< 時の流れに >
シャッシャッ・・・
「シュンさんも酷いよね〜
あんなズルするんだもん!!」
「あ、頭を急に動かしちゃ駄目だよ、枝織ちゃん」
ブラシで艶の有る紅い髪を梳かしながら、私は背後を振り返ろうとする枝織ちゃんを制した。
何時はブラシッング中は、眠そうな目付きで私にされるがままなのに・・・どうやら昨日の事をまだ怒っているみたい。
化粧台の前にある椅子に、下着姿のまま座り込んでいる枝織ちゃんは、私に注意をされて動きを止めるが・・・
足をブラブラ動かして、不本意そうにしている。
枝織ちゃんも北ちゃんも、朝のブラッシングは私にしか任せない。
これは優華部隊の皆にも許していない。
自分の首を晒すこの行為を、私だけが許されているのはある意味誇らしい事だった。
「でもね、『嘘』はその場で見破らないと意味が無いんだよ?
終ってしまった事は、取り返しがつかないからね」
それに、最後に自分でイカサマを証明するあたり、話の運びが上手いと思う。
あのまま最後のカップを誰かが開けていれば、非難の視線しかシュンさんには向かなかっただろう。
けど、自分からイカサマを明かす事で、私達には苦笑と感嘆の感情しか残らなかったのだから。
「・・・カップの中でコインが当たる音は聞えていたもん。
多分、枝織が目を開く一瞬、それも部屋の明かりに慣れる一瞬を狙ったんだと思う。
皆の視線や意識が、枝織に向く事も考えていたんだろうな〜」
悔しそうにそう呟き、目の前の化粧台に私が置いた化粧品を手で掴んで弄ぶ。
―――次の瞬間、その化粧品は空に舞っていた。
それを目で追った私は、次の化粧品に手を伸ばす枝織ちゃんを見付ける。
危な気無い手付きで、複数の化粧品でお手玉をする枝織ちゃんを見て・・・私は苦笑をしていた。
コインの音が聞えていたと言う事は―――
結局、ナカザトさんの時と同じでシュンさんにも勝つ自信があったんだろう。
でも、枝織ちゃんのその思惑は見事に裏切られた。
多分、あの最後のゲームで一番ショックを受けたのは枝織ちゃんかもしれない。
でも、そんなちょっとした工夫で出し抜かれた事に、素直に感心しているのも確かだった。
「ねえねえ、今日は何時もよりブラッシングが長いね?」
「ええ、ちょっと後で結い上げておこうかな、と思ってね。
帽子を被るから、ポニーテールは無理だし、後で流すには今日は少し風が強そうだから。
もうちょっとだけ我慢しててね」
「ふ〜ん、そうなんだ」
後暫くの辛抱だと自分を納得させた枝織ちゃんは、そのまま空中に放り投げていた化粧品を次々に化粧台に戻していく。
等間隔で並んでいくその化粧品を見ながら、私はそういえば北ちゃんも昔同じ事をしていたのを思い出す。
・・・もっとも、北ちゃんは化粧品じゃなくて投げナイフだったけど。
あの頃は後で髪を梳いていた私も、慣れるまで恐かったわ・・・
「お墓参り・・・そう言えば、アー君の『お墓』が日本にあるって本当?」
今日の予定を思い出したのか、私に向かってそう尋ねてくる。
少しでも戦神を知る者ならば、まずは信じない事実。
確かに、『現在』はテンカワさんはここには居ない。
しかし、『未来』はどうだろうか?
一秒先の未来ですら、人間には予知など出来ないのだから・・・
「あれは・・・記念碑だよ、枝織ちゃん。
それに、枝織ちゃんはテンカワさんが死んだと思ってるの?」
「まさか、そんな事あるわけ無いよ。
ちゃんとアー君は返って来る。
・・・ただ、北ちゃんと相談したんだけど、その記念碑ってのは気に入らないから破壊しようって」
「・・・お願いだから、それだけは止めてね」
一瞬、私の脳裏に走ったのは、轟音と共に崩れ去る漆黒の記念碑の映像
無邪気な笑顔での発言だけど・・・冗談では無く、本気だと分かるだけに質が悪い。
その上、軽くその破壊を実行出来る実力を持っているのも、大きな問題だと思う。
・・・でも、テンカワさんが消えた事に泣いていた枝織ちゃんからすれば、当然の仕返しなのかもしれない。
照り付ける太陽の下、私達は墓地に向かって歩いています。
この地に眠っている方々は、私とは何の血縁関係はありません。
そして、友人知人の関係者も・・・
―――でも、どうしても来てみたかった。
オオサキさんの愛妻が眠るこの土地に。
「マキビ君、持参した酒が使えなくて残念だったな。
いやぁ〜、全く本当に見事なまでに残念無念だったな〜
・・・まあ、それもこの国の事情を調べずに来訪した君のミスだが」
「・・・だからって、聞いててもシュンさんにあげませんでしたよ。
大体、僕に一言注意をしてくれても良かったんじゃないんですか?」
「それはやはり、俺に黙って酒を隠し持ってきた君が悪い」
不機嫌な顔のマキビ君を、からかって遊んでいるのはオオサキさんです。
どの様な方法で税関を通ったのかは不明ですが、マキビ君は日本酒をホテルまで持ち込んでいました。
それを同室に泊まっていたオオサキさんが発見し、略奪・・・いえ譲って貰おうとした処、交渉に失敗したそうです。
結局、その時の騒ぎが原因でホテルの人に日本酒を持ち込んでいた事がばれ。
悔し涙を流すオオサキさんの目の前で、日本酒は洗面台へと消えたそうです。
・・・この国を出てからの反動が凄そう。
それぞれが、黒を基調にした服を着ているだけに。
この夏の日差しには耐え難い暑さを感じます。
取り出したハンカチで薄っすらと額を覆う汗を拭い取り、顔を上げた先には―――
安らかに人々が眠る小高い丘がありました。
勢い良く周囲を舞う風が、周囲のまばらな木立を騒がせつつ立ち去って行きます。
墓地内に入ってからは、オオサキさんを始め・・・全員が黙っていました。
でも、それは今は亡き人達に対する、最低限の礼儀ともいえるのですから。
私がこの墓参りに同行するのをお願いした時・・・オオサキさんは勿論良い顔をしませんでした。
自分の立場上、私にまで余計な迷惑が掛ると説明もしてくれました。
ですが、それを承知の上で私は今回の同行を頼み込んだのです。
『君が何故そこまで墓参りに拘るのか、俺には理解出来ないな』
『本当ですか?
オオサキさんなら、私の気持ちも既に気付いてられるでしょう?』
ストレートな私の答えに、オオサキさんは苦笑をしていました。
そして―――
『俺の中にある、思い出の女性に勝てるつもりか?』
戦闘以外で・・・初めて威圧的な言葉と態度で、私にそう尋ねてきました。
そこには何時もの軽い調子のオオサキさんではなく、歴戦の軍人であるオオサキ大佐の顔が現れていた。
気圧されているのを自覚しつつ、私は呟くように言葉を紡ぎます。
けど、視線だけはオオサキさんの顔から外す事はありませんでした。
『勝つとか負けるとかじゃなくて・・・オオサキさんの隣に居たいだけです。
ただ、それだけです・・・』
他人の格好や肩書きに左右されずに、接する事が出来る貴方が・・・私は好きだから。
亡くなった奥さんの代わり―――などと馬鹿な事は言いません。
それでも、側に居ることさえ許して貰えないのでしょうか?
『・・・イネス君達の影響を受けすぎだな。
分かった好きにするといいさ、だがあの国は無闇矢鱈に暑いぞ?』
私の意思が固い事を知り、肩を竦めて同行の許可を出すオオサキさん。
きっと、断っても無断で付いて来ると判断されたのでしょう。
ならば、自分の目の届く位置に居る方が良い
―――そう判断されたんだと思います。
『しかし・・・俺の何処が気に入ったんだ?
大酒飲みで、甲斐性無し、その上戦争関連以外にまるで役に立たん男だぞ』
『でも、私の事を本当に理解しようとしてくれました。
御存知ですか、イネスと火星の研究仲間以外で、私が自分の生い立ちを話したのはオオサキさんだけです。
それに、あの子達との付き合い方を考えてくれたのも・・・』
そんな私の満面の笑みに、オオサキさんは困ったように照れ笑いをしていた。
墓地に入り、5分ほど歩いた後。
オオサキさんは一つの墓石の前で立ち止まりました。
その直ぐ後を歩いていた私達も、同じ様に立ち止まります。
「・・・悪いな、少しの間一人にさせてくれないか?」
私達に背を向けたまま、そう語りかけるオオサキさん・・・
その声に隠された感情に押される様に、私達はその場を離れていきました。
「じゃ、僕は先にカズシさんの所に行ってきます」
「・・・私も付き合うわ」
この場に残っていてもよかったのですが。
マキビ君一人だけが、このグル−プから離れるのは危険だと思った私は、マキビ君に付き添う事にしました。
オオサキさんの話では、この国に入国した時から私達は監視されていたそうです。
勿論、その事をオオサキさんに告げたのが『彼女』である以上、私達は本当に監視されているのでしょう。
「う〜ん・・・じゃ、枝織もハーリー君達と一緒に付いて行くね。
零ちゃんは、ここに居る?」
身に付けた宝石を陽光に光らさせながら、真紅の髪を持つ女性が隣を歩く黒髪の女性に尋ねています。
話し掛けられた黒髪の女性は、一瞬だけオオサキさんとナカザトさんを見た後・・・
「・・・ここで、シュンさん達と一緒に待ってる事にする。
あんまり枝織ちゃんも、フィリスさんに迷惑を掛けちゃ駄目だよ?」
柔らかな微笑みをしながら、逆に聞いてきた本人を嗜めるのでした。
「は〜い♪」
その返事に対して、本人は別に気を悪くした処は無く、元気に頷いています。
そして私達3人は、零夜さんとナカザトさんに見送られながら、更に墓地の奥へと足を運ぶのでした。
「ここが、カズシさんのお墓ですね」
墓石に彫られている名前を読み、それを確認すると背負っていたリュックを、マキビ君は地面に降ろしました。
そして中身を軽く漁り・・・何やら手紙の様なモノを取り出します。
「それ何? ハーリー君?」
不思議そうにその動きを見ていた枝織さんが、マキビ君の隣に屈みこみながら、そう尋ね。
その質問に対して、マキビ君が返した言葉は・・・
「ああ、これはラピスから預かっていた手紙です。
ラピスから、カズシさん宛てに書かれたものですよ」
そう言いながら、ラピスちゃんが書いたと言う手紙を読み始めました。
「・・・お久しぶりです、カズシさん。
私もルリもハーリーも、それに皆も元気にやっています。
昔、私に『普通』の生活を送って欲しいと言ってたよね?
『普通』の意味は、今でもはっきりと理解出来ないけど・・・楽しく毎日を過ごしてるよ。
アキトが居ない事は悲しいけど、絶対に帰って来ると信じてる。
また『会いに行く』勇気が持てたら、自分で挨拶に行きます。
P.S
ハーリーはカズシさんの予想通り、スケベに育ってます。
―――って、何で僕がそんな事を言われるのさ!!」
最後まで読み終えた瞬間、顔を真っ赤にして怒り出すマキビ君に。
私は直ぐ後ろで笑いを堪えるのに苦労をしていた。
本当、逞しいわね・・・この子達は・・・
ブツブツと文句を言いながらも、その手紙をリュックに仕舞いこみ。
代わりにホテルで買ってきた果物を添えるマキビ君。
私はその後ろから、用意をしていた花束をそっと墓前に添えました。
・・・オオサキさんの長年の副官であり、親友であった人
この人が生きていれば、また違った関係を私はオオサキさんと結んでいたのかもしれませんね。
「・・・ねえ、フィリスさん。
このカズシさんの墓石に彫ってあるモノって、何でしょうか?」
良く見なければ分からないものですが、確かに目の前の墓石には、ナイフで刻まれたような傷があります。
そして、それは確かに文字と思われる規則性を持っていました。
「ヒエログリフ(聖刻文字)かしら?」
「何ですか? それ?」
ふと、思い出したのはホテルの観光パンフレットに書かれていた遥か昔の文字。
バックの中に仕舞っておいたそのパンフレットを引き出し、その文字の解読を試みます。
「・・・意訳すると
『お前の残した財産と秘蔵の酒は、全て俺の飲み代に消えた。
悔しかったら、文句の一つでも言いに化けて出やがれ』・・・ですって」
何とも言えない空気が、私とマキビ君の間に漂う・・・
「あ、あ、あの人は・・・幾らカズシさんに遺族がいないからって!!」
憤慨するマキビ君を横目に見ながら・・・
私は何時の間にか、もう一人の赤毛の同行者がその姿を消している事に、初めて気が付きました。