第二章〜極秘作戦〜
「これで失敗したら私達クビよね、間違いなく」
エレベーターが到着し、扉が開いた頃、ミリーが思い出した様に呟く。
アットが二十と示されているボタンを押すと、扉が閉まり降下が始る。
「そうだな。成功したとしても、危ないな」
厚みのある声でパレスが同意する。そんな中アットが笑いながら、二人の肩をぽんぽんと優しく叩く。
「大丈夫だって、上手くいくさ。上手くいってクビになるようなら、こっちから願い下げ。そうだろ?」
その悪気の無い笑いを見れば、荒んだ心の持ち主でも和んでしまうだろう。ミリーとパレスもそうだった。ただ、その笑みも彼を知っていればかわってくる。
ほっとしたのも束の間、鋭く、そして正確なツッコミがミリーによって繰り出された。
「元はと言えばアンタのせいで、アンタが一番ミスしそうじゃない。よくこの状況でそこまで笑えるわね」
完全して呆れた声だった。さすがのアットも笑みを取り消して不満げになる。それでも納得してしまうのは当たっているからだ。
僅かな雑談が終わりを告げると、エレベーターの降下が止まり、扉が開く。
何処で降りても大抵かわらない風景が見える。白い壁が左右に続き、時折曲がってはまた伸びる。その繰り返しでクイーン社は出来ているといえる。とはいえ例外もあるが。
例外に漏れず白い壁が続く道を三人は歩く。一度右に曲がり、次に左に曲がって一番端まで行くと目標の部屋があった。
扉の上の所に『ジェイク・ハード』と彫られた金の板がついていた。白い壁と混ざり合ってしまいそうな白いドアをアットが開ける。中は四角形の広めの部屋が一つだけ。その中央に色々な機器が置かれていて、その前に白衣の人物が座っている。
「部屋に入る時はノックするのが礼儀だろ。何度言えば分かるのだ、マヌケ」
アット達三人は部屋に散らばったゴミの間を縫いながら白衣の人物――この部屋の主ジェイク・ハード――の後ろに立つ。
マヌケ、と言われて反応したのはアットだった。
「マヌケって言うな。ノックしない事で俺だって分かるだろ? お前こそ部屋片付けろよ、汚いなぁ」
綺麗にすれば一室だけでも十分に広い部屋を見渡しながら言う。ゴミは全体的に散らばっていたが、歩く為に蹴飛ばしでもしたのだろう、特に左右に溜まっていた。
ジェイクは向き合っていたPCの画面から離れ、回転椅子を回して三人の方を向く。
ジェイクは見た目でも大分不衛生だと分かる姿をしていた。ろくに切られていないのか、あっちこっちに伸びたい放題の茶色の髪、少し黄ばんだ歯。目の下には隈が出来ていて、頬の肉は削げ落ちたかのようだ。ただ、白衣だけは汚れ一つ見当たらないほど綺麗であった。
「で、何の用だ? ま、三人揃って来たって事は面倒ごとだな」
上目使いでアットに問う。しかしそれは自問自答にもなっていた。
アットが遠慮無く『そう、面倒ごと』と言うと、ジェイクは頭を掻いた。
「アナタにしか頼めない事なの、ジェイク。もう知っているかもしれないけど……」
「金塊奪還任務に参加出来なくて勝手にやろう、そんなとこだろ?」
ミリーが言おうとすると割り込み、見事に的中させ、少し自慢気に笑う。
「分かっているなら早い。こっちが知りたい情報も分かるだろう?」
幾分か威圧的にパレスが言う。ジェイクはまた頭を掻いて、不愉快そうに見た。
「分かっているよ。今終ったところだ。これを見ろ」
回転椅子を回してPCの画面に向き直る。目にも止まらぬ速さでキーボードを叩くと、PCの画面に地図が映し出された。大きな地図で二つ隣のSCまで映っている。
矢印を動かして金塊強奪事件が起きたとされる場所をクリックする。と、そこが拡大され、大きな地図から小さな地図に早変わりした。
それからまた少しキーボートとマウスをいじって画面を変える。一通りの動作を終えるとジェイクは首だけ三人に向ける。
「赤い丸で囲まれているとこが事件の起きた場所。赤い線が犯人達が逃げた大よその方向。さて、この先には何があるでしょう?」
右の人指し指を画面に向けて、ふざけながら言った。アットとミリーは真面目に考えを巡らせているようだが、パレスだけはジェイクを睨んでいた。殺気を込めて。
やはり不快な顔をしてジェイクがアットとミリーの顔を覗き込むと、
「分かった。砂漠」
と組んだ腕を元に戻しながらアットが言う。本人は真面目にいったようだが、ミリーとジェイクは呆れ、パレスはまだ睨んでいた。
「砂漠なのは当然だ、このマヌケが。赤い線が本当に犯人達が逃げたルートなら"古城"がある。誰も住んでいないはずなのに緑が生えている城がな」
口の端を軽く吊り上げてジェイクが笑う。その笑いは何処かかっこよさがあって、身なりを整えれば女性が黄色い声を上げそうなほどだ。
四人の内唯一の女性であるミリーはしかし気にせず、なるほどと頷くだけであった。アットもまた、不満気な顔を一瞬だけ浮かべながらも納得する。
「緑は大変貴重で、丁寧に育てなければ外の世界ではすぐ枯れる。それがあるってことは誰かが古城を使っているってことだ。もし緑が偽物だとしてもそれを植えている奴がいる。つまり……」
「古城がアジトか」
得意気に結果を言おうとしたジェイクが睨みを効かす。良い所を虫の好かないパレスに横取りされてしまったからだ。だからといって情報員であるジェイクが戦闘員であるパレスに手を出す事は無い。
「この情報を他に知っている奴はいるのか?」
「調べれば誰でも気付くだろ、こんなこと。それぐらい分かれ、マヌケめ。が、俺が調べている間にこの事に気付いて調べた奴はまだいない。他の奴等は怪我人のとこだろう、多分」
ジェイクとアットは他の二人よりも付き合いが長かった。入ってすぐ"社員"として同僚になり、意気投合し隊員になってからも付き合いがある。任務の時もよくジェイクに情報を仕入れて貰っていた。
そのジェイクがアットの事を初めて『マヌケ』と言い、アットの異名『マヌケ』の生みの親である。
不満、というよりは半ば怒りを表し顔を多少赤くしているアットを置いて、ミリーが言う。
「ありがとね、ジェイク。無事成功してクビにならなかったら報酬を出すわ」
「今さら報酬なんていらないさ。それより、俺とデートしてくれ」
ジェイクは不健康な顔でウィンクを飛ばす。ミリーは少し引いて苦笑して一歩下がる。
「んじゃ、もう行くわ。またな」
アットがそう言いながら手を振った時には、パレスはもう部屋の外だった。続いてミリーがもう一度礼を言ってから外に出る。
最後のアットが部屋を出ようとしたとき、背中越しに声が届いた。
「もし"無事"成功したらマヌケって呼ぶの辞めてやるよ」
アットは返事をしないまま部屋を出て扉を閉める。ばたん、と扉が閉まったのを確認してアットは微かに笑いながら呟く。
「忘れるなよ」
ジェイクの部屋を後にした三人はエレベーターの前で止まっていた。ただ、エレベーターを待っているわけではないようだ。上、下どちらのボタンも押されていない。
壁によりかかって少しうつむいていたアットが顔をあげ、よしと呟いてから無表情で自分を見ている二人に言う。
「これからの事だけど、俺は独自で古城の持ち主と、出来れば構造を調べてくる。二人は他の奴等に気付かれないように"エモノ"と"アシ"の用意頼むよ」
アットが言うエモノ、アシと言うのはつまり、スペシャル隊員達の専門用語だ。エモノは武器を、アシは移動手段を指す。
無表情でパレスとミリーの二人は頷き、その返答をアットは笑って受け取る。
アットが壁から背を離し、エレベーターの下を向いている矢印型のボタンを押す。扉の上についている数字が一つ一つ、上に上がってくる。
数字が十三のところまで来た時、ミリーが当たり前の疑問を思い出してアットに言った。
「アンタ"独自のルート"って言うけど、なんで戦闘員のアンタがそんなルート持っているの?」
数字は三人関係無く進む。アットは無言で数字だけを見ていた。十七、十八、十九、二十、扉が開き、アットは中に入って振り向き様に答える。
「地下街に馴染みの店があるのさ」
ゆっくりと左右の扉が中央に戻る。アットは確かに、扉の隙間からミリー、それとパレスの驚愕の表情を見て取った。それが面白かったのか、独り狭い空間で笑った。
エレベーターは一度も止まる事無く、地下一階の駐車場に着いた。アットはエレベーターから降りると早歩きで、愛車の元に向かった。
広い駐車場の一番奥、社員専用の場所にアットの愛車――何処にいても一発で分かってしまいそうな程派手な赤色のスポーツカーにたどり着き、運転席に着くと胸ポケットからサングラスを出してかける。エンジンを入れ、颯爽と駐車場から姿を消した。
クイーン社前の大通りにアットの愛車が出ると、歩道を歩いていた大勢の人の何割かが足を止めてアットの愛車を見ていた。アットの数少ない自慢の一つがこの愛車だった。
人の視線が嬉しくて、アットは運転中ほとんどニヤニヤと笑っていた。人々が驚いているのは車の魅力ではなく、出てきた場所が場所だけだったからだ。それを知らずに自慢気な笑みを絶やさずに大通りを駆け抜ける。
大通りをあっちにいったり、こっちにいったりして今も昔も変わらず存在する大都の裏側に辿り付く。
ボロボロの建物に挟まれた狭い道を場違いな車が走って行く。時折道の端で寝ている浮浪者や、殺し合いになりかねない喧嘩をしている若者などが見える。今も昔も変わらない大都のもう一つの顔だった。
ここはここでアットの愛車は目をつけられていた。さっきとは違う視線は、殺意にも似た者だ。あれを売れば当分暮らせる、そんな思いが浮浪者や、ならず者達を動かし、目的の場所に着いた頃には囲まれていた。
サングラスを胸ポケットに入れて、愛車から降り立つ。殺気の篭った目が幾つもアットを睨んでいた。数は十一人ばかり、それぞれが手に凶器を持っている。
まだ十七、十八ぐらいの若者三人が初めの犠牲者となった。
「おいアンタ。良い度胸してんじゃねぇか。ここでそんな高級車乗り回してたらどうなるか分かってんのかぁ?」
着こなされた白いシャツに革ジャンを羽織り、ボロボロのジーパンを穿いた金髪の若者が右手に持ったナイフを車に向けていった。アットは笑みを浮かべながら肘を折って、両手を上に向けてとぼけた仕草をする。
「てめぇ、今の自分の状況がぁっ……!?」
金髪の後ろにいた茶髪の若者が前に出ると同時に、後ろに吹っ飛ぶ。仲間と思われる金髪と、もう一人の黒髪の男が茶髪の男を視線で追う。
目を丸くして、一瞬間を置く。それがいけなかった。
茶髪を吹っ飛ばしたのがアットだと気付くのに僅か二秒。当たり前と言えば当たり前だったが、突然の事で驚いていたのだろう、二秒もかかってしまった。戦闘のプロにとって二秒あればチンピラを倒すのには十分だった。
黒髪がナイフを強く握り締めて、振り向くとすでに拳が目の前にあって、顔面を強打する。黒髪が後ろにゆっくりと倒れている間に、金髪がナイフを振り上げる。
どさっ、黒髪が地面に堕ちた音を聞く事なく金髪は鳩尾に蹴りを一発くらい、腹を抑えながら前のめりに倒れる。
「全く、見掛け倒しかよ、つまらねぇの。さてと、次は誰がやる?」
気絶した三人をたっぷり見下した後、車と自分を囲んでいる残りの者達に目を向ける。
長い間この争いの絶えない裏の大都で暮らしてきた者達なら無謀な戦いはしない。アットと車を囲んでいる者達はどうやら長い間住んでいるようで、潔く自分の根城に帰っていた。世間知らずはあっさり倒された若者三人だけであった。
「無駄な時間使ったな。とっとと行くか」
アットは愛車の防犯装置を作動させ、目の前にある地下に続く階段に足を踏み入れる。この階段の下に広がるのは、真の意味で"裏の大都"である地下街だ。軽重問わず犯罪者達や、はぐれ者、ならず者、表の世界では生きていけない者達が集う街だ。
一般人や、スペシャルの隊員が一人で踏み込めばほぼ確実に殺されるであろう犯罪者達の楽園に、無謀にもアットは一人でそこに向かっている。長い長い階段を下り終えると今度は長い長い通路が続く。
階段に入って三十分もすると、大きな広場に出た。左右に半円状の穴があってその中に酒場が作られている。中央の本来は何もないはずのスペースには、四、五人で囲める程度の木造の丸いテーブルが無数に置かれ、それだけでは収まりきれない程の者達が無理やりそこに収まっていた。
「相変わらず五月蝿いなぁ」
口では文句を良い、顔では笑っている。広い空間いっぱいに裏の人間達の笑い声が轟く。誰が何を喋っているかは全く分からない。とにかく五月蝿い、この一言で十分な状態だ。
テーブルの僅かな隙間を縫うようにアットは歩き、馴染みの店に向かう。誰もいなければわずか二分でいける道も、あまりに人が多く辿り付くのに六分もかかった。
「よぉ、みんなぁ! 久しぶり!」
一つの酒場の出入り口で大きく叫んだ。酒場の中にも丸い木造のテーブルが幾つも置かれ、それを数人が囲んでいる、外の広場よりはゆとりがあって、幾分か外の酒場に近いものがある。
アットの声に反応して数人が振り、立ち上がって声をあげる。
「お、アットじゃねぇか!」
「スペシャルの隊員サマがボロの集まりに何の様だぁ〜? へっへっへ」
何人かが叫ぶが、どいつも酒を飲んでいて呂律が悪かった。それだけでも聞き取り難いのに、さらに外の騒ぎ声で特に大きい声二つが耳に届いた。
アットは笑って答えて、カウンターの丁度中央の席に着く。
「マスター、久しぶり。景気はどうだい? あ、俺いつものね」
マスターと呼ばれた禿頭の男は細い眼を開いているのかどうか、微妙なところで保ちグラスを拭いていた。アットが間近で声をかけてやっと細い眼をひらき、ふっと笑った。
「景気なんて言う必要があるか? 分かっているだろうが。ほら、いつものだ」
マスターは手際よく小さなグラスにテキーラをたっぷり注ぎ、アットの前に出す。
ありがと、と笑みを絶やさずに小声で返すと、テキーラを一気に飲み干す。
「お前がわざわざここまで来たんだ。何か知りたいことでもあるのだろう?」
マスターは再びグラスを拭いていて、当たり前のようにアットの本心を見抜いた。
「さすがマスター。俺の思っていることなんて何でもお見通しなんだ」
くっくっく、ともう酔いが回ったのか、頬を少しだけ赤らめて笑う。ふっ、と唇の端を注意しなければ気付かないほどに吊り上げて、マスターも笑う。
「そう、みんなに聞きたいことがあるんだぁ!」
ふらふらと安定しない足で椅子の上に立ちあがる。アットの眼前にいる男達は口々に何かを言っているが、外の騒ぎ声と酔ったアットの耳にはさして届かなかった。
「外のハズレにある"古城"、ここをアジトにしているグループってあるかぁ? 見当があるなら言ってくれぇ〜」
極端に狭い椅子の上で器用にアットはふらついている。眼前の男達はその言葉だけで酔いが冷めて、隣の者同士と小声で話し合いを始める。
アットが緩んだ目で見守っていると、意見が一致したようで一人の年輩の男が言った。
「それならきっとテーブルの奴だ。前に古城の方に行くのを見たことがある奴がいる。逆にそこから出てくるとこを見た奴もいるしな」
「そう〜テーブルか〜…。ん、テーブルってあの武器商人の?」
今の今まで酔ってふらついていたアットは一瞬にして正気に戻る。確認するように聞くと、そうだ、と年輩が即答した。
アットは椅子から降りて座りなおす。顎に右手の親指と人指し指を当ててあからさまに考えている様子を出す。
少しだけうつむいて考えていると、次の質問を思いつきすぐに聞いた。
「じゃぁさ、テーブルんとこが近頃何しているか知っている奴はいるか? 何故古城を根城にしたとか、さ。危険かもしれねぇけど、俺もクビかかってんだよ。昔の馴染みで頼む」
わざとらしく両手を合わせて前かがみに何度も動く。アットの事をあるいはパレスやミリー達よりもよく知っている男達は笑いながら「いいってことよ」と誰もが答えた。
それから近くの者同士で話し合って情報をまとめだす。アットは彼らを心底信頼し、頼っていた。意見がまとまる間椅子の前で足をばたつかせていた。
すぐに意見はまとまり、年輩の男が手に持ったグラスを弄びながら言う。
「古城を根城にしているとこまでは知らないが、奴等、近頃商売が上手くいっていないらしい。なんでも大組織から手切られちまって、赤字なんだとよ。この前ここで飲んでた下っ端が言っていた話だ」
グラスに口をつけ、一口飲む。大広間の喧騒が鮮明に聞こえるほど、酒場の中は静まり返る。
静寂を破ったのは、少しは冷静になったアットだった。
「そうか、ありがとよ。よし、今日は俺のおごりだ! 皆、大いに飲んでくれ!」
アットはマスターが予め用意しておいた二杯目を手に取り、頭上に掲げる。映画や何やらならば、ここで歓声が起きるはずだ。アットの目の前で酒を飲んでいる男達が発したのは歓声ではなく、ただの笑い声だった。
「今までお前は何度そう言って自分の分も払わずに逃げたんだよ」
「それにそんな楽にしていていいのかぁ? こんなとこで情報集めて、お前はほんと嫌な奴だよ」
何人かが似たような事を笑いながらアットに言った。アットはそれに笑いで答えると、今まで前に向けていた視線を酒場の出入り口に移す。
毎日変わらない酒の臭い。止まる事の無い笑い声。頻繁に起こる喧嘩。そして、時折起きる人殺し。いつもと変わらない風景の中に、雰囲気の違う男がいた。
アットが視線を注いだ男は、酒場の出入り口で一人静かに飲んでいた。一人で一つのテーブルを使う事など、ここでは到底無理な話だ。大体、一人寂しく飲む者などここにはいない。
白い紙に一つだけある黒い点のようにはっきりとした男は、ズボンのポケットから犬儒を引き抜き、間を置かずにアットを撃った。
未来でも予知していたのか、アットは男が拳銃を抜く前にカウンターの内側に飛び込んだ。アットが居た場所を銃弾が通り過ぎ、カウンターの奥にある棚にあったグラスを破壊する。
男は避けられたことに多少の驚きを見せたが、慌てずに酒場に向かって走り、カウンターに隠れている標的を殺そうとした。が、酒場の中に一歩踏み込んだ時点で、男の命はアットの物になっていた。
「な・・・」
出入り口に一番近いところで酒を飲んでいた、五人のそれなりに歳を経ている男たちが各々の武器を、アットを狙った見ず知らずの男に向けている。
次の銃弾が来ないことを確認して、カウンターを飛び越してアットが男の目の前にたつ。
アットを狙った男は額に汗を浮かべ、初めの冷静さは何処へやら、肩を小刻みに震わせながらアットと目を合わせる。
「いい腕だ。気付くのがあと少し遅れていたら死んでいたよ。それと、追ってこの酒場に入ってくれなければ捕らえることも出来なかった。感謝する」
勝ち誇った笑みを敗者に渡す。出入り口に二人、残り三人が左右と後ろにいて、前にアットが居る。例えアットを殺すことが出来ても次の瞬間には自分も死んでいるといった状況だ。
「何故だ? お前はスペシャルの隊員だろ? 何故生きてここにいられて、手を貸してもらえる?」
怯えながら、口を震わせながらやっと言葉を紡ぎ出す。アットはそれが当たり前のことであったから、その質問に少し驚いた。一拍の間を置いて、さらに強い笑みを浮かべる。
「俺はスペシャル隊員になる前まで、ここで生きていたんだよ。さて、お前の質問はこれまでだ。今度は俺の番だぜ? 嘘言ったらどうなるか、分かっているよな?」
勝ち誇った自慢気な笑みは一変、相手を恐怖に陥れる不気味な笑いと化していた。
男が捕まってから三十分が経った。男は椅子に縄で縛られ、アットに見下されながら、威圧的に質問を受けつづけていた。それもようやっと終わりが来て、安堵の息を漏らした。
アットは得た情報を頭の中で整理しながら店内をぐるぐると歩いていた。顎に右の親指と人指し指を沿えて考えにふける。
考えがまとまったのか、下を向いていた顔が明るく上がり、男の前に行くと今度は一般的な笑みを浮かべた。
「色々教えてくれてありがとよ。もうお前は自由だ。行っていい」
そう言って男を取り囲んでいた男達に視線で指示を送る。囚われの男の縄は素早く解かれ、アットを撃った拳銃も返された。男は縛られていた両手を互いにさすりながら拳銃を受け取り、店内にある顔を見回して店の外に出る。
丁度捕まったところで男は振り返り、拳銃をアットに向ける――と同時に左足を撃たれ、悲鳴と赤い血を撒き散らしながら男は倒れた。
男が振り返り、自分を撃ってくることが分かっていたアットは、男が背を向けた時から拳銃を構えていたのだ。
「悪いな。俺はまだ死にたくないんでね。じゃ、俺は行くからそいつよろしく。それとマスター」
今までの騒動に顔色一つ変えずに仕事をこなしていたマスターの方を向いて右手を上げる。
「今回の分もツケといて。皆、元気でな!」
上げた右手をそのまま左右に振りながらアットは勢い良く走り出した。残された者たちは次々に愚痴を言う。その中でも特にマスターの声には殺気じみたものがあった。
「これで百万オーバーだ。次来た時返さなかったら・・・・・・。ふっ、まぁいい」
グラスを拭く手を止めて極めて薄く笑う。もしもアットがこの場にいたなら、反射的に逃げ出していただろう。それだけの凄みがマスターの笑みにはあった。
アットは地下街から有らん限りの力を振り絞り、行きの半分も経たずにクイーン社に辿り着いた。息を荒く乱しながらも受付嬢に社内アナウンスを頼む。
『ミリー・ナチュル様、パレス・クーヴェル様。アット・アンダー様がお待ちになられております。二十五階、社員食堂までお越しください。繰り返します。ミリー――』
人と会うのに場所が社員食堂という奇妙なアナウンスが社内に流れているころ、ミリーは頬を赤く染め、
「あのバカ・・・・・」
と額に手を当てて首を左右に振って呆れていた。パレスは表情には出していなかったが、両拳を強く握り、あきらかに震えていた。それは怯えでも、恐怖でもなく、恐ろしいといってもいいほどの怒りが起こしたものだった。
二人が急いで二十五階の社員食堂に行くと、そこには誰もいなかった。誰も、というのは社員だけのことで、相変わらず年輩の女性が一人だけ調理場で雑誌を読んでいる。
呼び出した本人は何処にもいない。あれだけ恥ずかしいアナウンスを流され、急いで来たというのに本人がいない。二人はただただ呆れ、怒ることしか出来なかった。
呼び出しから五分、乱れた息と髪を整えながら、汗だくのアットが社員食堂に飛び込んできた。二人を見て、最初の数秒は息を整えるだけだったが、すぐに笑顔になり叫ぶ。
「よぉ! ミリー、パレス! どうだエモノの」
アットは目を丸くして喋るのを一時中断した。目の前まで来た二人の瞳には、真っ白と言える呆れの色と、それとは対照的な真っ赤に燃える怒りの色に染まっていた。
生唾を飲み込み、額から汗が零れるのを待ってからゆっくりとさっきとは違う言葉を吐き出した。
「ま、待った?」
間を置くことなく、ミリーのビンタが右頬に、パレスのビンタが右頬に命中した。ミリーの方が僅かに早く、顔が左に動いたところに強烈なパレスのビンタ。体が一瞬宙に浮き、顔は反対側を向く。
アットは両手で頬をさすりながら、半ば涙目で二人を見つめる。
十分程は険悪なムードが社員食堂を包み込み、会話は一切無かった。それでも彼等に時間は無く。ようやくの事でアットは口を動かす。
「あ、あの、悪かった。け、けど、な? もう許してくれ。悪いけど、話を始めるぜ?」
まだ収まらない額の汗を拭いながらアットは二人の顔を交互に見る。短気で荒っぽいパレスはともかくとして、ミリーはゆっくりとだが頷いた。
元々パレスの反応に期待していなかったアットは、安堵の息を漏らし、本題を話し始めた。
「俺が仕入れた情報によると、間違いなく外のハズレにある古城はテーブル一味の根城だ。古城には地下があって、そこに金塊を隠しているらしい。地下に行くには内側、外側どっちからでも行ける。そこで二人には外側から地下に行き、金塊の在処と色々な所に爆弾を仕掛けて欲しい」
社員食堂には有り得ない空気が満ち、三人は全くもって真剣な表情をしていた。作戦の話になってパレスもようやく機嫌を直し、話に加わった。
「どうやって仕入れたかはもう聞かないけど、凄い情報ね。爆弾ならどの道使うだろうと思って小型の奴を幾つか貰ってきたわよ」
「お前だけ一人で暴れようってのか。そうはいかない。正面突破するのは俺だ。裏方にはお前が回れ」
威圧的に、圧倒的にアットを睨みつける。後少しでも怒らせればアットの命は危ない。暴走した猛牛を止めるのは昔から楽ではない。
「お前の気持ちはわかる。だが、ばれちゃいけないんだよ。お前じゃ大きすぎるし、好戦的過ぎる。敵を見つけたら撃つんじゃなくて隠れるんだ。それがお前に出来るかい?」
表向きは明るく、本当は恐くてしかたがないアットはなるべくパレスの目をみないように言った。数秒の無言を経て、パレスは渋々納得する。
上手く行くとは思っていなかっただけに成功した時の喜びは大きい。アットは思わず笑ってしまった。二人共不思議な顔をしたが、何も言わなかった。
「ゴホン。簡単に言えば今言った通りだ。俺は城内に忍び込みテーブルを捕まえる。爆破するタイミングは、通信機ある?」
「あるわよ。ボタン型の最新式」
ミリーが微笑んで言いながらスーツのボタンと瓜二つの通信機を三つテーブルに置く。アットはそれに答えて微笑む。やはり内心は恐がっていた。何故ならミリーが微笑む時は本気で怒っている時であるからだ。スペシャルの隊員内では常識であった。
「それなら簡単だ。爆破のタイミングはそれで教える。もし、教えられない状況にあったなら、そこは長年付き合ってきた友情で知って」
「そんなものないわよ」
「あるはずがない」
二人の断言にそれなりのショックを受けたアットは、「あ、そぅ」と寂しげに言った。
「じゃぁそういう事だから、早速行こうか」
早く目の前の二人から逃げたいアットは肝心なことを言わずに立ち上がった。明らかに逃げ様としているアットをミリーの優しそうで恐ろしい、パレスのそのまま恐ろしい瞳がアットに集中する。
やっと止まった額の汗が再度噴出す。まずいことを言ったか、やったかと脳の隅から隅まで探し出す。
十秒ほどして自分の失敗に気付き、着席する。
「外から地下に入るには一番古城に近い地下街に行って、『道案内だ〜れ?』と入り口にいる片足を怪我した男と、ボロボロの年輩の男に行ってくれ。そうすれば道案内をしてくれる」
そういいながら二人の瞳の奥を見ると、最初よりも濃い炎を宿していた。
もう止まりようのない汗を諦め、アットは素早く立ち上がり、
「そういうことだから。よろしく!」
と言ってテーブルのボタンを一つ掴み、脱兎の如く社員食堂から飛び出した。
残されたミリーとパレスはしばし考えた後、ゆっくりと立ち上がり、揃って自分に言い聞かせる。
「成功したらたっぷりお仕置きしなくちゃ」
「事が終ったら殺してやる」
今、自分達がしようとしている事などもう終ったかのように、二人は今後の事をしっかりと考えていた。