第一章〜新しい世界へ〜
(四)

 幾つもの歓声と悲鳴とに惹かれて、僕とバドは人だかりの中を無理やり突き進んでいった。

 こう言う時に限って、子供であってよかったと思う。

 人と人との間を抜け、僕とバドが目にしたのは、外の世界ならではの光景であった。

 禿頭で筋肉の分厚い鎧を着込んだ大男が、頭部から血を流し、
二本の腕をだらしなく下げている男の首を片手で掴んでいる。

 禿頭の大男は口元でいやらしく笑いながら、手元の男を見下している。

 どう見ても首を掴まれている男の怪我は深く、
両腕はだらしないばかりかあってはいけない方向を向いていた。

 デニーの言葉が脳裏を過ぎる。

『余計な事に首を突っ込むな。死ぬのは自分だ』

 デニーの言葉が僕の足を地面に縫い付ける。
これ以上は進んではいけない、進んではいけない、と頭の中に僕の声が響く。

 心の中で僕と、デニーの言葉が戦っている間にも、状況は刻々と変わっていった。

 周りの目を気にする事無く、禿頭の大男は怪我の男を道の側にある果物屋に投げつける。
まるでゴミを捨てるかのようにあっさりと。
 怪我の男が屋台を破壊し、僅かに痙攣するだけになったのを見て、デニーの言葉を打ち破り、
縫われた足を無理やり地面から引き剥がし、飛び出した。

「もうやめろ!」

 投げ飛ばされた男の下に余裕たっぷりに近づく大男の前に飛び出す。
それがいかに無謀か、よくわかっていた。

 辺りに静寂が走る。僕みたいな子供が乱入するとは誰も思わないだろう。
長年の親友であるバドでさえも唖然と僕を見ている。

 静寂は幾多の笑い声に切り裂かれた。

「がっはっはっはっは! もうやめろ?だって? 全く、笑わせてくれるぜ」

 笑われることは分かっていた。自分でも可笑しくてたまらないのだから。

 僕みたいな子供に何が出来る。何も出来まい。言われなくても分かっている。

 それでも僕は精一杯眼を細め、睨む真似をする。

「そう怖い顔をするなって、ボウズ。今回ばかりは見逃してやる、さっさと消えな」

 笑いが消える。それは声が消えただけで、周囲で見物している人々の口元にはまだ残っているはずだ。

 僕は小刻みに震える体を押さえ込み、精一杯の睨みを続ける。
睨んだことで何もならないとは分かっていても、睨むことしか出来なかった。

「お前、俺様の事知らないのか?」

 僕が逃げる気が全く無いことを悟ったのか、訝しげな顔で言ってきた。

「知らない」

 一言だけ発して僕は黙り込む。

「そうか、知らないからこんな阿呆な事をしているんだな。よし、優しい俺様が教えてやろう」

 にやにやと人に不快感を与える笑いを浮かべながら、禿頭の大男が自慢げに語り出す。

「俺様は豪腕のアーム様だ! 賞金二万銀貨(ギフラム)の賞金首だ。
 この二つの豪腕と鋼の肉体で多くの奴を倒してきた男よ。
 どうだ、今ならまだ許してやるぞ? 早いところ失せな」

 豪腕のアームと名乗った大男の豪快な笑い声が大通りに響く。

 今の状態で上手く考えられないが、目の前の男が賞金首――つまり悪者だという事が分かった。
言われなくても状況を見て悪者だとは分かってはいたが、改めて言われると震えの幅が大きくなっていく。

「もうこの人に攻撃を加えないというなら、去る」

「そいつは無理だな。この俺様に文句をつけた時点でそいつは終ってんのよ。
 お前はぶっ倒す価値も無いガキだから見逃してやるって言ってんだよ」

 中々退かない僕を見てさすがに苛立ってきたようだ。語尾が自然に高くなり、眼光は殺気を帯びる。

「なら僕は退かない。この人を助ける」

 一瞬でも気を抜けば殺気だけで倒されてしまいそうだ。それでも気になってちらっと後ろを見ると、
怪我をした男の人はまだ生きていた。

「この俺様がせっかく見逃してやろうって言ってんのに、わからねぇガキだな。
 聞き分けのないガキには……お仕置きをくれてやる!」

 語尾を張り上げ、眼は殺気に満ち溢れ、口元はいやらしく笑ったままアームが駆け出してくる。

 迫り来る大男を前に、僕は震えて動く事が出来なかった。

 元々無理に押し出した身。動けないのは当然と言ってもいい。

 徐々に迫ってくる。アームの大木を取ってつけたような腕で殴られれば、
僕の体など枯れ木のように粉々になるだろう。

「後悔してもおせぇ!」

 気が付けばアームの黒いズボンが目の前にあった。
振り上げられた豪腕が僕の頭を狙っている。もう駄目だ……。

 豪腕に頭を砕かれる。目を力強くつぶり、歯を食いしばる。

「なにぃ!?」

 自分がまだ生きていることを実感したのは、間の抜けたアームの声だった。

 ゆっくりと目を開けると、大親友が僕を抱えていた。
額に幾つもの汗を輝かせ、力を入れて唇を結び、少しばかりの血が流れている。

「情けねぇ。情けねぇよ……」

 バドの燃える様な赤い瞳から冷たい雫が一滴、頬を伝った。僕が見る、バドの初めての涙だった。

「ごめん……」

 情けない。本当に情けなかった。止めるつもりで割り込んだくせに、動くことも出来ないで結局はバドに助けられている。

 情けない以外のなにものでもなかった。

「違う……。情けねぇのは俺だ……。野ウサギ一匹狩れない優しいお前が見ず知らずの他人を助けるために、
 勇気振り絞って立ち向かっているのに……。それなのに俺は見ているだけだった。
 俺の方が何度も凶暴な獣と戦ったことがあるのに……情けねぇよ……!」

 僕の中で何かが弾け、僕の頬を伝って涙が一滴乾いた地面に落ちた。

「俺も加勢するぜ。お前ばかりに痛い思いはさせねぇ!」

 また涙が落ちた。

 僕は何も言わずに頷き、目を擦り次に出ようとした涙を拭き取る。

 体の震えはどっかへ飛んでいったようだ。僕とバドは立ち上がり、アームと向き合う。

 見物人達は静まり返っていた。アームもそれと同様に静まり返っている。

「友情ごっこはそれまでだ。いきがったってお前らはガキなんだよ!」

 アームの怒号をきっかけに僕らは動いた。

 アームは勢いよく僕の方に向かって来た。これは当然だ。
身体能力から言えば僕の方が悪いのはバドの登場で分かることだ。
僕は動かず、ひたすら瞬間(とき)を待つ。

 微動だに出来なかった時とは違う。冷静にアームの動きを見る。
一つ一つの動作がはっきりと見えた。岩のような拳が眼前に迫り来る。

 ぶぉっ、風を切る音が耳に入るのと同時に顔の横を大木が通る。冷静に見ればアームの動きは単純すぎた。

「てめぇ……がっ!」

 僕とアームの距離は全く無い。上からアームの呻き声が聞こえ、その際できた隙をついて僕は後ろに跳躍する。

 アームの足元にバドの蹴りが入っているのが見えた。膝裏を蹴られ、アームがよろめきバドも後ろに跳躍して距離をおく。

 たかがガキ二人に一本取られたのが気に触れたようだ。アームの顔は太陽の如く真っ赤になり、今にも火を吹きそうだ。

「そんなんで俺様を倒せるとでも思っているんのか……? いい加減にしやがれぇ!」

 動きが見えてもスピードについていけなければ意味はない。そういうことだ。

 一瞬にしてアームは僕との距離を詰め、冷静に動作を見る暇を与えずにゴツイ拳を放ってきた。

「ぐぇっ……」

 自分の声とは思えない喘ぎ声が自然と出る。ゴツイ岩の拳は僕のお腹に直撃し、呆気なく僕は吹き飛ばされる。

 ざらざの地面を何度か転がり、ようやく立ち上がる時には二発目が迫っていた。

「うぉぉぉぉぉ!」

 お腹を抑え、苦痛に顔を歪める。二発目は僅かの間を置いて横の地面に激突し、地面に拳大のへこみが出来ていた。

 アームが攻撃を反らしたのは、図太い腕にバドが飛び蹴りを入れたのと、バドの叫びに数秒目をやってしまったからだろう。
その間に僕は距離を取る。

「くそガキがぁ!」

 豪腕を強引に真横に振ると、バドの体が簡単に飛ばされる。僕とは違いバドは上手く受身を取ってダメージを抑えている。

 ふぅふぅ、はぁはぁ、三人のそれぞれ違う吐息の音だけが流れ、数回の攻防は一旦止まった。

 もはや言葉を発するだけの力も無い。お腹に受けた一撃が重く、そうそう素早く動けない。

「もう切れたぜ。てめぇらのようなガキになめられてたまるかぁ!!」

 アームは何も腕だけが太く、強いわけではなかった。両の脚も丸太のように太く、見た目と反してよくしなり、
一度の跳躍で距離を詰めた。

 狙って来たのはやはり僕だった。避けるために動きたくとも体が重い。

 バドが走ってくるのが見えたが、間に合いはしない。今度こそ駄目だ、と確信した。

 振り上げられた豪腕はまさに大木。勢いをつけて飛んでくる拳を止める術は無い。

「そこまでだ」

 今日だけで僕は二度命を救われた。一度は大親友のバドに。そして二度目は……。

「デニー……さん」

 本来のデニー、というべきか。眼光は今まで以上に鋭く、目が合っただけで切られてしまいそうだった。
それだけでなく普段は優しい瞳が赤く光っていた。

 アームご自慢の豪腕は、自分の腕の半分程しかない細腕一本に止められている。
手首をしっかりと抑えられ、豪腕は揺れることすら叶わない。

「て、てめぇ……! 何しやがる!」

「それはこっちの台詞だ。俺の連れに手を出すとはいい度胸だな」

 豪腕の手首を離し、続けざまに裏拳を放つ。お世辞にも良いとは言えないアームの顔に見事命中し、ぽたぽたと鼻血が流れ出る。

 アームは目を細め、頭を左右に勢いよく振る。鼻血が左右に飛び、地面に赤い点を記す。

 呆然と僕はデニーを見上げていた。バドも少し離れて同じように見ている。

 デニーの顔が僕の方を向く。咄嗟に顔を背けそうになったが、どうにか向き合うことが出来た。

「説教は後だ。立てるか? おい、バド。こっちに来い」

 僕は頷くことも出来ないで、なんとかよろめく体を支えて立ち上がり、その間にバドはアームの横を通り過ぎて僕の傍に立った。

 見物人達も唖然としていたが、それは一秒にも満たなかった。

「青い髪、三枚の刃を持つ大斧……。間違いない、蒼雷のデニーだ」

 誰か一人がそう言うと、見物人たちの視線は一斉にデニーの頭髪と、地面に突き刺さった傍らの蒼雷の斧に集まる。

 次々に見物人たちは口を開き、隣や前後の人と小声で会話を始める。
それは一番不快に感じているのは言うまでもなくアームだ。行き場の無い怒りが全身を赤くさせている。

 一度騒がしくなると段々広まっていき、見物人は増える一方で、騒ぎも収まらない。

 僕とバド、デニー、そしてアームの四人だけは沈黙を貫き、次の行動に身を備える。

 アームの足が一歩前に出る。来る、と身構えた時、唐突にそれは破られた。

「何をしている! 通行の邪魔だ!」

 若い声が鳴ると、人だかりの一角が左右に避けて、鎧をまとった一団が現れた。

 先頭に立っていた黒髪で、精悍な顔つきの青年が声を上げている。見物人達はそれが誰だか知っているようで、
途端にあっちにこっちに散り散りに去っていく。

 青年は銀色のいかにも高価そうな鎧を身に着け、腰に剣を提げ赤いマントを揺らしながら一歩前に出る。

 青年が横に動くと、これまた高価そうな銀色の鎧を身につけ、銀色のマントをなびかせながら一人の男が前に出た。

 先頭に立った男には"美形"という言葉がよく似合った。肩まで伸びた薄く銀色に輝く髪は女性を魅了し、
冷たく澄み切った瞳は氷のようだ。何より僕は、その人が腰に提げている剣から"冷たさ"を感じた。

「ちっ……。なんでお前がいるんだよ……ラルク」

 強い舌打ちはよく聞こえ、僕はデニーの顔を見上げた。
苦虫を噛み潰した様な顔は、相手を知っていて苦手だということを察しさせる。

「それはこちらの台詞だ、デニー。こんな辺境の地で、子供二人連れて……落ちたものだな」

 ラルクと呼ばれた美青年は冷たく笑い飛ばし、デニーと視線の戦いを演じている。

「そちらこそ王宮騎士団グロイエの三番隊隊長様が言う辺境の地になんの御用で?」

「貴様には関係の無いことだ」

 言葉一つ一つに嫌味がこもり、ぶつかりあう視線は火花を散らしている。

 僕とバド、アームだけが今の状況を理解出来ないでいた。見物人達はとうに逃げ去り、
デニーにも状況説明を頼むわけにはいかなかった。

「やんのか?」

「やるのか?」

 長い間――それでも数瞬だがそう感じさせる――睨みあった二人は同時に言い放つと、それぞれの武器に手をかけて一歩近づく。

 一つ言えることは二人を戦い合わせてはいけない、ということだ。
重苦しい体に鞭打って僕はデニーの前に飛び出し、同じく黒髪の青年がラルクの前に出た。

「やめて、ください……デニーさん」

「隊長。お止めください。民間人と騎士が剣を交えるなど……。我々にはやるべきことがあります」

 ぴたっ、と二人の足が止まる。視線はそのまま戦いを続けていたが、お互いに武器から手を引いた。

「そうだな。ここで騎士団と戦っても睨まれるだけだ」

「私とした事が少々熱くなってしまったようだ。こんな小物相手に」

 ラルクの毒を受けて、デニーは反撃を演じようとするが黒髪の青年と僕に睨まれて止めた。

 ふっ、と消え入るような笑いを残してラルクと呼ばれた騎士と黒髪の騎士、
それに何人かの騎士達は僕らの横を通って行ってしまう。

 ふぅ、と一息ついて周りを見てみるとアームの姿が何処にも無かった。
二人の間に走る気配に気圧されて逃げ出してしまったようだ。

 もう一つの変化はバドだった。さっきの涙はどこ吹く風。赤い瞳を輝かせている。

「か、か、かっけぇ! 俺、決めた。騎士になる!」

 え?と思わず口に出し、痛みも吹っ飛んでしまった。

 呆けている間にバドの顔が現れる。

「短い間だったけど、お前との冒険楽しかったぜ。またこの世界で会おうな! じゃぁ、元気でやれよっ!」

 間近で叫ばれ、耳を塞ごうとしたが手が動かなかった。満面の笑みを残してバドは騎士の一団が消え去った方に走って行く。

「が、がんばって……」

 何とか出た言葉がこれだった。突如としての大親友との別れ。悲しくないといったら嘘になるがそれ以上にこの後が怖かった。
何せ僕一人でデニーの説教を受けなければならないのだ。

 デニーは不機嫌そのものの表情をしていて、声をかけようかかけまいかで迷う。

「行っちまったな。追うか?」

 と問われて僕は反射的に答えた。

「追いません。バドは一度言い出したら聞きませんから」

 生まれたこの方味わった事の無い、言い表せない妙な雰囲気に包まれて一通りの騒動の幕が降りた。


〜あとがきのようなもの〜
 どうも、陸です。
 今回からできる限りあとがきを書いていこうと思います。例え意味が無くとも(笑)
 なんとかして読者を増やしたいところなので、少しでも悪あがきをと。
 あ、でも読んでもらわなければあとがきも意味ないな(笑)
 とまあそんなこんなで書くつもりです。あまりに書くことが無い場合は書きませんけどね。
 そんなこと言うといつも書きそうにないですが(笑)
 最後まで読んでくださった方々、有難うございました。
 それではまた次回にてお会いしましょう。

PS
 今回の話が短いのは都合上です。ご了承ください。

 

 

代理人の感想

「それ以上にこの後が怖かった」に爆笑。

ああ、昨今人情紙の如し(笑)。

 

 

それはそれとして、今回は妙な表現が目立ちました。

 

>両腕はだらしないばかりかあってはいけない方向を向いていた。

「だらしなく垂れているor投げ出されているばかりか」というのがよろしいかと。

 

> 心の中で僕と、デニーの言葉が戦っている間にも、状況は刻々と変わっていった。

直前に「進んではいけない」という「僕の言葉」が響いているのに、

「僕」と「デニーの言葉」が戦っているのは違和感があります。

デニーの言葉と戦うなら「助けようという衝動」であって

「僕」はむしろ止めようという理性の方を指している様に見えてしまいますので。

 

> 徐々に迫ってくる。アームの大木を取ってつけたような腕で殴られれば、

「取ってつけた」は余計ですね。

この線で行くなら「大木をそのまま取り付けたような」といったあたりがいいと思います。

 

> アームが攻撃を反らしたのは、図太い腕にバドが飛び蹴りを入れたのと、バドの叫びに数秒目をやってしまったからだろう。

「図太い」は「精神が太い」と言う事であって物理的な物を表現する言葉ではありません。

腕そのものが図々しかったりふてぶてしかったりするなら別ですが(爆)。

後、後半の「バドの叫びに数秒目をやってしまった〜〜」というのがわかりません。

「耳をやってしまった〜〜」の誤字でしょうか?

 

>相手を知っていて苦手だということを察しさせる。

「〜〜察することができる」か「〜〜察せしめる」かと。

 

 

>アームの顔は太陽の如く真っ赤になり、

これは別に間違いじゃないんですが、

「太陽=赤」というのは実は結構日本的なイメージだというのは覚えておいたほうがいいかも。

世界では太陽の色は黄色(金色)というのが主流で、次いで白やオレンジ。

太陽を赤いとするのは日本と韓国とバングラデシュくらいだそうです。

日本でも「真っ赤な太陽」とは言いますが「太陽のように真っ赤」は余り聞きませんし。