はじめに
「俺らってアホやなあ」
ある日、友人の一人がしみじみと言った。
確かにその通りだと思う。
学生生活といえば、生涯でもっとも自由だと言われる時期である。
その貴重な時間をこんなことに費やしてしまっている私たちは、確かにバカだとしか言いようがない。
私たち、というのは「串八マン」のことである。
貴重な学生としての時間を、たかがアルバイトのためにつぎ込んでしまっている、バカな連中のことだ。
のっけからアホだのバカだの連発しているが、実際にそうなのだからしょうがない。
だって、みんな自分がおかしなことをしていると分かっているのだ。
分かっていて続けているのだから、これはもうバカと言うほかにない。
つまり、「串八」にはそういう連中が集まるのだ。
「どこか一本ネジが外れてるやつじゃないとやっていけない」というのは、とある先輩アルバイトの言葉だが、これは彼らの特徴をよく捉えた発言だと思う。
ただ誤解しないでもらいたいのは、彼らはただ「バカ」なのであって、頭がわるいのではないということだ。
彼らはみんな、ちゃんと物事を考える頭をもっていて、将来のこともいちおう考えてはいる、いわゆる「しっかりした子」なのである。
じゃあ、なんでそんなやつらが「バカなこと」をやり続けているのか。
それが、今回私がここで考えようとしていることだ。
「串八マン」たちは、ここで何を考え、何を目的に働くのか。
そして、最後に何を得るのか。
そんなのは卒業してからでないと分からない、という人もいるが、それではあまりにもバカらしいので、私なりに考えてみた。
以下で論じるのは、それである。
なお、一部に特定の個人をさして論じているところがあるが、それらはあくまで私の勝手な視点から記したものであり、他人の名誉を傷つける意図は一切無いことをお断りしておく。
第一章
「串八」とその仲間たち
まず、「串八」について説明しておこう。
名前を聞けばだいたい想像はつくと思うが、もともとは京都で串カツを売る店であった。
ただ、店舗の拡大にともなってだんだんメニューも増えてゆき、今では串カツ以外のメニューのほうが多いし、
酒の種類もそれなりにあるので、よくある居酒屋の類だと思っていてもらえれば間違いはない。
しかし、どこにでもある普通の居酒屋かというと、そんなことはない。
まず人気の度合いが違う。
創業は昭和53年なのだが、以来ずっと根強い人気を誇ってきた。
最近は不景気のせいもあってか以前ほどの賑わいはなくなってしまったものの、それでも毎週土日ともなれば店は常に予約でいっぱいになる。
平日でもそれなりに多くの来客があり、ときには待たないと入れないということもしばしばあるので、
いつ行っても閑散としている他の店と比べれば十分すぎるほどの客足は保っていると言える。
なぜ、それほどの人気があるのか。他とくらべて一番違うところは何なのか。
味。値段。立地条件。
飲食店が流行る条件といえばそういうことに目が行きがちだが、いま私がここで言いたいのはそういうことではない。
というのも、「串八」が人気を保っていられる一番の秘訣は、そこに働く人たち、つまり「串八マン」にあるのではないかと私は思っているのだ。
「串八マン」とは、社員、アルバイトに関係なく、串八で働く者すべてのことだ。
そう呼ばれる人はみんな、それとしての自覚を持って仕事に臨むことを義務付けられている。
ようするに、全員がプロ≠ノなれ、ということだ。
お客様≠喜ばせるプロとして、相応の自覚と、それに見合うだけの能力が求められる。
出来なかったときは、こっぴどく叱られる。
「アルバイトだから」という言い訳は、ここではまったく通用しない。
ここまで読んでいただけたならもうお分かりだと思うが、私もそんな「串八マン」の一員である。
始めたきっかけは、なんでもないことだった。
雑誌か何かで下宿先から近いアルバイト先を探していて、たまたま目に留まっただけ。
こういう場所だとは、まったく知らなかった。
ただ、入ってみてすぐに「しまった」と思ったかというと、そうでもない。
というのも、私にとってこれが人生で初めてのアルバイトだったのだ。
アルバイトというものの基準が分かっていなかったので、ずっと「こんなものかな」と思って耐えてきた。
私がここで働き始めてもう4年になるが、「どうも他とは違うようだ」と気が付いたのは、わりと最近のことだったりする。
冷静に考えてみれば、まったく割に合っていないアルバイトである。
なんせ、これだけのことをやらせておきながら、時給は800円。
いちおう昇給制度はあるものの、他に比べてとりわけ時給が良いかというと、決してそんなことはない。
その他の手当てなどを含めて考えても平均的、もしくはそれ以下の条件である。
ならば、私を含めた多くの「串八マン」たちは、なぜ辞めずに続けているのか。
そう疑問に思ったのが今回これを書くきっかけになったわけだが、とりあえず今それはおいておくとして、
ここでは具体的に「串八マン」とはどういう人たちなのかを説明していくとしよう。
現在、株式会社「串八」には、系列の店も合わせると10を超える店舗があるのだが、
私が働いているのはその中で最も売り上げの高い「串八白梅町本店」だ。
本店の従業員総数は75名で、そのうち51名をアルバイトが占める。
51名のアルバイトのうち、圧倒的に多いのがやはり大学生で、正確な数は分からないが、おそらく40人近くは居ると思う。
残りの10余名はフリーター、高校生が少々といった感じだ。
論考の内容からして、ここで紹介するのは大学生だけに限らせていただきたい。
すべてを対象にしてしまうと、話があまりにもややこしくなってしまうので。
さて、ではどのような大学生が「串八」では働いているのだろうか。
さっそくだが、最終頁のアンケート結果をご覧いただきたい。
アンケート用紙の上にもあるように、これは「串八」でアルバイトをしている大学生を対象にしたアンケート調査の結果である。
いちおう念のために説明しておくと、それぞれの回答の後ろにあるカッコ内の数字が、その回答を選んだ人数となっている。
具体的は、男女・年齢問わず、「串八」でアルバイトをしている大学生30名を調査対象とした。
まず見ていただきたいのは、ひとつめの「現在、あなたにとって最も親しい友人が多い場所はどれですか」という質問に対する回答である。
いちばん多かったのは、3番の「部活、サークルなど」の11名。
大学生というものの性質を考えれば、これはごく自然な結果だ。
入学したての、右も左も分からない新入生が、自分の趣味にあうサークルに入って共通の趣味をもつ友達をつくる。
これが、大学生活においての友達づくりの基本的なスタイルといえるだろう。
ここで注目すべきなのは、30名中の9名が、「串八」とこたえていることだ。
これは、取りも直さずその9名にとって現在、「串八」が人づきあいの中心となっているということをあらわしている。
これはなかなかすごい。
いくら人数が多いとはいえ、社員でない私たちにとって「串八」はしょせん、ただのアルバイト先なのである。
だというのに、そこが人づきあいの中心となっているというのは、学生の常識としては考えられない。
そう思って考えてみると、確かに休みの日などにはアルバイト仲間どうし連れ立って遊びに行ったりしているのをよく見かける。
ときには、その中からカップルが誕生したりもしているようだ。
バイト先で恋人を見つけるというのはそう珍しいことではないが、
男同士、女同士でも普段からしょっちゅうつるんでいるというのは、ただのアルバイト仲間としてはかなり特殊だと思う。
それだけ、「串八マン」たちは仲がいいということである。
なぜそんなに仲がいいのか。
それは、他のアルバイトと比べて「同じ作業を共有している」という認識がつよいからだと私は考える。
この章の始めで言ったように、「串八マン」たちは仕事において、一般的にいうアルバイトの範囲を超えた、一段上の仕事というものを要求される。
しかも、ただ要求されるだけではない。
「串八マン」たちはみんな、仕事にたいしてきちんとした認識を持っているのである。
それは、「みんなでいい店をつくろう」というものだ。
ホールで働く者は「もっといい接客を」、厨房で働く者は「もっとおいしい料理を」。
アルバイト的な"やっつけ"ではなく、みんな本気で店のことを考えているのである。
そういう認識が、「串八マン」たちの仲間意識をより強くしているのだ。
彼らにとって共に働く人たちとは、ただの仕事の同僚というだけでなく、同じ目標をめざしてがんばっている仲間、大げさにいえば同志≠ニいうやつだ。
仲がよくなるのも当然といえる。そうして「串八」での友人がだんだん増えていき、結果として大学生アルバイト30名中9名が「串八」に人付き合いの中心をおくようになったのである。
もっとも「串八」は居酒屋であるのだから、当然仕事は夜遅くにおよぶことになる。
つまり、「串八」中心の生活というのは夜型の生活ということであり、そこに問題がないかといわれれば答えはノーだ。
実際、「串八」での仕事で帰りが遅くなったせいで、翌朝寝坊して学校に行かなかった、なんてのはほとんどの「串八マン」が経験していることだ。
それでも懲りずにずっと続けているバカらしさも、冒頭で言った「俺たちはアホ」ということに含まれているのである。
アホというからにはやはり真面目ではないわけで、少なくとも今私が思い出せる範囲では、「串八マン」に"真面目"という言葉が似合う人は居ない。
やはり、「どこか一本ネジが外れたやつ」ばかりだ。
ただ、「串八マン」たちは基本的に常識人である。
矛盾しているようだが、実際に「串八」の人気を支えているのだからそれは確かにそうなので、なんだかんだ言っても傍目にはそれほど「変」には見えないと思う。
仕事中、裏でシャドーボクシングをやっていたり。
落ち込んでいるやつを元気付けるために変な踊りをやってみたり。
何を言われても返事を「ウィー」としかしなかったり。
こんなことを真面目に論考している私を含め、まあ変といえば変ではあるが、総じてどこにでも居そうな感じのする程度のものだと言える。
私のいう「変」とはあくまでたかがアルバイトに本気で情熱を燃やしていることに対するものであり、そこを除けば「串八マン」は普通の人たちなのだ。
むしろそうであるからこそ、たかがアルバイトに生活の大部分をささげているのが「変」なのである。
そんな「串八マン」たちだから、店側にとっては大変に貴重な存在である。
なにしろ、現在の「串八」の人気を支えているのは、間違いなく彼らなのだから。
社員が影から尽力しているおかげだ、とも言えるが、少なくとも一般客にとってはアルバイトの従業員と接する機会のほうが多いはずだ。
社員24名というのは他の同様の店とくらべても多いほうだと思うが、社員の多くは厨房で働いているので、実際に接客するのはアルバイトがほとんどだ。
つまり、客にとってこの「串八」の顔となるのは、アルバイトだということである。
料理だけでなく接客に対してもかなりのこだわりをもっているこの店で長いこと仕事を続けているのだから、彼女ら(接客するアルバイトは女子のほうが多いので、ここは"彼女ら"としておく)もちょっとしたプロだ。
どんなことにもすばやく、にこやかに対応してくれる。
少々のことでは笑顔を絶やすことはないし、なにより何かトラブルがあったときの対応がすばらしい。
厨房で料理をつくることしか能の無い私にはちょっと真似できない芸当である。
要するになにが言いたいかというと、みんなすごい人たちなのだ。
「バカ」だとか「変」だとかいいつつも、なんだかんだで結局は有能な人材があつまっているということだろう。
いや、私もそのうちの一人なのだから自分で言うのも変かもしれないが。
しかしたとえ有能であっても、本人にその能力を生かす気がなければ意味が無い。
では、「串八マン」たちは、仕事に対してどういう考えをもっているのだろうか。
それを、次の章で検証してみようと思う。
第二章
「串八マン」たちの思うこと
「串八マン」たちは、何を思って働いているのか。
一般的にアルバイトと言えば、たいていの人が「だるいなあ」とか「早く終わらないかなあ」などと思いながらやっているのが普通だと聞く。
だが、前の章で言ったように、「串八」での仕事というのは普通のアルバイトとは少し、というかだいぶ違う。
たぶん、そんなことを考えながらやっていたとしたら、すぐにいやになって辞めてしまうと思う。
では、「串八マン」たちは一体、何を考えて仕事に臨んでいるのだろうか。
「よりよい店をみんなでつくる」というのが共通の目標となっている、とさきほど述べたが、それではどうすれば「よりよい店」をつくることができるのか。
大まかに言えば、それが「串八マン」たちが仕事中に考えていることである。
具体的にどういうことか、というのは人それぞれなので一概には言えないが、とりあえずみんな前向きな考えをもって仕事に臨んでいるのは間違いない。
これだけだとよく分からないと思うので、私が一番よく知っている「串八マン」、つまり私自身のことを例に挙げてみようと思う。
私は主に厨房で働いているのだが、その時にまず考えるのは「レシピ通りの料理をいかに効率よくつくるか」ということだ。
なんだか機械的に聞こえるかもしれないが、私の経験上、これが「串八」の厨房で働くうえで最も大切なことなのだ。
いくら社員なみのことを求められるとはいっても、やはりアルバイトはアルバイト。
長い研修期間を経るわけでもないし、もともと料理が得意な者たちがあつまるわけでもない。
私たちの作る料理のレシピは、そう難しいものではないのである。
当然、難しくない中にも工夫の余地はあるのだが、そういうのは自然と身についてくるもので、意識するというのとは少し違う。
一つ一つの作業をいちいち考えながらやっているかというとそうでもない。
レシピ通りの料理をつくるというのはそう難しいことではないので、教えられたとおりにやっていれば出来のわるい料理などをつくってしまうことめったにない。
だから、私がいちばん意識しないといけないことは、料理を遅らせないようにすること。
何度もいうようだが、「串八」はかなりの人気店。
客の量が多いぶん、注文される料理の量も半端ではない。
それらすべてにおいて高い質を保ったまま、なおかつ遅らせることもないように"お客様"のもとへ届けることこそが、私が仕事において最も意識していることである。
では、どうすればそれが出来るのか。
例えるなら、厨房での仕事はスポーツの団体競技に似ていると私は思う。
考えなければいけないことは、つぎに何がどうなるのか、そのときに自分は何をすればいいのか。
つまりは、先読みが大切だ。
また、仲間との連携も大事だと言える。
仲間と同じ動作をやっていても効率は大して上がらない。
自分の役割をしっかりわきまえて動くことも大切になってくる。
むろん、ひとつひとつの動作をすばやくすることも必要なので、そういう意味でもやはりスポーツに通ずるところがあるように思われる。
あと、なんだかんだ言って頭よりさきに体が動いているところもそうだ(これは私だけに言えることかも知れないが)。
私が仕事中に考えていることは、だいたいこんな感じだろうか。
むろん、他のポジションで働いている人は、考えていることもまるで違う。
ホールでは視野を広く持って客の様子を観察するのが大事だし、洗いもの担当の人になるともっと手元のスピードのことだけを考えていると思う。
しかし、共通して言えることは、みんなそれぞれ自分のやりかたというものを持っていて、それをもとにして仕事の質をあげているということ。
考えなしにやっている人など、誰一人いないはずである。
「串八マン」は、仕事に対して真剣にとり組んでいる。
しかし、真剣であればあるほど、仕事に対する不満も出てくるものだ。
ではここで再び最終頁のアンケート結果を見てもらいたい。
いま取り上げたいのは二つめの質問、「串八での仕事で不満点を一つ挙げるとすれば、何ですか」に対しての回答だ。
いちばん多いのは3の「労働時間」で、合計30人のうち13人がこれを選んでいる。
あとは1の「時給」と2の「仕事内容」が3人で並んでいて、4の「その他」が11人。
「その他」の内訳は、「店がせまい」「設備がわるい」などで、「なし」とこたえた殊勝な輩も何人かいた。
いちばん多い「労働時間」についてだが、これは「就業時間が長すぎる」と言っているのではない。
むしろ逆で、「もっと働きたい」というものだ。
というのも、「串八」ほどの人気店にもなるとお役所のチェックも厳しいらしく、
年間103万以上稼ぐと課税の対象になるという規制に加え、月120時間以上働いてはいけないという規定も厳守しないといけない。
特別に時給が高いわけではない「串八」では、かなりがんばって働いていないとこの上限には届かないはずなのだが、実際には多くのアルバイトがこれに引っかかっているのが現状なのだ。
また、それとは関係なくても、単純に人件費削減としてなかなかシフトに入れなかったり、入っていてもすぐにあげられたりもする。
そういうことに対して不満をもっているのが、この回答を選んだ13人というわけである。
1の「時給」に関しては、単純な話だ。
何度も言ったように、「串八」での仕事はかなりきつい。
なのに、どうして平均的な給与しかもらえないのか。
要約すれば、そんな感じだろう。
もっとも、これを愚痴っている人はあまり見かけたことがないので、あまり深刻な悩みではないはずだ。
「不満といわれても特にないけど、あえて言うならこれかな」
という感じでこの選択肢を選んだのだと思う。
2の「仕事内容」に関してはさまざまだ。
希望しているポジションで働けなかったり、思うように評価してもらえなかったり。
この回答を選んだのは3人だけだったが、そういった細かい不満は、他の回答を選んだ人たちも大なり小なり持っているはずだ。
それだけ、「串八マン」たちは自分の仕事にこだわりを持っているし、それを評価してもらいたいと思っているのである。
「その他」に関しては一つ一つ取りあげていると長くなるので省くとして、総合して言えるのは「条件をもっとよくしてもらいたい」とみんな思っているということだ。
はっきり言って「串八」の労働条件そのものはあまりよくないのだが、この店そのものを嫌っている人はたぶん居ない。
だからこその不満なのであって、けっして「この店はだめだ」と言っているのではないということが、全体を通して言えると思う。
さて。
ここまでは「串八マン」たちが日々思っていることについて語ってきたが、
ここからはもっと長い目でみて、彼らが最終的に目標としているものは何なのかを考えていこうと思う。
「よりよい店をつくる」というのが大きな目標としてある、というのはすでに言った通りだが、個々の目標としてそれだけでは抽象的すぎる。
なにかもっと、具体的に目標とするものがないと、モチベーションを維持するのは難しいはずだ。
アルバイトたちの年間の目標となるものの一つとして、一年に一回開催される「サンクスフェスティバル」というものがある。
名前のとおり、アルバイトたちの日々のがんばりに感謝するというもので、具体的には多数居るアルバイトの中でもとりわけいい仕事をする者が選ばれて表彰されるというものだ。
言わずもがな、そこで表彰されることが、アルバイトたちにとっての目標となる。
賞はいくつかあり、新人に向けて与えられるもの、一つのポジションを極めた者に与えられるもの、理想のリーダーとして認められた者に与えられるものなどさまざまだ。
アルバイト各人にとって、それぞれ自分に合った賞を勝ち取ることが年間を通しての目標となるのである。
その表彰は毎年の年末、忘年会と並行して行われる。
つまり社員、アルバイト一同が会した前で行われるのだが、その雰囲気は非常に厳粛なものだ。
なんせ、その一年を通しての目標が達成できたかどうかが発表されるのである。
さきほど「串八」での仕事をスポーツに例えたが、それで言うとこれは試合の勝ち負けのようなものだ。
表彰されなかったものが認められていないかというと一概にそうとも言えないが、少なくとも「串八マン」たちにとって表彰される者のほうが勝者で、されなかった者のほうが敗者なのだ。
真剣になるのも当然であろう。
だから、表彰された者の喜びようといえば、半端ではない。
「よっしゃ」と声をあげるのは普通のことで、中には涙をながして喜んだりするものもいる。
はたから聞いているとなんだかクサいような気がするかも知れないが、「串八」というのはそういうところなのだ。
だからこそみんながんばるのだし、そういう気概が店の人気を支えている要因の一つでもあるのだろう。
ところで、勝者の影にはかならず敗者がいるわけだ。
またスポーツ的な言い方になってしまうのを許して欲しい。
なんせ、賞の数は10以上あるとは言っても、50を超すアルバイトの大半は表彰されないことになるのだ。
それらの者は当然くやしい思いをすることになるわけだが、それで腐ってしまうかと言うとそんなことはない。
そんな根性なしはそもそも「串八マン」としてやっていけないので、少なくとも表彰式の場にはいないはずである。
みんな、
「このくやしさをバネに、来年こそはがんばってやろう」
などと、そんな気概をそれぞれに抱いているはずだ。
考えてみれば、これも店側が用意したアルバイトのモチベーションを維持させるための策略なのであり、それでいうと私たちはすっかりそれに乗せられてしまっているということだ。
そう思うとすこし癪ではあるが、そんなひねくれた考えをもっているのは私ぐらいのものだろう。
すなおに喜び、わらう。それが、「串八マン」本来の姿なのである
第三章
「串八」で学ぶこと
さて、そろそろ本題に入ろう。
なにやらいろいろ寄り道してしまったせいでお忘れかもしれないが、この論考はそもそも
「なぜ『串八マン』たちはここで働き続けているのか」
というのを考えるものである。
上の二章で述べてきたことは、それを考える上での前置きのようなものと思っていただければいい。
これ以上寄り道していると読者に怒られそうなので、いきなり結論から言ってしまおう。
それは、時給以上の「何か」を貰っているからなのだそうだ。
なぜ「なのだそうだ」という言い方をするかというと、実は、ある先輩アルバイトがこの論考の趣旨とまったく同じ質問を友人にされたことがある、と以前語っていたのだ。
「お前は、なぜあんなところでアルバイトを続けているのか」
その先輩は、その質問にこう答えたそうだ。
「時給以上のものをもらっているから」
で、当然、
「その『時給以上のもの』って何なんだ」
という話になる。
先輩は
「それは実際に働いてないやつには分からん」
と言ったそうだが、長々と考えた末の結論がそれではあんまりだ。
というか、せっかくこうして長々と考えているのだから、先輩の意見に頼らず自分なりの答えを見つけたいところだが、
とりあえずこの章ではその「時給以上のもの」について考えてみようと思う。
まずは参考として、最終頁のアンケート結果の3番目、1,2回生の人に対する質問のところを見て頂きたい。
「仕事中、あなたがアルバイトの先輩に望むものはなんですか」というものだ。
一概には言えないが、下の回生の者たちにとって先輩とはやはり「こうあるべき」という姿であり、目に見える目標である。
つまりこの質問の意図は、彼らが仕事を通して何を学ぼうとしているのかを測るというところにある。
調査の対象となった30人のうち、1,2回生は19人。
そのうちの6割以上が、2の「楽しい雰囲気づくり」と答えている。
私としてはてっきり1の「リーダーシップ」が一番多くなるものだとばかり思っていたので驚いたが、
これはつまり、後輩たちは、先輩たちの仕事ぶりよりは、どちらかというと人柄のほうに惹かれているということだろう。
学生にとって、アルバイトというのは社会勉強の場となることが多いのだそうだが、それは「串八」においても変わらない。
ただ、このアンケート結果が示しているのは、
「串八マン」たちが刺激をうけるのは仕事を通してではなく、先輩たちの人間性だということであるようだ。
これは別に、後輩たちが
「ああいう人になりたい」
という風に思っているのではない。どちらかというと、
「ああいう人もいるのか」
という、どこか冷めた目で見ているのだと思う。
少なくとも、私が新人のときはそうだった。
だって、それはそうだろう。
繰り返しになるが、「串八マン」たちはたかがアルバイトのために一生懸命になっている「バカ」なやつらだ。
「串八」の仕事というものがよく分かっていない新人の頃にそれを見せられて、いきなり
「ああすごい。私もああいう風になりたい」
とか思うだろうか。いや、決して思わない。
始めのうちはせいぜい、
「なんだか凄い人たちだなあ」
程度のものだ。
だが、その「凄い人たち」の中に入って一緒に仕事をするうちに、本当の意味で「凄い人たち」なのだと気付く。
その時にやっと、
「ふうん、世の中にはこんな人たちもいるんだなあ」
とすこし感心するのである。
そうして、その人たちに少し影響をうけ、自分の中で何かが変わったような気になったりする。
「串八」での社会勉強とは、そういう感じだ。
では、続いて3,4回生の人に対する質問である4番目、
「あなたが卒業した後、これだけは後輩に受け継いでほしいというものを一つ挙げるとすれば、何ですか」というのも一緒にご覧いただこう。
これは要するに、長い間「串八」で働いてきた者たちが、仕事をする上で最も大切なものは何と考えているか、である。
一番多かったのはやはり人柄的なことで、2番の「仕事に対する心構え」の8人であった。
1の「自分が学んだ技術など」を選んでいる人は一人もいないので、
長年働いている者たちもまた、「串八」で働くのに一番大切なのは技術とかではなく、もっと内面的なものだと考えているということになる。
この結果と、上で挙げた1,2回生を対象にした質問への回答を照らし合わせてみよう。
すると後輩たちが学ぼうとしているものと上に立つ者が教えようとしていることは、わりと一致していることに気がつく。
しかもこのアンケート調査の結果を見るかぎりでは、それは仕事のやり方とかではなく、内面的なことなのである。
そうすると、どうなるのか。
はっきり言って危険である。
ものすごく偏った社会勉強になってしまうおそれがある。
「串八」で学んだことが、必ずしも他で通用するとは限らないのに。
だが、彼らを見ている限り、まったくそんな感じはしない。
きちんと自分なりの価値観を持っていて、その上で「串八」で新しいことを学ぼうとしている。
そんな感じに見える。
私を例に挙げて考えてみよう。
私がいまの人格を形成する過程において最も影響をうけたのは、間違いなく、部活動として続けてきたラグビーである。
ラグビーを通じて協調性などを学び、みんなで一つのことをやり遂げる喜びを知って、今に至っている。
「串八」で働きはじめたのは大学に入ってからなので、そういった過程をすでに経たあと、ということだ。
大学に入ってから私がまったく変わっていないか、というとそうでもない気がするが、
多感な時期である中学、高校時代と比べれば、その変化は微々たるもの。
そう考えると、「串八」での仕事が私に与えた影響は、そんなに大きなものではない気がする。
だとすると、私はこの四年間、「串八」で一体なにを学んできたのか。
私にとってはこれが人生初のアルバイトだったので、お金を稼ぐことの大変さを知った、というのがまず一番に挙げられるかも知れない。
汗水流して働く、というのがどういうことなのかが分かった気がするし、
社員の人の働きぶりを見ていると「実際社会に出てからはもっと大変なんだな」ということもよく分かる。
また、「学んだ」というのとは少し違うかも知れないが、よくいう「自分探し」というやつにもなったと思う。
いまではいちおう将来の夢、というか、目指すべきものを決めることが出来たが、もし「串八」に入っていなかったら、あるいはそれは出来なかったかも知れない。
「串八」での仕事を通していろいろな人に出会って、いろいろな経験をして、そのおかげで見つけることが出来た。
そんな気がする。
いま思いつく限りではこんなところだが、たかがアルバイトで学んだことにしてはこれだけでも上出来だろう。
他のアルバイトがどんな感じなのかよく知らないので、はっきりとは言えないが。
では他の「串八マン」たちはどうなのか、ということを訊いたのが、アンケート調査の最後の項目、「あなたにとって、串八に入って一番よかったことは何ですか」である。
これは、アンケートに答えてもらった人たち全員が対象になっている質問である。
1,2回生の人にこれを訊くのは少し早い気もしたが、彼らとて昨日今日入ってきたわけではないのでそれなりに思うところはあるはずだ、ということで全員を対象にした。
一番多かったのは、2の「社会勉強になった」で17人。
具体的にどういうことなのか、というのもちらりと訊いてみたが、
「人のことを考えられるようになった」
とか、
「社会に対して自分に自信が持てた」
などの声があった。
後者は少し危うい感じもするが、別に「私は凄い!」とかいう勘違いをしているわけではないと思うのでとりあえずはよしとしておきたい。
ただ、ここで問題なのは、実際に社会へ出たときに思ったほどの充実感が得られない場合がある、ということだ。
最悪の場合、せっかく就職したのにそれを辞めて、また「串八」に戻ってきてしまう、ということもある。
具体的にどういう感じなのかは体験したことない私には分からないが、その人が言っていたのは
「『串八』の方がやりがいもあるし、働いているという感じがする」
ということだ。
「串八」がそんなにいい物なのかどうか、私には何とも言えない。
何度も言うようだが、他の仕事というものを知らないので。
その他にも、就職活動を途中でやめて、大卒で「串八」の社員になった先輩の方も居る。
この場合はあまり問題ない気がするが、それだけ「串八」での仕事には魅力があるといういい実例だと言えるだろう。
アンケート結果に戻る。
次は、1の「大学生活に充実感が出来た」と答えた5人についてだ。
これは、ある意味では暴論である。
なぜなら上でも言ったように、「串八」で働きすぎたせいで夜遅くなって大学に行かなかった、というケースが多々あるからだ。
この場合の「大学生活」というのは四年間の生活全般のことだと捉えている人が多いと思うので、
多分そこまで深く考えずにこの選択肢を選んだのだろうが、それでも何か変だと言わざるを得ない。
だって、これはつまり、この5人が
「大学に入って一番良かったことは何ですか」
と訊かれれば、
「串八で働けたことです」
と答えるということではないだろうか。
そんなに「串八」とはいい物なのか、疑問が残る。
では具体的に、「串八」で得られる充実感というのはどういうものなのか。
私の場合、「充実感」と聞いて一番に思い浮かべるのはやはり部活動のことだ。
中学、高校とずっと部活動を続けてきて、大学に入ってからも体育会同好会という、どちらかというと部活動に近いサークルに入って活動してきた。
そこでの練習や、その集大成としての試合などで得られる充実感というのはずっと私にとっての支えだったし、そのおかげで今の私があると言ってもよい。
想像するに、おそらくこの5人はそれと似たものを「串八」での仕事に感じているのだろう。
日々の仕事で評価をあげて、信頼を得て、その結果として賞を得る。
そういう考え方をするならば、確かに部活動と共通するところがあると言えなくもない。
最後の選択肢、3の「友人が増えた」を選んでいるのは、おそらく最初の「現在、あなたにとって最も親しい友人が多い場所はどれですか」で1の「串八」を選んだ人がほとんどだろう。
この選択肢を選ぶということは、その人にとって現在人付き合いの中心が「串八」にあるということであり、つまり「『串八』にいる時が一番楽しい」と言っているのと同じである。
この5人はおそらく、相当のことがない限り「串八」を離れることが出来ないと思う。
なにしろ、5人にとって「串八」を辞めるということは自分の一番の居場所を失うということだ。
あるいは、この5人には「串八」の中に恋人が居る人も含まれているのかも知れないので、なおさらである。
ところで、アルバイトが人付き合いの中心になる、ということがなぜ起こるのだろう。
大学は人付き合いが希薄である、とかいうのをよく聞くが、私が知るかぎりでは知り合いを作るなんてその気になればいくらでも出来ることだ。
一番手っ取り早いのがサークルに入ることだし、クラスの人から輪を広げていってもいい。
友達が出来ないと寂しいのはみんな同じなのだし、やってみれば意外なほど簡単にいくものである。
ただ、「親友」となるとなかなかそうはいかない。
そう呼ぶまでの仲になるにはやはり、何か共有する所が一つはなければいけないものだ。
その点、アルバイトであればそれも見つかりやすい。
仕事という共通点がいやでも生まれることになるので、確かに「親友」が出来やすい環境と言える。
「串八」は他のアルバイトに比べて人数も多いし、みんな仕事に対して真剣に取り組んでいるのでなおさらだ。
なにもこの5人に限ったことではなく、これは私を含めた「串八マン」全員に言えることであろう。
さて。
ここまでの話を総合すると、この章の論題である「時給以上のもの」とはひとそれぞれであるということになる。
だが、一つだけ共通して言えることは、全員が確かに「時給以上のもの」を得ているということだ。
それだけは、確実である。
第四章
私なりに
前章では、ある先輩の発言をもとに「なぜみんなは『串八』で働くのか」を考えたが、それは人それぞれであるということになった。
では、私の場合はどうなのだろう。
こうして論じている間は客観的になるように努めている私だが、本来はそんなに考えて動くタイプの人間ではない。
体育会系の常で、頭より先に体が動くたちである。
なので、
「『串八』を題材にして卒業論文を書こう」
と思いつくまでは、こうして「串八」について真面目に考えたことなど一度もなかった。
実は、私はあまり大学の講義に参加していないほうだ。
その原因を自分なりに考えてみたことはいくらでもあるが、そのときにもなぜか
「串八のせいにはしたくない」
というのが無意識に働いていたような気がする。
もっとも、そんなのは言い訳にすらならない。
だって「串八」で働きつつしっかり勉強もしている人もいるのだし、つまり大学での勉強に影響が出るかどうかはその人次第なので。
どうやら、こういう考えをもっているのは私だけではないらしい。
「今日も学校に行けなかった」
とか、ため息まじりに呟いている人がよく居るので、そういう人に
「それは串八のせいだと思うか」
と訊いてみると、決まって
「いや」
と首を捻るのだ。
「串八」のせいにしても仕方がない。
みんな、なんとなくそう思っているようだ。
なぜ、仕事を続けるのか。
仕事というものの大前提として、「お金を稼ぐ」というのがある。
では、「串八」で働き続けているのも、結局はお金のためなのではないか。
正直、それも無いとは言い切れない。
実際「串八」を辞めると生活に困るだろうし、新しいアルバイトを探すのも面倒だ。
賄い飯も出るし、何だかんだ言っていまの私にとって食い繋いでいくにはここでの仕事が必要不可欠なのである。
たぶん、これも「私にとって」だけではない。
仮に、アンケートにもう一つ、「あなたはなぜ『串八』でのアルバイトを続けていますか」というこの論文の議題をストレートに訊く項目を設けるとして、
その回答の中に「お金のため」という選択肢を入れるとしよう。
それでもし、その項目は複数回答可としたならば、おそらくほとんどの人が「お金のため」にも○をつけると思う。
本来の「アルバイト」というものからすればこれこそが、というよりもこれだけが働く目的であるはずなのだが、
「じゃあ何で敢えて『串八』なの?」
ということが今回のミソなのである。
私が思うに、「串八マン」に「なぜ『串八』で働くのか」と訊ねることは、
例えば高校球児に「なぜ野球をやるのか」と訊くのに似ていると思う。
そのとき、高校球児はなんと答えるだろうか。
たぶん、多くの場合は
「うーん」
と少し考え込んでしまうのではないだろうか。
実際、インタビューなどを見ていると、
「あなたにとって野球とはなんですか」
とか、
「野球を始めたきっかけはなんですか」
というのはよくあるが、
「あなたはなぜ野球をやっているのですか」
というのはあまりないように思う。
もし私が高校のときにこれを訊かれたら、なんと答えていただろう。
「あなたは、なぜ部活動を続けていますか」
たぶん私も悩んでしまっていたと思う。
でも、悩んでいては始まらないので、試しにいくつか、よくありそうな答えを思い浮かべてみる。
「高校生活が充実するから」
これもあるのだが、なんだか違う気がする。
「入れと言われたから」
これではあまりにも消極的すぎる。
「なんとなく」
答えになっていない。
「好きだから」
お、これは少し良い。よし、これにしておこう。
こんな感じで、答えを決める。
「好き」という言葉にはいろいろなニュアンスが含まれるが、この場合は英語で言う「like」の意になるだろう。
それを「love」だというやつが、あるいはいつかプロになるような選手になるのかも知れない。
"好きこそ物の上手なれ≠ナある。
これを、「串八」の場合に置き換えてみよう。
「『串八』が好きだから続けている」
少しおおまかではあるが、これなら少しは納得してもらえそうではある。
「like」ならば他にも趣味を持っていて、ちゃんと目指すものもあってという感じか。
「love」ならば、どうも他の生活は充実しておらず、あるいは将来的に社員になることも考えている、という人のことかも知れない。
それでは、なぜ「好き」なのか。
働いている人たちが「好き」(不純な意味ではなく)という場合もあるだろうし、店の雰囲気が「好き」な場合もある。
中には、小さい頃からよく客として来ていて、昔から「串八」が「好き」だったという人もいる。
私の場合、働き始めるまでは「串八」に客としてすら来たことがなかったので、働き始めてから「好き」になったということになる。
では、私は「串八」の何を「好き」になったのか。
私の場合、店そのもの、と言うのが一番近い気がする。
働き始めのころは何もかもに必死で、あれこれ考えている余裕などなかった。
その時期が終わって、仕事に慣れ始めたころには、いつの間にか店のことを「好き」になっていたのである。
「好き」だからこそ、よくしたい。
みんな共通して持っている「よりよい店づくり」という目標はそういうところから来ていると、私は思っている。
そうやって店のことを考えて働いているから、どんどん仕事が出来るようになっていく。
そうしていつの間にか、みんなに信頼られる存在になっていて、そのことにやりがいを感じるようになる。
それでますます熱心に仕事をするようになって、そうしたらそれを評価されて表彰される。
表彰されたからには、それに見合う仕事をこれからも続けなくては……という感じで、今まで仕事を続けてきた。
読者としては、「いつの間にか『好き』になった」その過程がいちばん分からないところだろうが、それはどうにも説明の仕様がない。
だって、どういう風に「好き」になるかは個人の感性しだいだ。
むろん中には「好き」になれない人も居るわけで、そういう人は長続きせずに辞めていく。
そうしてふるいにかけられて残ったのが今働いている「串八マン」たちなのだ。
だから、そこを分かっていただくためにも、ぜひ一度、「串八」へご来店いただきたい。
そうすれば、きっと分かるはずだ。
正直、特別な料理が出てくるわけではない。
他とくらべて、とりわけ安いわけでもない。
でも、
「確かにこれなら流行っていてもおかしくないな」
と思っていただけたならそれで十分だ。
そのときにはもう、「串八マン」たちがずっと「串八」で働き続ける理由が、あなたにも分かっているはずである。
おわりに
こうして「串八マン」としての四年間を経た私は、今後どうしていくのか。
先のことは分からないが、「串八マン」として働いた経験は私の人生の今後に何らかの影響を与えることは間違いない。
一体、どういった影響を与えるのか。
作家というある意味特殊な道を選んだ私だが、そこに「串八」での経験がどう生かされるのだろうか。
今は分からないが、私なりにがんばってみようと思う。
そう思えることこそが、もしかしたら「串八」のおかげなのかも知れない。
参考文献
「なぜ『いい人』は心を病むのか」 町沢静夫著 PHP研究所出版
「ナルシシズム」 細井恵子著 サイエンス社出版
「生きる力を育てる」 広瀬俊雄著 共同通信社出版
「面白いほどよくわかる社会心理学」 辰長光彦著 日本文芸社出版
「人生訓」 斉藤啓太著 三笠書房出版
「こころの羅針盤(コンパス)」 五木寛之著 光文社出版
代理人の感想
いい職場にめぐり合われたようで。
私はずっと郵便局のアルバイトでして、結構お金も頂いたのであまり悪口は言いたくないんですが、
お役所仕事とはこう言うものかと肌で実感し、愕然としたことがあります。
ので、そういう活気とやる気に溢れた職場を経験されたのはとてもいい経験だったと思います。
ちょっと、羨ましいかな。