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漆黒の戦神
第三話
2197年11月
避難民を受け入れた為に、人口が急激に増えた街は俄かに活気付いていた。
今までは何時、木星蜥蜴の襲撃によって全てが灰燼に帰すのかと、街中が怯えて過ごしていた。
――――――――だが、今ではそんな心配をする必要は無い。
敵が来れば、問答無用に殲滅する事が可能な戦力が、今、この地には居る。
そして、実際今までに2つのチューリップと、多数の戦艦が既に撃墜されているのだ。
昼間に働き夜に安心して眠れるという、渇望していた当たり前の日常がそこにあった。
無くしてしまった「当たり前」こそ、何よりも人々が欲していたモノだった。
そして、その噂を聞きつけ、他の街から態々避難してくる住人により、寂れていた筈の街は空前の活気に包まれていた。
「その安心感の大本が民間パイロットというのが、どうにも納得いかんがな」
軍人として理不尽なものを感じると呟きながら、カズシは昼食のレバニラ炒めを凄い勢いで消費していく。
前回は留守番役を申し付けられ、敵襲があったと思えばアキトの介入により1時間も経たずに戦闘は終了。
被害は軽微だった事は嬉しいが、カズシとしては自分の存在意義について少々悩んでしまうような戦闘だった。
「いや、そんな事を言われても困るんですけど・・・」
相変わらず食堂に居座っているアキトにも、最近では基地内の人間は見慣れてきていた。
もっとも、先週から合流した補充兵達は、戦闘時の姿と本職がコックという職業のギャップに未だ苦しんでいる。
ちなみに、街の住人達は自分達が今最も頼りにしているテンカワ アキトが、実はコックである事を知らない。
「どうにもお前さんの戦功が凄すぎてな、漏れてしまった実名以外は公表しないように隊長が指示を出してるんだよ。
実態を知る人間にも、その外見を口外しないようにお願いしているしな。
一応言っておくが嫉妬とかじゃないからな、あくまで有名税でお前さんに迷惑が行かないようにする為の処置だからな。
まあ、軍に出向している民間人に頼ってます、とは流石に素直に発表できん理由もあるが」
「その辺は分かってますよ。
それに、そんな事を発表したら暴動もんですもんね」
「・・・それが分かってるなら、大人しく軍に入りやがれ」
「嫌です」
凄んでみせる強面のカズシに対して、涼しい顔で拒否をするアキト。
最近度々行われているやり取りなので、周囲の軍人達も「またか」とばかりに呆れた顔をしていた。
アキトを軍に入れようとする考えはカズシ独自のものだった。
シュンがアキトの扱いに四苦八苦している事と、何よりその存在の歪さを解消する最善手と思ったからだ。
しかし、緩和されているとしてもアキトの軍人嫌いは健在であり、カズシからのアプローチは悉く失敗に終わっていた。
シュンは既にその内心を見抜いていたのか、一度もアキトに軍に入るよう勧誘を口にした事は無かった。
溜息を一つ吐いた後、カズシが食事の続きを始めようとすると、隣で笑いながらアキトにオーダーを告げる少女が現れた。
「テンカワさん、酢豚定食とポトフとハンバーガーセットお願いします。
それにしても、ま〜た懲りずにテンカワさんを勧誘してるんですかカズシ副官?」
「いや、隊長が何と言おうと、諦めるなんて選択肢は無いだろ、この場合・・・
というより、この食堂もメニューが随分と豊富になったというか、無節操というか」
多国籍に渡るメニューの数々に、何とも言えない顔をする。
ざっと見た限りでは、中華系がもっともメニューが豊富だった。
「俺の料理の師匠は、何でも作れる超人でしたからね。
まだまだ及びませんけど、それなりに食べられるモノは作れるんですよ。
それにこれも修行です」
自分の師匠について自慢できる事が嬉しいのか、満面の笑顔を見せるアキト。
そんな会話の間にも、フライパンを動かす手は止まらない。
「トレニアちゃん、まずはハンバーガーセット上がりね。
付け合せのフライドポテトは、そっちで盛り付けといて」
「はい、了解です」
ショートカットにした金髪を揺らしながら、フランス人女性にしては小柄なトレニアが料理を片手に去っていく。
その姿を見送りながら、カズシは再びアキトに声を掛けた。
「好い娘みたいだな」
以前、アキトが言っていた雇いたいというウェイトレス。
それが今、元気に食堂内を動き回っているトレニアという名前の女性だった。
見た目は決して悪くない、むしろ個人によっては十分に魅力的と感じる笑顔の似合う女性だった。
惜しい点を上げるとすれば、ややボリュームが足りない胸だろうか。
「臨時雇いと考えれば、当りだと思いますよ。
朝早くに出てきて、食堂の掃除も進んでやってくれますし、皆さんからの受けも上々です」
「あんな娘が、あのサイトウの幼馴染とはねぇ・・・しかし、物好きな」
雇用契約を結ぶ時に、トレニアと面接を行ったのはたまたま時間が空いていたカズシだった。
そして職業柄、軍という閉鎖的な環境に自ら職を求めてきたトレニアには、徹底的な質問を行ったのだ。
幼馴染と紹介されたサイトウにも確認をしており、その素性に怪しいところがない事は確認済みだった。
それでも、カズシとしてはアキトという歩く機密情報の宝庫に、接触する機会が多い彼女の意図を正確に掴んでおきたかった。
その結果として、知る必要もなかった話を延々と聞かされたのは、頭に痛い記憶だった。
「あ、その件は絶対に秘密ですよ、他言無用です。
どこかで話が漏れたりしてたら、俺が頑張ってその大元を『処理』しちゃいますよ」
何故か両手に持った包丁を、楽しそうにこすり合わせるアキト。
どうやら短時間でトレニアからの信頼を勝ち得たらしく、カズシが知る情報をアキトも知っていたらしい。
「・・・・・・全然、冗談に聞こえない所がミソだな」
アキトの腕前を良く知っているだけに、包丁片手に行われた発言が怖すぎると思うカズシだった。
昼の勤務が終わりトレニアに簡単な仕込をお願いした後、食料の買出しに行こうとして食堂を出たアキトを、呼び止める声があった。
「テンカワさん、これから訓練に付き合ってもらえませんか?」
「え、今からかぁ・・・」
目の前に立つ銀髪ポニーテールの美女に、どう答えようかとアキトは悩む。
時間の余裕は確かにあるのだが、アリサと訓練を始めると中々に解放をしてもらえない事は経験から分かっていた。
それはまるで、リョーコやガイに付き合わされていた、ナデシコでの特訓を思い出させる。
基地に帰還してから何度か、このようにアリサから訓練に誘われているが、アキトにも都合があるため全てに応えてはいない。
アキトとしては訓練に付き合うことは嫌ではないが、やはりプロとして自分の仕事を蔑ろにする訳にはいかないのだ。
紆余曲折があったが、曲がりなりにも初めて自分の食堂を持った事により、アキトの中のコック魂はかつて無いほど燃えていた。
「シミュレーターでDFSの展開を1分持続、それとバーストモードの出力制御、それが出来たら模擬戦に付き合うよ」
「っ!! 今の私の腕前では、やるだけ無駄という事ですか!!
いいでしょう、直に達成してみせます!!
その後で訓練には、とことん付き合ってもらいますから!!」
一瞬、キツイ眼差しでアキトを睨んだ後、アリサは早足でシミュレーターに向かう。
その後姿を見送りながら、言い方が悪かったかなぁ、と反省しながらアキトは頭を掻いた。
各方面から心配をされていた事だが、やはりアキトには人にモノを教える事が下手だった。
自分が出来るのだから、他人にもきっと出来るだろう、という思考の元で物事を進めるため、どうしても齟齬が生じる。
ここにアカツキが居れば、アキトが悪意をもって言っている訳ではないと、アリサに懇切丁寧に通訳する事も出来たはずだった。
しかし、残念ながらそんな便利な通訳はこの場には居ない。
ナデシコで果していたアカツキの役割が、いかに大きかったのかが良く分かる出来事だった。
こうやってアリサとアキトの間には微妙な溝が構築されつつあった。
「ま、これ以上は考えても仕方が無いかな。
早くメティちゃんを連れて買出し行こう」
レイナが用意してくれた学習教材と、机の上で睨めっこをしている筈のメティを思い出し、息抜きも必要だろうと言い訳をするアキトだった。
白銀のエステバリスに無人兵器からの攻撃が集中し、遂に被弾した機体が撃墜される。
そしてゲームオーバーの文字が表示され、シミュレーターからアリサが肩を落としながら出てきた。
「はい、お疲れ様。
DFSに拘らなければ、もうちょっと行けたと思うけどね」
アリサの訓練に付き合っているレイナが、そう言いながら手元のコンソール上にシミュレーターの結果を表示させる。
「・・・どれだけフィールドを継続出来てましたか?」
「んー、20秒程かな、一分にはほど遠いわねぇ」
「バーストモードについては?」
「出だしは良い感じなんだけどねぇ、その後で出力を持て余してるかな」
レイナから非情な現実を告げられ、アリサは更に肩を落とす。
実際、当初はネルガルの企業秘密が詰まったこのシミュレーターすら、使わせて貰えないのではと心配をしていた。
しかし、訓練を付けて欲しいと頼んだところ、二つ返事でアキトもレイナも了承をしてくれた。
理由を聞くと、幾ら凄い企業秘密だとしても、人の命が懸かっている以上はそちらを優先するべきだ、という話を交互に説明されたのだった。
そして初めて臨んだアキトとの模擬戦闘。
きっと、一生忘れられないであろう衝撃をアリサは味わった。
開始10秒での撃墜、今までのパイロット人生でもぶっちぎりの最短スコアだった。
そもそも、アリサにはアキトの機体がどう動き、何時撃破されたのかすら認識できなかったのだ。
気が付けば撃墜判定を受けており、シミュレーターから強制排出されていた。
「そもそもそさ、アリサの戦闘スタイルってフィールドランサーを使用した一撃離脱でしょ?
それが超近距離格闘仕様のDFSに手段を変えるのは、今更だけど難しいと思うなぁ」
「でも、DFSの展開を1分継続出来ないと、テンカワさんに訓練に付き合ってもらえません!!」
「・・・多分それって、戦闘状態じゃなくて待機状態での話しだと思うよ?
バーストモードは別問題だと思うけどね。
ほら、テンカワ君って時々説明不足で、他人に凄い誤解を招く事が多いから」
「・・・え?」
呆然としてるアリサを無視して、レイナが買出し中のアキトに通信を繋げる。
そして二言三言話した後、呆れたように笑ってから通話を切った。
「確認完了、やっぱり予想通り待機状態でのDFS展開だったわ。
大体、あのテンカワ君でさえ、DFSを戦闘に使用できるようになるのに半年近く掛かったのよ?
あれからインターフェースが大分改良されてるとは言え、そう簡単にアリサに扱えたら驚きだわ」
「・・・あのテンカワさんが、半年?」
「そ、有名な剣豪のお師匠さんの所に内弟子に入って、地獄の特訓をしたそうよ」
最初から、テンカワ君も無敵だった訳じゃないのよ、と苦笑しつつレイナはコンソールを操作する。
やがて、あったあったと言いながら、ボロボロの胴着姿でピースをしているアキトと、他数人が映されている画像を表示した。
「隣に立っている灰色の髪をしたお爺さんが、テンカワ君の師匠。
皆伝・・・まあ免許みたいなモノね、それを貰う為の試験に合格した時の記念写真がコレよ。
厳しい事で有名な師匠らしくて、凄く大変だったらしいわよ」
アリサは表示された画像を食入る様に見ながら、あのアキトがここまで追い込まれなければ極められないDFSというシステムに恐怖した。
何故ならばDFSを抜きにしても、バーストモードですらアリサには完全に使いこなせていないのだ。
当初はネルガルから提供されたこれらの新技術が、テンカワ アキトの強さなのだと思っていた。
だが、実際に自分で使用した結果、それが大変な勘違いである事を思い知った。
ネルガルの技術も凄いが、それを十全に使いこなせるテンカワ アキトは更に凄いのだ。
前回の戦闘により、アリサは自分が井の中の蛙である事を痛感していた。
西欧方面軍の中で『白銀の戦乙女』と呼ばれ、知らず知らず自惚れていたのだ。
実際に一皮向けば、軍と政治家のパワーバランスに簡単に翻弄され、姉とすらまともに向き合えない軟弱者だ。
その上、鍛え上げたつもりのパイロットの腕前にしても、少々戦局が不利になれば、簡単に弱音を吐くような始末。
心身共に白銀色のメッキの下には、錆付いた鉄しか存在していなかった。
「あんまり思い詰めると良くないわよ。
テンカワ君との差に思い詰めて、破滅し掛けた人もいるんだし。
彼と気軽に付き合うコツはね、ある程度距離を置く事よ」
「え、やっぱり二人は付き合ってるの?」
「・・・何でそうなるのよ。
言っとくけどね、私にはちゃんと地元に恋人が居ますから」
「でも、私が聞いた話ではテンカワさんとレイナが恋人同士だって」
「ちょっと、誰が言ったのよ、それ?」
「整備班のサイトウさんが」
「よし、殴りに行こう」
満面の笑みで愛用のスパナを片手に立ち上がるレイナを、呼び止める勇気はアリサには無かった。
基地でそんな会話がされている事など、当然知らないアキトは上機嫌なメティと手を繋いで商店街を歩いていた。
実家ごと着替えも全て焼失していしまったメティは、アキトとレイナから新品の冬着を多数プレゼントされており、今日はその中でもお気に入りの服を選んでいた。
最近トレードマークになりつつある、白いマフラーを首に巻いたアキトがそんなメティに引きずられてふらふらと歩いていく。
人が集まるという事は、そこに消費が発生する事であり、商売人にとっては見逃せないチャンスでもある。
実際、数日前からは信じられないほどの活気と、驚くほど様々な品物が店先に並んでいた。
「いやぁ、随分と活気があるなぁ」
「本当、凄い人混みだね」
迷子にならないようにと繋いだアキトの左手が嬉しいのか、メティは実に活発に動いてアキトを振り回す。
こちらに移動中の家族が合流するまでは、アキトと一緒に居る予定なので、甘えれる時に目一杯甘えるつもりのメティだった。
「・・・おーい、俺の存在を忘れて無ぇかな?」
「いいや、そんな事無いぞ」
「うん、タダシお兄ちゃんも一緒だよ!!」
「本当かぁ?」
両手一杯に荷物を持つだけに留まらず、背中のリュックにまで荷物を詰め込んで運んでいるサイトウ。
街に買出しに行くというアキトに便乗して、職場を抜け出してきたのだが、サボリを見抜いた上司により多数の買出しを命じられていたのだ。
「だって、タダシお兄ちゃんとは手を繋ぐ所が無いもん」
「いや、確かにその通りだけどさ。
それなら、テンカワも荷物を半分位持ってくれてもいいだろ?」
「う〜ん、悪いけど右手は常に空けておかないと、不安で仕方が無くなるんだ。
ま、乗ってきた車までもう少しだから頑張れ!!」
サイトウがアキトの買出しに同行できた理由がソレだった。
相変わらず車の運転が出来ないアキトは、誰か手の空いている人に車を出してもらう必要があった。
当初、あのテンカワ アキトが車の運転が出来ない、という告白に全員が下手なジョークだと爆笑した。
どう考えても、地面を疾駆する車より、三次元で超高速戦闘を行うエステバリスの方が制御が難しいと判断したからだった。
そして、渋るアキトに無理矢理運転をさせてみて、2台の軍用車をお釈迦にした所で、それが真実なんだと全員が思い知った。
全損事故を起こした当の本人が、無傷でバツが悪そうに運転席から降りてくる姿が怖すぎた、という意見も多い。
そんな風に三人は仲良く街中を歩いている。
メティとしては大好きなアキトと、面白いお兄ちゃんとして懐いているサイトウと一緒にお出掛けが出来て、本当に楽しそうに笑う。
そして近日中に大好きな姉と父親に再会できるとあって、その機嫌は鰻上りだった。
「あ、あのリボン・・・」
露天に並べられていたリボンを見て、メティが足を止める。
それを見て男二人は素早くアイコンタクトを行った。
メティが今は亡き母から贈られたリボンを、実家ごと焼失して気落ちしていた事はよく知っていたのだ。
「おっさん、そのリボン幾らだよ?」
「あん?
これは値札に書いてある通りだよ。
先に言っとくが値引きは絶対にせんからな」
露天売りの店主が示した値札を見て、手持ちが足りねぇと悔しがるサイトウ。
アキトも食料品の買出しで現金を切らしており、この場で立て替える術は無かった。
勿論、カード払いが出来れば問題は無いのだが、即席の露天売りにカード決済の機能など望めない。
そしてこの周辺には、キャッシャーなど存在もしていなかった。
お互いの視線から手持ちが足りない事に気が付いた男二人は、なんと情けない・・・と同時に肩を落とす。
「あらあら、良い大人が二人も揃って何を情けない顔をしているんですか?」
容貌はアリサとそっくりだが、独特な落ち着いた雰囲気をかもし出している女性が、微笑みながら三人に話しかけてきた。
「あ、サラお姉ちゃん!!」
「やあ、サラちゃん」
「ちわっす」
「はい、こんにちは。
皆さん揃って買出しですか?」
両手に大荷物のサイトウを見て、サラがそう尋ねてくる。
その意見に同意をしつつ、さり気無くサイトウがサラに近づき小声で交渉を始めた。
「メティちゃんにプレゼントがしたいんだけど、二人とも手持ちが無くてさ。
悪いけれど少し貸してくれない?」
「ああ、なるほど・・・別に良いですよ」
同じく小声になりながら、サラは後手で財布から素早く紙幣を取り出しサイトウに手渡す。
男性の面子を立てる事を知っている所が、妹のアリサと違って気配りが出来るサラらしい行動だった。
そんなサイトウとサラのやり取りに気づいていたアキトは、視線でサラに礼を告げた。
そして、アキトとサイトウからのプレゼントを手に入れたメティは、満面の笑顔になって二人に抱き付いた。
「そう言えば、サイトウさんの彼女が軍の食堂に雇われたそうですね?」
先程の礼を兼ねて、アキトがカフェにサラを誘い、四人でお茶を楽しみながら近況を話していた。
暖かい店内には落ち着いた音楽が流れており、以前の放棄される寸前だった街とは思えない落ち着きを感じさせた。
そんな会話の中、先日アリサとの電話で話題に上がった事を思い出したサラが、笑顔でサイトウにそんな事を尋ねる。
「か、彼女じゃねぇよ!!
幼馴染の腐れ縁ってやつだ!!」
真っ赤な顔で否定をするサイトウに、何を意地張ってるんだコイツ、という視線が三人から向けられる。
メティにすら視線で責められている事に気が付き、段々とサイトウの声が小さくなっていく。
しかし、このまま押し切られてなるか、とばかりに更なる否定を述べようとしたサイトウだが、サラは絶妙なタイミングでアキトに会話の矛先を振った。
「私とアリサにはそんな存在は居ないのだけど。
テンカワさんには、幼馴染の方とかは?」
「うん、二名ほど」
「あら羨ましいですね。
ちなみに、女性の方ですか?」
「けっ、どうせ女性で美女なんだろ」
「あー、うん。
客観的に見れば美人だろうな」
「・・・コイツを殴れる強さが欲しい」
心の中で血涙を流しているような表情で、サイトウがテーブルの下で拳を握り締めて震わせる。
しかし、実行をしようとしても、軽く制圧される事を知っているだけに、無駄な行動は起こさない。
ちなみに、メティは色気より食い気とばかりに、今は目の前に有るジャンボ・パンケーキの攻略に夢中になっている。
「それはそうと、サラちゃんの仕事は順調かい?」
「ええ、各地区の相談役の方達には、全て面通りは終わりましたから。
これからはビシバシ、シュン隊長に要求を突きつける予定です」
「はははは・・・お手柔らかにね」
この街に住む住民と、新しく流れ込んできた人達の間にトラブルが起きないはずが無い。
実際に大小様々なトラブルが多発しており、その対応に警察は四六時中対応を迫られている。
そして軍に対する苦情や要望については、相手が暴力の体現体であるだけに敬遠されていた。
その軍の力を当てにして集まっておきながらも、やはりその存在と力には恐怖を抱いてしまうのは仕方がない事だろう。
そんな折、その軍のトップと互角の交渉を行った女性の存在が明らかになった。
そこから先は決まりきったレールのように、トントン拍子に話が進み。
若輩ながらサラは以前と同じように、市民と軍の間を取り持つ立場へと正式に就いたのだった。
住民代表として就任の挨拶に訪れた時、サラは苦笑程度だったが、シュンの顔は少々引き攣っていた。
「で、トレニアちゃんとの馴れ初めは?」
「ちょっと待て、何でそこで俺に話を振るんだよ?」
「まあ、気にするな」
アキト本人としても、他人の恋路は面白いと感じているのかサイトウに話を振り直す。
それを聞いて憮然とするサイトウだが、サラとパンケーキに勝利したメティの視線が集中し、根負けしたように口を開いた。
「俺のお袋がフランス人のエンジニアと再婚して、こっちに引っ越してきたんだよ。
その時、隣に住んでいたのがトレニアの家族。
そんでもって、それ以来の腐れ縁だってだけだ」
「それだけ、ですか?
何だか面白そうなエピソードが幾つかあるものだと・・・」
「いや、幼馴染だからと言っても、そうそう面白いエピソードなんか無いって」
この手の話が好みなのか、意外に乗り気なサラの突っ込みに、ないないと手を左右に振るサイトウ。
そんな二人のやり取りを横目に、自分の場合との差異について考え込むアキトだった。
――――――――しかし次の瞬間、アキトの右手が霞む様なスピードで動く。
「お、どうしたんだよテンカワ?」
「いや、何でもない」
厳しい顔をしていたアキトに気が付き、サイトウがそう聞いてくる。
不思議そうにしているサラとメティにも、何でもないよと説明をしながら、アキトはパンケーキのナイフで叩き落したあるモノを拾い上げる。
それは手紙に包まれた小石だった。
「随分と嫌らしい手を使うじゃないか」
指定された待ち合わせ場所は、路地裏をかなり進んだ先にある人気の少ない広場だった。
愛刀を片手にアキトが訪れた先には、既に相手が待ち構えていた。
「なに、一番確実な手段を使ったまでだ。
身内や知人を襲うと脅せば、お前みたいな奴は直に飛んで来るからな」
三十代後半と思える風貌をした黒いコートを着た男が、淡々とした口調でアキトに返事をする。
その鍛え抜かれた長身と、隙の無い立ち振る舞いに、アキトは内心の警戒レベルを数段上げる。
見た目はアキトと同じアジア圏の人間に見えるが、その身に纏う鬼気はある人物を彷彿とさせた。
何よりその目に宿る暗い輝きに見詰められ、アキトは背中に冷たい汗を浮かべた。
「何が目的だ?」
「さて、クライアントの考えている事など知りたいとも思わないが、俺の目的ははっきりしてる」
黒いざんばら髪を掻き毟りながら、男が腰を落として後ろ手に持っていた刀を構えた。
「早速、腕比べと行こうか」
「うわっ、あ、あのテンカワと・・・互角に闘ってやがるのか?」
サイトウはアキトに頼まれていたメティとサラの身柄を、近くの警官に受け渡した後、急いでアキトの後を追った。
向かう先については、シュンに連絡をする必要があった為に、アキトから聞きだしていた。
アキトや緊急連絡を入れたシュンからも、その場を動くなと言われたが、どうしても心配になったサイトウは現場に足を運んでしまった。
そこにはアキトの腕前に対する信頼と、自分が巻き込まれるはずが無いという根拠の無い自信があった。
そして、建物の影から覗き見た光景は、サイトウの理解の範疇を遥かに超えた剣戟だった。
お互いの愛刀を片手に目まぐるしく位置を変えながら、疾風の如くすれ違い様に一撃を繰り出す。
その姿が見えたわけではないが、二人の立ち位置が次々と替わっていき、周囲に澄んだ金属音が響き渡る事で、サイトウはその事実を認識する事が出来た。
騒音を響かせる派手は剣戟は無く。
正に一撃必殺という闘いが、そこで繰り広げられていた。
映画やアニメとは違い、派手さはまるで無いが、逆に息詰まるような緊張感がサイトウの全身に襲い掛かる。
実際、対峙する二人の周囲には目に見えない結界があるように感じられた。
サイトウが男気を出して、背後から男に襲い掛かっても、一瞬で斬り殺されるイメージしか浮かばない。
そんな死を強制的に押し付ける鬼気が、目の前の男らか立ち上がっていた。
やがて、二人が足を止め、お互いに無言のまま刀を腰溜めに構えた後、その緊張感は最高潮に達し、サイトウは息をする事も忘れる。
しかし、意外な事にアキトの相手をしてた男が、その構えを突如解いた。
「邪魔が入ったな」
「・・・」
男の言葉に対して、アキトは無言を貫く。
二人の闘いに見入っていたサイトウは、何時の間にか大きく身を広場に乗り出していたのだ。
「こちらの都合で悪いが、次は三日後だ」
無表情のままそう言い残して男は刀を鞘にしまいこみ、アキトに背を向けて路地裏の闇に消えた。
それを見送った後、慌ててアキトの元に向かうサイトウ。
「っ!!
動くな、サイトウ!!」
――――――――次の瞬間、アキトが叫びながら放った斬撃により、何かが切り裂かれる音が広場に響いた。
「つまり、サイトウが気絶してる訳は自分が狙撃されたショックと、アキトの闘気とやらをもろに受けたせいなのか?」
「はぁ、未熟ですみません」
身の置き所が無いかのように、シュンの目の前で身体を小さくするアキト。
その姿に苦笑をしながら、シュンはベットに寝かされているサイトウの頭をバインダーで叩いた。
「それについては俺達が止めたのに、現場に足を運んだサイトウの自業自得だろ。
それにしても、テンカワがそこまで梃子摺る凄腕が居るとはなぁ」
今まで見てきたアキトの非常識な腕前を思い返しながら、シュンが気難しい顔で唸る。
そんな凄腕が街に潜んでいては、自警団や警察程度では心許ない。
かと言って、アキトを街に張り付かせるなど、相手の目的が不明な以上、とても出来ない相談だった。
それにそもそも、木星蜥蜴ではなく生身の人間に狙われるという事態が、シュンには想定外だったのだ。
アキトを失う事は人類にとって、とてつもない損失を招く事は少し考えれば分かる事なのだから。
「・・・剣の腕は相手の方が上でしたね。
お互いに様子見をしている段階でしたけど。
あのまま戦闘を続けていれば、負けていた可能性は高いです。
まさか、師匠並の人物に命を狙われるとは、思ってもいませんでしたよ」
「なん、だと?」
アキトから告げられた衝撃の事実に、シュンは思わず二の句が告げなくなる。
良く見てみれば確かに致命傷は無いものの、アキトの身体には細かい切傷が多数刻まれていた。
「それに、刀使いも問題ですが、隠れていたスナイパーも凄腕です。
サイトウが撃たれるまで、俺には奴の位置が掴めませんでした」
今まで見せた事が無かった焦りを浮かべるアキトに、シュンは事態の深刻さを思い知った。
当初は目立ちたがりの馬鹿か、例の准将の嫌がらせ程度に考えていたが、そのレベルの刺客では無い事に気が付いたのだ。
「そうなると、下手な警護を付けても無駄になるな」
「ええ、こちらも凄腕の仲間が必要になります。
最低でも、俺と渡り合う程度の腕前の人が」
思わず、そんな奴が軍に居るかと叫びたくなったシュンだったが、何とか言葉を飲み込み顰め面を作る。
アキトの重要性を考えれば、とても放置できるような問題では無かった。
だが、白兵戦においても無類の強さを誇るアキトを、さらに超えるような腕前を持つ刺客を倒す術も無い。
かと言って、アキトを基地内に監禁状態にすれば全てが解決するとは思えない。
「ちなみに、俺を閉じ込めて保護、という線は無ですよ。
関係者だろうと無関係だろうと問わずにテロに走ると、相手は宣言してましたから」
「嫌らしい手を使いやがる」
自分が刺客なら、その手を使ってアキトを引きずり出す事が分かっているだけに、シュンの返事も早かった。
しかし、そうなると早急に腕の立つ見方が必要となる。
だがシュンが把握している限り、アキトと並ぶような腕前の兵士はこの基地内どころか、西欧方面軍にも居るのかすら怪しかった。
「そこでシュン隊長に相談なんですが、この街に裏の人材派遣の仲介所って有りますか?」
「・・・いきなりブラックな所を突いてくるな、おい」
まさかアキトの口からそんな言葉が出てくるとは思えず、流石に少々思考を停止させる。
だが、表に人材が居ないのなら裏に求めるのは一つの手段である事は確かだった。
そしてシュンの知る限りでも、裏に身を落とした人間には、稀に桁外れな腕前を誇る人材が存在していた。
「軍もその手の相手とは治安維持の関係上、全くの無関係という事は無いが・・・
そうそう都合良く凄腕が居るとも限らんぞ?」
「その辺は大丈夫ですよ、さっき知り合いに確認したところ、何故か裏の腕利きがこの街に集結しているそうです。
どうにも今回の件と、リンクしてるような予感がするんですよね」
しれっとトンでもない情報を告げたアキトを、シュンは猜疑心に満ちた顔で凝視した。
「何気に賞金首になっていた、というオチか」
「この金額の手配って・・・何をやらかしたんです?」
裏の口利き屋に案内役として抜擢されたカズシと、無理矢理後を付けてきたアリサに白い目で見られてアキトは肩を竦める。
過去にスラム街を形成していた場所の、更に奥まった路地の片隅に、隠されるようにしてその扉は有った。
軍と裏の人間が折衝をする為に用意されていた部屋には、左目を潰された老婆が待っており、こちらが用件を切り出す前に一つの用紙をアキト達の前に開示したのだ。
「個人に懸けたられた金額で考えれば、そこらへんの血に狂った独裁者やへっぽこ国王を超える額じゃて。
そりゃ腕に覚えのある奴等なら、戦場だろうと奮って参加するじゃろう。
いや、むしろ戦場の方が仕事がやり易いと考える奴もおるかもな」
ふぇっふぇっふぇっ、と空気の抜けたような笑い方をする老婆を、咎める様にアリサが睨みつける。
サラ以上に潔癖症な所があるアリサは、人の生き死にを商売にしている彼等を心底から嫌悪していた。
「依頼元を教えて貰えないか?」
「それを教えるのは協定違反じゃな。
そんな事をすれば、明日からは飯の種が無くなってしまうわい」
カズシからの要請を素っ気無く断る老婆。
アリサがその態度に対して文句を言う前に、カズシが視線で黙らせる。
そもそも、当初の予定ではカズシ一人でこの場を訪れる予定だった。
それなのに何故か、スラム街の入り口でアキトに肩を叩かれ、その後でスラムの人間と口論になっているアリサを見つけて頭を抱えたのだ。
基地から出る際にアキトは厨房で鍋を振っていたし、アリサはレイナを掴まえて何やら激しく議論をしていたのを確認していたのに。
ちなみにアリサが同行した理由は、訓練に付き合う約束をしていたアキトが外出するのを偶然発見し、憤慨して後先考えずに追い掛けた結果だった。
命令を受け付けないアキトだけでも手間なのに、スラムからアリサを一人で帰すわけにもいかず、カズシは結局二人の同行を認めるしかなかった。
「アリサ少尉、余計な発言は許さんぞ」
「了解です」
顔中で不機嫌ですと宣伝しながらも、上官の命令に従う理性は残っていたのかアリサは大人しくなった。
どうにも軍でも扱いに困っていたらしく、新兵とは思えない態度を取るアリサにカズシは最教育の必要性を強く感じた。
「その割には普通に街を歩けたみたいだけど?」
そして、狙われている当の本人はその自覚が無いのか、のほほんとした顔で意見を述べる。
「それはそうじゃろう。
まずこの街に来るだけでも、結構な数が篩い落とされておるそうじゃ。
何しろ木星蜥蜴との最前線じゃしの。
しかし、お前さんは見た目が年若い東洋人で、名前も聞いた事が無いような若造じゃからのう。
そりゃあ、腕に自信が無い奴でも、上手くいけば一攫千金とばかりに集まりかねんて」
アキトのその余裕を見て、逆に楽しそうに笑顔を浮かべる老婆。
どうやらアキトが軍属で無い事を知っているらしく、その態度は明からにカズシやアリサに向けるものと違っていた。
現在の基地を仕切っているシュンとは違い、前任者がスラムにかなり無茶な事をしていたのを知るカズシは、その態度も仕方が無いと割り切っている。
「それに、この街にもそれなりに裏の連中は居るからのう、邪魔にならん程度には動かせてもらっておる訳じゃ」
「・・・お礼を言った方がいいのかな?」
「何、自分自身と家族の為にも、お前さんには無事でいてもらわんと困る。
実質、木星蜥蜴どもを倒している人物が誰なのかは、この街で知らない人間はおらんわい。
それに、正直に言えば一流どころが来れば、監視以外に何も出来んがな」
その事が本当に悔しいのか、老婆が憮然とした表情でアキトにそう告げる。
どうやら個人的にはアキトの事を余程気に入っているらしいのだが、様々な要因により提示できる情報は本当にこれだけのようだった。
「有象無象の数が減っただけでも大助かりですよ。
それに、あの刀使いは・・・下手に手を出さない方が良い」
自分の左手で握っている愛刀に目を落としながら、平坦な声で忠告をするアキト。
今まで向けられた事の無い本気のアキトの闘気を受けて、不機嫌な表情を作っていたアリサもその場に固まる。
「ほっほっほっ、流石、流石じゃのう、リュウジの奴を思い出すわ」
「・・・リュウジさんをご存知なんですか?」
流石にここで兄弟子の名前が出るとは予想していなかったアキトが、驚いた顔で老婆に尋ねる。
「おや、聞いてなかったのかい?
このスラムはマウロの奴の生まれ故郷なのさ。
孤児だったマウロを育てたのは私さ。
さんざん悪態をつきながら、リュウジに付いて行ってからもう10年以上が経ったがね。
昨日のうちに私の所には、お前さんについて長々とした愚痴メールが届いてたんだよ」
「ああ、それであんな通信を寄越してきたのか。
多分、裏の情報を知って直に連絡をしてくれたんだろうけど・・・
今度帰ったら、リサ姉さんに色々と悪事をチクッてやる」
昨日、突然送れられてきた兄貴分からのメールを思い出し、アキトは苦笑を浮かべる。
どうやら裏で流れているというこの手配書を見て、フォローの為に連絡を入れてくれたという事だろう。
その癖、詳細を知らせないところに悪意を感じるが、アキトの腕前を信じているからこその悪戯だと信じたい。
「マウロの奴が地元のマフィアに下手をうった時、その身を庇った私は殺される所じゃった。
馬鹿な子ほど可愛いもんでの、何とかマウロの命だけは救えたが自分は逃げ遅れた。
それをギリギリの所で助けてくれたのがリュウジじゃ」
老婆はそう言って今は潰れてしまった左目を擦る。
そこには怒りはではなく、感謝の気持ちだけが有る事がアキト達には伝わった。
「そう言えばあのリュウジも、剣以外は本当に不器用な奴じゃったな、娼婦一人もまともにあしらう事もできやせん。
女に言い寄られると、真っ赤な顔をして逃げ出していたもんさ。
ま、そんな無骨な所が良いと、滞在中はスラムの女性や子供達にはとてもモテておったがのぉ」
何を思い出したのか楽しそうに笑う老婆。
そしてアキトを見て、さもありなんと同時に頷くカズシとアリサ。
意味が分からず首を傾げるアキトに、何でもないと三人が同時に手を振った。
「しかし、そうなると人手を借りるというお願いは無理そうですね」
居心地の悪さを感じたのか、しきりに首の後ろを掻きながらアキトが会話を変えようと試みる。
「少なくとも、跳んでくる弾丸を斬り飛ばすような腕前の奴は居ないね」
「笑えない冗談ですね」
黙っていろと命令されたアリサだが、あまりにふざけた内容に思わず口を出してしまう。
「「出来る奴がそこに居るぞ(じゃないか)」」
「・・・何物ですか、貴方?」
「いや、そう改めて聞かれるとどう答えていいのか」
アリサから向けられた不審人物を見るような目に、益々肩身を狭くするアキトだった。
「とりあえずこの手配書をどうにかしないと駄目だな。
何処の馬鹿が仕掛けた罠か知らんが、早速軍の諜報部に調査をさせるか。
しかし裏の情報網で出回ってるとなると、かなり時間が掛かりそうだな」
「ああ、その手の問題なら大丈夫ですよ。
知り合いに頼んでおきましたから、明日には解決すると思います」
しれっと、気合を入れるカズシの出鼻をアキトが挫く。
「・・・何をしたんだ?」
「個人的な伝を頼りました」
胡散臭そうな顔でアキトを見ながら、どぷやって裏を取ってやろうかと悩むカズシであった。
その後の話し合いでも結局、アキトの首に賞金が懸かった事以外は何も判明はしなかった。
だが裏でも自警団的な組織が作られており、それが密かにアキトを守っている事が判明しただけでも、カズシにとっては収穫だった。
本人に自覚は無いだろうが、ここでアキトに万が一の事があれば、シュンもカズシも首を切られるだけで終わらないと予感していたからだ。
相手の言葉を全て鵜呑みにする訳ではないが、少なくともこの街の暗部でもアキトの人気が高い事が知れたのは良い事だった。
「さて、そろそろ帰るかな、邪魔したな婆さん」
時間切れと考えたのか、カズシが目の前の老婆に頭を下げる。
「何、こちらも孫の相手が出来たみたいで楽しかったよ」
最早聞き慣れてしまった空気の抜けるような笑い声に送られながら、全員が部屋を出ようとした瞬間、アキトが動いた。
いや、動いた事にカズシ達が気が付いたのは、何時の間にか外に繋がる扉の前に愛刀を持って構えているアキトを見た時だった。
その背中から立ち上る闘気に気圧され、背後にいた三人は黙り込んでしまう。
静かに愛刀の鯉口を切るアキトに、扉の向こうから気軽に声が掛けられた。
「おいおい、いきなり物騒な挨拶だな、テンカワ アキト」
その台詞と同時に、扉が外側に開かれる。
そこには黒スーツに茶色のロングコートを着た長身の男性が、片手に気絶した男性を引きずった状態で立っていた。
アリサにはその姿から、何故か黒豹のようなイメージを感じ取った。
「・・・お前、確かヤガミ ナオ」
「その通り、西欧で名を馳せる英雄さんに、名前を覚えて貰えて光栄に思うぜ」
鋭い犬歯を見せて笑うサングラスの男の登場に、アキトは改めて気を引き締めなおす。
「いやぁ、さんざん探したぜテンカワ〜
何しろそっちは戦艦で移動してる身だからな、なかなか居場所が特定できなくて困ってたんだぜ。
もっとも、この街に居る事は手配書のお陰で裏の世界には一瞬で広まったけどな。
此処を突き止めるまでも、ちょっとした冒険を繰り返したもんな。
うん、思い返してみれば本当に大変だった」
「別に探してくれと頼んだ訳じゃない」
部屋から誘い出され、お互いに対峙をした二人は、そんな軽口を叩きあいながらも間合いを計り続けていた。
アキトに待っているように視線で言われたカズシ達だが、ナオに誘われるままに外に出たアキトの後を我慢できずに追いかけた。
しかし、狭い路地裏でじりじりと小刻みに動く二人の無言の闘気に気圧されて、カズシとアリサは口出しも出来ずに見守る事となる。
「それにしても徒手空拳じゃなくて、刀が本来の戦闘スタイルだって?
俺も舐められたもんだ、それを知った時には怒りで思わず情報端末を粉微塵にしちまった」
「特に含むものは無かったんだけどな、あの時には手元に愛刀が無かったんだよ」
アキトがそう嘯いた瞬間、ナオが瞬時に懐からブラスターを取り出し撃ち放つ。
その一撃を予見していたかのように、アキトは既に鯉口を切っていた愛刀を鞘走らせて、銀閃にて迎え撃った。
「ひゅう、マジで弾丸を斬るのかよ」
「撃つ前から殺気が見え見えだ、タイミングも取り易かった」
「いやいや、それでも弾丸斬るのは別問題だろ。
ま、これでミスってれば腹抱えて笑ってたけどな」
「その割りに嬉しそうだな」
「お前もな」
他愛も無い事を話しているかのように、二人は楽しそうに会話を交わしながらも、お互いの目は笑っていない。
前回の格闘戦とは違い、お互いに一撃で相手を戦闘不能に出来る得物を手にしている為、派手に動く事は無く静かに機を窺っている。
それを承知の上で、先に動いたのはナオだった。
笑顔を浮かべたまま、無造作に歩を進める。
その行動に当初は警戒心を刺激されたアキトだが、逆に相手が何をしてくるのか興味を抱いたのか、その場に確りと足を踏みしめて万事に対応できるように構えを取る。
そして、アキトの殺傷圏内に入ってもナオの歩みに躊躇いは無かった。
「やっぱり無抵抗な相手は斬らない、か。
・・・お前、何であの時俺に止めを刺さなかった?」
気が抜けた、とばかりに頭を掻きながらナオが不思議そうに質問をする。
既にアキトの殺傷圏内に踏み込んでいるというのに、その顔には緊張の色は見えない。
「個人的な理由だから、気にするな」
「こっちとしては舐められているみたいで、実に腹立たしいんだが。
こう見えても裏の世界じゃかなり名前が売れてる自信があっただけにな。
それに全力で戦えないお前さんとやりあっても、リベンジを誓う俺としては意味が無いんだよな」
困ったとばかりに肩を竦めるナオの目の前で、少し考え込んでいたアキトが思わぬ行動に出た。
「刀や銃は確かに殺傷力が強すぎる、ならコレでどうかな?」
挑むような笑みを浮かべながら、愛刀を鞘に仕舞った後、カズシに向けて放り投げ拳を突き出す。
それを見て一瞬驚いた顔をしたナオは、次の瞬間には楽しそうに笑う。
「はっ、馬鹿な奴だと思っていたが、本気で筋金入りだな。
いいぜ、確かに前回の仕切り直しにはピッタリだ」
持っていたブラスターを路地裏の片隅に放り投げ、同じように拳を上げてアキトの拳とぶつけ合う。
次の瞬間、お互いの拳が弾けとんだ。
カズシとアリサはいきなり目の前で始まった高度すぎる格闘戦に、やはり何も出来ずに固まったままだった。
何故、いきなりこんな事態になったのか、まるで理解できないアリサだが、カズシには少しだけ理解が出来ていた。
つまり、軍でも時々見る事のある存在、己の腕に誇りを持つ男がその存在意義を全うするために現れたのだ。
先程も言っていたが、ヤガミと呼ばれた男は過去にアキトに敗れ、そのリベンジを行う為にこの場に訪れた。
今、目の前で活き活きとして戦っているナオを見る限り、それは本心だと思えた。
「そんな所だと思うが、これはまた・・・」
「レベルが違いますね」
目の前でアキトが実際に弾丸を斬り飛ばした事にも驚いたアリサだったが、今の格闘戦にも驚きを禁じえなかった。
何しろ先程と違い、今度は二人の体捌きを目が追いきれていない。
お互いにめまぐるしく位置を変えながら、激しい攻防を繰り返している。
傍目にはどちらが有利なのかすら、判断する事が出来ない状態なのだ。
アリサは自分がこの二人に襲撃されれば、殆ど為す術も無く秒殺されるだろうと思い、背筋に冷たい汗を浮かべる。
「フォローしておくが、うちの基地内に在籍している腕自慢の陸戦隊でも、あんな動きは無理だからな。
慰めにもならんが、アレ等を基準に考える事はするな」
「・・・はい」
そうだとしても、己が目標とする存在の計り知れない実力の高さに、アリサは唇を強く噛み締めながら目の前の闘いを注視した。
前回と違い、最初から相手が格上だと知った上での丁寧な戦術により、ナオの有利な展開が続いていた。
無駄口は叩かず、相手の鋭く重い攻撃を確実に捌き、小さなモーションから隙の少ない攻撃でダメージを狙う。
格上となるアキトに大技は狙うだけ無駄と割り切り、経験を活かした戦術でアキトがミスを犯すまで耐え忍ぶ。
実際、その戦術は実戦経験の少ないアキトの一番嫌な弱点を突いていた。
アキトが繰り出す激烈な威力を秘めた攻撃を、見事なステップと体術で華麗に捌くナオは、紛れも無く超一流の戦士だった。
既に一度、その身でアキトの攻撃を受けた経験が、大きくこの戦いには作用している。
自ら仕掛ける事は無駄と割り切り、持久戦を仕掛けるナオの顔に焦りは無く、虎視眈々と無形のプレッシャーをアキトに掛け続ける。
戦闘経験が少ないというアキトの弱点を突いたナオの戦法に、どうしてもアキトは攻めが単調になってしまう。
身体と技は鍛え抜いていても、やはり経験がその刃を鈍くしていた。
ましてや今までの戦いからして、大抵の相手はその圧倒的な力量を活かした瞬殺だった為、経験値は一向に溜まっていないのだ。
強すぎる故の弊害、師匠であるユウが懸念していた事の一つだった。
そして、同レベルの相手との戦いを知らない事は、明らかにアキトの弱点になっていた。
「くっ!!」
ナオが何気なく起こした誘導に引っかかり、アキトは無駄にしかならない牽制の蹴りを繰り出す。
そして、ナオはそのチャンスを逃さず、軸足を刈るように見せかけて、引き戻そうとしたアキトの蹴り足を左手で見事に捕まえた。
『前回』の戦いを教訓に、ここで一気に決めるべくアキトの軸足を踏み抜きながら、同時に掴んだ足首の間接を壊そうとするナオ。
――――――――しかし、次の瞬間、二人してその場を大きく飛びのく。
アキトの背後にあった壁に大きな穴が開いたのは、殆どその動きと同時だった。
「カズシさん!! アリサちゃん!! 狙撃だ!!」
「分かった!!」
事態についていけず呆然としていたアリサと違い、戦場で揉まれてきたカズシの反応は早かった。
アリサの手を掴んで先程の部屋に転がり込み、アキトには手に持っていた刀を投げ渡す。
部屋に転がり込みながら、カズシは3度、アキトの刀が弾丸を斬り飛ばす音を聞いた。
「あー、興醒めだまったく」
部屋の片隅に置かれたくたびれた牛皮のソファに座り込み、ナオは心底疲れたようにダレていた。
先程までの活き活きとした気配は欠片も無く、やる気の無い気配を全身に漂わせている。
「せっかくあそこまで上手く追い込めたのによー
何処の誰だよ、狙撃なんて嫌がらせをした奴はよー」
「いや、アレは嫌がらせじゃないから。
思いっきり命を狙われてたから」
ナオの対面に座っていたアキトが、何故かナオから視線で責められて居心地が悪そうに反論する。
お互いに気が削がれたのか、先程まで恐ろしい内圧を発していた雰囲気は微塵も感じる事は出来ない。
「うるせい、手前は経験を積めば積むほど有利になるから良いけどよ。
こっちは何とか限りある長所を、必死にやりくりしてるんだぞ、おう、こら」
「・・・もう、今回は俺の負けでいいですよ。
実際、あの時に足を壊されていれば、その後の反撃は難しかったですしね」
アキトからその言葉を聞いた瞬間、ナオの顔に満面の笑みが浮かぶ。
少し離れた場所から様子を見ていたアリサは、それを見てまるで子供のようだと内心で思った。
「よし、じゃあこれで一勝一敗のイーブンだな。
次に会う時は、そのすました顔をボコボコにしてやる」
「・・・そこまで恨まれる覚えは無いんだけど?」
「得意の得物を使わない時点で、お前は俺の事を舐めてるんだよ!!」
「えー」
いい歳をした大人と青年が、馬鹿なやりとりをしている間、アリサは憮然とした表情で見張っていた。
もっとも、ナオがこの場から逃げようと考えた場合、その行動を止められるのはアキトしかいないのだが。
アリサ自身もその事は分かっていたが、何となくこの二人に相手にされていない現状が面白く無いので、意地を張って見張っていた。
そんな中、部屋の片隅でシュンと携帯でやりとりをしていたカズシが、更に仏頂面を作ってソファに戻ってくる。
「ヤガミ ナオ、お前の勤務先を話してもらおうか?」
「俺、フリーター」
「・・・ふざけているのか?」
カズシが構えているブラスターなど、まるで目に入っていないかのようにナオは肩を竦める。
その馬鹿にするような仕草に、カズシの瞳から感情的な色が消えていった。
それに反応したのか、ナオが発している軽い雰囲気が消え、逆に物騒な気配が漂い始める。
「なら別の質問だ、お前の狙いは何だ?」
「基本としては、テンカワ アキトに対する仕返しかな。
まあ、懐が寂しいから賞金に興味はあるが、受け取るのは無理だろうな。
何しろ賞金を受け取る先が問題だ、ヤバイんだよなあそこ」
「貴様・・・テンカワに賞金を賭けた相手を知っているのか?」
「まず間違いなく、元職場の上司だな。
手段に思いっきり見覚えがある」
「という事は、やはりクリムゾン『真紅の牙』か」
カズシとナオの会話に突然アキトが割り込んできた。
そのアキトの発言を受けて、ナオは無言のまま頷く。
ネルガル以上に過激で目的の為には手段を厭わない、クリムゾンの暗部の名前を聞いてカズシは警戒レベルを一つ上げる。
そしてその暗部に所属していたと自称しているナオに対して、最早殺気とも言える敵意を向ける。
会話に付いていけないアリサは、三人の放つ気配に圧されて声を掛ける事も出来ないでいた。
「それで、ヤガミさんはどうしてフリーターなんかに?」
「職場放棄したんだよ、誰かさんにノックアウトされた後にな。
おかげで退職金ももらってない。
こんな業界に身を置いてきて、それなりに腕に自信があったのに、あんな納得のいかない終わり方をしたのは初めてだからな。
それに色々とあの手の仕事に対して、鬱憤が溜まってた所だったしな。
・・・良い機会だ、何であの時俺に止めを刺さなかった?」
下手な言い訳は許さない、という気迫を込めてナオがアキトに質問する。
その質問を受けた本人は迷ったように天井に視線を這わせた後、頭を掻きながら説明を始めた。
「一応、あの時には腕の一本でも折るつもりだったんだけどね。
ヤガミさんの懐に入ってる、ある物が目に入ってさ。
実は俺も持ってるんだ、コレ」
そういってアキトは内ポケットから、それなりに大事にしている小冊子を出してナオに見せた。
最初は訝しげに見ていたナオだったが、何かに気が付いたのか驚いてその小冊子を奪い取って読み始める。
内容を確認すればするほど、ナオの顔に何とも言えない表情が浮かび上がる。
「・・・マジか?」
「うん、マジ」
当然ながら二人だけの会話に付いて行けず、とうとうカズシもアリサと同じく傍観者の立場になっていた。
しかし、先程までナオが見せていた刺々しい気配だけは見事に霧散していた。
「そうかー、あのグルメキングの関係者かー、そりゃ筋金入りのお人好しだよな」
「人の事は言えないと思うけどね。
あの食い意地の張った悪友に、わざわざ良い人認定されるような人が、それほど酷い悪人とは思えなくてさ。
実際、もっと悪辣な罠や人質を取る事も出来ただろうに、その手の妨害は仕掛けてこなかっただろ?
だからこっちも、思わず止めを刺すのを止めたのさ」
「むしろ俺以外に、アイツに飯を驕るような物好きが居るとは思わなかったぜ。
無限の胃袋を持ってるような存在だったからな。
というより、どんな縁だよまったくよ」
お互いの共通の知り合いの姿を思い出し、穏やかな気持ちで笑みを浮かべる二人。
殺伐とした世界に身を置いているはずなのに、何故かあの男のやる事なす事を思い出すと、つい笑顔が浮かんでしまう。
「何か理由を聞いたら一気にヤル気が失せた。
あーあ、ほとぼりが冷めるまで暫く雲隠れするか・・・悪かったな散々手間取らせてちまってよ」
自分を警戒しているカズシとアリサに向けて軽く手を上げて謝罪をした後、ナオは何事も無かったかのように部屋を出ようとする。
しかし、その肩を無造作に掴んで引き止める男が居た。
「それで済むと、本気で思ってます?」
シュンは自分の執務室でカズシからの報告を、呆れた顔で聞いていた。
「つまり何か?
お礼参りにきた凄腕のヤクザを、テンカワがそのまま雇った、と?」
「まあ、本気のテンカワを相手にして、互角に闘ってましたからね、腕は確かみたいです。
実際の話としてウチの陸戦隊じゃ話しになりませんよ、多分。
あとついでに言えばヤクザじゃないです、ヤガミです」
「やってる事は代わらんだろ。
まあそれは良い、しかし、何だか最近はカズシからの報告を聞くたびに、面倒事が増えていっているような気がするな。
・・・その点についてはこの際置いておいてだな。
それほどの凄腕が、そう簡単に雇えるものなのか?」
「そこなんですけどね、テンカワの奴がまたトンでもない条件で契約してしまって・・・」
アキトが着て以来、しきりに痛みを訴える胃をさすりながらカズシは、要点を纏めた報告書をシュンに提出した。
そこにはナオから口頭で簡単に聞きだした経歴と、保持している技能が有る程度まで不透明ながらも記載されていた。
その内容を斜め読みしながら、シュンは何とも言えない表情を浮かべる。
「確かにこれほどの凄腕を裏で動かせば、それなり以上に金は掛かるだろうな。
今、テンカワの奴を狙ってる裏の人間を処理するにも適している。
実力に関しても、話半分としてもテンカワと同等の腕前というのは、美味しすぎる人材だ。
だが、これ程の高額な依頼料を、この基地から捻出し続けるのは不可能だぞ?」
「それ・・・テンカワのポケットマネーから出すそうです。
ですから、軍との契約ではなくて、テンカワとヤガミの個人雇用契約になります」
「・・・・・・マジか?」
「マジです」
再度、そこに記載されている金額を見て、シュンがその動きを止める。
少なくともそこには、シュンの貰っている年間の給料総額と同じだけの数字が記載されていた。
「ちなみに、月単位での契約金です。
最初に金額を提示された時、ヤガミの奴も今の隊長と同じような表情をしていましたよ」
「今度酒を奢らせるか、あの野郎に」
「やめて下さい、見っとも無い」
シュンの目に本気の色を感じたので、カズシは即座にストップを掛けた。
それに対して冗談だ、と言い返しつつ、シュンはその報告書を更に読み進める。
確かにヤガミ ナオはこちらが捜し求めていた、最高の人材と言えた。
裏の事情に通じており、アキトに伍する戦闘能力を持ち、今回巻きこされた騒動についても心当たりがある、という有用さだ。
逆にここまで都合の良い展開が起こると、何らかの意図が働いたのではないかと疑いたくもなる。
もっともその辺りの問題については、シュン達が警戒するしかないのだが。
「それと、この補足事項は何なんだ?」
「雇用契約を結ぶ上で、お互いに合意をした結果です」
「・・・ああ、つまりヤガミって奴はバトルジャンキーみたいな奴なんだな」
そこには補足事項として、アキトと定期的に仕合を行う事と、「気」の運用方法の指導が追加されていた。
「どちらにしろ、またぞろ軍が関与できない問題児が生まれた、という事だよな?」
「・・・ええ、その通りです」
胃の辺りを押さえながら、カズシが苦笑する。
どうしてこれほどまでに手綱を握れない、爆弾のような人物ばかりが集まるのかと、色々と問い詰めたい気分だった。
「今日は一緒に飲みに行くか?」
「飲み潰れてもいいですか?」
その日の深夜、基地内にある訓練用の空き地で二人の馬鹿が、ダブルノックアウトで倒れていた。
遠くからその様子を監視していた銀髪の女性がどうしようかと悩んでいると、背の低い方が立ち上がり長身の男の足を掴んで兵舎に向けて歩き出す。
呆れた表情でその二人を見送った後、その女性も自室へと向かった。
――――――――それ以降、その光景は基地内での名物と化した。
「英雄様に俺達からのプレゼントは届いたのかな?」
珍しい事に自分で珈琲を淹れたテツヤが、上機嫌でライザの席に立ち寄りながら、此処最近のお気に入りについて確認をする。
その問い掛けを受けたライザは、その美貌を微妙に歪めながら二枚の報告書を手渡した。
「ふ〜ん、やっぱり急造だと無理が祟るみたいだな。
しかし、それを差し引いても稼働時間が短すぎだ。
コストに吊り合わない結果だな。
それに本体についても・・・これだと下手すると、年を越せないかもな」
そこに記載してある、ある意味予想通りの結果に、苦笑を浮かべながらテツヤは感想を述べる。
自分の懐が痛むわけではないので放置しているが、どうにも金持ちの道楽には金が掛かり過ぎると内心で笑っていた。
「開発チームからの報告通りだと、もって3ヶ月らしいわよ」
「それまでに本人の願望を果せればいいけどな、っと。
で、二枚目は何だ?」
気軽に二枚目の報告書に目を通した後、テツヤの顔から笑顔が消えた。
「物理的にサーバごと吹き飛ばされたわ。
お陰で裏の情報操作は当分不可能な状態よ」
「・・・ほほぉ、やるじゃないかネルガルの諜報部も」
その報告書には、アキトを賞金首として登録させる仕事行っていた部署が、管理しているサーバ毎壊滅した事が記載されていた。
勿論、大企業たるクリムゾンの裏を支える情報部である、生半可な腕前のエンジニアを雇ってはいない。
実際の話として、大金を投入して構築された強固過ぎるほどの防壁と、あらゆる任務を遂行できる超一流のスタッフが揃っていた。
その全てが敵からのアタックを受けて、僅か1時間で壊滅をした。
自社のスタッフを過大評価はしないが、決して低くも見ていないテツヤはこのワンサイドゲームの原因について推理を行う。
その結果、以前からネルガルで噂になっていた存在を直に思い出す事になった。
「もしかして、IFS強化体質者か」
「多分そうなのでしょうね。
現場で直に対応をしていたスタッフ達も、人間業じゃないと断言してたわ」
「へー」
ネルガルの闇として奥深くに隠されていた存在の力を目の当たりにし、テツヤの顔に楽しげな笑みが浮かぶ。
重要なデータについてはスタンドアローンの端末で管理している為、相手には漏れていないが同じ手は使用できないという事だった。
だが、テツヤにとっての興味は、そんな奥の手を使ってまでも擁護されている、テンカワ アキトという存在へと向けられる
「いいね、いいね、実に手強いじゃないか!!
しかしこうなると、当分の間はネットワーク関連については細心の注意をしないとな。
いや、この際報告書すら手書きで行くか?
くくくくく、まさかこの時代に紙ベースの需要が上がるとは、予想も出来ない話だよな!!
全く持って地球に優しくないぞネルガルにクリムゾン!!」
「・・・報告書を上げる方にとっても悪夢よ」
テツヤとは違い重い溜息を吐きながらも、関係各所に通知を出すべくライザは書類の作成に取り掛かる。
そして、作業をこなしつつも一番言いたく無かった最後の報告を、背後で楽しそうに笑っているテツヤに告げた。
「それと、ヤガミ ナオの居場所が判明したそうよ。
今はテンカワ アキトと同じ基地内に居るらしいわ」
「――――――――そうか、分かった」
そう応えるテツヤの顔に、いつもの嘲笑は無かった。
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