時が、流れた。






魔法少女リリカルなのは偽典/Beginning heart
Last Episode【開始】






「よし、っと……こんなもんかな」

 荷物を鞄の中に詰め込んで、ユーノ=スクライアは一つ息をついた。
 元より、持っていく荷物はそう多くない。今度彼が赴く発掘現場には既に一族の人間が集結していて、必要な機材の搬入や、居住区域の設置もほぼ済んでいる。
 だから彼の持っていく物と言えば替えの衣服くらいだが、それとて大した量では無い。身なりに無頓着という訳では無かったが、この年頃の少年にとってはそう重要な問題でも無いのだ。
 後は明日にでも彼が現地に到着すれば、早速発掘作業が始まるのである。

「明日、かあ……」

 ごろりと寝転がり、テントの天幕を見上げながら、ぽつりとユーノは呟いた。
 スクライア一族は一固まりの集団では無い。遊牧民族の様に幾つかの集団に分かれ、それぞれが連絡を取り合いながらロストロギアの発掘作業を各個に行なっている。新しい遺跡が見つかれば、それらの集団から何人か派遣されて一つのチームを作り、発掘を行なう事も珍しく無い。
 ただ――若干九歳の少年をそのリーダーとするというのは、さすがに一族でも初めての試みだった。
 ユーノ=スクライア。
 遺跡発掘を至上の命題とするスクライア一族の中でも、突き抜けた素質・・を持つ少年。
 彼が発見したロストロギアは数知れない。優秀、有能、そんな言葉では追いつかない程の実績を、彼は僅か九年の人生の中で積み上げている。
 故に、今回のロストロギア発掘において、彼は一族の幹部――というと何やら物々しい感じだが、要は発言権の大きい年寄り連中というだけだ――の満場一致で、その発掘責任者に任命された。
 ただ、とは言え。
 如何に能力があったとしても、彼はまだ、九歳の子供なのである。
 一般のそれとはやや方向性が異なるものの、実力主義が罷り通るスクライア一族の人間は、そんな単純な事を見落としていた。
 まあ――ユーノ自身が九歳の子供とは思えぬ程に大人びていたという事も、原因の一つとして挙げられるだろうが。
 ともあれ。
 未だ経験した事の無い『現場責任者』なる肩書きに不安を覚える程度には、ユーノは子供であった。

「…………うーん」

 唸ってみる。あまり意味は無かった。
 不安はある。ただそれと同じだけ、興奮もあるのだ。その二つが綯い交ぜになった感情を、彼は持て余している。
 
「おやおや。難しい顔をしてますねえ、ユーノ」

 不意に、頭上からそんな声がかけられた。
 びくりと身体を起こし、声のした方に振り向けば、そこには一人の老女の姿。ユーノより頭一つ大きい程度の、小柄な女性だった。
 ユーノのいるこの集落では最古参。昔は凄腕の、かつ凶暴な(前者はともかく、後者は当時の彼女を知る人間の共通認識である)魔導師だったらしいが、今ではすっかり丸くなったと専らの噂。ただ当然ながら、ユーノは全盛期の彼女を見ている訳では無いので、今の温厚な性格である彼女しか知らないのだが。

「あ……メイお婆様」

 メイリィ=スクライア。
 幼少の頃から何かとユーノの世話を焼いてくれた女性であり、早くに両親を失い、一族の人間によって育てられた彼にしてみれば、本当の親より長い時間一緒に居る人間でもある。
 ついでに言えば、ユーノの魔法の師匠にも当たる女性だった。魔法行使の基礎や基本、幾つかの結界魔法。技術として教えてくれたのはその程度だが、それを伸ばす為に必要なアドバイス、魔法を使う事の危険性など、彼女が教えたのはどちらかと言えばそういった、心構えという面の方が大きい。
 よいしょ、と年寄り臭い(事実、年寄りなのだが)声を上げて、メイリィはユーノの横に腰を降ろす。何となくユーノは居住まいを正した。普段はどうでも良い様な世間話しかしない老女だが、それ故に、何か真面目な話をする時にはすぐにそれと知れる。
 果たして老女はにこりと笑うと、「明日、出発ですねえ」と切り出した。

「はい。第46観測指定世界で、発掘作業を行なう予定です」
「そうですか……大変でしょうけど、頑張りなさいね」

 あら、これじゃプレッシャーをかけるだけかしら――そう言って、老女はころころと笑った。
 実際プレッシャーをかける言葉であったのは確かだが、そんなものは目の前の老婆にかけられるまでも無く一族の長老連によって散々かけられていたものであるし、同年代の友人達からも(本人達にはそのつもりは無かっただろうが)同様。今更気にする程の事では無かったし、メイリィの言葉には単なる前置き以上の意味は篭もっていなかった。
 
「ロストロギアの名前は……何だったかしら?」
「<ジュエルシード>です。願いを叶える宝石と言われてて……つい最近見つかった文献で、その在処が分かったんです」

 多分これも、彼女にとっての本題では無かったのだろう。だがユーノが口にした言葉に何か思うところがあったのか、少しだけ老女の顔を憂いに似た感情が彩り、柔らかく、儚げな微笑を浮かべる。
 なんだかんだで剛胆なところのあるこの女性には、あまり似合うとは言えない表情。何か変な事言っただろうかとユーノは内心で首を傾げる。その表情がすぐに霧散してしまった事で、結局曖昧となった。

「あの……お婆様?」
「ああ、ごめんなさいね。ちょっと懐かしい名前を聞いたものだから……そう、ジュエルシード……“花”じゃなくて“種”か。ふふ、何だか運命っぽいものを感じるわねえ……」

 そう言えば、と、ユーノは前から気になっていた事を口にした。

「メイお婆様、近い内に一族から離れると聞きましたけれど――」
「うん? ええ、<スプールス>にお家を買ったの。とても良いところでねえ……そこでのんびり暮らすつもり」

 そう数の多い事では無いが、一族から離れ、別の世界で普通に暮らす人間もいる。去る者負わず来る者拒まずが一族の原則だ。余程有能な人間でも無い限り引き止められる事は無いし、出て行く際には多少ではあるが一族からの援助もある。
 ただしメイリィともなれば(多分、ユーノもそうだろう)、引きとめられるであろう『余程有能な人間』に該当する。そう簡単には出て行けないと思うのだが。一族にとって大きな損失である事くらいは分かる。ただ彼女が一度決めた事をそうそう覆す様な人間では無いとも知っているから、既に決定事項である事は察しがついた。
 ただ――彼女が移住すると決めた世界が、少し、気になった。
 第61管理世界、<スプールス>。ほぼ全域が森林に覆われた世界で、数年前から自然保護隊が置かれ、鳥獣調査が行なわれているというくらいしか、ユーノはその世界に対する知識は無い。ただ文明レベルはほぼ無いに等しいという事は知っている、あまり過ごし易い世界とも思えない。
 もっと暮らし易い世界は幾らでもあるだろう。ユーノのそんな疑問に気付いたか、メイリィはくすりと笑って言った。

「緑の多いところが良かったのよ。あの子・・・の故郷みたいに、緑いっぱいのところが」

 以前、一族の人間に聞かされた事がある。彼女はずっと待っていると。五十年前に交わしたという約束、それがが果たされる時を、ずっと待っている。諦めろという声に一切耳を貸さず、彼女は今も待ち続けている。そう聞かされた。
 何を待っているのか、ユーノは知らない。どんな約束なのかも、誰と約束したのかも。彼女が一体どんな思いで待ち続けているのか、彼女ならぬユーノには、知る術は無い。ただそれでも、あの子、と口にした時の彼女の顔を見れば、それが大切な人である事は想像がついた。
 
「お婆様。えっと……『あの子』ってのは、その、恋人……ですか?」

 確か、メイリィはずっと独身だった筈。その性格とかもしくは性格とか或いは性格とかが災いして婚期を逃した、などと噂される事もあったが、もし、居なくなってしまった恋人をずっと待ち続けていたのだとしたら、それはそれで辻褄が合う気がする。
 しかしメイリィはユーノの言葉に苦笑して、「違いますよう」とあっさり否定した。さすがに年の功か、顔を赤らめる様な事も無い。

「弟ですよ、弟。ええ……姉弟になった途端に、離れ離れになってしまったけれど」

 そう言って、彼女は笑う。
 やがて老女は懐に手を入れると、そこから小さな、赤い宝玉を取り出した。首からかけられる様に紐がついたアクセサリー。
 メイリィ=スクライアは一般の魔導師と異なり、一人で二つのデバイスを使っている。『双杖の魔導師』と言えばそれがメイリィ=スクライアを指す程に知れ渡っており、その片方が彼女の掌に乗せられて、ユーノに差し出された。
 多分、これが彼女の“本題”なのだろう。

「お婆様、これは――」
「お守りよ。きっと、ユーノの役に立つ時が来るだろうから、渡しておきますね」

 掌に硬質な感触を覚えながら、ユーノはそれを眺める。メイリィ=スクライアの持つ切り札が一枚。それを託された事には、デバイスを譲ってもらったという以上の意味が込められている。

「確か……<レイジングハート>、でしたっけ」
「ええ。憶えておきなさい、ユーノ……最後の最後、土壇場で役に立つのは、意地と根性、不屈の心。それさえ忘れなければ、きっと、何かがどうにかなるものよ」
 
 彼女のその言葉は、ユーノ=スクライアの師匠としてのものであると同時に、どこか母の様な、祖母の様な響きがあった。
 こくりと、それでいてしっかりと、ユーノは頷く。その反応に、老女は満足そうに微笑んだ。
 
「さて。わたしはこれで失礼しようかねえ。あまりお邪魔しちゃいけないし。明日は早いのでしょう?」
「あ――メイお婆様」

 はい? と、メイリィが振り向く。
 ユーノはぺこりと頭を下げる。それだけで伝わったか、老女もまたこくりと頷くと優しく微笑んで、彼の居るテントを後にした。
 掌に残された、赤い宝玉。何とは無しにユーノはそれを見詰め、照れた様に一度、宝玉が明滅した。

「……宜しく頼むね、レイジングハート」
【Please take care of me, too.】

 呼びかけに宝玉が応え、満足気に、ユーノは笑んだ。
 さあ、そろそろ寝るとしよう。明日からはきっと忙しい。忙しいのは嫌いでは無い、自分が働いていると、此処に居ると実感出来るから。勤勉の美徳において、ユーノ=スクライアは誰であっても後ろ指をさせない人間だった。
 ぐっと大きく伸びをして、意識を切り替える。不安は霧が晴れる様に消え去っていた。









 表で車の停まる音。ドアが開く音が続いて、ぱたぱたと可愛らしい足音が二つ、落ち着いた足音が一つ、どこか乱暴な足音が一つ、降りてくる。
 ああ、もうそんな時間か。手にした湯呑みを置くと同時に、がらがらと玄関の戸が開く音がする。おじゃまします、と元気な挨拶が聞こえてきた。
 あの男の影響か、全体的に和風の建築様式。ミッドチルダでは珍しい(というか此処以外にはほぼ皆無だ)、『武家屋敷』と呼ばれる様な邸宅が彼の住まい。三方を竹林に囲まれているせいか、周囲に民家が少ないこの家では、少しの音もやたらと大きく聞こえる。
 ぱたぱたという可愛らしい足音が、板張りの廊下が軋む音に被さる。からりからりと襖を開け放つ音も、それに含まれた。

「あれ、おじいちゃんがいないー!」
「おねえちゃん、あっちいってみよう!」

 一人で暮らすにはやや広々としすぎているこの家も、孫娘達には格好の遊び場の様だ。彼の方も毎度毎度、息子一家が来る度に出迎える部屋を変えるので、この家に来た時はまず祖父ちゃんを探さなければならないというルールが出来上がってしまっている。
 今、彼は書斎に居る。書斎と言っても蔵書がそうある訳では無い、半ば物置として使われている様な部屋だ。玄関からはやや遠いこの部屋に辿り着くには少し時間がかかるだろう。そう思った瞬間、彼の背後で障子が勢い良く開いた。

「あ、おじいちゃん、みつけた!」
「おお、見つかってしまったか」

 満面の笑みを浮かべて駆け寄ってくる孫娘の頭を撫でて、彼は立ち上がる。孫娘は廊下の向こうへと向けて「お祖父ちゃん、みつけたよー!」と声を張り上げた。程なく廊下の端からもう一人の孫娘――彼を見つけた孫娘が長髪なのに対し、こちらは短髪だ――が顔を出し、嬉しそうに駆けて来る。

「ギンガ、スバル。元気しとったか?」

 うん! と少女達が元気良く、声を揃えて返事を返す。呵々と笑って、彼は孫娘達の手を引き、居間へと歩いていく。

「よう、親父。邪魔してるぜ」
「ご無沙汰してます、お義父さん」
「ああ。ゲンヤ、クイントさん、よう来た。元気そうで何よりだ」

 そう言って、ダイゴ=ナカジマは息子とその嫁の前に腰を降ろした。
 膝の上に孫娘、ギンガとスバルが乗ってくる。おねえちゃんもっとつめてよ、スバルこそ、とじゃれ合いながら騒いでいる。微笑ましく、そして何処か懐かしい。
 ああ、そういやゲンヤにもこんな頃があったなと、わざとらしく口にする。あら、とクイントが食いつき、ゲンヤは露骨に顔を顰めた。

「おとーさんおとーさんと寄ってきてよ、そりゃもう四六時中離れなかったもんだ」
「あらあら、それはそれは」
「いらん事言ってんじゃねえよ……」

 完全にぶすくれたゲンヤを見て、ダイゴとクイントが笑った。
 そこからは本当に、他愛無い話。
 最近仕事はどうだ、危ない事はしていないか、ちゃんと休みは取れているんだろうな――そんな、普通の親と息子夫婦の会話。
 ただその中で最も多かったのは、やはり孫娘に関する話だった。二人して悪戯ばかりとか、やたらと良く食べるので食費が大変とか、そろそろギンガは学校に通い始める齢だよなとか、そうなったらスバルが寂しがるかなあとか。望外に手に入った団欒を、彼等は楽しんでいる。
 ――ダイゴに孫が出来たのは、つい半年ほど前の話だ。子供の出来なかった息子夫婦が、ある日いきなり『孫娘』を連れてやってきたのだ。それも二人。しかも赤ん坊では無い、ある程度育った、幼稚園児くらいの子供である。何でもとある事件においてクイントが保護したらしいのだが、それを正式に養子として引き取る事にしたらしい。
 ただ、そう簡単にいく話でも無い。彼女達が違法な実験において作り出された存在である事は、クイントから聞かされた。どうやら、彼女達を保護した“被害者”とするか、単なる“証拠物件”とするかで揉めているらしい。まあいつもの事だ。ただそれ故に、彼女達を養子として引き取るのは難しかった。
 で。
 ゲンヤが、ダイゴに頭を下げたのだ。
 引退したとは言え、ダイゴは管理局地上部隊の中でもまだそれなりに顔が効く。出世こそ出来なかったが、人望という意味ではそれこそ『陸』だけでなく『海』にまで、ダイゴ=ナカジマの名前は響いている。それを使って、何とかして貰えないかと。
 息子が頭を下げた事など、頼み事など、後にも先にもそれっきり。少なくとも今現在まで。
 ダイゴは二つの条件を出して、それを了承した。地上部隊で順調に出世していた元部下に連絡を取り、またかつての上官の息子に彼の父親がやっていた汚職を暴露するとちらつかせ、五十年近い管理局勤めで培った裏技を大放出した結果、見事少女達は息子夫婦に引き取られる事となった。
 彼がゲンヤに出した条件。その一つが、こうして二ヶ月に一回は遊びに来る事。孫娘達の顔を見せる事。
 そして、もう一つが――

「これ、約束のブツだ。……途中経過だけどよ、『陸』に残ってる資料総浚いしてきた」

 ゲンヤは鞄から一通の封筒を取り出し、テーブルの上を滑らせる様にダイゴへと渡す。A4サイズの大きめな封筒。『極秘』とか『持出厳禁』とあるが、これは多分ゲンヤが冗談で押した判だろう。ダイゴも現役の頃はこの手の悪戯を良くしていた。
 孫娘達を膝の上に乗せたまま、ダイゴは封筒の中身を取り出した。今時珍しい、紙の資料。持ち出すのには不便だろうが、いざという時には燃やしてしまえるので、足が付き難いという利点もある。ぱらぱらとそれを捲り、内容に目を通した。

「そうか……やはり、未解決のままか」
「ああ。つーか、あまり大きな事件じゃ無いしな……っと、悪い。人一人死んでるのに」

 構わんさ。そう言って、ダイゴは資料を机の上に戻す。
 今から四十五年ほど前――ビラドーラ古代遺跡での事件から、五年ほど後の話だ――、一人の男が殺された。
 死因は不明。何らかの魔法によって殺されたという以外、何一つ分かっている事は無い。身体の内側から爆裂するという異常な死に方から自殺とは考えられず、また彼が丁度その時知人と一緒に食事中だったという事も、自殺という見方を否定した。
 ただ、それだけだ。犯人も、殺害方法もまるで分かっていない。ゲンヤが渡した資料にも、事件発生時の細かい状況が書かれているくらいで、取り立てて新発見と言えるものは無かった。ダイゴが事件当時、捜査に加わっていればまた違ったかもしれないが、生憎とその時は別の事件にかかりきりで、被害者の死を知ったのも、事件発生から一年近くが経ってからだった。
 酷くあっさりと、“彼”の死は莫大な事件の中の一つとして埋もれてしまったのだ。
 被害者の名は――園崎玄十郎。
 次元世界を渡り歩く、流れのデバイス・マイスターだった。

「懐かしいな。俺のお師匠みたいな人間さ。ま、デバイス整備なんてこれっぽっちも教えちゃくれんかったがなあ」

 元より、ダイゴも望まない。彼は捜査官で、それに誇りを持っていたから。
 デバイス・マイスターってのは才能の世界だ、向かない人間がどれだけ努力しても出来やせんよ――いつだったか、園崎玄十郎は笑いながらそう言った。自分の仕事に対する矜持にしては、やたらと傲慢に聞こえたけれど。
 だからダイゴ=ナカジマと園崎玄十郎の関係は、師と弟子のそれでは無い。寧ろ父親と息子のそれに近いだろう。けれどやっぱりそれもそぐわなくて、仕方なしに、ダイゴは玄十郎を“師”と呼んでいる。
 彼が殺されて半世紀近くが経つ、今でも。
 
「まあ、いい。あの事件がどうなったか、気になっただけだ。今更未解決事件をほじくりかえしてどうしようって訳でも無い」

 嘘だ。
 自分の裡から聞こえる声に、ダイゴは耳を塞ぐ。
 もし、犯人が見つかったのなら。まだ逮捕されていないのなら。その時自分がどんな行動に出るか、充分に予想がつく。
 案外、ゲンヤが持って来たこの資料を見て、自分は安心したのかもしれない。濃霧の様に形を持たず、ただ蟠るだけの感情が方向性を持ってしまう――それが避けられた事に。

「園崎玄十郎、か……話は良く聞いてるけどよ。俺ァ会った事無かったよな?」
「いや。お前が赤ん坊の頃、一度だけな」

 ビラドーラ遺跡での事件から二年ほど後、ダイゴは結婚し(相手は同じ管理局の事務官だった)、一人息子のゲンヤを授かっている。その当時はまだスクライア一族と一緒に行動していた玄十郎のところへ、嫁と息子の顔を見せに行ったのだ。
 あの滅茶苦茶目付きの悪い老人を見て、泣き出さなかった赤ん坊は後にも先にもゲンヤだけだったらしい。これには寧ろ玄十郎の方が驚いていたくらいだ。
 そんな事もあり、ゲンヤの名前は玄十郎から一字貰っている。ミッドチルダでは名前を漢字で表記する習慣が無い為、読みに残っているだけだが。
 
「さて、と。おいゲンヤ、井戸にスイカ冷やしてある。持って来い」
「久しぶりに顔出した息子を、パシリに使うかよ」
「この程度で何ぬかす。俺の知り合いなんか二十四時間態勢でパシられていたぞ。ほれ、言って来い」

 ぶつぶつと文句を言いながら、ゲンヤが庭へ降りる。ああ、じゃあ私が切りますね――そう言ってクイントも立ち上がり、台所へと歩いていった。
 ふと、ダイゴは一人の少年を思い出した。五十年前のあの時、パシリとして扱き使われていた一人の少年。にこにこと感情の読み難い微笑を浮かべた灰髪の少年が、ダイゴの脳裏を過ぎった。

「持ってきたぜ、親父」
「ああ、台所に持っていけ……と、そうだ。おいゲンヤ」

 あん? と、ゲンヤが振り返る。

「最近、局で次元漂流者を拾ったりしとらんか?」
「はあ? いや。ここ何年かは次元漂流者は出てねえな」

 元々、滅多に出るものでも無いのだ。他の次元世界へと繋がる空間の歪み、それも人間を飲み込む程のサイズとなると、発生は天文学的な確率になる。加えて、放り出された先の世界も安全とは限らない。原生生物の餌となったり、空気や気候などの諸々に適応出来ない事もある。管理局に保護されるのは、全次元漂流者のおよそ半分というところだ。十数年に一人の割合である。
 何の話だ、と怪訝そうな顔をするゲンヤに、何でも無いと言ってダイゴは手を振った。釈然としない顔のまま台所へと向かう彼に、孫娘達もついていく。
 
「……あいつはまだ、戻ってないのかね……」

 ため息混じりに、ダイゴは呟く。
 一人の女性を思い出す。一人の癖に姦しい、歩く台風みたいな女。もう三十年近く顔を合わせていないが、彼女はまだ、あの灰髪の少年を待っているのだろうか。
 待っているのだろう。そして待ち続けるのだろう。ただ愚直に、無限にも等しい日々を。
 諦めの悪さは美徳である。ただそれは裏返せば、単なる悲劇にしかならない。
 信じて待つよ。物語の最後は、ハッピーエンドで終わるんだから――最後に会った時、ダイゴに向けてそう言った少女・・の顔を、彼は忘れていなかった。

「何やってんだ、セロ」

 幾度と無く覚えた、そしてもう磨耗し尽くした筈の苛立ちを、彼は少年の名と共に吐き出した。









 一人の女は待ち続ける。
 一人の男が過去を見る。
 それらが報われる事は無い。彼女と彼が望む結果は得られない、彼と彼女の待つ結末はきっと来ない。
 それは既に終わっている事。エンドマークの向こう側にあるものを、彼等は決して手にする事は出来ない。
 
 『始まりの物語』において語るべきは、最早無く。
 ただ、一つだけ。
 『本来あるべき物語』の始まりを以って、この物語の締め括りとしよう。












「我、使命を受けし者なり。契約の下、その力を解き放て――」

 眼前に蠢く不定形の黒禍。
 少女は手を組み、眼を閉じながら、一人―― 一匹、と言うべきか――の異邦者が促すままに、言葉を連ねる。
 組んだ指の間から漏れだす、桜色の光。
 どくん、と掌の中で、何かが鳴動する。

「風は空に、星は天に。そして、不屈の心はこの胸に……!」

 握り締められた拳が解かれ、掌に包まれていたものが姿を現す。
 淡い桜色の光を放つ、紅色の宝玉。
 少女の細い指が宝玉を支え、高々と掲げられた宝玉から、光が一気に溢れだす。

「この手に、魔法を――レイジングハート、セットアップ!」
【stand by ready. set up.】
 
 天へと向けて噴き上がる、桜色の光柱。
 万物を包む柔らかい桜色は、夜空を覆う雲を吹き散らし、黒禍を慄かせる。

「……何て魔力だ……」

 呆然と、異邦者が呟いた。
 慌てて彼は少女に駆け寄る。己から湧き出る力に彼女が潰される前に、その“使い方”を伝えなければ。
 必要なのはイメージ。魔法を制御する為の杖と、身を護る為の剛い衣服の姿。
 矢継ぎ早に告げられる指示に、少女はうろたえながらもそれに従った。眼を閉じ、イメージを練り上げていく。
 ―― 一振りの杖、その姿がぼんやりとした脳内のイメージに被さって、固着する。外側から無理矢理に割り込んできた・・・・・・・杖のイメージは、しかし介入の乱暴さに反して、少女に不快感を抱かせない。そうある様に・・・・・・定められている、そんな自然さを持っていたから。
 ――衣服に関しては、介入してくるイメージは無かった。指針となるものが存在しない、故に自然、少女のイメージは慣れ親しんだ一着の服へと流れていく。
 とても柔らかくて暖かい、けれども剛く熱い“何か”が、胸の中に流れ込んでくる。それは少女自身の胸の中にある同質の“何か”と反応して、彼女の身体隅々まで行き渡った。
 
「と、とりあえず、これで――!」

 少女が目を見開いた瞬間、“変身”は始まった。
 柱となって噴き上がる桜色の光が少女を包み、衣服を光の中へ取り込んで、新たに組み替えていく。
 少女の手から宝玉が離れ、光の中から現れたパーツと組み合って、一振りの杖へと姿を変える。
 脳内で編み上げたイメージと、少女の姿は寸分違わず。
 残された光が羽となって舞い散る幻想的な光景の中、白い衣服に身を包んだ一人の少女が、杖を携え、ふわりと地へと降り立った。

「え、え、えええ? な、なんなのこれー!?」

 ――ただ、脳内のイメージが現出した不可思議と、瞬時に変化した己の姿に、これ以上なく混乱してもいたのだが。
 ごう、と獣の如き吐息が耳をくすぐった。混乱に頭の中をぐちゃぐちゃにしたまま、少女は振り向く。
 眼前の存在を敵性体と判断したか、猛る黒禍が少女の前でその巨躯を拡げていた。

「ええぇええええ――!?」
 
 脳髄の処理能力を超えた現実に、少女が声を上げる。
 今まで己が依っていた常識条理の外側に位置するモノ――その存在を、この日、少女は知った。
 


 心は、継がれる。
 物語が、始まる。












 不屈の心と共に大空を翔ける少女の、これが、始まり。
 そして少女は戦いの日々にその身を投げ込む。賽を放る様に、己の選択で。
 新たな出会い。
 新たな戦い。
 理不尽に怒り不条理に憤り、それでも少女は前へと進む。
 その胸に不屈の心が輝く限り、立ち止まる事無く。
 
 語るべき事は此処で終わり。
 埋められぬ空白を置き去りに、始まりの物語に幕は降りる。
 ここから先に語る事は無い。語るべき者は居らず、語るべき時はきっと来ない。

 新たに始まる物語。
 本来あるべきそれを語るのも、この場では無い。そして語る必要も無く、貴方はそれを知っている。

 だから此処で残るは、ただ一つ。
 昔語りに付き合ってくれた貴方に、感謝の言葉を。






<The Beginning>is the END.
To be continued“Lyrical nanoha”EpisodeⅠ.



























 ここから先は全くの余談。
 埋められぬ空白のその向こう、終わりの果てに誰かが見たもの。

「……………………ああ」

 どうやら、眠ってしまっていたらしい。
 湿気を含まない気持ちの良い風に頬を撫でられ、彼女はふと、夢から戻ってきた。
 最近、どうにも眠っている時間が多くなった。夢を見る時間が多くなった、と言い換えても良い。
 今は遠き、あの日の記憶。仲間達が居て、ちょっと怖いけど優しい老人が居て、ガラは悪いが義に厚い男が居て、いつもにこにこと笑っている、弟の様な少年が居て。
 時の流れの中で失ったものは多く、けれど得たものは更に多く。失ったものの“続き”を夢に見る事もあったし、得たものの“昔”を夢に見る事もあった。
 全てが全て、素敵な夢。
 
【おはようございます、マスター】
「ああ、アウロラ……わたし、寝ちゃってた?」
【はい】
「いけないわねえ……こんなところで寝ていたら、風邪をひいちゃう」

 とは言うものの、柔らかな日差しの下での日向ぼっこは抗い難い誘惑。
 窓際に置かれたデッキチェアに腰かけ、一日をそこでまどろみながら過ごす。気付いたら夜になっていたなんて事も珍しくない。
 この世界――第61管理世界<スプールス>に移り住んで、もう何年になるだろうか。最初の頃こそ暮らしていくのに苦労したが、今ではそれにも慣れてしまった。近くにある管理局鳥獣保護隊の人間も良くしてくれる、不便を感じない程度には快適な生活だ。
 ただ、最近はやはり齢のせいか、身体が思う様に動かなくなってきた。眠っている時間も少しずつ長くなっている。
 彼女は知っている。
 自身に与えられた時間は――寿命として人が持ち得る時間は――既に使いきっているのだと。

「ねえ――アウロラ」
【何でしょう】
「帰ってくると……思う?」

 相棒は――答えなかった。
 その沈黙からは肯定否定、どちらのニュアンスも汲み取れない。
 ああ、間違えたわ――と、彼女は質問を訂正する。

「帰ってくるまで……待ってられると、思う?」

 帰ってくる事を疑ってはいないが、しかし帰ってきた彼を出迎えるのが乾涸びた骸では、笑えない。
 
【はい。……貴方なら、いつまででも】

 そう言った相棒の声は、いつもの無機質な電子音でありながら、震えている様にも聞こえた。
 本当、嘘の付けない奴ね。誰に似たのかしら。
 再びまどろみの中へと落ちていく――多分、もう浮き上がってくる事はあるまい――意識の端で、長年連れ添った相棒の優しい嘘を、彼女は受け取った。

「待ってたのになあ……あーあ」

 白く霞んでいく視界の中で、彼女はかつて少女だった頃の様な口調で、そうぼやく。
 音が薄れていく。頬を撫でる風が、途切れていく。
 必ず戻ってこいと、彼女は言った。彼は、それに頷いた。
 まともに考えるのならば、約束は果たされまい。諦めるのが当然だ。一族の仲間達はそう勧めたし、ある日突然に死を迎えたあの老人も、口では何も言わなかったが、その実は既に諦めていたのだと思う。
 それでも待っていたのは、彼女の意地だ。
 帰って来た彼に、ただ一言、遅いよ馬鹿と言ってやる為に。

【お疲れ様です、マスター】

 相棒の声が、聞こえる。それを最後に、音が消えて――
 ――否。



 りん、と涼やかな音が鳴った。
 彼女の耳は、それを捉えた。



 視界の端に、何かが映りこむ。
 人の形をしている。淡いクリーム色の衣服を纏っているが、どんな服かは判らない。
 頭部は灰色に見える。壮年男性の様に白髪が混じり、灰色になった髪に見えるが、年齢そのものは解らない。
 笑っている様に見える。にこにこと、感情の窺えない微笑を向けている様に見えるが、それが本当に笑みという表情なのかは分からない。
 夢か。
 現か。
 幻か。
 何も、ワカラナイ。
 わかっているのは、一つだけ。
 
 彼はちゃんと、約束を果たした。
 




「ただいマ、帰りましタ」
「おかえり。遅いよ、馬鹿」






It is very very DEAD END.






後書き:
 
 はい、これにて『魔法少女リリカルなのは偽典/Beginning heart』終了です。長のお付き合い、誠にありがとうございました。
 第六話の後書きにも書きました通り、最終話であるこの第七話は蛇足な一本です。綺麗に終わらせる為のお話ではありません。ハッピーエンドというには微妙な終わりですし、お気づきかと思いますが、放置したままの伏線などもございます。セロと姉様の関係、セアト文明の詳細、何故か殺されていた玄十郎などですね。ついでに言えば、ラストの彼も本物(現実)か?とか。その辺りはある程度意図的なものである事をお断りしておきます。
 本作はレイジングハート開発に関わる一連の事件を描いたものであり、それ以外の部分はかなり省略して描いております。作中で重要な位置にあるセロに関しても、設定はともかく人物に関しては出来る限り描写を減らし、ガジェット的な扱いとしました(成功したかは不明ですが)。幕間を読まずに本編だけを読んで頂ければお解り頂けるかと思います。あくまで本作の主役、ヒロインはメイリィであり、彼女を中心とした展開とする為と御理解下さい。

 書き上げてから言うのもなんですが、本作は『リリカルなのは』二次創作と言うにはやや看板に偽り有りな内容です。原作キャラがユーノとナカジマ一家のみ、それも最終話に僅かに登場するのみで、正直なところ執筆中は微妙にフラストレーションが溜まりました。次があればちゃんと原作キャラが出てくるネタにしたいところです。
 微妙に次の構想もあったりするのですが、本作で気力が尽きた感があるので、書くとしても当分先の事でしょう。
 
 というところで、この辺で失礼致します。改めて、お付き合いありがとうございました。
 縁がございましたら、またお会いしましょう。
 
 







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代理人の感想
お疲れ様でした。二次創作としてはこんなのも充分アリかな、とは思う代理人です。
まぁこんなのばっかりでも困りますけど。w
感想は野暮なので止めて置きましょう。
ただ、繰り返しになりますがこんなのもありかな、とは思います。

ではまた。


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