける内に、室内に居た人間達の顔へ、血の気が戻ってくる。希望を煽るのは趣味では無い。だがこれから為さねばならない事に、絶望は一欠片たりともあってはいけないのだ。
 生き延びる、その為に敵を、災害獣ヒドゥンを押し留める。そこに諦めがあってはいけない。爪の先ほどの諦観が何もかもをぶち壊しにする様を、玄十郎は数限りなく目にしてきた。だから出来る限りの自信満々、これなら出来ると希望を錯覚させる様な話し方で、玄十郎は策を説明した。

「――言うまでも無く、俺は単なる一介の民間人だ。本職はデバイス作りだからな、作戦立てて指揮官気取るなんざ性に合わん。この策を使うか使わないか、決めるのはあんたら管理局の人間だ」

 とは言うものの、玄十郎はこの策が採用されるだろう事を疑っていなかった。急場凌ぎで組み上げた策とは言え、現状ではこれ以上の策は無いという自負がある。民間人というのも実際のところは単なる謙遜、かつて彼がまだ故郷に居た頃・・・・・・は、これよりも遥かに絶望的な状況を引っ繰り返す事を、その策を練る事を仕事としていたのだから。
 加えて、指揮官である筈の艦長は意識不明の重態。それに告ぐ副艦長はまだ若く、あくまで副官としての経歴しか積んでいない。それは本人も分かっているらしく、銀縁の眼鏡をかけた如何にも事務官といった風情の副艦長は、一同の意思を確かめる様にぐるりと室内を見回して、最後に一つ頷いた。
 最終的な結論はともかく、それを決めるのにはもう少し時間がかかる、或いは難色を示されると思っていただけに、これは玄十郎にも予想外だったが。
 押しの強い相手に弱い、という事か。そうでなければ、あんな男の専横を黙って受け入れはしなかっただろう。あの艦長がそうした人員を意図的に集めたというだけかもしれないが。しかしその相手が元管理局員とは言え、単なる民間人であっても変わらないというのは、やや落胆する事実でもあった。
 まあ、悪くは無い。常識的な軍事組織では決して考えられない無茶――民間人の提示した作戦を全面的に取り入れる――を押し通す、これは確かに、管理局のそういった体質でなければ出来ない事であるのだから。
 
「頼むわ、ゲンさん」
「ああ。……それじゃあ、今後の予定はこの通りだ」

 既に組んでいた今後のタイムスケジュールを表示する。ダイゴが小さく「用意の良い爺ィだ」と呆れ顔で呟いたのが聞こえたが、無視する。
 会議はこれにて終了。作戦開始はこれより二十八時間後。すぐに自分の仕事にとりかかろうと、バルサザールのクルーは足早に会議室を後にする。閉会から二分と経たない内に、会議室に残っている人間は四人だけとなった。
 園崎玄十郎。
 ダイゴ=ナカジマ。
 メイリィ=スクライア。
 セロニアス=ゲイトマウス=チェズナット。
 残るべくして残った四人の内、三人の視線が、未だ卓上のアウロラへと向けられている。無論その例外は、まるで場違いな微笑を顔に貼り付けたままの、灰髪の少年だった。

「なあ、アウロラさんよ」
【何でしょう。ダイゴ=ナカジマ捜査官】

 やがて、意を決した様にダイゴが口を開いた。

「さっきの話、昨日の晩にも聞かせて貰ったけどさ。ちょいと気になる事があったんだよな。訊いていいか?」
【どうぞ】
「色々と興味深い情報ネタ出してくれたのは感謝するけどよ……アンタ、何でそんな事知ってんだ?」

 そう。
 管理局ですら知らぬ事を、当然の如く記録として蓄えている。その不自然を、まずダイゴは問い質した。

【知っている、とは違います。私は自身のデータベースに蓄積された情報を提出しているに過ぎません】
「誤魔化すなよ。じゃあ質問を変えるぜ。アンタのデータベースとやら、それを作り上げたのは何処のどいつだ」

 それは或いは、つい先程までこの場に居た管理局の人間達も訊きたい事であっただろう。だが彼等は敢えて訊かなかった。それに費やす時間が惜しかったからだ。自分の興味を抑え、職務に忠実となれる。組織の歯車としては理想的。であるが故に、上官の横暴を抑えられなかったのだが。
 だからダイゴが訊く。歯車になりきれない彼が訊く。それを他の者に伝えるつもりは無い、全ては己の胸の内に。彼の視線がそう告げている。

【…………】
「ゲンさんよ、アンタは知ってんのか?」

 沈黙したアウロラから視線を外し、ダイゴは玄十郎を睨み付ける。管理局屈指の敏腕捜査官が発する剣呑な空気を真正面から叩き付けられて、しかし玄十郎は小揺るぎもしない。

「ああ。昨日、お前等が帰った後に、アウロラから聞かされた。……アウロラ。こいつらなら大丈夫だ。話してやれ」
【マイスター・園崎がそう言われるのでしたら】

 ダイゴと玄十郎、いまいち話についていけていないメイリィ、話を聞いているのかいないのかも分からないセロの前に、それぞれウィンドウが展開される。
 多少の逡巡の後――その間が酷く人間臭い――、アウロラは語り始めた。









 今から、五百年ほど前の事です。現在ビラドーラ古代遺跡と呼ばれている一帯を首都とした魔導文明が、この世界<アジャンタ>に存在しました。
 名を<セアト>。
 その始まりは私の中に記録されていません。恐らく、彼等自身も分かっていなかったものと思われます。突如としてこの地に勃興した文明。僅かに存在する“それ以前”の残滓から、<アルハザード>と呼ばれる世界と何らかの関わりがあったものと推測されますが、詳細は不明です。
 発達した魔導技術により、セアト文明は栄華を極めました。現在は砂漠化しているこの一帯も当時は緑溢れる豊かな地であり、争い事も無く、人々は平和に暮らしていました――無論、これは私の主観では無く、そうであると記録した者の主観ですが。
 しかしある日、その平和な日々は突然に終焉を迎えます。
 ――他世界からの侵略。
 謎の魔導兵器群が突如として襲来、その圧倒的な戦力に、この世界の文明は崩壊の危機に晒されました。
 しかし座して滅亡を待つ事を良しとしなかった彼等は、最後の賭けに出ました。彼等が作り上げた最後の切り札。それが魔導生命体<ギャラガ>であり――魔導師を素体とした改造実験体<アブギダ・シリアル>です。
 セアト文明の魔導技術は、生命操作という方向性に特化していました。遺伝子操作に始まり、リンカーコアの改造、クローン、果ては零から生命を作り出す事も行っていました。それらの技術を利用し、応用し、集大成として作り上げられた、兵器としての生命体。四人の異能魔導師アブギダ・シリアルと、十三匹の魔導獣ギャラガ。長い戦いの末、彼等は侵略者を撃退する事に成功します。しかしそれは、終末の序奏に過ぎませんでした。
 戦後、生き残った四匹のギャラガは全て幼生体、先の映像でご覧頂いた『第一段階』と呼ばれる胎児の状態に戻され、廃棄される事となりました。しかしその内の一匹に、異変が起こったのです。
 先の映像で第一段階のヒドゥン――あの状態ではまだギャラガとしてのものなのですが――に取り付いた黒い靄。それは他世界からの侵略に乗じてアジャンタに流入した、異界のエネルギー生命体でした。意思や肉体を持たず、ただ既存の物質に干渉して存在を歪めるモノ。それが一匹のギャラガ幼生体に取り付き、魔導生命ギャラガを、次元災害を生み出す災害獣ヒドゥンへと変貌させました。
 災害獣ヒドゥンと化したギャラガは暴走。放たれた次元嵐により、遂にこの世界の文明は終わりを迎えました。残る三体のギャラガ、そしてアブギダ・シリアル達は必死に戦うも止められず、最終的に何重もの封印をかけた上でこの世界から追い出す事には成功しましたが、その時には既に次元災害ヒドゥンによってこの世界に生きる者の時は壊されていました。
 あらゆる生命体がその身に流れる時を壊され、動かなくなり、朽ち果てるだけの世界が残りましたが、最前線で戦っていた人間達だけが幸か不幸か、その被害を免れていました。
 ヒドゥンは生きている。そしていつか封印を破り、何処かの世界に現れるだろう。彼等はそう予測し、それに対する備えを残す事を決めました。一基の魔導機器デバイスによって封印を維持し、一冊の魔導書に全ての情報を記録して、後世の人間達にその脅威へ対する術を伝える事としました。いつか、誰かがそれを見つけ、ヒドゥンを滅ぼしてくれる事を願って。
 更に彼等は幾つかの保険を用意しました。大深度地下施設へ魔導書と魔導機器を安置し、それらを見つけた人間がヒドゥンに対抗する為の戦力として完全自動型傀儡兵<コットポトロ>を配備。魔導書に対ヒドゥン用の各種魔法を記録。そして最後に、ヒドゥンに直接対抗する術として、一人の少年を地の底で眠りにつかせました。
 アブギダ・シリアル。魔導技術によって肉体改造を施された四人の異能魔導師。その内の一人、シリアルG――“ゲイトマウス”を与えられた少年、セロニアス=チェズナット。常人と比して遥かに死に難い身体を持つこの少年を、彼等は未来への備えとする事に決めました。
 ただし――この備えは、残念ながら殆ど役に立たなかったと言って良いでしょう。
 <アウロラ>のデータ、及びマイスター・園崎の話から、彼等の予測よりも遥かに早くヒドゥンは復活し、幾多の次元世界でその猛威を振るった様です。本来魔導生命の名であった『ヒドゥン』が、次元災害を表す名として残ってしまった事実が、それを証明しています。
 また、バルサザールの墜落というアクシデントがあったとは言え、コットポトロの暴走も予定外でした。加えて先に述べた戦争当時の記録を参照する限り、シリアルG“ゲイトマウス”は現在完全な状態で稼動していないと思われます。本来単騎でヒドゥンを相手取る筈の彼がああも簡単に一蹴された事が、それを裏付けています。
 全てはセアト文明が残した負債です。彼等が蒔いた種と言われれば否定は出来ません。その尻拭いを現在に生きる者達へ押し付けた事は、非難されて然るべきでしょう。ですが私の中に残されたデータには、最後に一つだけ、この言葉が残されています。
 ヒドゥンを――止めてください。
 これ以上の悲劇が、生まれる前に。









 昨日まで出ていた月は、夜空に千切れ浮かぶ雲に半ば覆われていた。
 玄十郎あたりはこれを指して風流だなどというのかもしれないが、生憎メイリィにはそんな感傷は無い。月は月、雲は雲。それだけだ。
 今日は結局、遺跡の発掘作業は中止となった。それどころでは無い、下手をすれば明日には全員死ぬかもしれないのだ。明日を生き残れば、明後日からはまた日常に戻れる。それを信じて、スクライア一族は管理局の人間と共に、明日の仕度を進めていた。
 恩を仇で返そうとした管理局の人間達に対し、一族は思ったより寛容だった。今も意識不明が続く艦長に代わり、副艦長が深々と頭を下げたのが正真正銘、良い方向に働いたのだろう。精一杯の誠意が感じられる謝罪を受けて、それでも尚拳を振り上げようとする者はいなかった。
 艦長を第一級戦犯として、その罪を全て被せたおかげか――元より、一族の長老を脅迫したあの一件が艦長一人の独断というのは事実であったし――今日の夕食では一族の人間と管理局の人間が揃って和やかに卓を囲んでいたくらいに、関係は修復されていた。
 さすがにこの後も仕事があるので(艦の修復はまだ完全では無い)酒が出る事は無かったが、アルコールの助けなどまるで必要無く、夕餉の席は大盛り上がりだった。明日死ぬかもしれない、そんな不安を皆、一時でも忘れる事が出来ただろう。それは良い事だ、メイリィは心底からそう思う。
 ただ――その席に二人ほど、足りない人間がいた。そのせいだろう、馬鹿騒ぎする管理局と一族の人間達を、メイリィは何処か冷めた目で見ていた。普段だったら率先してその馬鹿騒ぎに加わっていくのがメイリィ=スクライアという少女だったから、一族の女性達からは「調子悪いの?」「あの日?」などとも訊かれた。無論、そんな事無いと答えたが。
 今、メイリィは宴に加わっていない一人、園崎玄十郎のところへと向かっている。居住地の外れにある小さな個室テント。予想通り、入口の幕の隙間から光が漏れている。

「ゲンさん?」
「む。何だ、メイ」

 ひょいと中を覗き込む。展開されたウィンドウから目を離さず、コンソールを叩く指を止めず、玄十郎は応えた。
 玄十郎の横で、デバイス作製用の機材が動いている。その横では魔導杖形態に展開したアウロラが、何本ものコードに繋がれて横たわっていた。
 デバイスを作って欲しい。昨夜、セロから玄十郎はそう頼まれている。しかし幾ら何でも、一日二日で出来上がるほど、デバイスというのは簡単なものでは無い。プラモデルを作るのとは訳が違うのだ。
 だから今回、玄十郎はアウロラの基礎設計と、予備パーツを流用して、デバイスを作っている。デバイスのコアだけならばそう時間はかからない。だがそれでも、普通ならば一週間はかかるものだ。それを僅か一日で作り上げようというのだから、無茶をしなければ出来る筈が無い。
 老人とは思えぬぎらぎらとした眼光はまるで抜き身の刀。口元には笑みすら浮かんでいる。それはある意味、壊人の浮かべる狂笑の様で。けれど玄十郎の浮かべるその笑みが、童子の如き愉楽の笑みだと、メイリィは知っていた。

「間に合います、それ?」
「ふん。当然だ、絶対に間に合わせる。俺を誰だと思っている?」
「あ、駄目ですよゲンさん。それは螺旋力の人の決め台詞です」

 狂相を崩し、苦笑を浮かべる玄十郎。あはは、とメイリィは声を上げて笑った。
 だがふと真顔に戻った玄十郎に「何の用だ」と訊かれ、メイリィは笑うのを止めた。笑う気分じゃ無い。なのに無理して笑ってみせた。どうやら、玄十郎にはそれが気に入らなかったらしい。
 
「……セロ、何処に居るか知ってます?」
「いや。あの後、ふらっといなくなったきりだ」

 昼間、会議室でアウロラが――アウロラの中に居る者が過去を語り終えた後、セロはいつの間にか部屋から姿を消していた。扉が開いた気配は無かったが、転移魔導師の彼にはこっそりその場から姿を消す事など容易いだろう。アウロラに、己以外の第三者に自分の過去を語られるのが厭だったのか。あの灰髪の少年にそんな感傷があるとは思えなかったが、それが最も説得力のある想像だった。
 はあ、とメイリィはため息をつく。鬱陶しい奴だな、と玄十郎が顔を顰めるが、それでも追い出そうとはしない。
 アウロラが待機状態ブレスレットに戻され、ひょいとメイリィに投げ渡された。

「ねえ――ゲンさん」
「メイ。先に言っておくぞ」

 メイリィの言葉を遮って、玄十郎が口を開く。

「同情はするな。あいつは自分で選んだ。受け入れる・・・・・事を、自分で選んだんだ。例え他に選択肢が無く、その選択肢すら誰かに押し付けられたものでも、あいつは“選ぶ”事を選んだんだ。……同情は、お門違いってもんだぞ」

 玄十郎は、昨日の夜に聞かされていた。アウロラの話の途中で完全に寝入ってしまったメイリィはそれを知らない。セロと玄十郎がどんな話をしたのか、少年が己の口で何を言ったのか、それを知らない。
 セロ本人が、自分の選択をどう思っているのかを知らないのだから――今の彼女には、セロに対して人間らしい・・・・・同情をくれてやるしか出来ないし、そしてメイリィはそうあるべきと思っている。
 だから、玄十郎の言葉を、すんなりとは受け入れられなかった。

「ど、同情して何が悪いんですか……!」
 
 声が上擦ったのは、見透かされた動揺のせいだろうか。
 同情して何が悪い。開き直りとも取れる言葉だが、メイリィにとっては偽らざる本心でもあった。
 メイリィ=スクライアは善人だ。それは誰もが認める事である。しかしそれは聖人と呼ばれるほどに突き抜けたものでは無く、かと言ってひと山幾らで買える程度の善性でも無い。常人より少し善い人、精々がその程度。けれどその善性も、彼女の性格である意味台無しになっている。
 猪突猛進、神風特攻。まず突撃あるのみ、それは人間関係においても変わる事は無い。相手の懐に入り込み、竜巻に巻き込むかの様な強引さで、彼女は“友達”を作る。無論、それが逆効果になる事も少なくない。それに不快感を覚える人間だって少なくないのだ。ただそういった人間に対して、メイリィは意外な引き際の良さも見せる。自分と相容れない人間を見定める事において、多分に本能的なものであるとは言え、彼女はずば抜けている。
 だが――例外もある。つい先日、それに出会うまで、彼女はその例外なるものが存在する事すら知らなかったが。
 セロニアス=ゲイトマウス=チェズナット。あの灰髪の少年が、その例外だった。
 彼の近くは存外居心地が良かった。いつもにこにこと笑っている彼の隣は、ぬるま湯に肩まで浸かった様な居心地の良さがある。……その実、ぬるま湯は底なし沼であり、肩まで浸かれば取り返しのつかない事になると彼女が知ったのは、手遅れとなる一歩手前。ふとした事から知った少年の過去が、引き際を間違えたと彼女に気付かせた。
 数百年の時間を眠り続けていた少年。それだけなら良かった。年の差なんてと嘯ける程度には余裕があった。けれど、あの地下空間で遭遇した蜥蜴人間。少年はそれに瀕死の重傷を負わされ、“人間離れした”回復力で甦ってきた。
 そして――今日聞かされた、彼の過去。
 それらの事実を前にして、メイリィは初めてセロに対し、不審と疑念を覚えた。
 これは、自分と違う生き物なんじゃないか。
 いつもにこにこと、内心を塗り潰す様な微笑を浮かべている彼。酷く薄っぺらなその微笑は、全てを許容し、受け入れたが為のもの。この世界の憎悪も恐怖も理不尽も不条理も、全てを事象の一つとして認識し、幾許かの諦めと共に受け入れている。
 当事者である筈なのに――傍観者の様に・・・・・・
 否定しないし、拒絶しない。ありとあらゆるものが世界を構成するガジェットの一部として許容され、あの光無きダークグレーの瞳に呑まれていく。
 今まで何とも思わなかったそれが、急に恐ろしく思えた。
 この一週間、メイリィはセロと上手くやってきた。まるで姉弟――兄妹、では無くて――の様に。それが無知故に出来る事だと、彼女は気付いてしまった。
 今後どうやって、自分はあの少年と付き合っていけば良いのか。少年に対するスタンスを、少女は見失ったのだ。
 同情して何が悪い――その言葉は字面とはまるで違う意味を含んでいる。
 今の自分には、同情しか出来ない。それを否定されれば、自分はもうセロと関われない。メイリィの言葉は、つまるところそういう意味でしか無かった。

「同情は悪くないさ。だがな、お前、それでどうする気だ? 『まあ可哀想』で終わりか? 一緒に人間止めますとでも言うのか? そりゃ、幾ら何でもあいつを馬鹿にしすぎってもんだろ」
「…………それ、は」

 何も、言えない。
 同情も憐れみもある。だがそれだけだ。後に続くものが無い。貧しい者には金を与えれば良い。餓える者には食物を与えれば良い。だがセロに対して、自分が何を与えられるというのか。いやそもそも、彼がそれを望んでいない以上、与えるという考えそのものが傲慢でしか無い。

「……ゲンさん。あたし、どうすれば――」
「知らん。俺は教師でも牧師でも無い、自分で考えろ」

 メイリィの甘えを、玄十郎はばっさりと切り捨てる。
 ただな、と玄十郎は一度手を止め、そして漸く、正面からメイリィの顔を見た。
 
「全部選ぶって事は、全部諦めるって事だ。あいつは何も望んで無い。多分……いや、きっと、お前や一族の連中に石を投げつけられて此処を追われても、あいつは顔色一つ変えないだろうな」

 まるで“外側”の人間だ。何があっても、何に対しても、彼が周囲のモノに取るスタンスは揺らがない。
 望まないから期待しない。
 期待しないから失望しない。
 失望しないから――許容出来る。
 壊れている。どう考えても、まともじゃ無い。
 “まともじゃ無いモノ”の存在に折り合いをつけるには、メイリィ=スクライアは、若すぎた。
 
「もう行け。俺は忙しい」

 そう言って玄十郎は視線を切ると、再び作業に没頭する。話はこれで終わり。そう言わんばかりの態度に、メイリィはそれ以上何も言えなかった。
 黙ってテントを出る。びょう、と強い風が吹きつけてきた。ここ暫くは晴天が続いていたが、明日からはまた砂嵐が吹き荒れるだろう。肌から水分を奪っていく乾いた風に晒されながら、とぼとぼとメイリィは歩き出した。
 何処に向かおうと考えている訳でも無い。目的の場所など無い。
 ただ――立ちっぱなしは厭だった。









 ビラドーラ古代遺跡を見下ろす事の出来る高台へと、メイリィは足を向けた。ふらふらと風に流される様に、自身の身体でありながら、自身の意思では無く。
 高台から見下ろした発掘現場は人気が無く、月光に照らされたそこはまるで墓場の様。
 びょうと強い風が吹き抜けて、メイリィの頬を叩いていった。

「ねえ――アウロラ」
【何でしょう】
「あたし、どうすれば良いのかな」

 主の問いに、従僕はすぐに答えなかった。
 問いが曖昧で、その意図が掴めないから、では無い。曖昧なのは確かにその通り、しかしアウロラならば、メイリィが何を言いたいのか、何を問いたいのかはすぐに解る筈。
 だから、答えない事には、それ相応の理由がある。
 それが解っているから、メイリィはアウロラが口を開くのを、黙って待った。

【……私の意見が参考になるとは、思えませんが】

 そう前置きしてから、アウロラは続けて、言った。

【マスター。貴方は既にそれを知っている筈です。自分の知っている事を・・・・・・・・・・他人に訊くのは不実ですよ・・・・・・・・・・・・――私に言えるのは、それだけです】
「な、」

 何よそれ――と言いそうになったのを、寸前で堪える。
 アウロラの言葉に何かを納得した自分に、メイリィは気付いていたから。

「ぅおーい」

 不意に横合いからかけられた声に、メイリィは振り向いた。
 管理局の制服を着た若い男が、軽く手を振りながら歩み寄ってくる。
 玄十郎の様にこれ見よがしの筋肉質な体格をしている訳では無い。しかし逆にその分実用的とも言えるアスリートの様な身体。短く刈り込まれた髪が余計にそんなイメージを際立たせる。ただそれ以上に、全身から発散する雰囲気が、スポーツ選手というよりは喧嘩っ早いチンピラというイメージを与えていたが。
 ダイゴ=ナカジマが、メイリィへと近づいてきた。

「あれ、ダイさん。どうしたの?」
「あん? いや、どうしたってワケでもねえんだけど……つか、シケた顔してんな。何かあったか?」

 ダイゴの問いに、何でもないよ、とメイリィは首を振った。
 納得していない顔でふうんと唸った後、そう言えばよ、とダイゴが切り出す。これを言いたいが為に近づいてきたのだろう、機を窺っていた様な切り出し方に、メイリィは自然身構える。
 あ、別に小難しい話じゃねえんだ。固くなったメイリィにそう前置きしてから、ダイゴは話し始めた。

「礼を言っておこうと思ってよ。本当なら、昨日のうちに言っとくべきだったんだけどな」
「お礼?」
「ほれ――昨日さ。あの野郎を盛大にどつき倒してくれた事」

 あの野郎、という言葉に思い当たる事が無かったが――いや逆か、思い当たる節が多すぎる――ダイゴと関係する人間というところから絞れば、加えて“昨日”と限定されている事もあり、程なく一人の男が思い当たった。
 昨日、一族の居住地に戻ってきた時の事。メイリィの尻の下に隠れ、べたべたと触りまくった変態痴漢親父。事実誤認もいいところだったが、メイリィは本気でそう思っているし、その誤解を正してくれる親切な人間も居なかった。
 
「あンの野郎、階級を嵩に着てさんざっぱら好き放題やってやがったからな。いつかぶん殴ってやろうと思ったんだよ。ま、管理局辞める時の楽しみにしてたんだがな――アンタのお陰で、予定が狂っちまった」

 ぱしんと掌に拳を打ち付けて、ダイゴは呵々と笑う。言葉とは裏腹に、恨みがましいところは一点も無い。

「ま、その礼が言いたかっただけさ。じゃな」
「あ――ダイさん」

 ふと、メイリィはダイゴを呼び止めていた。
 ん? とダイゴが振り向く。呼び止められるとは思っていなかったのだろう、意外そうな顔をしてメイリィを見ているが、メイリィの方とて何故呼び止めたか分からないのだから、自然、そこには無意味な沈黙だけが横たわる事になる。
 あ、とか、えっと、という単語だけが漏れ出る。無論、それで引きとめられる訳が無い。首を傾げたダイゴは今にも踵を返して去っていきそうだ。焦りが頭を真っ白にし、そして結局メイリィの口から出てきたのは、「管理局、辞めるつもりだったの?」という、先のダイゴの言葉を一部拾った、至極どうでも良い質問だった。

「あー……いや、ま、そういう訳じゃねえんだけどよ。まあ、そういう心構えでって事さ」
「……管理局って、信用出来ない」

 思わず漏れた言葉に、ダイゴの表情が変わった。

「ゲンさんから良く聞かされてるんだけど……管理局って次元世界の治安維持とか言って色々な世界にちょっかい出してるくせに、実際には何の役にも立って無いって」
「……ま、そうだな。そりゃ否定しねえよ」
 
 九十九を救う為に一を切り捨てる――組織には往々にしてある事だ。時空管理局であっても、それは例外では無い。
 だがその実、管理局という枠の中に、その上位にある一ならば、九十九を切り捨ててでも守る。そんな二重基準ダブル・スタンダードが心底気に食わないと、玄十郎は常々言っていた。
 組織そのものを守る為に汲々としており、それが本来の目的、次元世界の治安維持を妨げている。外側からだけでは無く、内側からその体質を見てきた玄十郎の言葉には説得力があり、だがそれは結果として、メイリィに管理局と言う存在を色眼鏡で見させていた。
 直接話した事のある管理局の人間も、ダイゴが初めてなのだ。

「じゃあ、ダイさんは何で――」
「役立たずの組織かもしれねえけどよ。それでも、出来る事はあるからな。上の連中が膿んでようが腐ってようが、そんなもん、どうとでも・・・・・ならあ」
「組織の中から、変えていくって事?」
「何処の名誉ブリタニア人だよ。そんな大それた事、これっぽっちも考えてねえって」 

 ぱたぱたと顔の前で手を振って、ダイゴは続けた。

「管理局には力がある。個人じゃ出来ねえ事が出来る。俺がやりたい事をやるには、この力を利用すんのが一番手っ取り早いんだ」
「やりたい事……?」
「管理局の建前だよ。次元世界の治安維持ってやつ。……ぶっちゃけ、俺は『ヒーローごっこ』がやりたいだけなのさ。群がる悪党の前に踊り出て、『御用だ!』なんてな」
「……勝手だよね。凄く、身勝手」

 エゴを押し通すだけにしか、聞こえない。
 そう――メイリィ=スクライアが、セロニアス=ゲイトマウス=チェズナットに、一方的な同情を向ける様に。
 しかしそれに対し、そうだな、と、驚くほどあっさりとした口調で、ダイゴはメイリィの言葉を肯定した。

「けど構わねえ。蔓延る悪党を片っ端からとっ捕まえる。俺は俺の意思で、そう決めたんだ」

 虎の威を借るなんとやら。ダイゴのそんな皮肉だって他ならぬ自分自身に向けられているのだから、メイリィにそれ以上追求する口は無い。

「使えるもんなら何でも使う。俺が管理局に居るのは、管理局が一番効率良く“使えるもの”を提供してくれるからさ。管理局の為に働いてるワケじゃねえよ、俺は俺の為に働いてるんだ」

 不敵に笑うダイゴの顔に、衒いは微塵も無い。
 何か文句でもあんのか――そう翻訳出来るほどに、彼からは自信と、それを裏付ける覚悟が溢れていた。

「あは――あはは」
「うわ、目一杯キメた後にそのリアクションされると、結構凹むな」
「ううん――違うの。そうじゃなくて……ふふ、うふふ」

 ああ――まったく。
 何をうじうじと、どうでも良い事で悩んでいたのだろう、自分は・・・

「……そうだね。『何か文句でもあるのか』――だよね」
「あん? ……ああ、そういうこった」

 にやりとダイゴが笑い。
 くすりとメイリィが笑う。
 それで、充分だった。

「ん。ありがと、ダイさん」
「あ? 俺は別に――いや、どういたしまして」

 手を振って、ダイゴは離れていく。その背にメイリィも手を振って、彼女は再び歩き出した。
 何処に行くかは、決まっている。
 誰に何を言われても。
 自分自身が、そう決めた。
 問答無用に突っ走れ。所詮自分はそれしか知らぬ、猪突猛進望むところ。
 己の醜面直視して、それでも尚進むのならば、その選択を阻めるものは何も無し。
 メイリィ=スクライア、罷り通る。


 さて――灰髪の少年に、会いに行こう。









「戻ったぜ」
「ああ、御苦労だったな」

 玄十郎のテントに這入り、部屋の主に声をかける。仕事に没頭していると見えた禿頭の老人は、しかし予想に反して返事を返してきた。……余裕が無いとすぐに知れる、素っ気無い言葉ではあったが。

「済まんな。面倒をかけた」
「いや、別に良いけどよ……何て言うか、アンタのイメージじゃねえな。言い過ぎたから様子を見てきてくれなんてよ」

 つい先程、一族の女性(恰幅の良い中年の女性だった)に頼まれ、玄十郎の分の夕食を運んできた時、ダイゴは妙な頼み事をされた。
 メイリィの様子を見てきてほしい。さっき、ちょっと言い過ぎてしまったのだが、自分は手を離せない。だから代わりに頼む。
 傲岸不遜を絵に描いた様な老人に、膨大な仕事を一時中断してまで頭を下げられた。それを断れる程、ダイゴは人情の分からぬ人間でも無い。
 
「まあ、そう言うな。あの年頃の娘は難しいもんだ」
「自分で行きゃ良かったんじゃねえの? 言い過ぎたのはアンタなんだろ。別に急ぐ事でも無いだろうし」
「言い過ぎたかもしれんが、間違った事も言って無いのでな。撤回する気も無いし……それに、あの娘は結局、誰が何を言っても聞きやせん・・・・・

 そう言って困った様に、或いは嬉しそうに、玄十郎は笑った。
 はん、と分かったのか分からないのか曖昧な声を出すダイゴ。実際、分かってはいなかった。
 つい数分前の事を思い出す。頼まれたは良いものの、さてどうやって声をかけたものか。この手のフォローはダイゴの柄では無い(というか、いつもは彼がフォローされる側だ)、悩みながら歩いている内に、ダイゴはあっさりと彼女を見つけてしまった。
 仕方無え、艦長あのヤロウぶん殴ってくれた礼で切り出すか。様子見るだけならそれで充分だろ。徒手空拳の成り行き任せでメイリィに近づいたダイゴは、予想外に“普通”な彼女に、内心驚かされる事になる。
 一日二日の付き合いだが、園崎玄十郎は結構キツい事を面と向かって言う人間だとダイゴは知っている。何を言われたのか知らないけど、十代半ばの小娘じゃ凹むのも無理無いよな。そう思っていたのだが、少女はダイゴの予想を斜め上に裏切っていた。
 何だ、元気じゃん――そう判断し、玄十郎に報告しようと踵を返したところで、ダイゴは呼び止められた。そこで彼は知る。彼女は、凹んでいない訳では無い、と。
 いや、凹んでいるというと少し違う。迷っているのだ。どうすれば良いのか頭で分かっていて、しかし頭の何処かでそれにブレーキがかかっている。アクセルを踏むべきか、ブレーキを踏み続けるべきか。それに迷っている、ダイゴはそう判断した。
 常にアクセルを踏み続けて此処まで来た彼に出来る助言など、言うまでも無い。

「で――何て言ったんだ?」
「黙秘だ。……ちと恥ずかしい事、言っちまったからな」

 ガキじゃあるまいし、覚悟を語ったなんて恥ずかしくて言えるか。それこそ子供っぽい意地であったのだが、ダイゴは気付かない。
 ついでに言えば、『ヒーローごっこ』をやりたいだけなどという事も、口にするには気恥ずかしかった。
 ダイゴ=ナカジマは子供の頃、とある次元犯罪に巻き込まれ、父親を失っている。
 『ヒーローごっこをやりたい』――それは決して正義感から来るものでは無く、べとつく復讐心から生まれているもの。大局的に見れば健全な方向で発露しているとは言え、時空管理局捜査官ダイゴ=ナカジマの起源は決して善性から成るものでは無い。
 魔導師としての資質も無く、余人を凌駕する努力をもって、彼は捜査官という役職に就いている。そうして彼は数多くの次元犯罪者達を逮捕してきた。正義の味方を気取って、正義の味方の様に、悪党を倒してきた。
 自己満足を――叶えてきた。
 多分、これからもそうするだろう。
 ……明日を生き残れたらの、話だが。

「ま、俺に出来る事なんてそう無いしな。こんな雑用で良ければ、幾らでもやってやるよ」
「そうか。じゃあナカジマ、そこの魔導書を開いてくれ。四一一ページだ」
「………………くそ、なんかヤブヘビだった」

 もう遅いぞ。あっさりとそう言われ、ダイゴは苦い顔をしながら玄十郎の指示に従った。









I see the moon,

 歌が、聴こえる。
 決して癒しにも慰めにもならない、鼓膜を斬り付ける様な歌声。
 刃の鋭さを持ったその歌声が、風に乗ってメイリィ=スクライアのところまで届く。

And the moon sees me,

 メイリィは走らない。
 急がず、逸らず、ゆっくりと歌声のする方へと歩いていく。
 地を踏みしめている筈の足はまるで綿雲の上を歩いている様で、まるで頼りない。
 
God bless the moon,

 風が雲を吹き散らし、夜空には煌々と円い月。
 蒼色の月光に塗れながら、一人の少年が、天を仰いで歌っている。
 その眼に映るは、届かぬ彼方の光景か。
 さくさくと砂を踏む音に気付かず、近づく少女の存在に気付かず、少年は歌い続ける。

And God bless me.

 最後のフレーズを歌い終え、ふう、と少年は大きく息を吐いた。
 ぱちぱち。メイリィの拍手に、びくりと大きなリアクションで、セロニアス=ゲイトマウス=チェズナットが振り向いた。

「メイ……さん」
「上手だね、セロ」

 どっこいしょ、と親父臭い声と共に、メイリィはセロの隣に腰を降ろす。
 セロは何も言わなかった。ただ、いつもの様に浮かべた微笑――ほんの少しだけ、困った様に眉を寄せていたが――を、メイリィへと向ける。
 それだけだった。
 まるで、いつも通り。
 少女はさも当然の様に少年の横に、少年はそれが自然の様に少女を隣に。
 何日か前にもこんな事があったが、あの時はセロがその場から逃げ出してしまった。聴かれたくなかったのだろう。夜更けに一人で歌っていた事からも、それは知れた。
 けれど、今は。
 少なくとも、メイリィが隣に居る事を、セロは拒んでいない。
 充分だ。

「セロ、もっと聴かせてよ」
「………………ハイ」

 返事の前に、沈黙が横たわる。
 彼にしては本当に珍しい事に、暫しの間逡巡した後、セロは再び歌い出した。

Old King Cole
Was a merry old soul,
And a merry old soul was he;
He called for his pipe,
And he called for his bowl,
And he called for his fiddlers three.

 眼を閉じ、メイリィは静かに歌声に聞き入る。
 歌声は決して甘くは無い。安らぎはそこに無い。もし、彼女の心がささくれ立っていたのなら、それは耐え難い雑音にしかならなかっただろう。
 けれど、今は。
 少なくとも――今は。
 玲瓏な鋼の光沢に魅入られる様に、彼女はこの歌声に心地良さを感じていた。

Every fiddler, he had a fiddle,
And a very fine fiddle had he;
Twee tweedle dee, tweedle dee, went the fiddlers.
Oh, there's none so rare
As can compare
With King Cole and his fiddlers three.

「……お粗末、デス」
「ううん。すっごく良かった」

 はにかんだ様に、セロは笑う。
 歌声を乗せて吹いていく風はメイリィの拍手を運んではくれなかったが、届けたい相手の耳にだけは、充分届いただろう。
 ふ、とセロの顔から笑みが消えた。
 一切の感情が消え落ちた無貌が天を仰ぎ、硝子球の様に虚ろな瞳が月を映している。
 月明りに照らされた白磁の肌が、蒼く濡れていて。
 まるで。
 泣いている様に――見えた。

「綺麗な歌だよね。……古い曲なの?」
「そうだト……思いマス。姉様に、教えテ貰いまシタ」
「姉様って……え? セロ、お姉さんいるの?」

 初めて聞いた。
 いや、それ以前に……セロが自分の事を語るのは、これが初めてではないだろうか。

「はイ。姉が一人いマス。あ、えっト……いまシタ。もウ、死んでマス」

 それは確かにそうだろう。セロの故郷――つまりは、此処の事だが――はとうの昔に滅びている。いや、例えそうでなかったとしても、数百年から昔の事だ、生きている訳が無い。
 淡々と、セロはただ事実のみを語る。それが肉親の死であっても、彼の口調は平然としている。何も否定せず、何も拒絶しないというのは、つまりはそういう事。

「そっか……ねえ、どんな人?」
「変わった人でシタ。優しくテ、厳しくテ、とにかク変わってテ。沢山、色んナ事を教えテくれまシタ。歌を教えテくれまシタ。あの頃ハ緑が豊かデ、草原がずっトずっト遠くまで広がっテ――」

 不意に、セロが言葉を切った。
 思い出しているのだろう。
 メイリィは口を挟まず、続きを待つ。

「……戻りタイ」

 やがてぽつりと漏れ出た言葉は酷く小さく、風に紛れる様に消え去った。
 ――あいつは何も望んで無い。
 ――何もかも諦めて、何もかも受け入れている。
 玄十郎の言葉が、メイリィの脳裏を過ぎる。ゲンさんの馬鹿、と口の中だけで、少女は老人を罵倒した。
 何も望んでいない訳じゃない。ただ一つ、たった一つだけ、彼の望みは残されている。
 酷くちっぽけで、瑣末で、どうでも良い――けれどそれ故に、どうしようも無く大それた高望み。
 それが叶う日は来ない。永遠に来ない。誰もそれを叶える事は出来ない。彼が欲しているのは失われた過去だ。過ぎ去り、二度と戻らない時間を、彼は求めている。
   
「よっし、わかった」

 きょとんと怪訝そうな顔を向けるセロに、メイリィはどんと胸を叩いてみせる。

「あたしが、セロのお姉さんになってあげる」
「……はイ?」

 何をどう間違えたらそんな結論が出るのか、心底理解出来ない――そんな表情が、少年の顔を彩った。
 セロニアス=ゲイトマウス=チェズナットが、初めて見せる顔だった。








 彼女は、勘違いしている。
 勘違いしている自分に、気付かない。
 彼が戻りたいと願うのはかつて有った時間にでは無く、本来在るべき立ち位置である事に。
 少女と少年の、致命的な齟齬。
 誰一人それに気付く事は無く、誰一人それを正す者は無く。
 間近に迫った終焉を通り過ぎて尚、擦れ違った認識は擦り合わされる事は無く――
 





Turn to the Next.






後書き:

 という訳で、第五話でした。お付き合いありがとうございました。
 今回でセロの設定は概ね出揃いました。『戦闘員』『怪獣』『変身ヒロイン』ときたら、あとは『改造人間』だろうと。まあ戦闘機人と違い、機械無しの100%ナマモノですが。生体改造人間という事で仮面ライダーアマゾンがイメージの元になっています。
 セアト文明が滅びるまでのプロセス、何か分かり辛いですね。一人称で語ってるので、仕方ないかなとも思ったのですが。
 五百年前、アジャンタへと侵略者が襲来→侵略者に対抗する為セロ達が改造され、ギャラガが造り出される→セロ、ギャラガと共に戦線に投入される→侵略者を撃退→直後、ギャラガの一体が暴走、ヒドゥン化→ヒドゥンの生み出した次元嵐により、セアト文明滅亡→セロ達はヒドゥンを封印した上で次元空間に追放→セロ、ヒドゥンへの備えとして眠りに着く→五百年後、本編開始。うわ、より分かり辛くなった(笑)。
 ちなみに、侵略者云々に関しては本作では触れません。本筋に関係ありませんので。マクガフィンというほどのものでも無いですが、それっぽい扱いという事で一つ。

 今回は決戦直前ということで、やや派手さの無い話になってます。と言うかヒロインが最後に妙な事を言い出すまでのお話です。
 次回はちゃんとあの娘とあの少年とあの男が大暴れしますので(多分)、ご容赦ください。
 といったところで、今回はこの辺で。また次回もお付き合いください。


おまけ:元ネタ暴露コーナー
 多分、このコーナーは今回で最後です。

・ヒドゥン……これなのですが、元は原作の原作、とらいあんぐるハート3ファンディスク『リリカルおもちゃ箱』に収録されている方の『リリカルなのは』からです。本作にもある様に『時を壊す災害』とあり(これを防ぐ為にやってきたのがクロノという話です)、これが生まれる“原因”として出したのが、本作の災害獣ヒドゥンです。まあ、こっちのなのはは見た事もプレイした事も無いのですが(爆

・セアト文明……スペインの自動車メーカー『セアト』から。ククルカンの言語がスペイン語ベースなので、その繋がりです。

・ギャラガ……1987年の映画『ヒドゥン』の登場人物の名、『ロイド・ギャラガー』から。まあヒドゥン繋がりって事で。

・アブギダ・シリアル……文字体系の分類の一つ『アブギダ』から。アブギダという用語はギリシア文字の最初の四字をラテンアルファベットに直したA、B、G、Dが元であり、セロを含む四人にはこれを元にしたシリアルナンバーがミドルネームとして付けられています。つまりセロのシリアルG“ゲイトマウス”以外に、A、B、Dのシリアル持ちが居るのですが……本作には出てきません。

 概ね、こんな感じで。それでは。









感想代理人プロフィール

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代理人の感想
シリアルナンバーG・・・・黒髪のキャプチュード?(絶対違う)
まあ奴はかなり性格歪んでましたけど。

しかしなんか上手い具合に落ちるかと思えば妙な擦れ違いがある模様。
不安だなぁ。

ちなみにセロの歌っていたのはマザーグースの一つで「陽気な王様コール」という歌です。
何でスペイン語圏の人間が英語の歌を歌っているのかは突っ込まない方向で。w


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