「た、大変だぁっ!」
「なんやヴィータ、騒々しいなー」

 ばたばたばたばた、とけたたましい足音を響かせ八神家のリビングに駆け込んできたヴィータが開口一番、リビングどころか家中に響き渡る様な大声を張り上げる。

「大変だ、大変なんだよ、はやて!」
「どうしたん? ほら、お茶でも飲んで落ち着き」
「あ、うん」

 差し出された烏龍茶を一気に飲み干し、ぷはー、と大きく息を吐くヴィータ。多少なりと落ち着いたか、おかわり、とコップをはやてに戻した。

「で、何が大変なのだ、ヴィータ」
「ん? あ、そうだ!」

 ソファーに座って新聞を読んでいたシグナムに促され、ヴィータが再びテンションを上げる。ただし一度クールダウンを挟んだせいか、先程までの様にメーターを振り切った状態では無い。
 シグナムの足元で寝転がっているザフィーラが、くぁ、と大きな欠伸を漏らした。

「このSSでのあたし達の出番、これで終わりなんだよ! 時系列的に『魔法少女? アブサード◇フラット』じゃなくて『魔法少女!Σ(゚Д゚) アブサード◇フラット A's』の話なのに! 戦闘シーンどころか出番が丸々カットなんだ!」
「あー、そら困ったなあ」
「なんでそんな冷静なんだよ、はやて!」

 ふふん、とはやてが意味深な笑いを漏らす。そのあまりにも“普通”な反応に、ヴィータの眉が寄った。自分の主は大概の事には動じない器の大きさを持った史上稀に見る傑物(ヴィータ視点)だと知ってはいるが、しかしこれは、あまりにも動じなさすぎでは無いか?
 その上で、妙に機嫌が良いのも気になる。鼻唄混じりとは言わないが、口笛くらいは吹いていそうな。

「実はな。今回のSSで出番が無い代わりに、わたしら主演の短編を一本作るって作者に約束取り付けてるんや」
「マジで!?」
「わたしらの希望を最大限取り入れてくれる言うてたで! 予算とスタッフも充実や! 劇場版『アブサード◇フラット』(2010年夏公開予定)と同時上映、いや寧ろ本編食ってまうんとちゃうか!?」
「ど、どんなんになるのかな!?」
「そりゃもう、手に汗握るアクションや! 『リリカルなのは』のキャラ使うて『ダイ・ハード』やるで! キャッチコピーは『海鳴消滅!』でどうや!?」
「うぉおー!」
「いやいや、ここはちょお赴きを変えて、サスペンスとかも悪うないな! 『羊たちの沈黙』っぽい感じの! クラリス捜査官はシャマルに任せて、わたしはレクター博士や! そうやな、バッファロー・ビルはシグナムにやってもらおか!」
「はやてはやて、コメディーも! お笑いも欲しい!」
「ただのお笑いやと芸が無いな! ちょっとほんのり心温まる感じの……『ホーム・アローン』なんかどうや!? 勿論主役マコーレー・カルキンはヴィータや!」
「あたしの知恵と勇気で泥棒ザフィーラ撃退だな!」
「このSSが終わり次第製作開始や! ヴィータ、役作りは早めに始めとき!」
「うわ、やべー、今からどきどきしてきた!」

 と。
 ばたばたばたばた、とけたたましい足音を響かせて、シャマルがリビングに駆け込んでくる。

「は――はやてちゃん! 大変です!」
「なんだよシャマル、今回のSSにあたし達の出番ねー事はもう知ってるぞ」
「とりあえず落ち着きや、ほら、お茶でも飲んで」
「あ、ありがとうございます」

 差し出された烏龍茶を一気に飲み干し、ふう、と一息つくシャマル。

「で、何が大変なのだ、シャマル」
「え? あ、そうでした!」

 ソファーに座ってTVの時代劇を見ていたシグナムに促され、シャマルが再びテンションを上げる。ただし一度クールダウンを挟んだせいか、先程までの様にメーターを振り切った状態では無い。
 シグナムの足元で寝転がっているザフィーラが、わふん、と呆れた様に鼻を鳴らした。

「はやてちゃん、私達主演の短編についてなんですけど」
「おー、ちょうどその話してたところや。シャマルはどんなんがええ? やっぱSFアクションやろか。意表をついてミステリってのもええかなと思っとるんやけど――」
「中止になりました」
「………………は?」
「作者が食中りで入院して、無期限延期に……事実上、中止です」
「(゚∇゚ ;)!?」



 ぴりりりりり。

「む、電話か……もしもし?」
『む。その声は烈火の将シグナムか? マイスターはいらっしゃるか? 今度、私達主演の短編が製作されると聞いたのだが――』
「……リインフォース。その話は、また今度」







魔法少女? アブサード◇フラット偽典/Hey, Pachuco!
――ChapterⅢ






 一方――と言うか、本筋の話。

「ああ、それは間違いなく水晶髑髏……個体名<シャ・ナ・ラー・スカル>と呼ばれるものね、そいつの仕業だわ」

 事の経緯、そしてフラット達四人に見られる奇妙な症状―― 一部、或いは全体的に魔法技能が“使えなく”なってしまう症状――を一通り聞かされた後、特に何という事も無い顔で、それこそ今日の夕食の献立を口にするかの様な口調で、髪から服から瞳まで青尽くめの女は、シャロンはそう口にした。

「人間の記憶を奪うのが、このロストロギアの特徴。厳密には、こいつが奪うのは記憶だけではなくて、知識や経験……要は脳内に記録されている情報なのだけれど。人間の思考ってのは極端な話、ただの電気信号な訳だから、その意味で見れば、記憶と知識と経験に明確な違いは無い。つまるところ、この水晶髑髏が奪うのは、その電気信号の配列パターンと言って良いわね」

 リンカーコアの蒐集によって魔法技能を奪う闇の書とは、似ている様で異なるものという事らしい。
 バターをたっぷり塗りたくったトーストを齧りながら、べらべらと説明するシャロン。長台詞の割に噛む事も無い、昨日初めて会った時もそうだったが、随分と舌の回りが良い女だと、フラットもまたトーストを口に運びつつ、そんな感想を抱く。
 古城への潜入に失敗し、命からがら逃げ出した後、杏露の誘いに応じシャロンの貸別荘にフラット達が転がりこんで、一夜が明けた。
 当初、『連れてこいとは言ってないわよ、杏露』と渋い顔をしていたシャロンだったが、それでも追い出す様な事はせず、あっさりと寝床を用意してくれた。シャロンと杏露の二人ではやや広すぎる感のあった貸別荘、一気に四人の客人が来たところで部屋に困る事は無い。またフラットが考えていた通り、あの木賃宿より遥かにベッドは寝心地が良かった。
 で、翌朝――つまり今朝。
 当然の様に用意された朝食(トーストに目玉焼き、サラダにスープと至って平凡なもの。但しアルフには骨付き肉)を、フラットはがつがつと、なのはとフェイトはやや遠慮がちに食べながら、昨日の出来事を説明して、冒頭のシャロンの台詞に戻る。

「随分詳しいな、シャロン。管理局でも碌に詳細を掴んでいなかった代物なのに。……あ、ジャムあるか?」
「当然でしょう。だってあれ、私が作った・・・・・物だもの。……マーマレードで良いかしら?」
「ああ、それで良い……って、なに?」

 手作りと思しきマーマレードの入った瓶を投げ寄越しながらの台詞に、フラットの眉が寄る。普通ならからかわれたと思うだろう、現にフラットもその通りに、不審そうな顔は急激に気色ばむ。
 ロストロギア。そう呼ばれるものは数あれど、その定義は一つ。それ故に範囲が広すぎるという面もあるのだが、結局のところ、それは危険度の大小に関わらず、既に滅びた古代文明の遺産に対する総称であると言える。
 製作者が存在しているものを、普通はロストロギアとは言わないのだ。
 しかし、シャロンの口調は酷く素っ気無く、それが彼女の言葉が洒落や冗談で無い事を示していた。

「本当に……アンタが作ったのかい?」
「Exactly.(その通りでございます)」

 アルフの問いに、慇懃に一礼してシャロンが答える。
 その答え方が微妙に気に食わなかったが、ここは我慢と、フラットはアルフの問いを引き取って続ける。

「いや、そりゃおかしいだろ。お前、今幾つだよ?」
「今年でハタチよ」
「嘘つけや!」
「まあ、それは嘘だけれど。長い事“眠れる森の美女スリーピング・ビューティ”をやってたのよ、私。目を覚ましたのはつい一年ほど前の事だから、貴方達が考えるよりは若いし――予想しているよりは、齢をとっているわ」
「………………」

 眠ったまま朽ち果ててしまえば良かったのに。
 誰だよ、こいつ起こした王子様。

「暇潰しの退屈しのぎで作ったものだったんだけどね……五百年経ってもまだ稼動してるってのは、予想外だったわ。まあその分、見つけるのに苦労しなかったから、それはそれで良かったのかしら」
「……て事は、あんたも水晶髑髏を探してるのか?」

 そう言えば、とフラットは思い出す。昨日、杏露の口からではあるが、シャロンは何か探し物があってこの世界に来たと、そう聞いていた事を。
 まさか自分達と同じ様に、水晶髑髏を探していたとは思わなかったが。

「ええ。正確には、その中の記憶データを、だけれど。元々、外付けHDDみたいなものなのよ、アレ。人間の脳味噌ってのはそう簡単に物事を“忘れない”けれど、“思い出す”には手間がかかるものだから。記憶の“再生”に必要な手間を省くつもりで作ったんだけれど、いざ出来上がってみたらアレ、致命的な欠陥があったの」
「欠陥?」
「『記憶を外部に保存した』、って記憶も一緒に持ってかれちゃうのよね」
「意味ねえ! 丸ごと忘れてるじゃねえか!」
「だからお金を借りた事を忘れさせたりとか、約束の時間に遅刻したのを誤魔化したりとかにしか使ってなかったのよ」
「まあ確かに、セコい悪事にゃもってこいだよな、アレ……」

 ドラえもんのひみつ道具みたいだ。

「そう考えると、のび太くんって意外にひみつ道具を悪用してないわよね」
「真面目な顔でどっちに話持ってく気だ!」
「タケコプターだって、使い方によっては凶悪犯罪に使える訳だし」
「まあ、アレ一つあれば、警察から逃げるのも簡単だよな」
「回転させた状態で投げつけたら、人間くらい簡単にミンチに出来るって思わない?」
「確かに凶悪だな! つか猟奇的だな!」

 本当に何の話をしているのか解らない。
 だが幸いにも、この場に居るのはフラットとシャロンだけでは無く、話を本筋に戻してくれる人間はすぐ近くに居た。

「あの……」
「何かしら、フェイト=テスタロッサ」

 おずおずと手を挙げて質問するフェイトを一瞥し、コーヒーを啜るシャロン。見ようによっては不機嫌ともとれる仕草だったが、別に機嫌が悪い訳でも苛立っている訳でも無く、これが彼女のデフォルトであるとフラットは知っている。気にするな、と念話で一言告げてやると、フェイトは軽く頷いて続きを口にした。

「私達の記憶も、取り戻す事が出来るんですか?」
「出来るわよ。取り戻す、というよりは、新しく入れ直すという感じだけれど。正しい手順を踏んでアクセスすれば、ダウンロード自体はそう難しくないわ」

 昨日、あの古城で水晶髑髏に触れたフラットが魔法技能を再度奪われたのは、その手順が正しくなかったからという事らしい。

「難しいのは、アクセスするまでね。あれは外敵が近づくと自動的に防衛機能セキュリティが起動するわ。まあ、それを掻い潜ってパスワードを入力するだけなんだけれど、これが簡単じゃ無い事は、もう解ってるでしょう?」
「ああ。……充分過ぎるほどな」

 苦い顔で言うフラットに、シャロンはくすりと微笑んだ。
 厭な笑みだった。

「水晶髑髏の自動防衛機能ってのは、あの光の事か?」
「ええ。一見、ただの強い光だけれど、実際は一秒間に百回前後で明滅しているわ。その光が対象に軽い光過敏性発作を起こさせるの。発作状態の脳は魔力スキャンに対してほぼ無防備になるから、ここでスキャニング用の光が脳内に侵入、記憶の電気信号を写し取った後、元データを消去する……まあ、『ポケモン・ショック』のアッパー・バージョンと思ってくれれば良いわね」
「その例えもどうかと思うけどな……じゃあ、その光を見なければ良いのか」
「突き詰めればそうなるけれど、実際問題としては難しいわ。眼を閉じても瞼を通して浸透するから。サングラス程度の遮光能力じゃ防げないしね」

 私の作品よ、ちょっとやそっとでどうにか出来る様には作ってないわ――技術者としての矜持が感じられる台詞ではあったが、しかしそれに感心出来る様な状況に、今のフラット達は無い。ぶっちゃけいい迷惑だ。

「じゃあ、どうすれば良いんですか?」
「そこなんだけれど……うーん」

 そこまで言って、シャロンは意味有りげに言葉を切る。
 焦らす様なその間に、我慢出来ずに口を挟んだのは、やはりフラット。
 
「おい、シャロン――」
「ああ、いや、分かってるわ、フラット=テスタロッサ。勿体振るな、でしょう? けれどね、私としても、ここから先はロハで教えてあげる訳にはいかないの。企業秘密ってほどじゃ無いけれど、誰でもアクセス出来る様になられちゃ困るのよ」
「そりゃ、そうかもしれないけどよ」
「他人様の記憶を勝手に持ち出して蓄えてる訳だし、貴方達もその被害に遭ってる訳だから、ここまでは教えたけれど。例えばの話、大英博物館は入場無料だけれど、展示物の持ち出しが許可されている訳じゃない。……そういう事よ」

 強奪と収奪で成り立つという点では、この二つは同義。そう言いたいのだろうが、しかし正直なところ、大英博物館と同じレベルで語れる話かどうかについては多いに疑問である。
 それに、と続けて、シャロンはセルリアンブルーの髪を掻き上げた。

「話を聞く限り、貴方達は自分から・・・・首を突っ込んだんでしょう? 栗が火中にあるかどうかも確かめず手を突っ込んだんでしょう? 自業自得じゃないの。いい教訓になったと思えば、授業料として法外でも無いんじゃないかしら?」

 はっきり言いましょうか。
 そう前置きし、フラットを、フェイトを、なのはを見据えて、青尽くめの女は言う。

「魔法なんかに関わるから、こんな目に遭うのよ――お嬢ちゃん達」

 魔法が使えなければ、フラットもフェイトもなのはも、ただの小娘に過ぎない。それを認識していても、理解していなかった。だから無謀にも虎穴へ飛び込んで、その中に潜んでいた人食い虎に襲われ、命からがら逃げ出すという無様を晒す。
 揶揄するかの様なシャロンの言葉も、多少なりと真を衝いている。それは事実だろう。そこまでは、フラットも認めざるを得ない。
 だが。
 それを――お前が言うのか・・・・・・・
 冷たい、突き放した様な言葉。いや実際、突き放しているのだろう。
 だが、原因の一端を担っている――この女があれを作った事が、そもそもの発端であるのだから――人間が吐くべき台詞では絶対に有り得ない。シャロンはそれを解っているか。
 ……解っている。この女は自覚症状の塊だ。その口元に浮かんでいる薄い笑みは、全て解った上で、フラット達の無理解を責め立てている事を表している。
 九歳の少女達に浴びせるにはあまりに冷たく、重い言葉。ただ不幸は、それを受け止める事が出来るほどに少女達が早熟であり、その中の毒に気付かない程度に少女達が純真であった事だろう。
 かたん、となのはが立ち上がる。そのままつかつかとシャロンの前まで歩いて行って、立ち止まった。
 腕尽くで聞きだすつもりだろうか、とそう思ったフラットだったが、今のなのはは魔法が使えない、必然、ぶちのめす→お願いするの流れも使えない。ならば一体どうするつもりかと、フラットだけでは無く、その場に居る全員の視線がなのはに注がれる。
 果たして――なのはは、シャロンの前で、思い切り腰を折って深々と、頭を下げた。

「お願いします。記憶を取り戻す方法を、教えてください」

 正攻法での――お願い。
 頭を下げて、お願いしますと。
 九歳の女の子にしてみれば、ごく当然の選択だろう。高町なのはにしてみれば、それは本当に、当然の選択。
 その当然の選択を前に、呆気に取られた様なシャロンの表情が、とても愉快で。
 
「……なのは」

 何となく、解る。
 多分、なのはは被害に遭ったのが自分だけならば、頭を下げないだろう。頭を下げる、お願いするという事が自分と他人にとってどういう意味を持つのかを、彼女は知っている。
 年齢不相応に、聡い子供だから。
 フラットが、フェイトが、アルフが被害に遭っているからこそ、こうして頭を下げている。
 
「…………お願いします」

 フェイトもまた、立ち上がって――なのはの隣に立って、頭を下げる。アルフもまた、それに続いた。
 杏露はと言えば、頭こそ下げないものの、じっと主を見詰めている。まばたきすらしていない。何かに抗議する様なその視線が何を訴えているのか、判らない筈は無いだろう。
 
「困ったわね」

 そう言って、シャロンは相好を崩した。困った様な微笑は奇妙に愉しそうな色が滲んでいる。
 吐き気がする程に性悪な女だが、しかし人情の解らぬ女でも無い。そういう事だろう。

「そこまでさせて突っぱねたんじゃ――私、ただの悪役じゃないの」
「まあ、お前は魔法少女じゃなくて、まんま魔女ってイメージだしな」
「魔女か。悪くないわね、九段九鬼子みたいな感じかしら?」
「いや、お前はいいとこ峠美勒だ」
「これ以上読者の心象悪くすると、ここで打ち切りになっちゃうものねえ」
「何の話だ」

 くすりと笑って、指を組んだ手を胸の前にし、シャロンは椅子の背凭れに体重を預けた。木製のロッキングチェアがぎしりと音を立てる。見ようによっては酷く尊大なその仕草が、何故だろうか、この女に関してはやけに様になって見えた。
 顔を上げなさいな、という言葉になのは達が顔を上げる。期待と不安がほぼ等価に入り混じった表情の彼女達に、にっこりと柔らかく、その癖どこか剣呑な、猛禽類を思わせる笑みを、青尽くめの女は向ける。

「いいわ。わかった。わかりました。この私が――シャロン=ブルーブラッド=グレアムが、この私の名前にかけて、貴方達の記憶と知識と経験を保障しましょう」
「………………?」

 あれ?
 今、この女――何て言った?
 どこかで、聞き覚えのある事を――いや、名前か――口にした、様な。

「あ、ありがとうございます!」

 満面の笑みを浮かべて、なのはとフェイトが再び頭を下げる。だがそれをシャロンは掌を向ける事で制止した。礼を言う必要は無い、という意味なのかと思いきや、しかしそうでは無いらしく、シャロンの青い瞳がすいと動いて、フラットへと視線を固定した。

「…………なんだよ」
「まだ――お願いしていない子がいるわねえ」

 性格と底意地の悪さをこれでもかと見せつける、そんな微笑を口元に浮かべて、唄う様に滑らかな口調で、シャロンは言う。
 確かに彼女の言う通り、フラットはシャロンに“お願い”していない。いや、決してお願いするのが嫌という訳では無く、ただ単にタイミングを逃してしまったというだけなのだが。
 ただ――今は別だ。
 このタイミングで“お願い”するのは、シャロンに言わされた・・・・・様な気がして、我慢ならない。
 抑圧と強制を何より嫌う。フラット=テスタロッサの、“前世”からの悪癖。これが行き過ぎた結果、彼はかつて命を落とし、それが今の『フラット』に成るきっかけでもある。
 あちゃあ、とアルフが顔を顰めた。フラットが一度へそを曲げると厄介だと、この中で一番良く知っているのは、多分彼女だろう。何とか宥めようと一歩踏み出すアルフを、しかしフェイトが制止する。

「……フラット」
「ぐっ……」

 フラットが“前世”から変わった点を一つだけ挙げるとするのなら、それは肉体が十八歳男性のものから九歳相当の少女のものへと変化した事でも無ければ、魔法素質を手に入れた事でも無く、誰かを泣かせてまで我を通す事を良しとしなくなったという点であるだろう。
 またそうでなくても、フェイトにじっと見詰められて、それでも我儘を通せる人間であったのなら、そもそも彼と少女達の歩む道はとうの昔に別たれていた筈だ。
 ちっ、と一つ舌打ちして、頭を掻きながら、フラットも言う。

「……頼む、シャロン。記憶を取り戻す方法を教えてくれ」
「あら。それだけ? なんて言うか、頼み方ってもんがあるんじゃないかしら?」
「………………ッ!」

 本ッッッッッ当に、嫌な女だった。
 
「まあ土下座しろなんて言わないけれど、そうね、手をついて頭をついて、脚を上げてお願いするのなら――」
「結局、土下座だろうが!」
「違うわ。三点倒立よ」

 ………………。
 確かに、その姿勢は三点倒立だった。

「お前、三点倒立しながら『お願いします』って言われて楽しいか……?」
「面白くはあるわね。けどまあ、下げたくも無い頭を下げて貰ってもね。……杏露!」

 ぱちん、とシャロンが指を鳴らす。と、杏露が立ち上がり、ぱたぱたとスリッパを鳴らして隣の部屋へと這入っていった。がらりとクローゼットか何かを開く音がして、程なく戻ってきた杏露の手には、二種類の衣服が握られていた。
 その衣服を目にした瞬間、ぎしりとフラットが固まる。フェイトやなのはが怪訝そうな顔をしているのとは対照的に。恐らくは年齢的な問題だろう、その衣服が持つ意味をまだ知ってはいない。それ故に、精神年齢十八歳男性たるフラットが固まったその理由に気付けない。
 ブルマー(とTシャツ)。
 スクール水着(しかも白)。
 特定趣味の人間垂涎の衣類を、ここに持ってきた理由――それに気付かないほどフラットは鈍くなく、そしてその反応をこそ求めていたのだろう、シャロンの笑みが凄惨さを増した。魔女どころか悪魔そのものといった印象を見る者に与えている。

どっちがいい・・・・・・?」
「土下座させてくれ!」









 肉体がどう在るかはともかくとして、その魂は男の中の男、いやむしろ漢といってもまるで過言では無いフラット=テスタロッサが一体いかなる選択を以ってシャロン=ブルーブラッド=グレアムの協力を取り付けたのか、それはまったく不要であり語る理由は存在しないが故にここでは割愛するのだが、少なくとも確かに言える事は、彼は自分自身が取り得るモアベターな選択を取っており、その結果にまるで後悔はしていないという事であろう。
 そう、今後デアゴスティーニ社より『週刊フラットデータファイル』が刊行される様な事態となった際にも、その表紙に使われる写真の心配をしなくて済むというのはまったく些事であって、恐慌時の株価が如くに底辺を這っているフラットのテンションとは恐らく何の関わりも無い筈である。

【創刊号はバインダー付きで150円っス】
「うるせえよ」

 思い出させんな。

「えっと……その、綺麗だったよ、フラット」
「フォローになってねえ!」

 寧ろえぐられた。
 フェイトに悪意が無いだけ、余計に刺さる言葉だった。

「ぷっ……くくく……いやいや、良く似合ってたさね、フラット」
「覚えてろよ、アルフ……!」

 散歩に行った時、置き去りにしてやる。
 あー、と一つ唸って、フラットはベランダの手摺りに凭れ掛かる。もう立っているのも億劫だった。
 向こうでなのはが呼んでいる。ちらちらとフラットを見るフェイトに、行ってやれという意味を込めて手を振った。アルフがフェイトを押してなのはの方へと向かうのを横目で確認して、フラットは空を見上げる。澄んだ空に、薄い雲が煙の様に広がっていた。
 エイミィやリンディによって散々ゴスロリだの何だのと着せ替え人形代わりのオモチャにされていた身だから、今更コスプレの一つや二つどうという事は無い。と、そう自分に言い聞かせてはいるのだが、しかしそれでも、男として大切な何かが根元からへし折られてしまった感があるのは否定出来ない。
 まあ、あの女はあれで道理やら仁義やらを分かってはいるだろうから(多分)、撮った写真を余所に流出させたりする事も無いだろうけど。記憶を取り戻す手伝いと引き換えなのだから、そう悪い取引でも無いのだ。
 無いのだが。

「納得出来るかどうかってのは、また別の話だよな……」

 終わった事をぐちぐち言うのは趣味では無いが、偶にはこんな事もある。
 ちっ、と舌打ちして、フラットは腕を支えに立ち上がる。頭を切り替えよう。どうせ、暫くはやる事が無いのだ。準備が整うには少なくとも明日の朝までかかる、とシャロンに半ば追い出された状態である(これはなのはやフェイトも同様だ)。なのでログハウス二階のベランダでだらだらしていたのだが、もう少し時間は有意義に使うべきだろう。

「ま、元々この身体になる前は魔法なんか使えなかった訳だしな。それを考えりゃ――」
【そうっスよ、ご主人。魔法が使えなかったらただの萌え幼女だからって、落ち込む事は無いっス!】
「お前、俺をそういう目で見てたのか!?」

 最近、アルギュロスが変な方向に育ってきている気がする。地が出てきたのか、それともそういう感じに成長したのかは定かでは無いが。一体誰の影響だろう。
 さておき――

『しかし、驚いたわね――良く生きて帰ってこれたわね、貴方達』

 先にシャロンと交わした会話を、思い出す。
 彼女の手にあるデジカメがまるで話題にそぐっていなかったが、フラットの方も半ば現実逃避、これ幸いとその話題に乗っかった。

『キース=ウィタリィにヴェイニィ=ユキーデ……二人とも、こちら側・・・・じゃ名うての武闘派魔導師よ。広域次元犯罪組織トライアッズの連中がこの世界に来てるのは知ってたけど、まさかそんな有名どころが出てくるとはねえ』
『そもそも、トライアッズの連中は何だってこんな世界に居るんだ? デバイスの取引にしろ、美術品の収集にしろ、管理外世界でやるメリットなんざ幾らもねえだろ』
『美術品の収集に関してはそうね。あれは本当に、片手間にやってるだけみたいだから。組織の幹部連中への貢物ってトコじゃない?』
『美術品は……じゃあ、デバイスは何だ』
『最近、“マーケット”で面白い品が出回ってるのよ。人間サイズの傀儡兵。小型魔導炉を搭載、デバイスを持たせれば限定的ではあるが魔法が使えるってスグレモノ。どこだかの古代文明で使ってた傀儡兵のレプリカらしいんだけど、最近、トライアッズがそれを大量に購入したらしいわ。で、その傀儡兵に持たせるデバイスを、トライアッズ傘下の企業に発注……その企業が、こっそりこの世界で製造していたって話よ。長台詞お疲れ様、私』
『そういやあいつらも、“売り物”じゃなくて“買った物”だって言ってやがったな』

 成程、そう説明されれば、大体の事が矛盾無く収まる。唯一つ、何故シャロンがそこまで知っているのかという点に目を瞑れば。

『お前、実は今回の黒幕じゃないだろうな?』
『ほほほ』

 否定しろよ。

『何にしろ、水晶髑髏に接触する為には、もう一度連中とやりあう必要がある――か』
『勝算は?』
『さあな』

 そう言って、フラットは肩を竦めた――格好が格好だけに、何を言ってもやっても、様にはならなかったが。
 案外、それは幸いだったのかもしれない。下手に様になってしまえば、それははっきりと、虚勢として映っただろうから。
 
「ヴェイニィ=ユキーデに――キース=ウィタリィ、か」

 呟いたその名前には、隠しようも無く憎々しげな響きが篭もっている。こてんぱんに叩きのめされ、尻尾をまいてほうほうの体で逃げ帰る羽目になったのだ、当然だろう。水晶髑髏による弱体化がハンデとして課されていた事を差し引いても、あの敗北は言い訳が出来ない。だからこそ、はらわたが煮えくり返るほどの怒りはまるで冷める事無く、内臓はおろか脳髄までもいている。
 受けた屈辱は万倍返しが身上のフラット=テスタロッサだ、このままで済ますつもりは欠片も無い。もし彼の手元に核弾頭があれば躊躇い無く使用していただろう。現状の彼は、何の為にこの世界に来たのかさえ忘却の彼方に追い遣っていた。
 とは言え。

「アルギュロス、展開出来るか?」
【うー……やってみるっス】

 アルギュロスが明滅し、銀色の光を放つ――だがそれは普段の光と比べて酷く弱々しい。本来、アルギュロスが起動時に放つ光を稲妻とするならば、今のそれはまるで切れかけた電球だった。光が弾けて変身完了、というのがお約束なのだが、今回は弾ける事無く、空気に溶ける紫煙の如くに薄れて消える。光が消失した後に残っていたのは、アンダーシャツとスパッツだけ、つまりは下着姿と大して変わらない格好のフラットと、待機形態である銃弾の姿から変わらないアルギュロス。
 昨日、水晶髑髏と二度目の接触の際、再び魔法技能を奪われてしまった結果である。幸いだったのは、それによって記憶が飛んでいない事か。ただしそれも“不幸中の”という枕が着き、そうでなければはっきりと、それは不幸でしか無い。
 
「くそ、やっぱりか……」
【……申し訳ないっス】

 しょんぼりとアルギュロスが謝るものの、実際のところ、彼には何ら非が無いと言って良い。
 インテリジェントデバイスは本来、自動で起動・展開する事が可能だ。それが不完全にしか変形出来ないという事は、フラットの不調がアルギュロスに何らかの不具合を引き起こしている可能性が高い。大口径カートリッジに耐え得るだけの剛性を備えており、フラットの荒っぽい使い方からつい忘れがちになるが、インテリジェントデバイスはそもそも繊細な代物なのだ。
 もういい、戻れというフラットの指示に従い、アルギュロスが再度光を放って、衣服が元に戻された。

「使える魔法は飛行程度、か。障壁も碌に張れなくなってやがる……飛車角落ちどころじゃねえな、こりゃあ」
【金将も銀将も桂馬も香車も落ちてるっスよ】

 反して、向こうは飛車と角行が二揃えある様なものだ。こんな不公平な対局、真っ当な棋士なら盤を引っ繰り返すだろう。ただし無論、フラットは棋士では無いし、その不公平を声高に主張する人間でも無い。
 寧ろ――

【……ご主人?】

 ふと、アルギュロスが呼びかけてくる――いつも通りに電子音声で構築される言葉であったが、そこにどこか怯え、或いは戸惑いの様な感情が含まれている事に、フラットは気付いていた。
 いや、怯えというと少し違う。それは、そう、畏れに近い感情だろうか。

「なんだ。どうした、アルギュロス」
【いや、どうしたってほどのものでも無いっスけど……なんか、嬉しそうだなって】

 嬉しそう。そう言われて、何かがすとんと嵌った気がした。
 確かに嬉しい。敵が居る事が嬉しい。強い敵が居る事が嬉しい。叩き潰すべき相手の存在が嬉しい。そして圧倒的不利を強いられるこの状況が――この逆境が、何よりも嬉しくて、楽しい。
 まるで鮫だ。泳ぐ事を止めれば死んでしまう。喰らう事、噛み付く事を止めれば生きていけない。フラットは己がそういう存在であると認識している。今の状況はまさしく望むところ。分かり易い・・・・・敵が居る今、その思考は実に単純シンプルに一本化されている。
 魔法があろうと無かろうと。
 敵を叩きのめす事に、変わりは無い。

【イカレてるっスねえ、ご主人】
「ま、否定はしねえさ」

 アルギュロスの言葉に、フラットは肩を竦めてみせる。
 確かにまともでは無い。魔導師と非魔導師の戦力差は今更説明されるまでも無い。一般人が魔導師に立ち向かおうなどと、良く有る例え話だが、竹槍一本で戦車に突っ込んでいくのと何ら変わり無い。フラットがやろうとしている事は、つまりそういう事。
 シャロンは協力を確約した。記憶と知識と経験を保障するとも言った。だが、だからと言ってそれを鵜呑みに出来るほど、フラットは楽天的では無い。シャロンを疑っているという訳では決して無く、もし彼女が失敗したらと、そう考えてしまうのだ。しかし、だからと言って“魔法無し”で挑もうと考えるのなら、やはりそれはまともでは無いだろう。
 しかし。
 しかし――だ。
 確かに竹槍で戦車に挑む様な真似かもしれない。だがこの場合、戦車とはヴェイニィそのものでは無く、ヴェイニィが使う魔法の事だ。扱うのが人間である以上、付け入る隙は確かに存在する。
 どこにあるのかまでは、不明だけれど。

「まあ、いいさ。何にせよ明日以降だ。……行くぞ、アルギュロス」
【了解っス、ご主人】

 ひょい、と二階のベランダから飛び降りる。幸いにもフェイト達にその姿を見られる事は無かった。もし見られていたら、またフェイトがうるさかっただろう。
 フェイトとなのは、それにアルフは、湖のほとりに座りこんでお喋りしている。女三人寄れば姦しい、加えて今はアルフの上に杏露(本来の白鴉の姿だ)が乗っている、格言通りかどうかはともかくとして、話はそこそこ弾んでいる様だ。
 さて、何を話しているのやら。

「よう、何話してんだ」
「あ、フラットちゃん」

 なのはが振り向くと同時に、くぁ、と杏露が一声鳴いた。
 
「今ね、杏露ちゃんが見てきた世界の話を聞いてたんだ」
「杏露が?」
「杏露、シャロンと一緒に色々な世界を回ってたんだって」
「はあん……」

 なのはの言葉をフェイトが引き継いで、それに同意を示す様に、もう一つ杏露が鳴く。
 フラットはフェイトの横に腰を降ろし、アルフの頭上に居る杏露を見上げる。見た感じは普通の鴉だ。白い羽毛と葡萄色の瞳のせいか、遠目には鳩の様にも見えるが、この距離でははっきり鴉と分かる。ただ鴉というのは概ね不吉なイメージが付き物なのだが、杏露からはそれを感じない。その辺は羽毛の色によるものというより、彼女の性質なのだろう。

「おい杏露、シャロンの言ってたあれ、本当なのか?」
「くぁ?」
「ほれ、“眠れる森の美女スリーピング・ビューティ”ってあれだ。水晶髑髏ロストロギアの製作者って事は、もう何百年から昔の人間って事だろ? そんな事が有り得るのか?」

 プログラム生命体であるヴォルケンリッターの面々ならともかく、魔導師とは言え普通の人間が、眠っているだけにしても生き続けていられるものだろうか。
 魔法は決して万能では無い。不老不死の魔法など存在しないし――もし存在していたのなら、プレシア=テスタロッサはもっと別の手段を取っていただろう――、SFなどでお馴染みの冷凍睡眠コールドスリープもまだ実用化には程遠い。少なくとも、数百年の睡眠から目覚めて後遺症が無いかどうか、未だ検証されてはいない。

「くぁ、くぁ」
「……人間語を喋れ、杏露」

 アルフの頭から飛び立った杏露が、一瞬光に包まれ、次の瞬間には少女の姿へと変異する。

「んーと、ごめんな。杏露、わからないよ」
「分からない……? お前、シャロンの使い魔だろう?」
「ん。杏露がシャロンに拾われたの、半年くらい前の事よ。ミッドで飢え死にしてたところを助けてもらったよ」
「何だ――古くからの付き合いって訳でも無いのか」
「シャロンの燃える口づけを受けて、死体ではいられなくなったよ」
現人鬼あらひとおにだったのか、あいつ」

 飢え死にの部分はスルー。
 多感な年頃の少女達にエグい話を聞かせたくない。
 そう言えば、とふと、フラットは考える。使い魔というのは動物が死亡する直前直後に人造魂魄を憑依させる事で造られる疑似生命という事だが、その死体の状態というものは、使い魔の状態に影響しないのだろうか。
 餓死した動物を使い魔にしたらがりがりに痩せてるとか、車に轢かれた動物だったら脳味噌はみだしてるとか。
 ……あまり上品な考えでは無い。

「ああ、ミッドでそんな映画があったわね」
「あるのか……って、シャロン?」

 いつの間にか、シャロンがフラットの背後に佇んでいた。

「とある魔導師が腐りかけの熊の死体を無理矢理使い魔にしたら暴走して、周囲の人間を片っ端から襲うって映画ね」
「フランケンシュタインみたいな話だな……ホラーかスプラッターかパニック・ムービーか知らないが、その辺りはどこの世界でも似通ってくんのか」
「いや、それポルノ映画よ」
「どこにエロ要素があるんだ!?」

 ネクロフィリアという性癖があるのは知っているが、それも普通はホラーかスプラッターの題材になるのが普通だ。ミッドチルダではそういうのが流行なのだろうか。それが一般的で無い事をただ祈るばかりである。
 いや、一番恐ろしいのは、そんなポルノ映画の内容を知っているシャロンなのかもしれない。

「準備は終わったのか、シャロン」
「厳密には終わっていないけど、まあ、後は出来上がりを待つだけね。時間がかかるのよ。という訳で、はい」
「?」
 
 シャロンが差し出したのは――いや、それはサイズ的に“差し出した”という表現が出来るものでは無かったが――大きな竹籠。サイズは軽く一メートルを超えるだろう、杏露くらいの体格ならすっぽりと入る。竹籠と言うよりは竹で編まれたドラム缶だ。背負う為のものか、二本のベルトがついている。

「夕食のおかず、獲ってきて頂戴」
「は――はあ?」
「人数分の材料が無いのよ。今日あたり買い物に行くつもりだったんだけれど、その暇も無くなっちゃったし。適当に山菜なり魚なり獲ってきて」

 それだけ言うと、もう用は済んだとばかりにシャロンは踵を返す。振り向く事も無くすたすたと歩み去るその背中を、フラット達はただ呆然と見送るしか出来なかった。









 フラット達に竹籠を渡した後、シャロンは直接ログハウスに戻らず、その裏手に回った。
 シャロンがこの世界に来た目的は既に彼女が自身で口にした通り、水晶髑髏、正確にはその中に収められているデータの確保にある訳だが、しかしそれだけなら此処に居を構える必要は無い。最も近くにある町とて10km近く離れている、生活必需品の買出しもままならない。拠点とするには不便に過ぎる。また実のところ、彼女は水晶髑髏の所在を掴んでいた……先日フラット達が忍びこんだ古城にあると知っていたのだから、そこから遠いこの場所を選ぶ理由は益々見つからない。
 ただしこれらは、ある一つの条件によって簡単に裏返る。人目を避ける、という条件が付けば、ここほど便利な拠点は無い。人里との距離は離れていた方が良い。古城を根城とするマフィアに自分達の存在を知られてはならない。相手が広域次元犯罪組織トライアッズであるならば、尚更。
 してみると、今の状況――フラット=テスタロッサを始めとする少女達を匿っている今の状況はあまり歓迎出来なくもあるのだが、不確定要素の介入はどんな計画であっても付いて回るもの、諦めとはまた別の意味で、シャロンはそれを受け入れている。
 だがそれでも、どんな不確定要素や予想外の事態が起こったとしても、変更する訳にはいかない事もある。計画の根幹では無く計画の前提として、ここだけは人目に触れさせる訳にはいかないという部分が。
 夕食の材料を獲ってこいと彼女達に言ったのは決して嘘では無かったが、しかし口実である事を否定は出来ない。
 この場から、遠ざける為の。

「起動」

 ぱちん、とシャロンは指を鳴らす。次の瞬間、シャロンから一メートルほど離れた場所に濃紺色の魔法陣が展開。ミッドチルダ式ともベルカ式ともやや違う、六芒星の内側で円が回転する魔法陣。とうの昔に廃れたローカルな魔導術式。それを扱うという事そのものが、彼女が先程フラット達に吐いた言の――ロストロギアの製作者であると――裏付けと言えた。
 目の前の魔法陣に軽く手を翳し、呪文の詠唱を行なう。儀式魔法の一種なのだろうが、これもまた、ミッド式やベルカ式のそれとは異なる構成。恐らく誰かがこれを目にしたところで、すぐには理解出来まい。ならば人目を避ける必要など無い様にも思えるが、しかし隠さなければならないのはこの魔法陣の構成では無く、ミッド式とベルカ式以外の魔導術式が存在するという事実の方。
 しゃん、と鈴の鳴る様な音と共に魔法陣が一度明滅。そこからふわりと光球が浮かび上がってきた。テニスボール大の光球にそっと指を刺し、掻き回す様にその中で指先が円を描く。

「構築率47.5%……魔力反応を抑えると、やっぱり構築速度はこれくらいが限度か……」

 今夜は徹夜ね。
 ため息混じりに、シャロンはそう呟く。
 本来ならばもう少し時間をかけて、確実に構築していくつもりだったのだが、フラット達がトライアッズと接触してしまった事でかなり前倒しする羽目になった。時空管理局が出張ってきたのだ、いつ彼等が店仕舞いして、この世界から出て行ってもおかしくは無い。水晶髑髏を持ち出されてしまっては元も子もないのだ。
 とは言え、向こうにも撤収準備というものがあるだろう。それにシャロンの方でも幾つか手は打ってある、今日明日に奴等がこの世界から姿を消す事は無い。これは予想で無く、明確な事実としてだ。――それをフラット達に伝えてはいないのだが。
 また管理局は組織の巨大さに比例して、初動が遅くなる傾向がある。どれだけ早くても局員がこの世界に来るまで三日はかかる。一刻を争うというほど切羽詰っている訳では無く、明日の朝までにこれが出来上がるのならば、充分に余裕はある。
 それに、決して悪い事ばかりでは無い。“コレ”が出来上がり、いざトライアッズと事を構えるにあたって、人数――手数が増えたのは単純に利点だ。初期案ではシャロンが自身で前線に出るつもりでいたが、その必要も無いだろう。
 切った張ったの荒事は、得意かどうかはともかくとして、好きでは無いのだ。誰かに任せられるというのなら、それに越した事は無い。

「予定より随分と早くなるけれど――まあ、それもそれで、悪くないわね」

 最終的な目的・・・・・・に一歩近づくのだ。悪い筈が無い――意図しないところで早まったのだから、決して良いとも言いきれないのだが。
 くすりと笑みを漏らして、シャロンは魔法陣を解除する。光球もふいと消えて、その場に静寂が戻った。
 さて、読み残しの本でも読んで、夕食の材料が届くのを待つとしよう。こきりと軽く肩を鳴らして、シャロンは家の中へと戻る。
 

 ――その姿を物陰から眺めていた銀色・・に、彼女は果たして気付いていたか。









 さてさて。
 その日の夕食については、多くを語る必要は無いだろう。フラット達が集めてきた山菜を味噌仕立ての鍋物に、湖で杏露が獲ってきた魚(丸呑みした魚を吐き戻すという、まるで鵜飼いの様な獲り方だった)を塩焼きにといった具合にシャロンが料理し、素朴ながらも温まる夕食に皆が舌鼓を打ったと、それだけの描写に留める事とする。
 閑話休題。
 
「――はっ!?」

 フラットが気付いた・・・・時、周囲の風景は一変していた。
 つい先程まで、貸別荘のリビングに居た筈なのだが――いつの間にか、何処か別の場所に運ばれている。
 運ばれている、というのは自分の意思で此処に来た訳では無いという意味だ。一瞬前までの記憶が屋内でのものであるのに対し、今フラットが居る此処は屋外。ただしあの貸別荘からはそう離れていない、貸別荘の灯りが彼方に見える。
 ずきずきと後頭部が痛む。まるで誰かに殴られた・・・・様に。疼痛を堪えながら周りを見回す。周囲四方は森に囲まれており、上を向けば満天の星空。一段低く窪んだ地面はごつごつとした岩で周囲を囲い、足元には滑らかな石が敷き詰められ、そこに湯が張られていた。
 フラットが居るのも、湯が張られた窪みの中。窪み自体は結構な広さがある、五メートルはあるだろう。深さは一メートル弱というところか。天然の窪みでは無く、人の手が入っている事は間違いない。何せフラットの背後には人の顔っぽい彫刻が施された円い盤があり(まんま『真実の口』だ)、その口からだばだばと湯が窪みの中に注がれているのだ。普通ライオンだろそれ。
 何処だ此処は――と、考えるまでも無く。

「あ、フラット。起きたんだね」

 何より。
 フラットの顔を覗き込んでくるフェイトになのはにアルフ、そして自分と、四人が四人とも湯浴み着を身につけただけの格好で、湯に浸かっている。
 浴場。
 温泉。
 言うまでも無く訊くまでも無く、考えるまでも無く――露天風呂だった。

「とんでもねえ力技使いやがったな!」
「え? え? どうしたの、フラット?」
「どうしたじゃねえー!」

 おろおろとうろたえるフェイトに、噛み付く様な調子でフラットは声を荒げる。
 ――夕食後の事だ。片付けを終えたシャロンが、貸別荘のすぐ近くに温泉があると口にした。このログハウスにも一応浴室はついているのだが、シャワーを浴びるだけの機能的に過ぎる造り……ぶっちゃけ狭いので、広々とした露天風呂に行かないかという誘いである。
 なのはとフェイトは即了承した。フェイトが行くと言うのなら、アルフに断る理由は無い。杏露に至っては言わずもがな。
 となると問題はただ一人。フラットである。
 
『――あ? いや、俺はいい。お前等だけで行ってこい』

 これまでにも散々述べてきた事だが、フラット=テスタロッサの肉体は九歳相当の少女であるものの、その精神は十八歳男性のもの。絵面的にはともかくとして、一緒の風呂というのは明らかに犯罪だろう。まあフラットがここまではっきり言葉にして考えた訳では無いが、ともあれ、己の中の良識に従って、フラットは温泉に行かないかという誘いを蹴った。
 当然、はいそうですかと引き下がる少女達では無い。なのはは頬を膨らませ、フェイトに至っては目に涙を溜めてじっとフラットの顔を覗きこんでいる。処置なしとばかりに首を振っている狼と、その背に乗っている白鴉に関しては、別にどうでも良いのだが。
 大概、フラットが根負けして、フェイト達に付き合うというのがいつもの流れな訳だが、さすがに一緒にお風呂に入ろうなどと言われて首を縦に振れる筈が無い。肉体は少女でも心は男だ。そりゃ全くこれっぽっちもぐらついていないかと言われれば否定出来ないがそれでも越えてはならない一線というものはあるだろう。ある筈だ。あると信じろ。

『い――行かないぞ』

 そんな目で俺を見るな。
 フェイトとなのはの熱視線から必死で目を背けて搾りだした声は、当然の如く当然に震えまくっていて。
 拒否は出来ても拒絶までは出来ず、視線圧力に押し潰されそうになりながら、それでももう一度、行かないと口にしようとした――その瞬間。
 
 がん、と後頭部に衝撃が走った。

 視界が一気に暗くなって、回転して。
 薄れていく意識が最後に捉えたのは、底部がものの見事に陥没したフライパンと、それを手にした青色のシルエットで――

「――で、気付いたら風呂の中かよ!」

 なんだこの露骨な拉致!
 
「だって……フラット、行くって言ってくれないし……」
「だったら普通諦めるだろ! つーかもう少し説得する努力をしろ! 実力行使に出るのが早すぎるわ!」
「フラットちゃん、ちょっと頭冷やそうか」
「俺は冷静だ! それとその台詞はあと十年経ってからだろうが!」

 風呂に入るのだから当然と言えるが、服も脱がされている。さすがに素っ裸という訳では無く、湯浴み着を着せられているが。
 なのはやフェイトも同じ格好なのが、唯一の救いか。

「五月蝿いわね、風呂場で騒ぐのはマナー違反よ」

 と。
 横合いから聞こえた声に、この強引な展開に対して文句を言ってやろうとフラットは振り向く。
 脱衣場から出てきたばかりのシャロン――そして杏露が、そこに居た。
 すっぽんぽんだった。

「ぶほぁっ!」

 思わず噴き出し、拍子に足を滑らせて湯舟の中で引っ繰り返る。あやうく溺れるところだった。しこたま湯を飲んでしまい、げほげほと激しくむせる。見かねたフェイトとなのはが背中を擦ってくれたが、それをありがたいと思うよりも、布切れ一枚身につけていない女に怒鳴る方が先だった。

「何で何も着てねえんだよ!」
「当たり前じゃない。風呂なんだから」
「湯浴み着ぐらい着てこいや!」
「嫌いなのよ、アレ。いいじゃない、女の子しか居ないんだし」
「そうだね。じゃあわたしも……」
「なのはが脱ぐなら、私も……」
「乗らなくていい! お前等は着てろ!」

 くすりと笑って、シャロンも湯舟に浸かる。手拭いを頭の上に乗せ、あ゛ー、とおっさん臭く唸った。

「シャロンさん、おっぱい大きいですねー」
「そう? 肩がこって仕方が無いのだけれど」
「シグナムより大きい……はやてが居たら大喜びだね」

 きゃいきゃいと乳談議で盛り上がる少女達から目を背け、顔の半分まで湯舟に浸かる。あの会話に加わる自信が無い。男として大事なものが木っ端微塵に爆砕する気がする。

「うらやましくないうらやましくない、巨乳なんてぜんぜんまったくこれっぽっちもうらやましくない……」

 ……時間の問題かもしれないが。

「おっぱいを大きくするには、どうしたらいいですか? やっぱり、牛乳を飲まなきゃいけないのかな?」
「ええ。牛乳は効くわ。一日10リットルも飲めば充分じゃない?」
「死んじゃいます!」
「後はそうね……色々言われてるけど、揉んでもらうのが一番良いんじゃないかしら。揉んでもらう事によって男の浪漫が乳に注入されるのよ。誰か良い相手が居たら、試してみなさいな」

 『男の浪漫』って言葉をそんな使い方すんな。
 視線でそう抗議するが、無論、シャロンがそれに応える筈も無く。
 
「冗談よ。と言うか迷信ね。下手に揉ませるとカタチが崩れるわ。私だって、誰にも触らせてないし」
「誰にもって……」
「処女ですもの」
「………………」

 あっさり言われた。
 いや、別に隠す様な事でも無いのだろうが、何かこう、あからさまに言われると有難味も何もあったもんじゃないと言うか。

「だからまあ、放っとけば育つところは育つのよ、高町なのは」

 そう言って、シャロンはなのはの身体をぺたぺたと触り始めた。触ると言ってもいやらしい感じでは無い、何となく、空港でのボディチェックの様な感じ。
 ふむ、と一つ頷いて、シャロンは微笑んだ。

「大丈夫大丈夫、目を瞠る様な巨乳じゃ無いけれど、バランスの良いスタイルになるわ、貴方」
「え、わかるんですか? 触っただけで?」
「……その……シャロン、私は……?」

 恐る恐る訊いてみたフェイトに、どれ、とシャロンが近づいていく。

「そうね。貴方はかなりイイ身体になるわよ、フェイト=テスタロッサ。なんて言うのかしらね。こう、けしからん乳?」
「け、けしからん?」
「ええ。けしからんとか不謹慎とかいう表現の似合うおっぱいよ(当然私ほどじゃないという確固たる自信の気持ちはあるけどね)」
「何か声が二重に聞こえる様な……」
演出きのせいよ」

 黒い下着が似合う様になるでしょうね、と続けて、シャロンはフラットへと視線を移す。
 ちょいちょいと手招きするシャロンに背を向け、潜水艦よろしく沈みながら離れようとするフラット――しかし当然の如く当然に、なのはとフェイトに捕まった。

「ほらほら、フラットちゃんも」
「うん、フラットも」
「いらねえよ! 離せ! つーか別に興味無えんだから!」
「どれどれ。ちょーっと動かないでね、フラット=テスタロッサ」
「指の動きが卑猥すぎんだよ!」

 わきわきと指を動かしながら、シャロンが近づいてくる。真っ裸という事もあってかなり真剣に貞操の危機を感じる。いや、貞操というと少し違う……寧ろ、実験直前のモルモットの気分と言うべきか。
 ぺたぺた。
 ただまあ、伸びてきた手は普通にフラットの身体をチェックしていくだけだったが。
 ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた。

「どんだけ触る気だ!」
「あら失礼。触り心地が良かったから。筋トレでもしてるの? いい感じに締まった上質の肉ね」
「………………」

 引き締まった身体、と言われる分には悪くない気分なのだが、肉って言い方は正直どうかと思ったり。

「ふん、貴方も結構育ちそうね。んー……そうね、フェイト=テスタロッサからマイナス1cmというところかしら」
「見てきた様に!?」

 そりゃアンケートの結果ですものと訳の解らない事を口にして(今に始まった事でも無いが)、シャロンは湯舟に浸かり直す。
 ふうと一つ大きく息を吐いて、彼女が空を見上げる。つられたという訳でも無いが、フラットやフェイト、なのはもまた、同じ様に空を見上げた。
 夜空に煌めく満天の星。澄み切った空気は星灯りをそのままの明るさで地上に通している。今日が新月にあたる日なのか、それともこの星に衛星が無い為なのかは不明だが、月の無い夜であるという事もまた、星の光を綺麗に見せていた。

「綺麗だね」
「うん」

 ぼんやりと星空を眺め、なのはとフェイトがそう感想を漏らす。感想なんてものはストレートであれば良い、文学的な修辞やら詩的な表現やらは読書感想文の課題で充分だ。感動を言葉にするなど不粋の極み、フラットはそう思っている。だからフラットもまた、余計な事は何も言わず、夜空を見上げた。
 ――そう言えば。
 夜空をこうして見上げるのも、いつ以来だろうか。“前世”では星の美しさを知る事など終ぞ無かった。彼の目は頭上では無くただ前だけを見ていたから。それは言い換えれば余裕が無かったという事でもあるのだが、何にしろ、あの頃の自分が星の美しさを知らなかったのは事実。
 ならば、今は?
 問うまでも無い。ここでフラット=テスタロッサは夜空を見上げている。それもまた事実で、少なくとも今は、それだけで良い。
 それだけで、良かった。









My mother has killed me,

「……あ?」

 時刻は深夜。明日に備え、フェイト達は既に床に就いている。フラットもまた例外では無い。夜中にふと目を覚ましてしまった事は特筆する程の不自然では無いだろう。付言するなら、そこで尿意を覚え、トイレに行こうと寝室を出る事も、別におかしくは無い。
 用を済ませ、さて戻って寝直そうとしたフラット。だが彼の耳はその時、リビングから聞こえてくるメロディを捉えていた。さすがに時間が時間だから音量はごく小さなものだったが、しんと静まり返った家の中は、その程度の音量でもフラットへ届くには充分。
 硬質な感じのメロディが、ある種の弦楽器を思わせる高音で歌い上げられる。

My father is eating me,

 歌声に引き寄せられる様に、フラットはリビングへと足を向ける。そこに居たのはやはりシャロン。照明を落し、唯一の光源であるウィンドウの前で、何やら機械を操作しつつ、どこかで聞いた歌を口ずさんでいる。

My brothers and sisters sit under the table,
Picking up my borns.
And they bury them under the cold marble stones.

「……覗き見? あまり良い趣味じゃ無いわね」
「ああまったく同感だ。誰だろうな、覗きは男の浪漫だなんて言い出したのは」
「男の浪漫って言葉をそんな使い方してほしくないわ」
「お前が言うな」

 こちらを見もせずに言うシャロンに軽く肩を竦めて、フラットもリビングに這入る。近くにあった椅子を引っ張り出して、背凭れを正面にして座った。

「良い歌だな。なんて曲だ?」
「マザーグースの『My mother has killed me.』。第97管理外世界の一部イギリスで唄われている童謡ね」

 不意に、記憶が繋がった。
 この歌と、あの時聞いた名前と、暫く前に会ったあの老人とが――漸く、フラットの中で繋がる。

「シャロン」
「何かしら」
「シャロン=ブルーブラッド=グレアム・・・・
「何かしら」
「お前――地球出身か?」

 ぴたりと、シャロンの手が止まった。

「根拠は何かしら? 名探偵さん」
「勘だ、大半はな。まあ、マザーグースを知ってるとか、地球の本に詳しいとかも考慮の上だけどよ。ついでに言うなら――シャロンって名前は、イギリス人っぽいよな」
「…………」
「ギル=グレアムって名前に、聞き覚えは無いか?」

 ギル=グレアム。
 『闇の書事件』に前後する形で知り合った、時空管理局の提督。フラットやフェイトの嘱託魔導師としての後見人であり、管理局を辞めた今でも、月に一回は(近況報告と世間話的な理由で)連絡を取っている。
 シャロンと同じファミリーネーム――気付くのが遅れたのは仕方が無いと言えば、仕方が無いだろう。こんなところで偶然会った女が知り合いの縁戚であると気付ける程、フラットはご都合主義な頭をしていない。
 それに、以前聞いた杏露の言葉とも矛盾する――シャロンはどこだかの観測指定世界出身だと、彼女の使い魔はそう言っていた。彼女が使い魔に嘘を吐く理由は無いし、使い魔がフラットに嘘を吐く理由は、もっと無い。
 ――だが。 

「黙秘権を行使するわ」
「充分だ。否定しないってだけでな」

 やはり――関係者だったか。
 まあいい、言いたくない事を無理矢理聞きだすのも、性に合わない。
 かたかたと再びコンソールを弄り始めるシャロン。ふん、と一つ鼻を鳴らして、フラットはその姿を見遣る。

「……なあシャロン。それ、作業着なのか?」
「何か問題あるかしら?」

 今のシャロンは裸にYシャツ一枚という格好である。下着も何も付けていない、変態じゃないのかと言われたら否定出来まい。なんでそんな格好で仕事してんだ、とツッコんでやりたかったが、仕事着に何を着ようと個人の自由か、と思い直し、何も言わなかった。
 ちなみにフラットの格好は白の長襦袢。何となくバカ殿を思い出す。寝間着はゆったりした服というのがシャロンのポリシーらしく、フェイトやなのはも同様の格好で、今はベッドの上で寝こけている。着方がいい加減だったのか、もうはだけちゃってとんでもない事になっていたのだが。

「つか、なんで長襦袢よ? 普通の寝間着はねえのか」
「んー。別に深い意味は無いんだけど。寝間着も無い事は無いんだけど。折角描いてくださったのに、原作本編で出す予定が無いみたいだし。ちょっとしたお遊びって言うか、リスペクトね」
「何の話だ?」
「『のるんあぷろだ』の 『♭9w.jpg』という話よ」
「???」

 偶に訳の解らない事を言う女だった。

「シャロン。もう一つ、質問良いか?」
「質問ばかりね、貴方。良いわ、代わりに私からも一つ質問させてもらうけれど」
「構わねえよ。……俺からか?」
「貴方から」
「…………お前、何が目的だよ?」

 質問の意味を量り損ねたか、シャロンは眉を寄せてフラットを見る。もう話したでしょう? とでも言いたげに。
 だが違う。彼女が語ったのは理由であって目的では無い。水晶髑髏の中に収められている記憶データの確保、それはこの地に居る事の説明であって、そのデータで何をするのか、何をしたいのかについては、何一つ語っていない。

「お前も水晶髑髏に記憶を奪われたのかと思ってた――けど昼間、裏庭で魔法を使ってた時のお前を見ると、そうは思えねえ」
「なんだ、見てたの」
「偶然な」

 その時のシャロンの表情を見て――違和感を覚えた。
 クリスマスプレゼントを待つ子供の様な、期待に満ち溢れた顔。シャロンという女にはまるで似合わないその顔を目にした時に覚えた違和感が、疑問として形を為すまで、そう時間はかからなかった。
 
「あの水晶髑髏の中には、記憶と一緒に色々な魔法が収められているわ」

 手を止めないまま、シャロンは話し始める。

「この時代には失われた禁呪なんかも少なくない……巨大化する魔法とか、性別を逆転させる魔法とか」
「マジか!? じゃあ、俺がその魔法を使えば――」
「男になれるわ。と言うか今回のSS、初期案ではその魔法で貴方が男に戻るって話だったのよ」
「なんでそっちで進めなかった!」
「男にはなるんだけれど、どうしても喪黒福造みたいな外見になっちゃうのよね、その魔法。それでも良いかしら?」
「良くねえ! それ結局『喪黒福造になる魔法』じゃねえか!」

 いや、別に喪黒福造が嫌いって訳じゃないけれど!
 『笑ゥせぇるすまん』は好きだけれど!

「喪黒福造テイストのフラット=テスタロッサか。うん、そこそこ売れるんじゃない? いちご大福みたいな感じでコアなファンがつくと思うんだけど」
「そこまでして売れたくねえ!」
「どこかの絵師さんが描いてくれないかしら」
「いらねえよ!」
「話を戻すけど。私の狙いはその中の一つ――時を遡る・・・・魔法」
「…………!?」

 発達し発展した魔導技術は、ヒトの望む大概の事を可能としている。人間を身一つで空に舞わせる事も、一個人に鉄火を超える暴力を持たせる事も。だがしかし、未だ魔法でも辿りつけない境地は確かに存在し、その中でも特に二つ、不可能の領域から出る事を許されていない魔法がある。
 一つは、死者蘇生。使い魔やクローンなどの技術はあっても、それはあくまで、生前のそれに似たものが出来上がるだけ。本来的な意味での死者蘇生は、誰も達成していない。
 そしてもう一つが――時間移動。

「無理だろ。そんな事――出来る筈が無え」
「あら。“今は無いけど昔はあった”――そんなの、魔法だの魔導技術だのじゃ良くある事じゃない。ロストロギアってのは大抵そんなものでしょう?」
「まあ、言われてみれば確かにそうだけどよ……」
「それに、失くなったのもそんな昔じゃないわ。少なくとも私は、その魔法の存在を知っている」
 
 この身を・・・・もってね・・・・、と小さく付け加えられた言葉を、フラットの耳は拾っていた。

「ふん。歴史を変えようってか? リアル『戦国自衛隊』でもやるのか? 人類のリーダーになる子供を抹殺する気か?」
「『時をかける少女』ごっこよ」
「少女って齢かよ」
「じゃあ、『時をかける処女』」
「AVのタイトルっぽくなった!?」

 かたん、とコンソールを一つ叩いて、シャロンは指を止める。そこで漸く、彼女は正面からフラットに向き直った。

「冗談よ。――会いたい人がいるの。もう会えなくなった人。私の記憶の中にしかいなくなってしまった人」
「恋人か?」
「デリカシーの無い娘ね。……弟よ。血は繋がってないけれど。可愛い可愛い、私の弟」
「なんだ、ブラコンだったのか」
「基本でしょう?」

 そう言って、シャロンは微笑む。不思議とその笑みに、邪悪さは感じなかった。
 成程。
 この女は――別の、可能性か。
 この時、直感的ではあったが、フラットはそれを理解する。
 最初にシャロンに会った時、プレシア=テスタロッサを思い出した。何が似ている訳でも無いのに、どこか似ていると、そう感じた。ただの偶然、気のせいだろうと深く考えてはいなかったが、こうして見ると、彼女達は酷く良く似ている――見た目では無く、その在り方が。
 死者蘇生と時間移動。彼女達がそれぞれに追い求めた禁呪。それらはまったく別のものでありながら、つまるところ、同一の目的によって求められている。
 『もう会えない誰か』に『もう一度会いたい』、と。
 死んだ娘に会いたい。別れた弟に会いたい。それは決して簡単では無い、前者は死によって、後者は時間によって、生者と断絶している。故に彼女達は禁呪を求め、ロストロギアにその望みを託す。
 フラットが覚えた既視感は、決して間違いでは無かった。
 強いて違いを挙げるとすれば、プレシア=テスタロッサには時間制限が課されており、シャロン=ブルーブラッド=グレアムにはそれが無い事だろうか。
 時間は人間を変質させる――優しい母親を、冷酷な魔導師へと変貌させた様に。
 
「じゃあ、次は私の番ね、フラット=テスタロッサ」
「ちっ……何が訊きてえんだ? 趣味か、特技か、スリーサイズか? クリス・タッカーばりの軽妙なトークで聞かせてやるぜ」
「は。良く言ったものね、クリズウェル」

 不意に、展開されたままのウィンドウから電子音が鳴った。かたかたとコンソールを操作し(「あ、しまった」とか言っているのが凄く気になる)、音を止めてから、シャロンは口を開く。

「フラット=テスタロッサ。貴方、何故其処に居るの?」
「……ああ?」

 随分と脈絡の無い質問。脈絡以前に言葉が足りていない。その意図を掴めず、聞き返してしまったのも、無理からぬ事だろう。

「見ていると不憫で仕方無いのよね。牙を折られ爪を抜かれ首輪を嵌められて檻の中に居る猛獣みたいで。貴方はどう見ても“壊す側”の人間なのに、“護る側”の人間と一緒に居るのが不思議で堪らない。ストレスが溜まらないかしら? 管理局の下で行使出来る暴力なんてたかが知れてるでしょう。制限無しに制約無しに、かつての様に・・・・・・何もかもブチ壊してしまいたいとか、誰も彼もブチ殺してしまいたいとか、思った事は無いかしら? ……フェイト=テスタロッサと高町なのはが邪魔になった事は、無いのかしら?」

 そう問うシャロンの瞳が、サファイアブルーの瞳が、まるでうろの様に光を呑み込む深みとなって、フラットを覗き込む。
 纏わりつく言葉は悪魔の誘惑。一度耳を貸せば、奈落の底まで真っ逆様。だからこそと言うべきか、その言葉はどこか心地良い。自己の境界が世界に溶ける、脱力感にも似た感覚をぬるま湯に浸かった様に胡乱な脳髄で味わいながら、フラットは――

「無えよ」

 ――否定の言葉を、口にした。
 
「シャロン、俺の名前を知ってるか?」
「ジャギ様」
「それは違う」
「ラディゲ様」
「それも違う」
「フラット=テスタロッサ」
「ああ。フェイト=テスタロッサので、高町なのはの友達・・の、フラット=テスタロッサだ。……これ以上の説明が要るか?」

 確かに欲求不満は溜まる。何もかもまとめて吹っ飛ばしてしまいたいと思う事も、皆無とは言わない。だがそれでも、己の存在理由レーゾン・デートルを蔑ろにしてまで、力を行使したいとは思わない。
 フラット=テスタロッサは、今の自分を気に入っている。家族が居て友達が居て仲間が居る、今の自分フラット=テスタロッサが。
 悪魔の誘惑が入り込む隙間は、無い。
 
「ぷっ……あははっ! あはははははは! そう! そういう事! それじゃあ仕方無いわね――あははははは!」

 噴き出す様に笑うシャロン――酷く透明で、裏の無い、少なくともフラットが初めて見る、それは哄笑だった。

「ふふふ……ごめんなさい、本当、余計な事言ったわね。けど欲を言えば、もう少し叙情的リリカルな言葉が欲しかったわ」
「仕方ねえだろ? いつだって俺が拠って立つのは不条理アブサードだ。叙情的リリカル人間的マジカルな物言いはあいつらに任せるさ」

 さて、とフラットは立ち上がる。随分話しこんでしまった、もういい加減に寝た方が良いだろう。
 居間を出て行くフラットに、シャロンはひらひらと手を振る。もうフラットを見てもいない、視線はウィンドウに向けられているし、振っていない方の手はかたかたとコンソールを弄っている。
 と。

「ああ――そうだ。一つ、言い忘れていたわ」
「あん?」
「とても、大事な事――本当なら、一番最初に言わなければならない事よ」

 何だろう。
 シャロンの顔は酷く真剣で、自然、それを聞くフラットも身構えて。













「『この番組はTANK様とActionHPの提供でお送りしています』」
「うるせえよ」






Turn to the Next.






後書き:

「本編でもやってない風呂シーンやっちゃったんですけど、まずかったですかね?」
「いえいえ、むしろ良くやってくれました」

 台詞回し等のチェックをお願いした際、そんな感じのやり取りがあったりなかったり。
 という訳で、第三話でした。お付き合いありがとうございました。
 
 今回はインターミッションというか、幕間的な位置づけの一本です。なので戦闘無し、会話シーンが大半となっております。
 動きの少ない話なのでいまいち盛り上がりに欠けるのですが、一応、本作における諸設定の説明という事で、ご理解ください。
 
 あとフラットの寝間着。作中でシャロンが言っていた通り、本編で使う予定が無いとの事で、これ幸いとこっちで使ってみました。
 当初は某カードキャプターのキャラクターが描かれたパジャマを着せるという嫌がらせを行う予定だったのですが、フラット(長襦袢ver.)が凄く素敵だったので、使用させて頂きました。シャロンの台詞にもある通り『のるんあぷろだ』の『♭9w.jpg』で見る事が出来ます。
 ただ絵師さんと連絡が取れなかったので(連絡方法が分からなかった)、無断借用になっちゃってます。勝手に使ってごめんなさい……問題ある様でしたら、本作は削除して頂きますので。

 といったところで、今日はこの辺で。





 余談(どうでも良い話)。
 フラットの「クリス・タッカー」に対してシャロンの返した「クリズウェル」。友人数名に本作を見せたところ、誰一人元ネタが分からなかった……『死霊の盆踊り』って映画、見た人いませんか? 或いは『プラン9・フロム・アウタースペース』でも良いんですけど。


 







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代理人の感想
シリーズに一回はあった温泉回ですね、分かります。
まー、そう言う回はファンサービスに紛れて伏線埋め込むのが世の常人の常ではありますが。
後提供言うな、吹いたじゃないか(笑)。

>峠美勒
正直、それすら微妙な所がw
現状だとストライクに溝呂木ポジじゃないですか?(ぉ

>クリズウェル
さすがに言われるまで思い出せなかったwww


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