Interlude――Ⅱ






 ――AM04:00。

 セロニアス=ゲイトマウス=チェズナットの朝は早い。何百年も寝ていたせいか、殆ど寝なくても良いくらいなので眠りが浅い。そのせいだろう、朝四時にはぱちりと目を覚ます。
 もぞりと布団から這い出して、軽く身体を伸ばす。寝間着はいつも下着だけなので(この年頃の男なんてそんなものだ)、着替えにあまり時間はかからない。シャツとパンツを替え、ズボンを穿いて、上からいつもの、淡いクリーム色のローブを羽織る。
 寝所――と言っても玄十郎と同じく物置を改造した小さなテントだが――から出る。日の出にはまだ時間があるが、空は既に夜闇の漆黒を失い、インディゴブルーへとその色を変えている。昨日は砂嵐が酷かったが、今朝は止んでいた。今日はからりと晴れた綺麗な空が拝めるだろう。
 空を見上げ、セロは大きく息を吸い込んだ。雲に覆われている空も悪くないが、やはり青空は気分が良い。
 さて、今日も一日頑張ろう。

 ――AM04:30。

 洗顔を終えると、セロは厨房(として使われている一角)へと向かう。さすがにまだ誰も来ていない。さて僕は何をすれば良いのだろう、と辺りを見回せば、一枚の張り紙が食材庫に貼り付けてあるのが目に入った。紙には他の炊事担当が来るまでに済ませてほしい作業が箇条書きに書き連ねられている。
 掃除や洗濯ならともかく、とある理由・・・・・によって料理に関してはど素人。何をすれば良いのかも分からない。そんな訳で、前日の炊事担当が明朝のセロの仕事を書き置いておく事が習慣になっていた。
 まずは芋の皮剥きから。近くに積み上げられている箱を降ろし、調理台の引出しから包丁を取り出す。……包丁の片付け方が雑だ、これじゃ危ない。調理台もついでに片付けて、セロは芋の皮剥きを開始した。

 ――AM06:00。

 芋の皮剥きを終え、料理用の水を用意したところで、他の炊事担当達が厨房に顔を出した。上は六十代の老女から、下は十七歳の少女まで、女性ばかりが七名。
 一族の集落で家事労働に従事している男はセロ一人である。という訳で今日も今日とて、便利な男手として、彼は扱き使われる事になる。
 まあ、具体的には。

「セロー! こっちの鍋、片付けといてー!」
「セロ君、海老の殻剥き終わった!?」
「セロちゃん、そこのお皿取って!」

 こんな具合である。
 矢継ぎ早に飛ばされる指示に従い、さして広くも無い厨房の中を彼は駆けずり回る。
 身体がもう一つか二つ欲しい、切実にそう思うセロだった。

 ――AM07:00。

 朝食開始。
 一族の人間達が続々と食堂に集まってくる。配膳から給仕まで、ここでもセロは目まぐるしく働く事になる。
 普段の食堂は基本的にセルフサービスなのだが、何故かウェイターとして彼は使われている。厨房の仕事に勝るとも劣らぬ忙しさ。
 まあ、具体的には。
 
「おいセロ、おかわりくれー!」
「セロ君、悪いがお茶を一杯くれんかね?」
「ごっそさん! セロ、悪ぃが片付けといてくれや!」

 こんな具合である。
 さすがに女性陣からは『片付けくらいは自分でやんな!』と怒声が飛ぶのだが、彼等が渋々と食器を片付けようと手を伸ばすその前には、セロが既にそれを持ち去ってしまっている。
 両手と頭上に曲芸の如く食器を積み重ねながら、広々とした食堂を彼は駆けずり回る。
 いい加減この忙しさにも慣れてきた、そんな自分にちょっとうんざりするセロだった。

 ――AM09:00。

 朝食を後片付けを終え、厨房と食堂を掃除し終えると、セロは物置へと向かう。
 雑多にがらくたとも資料とも発掘物とも区別がつかぬままに積み上げられている物の中から、指示された品を探し出す。小学校で使う様な物理(いや、小学校だから理科か)の教材が入った箱。それを抱え上げ、彼は物置を出る。
 スクライア一族にも、大人数の集団であるのだから当然、子供が居る。上は十歳くらいの子供から、下はまだ生まれたばかりの赤子まで。無論一族の人間である以上遺跡発掘の手伝いもあるのだが、余程人手が足りない限りは駆り出されない。子供は子供らしく、というのが一族の大人達の共通見解だ。
 という訳で、午前中のこの時間は彼等彼女等は勉強の時間なのである。教師役は女性陣の中で持ち回り。今日は理科の授業を行なうらしい。
 大きな箱をえっちらおっちらと抱えながら、セロは『教室』へと歩いていく。教室とは言っても基本的には青空教室、屋外に机と椅子とボードを並べての授業だ。さすがに雨の日や風の強い日は食堂のテントが教室代わりだが、今日の様な快晴ならば問題は無い。
 よいしょ、と教卓の上に教材の箱を降ろす。子供達は既に登校していた。教材の箱を興味津々といった顔で眺めている。
 飛びついてきたり引っ付いてきたり圧し掛かってきたりする子供達を引き剥がしながら、セロは『教室』を後にした。

 ――AM11:00。

 午前中に洗濯物を半分ほど片付けて(こちらも洗濯班というか、担当の女性達の手伝いだが)、セロは再び厨房へと向かう。昼食の仕度に炊事班が大わらわになっていた。
 遺跡発掘に出ている人間達、要は男性陣と、居残りの女性陣や子供達は別々に昼食を取る。男性陣には弁当だ。現場で食べてすぐに作業再開、という効率重視の考えである。
 調理台の上にずらりと並べられた弁当箱に、流れ作業で次々と料理が詰められていく。最後にセロが蓋を閉め、紐で括って、出来上がり。
 続いて自分達の昼食を用意し始める女性陣を横目に、セロは弁当箱を積み上げて、厨房を出る。
 重い。……二回に分けて持ってくべきだったかと、軽く後悔した。

 ――AM11:30。

 現場到着。
 山と積まれた弁当を降ろし、昼休みの合図としてほら貝を吹き鳴らす。
 ぶおー、という音が響いて、遺跡発掘現場のあちこちから男達が顔を出した。
 このほら貝、元はと言えば玄十郎の私物だったのだが、大声を出すのが苦手なセロが苦労しているのを見た彼によって貸し出されている。
 大声を出さなくても人が呼べるので、セロはこのほら貝をかなり気に入っている。玄十郎曰く、元々は彼の故郷の戦場において戦意高揚の為に使われていたものらしく、勇壮というか、はらわたが震える様な重低音が、かなり気に入っている。
 もう一回、吹き鳴らしてみた。
 ぶおー。

 ――PM00:20。

 洗濯再開。ただ他の洗濯担当の女性達はまだ昼食中なので、仕事しているのはセロ一人だが。
 洗い終えた洗濯物を干していく。ただやはり、何というか、結構この仕事、精神に来るものがあるのだ。
 スクライア一族は数十名からなる集団である。年寄りから若者まで、年齢層も幅広い。当然その中には若い女性も居る訳で、洗濯物を年齢性別ごとに分ける筈も無い訳で、年齢性別ごとに分けたとしても洗濯する人間まで別にする筈は無い訳で。
 まあ、端的に言えば。
 女性の下着を干してる自分の姿が、何だかとってもアレだよなあと悩んでいるという事である。

 ――PM02:00。

 洗濯を終えると、セロは暫く休みを取る。
 正直なところ、休息というのは彼にとって必要無い。やろうと思えば二十四時間働いていられる――無論、不眠不休でだ。体力云々の話では無く、どちらかと言えば体質的・・・な意味合いで、彼はそれが出来るのである。
 ただ、さすがにそれは人間離れし過ぎている。一族の人間から変な目で見られるのは避けられない。人間の様な顔をして、人間社会に溶け込む。その為には休息という時間が必要だ。……という計算が無かったとは言えないが、まずそれ以前に一族の女性達からの「いいから休みなさい」という好意を無下に出来なかったというのが主な理由である。
 そんな訳で、セロはこの時間を玄十郎の部屋で過ごす事が多い。特に何をする訳でも無いが、玄十郎の部屋は沈黙と静寂に気まずさを感じずに済むので、時間を無駄遣いするにはうってつけの空間なのである。
 ただし――

「…………」

 玄十郎の部屋として使われている個室テントの前で、ぴたりとセロは足を止めた。
 もう一歩踏み込んで、テント入口の幕をはぐればそれで良い。だが何か、そう、危険を察知する獣の様な本能が、それを躊躇わせたのだ。
 そう言えば、と彼は思い出す。いつも洗濯や掃除をしている時にちょっかいを出してくるあの娘が、今日は姿を見せていない。
 戻った方が良いだろうか。いや戻るべきだ。だがその結論は一瞬遅く、テントまであと一歩の距離はあまりに近く。
 事実だけ述べよう。
 セロが踵を返すその直前、テントの中からぶっ飛んできた機械――というかもう単なる鉄の塊が、セロの顔面を直撃した。
 ばぐんっ! と破滅的な音が響いて、視界が一気に真っ暗になる。奈落の底へと錐揉み回転で落下していく意識の端で、彼の耳は怒声と電子音声と、呆れた様な声を捉えていた。

「もういっぺん言ってみなさいよ、アウロラ!」
【ですから、マスターは既に成長が止まっている訳ですし、バストに関して悩むのは無意味だと――】
「おいメイリィ、アウロラと喧嘩するのは構わんが、俺の機材で八つ当たりすんな」

 誰か、気付いて。

 ――PM05:30。

 何故か玄十郎の部屋で目を覚ました――あんなところで昼寝していると風邪を引くぞ、と言われたのが理不尽だった――セロは、発掘現場へと向かう。
 本日の作業が終わり、発掘仕事に就いていた男達が戻ってくる。汚れた作業着や道具を受け取り、また今日の“収穫”も受け取って、それぞれ定められた場所へと運ぶ。作業着は洗濯籠、道具は物置、“収穫”は倉庫へといった具合にだ。
 作業着は明日洗濯。ちなみに作業着は皆二着以上持っているので、洗濯されてないから裸で作業するとかいうオチは無い。
 道具に関しては泥を落し水洗いする程度で、後は物置に放り込む。最近は転送魔法を利用して、魔法陣の上に放り投げているくらいの横着さである。
 発掘された“収穫”――ロストロギアに関してはさすがに乱暴にも扱えないので、倉庫の棚に丁寧に置いていく。ついでに言えば、軽く鑑定もしているのだ。滅びた古代文明の遺産、という定義に照らせば確かにロストロギアであるのだが、単に昔(つまり、セロが眠りにつく前の時代に)使われていた道具でしか無いものもあったりするのだ。昔自分が使っていた掃除機が爆発寸前の爆弾の様におっかなびっくり運ばれてきた時には、さすがのセロもいつもの笑みが引き攣った。
 ……本日の“収穫”に危険物は無し。ほっとした様な残念な様な。

 ――PM06:45。

 夕食。朝食や昼食と異なり、夕食は一族全員が(無論、玄十郎も含む)揃って食べるのが決まりである。
 セロは朝食の時と同じ様に、ウェイターの役回り。食べる人間が増えた分、こちらの方が忙しい――という程でも無かったりする。何だかんだで女性陣は働いているのだ。
 ちなみに夕食の仕度に関しては、セロは殆ど関わらない。本日の洗濯担当が夕食作りを手伝うので、人手は足りているのである。本日のメニューは鍋物。砂漠の夜は意外に冷える、二十を超える鍋がテーブルの上でぐつぐつと煮えている光景は結構壮観だった。
 で。
 食事が終わったら、まあ当然というか、男衆が酒盛りを始める。明日への活力だ、とか何とか。騒ぎすぎかと思わなくも無いが、どうせ砂漠のど真ん中、文句を言ってくる人間も居ない事だしと、誰も何も言わない。
 しかし。
 しかし、だ。
 その中で最も盛り上がって騒いで酔っ払っているのが、十四の少女であるのはさすがにまずくないだろうかと思う。

「ふんだ! 巨乳がなにさー! そんなもん歳取ったら垂れ下がってみっともない事になるに決まってんだー! 巨乳なんて虚乳だよう、後々の事も考えりゃさー、やっぱりつるぺたの方が絶対お買い得だって! ねえ!」

 ねえ、と言われましても。
 一族の人間は遠巻きに見ているだけ。体良くセロにメイリィのお守りを押し付けた形だ。それは玄十郎も例外では無い。いつもなら彼女の暴走を止めてくれる男は、我関せずといった顔で晩酌を楽しんでいる。

「大体さ、巨乳ってのは感度悪いって言うじゃん? 実用性考えようよ、揉んでも吸っても感じないんじゃ面白くないじゃんよー……」

 発言がそろそろ放送コードに引っ掛かりそうだ。
 これは案外セクハラというやつではないだろうか。主に僕への。
 酔っぱらいの愚痴に延々とつき合わされ、うんざりとした顔でセロはため息をついた。

 ――PM08:20。

 酒盛りも終わり、皆が三々五々に寝所へと戻り始める。一族の人間は床につくのが早い。明日も仕事があるのだ、夜九時には殆どの人間が眠ってしまう。
 普段は夕食の後片付けを手伝うのだが、今日はメイリィの後始末という事で免除されている。完全に酔い潰れた彼女を背負い、セロはメイリィの寝所へと向かっていた。

【……申し訳ありません、セロ。マスターがご迷惑を……】
「いや、構わないデスよ?」

 可愛い(多分にお世辞入り)女の子が背中で寝息を立てているのだ。悪くないと言えば、悪くない。
 ちょっぴり(ちょっぴり?)酒臭いのが、残念だけれど。
 ふと、空を見上げる。地の底で眠りについていた間に、世界はまるで様変わりしていたが――夜空に煌々と照る満月だけは、何も変わらない。
 
 ――姉様。
 ――この時代も、なかなか悪くないです。

 そう思える程度には、彼はこの世界に馴染んでいた。
 もぞりと背中でメイリィが動く。目を覚ましたのだろうか、妙な唸り声が聞こえる。
 
「うー……きもちわる……」
「あ、起きたデスか、メイさん。もうすぐベッドに――」
「あ、だめ。だめだめだめ。でる。はく。もどす」
「え? わ、ちょっト待っテ、背中は駄目デス!」

 ――PM09:30。

 普段から三十分ほど遅れて、セロは寝所に戻ってきた。頭から盛大に吐瀉物をぶっかけられたので、シャワーを浴びてきた為だ。
 着ていた服は見るも無惨な姿に。お気に入りのローブも、明日一日は着られないだろう。しくしくと涙を流しながら、セロは明日の仕度を始める。
 一族の集落で寝泊りする様になって以来一度も世話になった事の無い目覚まし時計を、それでも一応セットして、枕元へ。明日着る服もベッドの横に出しておく。明日はローブを着られないから、少し暖かい服装で。
 さて、明日も忙しくなるだろうな。不思議と自分の顔に笑みが――感情を塗り潰す微笑では無い、本当の意味で“楽しそう”な――浮かんでいる事に気付きながら、セロは布団を被り、明りを消した。

 おやすみなさい。






Interlude――Out






 

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