<flying>



鳴り響くサイレンの音。

普段ならあっさりと通り過ぎるのに、今日はいつまでも私の耳に付きまとう。

「血圧、脈ともに低下しています!」

誰の声かはわからないけど耳元でとてもうるさい。

そんな中、ふと思う。

私たちがいつもあまり気にしないサイレンの音の中で、いつもこんなやり取りが行われているの?

でも、そんなことはどうでもいい。

今の私の場合が特殊なのかもしれないし・・・。

とりあえず冷静に状況を確認しよう。

おそらく、私は今救急車に乗っている。

何故かわからないけど目を開けることができない。

でも聞こえてる音だけでなんとなく判断できる。

次、体中・・・主に上半身がとても熱い。

左手首、右肘、おそらく鎖骨・・・これは両方、最後に腰。

たぶんそれぞれの骨が折れていると思う。

骨折は過去に何度も経験があるからわかる。

あぁ、これでまたしばらく飛ぶことができない。

秋の大会に間に合うかな?

はぁ〜、また通院生活の始まりか。

でも・・・足はなんともなさそう。

痛みも熱さもまったく感じないから。

よかった。

結果としてはそんなに悪くないかな。

たぶんあの子供も無事だろうし・・・うん、よかったよかった。

・・・・・・・・

安心したら急に眠たくなってきちゃった・・・・な。

いいや、寝ちゃおう・・・。



ガラ。

教室に入ると冷ややかな視線が私を迎えてくれた。

まるで意思統一がされているかのように見事な視線。

紛れもなくクラスが一つになって私に冷たい視線を送ってくれる。

新学期が始まってからすでに1週間たっているけど、私は今日が新学期初登校。

私がこのクラスで知っているのは部活・・・陸上部の後輩が2人いるだけで、ほかはぜんぜん知らない。

でも、向こうは私のことを知っている。

こう見えてもかつてはこの学校の2大ヒロインの一角を担っていた。

そのためこの学校(と、言っても新入生は別)の生徒は多分私の顔を知っている。

そして、落ちぶれたヒロインほどみすぼらしい者はいない。

私は最後列の窓側にある(多分間違えはないと思う)自分の席に着いた。

うぅ、背中がチクチクする・・・。

そもそも私は何でこんな思いをしてまで学校にきているの?

交通事故の賠償金だけでしばらくは何もせずに生活できる。

自分で言うのもなんだけど見てくれはそんなに悪くはないし、部活をしていたからスタイルも悪くはない。

だったら適当な男でも捕まえてさっさとおんぶしてもらえばいいのに・・・。

なんて考える自分を否定したくて学校にきている。

「あの、高城さん・・・廊下に先輩が来てますよ。」

不意に後ろから声をかけられる。

声をかけてくれたのは気の弱そうな女の子。

見た感じ嫌な役を押し付けられた感じ。

「あ、うん、ありがと。」

そう言って私はゆっくりと立ち上がった。

やっぱりまだ立ち上がるのがダメだな〜。

腕の力を使わないとだめだもん。

私はゆっくりと黒板側のドアに向かって歩き出した。

廊下に出て私を待っていたのは、

「千夏(ちか)!」

私の親友、西川千夏がいた。

さっぱりとした性格でショートカットの髪型。

この学校のヒロイン。

ボーイッシュを絵に描いたような女の子。

ちなみに女の子のファンが多い。

「朋美、元気してた?ごめんね、この間まで大会があってね。」

「うん、知ってるよ。確か初めての国際戦だよね。おめでとう」

千夏は女子陸上部のキャプテンで、エース。

長距離走が得意で特にフルマラソン以上の超長距離が早い。

10000mでも高校生記録を持っているし、フルマラソンでもすでに何回も優勝している。

そして、この間初めての国際戦で初優勝を飾った。

このまま順調に勝ち続ければ世界陸上やオリンピックなんかも見えてくるようになる。

「で、どうだったの?大会。」

「うん、自己記録に限りなく・・・。」

キーンコーン カーンコーン

タイミング悪くチャイムが鳴ってしまった。

「あ〜もう、これからがいいところなのに。仕方ない、じゃあ次は昼休みになったら来るから一緒に弁当食べようね。」

「え?いいの?」

「当然でしょ?私は足の不自由な親友に無駄に階段を登らせたりはしないの。」

このさりげない一言が私にはとてもうれしかった。

私の足のことを認識しつつも気を使ってくれる。

すごく自然に。

私はこんな風になってから慰めや、哀れみ、そして足のせいで虐げられるのがすごく嫌だった。

だけど千夏は私のことを理解してくれている。

慰めるでもなく、哀れむでもなく、虐げられることもない。

そんな千夏の存在が今の私にとってはオアシスになっている。

「うん、そうだね。健康体さん。それじゃあ待ってるから。また後でね。」

「じゃーね。」

千夏は右手を軽く上げて階段に向かい上に上がっていった。

私も教室に戻り授業を受けた。

この辺は去年一度やっているので分かっている。

私は春の日差しのなか眠りについた。



いつからだろう?

空が好きで、空を飛びたくて、いずれは鳥になれると思っていたのは。

私はいつも空を見ていてあまり友達ができなかった。

よくいじめられた。

でもそれを苦にしたことは一度もなかったし、それは普通だと思っていた。

だって、自分から距離をおいているんだから。

空さえ見えればよかった。

いつか自分が自由に空を飛べると思えるだけでよかった。

ただその夢は小学校高学年にあがるときに打ち砕かれた。

登校拒否もしたし、人間不信にも陥った。

ある方法で死ぬことも考えた。

その方法なら一度だけは飛ぶことができるから。

でも・・・できなかった。

私は臆病で、理由をつけてそれを拒んだ。

それから私はさらに自分の殻にこもった。

だけど救ってくれた人がいる。

それが千夏。

「私と一緒に走ろう?」

「走ったって空は飛べないもん。」

私は千夏のやさしさを拒否した。

そのときは何も信じられなかったから。

声をかけてくれる子はみんなこの時点で私から離れる。

私はそれでいいと思っていた。

でも・・・千夏は違った。

「私はね陸上をしているの。陸上はね、空を飛ぶ種目もあるんだよ?」

最初は意味がわからなかった。

「地球には重力があって、人間は空を飛ぶことができないんだよ?そんなことも知らないの?」

私は千夏を小ばかにするように言った。

「飛べないと思うから飛べないの。頭と体と道具は使いよう。」

その後、私は棒高跳びのビデオを見せられた。

まだ幼い自分には衝撃だった。

人間が自分の身長の3倍以上は飛んでいるんだから。

それから私は千夏と一緒に陸上をした。

小学生のうちはひたすらに走って基礎体力を築き、中学では走り高跳びをした。

そして高校、マイナーながらもある棒高跳びにようやく巡り合うことができた。

あとは一直線。

練習、練習、練習・・・・。

おかげで高校じゃトップクラスの高さまで飛べるようになった。

これからもっと飛べる、まだまだ飛べると思ったうちにあれが起こった。

試合の前日に車道に飛び出した子供を助けるために飛び出して車にはねられた。

全治3ヶ月の重症。

医者には「もう歩くことはできないでしょう。」とまで言われた。

それが悔しくて、また飛びたくて・・・・認めたくなくて!

私は・・・・がむしゃらにリハビリを繰り返した。

リハビリ開始から3ヶ月で支えなしに立てるようになって、5ヶ月で歩けるようになった。

今では歩くだけならほとんど支障なく歩ける。

でも立ち上がるときや階段の上り下りがつらい。

最初から気づいていたの・・・もう、飛べないって。

だけど、諦めたくなかった。

それは千夏への裏切りにも感じたし、私にはそれ以外の取り柄もないから。

取りあえず新しく打ち込めるものを探そうと思って学校にも来てる。

でも、もう一度、もう一度だけ飛びたい・・・・・・。

それだけが心残り。

ううん、飛ぶ方法はある。

ただ・・・・私にはその勇気がない。

確実に飛ぶ方法。

一度きりのflying。

 

お昼休み。

千夏が私の教室に来てくれている。

1年前までとまったく同じ。

二人だけで過ごすお昼。

誰も邪魔できない。

千夏が睨みを効かせてるから・・・・。

そんなわけでよく愛し合ってるんじゃないかって間違えられる。

けどそれははっきりと違うと言えるし、私たちはそういう関係を望んではない。

少なくとも今のところは。

「そういえばさ千夏、今年の新入部員はどう?速い子とかいる?」

陸上を止めてもそういったことは気になってしょうがない。

去年の秋の大会だって見に行くつもりだったけどお医者さんや両親に止められて行けなかったから千夏に頼んでビデオを撮ってもらったりした。

「そうね、今年はそこそこ粒がそろってるかな。短距離に2人、円盤・ハンマーで一人ずつ、この子達は入学時からいい感じね。それと幅跳びに素質のありそうな子が一人いるわ。」

千夏は左手の人差し指をこめかみに当てて思い出すように教えてくれた。

「新入部員全員で32人。で、うち7人はすでに退部済み。」

すべて思い出すと再びお弁当に箸を伸ばす。

千夏のお弁当箱は男子用が2つ。

私の倍は食べる。

私だって普通の女の子よりは食べる。

それでも陸上を止めてからは食べるのをある程度我慢している。

太りたくないから・・・・。

「千夏、新入部員で棒高跳びしそうな子いるかな?」

一番気になるところ。

もしいるとしたら私はもう一度陸上に関係することができるから。

「いないよ。」

千夏ははっきりと言う。

予想していた答えと同じだけどやっぱりがっかりする。

「朋美・・・今いるって言ったらコーチとして関係するつもりだったでしょ。」

うっ・・・す、鋭い。

「その顔は図星ね。だめだめ、あんたが教えるだけのはずないからね。絶対に実際に見せようとするだろうし。」

「さ、さすが親友・・・。私の月一のペースを知ってるだけある・・・・。」

「あははっ、お互いに単調な頭だからね。くくくっ、やばいな〜朋美、陸上止めてから脳ミソが劣化してるよ。」

机をバンバンと叩いて大笑いする。

「むっ、失礼だな〜。こんなかわいい子とお昼取れているのに。嫌われたくなかったらから揚げよこせ〜!」

私は椅子から立ち上がり千夏の後ろから抱きついた。

「きゃー、レズ、レズ!あん、こんな人のいるところで・・・・。」

ボーイッシュな千夏のかわいい一面、普段は絶対に見せてくれない一面。

機嫌が良い証拠。

私は久しぶりの親友との昼食を楽しくとった。

だけどこの心地いいひと時がほかの時間をより辛いものにする。

残りの授業、特に体育。

見てることしかできないもどかしさ。

今まで体育の時間はすべて私と千夏を中心に回っていたのに・・・。

私は授業の様子をまともに見ることができなかった。

「足が痛いです。」

と言って保健室に逃げ込んだ。



放課後。

家に帰ってもすることがないため、入院中から読み出した本を借りに図書室に行った。

昔は見ただけで頭が痛くなったけど、今は面白いと思える。

・・・・なかなか皮肉だよね。

とりあえず比較的新しい小説を2冊借りて、私は学校を出た。

昇降口を出るとグランドが広がっている。

右手にサッカー部用、左手に野球部用、両者の中間地点に陸上部用のトラック。

私たちの学校はほかの学校よりも運動部への力の入れ方が大きい。

野球部、サッカー部がそれぞれ一面のグランドを。

陸上部は陸上部でトラックを持っている。

陸上用のトラックは野球部のライトからセンターにかけて、サッカー部の左サイドとやや共用になっている。

だけどトラックだけはほかの部に干渉していてそこが陸上部の弱み。

もっともここ近年は成績がほかのどの部よりも良いので実力的に黙らせているから寄生といってもいいと思う。

となると必然的に陸上部の練習が目に入ってくるわけで・・・。

「ほら、新入部員、あとたった5週よ。しっかり!」

千夏が20人以上の新入部員を引き連れてトラックを走っている。

これは毎年行うもので、新入部員は400mのトラックを毎日50周走らせる。

これは新入部員の根性とやる気を試すのと人員を削減するため。

「人数が多いとそれだけ場所も使うし、大会登録料金も馬鹿にならない。」

と、顧問の先生から聞いたことがある。

「よーし、今日はここまで!5分で息を整えて各自自分の種目の場所へ移動、それぞれの3年生の先輩に指示を仰いで。長距離はロードワークに行くよ。」

千夏が今後の指示を出すと私のほうに歩いてきた。

私も千夏のほうに向かって歩き出した。

ちょうどトラックに入ったところで千夏が私に声をかける。

「どうした、文学少女?未練ありあり?」

「ないと思ってるの?」

私は質問を質問で返した。

「ぜんぜん。未練たらたら。これで棒高跳びの子がいたら絶対暴走してるわね。」

ニヤっと、心地よい笑顔を見せてくれる。

「まったくだよ。数少ない大会の前日、車に引かれそうな子供を見つけて飛び出して助けたはいいけど自分が重体。足にいたっては切断も可能性にあったしね。世界陸上の候補まで上がったのに・・・あ〜あぁ、なんであんなことしたんだろ。」

私は大げさにポーズをとる。

「それがあんたの良い所なんだけどね・・・・。ちょっと引き換えたものが大きすぎたね。早いところ新しいものを見つけなよ。そうしたら陸上のこと忘れられるからさ。」

私は大きくため息を吐いた。

「それができなくて困ってるの・・・。」

「キャプテン、5分たちました。」

千夏の後ろのほうから1年生の子が声をかけてきた。

「あ〜い、了解。今行くから。・・・それじゃあね。見るだけだったらいくらでも見ていっていいから。それと走り高飛びだったら教えることできるんじゃない?」

そう言って千夏は走っていった。

私は言われたとおりに高飛びのところに向かった。

この時点で私の未練が凄まじいことを悟った。

怨念といってもいいかもしれない。

「あ、朋美先輩。」

2年生の一人が私に気がついた。

そこには2年生3人、1年生が5人いる。

「あれ?朋美じゃない。どうしたの?」

そして、高飛び唯一の3年生・・・元同級生が私に聞いてきた。

「うん、家に帰ってもやることがないからね。見にきたの。」

「そう?見るのはいいけどやるのは絶対にだめだよ。千夏にも止められてるからね。」

「分かってるよ。そうだ、大会近いんでしょ?1年生の面倒見ててあげようか?」

とっさの思い付き。

見てるだけなら絶対に飛びたくなるからそれ以前の事を教えて少しでも注意をそらそうと思ったから。

「そうね・・・、お願いできる?」

「うん、任された。それじゃあ1年生は向こうで走りこみしようか。」

私が1年生に指示を出すと、「はい!」と元気のいい返事が返ってきた。

1時間ほど基礎練習をして少しの休憩を取っているとバーのところには誰もいなくなっていた。

「あれ?バーが開いてるね。」

私が尋ねるように聞いてみると、

「えっと、確か大会前のミーティングだって言ってました。」

1年生の一人が言ってくれた。

「う〜ん、それじゃあバーを使って跳んでみようか?」

「あの、先輩。」

今まで一度も私に声をかけてこなかった子がもじもじと私に声をかけてきた。

「なに?どうしたの?」

私はできるだけやさしく返した。

「先輩って棒高跳びの高校生記録持ってるって本当ですか?」

うぅ、雑念が入ってくるようなことを・・・。

私は苦笑しながら答えた。

「持ってるよ。もっとも自分で更新することはできなくなっちゃったけどね。」

すると別の子が、

「私一度ビデオで見たことあります。すごく高かくまで飛びますよね。それにすごくフォームがきれいだったし。」

「いいな〜私も見てみたい」

そんなことを口々に言ってくれた。

とても嬉しかった。

そして私にもう一度飛びたいという欲望が再び表れてきた。

「・・・・誰でもいいからさ、器具室いって棒を持ってきてくれないかな?」



ドクン ドクン ドクン ドクン

心臓の音がはっきりと聞こえる。

バーと私以外は何もないかのごとく。

「ふぅー・・・」

大きく息を吐き出す。

もし、もし飛ぶことができたら・・・

「諦めがつく!」

私はバーに向かい走り出した。

痛い・・・一歩一歩が激痛で気を緩めると倒れてしまいそうになる。

「朋美?朋美!なにやってるの!!」

何も聞こえないはずの世界に親友の声が響いた。

私は無視してさらに速く走った。

踏切まであと3歩、2歩、1歩。

「ふっ!」

私は右足から思いっきり踏み込んだ。

そして世界が暗転した。

・・・・・・・

気がつくと・・・電灯?

周りを見回すと保険医の先生、担任、陸上部顧問、千夏がいた。

私は急に起き上がり、

「千夏!私飛べた!?」

千夏は首を横に振った。

「踏み切った段階でそのまま倒れたよ。棒が体に当たらなくてよかったわ。」

「そう・・・」

そのあとはお決まりのお説教。

「なんでこんなことした?」

「また歩けなくなってもいいのか?」

「悲しむ人がいるんだぞ?」

そんな聞きなれた台詞を口にしたところで私には無駄だった。

でも、千夏は違った。

「朋美どうしても飛びたかったの?」

私は首を縦に振った。

「じゃあ・・・また飛んでみる?」

「え・・・?」

今までに聞いたことのない台詞が私にかけられた。

しばらく保健室のすべての音が消えた。

私にはまったく意味がわからなかった。

「飛ぶために歩けなくなるなら朋美も本望でしょ?そのせいで車椅子に乗るんだったら、私が押してあげるよ。だって親友だもん。・・・飛びなよ、気がすむまでさ。朋美は飛ぶために生まれてきたんだからさ。最後まで見届けるよ。それにさ最後の方法が残ってるんでしょ?」

先生たちは「何言ってるんだ!」と、千夏を叱る。

だけど千夏は終始笑顔だった。

あぁ、これで覚悟ができた。

やっぱり私のことを分かってくれるのは一人しかいなかった。

ううん、一人で十分。

「ありがとう。」

千夏には聞こえないように言った。

この台詞は最後の最後にもう一度言わないといけないから。



一週間後、



千夏へ

今日の8時に学校の屋上で待ってるから。

暖かいかっこうして来てね♪

私の最後のジャンプ、飛ぶからさ。

愛しの朋美より。



このメールが私の携帯に届いたのが丁度午後5時。

明日が大会だから体を休ませるために部活は休み。

私はすでに家のベッドの上でゆっくりとしていた。

「あれ?もうか、意外に早かったな。」

メールを眺めながら呟いた。

「仕方ない。着替えておこうかな。」

8時5分前、学校に到着しすぐさま屋上に向かった。

屋上と繋がっている扉を開ける。

ギィ

扉のさび付いた音がすごく響く。

「ふぅ、またあんたのほうが早いのね。」

彼女がゆっくりと振り返る。

暗闇とフェンス越しに見える彼女はいつもどおりの笑顔。

「ふふっ、千夏はいつも遅刻ぎりぎりだからね。それでも遅れて来ることはなかったじゃない。」

私はゆっくりと朋美に近づいた。

「飛ぶ覚悟はできたの?」

あらかじめ用意しておいた質問を投げかける。

「うん、あれから1週間、病院のベッドの上でずっと考えたの。飛ぶときのこと、飛んだあとのこと、千夏のこと。」

「答えは聞くまでもないか。」

カシャン

フェンスの触れると音がした。

「うん、私飛ぶよ。千夏が見ててくれるって言ったから。覚悟もできた。」

楽しそうな、嬉しそうな、それでいて泣き出しそうな笑顔。

「でもさ、場所・・・もう少し考えられなかったの?後始末が大変。」

「う〜ん、それについてはごめんなさい。」

両手をそろえてペコっと頭を下げた。

この可愛らしい仕草も普段とまったく変わりない。

下のほうが少し騒がしくなってきた。

「あ、結構集まってきちゃった。」

「そうだね。それじゃあ最後に一言。・・・・愛してたよ。」

私は精一杯の告白をした。

だけどこれ以上の言葉は私たちには不要。

「私も千夏を愛してる。あはは、ほかの人が聞いたら歪んでるって言うかもしれないね。」

「だけど・・・これが私たちの形だから。ね、私さ、最後まで走りぬくから。走れなくなるまで。」

「うん、それが聞きたかったの。」

私の顔と朋美の顔が近づく。

フェンスの間で唇と唇が触れ合う。

「もっと早めにしておけばよかったかな?私たちが快楽に身をゆだねていればこんな形にはならなかったかな?」

私の頬に水を伝えながら聞いた。

「そうだね、形は変わったかもしれない。でも・・・やっぱり結果は変わらないよ。私は飛ぶこと、千夏は走ることが生きていることなんだから。」

もう一度自然にキスをする。

しばらくそのままでいる。

唇の温もりが愛しい。

でも、私はあえて自ら離れた。

これ以上朋美の覚悟を邪魔してはいけないから。

「うん、それじゃあ逝くね。」

「あと何十年かしたら私も逝くから。」

もう頬を伝う水は止まっている。

だけど頬がすうすうしている。

「ありがとう、千夏。」

朋美の体が飛んだ。

最高の笑顔で。



これからも私は走り続ける。

彼女が最後まで飛んだように。

それが私に残されたものだから。

最後まで・・・・




 

 

代理人の個人的な感想

冷静になって考えてみれば、無責任であり傍迷惑であり特大級の親不幸(いれば)であるわけですが。

それでもある意味、自分のやりたいことを全力でやった結果なんですよねぇ。

 

そして、決して嫌いじゃないんだよなぁ、こういうの。

困ったことに。