「本日快晴問題無し」

                                yasuoman

 

 かなり前の話になるが、某テレビ番組の企画で、名も知らない若手お笑い芸人のコンビが半ば強制的に海外へ

と連れ出され、ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断させられていた。俺はそのお笑いコンビが、少ない旅費のも

と、見た事も無い街で野宿をしたり、見知らぬ人達との出会いや別れを経験しながら、ひたすらヒッチハイクで前に

進む姿を見て酷く衝撃を受けた。と同時に無性に羨ましく思えた。

 そこには何かがあった。ただヒッチハイクを繰り返しながら様々な人間や文化と触れ合うだけの旅なのだが、そこ

には感動に似た類の大切な何かがある気がした。旅というものには人の心を震わす何かがあると思った。

 普段の生活の中では味わえない興奮する何かが旅には存在する、もしくは体験できる、と考えた当時中学生だっ

た俺は、いつか旅に出てやる、と固く決意した。しかし生来の無計画で遅刻常習者の俺が本当に旅に出たのは、

昨年の九月の事だった。とりあえずどこでもいいから家を飛び出そう、と軽い気持ちで家を出て行ったので、もちろ

ん行き先なんて決めてなかった。なので自分の好奇心と財布の金に全ての采配を委ねる事にした。

 これは、そんな俺の自分探しの話。

 

 

 

 財布の中には、福沢諭吉の紙幣が二枚だけ顔を覗かせていた。

 この紙切れ二枚でどこまで行けるものなのか。

 昨晩、俺はそんな好奇心と明日への期待感で胸を膨らませていた。幼い時の遠足の前日に似ている感じだ。ひ

どく落ち着かない。だからと言って俺は、興奮して寝不足になる事は決して無い。いつも通りにテレビを見て、いつも

通りに寝る前の煙草を一服吹かして、いつも通り寝床に入る。確かに心は興奮していたが、今はその興奮さえも睡

眠意欲を発生させる源になっている感じだった。意識が途切れる瞬間に、ああぐっすり眠れそう、と心で呟く。灯を

消した暗い室内に、デジタル時計の数字がくっきりと浮かび上がっていた。

 翌日、予定していた出発時刻は十時頃だったのだが、結局家を出たのは三時前だった。五時間も遅れた事に対

して、まあ余裕だろ、と考えてしまう俺は、時間厳守の現代社会ではまず生きていけないだろうな、と自嘲混じりの

苦笑をするのが精一杯だった。そして雲一つ無い空のように、眠気もなくなった朝を迎えた俺は、行くあても無けれ

ば、帰る日も分からない、一種の非日常へと向かって、大きいナップサックを背に家を出る。

 兵庫と大阪のほぼ県境に住んでる俺は、やっぱし大阪の中心地『梅田』に出ないことには始まらないかな、と思

い、まず梅田に向かう事にした。

 家からバスに乗り最寄りの駅まで出てきて、梅田に向かうべく電車に乗る。夏の暑さが残る九月の初旬。半袖の

TシャツにGパンという姿でも、背中の方から汗が滲み出てくる。いくら車内の冷房がフル稼働していても、防ぎよう

の無い事だった。冷房の風が天井から提げられている広告をゆらゆらと揺らしている。時刻は三時半。人がまばら

な車内に夏の太陽が照り付けて、首筋をチリチリと焼く。規則的に流れていく外の景色は、一瞬だけメリーゴーラン

ドを連想させた。

 梅田までの車中、俺は今後の行き先についてもう一度深く考える事にした。まず選択肢は二つあった。大阪から

西へ行くか、東へ行くかだ。これは迷う事無く東へと決定した。西へは何度も行った事があるのであまり面白く無

い、というのが理由だった。しかし東と言っても漠然とし過ぎている。だからここで金の面も考えて、三つの選択肢を

作った。和歌山へ南下するか、名古屋を目指すか、北陸へと北上するかだ。しかしここまで考えると自分の行きた

い場所がはっきりと見えてくる。俺は北陸へと向かう事に決めた。理由は、行った事が無いからだ。そして後の細か

い所まで決めない事にした。その方が場所に囚われず、見たいと思ったものだけを見れると考えたからだ。結局ど

こまでいっても好奇心で動いていた。

 梅田に着いた俺はさっそく北陸に向かうためJRに乗り換える。もちろん特急電車なんて乗らない。少しでも安い

普通電車で北陸を目指す。大阪駅のホームは通勤客だか観光客だかで混み合っていた。人々の口走る僅かな声

が束となり、駅のホームに蔓延していた。そんな慌しい中でもセミの声は元気に存在感を放っていた。それからしば

らくして京都行きの列車がホームに入って来た。電車に乗り込んだ俺は、空いている席を見つけ、ドカッと座り込

む。どうやらナップサックが重すぎて想像以上に足にきているようだ。いつのまにか寝ていた。

 起きるとどこか知らない駅で停車していた。そして気付いた瞬間にドアが閉まり、アナウンスで次の駅は向日町駅

だとしらされる。京都まで後少しだった。夏の元気な太陽はなかなか西に沈もうとせず、まだ昼の光を放っていた。

窓から見える景色は初めて見る街並み。知らない橋を渡り、知らない街を通り、知らない駅へと向かう。全てが新

鮮だった。俺は初めて見る景色に心躍る気持ちを抑え、じっと外を眺めていた。

 京都駅は想像以上に大きい駅で、大阪駅よりも綺麗な駅だった。しかしここで、京都からでは北陸へと続くJR湖

西線が発着していない事に気付き、湖西線の出発駅である山科駅を目指すため、俺は足早に京都駅を去る事とな

った。JR湖西線は琵琶湖の上を通って敦賀へと抜ける、言わば上ルートだ。山科駅から乗り込んだ電車は空いて

いて、俺は座席一杯に足を広げてくつろいだ。ゆらゆらと電車に揺られながらまったりとした時間が流れる。ガタゴ

トという音が心地良く耳に入って来る。踏み切りの通過音が聞こえたかと思えば、あっというまに流れていった。座

っているために窓からは、赤みを薄く含んだ空しか見えない。俺は外を見るためにくるっと身体を回し、座席の上に

正座する形で外の世界を見つめる。電車は見渡す限りの田んぼに囲まれていた。どこか懐かしい雰囲気を放って

いる。西日へと変わった太陽が車内に入り込んで来て、黄昏という時間を作っていた。まるで時間が止まったかの

ように、まるで永遠に電車が止まらないかのように、まるで永遠に夜が来ないかのように、黄昏は俺にとっての非日

常を見事に作り出している。俺は無性に、この黄昏に会えた喜びと、いつか消える悲しみ、両方の止まらない想い

を感じていた。

 いつしか日は沈み、車内の灯が外に漏れ、電車は闇の中をひた走る光の帯となっていた。車内は仕事帰りの通

勤客で混雑し、知らない駅に止まっては人が入れ替わっていた。もうどれくらい来たのだろうか、と思っても地図や

路線マップなんて持ってきてなかったので、知る由も無い。そう思うと急に電車に揺られる事に飽きて、次の駅で降

りる事にした。

 時間はもう夜の七時過ぎ。志賀駅という駅で降りた。ホームは闇に包まれて駅の照明が弱々しく光っていた。鈴

虫やら蛙やらの声が辺りに響いている。しかし何も無い。ホームの照明意外に遠くで瞬く街灯が見えるだけで、ほ

かには何も見えない。とりあえず煙草に火を点け、駅の外に出てみる事にした。この駅の改札は無人だった。正確

には夜だけ無人。切符入れの箱があるだけで、改札は素通りできる。悪いがこんなの初めてだった。もちろん潔く

切符入れに切符を投げ込み、外へと出る。暗くてよく分からないが、どうやら山に囲まれた駅のようだ。駅の前には

国道か市道か分からない道路が一本通っていて、道路を挟んで駅の向かい側に酒店があった。少し離れた所にも

民家があったが、ポツポツと数軒見えるだけで、後は暗いから何も見えない。道路の街灯には虫が一杯まとわりつ

いていた。とにかく俺は、たまに思い出したように車が通る道路を渡り、酒店の店先にある自販機へと駆け寄ってミ

ルクティーを購入した。それを片手に、心地よい虫の合唱を聞きながら辺りをぶらつく。駅前の自転車置き場には

照明が無かった。よく見ると駅から少し離れた所に公衆電話がある。もちろんそのガラス窓にはピンクチラシなんて

貼っていない。たまに通る車の通過音が、残響音のようにいつまでも耳元から離れない。和らいだ風はほんのりと

草の匂いがした。

 散策にも飽きた俺は駅の待合室に戻って、今後の事について思考を巡らす。今日の最大の問題は寝る所だ。最

初から駅の待合室で寝ようと考えていたのだが、この駅は静まりかえっていて、一人で寝るにはちょっと寂しい。そ

して腹が減っても食料を買える店が無いのには参った。たぶんここらにはコンビニは無いだろう、と勝手に決め付

けた上での結論だ。俺はしばらく考えた末にもう少し大きな駅まで進む事に決め、電車が来るまで煙草を吸いなが

ら、持ってきた小説を熟読する事にした。その時、京都方面行きの電車がホームに停車して、中から帰宅途中の

会社員やら女子高生とかが数人降りてきた。皆慣れた感じで無人改札を通り過ぎていく。その時に通り過ぎた女子

高生の後姿がなんとなく可愛いくて、俺は見惚れていた。

 やって来た電車も人がまばらで閑散としていた。外を眺めようにも車内の電灯が邪魔をして何も見えない。仕方

が無いので、おとなしく座席に座る。その時、車内アナウンスが「今から車両電圧の切り替えのため、一分少々車

内の照明を落とさせて頂きます」とくぐもった声でそう告げた。いまいち状況を把握していない俺が「え? 暗くなん

の?」と小さく呟いたかと思えば、瞬く間に車内の全ての電気が消えて、真っ暗闇となっていた。電気が消え失せた

おかげで、窓からは外の世界の灯りがくっきりと見える。山に囲まれた灯りの上にいくつもの星が輝いていた。この

区間だけ真っ暗になるって事は、この区間だけ痴漢続出だろうな、と考えずにはいられなかった。

 次に適当に降りた駅も無人駅だった。駅の名は近江中床という。先程の駅より少々大きい。駅前に立ち並ぶ住

居は、夜の十時頃だというのに静まりかえっている。俺はコンビニを見つけるため、周囲を散策する事にした。駅前

に伸びる道路を挟むように建てられている住居群も、十五分程歩いたら消え失せて、後は田んぼが広がっていた。

果てしなく広い田んぼの隅々からは虫の音が聞こえてくる。弱々しい照明に照らされて道路に落ちる俺の影は、真

っ黒だ。煙草を取り出し、火を点ける。白煙が宙を舞って後方に流されていく。真っ黒な俺は止まる事なく、弱々し

い照明に照らされた暗闇を歩き続ける。なんとなくお気に入りの歌を口ずさんでいた。

 俺は少し離れた所にあったコンビニで弁当とお茶を買い、駅の待合室へと帰った。木製のベンチに崩れるように

へたり込み、少し遅い夕飯を食う。あいかわらず駅の電気にまとわりつく虫がうっとうしい。疲れていた俺は、食べ

終えても周囲を出歩く事なく、待合室で煙草を吸ったり、本を読んだり、ウォークマンで音楽を聴いたりして、くつろ

いでいた。本当に静かだ、と思う。たまに通る電車も一時間に一本、といった感じで、後には虫の音しか聞こえてこ

ない。静寂の世界。誰もいない閑寂な世界。俺は当たり前のように寂しく感じたが、不思議とその寂しさを愛しく感じ

ているもう一人の俺が居た。心の中の奥深く眠る、誰にも触る事ができない俺の精神は、この刹那の空間と酷似し

ている気がする。なんとなく心が昂った俺は、煙草に火を点けて駅の外へ出た。そして煙を胸一杯吸い込み、吹き

付けるように夜空へと向けて白煙を吐く。吐き出した煙は、暗い夜空を漂うように舞って消えていく。俺はいま確か

に、日常の背に隠れて普段は姿を現さない『自由』を、抽象次元さえをも乗り越えて、肌で感じていた。と同時に、や

はりこの感覚もやがては瞬間に燃えて無くなって、もう二度と俺の前に姿を現さないんだろうな、と悲しんでいる俺も

居た。そんな事を考えながら、もう一度煙草を吸い込んだ。

 しかし孤独の空間もそう長くは続かない。一人煙草を吹かしていると、地元の人間と思われる若い男女が待合室

に入ってきた。二人は仲睦まじくひっきりなしに話している。少々の居辛さを感じた俺は、本に没頭する事にした。で

もどうしても会話が耳に入ってくる。二人共、多少なりとも標準語に染められた方言で話していた。今までに無い新

鮮な響きに、俺は本を熟読するフリをして、二人の会話に耳を傾けていた。何故か心の底から関西弁を喋りたくな

っていた。

 やがて二人は最終電車に乗って消えて行き、またひっそりとした駅が戻ってきた。落ち着くような寂しいような、ど

ちらとも言えない感覚。しばらく煙草を吸ってまったりとしていると、あっという間に深夜二時になり、駅の電気が消さ

れる。もう寝ろ、と駅が言っているようだった。俺は自販機の無機質な機械音を聞きながら、木製のベンチに横にな

った。遠くの方で犬の吠える声がする。蛾の羽ばたく音がする。草むらから蛙の声が届く。ほのかに揺らいでいる風

が、頬に当たって気持ちいい。ふと寝る前にこんな事を思う。

 ここどこ?

 心の底から笑いたくなった。

 

 次の日、朝目覚めると駅を清掃中のおっちゃんが「眠れたか?」とか細い声で聞いてきた。俺は少し戸惑いなが

らも「あ、はい」と擦れた声で返した。それきりおっちゃんは黙々と仕事に励み、二度と言葉を交わす事も無かった。

間抜けな寝顔を、見も知らぬおっちゃんに見られた事にちょっとショックを受けて、時計を見やった。朝の五時過

ぎ。始発まで四十分程時間がある。俺は重く気だるい眠気を抑えながら、睡眠によって奪われた体温を取り戻すた

めに体操をした。といっても手や足を動かすだけの簡単な運動だ。しかし傍から見れば滑稽だと思う。まだ朝日も

顔を出し始めた時間に、一人だけ駅で準備体操。相当に馬鹿っぽい。冷めた体を温めた俺は自販機でお茶を買

い、煙草を吸う。朝は希望の朝だと言うが、今の俺には希望というより堕落という言葉の方が似合う。それだけやる

気の出ない朝だった。でも再び、ここはどこだ、と自問する度に心は震えた。

 激しい空腹感を感じながら、始発の電車へと乗り込む。始発だけにやけに人が少ない。まだ角度の浅い朝日に

照らされたレールの上を、電車が進む。夕焼けに似た朝焼けの中を前へと進む。夕焼けって何故か名残惜しい感

じがするけど、朝焼けってすごく気だるい感じだな、とふとそんな事を考える。まるで今日一日の始まりを認めたくな

いかのように。未だ元気が出てこない。

 俺はいまいちやる気の出ない己をほぐすために、少々大きい敦賀という駅で降りる事にした。駅を降りて空腹を

満たすために、コンビニに直行する。おにぎりとお茶を購入して、喫煙コーナーへ急いだ。そして壁にもたれながら

胡坐をかいた。とりあえず休憩。まだはっきりとしない意識の中、煙草を吸いながら周囲を見渡す。駅前のロータリ

ーには、朝だというのにタクシーがたくさん止まっていて、こちらを睨んでいた。慌しく発着を繰り返す構内から、通

勤客達の足音が大量に聞こえてくる。高校が近いのか、高校生達の姿も多い。人々がそれぞれの朝を慌しく迎え

る中、俺は優雅に煙草を吸い(優雅というよりむしろ浮浪者っぽいが……)気だるそうな目線を辺りに這わす。なん

となく優越感を覚えている自分が情けない。それからどれくらいぼーっとしていたのだろうか。朝のラッシュも過ぎ

て、朝独特の新鮮な空気の香りも薄れてきた。俺はやっと、朝が来た、という事実を認めるかのようにやる気が出

てきて、未知なるものへと向かう好奇心も戻ってきた。さあそろそろ立ち上がってどっか行くか、と思ったら突然に腹

が痛くなりだした。

 さっきまでの重く圧し掛かるようなだるさは、この腹痛のせいに違いない。トイレへ駆け込んで、これで万事解決

――ではなかった。腹痛のせいではない。もちろんコンビニおにぎりのせいでもなければ、国土交通省の経費削減

余波とも考えにくい。ただ紙が無いらしい。この状況で紙が無いらしい。とりあえず皮肉っぽくにやけた。そして個室

の壁に書かれた落書きを眺める。『○○が好きだ!』『○○ばりキモイ!』『○○○』そこには面白くない叫びが書か

れていた。ふと横のゴミ箱を見たら、まだ使っていないティッシュが捨てられていた。まっさらだった。

 もとの喫煙場所に戻った俺は煙草に火を点ける。そして駅構内で見つけた旅行パンフレットを眺めた。どうやら富

山県に観光名所で有名な、綺麗な海岸があるらしい。ほかに興味をそそる場所が無かったのと、パンフに載ってる

海岸の写真がものすごく綺麗だったので、富山の高岡駅まで行く事に決めた。敦賀駅から高岡駅の間には約三十

もの駅がある。長旅を覚悟した。

 気持ちよく晴れた空の中を電車が走る。田んぼの中を走り、山の中を走り、住宅街を走る。夏は暑いかわりに、

木々を驚く程鮮やかな緑へと変える。電車の小刻みな振動が心地良い。その振動に揺られ、つり革が右へ左へと

動いている。車内の天井に設置されている扇風機がひっきりなしに首を回していた。景色が流れては消えていき、

そしてまた見知らぬ景色が現れる。何もかもが新鮮だった。俺はなんとなく降りたい気分になった時に、適当に駅を

降りて煙草を吸った。途中下車しまくりだ。自販機でお茶を買い、喫煙所で煙草を吸う。これほど楽しい事はない。

目の前には見てて飽きない新鮮な景色。雲の白と空の青が混ざった天上。錆び付いてペンキが剥がれている箇所

もある駅構内。田んぼでは虫が泣く。熱気が身体を包み込むように覆っていた。割れ響くように鳴り止まないセミの

声。そんな中で俺は白い煙を吐いては、お茶を一気する。それが馬鹿みたいに気持ちよく、または切なく、俺を詩

的な世界へと引きずり込むようだ。まだ夏は終わらない。

 どれくらい時間が経っただろうか。いつの間にか電車は石川県に入っていた。高い位置にまで昇った太陽の光

が、力強く車内を照らす。景色が田園から住宅街へと変わり、また田園に変わる。車内に響いている線路を叩く音

はまだ止まらない。踏み切り音が近づき、遠ざかっていく。どっかのおばさんが犬の散歩をしているのが見えた。自

転車を颯爽と漕いでいるお爺ちゃん。この炎天下、農作業に勤しむ人。窓の外には『今』という景色が映っていた。

しかしそれら全ては一瞬のうちに通り過ぎ、もう二度と見ることはない。ふと、電車の走る流れが、時間の流れに似

ているような気がした。窓の外に『今』という景色を映すが、止まらない電車は驚く程の速さで通り過ぎて行く。そう考

えると時間の流れって、俺が考えていたよりも速いスピードで流れているような気がしてくる。だからといって生き急

ぐつもりは無いが、これまでの怠惰な生活を改めよう、と感じた。その時、俺の『今』は、もうすぐ富山県に入ろうとし

ていた。

 高岡駅についた俺は改札を出て、喫煙コーナーへいく。その高岡駅というのはなかなかイカした駅で、ペンキが剥

がれた木造建てであり、風通しの良い開けた改札であり、なによりも改札の上から吊るされている無数の風鈴(全

部で二十個くらいだろうか)が俺の目を釘付けにした。それらがそよ風に揺られて奏でられる音は、今までに聞いた

事の無い感動を与えてくれた。とりあえずナップサックからおもむろにカメラを取り出し、空間を永遠に閉じ込めてお

く。現像が今から楽しみだ。

 少しの間休憩した俺は、そのパンフに載っていた海岸『雨晴海岸』を目指すため、JR氷見線に乗り込んだ。この

電車はワンマン電車で、ものすごくバスに近い感覚だった。というかバスだった。力強いディーゼルのエンジン音と

共に電車は動き出し、海の脇をゆっくりと走る。ガタゴトと揺られる中、俺は海の向こうを見つめながら今までの自

分の日々について想いを馳せた。友達の事や家族の事。これから自分がやりたい事など、まるで古びたアルバム

を丁寧にめくっていくように思い返した。しかしこういう事を考えるといつも、あーすればよかった、こうすればよかっ

た、などの後悔した思い出ばかり螺旋のようにグルグルと思考を廻る。そして決まって、転んで膝を擦りむいた時

のように、まあいいや、となるのだ。でも例え、まあいいや、が考えた末の結論だとしても全然いいと思う。所詮一時

的な結論に過ぎないし、それに鼻から結論なんてどうでもいい。とりあえずそこに空が広がっていれば何でもよかっ

た。

 みたいなアホな事を長々と考えていたら、いつのまにか俺の前の席に外国人二人組が腰掛けていた。片割れは

手にカメラを持っている。ただそれだけなのに、周囲の関心は異国からやってきた青年二人組に惹きつけられてい

る。あきらかに浮いた感じの特別な存在感を感じるのだ。まあそれも仕方ないと思う。やはりここはワールドワイド

なアメリカと違って日本なのだから。しかし二人はそんな事お構いなしに英語で何やら話している。そしてその光景

はどこにでもいる感じの良さそうな若者そのものだった。俺は二人の鼻筋の通った端正な顔立ちを見ながら、二人

に対して特別な存在感を感じてしまう自分の狭い視野が情けない、と素直にそう思った。

 駅に着いた俺は早速、雨晴海岸へと向かった。雨晴海岸は俺の印象としては明らかに普通の海岸で、パンフに

載ってるような青々とした空と海では無く、白く濁ったような曇り空に少しよどんだ波が打ち寄せていた。晴れた日に

は海の向こうに隣国の山々が見えるらしいのだが、今日は輪郭さえも見えない。とても残念だ。しかし折角来たの

で適当に写真に収めた。

 するとそこに一つの人影が近づいて来た。よく見るとそれは先程見かけた外国人二人組の片割れだった。

「ナニシテルンデスカ?」とにかく固い日本語で話し掛けてきた。

「あ、うん。観光……かな」

 俺がなんとなく緊張した声でそう答えると、「ソウデスカ」と言って海岸の方に向き直った。潮騒が辺りに激しく響い

ていた。

 それから片言の日本語でしばらく会話していると、この二人組はボランティアで日本にやって来たキリストの宣教

師である事が分かった。今日は休暇らしくこの二人も観光に来ているらしい。そして二人の母国も聞いた。

 さっき話しかけて来た黒髪の方はブラジルからやって来たらしい。名前も聞いたがとりあえず仮名で「ブラジ」と呼

称する。ブラジは背が高く(百九十くらいあるかもしれない)、時々見せる人懐っこそうな笑顔が印象的に思えた。と

ても感じが良く大人らしかったが、年齢が二十歳と聞いてびっくりした。

 もう一人の方は金髪に青い目で、背は百八十くらいの割りと小柄な(といっても俺より背は高いが)青年だった。ア

メリカ出身らしい。だからとりあえず「アメリ」と呼称する。アメリの方は社交的では無く、カメラを片手によどんだ海

や景色ばかりを撮影していた。そしてあまり口数も少なく、最初嫌われているのかと思った。しかし後になって考え

ると、ただ単に日本人に興味が無かっただけかもしれない。

 先程からブラジは足元の砂浜を見下ろして、おみやげになるような綺麗な貝殻はないかと必死に探している。し

かしお目当ての貝殻は無かったらしく、そのかわりに辺りに散乱しているゴミを見て「日本の海岸はキタナイです

ね」と悲しそうな顔で言った。俺は悔しくなったが、何も言い返す事ができなかった。

 雨晴海岸を一瞬で見終わった俺達は、駅へと戻った。しかしここらの鉄道はローカル線なので、帰りの電車がや

ってくるのは一時間後だった。それでは時間がもったいないという事になり、近くの『櫻谷古墳』というやつを見に行

く事になった。

 俺はその道中にブラジと色々な会話をした。何を話したかはよく覚えていない。それはブラジ達の身の上話だった

かもしれないし、日本の和風屋敷の風格についてだったかもしれないし、アメリカンロックの事だったかもしれない。

しかしはっきりと覚えているのは、民家と民家の間にある細い坂道を歩いている時に、ブラジが道端のお地蔵さん

を指差しながら「あれはナンですか」と聞いてきた時の事だ。あれはお地蔵っていうねん、と俺が答えるとブラジは

「あれにはどんな意味があるんですか?」と問い返してきた。純日本人の俺でも、さすがにお地蔵の意味は分から

ず(大抵の人は知らない事を望む)しどろもどろしていたら「あなたソレでも日本人ですか?」と笑いながら突っ込ま

れた。それを苦笑で軽く受け流した俺だったが内心は、頭でもド突いたろか、と企んでいた。でもブラジの背が高過

ぎて――少々大げさだが――手が届きそうにない。初めて外国人の長い足はセコいと思った。

 櫻谷古墳を見終えた俺達は駅へと戻った。そして高岡駅へと戻る車中で、ブラジが唐突に「あなた友達。だからコ

レあげる」と一冊の真新しい聖書を俺に手渡してくれた。さすがキリストの宣教師。布教は忘れてないな、と思いな

がらも礼を言って受け取る。その後ブラジによるキリスト講座が始まったのだが、宗教にあまり興味の無い俺には

何を言っているのか分からず、要点と思われるところで相槌を打ちなんとかその場をしのいだ。

 やがて高岡駅に着いた俺達は、別れ際にお互いのメールアドレスを交換してまた連絡を取る事を誓いあう。そし

て大きく手を振りながら遠ざかっていく二人を見守りながら、結局アメリとはあまり話せなかったな、と一人悔やん

だ。空は赤みを帯びて、陽光が強い西日へと変わろうとしている時間だった。もうすでに視界から消えた二人の青

年の事を思い浮かべながら、駅の喫煙コーナーで煙草を吹かす。「これでお土産話が出来たかな」と小さい声で一

人呟いた。駅のホームは会社帰りの人達でにわかに込み始めていた。右手に持ってる、神の小話本がやけに重く

感じられた。

 気を取り直して、俺は富山駅へと向かうため駅の中へと入る。先程まで疲労感を感じていたはずなのだが、また

これから電車で見知らぬ駅を目指すのか、と考えたら俺のやる気を再度再燃させて駅の階段を一気に二段飛ばし

で走らせた。しかし俺の過剰なやる気が空回りしてしまって、思い切り階段でつまずいてしまった。その場面を運悪

く前方からやってきた帰宅途中の女子高生達に見られていたようで、陰で笑われてしまった。てめえ、このヤロウ、

と通り過ぎて行った女子高生達の背中を見やったが、まあ……後姿が可愛かったので許す事にした。

 色々と考えたが、未だに原因らしい原因は見つかっていない。

 富山駅へと着いた俺は、一目散にトイレへと駆け込んだ。理由は腹痛だ。いや、腹痛はまだいい。問題はもっと

深刻で陰険な――ここには紙が無かった。何故無いのか、と色々と考えるが、考えても紙が無い事実は変わりそう

にない。俺はあまりにも酷い自分の運の悪さに思わず笑ってしまう。その時ある物が視界の隅に写る。それは週刊

雑誌だった。週刊誌の原料は紙だ。俺はある一線を越えようとしていた。

 コンビニで今日初めての食料を買い、喫煙コーナーで煙草を吸う。そして今後の行き先について考えたが、もう旅

の資金が当初の半分になっていたので、もう先に進むのはやめて地元へと帰る事にした。しかしこれまで来た道程

でそのまま帰るのも面白くないので、富山から名古屋へと南下する遠回りのルートで帰る事にした。この判断には、

まだまだ先に進みたいのだが仕方が無い、という気持ちが多少含まれている。

 辺りは夕暮れから夜へと変わろうとしている時、俺は富山駅から南へ伸びるJR高山本線に乗車した。そろそろ旅

の終わりが近づいている事を感じていたが、依然新しい風景への好奇心は残っていて、まだ家には帰りたくなかっ

た。

 途中、電車乗り換えのために猪谷という駅で降りる事になった。もうすでに辺りは真っ暗で、山々に囲まれた駅は

どこかひんやりとしていた。少し肌寒さを感じながら、もうお決まりのように、誰もいない無人の待合室で煙草を吹か

す。次の電車到着まで一時間もあった。やる事も無い俺は、ただぼーっと待合室の中を見回した。中央にストーブ

が置かれていて、それを囲むように木製の椅子が配置されている。何故か傍に置かれている棚には、漫画やら雑

誌やらが乱雑に収納されていて、まるで歯医者の待合室みたいだ。そして色々な虫が辺りを飛び回っている。おか

げで全然落ち着かず、それどころか心細くなってしまった。ひたすら電車の到着を願った。

 次に乗り込んだ電車はどうやら終電のようだった。もしこの終電に乗り遅れていたら、猪谷で虫に囲まれながら就

寝しなければいけないとこだった。俺はほっと胸を撫で下ろして、近くの座席で携帯をいじりながらだらしなく座って

いる男子高校生のしぐさを、ずっと眺めていた。車内にくぐもったアナウンスの声が控えめに響き、電車は幾度とな

くトンネルを通過して行く。何故か分からないが、この風景は絶対忘れないだろう、と思った。

 まるで知人に贈るお歳暮を選ぶ時のように、ここだ! と直感で適当に決めた駅で降りる。もちろん終電を降りる

という事はもう先へ進めない事であり、または降りた駅で就寝しなければいけない事を意味している。俺が降りた駅

は杉崎という駅だった。駅には人影は無くひっそりとしていて、開けっ放しのドアは構内へと入り放題、もちろん待合

室もありベンチもあった。これほど野宿に最適な場所はないだろう、と思う。ただ一つ気になるのは、空気中を飛び

交っている大量の虫達の事だ。俺は虫の巣窟となっている待合室を見て、いきなりブルーになっていた。しかしもう

後へは退けないので、腹を括る事にした。そしてベンチに腰掛けた瞬間に疲労感が身体の隅々に広がっていき、

やる気を失せさせた。俺は周囲の散策をやめて、持参した本を読む事に専念した。

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。本一冊を丸々読み終えた俺は、長時間の読書で固まった身体をほぐしな

がら駅のホームへと歩いて行き、ホームの端へと足を掛けて座り込んだ。すでに時間は深夜二時。辺りは真っ暗

で、ひっそりとしていて、ひんやりとしていて、鈴虫が鳴いていた。俺は先程読んだ本のストーリーの面白さに感化さ

れて高揚とした気分になっていた。だからだろう。真夜中の線路を歩いてみたいと思ったのも。

 暗闇の遥か向こうに隣駅と思われる灯りが小さく見えている。ここらは開けた盆地なので見晴らしがとても良く、隣

駅へと伸びる線路は一直線だった。俺は隣町が目視できているから近いだろうと判断して、線路の上を歩いて隣駅

を目指す事にした。深夜なので電車も通らない。線路の両サイドには田んぼが広がっていて、少し離れた所に民家

が立ち並んでいる。しかし物音一つしない。かわりに田んぼから蛙やら鈴虫やらの鳴き声が暗闇の中に響き渡って

いた。闇に包まれて足元も見えない程に暗い線路上を歩きながら、後ろを振り返った。駅の灯りが真っ暗闇の中に

ぽっかりと浮いていて、それ以外は暗くて何も見えない。おそらく駅の灯りが無ければ地平線の感覚も判らなくな

り、まるで真っ暗な宇宙を泳いでいるようだろう。それは摩訶不思議な感覚だった。そして俺は映画「スタンド・バイ・

ミー」の中で主人公達が線路上を歩くシーンを思い浮かべながら、大きい石がゴロゴロと転がっていて歩きにくい線

路上を歩き続けた。

 ふと空を見上げたら、そこには満天の星空に囲まれて大きく丸い月が浮いていた。それを見た瞬間、とうとう宇宙

まで来てしまったのか、と本気で感じてしまった。それ程までに月と星以外には何も見えず、本当に宇宙の中のよう

だった。そして俺は上を見上げながら大きく大きく手を広げて、いま目の前に存在する風景を全て受け止めようとし

た。しかし空回りに終わり、やがて体勢を崩して後ろへと倒れ込む。

 ここはどこだ!

 とにかく込み上げてくる笑いを抑える事ができない。

 そしてその時俺は初めて、地元を恋しく感じた。

 

 

 

 家に帰りたいと思った時点で、俺の中の旅は(唐突だが)終幕を迎えている事になる。

 翌日は、駅のベンチで寝ている俺の寝顔を、通学途中の女子高生に見られたという朝から始まって、ひたすら電

車に乗り続けた。高山の田園を通り過ぎ、岐阜の田園を通り抜け、名古屋から大阪へと一心不乱に乗り続けたの

だが、その時の風景はあまり記憶に残っておらず、もうすでに懐かしく感じ始めていた地元の風景や、自分の部屋

にあるベッドの上で爆睡している自分の姿、ばかりを思い浮かべていた。もう好奇心の欠片も無くなっていたと思

う。そればかりか軽いホームシックに掛かっていた。結果、俺は丸一日掛けて家へと帰ったのだった。

 結局この旅は俺にとって何だったのか。

 それは今になっても分からない。別にこれを通して人間的に成長した訳でもなく、別に一生心に残るような印象的

な事件があったわけでもない。言うならばこれは旅ではなく、ただの散歩と言うべき三日間だったのだ。

 しかし何かを得た、という満足感が俺の中にあるのは事実だった。それが何なのかは未だに分からないが、俺は

それでも構わないと思う。ただ確実にわかっている事は、この三日間は非常に楽しかった、という事と、『何か』とい

う漠然とした事について自分なりの結論を見つけるためにまた今回のような散歩を繰り返すだろう、という事だっ

た。

 俺の自分探しの旅に終わりはない。

 

 まあいいか、難しい事を考えるのはまた今度から。

 今日は長旅で疲れたからもう寝ます。

 おやすみなさい。

 

                                    終劇

 

                           BGM

                            「Colder world」

                              song by echobrain

 

 

 

 

 

   あとがき

 

 この作品はあとがきをちゃんと書かなきゃいけない作品だと感じたので、あとがきを書かせて頂きます。

 まず最初に断っておかなきゃいけないのが、これは完全なノンフィクションではないという事です。本文でもあると

おり、旅に出たのは昨年の九月なのです。もう半年以上も経っているので当然の如く全ての記憶が曖昧です。なの

で行動そのものは全てノンフィクションですが、全ての描写そのものは――曖昧な記憶に頼っているので――フィク

ションだという事をご了承ください。ノンフィクションをフィクションにした、と考えた方が正しいかもしれません。

 そしてもう一つ。

 これは書いてる時に感じたのですが、この作品は非常に説明文が多い作りになっています。ですので書いた本人

以外が読んでも全く楽しめず、そればかりか嫌悪感まで抱いてしまうかもしれません。断っておきたいのは、これは

あくまでも自分自身のために書いた作品であり、他人が読んでも全く楽しめない作品だという事です。ごめん。

 最後に、折角あとがきを書いたので、今回の旅で世話になった人達に対して、感謝の呟きを述べさせて頂きます。

 まず本文でも登場したブラジとアメリ。共に楽しい一時を過ごせて誇りに思う。君達との会話はとても勉強になっ

た。ちなみに渡された聖書は本棚の隅で埃を被っている。ありがとう。

 次に本文では書かなかったが、道中ずっとメル友として応援してくれた、神奈川のかつやン。おかけで携帯の電

池の減りが早くなった。ありがとう。

 それとなんとなくコージ。電話しまくってごめん。もう寂しくなっても電話しません。ありがとう。

 最後にこれを読んで下さった方々。これを読むためにわざわざ時間を潰して頂き、ありがとうございました。

 

                            2003/05/10 yasuoman

 

 

 

代理人の感想

う〜〜む、なんか眩しい(爆)。

ひしひしと「若さ」というものが行間から伝わってくるようで、オジサンには目の毒ですなぁ(爆)←いくつだよ、おまえ

失ってしまったものに対する憧憬というか喪失感というか。←だから、大して歳は違わないだろう

まぁ、旅に出たいと思うことがなかったわけではないんですが、

出不精なんで思っても実行に移すことが少なかったのもその理由でしょう←つまりその頃からじじむさかった(爆)

 

でも、旅っていいですよねぇ。それがたった一日二日だとしても、いいものですよね。

 

 

余談ですが、村の中でなくただ道端にあるお地蔵様は

おそらく旅人が安全であるように守ってくれるお地蔵様だと思っていいと思います。

(実際に、昔は地蔵堂が野宿の場所として使われたり、

 また旅の途上で飢えた人が非常食としてお地蔵様のお供えを食べることが許されていたりしました。

 ささやかな相互扶助の精神の象徴だったとも言えるかもしれません)

お地蔵様はとにかくご利益の多い仏様なので他にも色々と意味があるのかもしれませんが。