< 時の流れに >
「あら、珍しいわね?
どうしたの、遅刻もせずに私より先に会議室に居るなんて?」
会議室で黙々と書類を読んでいる人物が、あまりに意外だったので私はそんな言葉を掛けてしまった。
しかし、私の失礼なその質問にも彼は軽く肩を竦めただけで、また書類に目を落とす。
その真剣な表情から、何か事件が起こっている事を私は感じ取った。
厳しい顔で書類に素早く目を通しながら、片手で会議室の机をコツコツと叩いている。
そして、意を決したのか私に向かって命令を出した。
「・・・定期報告会は無しにしといて。
代わりにナデシコシリーズの関係者各位と、プロス君達を呼んでくれないかな?」
「分かりました」
今説明を聞いても、集めた人達にまた説明するのは二度手間になるからね。
私は会長の真剣な態度と声から、非常に厄介な事が起こっていると確信した。
そう、それは本当に久しぶりに見る―――ネルガル会長の顔だった。
そして、関係者が集い・・・事の詳細を会長が語り出した。
メンバーは、会長、会長秘書の私、レイナ、ウリバタケ、プロスペクター、ゴート・ホーリの6人だった。
全員が会議室に入るなり、何時もと様子の違う会長を見て事件が起こっている事を知った。
普段の会長を知るだけに、自然に顔が引き締まっていく・・・
そして会議室に集まった人達が、席に付いたの確認した会長が挨拶すら省き口火を切る。
「ナデシコシリーズに関するデータが、機密レベルAまで総て盗み出されたよ」
「!!」
その場に居た全員の顔に、驚きの表情が浮かぶ!!
私自身、聞き間違いかと思ったほどだった・・・
「しかし、レベルAという事は・・・
会長やリョーコさん達が乗る、エステバリス・パーソナル・カスタムの情報までも盗まれた、と?
いえ、それどころかDFSの技術すら?」
「その通りだね、ダッシュのログ記録にもそう残ってるよ。
ものの見事に、全部持っていかれたね」
眼鏡越しに鋭く目を光らせながら、確かめるようにプロスペクターが会長に問い・・・
その問いを会長はお手上げの仕草をしながら肯定した。
ただ、お互いに目は笑っていなかったけど。
「おい、会長さんよ・・・そりゃあちょっと信じられない事件だな?
Aレベルと言えば、個人で閲覧できる最高の機密だろうが。
パスコードを持っているのも、俺とレイナちゃん、それに会長と会長秘書くらいだろう?
プロスさん達には関係無い分野だから、記録されている機密の内容しか知らね〜しよ」
「でも、盗まれたんだよ・・・現実にね」
納得がいかないという口調で問い質すウリバタケに、再びデータが盗まれた事を認める会長だった。
その返事を聞いて、ウリバタケは会議室の天井を見上げながら嘆息をする。
「・・・ミスター、直ぐにナオの奴を呼び戻そう。
なかなか厄介な事になりそうだ」
「そうですね、折角の休暇のところを気の毒ですが・・・そうも言ってられない状況になりそうですな」
ゴートの意見をのみ、ヤガミ ナオを呼び戻す事を許可する。
確かに今回の事件のレベルを考えれば、こちらも万全の体制をとるしかない。
プロスペクターの承諾を得て、直ぐにゴートは連絡を取る為に会議室を出て行った。
しかし、ホシノ ルリや、ラピス・ラズリの作った防御壁を突破して、機密データを盗み出す人間が存在するなんて・・・
世の中、広いわね、本当に。
「でも、逆に言えば被害がAレベルで済んで良かったわ。
Sレベルになれば、テンカワ君のパーソナルデータや、ボソンジャンプ制御装置の根幹部分
それに、ブローディアの設計図まで保存されているからね」
私の隣の席に座っていたレイナが、青い顔をしながらも少し笑顔を作ってそう言ってのける。
確かにそう考えれば良い結果かも知れないけど・・・実際には、ナデシコシリーズの殆どの機密を、盗まれたのが現状だった。
勿論、ナデシコCやユーチャリスに搭載する予定の、ハッキング機能はSレベルの機密だけど。
・・・深く考えれば、Aレベルの情報から、ハッキング機能を作り出す能力を敵は有してるとも思われる。
だけど、それは敵にマシンチャイルド―――それもホシノ ルリ並の―――が居た場合に有効な機能である。
まだ、こちらが奥の手を握っている事は確かだ。
「敵の力量を侮っていたつもりは無いけれど・・・やられたわね、見事に。
でも、まだこっちにも切り札は「切り札は無いよ・・・既にね」
私の言葉を遮ったのは・・・今まで見た事が無い位、厳しい目をしたアカツキだった。
全員が注目する中、会長は席を立ち空中に映し出したウィンドウパネルに指示を与える。
「ダッシュ、済まないが君が情報を渡した相手の姿を映してくれないか」
『うん、了解・・・』
どこか気落ちしているのを感じさせる文字で、会長の命令に従うダッシュ
そして、私達の目の前に今回の事件を起した犯人の姿が映し出された。
「そ、そんな!!」
思わずそんな言葉が私の口から漏れる!!
周りの皆も、会長以外は全員驚いていた。
ダッシュ専用の端末に座り、機密データを読み出しているのは一人の少女だった。
まだ幼い顔と、その細い体・・・
何より、特徴的なその髪の色と瞳の色は
「ラピス・・・ちゃん?」
レイナが呆然とした声で、そう呟いた。
私も見間違いで無いのかと、何度も瞬きをしたけど・・・写しだされた映像に変化は無い。
そう今まで見た事がない無表情な状態で、黙々とダッシュからデータを呼び出しているのは・・・
薄桃色の長い髪と、金色の瞳を持つ少女
ラピス・ラズリだった
始めは会長とダッシュが仕組んだ悪戯かと思ってしまった。
しかし、さすがに会長がこんな大掛かりな悪戯をするとは思えない。
ましてや、ダッシュが自分のパートナーともいうべき存在のラピスを、陥れるような悪戯を許すはずが無かった。
―――導き出される答えは一つだけだ。
「本物なのね、このラピス・ラズリは」
今後の事を考えながら、私は会長にそう尋ねた。
ラピスの表情を見る限り、操られている可能性もある・・・
しかし、それが意味する事は、ラピスが私達に敵対する組織に攫われた事を意味していた。
・・・勿論、私はそんな報告をシークレットサービスから受けてはいない。
確かにこの瞬間、私達の持つマシンチャイルドという切り札が失われた事を、私は悟った。
無意識のうちに、私は強く唇を噛んでいた。
油断があったとは思えない、だが現実に私達は出鼻を挫かれた状態になっている。
ラピスに関する事を問い詰めようと、会長からプロスペクターに視線を移そうとした時
「惜しいねエリナ君、半分当たり半分外れだ
正体が誰かと問われれば・・・ダッシュ、君はどう思う?」
『ラピスだよ・・・僕にアクセスした時の、DNAパターン、IFSパターン、指紋に角膜データ
総てのデータが、ラピス本人である事を僕に教えてくれている』
ダッシュのお墨付きに、ますます私の頭は混乱をした・・・
「幸い・・・と言うのもなんだけど。
僕達の立会いの元でしか、レベルSにアクセス出来ない方法をとっておいて良かったよ。
あのデータベースは、物理的にダッシュとは離れているからね」
一人で納得している会長だが、確かにそれだけが今回の事件の救いかもしれなかった。
私がレベルAの中身を思い出している間に。
会長はプロスペクターに話し掛ける。
「昨日の深夜2時前後、ラピス君は艦長の家でご就寝中だったでしょ?」
・・・何ですって?
「はい、私はその様に報告を受けていますが・・・まさか」
最初は戸惑っていたプロスペクターの顔に・・・段々と理解の色が広がる。
どうやら、会長の言っていた「半分外れ」の解答を見つけたみたい。
私には未だ分からないのだけど・・・
いえそれよりも、先ほどの二人の会話を聞く限りでは。
「おいおい、ラピスちゃんが、二人居るって言うのかよ!!」
ウリバタケも同じ事に気が付いたのか、凄い勢いで二人に食って掛かる。
しかし、二人は無言のまま・・・
「怪奇現象とか、そんなオチじゃないよね?」
レイナが引き攣った顔で、そんな馬鹿げた事を言う。
そして、私にはやっと事件の真相が分かった。
・・・考えてみれば、口頭で一度だけ聞かされた話だった、忘れかけていても仕方が無い。
それでも私は、確認をするように沈黙をする二人に言葉を投げ掛けた。
「生き残っていたのね、『彼女』も・・・
しかも、相手の手の内で」
「・・・だろうね、実際に顔見せにココまで来てるんだし」
私の発言を肯定しながら、何とも言えない複雑な顔をする会長だった。
「『彼女』ってどう言う事?
姉さん、何を知ってるのよ!!」
「俺も知りたいな、それはよぉ」
事情を知る私達は黙り込み、真実を知らない2人が憤りの声を上げる。
確かに、ここまで事態が進んでしまった以上・・・隠し通す事は不可能でしょう。
ましてや、ウリバタケかレイナがホシノ ルリやラピス・ラズリに今回の事を話せば・・・
彼女達の手により、その真実を暴かれるくらいならば―――
「いずれにしろ、隠し通す事は不可能ね。
会長、関係者一同を集めて説明をする事を提案します」
私が姿勢を正して、会長にそう提案をする。
渋い顔を一瞬作ったものの、会長の判断は早かった。
「・・・やれやれ、総ての罪は白日の元に、か。
エリナ君、午後のスケジュールを総てキャンセルして、元ナデシコクルーと関係者各位を集めてくれ。
どうやら、短い休日は終りみたいだ」
「そうですな」
会長の最後の言葉・・・一番、実感の篭もっていた言葉に。
プロスペクターも、溜息混じりに同意をしていた。
束の間の平和の終わりを告げる使者は・・・
私達の良く知る人物の姿形をして、その場に在った。