息が切れる。剣を握る手は徐々に力を無くしていく。
今、目の前にいる相手と、何度、斬りあっただろう?百回?千回?少なくとも、並大抵の回数ではないことだけは確かだ。
だけど、戦わなくちゃいけない。
俺は再び、剣を強く握ると、離れていた相手との間合いを一気に詰め、斬りかかった。
振る。振る。振り回す。俺はひたすら剣を振り回した。
だけど俺の剣は、相手の皮を切ることすらなく、宙を切り、敵の剣に阻まれる。
こうなると、相手の反撃を注意しなければならない。
相手は俺の攻撃の防ぎつつ、俺のちょっとした隙を狙っているのだ。油断一つ許されない。
そう、思ったにも関わらず、相手の剣は俺の皮を引き裂いた。
直後、俺の背中におびただしい量の冷や汗が流れた。情けないことに、肩まで震えた。
俺は体勢を整えるべく、後ろに跳び退る。しかし、相手がそれを許してくれるような相手だったら、俺は恐怖を感じてなどいない。
後ろへ下がる俺の心臓に狙いをつけた、相手の突きが繰り出される。容赦の、そして、無駄のない突き。
それを必死の思いで、躱しながら、俺は床に倒れ込んだ。そのまま、相手から逃げるように転げ回る。
無様だ。無様すぎる。
「ハァ、ハァ、ハァ………」
俺は相手から離れると、息を体勢とともに整える。
だが、どれだけ時間が経っても、震えは収まらない。疲れによるものではない、恐怖によるものだ。
これが俺の初めての実戦なのだから、仕方がない。相手がとにかく強すぎる。恐怖はいくらでも感じてきたが、これほどの恐怖には出会ったことがない。
どうすれば勝てる?どうすれば生き残れる?
俺の頭は、怒りと悲しみと悔しさと恐れでゴチャゴチャになっていた。“どうすれば”、それだけに固執し、しかも、答えが見つからない。
逃げるという手も考えられなかった。俺がもう少し賢かったら、戦いに慣れていれば、その手も考えただろう。
俺は再び、剣を構えた。
結局、最後まで逃げるという手は思いつかなかった。馬鹿としかいいようがない。
再び、一歩を踏み出そうとする。
しかし、その瞬間。
――――何なんだよ、これ?
俺は急に動けなくなった。
剣を構えたまま、体が固まり、今までの比にならないくらい冷や汗が、どっと噴き出た。
震えることすら、出来なかった。
突然、相手の深淵に引きずり込まれるような感覚。
そんな俺に向かって、相手が静かに歩み寄る。
構えようともしない、俺を馬鹿にするような行動だった。
俺は、その無防備な相手に恐怖を感じていた。
相手が一歩踏み出す、その度に心臓の鼓動は早足になる。
俺は内心で叫んでいた。
―――無理だ……駄目だ……出来る訳がない、勝てる訳がない!!
恐いどころの騒ぎではない。恐怖という概念すら超えた、それは俺に絶望を感じさせるのに十分だった。
実力の、格の差を見せつけられる。勝てないという、生き残れないという現実を心に刻み込む。
「そこまでか、ジウ・リプロダクション」
自分の名前を呼ばれても、俺は反応できなかった。ここで出来る奴がいるなら、今すぐ見てやりたい。そして、今すぐ、俺と代わってもらいたい。
そんなことを思っても無意味だということは、俺にも良く分かっていた。けれども、思わずにはいられなかった。
「それも………仕方がないか」
俺を嘲るような言葉が向けられても、反論さえ出来なかった。それどころか、その言葉を理解できなかったのだ。
遂に、相手の剣が自分に向けられる。
ゆっくりと、恐怖を浸透させるように、振り上げられる。
その少ない時間で、覚悟を決められるはずもない。
俺は、石像のように固まったまま、剣が振り下ろされないことを祈った。このときは、祈っても無意味だということに気づけなかった。
それほどまでに死にたくなかった。
「さよなら」
俺は、死の宣告を言い渡された。深い絶望が限界を超えて、更に広がる。
剣が振り下ろされる。
覚悟していない死が、俺の真下に来ていた。
だけど、だけど…………だけど。
――――死にたくない!!!!
その時、俺の中で何かが弾け飛んだ。
――――死なない!死んでたまるか!
頭上から、降りかかってきた剣を抑え、剣で押し返す。
相手の体勢が僅かに崩れた。
その隙を逃さず剣を振り回す。
今度は相手が下がる番だった。しかし、今までの俺と相手の様子は逆転していた。
後ろへ下がる敵の心臓に狙いをつけた、自分の突きが繰り出される。容赦の、そして、無駄のない突き。
それを必死の形相で、躱しながら、相手は床に倒れ込んだ。そのまま、俺から逃げるように転げ回る。
そのまま、距離を取られたが、追い打ちをかけるように、距離を詰める。
勿論、俺が、だ。
剣を速く、一気に、振り下ろす。
相手は防御しか手を打てなかった。
それほどまでに、俺の動きは変化していた。自分の動きとは思えないくらいに。
理性が、感情が、枷が……膨れ上がる本能に吹き飛ばされていた。全ての感覚が一つに繋がっている。この時点で俺の勝利は確定したようなものだった。
一気に攻め立てる。皮を切られようと、肉を斬られようと、構わない。致命傷だけは避け、次々に攻撃する。守ってばかりでは勝てないと、無意識の内に悟ったのかもしれない。
速く、鋭く。
徐々に相手の傷が増えていく。今まで、辛うじて防ぎきられていた、俺の攻撃は深手を与えていく。
動きが衰えていくその相手に、俺は何十回目かの攻撃で、遂に致命傷を与えた。
だが、相手が倒れようと、死のうと、俺の剣を振るう手は止まらない。
四肢と首を胴から切り離し、内臓に剣を突き刺し、かき回す。それでも止まらない。
自分が勝ったことも分からない、相手が死んだことも分からない。とても………とても滑稽な勝利だった。俺の初めての実戦は。
どれだけ、経っただろう。
やがて、俺は疲れ果て、剣を手から離した。どさっと、壁に背を掛け、一度を目を瞑り、そして目を開けた。
目に入ってきた血まみれになった剣を、紅く染まった手を、じっと見つめる。そして俺は見るも無残な死体に目を向けた。
俺が………………。
俺ははっきりとしない頭で、血まみれになった剣を手ぬぐいで拭いた。手ぬぐいが紅く染まっていく。まるで、自分の罪を確認しているかのような行為だった。
目の前にある死体は誰に殺された?
自問する。答えなど分かりきっているのに。認めたくない気持ちが、思考を歪める。
だからといって、いつまでも認めないわけにはいかなかった。
自分の犯した罪を、認めないわけにはいかなかった。
「……うう………ああう」
うめき声が少しずつ漏れる。少しずつ少しずつ。
「ウオォォォォオオォ!」
そして、いつの間にかそれは叫び声になっていた。
「ウウァァァァアアァァッ!」
訳の分からない怒りが、知らないところから来た悲しみが、意味のない悔しさが、そして自分に対する恐怖が俺の心を満たしていく。
どうしようもない思いがこぼれる。
「アアアアァァァッッ!!」
それでも俺は認めなかった。
目の前で死んだ人間が誰のせいで、死んだのかを。
自分が人殺しになってしまったと。
俺は自分の犯した罪を認めない最悪の人間だった。
イマから2年前