「うたかた(夢物語)」

 

 

 

 

 混沌の海から生まれ出た世界。
 不安定に成り立っている世界。
 その世界に生きている、生ある者たち。
 それらは全て、うたかた。
 一瞬の夢。
 刹那の幻。
 永遠とも思われる、時間のない場所にいるあたしにとっては。
 全てを生み、掌握しているあたしにとっては。
 しかし、時には、イレギュラーな事態が起こって退屈な時を――
 ……そう、楽しいものにしてくれる。
 夢は夢。幻。
 それでも、楽しませてくれる時もあるのだ。

 

 

 以前――。
 世界の一つに存在している、人間、魔道士に呼ばれた。
 いや、呼ばれたと言うよりも、自ら進んで行ったと言うのが正確だろう。
 ひととき、支配した人間――彼女は、面白い感情を持っていた。
 もっとも、それは理解に苦しむ感情だったが。
 それでも――あたしは、彼女に少々の力ならいつでも貸してみてもいいとさえ思っている。
 また、あの術を制御できなかった時には、行ってみるのも面白いだろう。そして、今度は――。
 しかし、あの世界を滅ぼすと、後の世界に影響が及ぶだろう。簡単に滅ぼすのも考えものだ。
 ……まあ、それならそれで、全て最初から作り直してもいいのだが……。

 

 

 退屈だ。
 部下たちはそれぞれ、それなりに活躍しているらしいが。
 退屈だ。
 代わり映えがしない。
 何処かに顔を出してみるのもいいかもしれない。
 そう、例えば――。
 あたしの意識の上に、栗色の髪の魔道士の姿が浮かんだ。

 

 

「……ナ。……リナ!」
 金髪の男が、彼女の名を呼び、あたしの肩を掴んで揺すぶっている。
「リナ。大丈夫か?」
「……なにが?」
 あたしは、男の手を払いつつ問い返す。
「なに言ってんだ。いきなり倒れそうになるから、心配したんだぞ!」
 しかし、あたしはそれをろくに聞いていなかった。
 何故なら――。
 混沌にはない雑踏。賑やかな町並み。
 頬を撫でるそよ風と、なにやら甘い香り。
 青い、空――。太陽。
 一瞬の、夢の、世界――。
 限りある生命(いのち)を生きている者たちの世界。
 男の手を払いのけたあたしの手は、なにかの皮でできた手袋に包まれているし、
 空を見上げた拍子に目に入ったのは、栗色の前髪。
「いつの間に、ここに――」
「いつって、昨日この町に付いたんじゃないか」
 あたしの独り言に男が答えてくるが、それは、あたしの求める答えではない。
 ――もっとも、正確な答えが得られるとは思ってはいない。人間には、理解できない話だろう。
「そう……あなた、名前は?」
「……………」
 男が、絶句する。
 長い金髪のその男は、軽くて動きやすそうな鎧に剣を携えているから剣士なのだろう。
 彼女の名前は知っていたが、彼女の意識の中にもあった彼の名は知らない。
 もしかしたら、聞いたかもしれないが、覚えていないから同じ事である。
「あたしは、あなたの名前を知らない。あなたの知っている、この人間の娘ではないし……」
 言ってから、ふと、頭の中にいい考えが浮かんだ。
「そうね。――記憶喪失、ってやつじゃないかしら?」
 雑踏の真ん中で、あんぐりと大きく口を開け、男は立ち尽くしていた。

 

 しばし立ち尽くした後、
「普通、自分で記憶喪失なんて言うもんなのか?」
 男は、からかっていると思ったのか、腕組みし目を細めてあたしを見下ろす。
 あたしが依り代にしているこの人間は、あまり背が高くない。
 見下ろされるのは、好きではないのだが。
「自分で言ってるんだから、これ以上確かなことはない」
「……なるほどな……」
 断定的な言い方が功を奏したか、それともあまり深く考えていないのか、あっさりと頷く男。
「で、どーする?」
「なにを、どうするって聞きたいの?」
 なにを聞きたいのか、なにを言っているのか理解できない。
 人間との言語での意志疎通は、少々難しい。
「あー……」
 やや困惑したように、頭をがりがり掻く剣士。
「お前さん……いや、リナはこの町で市が立つから見て回りたい、って言ってたんだが……」
「市?見物する!」
 人が大勢で活気があるのはその所為だったのか!
 格好の退屈凌ぎになるっ!
「医者に診てもらった方がいいと、オレは思うけどなあ」
 冗談じゃないっ!
「選択権はあたしにあるんでしょ?どうする、って聞いたじゃない。
 ――あたしは、いつでも、あたしの思うようにするんだから――」
 男は苦笑しつつ、手をあたしの頭に伸ばしてくる。
 しかし、なにかに気づいたように、慌てて手を引っ込めた。
 なにかに――気づいて?
 ……まさか、彼女の中にあたしがいるのに気づいたわけではないだろう。
「とにかく、あたしは見物するから!」
「……どっちにしても、行動パターンが一緒だな」
 威勢良く呼び込みをしている露店に向って駆け出すあたしの背中に、剣士はそう言った。

 

 

 

「ホントに記憶がない、って言うのか?」
「そう言った筈よ」
 地面に寝ている二人の男を前に、あたしは言う。
「そのクセや行動パターンが身についてるのかもしれないな」
 妙なところで、自分で勝手に納得している剣士。
 往来の真ん中で寝ている男達は、肩が触ったとか足を踏んだとか、なんだかうるさく言って
 邪魔だったから、しばらく動けないようにしたのだ。
 この辺りの見物ができなくなると退屈凌ぎにならないし、力をかなりセーブして。
「なあ、そいつらの財布を漁らないのか?」
「何故?」
「ああ。いや……リナはいつもそうするんだ」
 ぽりぽり頬を掻きながら、
「……お前さんは、リナじゃないんだな……」
 小さく呟き、ため息をついていた。

 

 

 あたしは、そのまま見物して夜をその町でむかえた。
 鋭いんだか鈍いんだか判断できない彼女の連れの男は、あたしに付いて歩き、世話を焼いてくる。
 善意からでてくる行為なのだろうが、少々――いや、かなり鬱陶しい。
 彼は、彼女の保護者を自称しているそうだから(自分でそう言っていた)、これで普通、らしい。
 彼女は、この状況によく耐えられるものだ。感心する。

 

 夕食を済ませ、あたしは、
「病人は早く寝たほうがいい」
 と、宿屋の一室に押し込められてしまった。
 あたしは食事を必要としないのだが、彼女の身体を維持するのに栄養分を摂取した。
 周囲の人間に合わせて一人前を食べたのだが、それがどうやら不味かったらしい。
 いきなりの重病人扱いである。――さすがに、看病すると言ったのは、きっぱり断わったが。
 しかし、夜になったといってもまだ早い時間帯で、往来は大勢の人々が闊歩し賑わいをみせている。
「冗談でしょ。全然、見物し足りないわよ!!」
 あたしは、部屋の窓を開け放ち、そこから外へと飛び出した。
 ここには、朝があり、昼があり、夜がある。刹那の、幻の世界でも――。
 夜の町並みは、昼間と違った顔を見せてくる。
 月明かり、星明りに、魔法の光、ランプの明り。
 しなやかに屋根に飛び乗る猫も。
 猫に追われるネズミも。
 小さな羽音を立てる虫も。
 往来を闊歩する人間。老いも若きも、男も女も。善人も悪人も。
 刹那を、生きている。
 目が覚めたら忘れてしまうような、儚い夢物語の中に。

 

 これは、感傷ではない。
 ただ、この世界が盤石だと信じて疑わない者達が、実はそうではない事を知ったらどんな反応を
 示すのだろうか、と――そう思っただけである。
 思いながら、普通の人間がするように露店を冷やかしながら歩いていると、
「お嬢さん」
 雑多な音に紛れた、しかし、明らかにあたしに向いて発せられる声。
 声の方へ振り向く、と――。
 空間が、凍りついた。

 

「ふ…ん。結界か」
 つまんない芸。
「よくご存知で」
 言う、そいつ。
 あたしの邪魔をする者は、誰であろうと敵になるのに。
 そいつは、黒フードに同色のマントで体つきを完璧に隠した、この世界で魔族と呼ばれる者
 ――はっきり言って、低級な部類である。(人間から見ると、中級くらいなのだろうが)
「あたし忙しいんだけど、なにか用?」
「昼間、お見かけした時に、面白い芸を見せてもらったので、そのお礼をしたいのです」
 あの人間の男二人を動けなくした時の事か……。
「いらないわ。消えて」
「そう言わずに――」
 無表情な白い顔を見せながら、にじり寄って来るそいつ。
 しつこい。
 それに、いくら気を隠しているとは言え、あたしに気づいていない。
 魔族の末席にも置けないような奴である。
「一度しか、許さない――」
 力のほんの一部を使って、結界を破る。
 戻って来る、雑多な音。
 動く人波。
「な…一体?!」
「次はない。……これでも譲歩してるんだから、感謝なさい」
 慌てて精神世界(アストラルサイド)に逃げようとする魔族を素手で捕まえて、あたしは言った。

 

 

「なにやってんだよ、病人が」
 びくっと、体が震える。
 あたしの意志ではなく、無意識の部分が体を震わせた。彼女のクセが出ているのだろう。
「病人じゃないって……」
「じゃあなんだって言うんだ?
 自分の事が誰だかわからないってのは?」
 窓からこうこうと明りが漏れる宿屋の前で、金髪長身のその男は待ち構えていた。
 逆光のせいで表情は読み取れないが、僅かに負の感情が流れて来るのを感じ取れる。
 あたしはあたしだと解っているのだが、それをそのまま言う訳にはいかない。
「だから、あたしを全くの見ず知らずの他人だと思ってくれればいいのよ」
「それはムリだ。リナの顔と声でそう言われても、な」
 ふっと、負の感情が霧散する。
 笑った、のだろうか?
「――ええと、ほら、なんて言ったかな。……そうだ!寝不足は美容の大敵なんだろ?早く寝ろって」
「誰がそんな風に言うの?」
「お前さん――いや、リナだよ」
 問うと、剣士は宿屋のドアを開けながら、そう答えた。

 

 

「あなたは、一体何者なんです?」
 気配を隠すこともせずに――もっとも、あたし相手には意味がない事だが――
 黒フードの魔族が、朝もや煙る人気(ひとけ)のない街角に立っていた。
 一晩、身体に休息を与えて、次の朝の事である。
 朝早くなら一人でゆっくり散歩できるかと抜け出してみれば――。
「邪魔者がまた増えたわね……」
「…………って……オレもか…………」
 背後でなにやら拗ねた声を出す剣士は捨て置き、黒フードに対峙する。
「次はない、と言った筈よ」
「それは聞きました。ただ、あなたに興味を覚えましたので、こうして待っていたのです。
 ――正確には、あなたの力にですけどね」
「力にね」
「なにをしようって言うんだ?」
 立ち直った剣士がサポートでもするつもりなのか、あたしと黒フードの間に割って入る。
 普通の人間にしては感がいい。相手が、人間のフリをした魔族だと解っているらしい。
「なにを?私は、強い力を持つ者が好きなだけですよ。
 好きで、倒さずにいられないほどにね」
 黒フードの、白く、無表情だった顔。その口の端が笑みの形に吊り上がる。
「それは、宣戦布告と受け取って構わないのかしら?」
 一応、念押しをする。
 本当に、『あたし』に逆らう気なのか――。
「ご随意に」
 この瞬間、黒フードは、完璧にあたしの敵となった。
『――馬鹿な――
 一度は見逃してやったものを――』
 あたしは、言う。
 自身の声で。
 黒フードは、戸惑ったように動きを止め、剣士は後ずさる。
 障害物がなくなり、あたしは黒い魔族へ力を叩きつけた。

 

 剣士の息を飲む声。
 力ゆえにか、金色に染まった髪を見たからか。
 この人間は邪魔しそうにないから、捨て置いてもいいだろう。
 黒フードは、精神世界(アストラルサイド)に逃げ込む間もなく、あっけなく塵と消える。
 しつこいだけで、なんら取り柄のない――もう少し骨のある相手の方が楽しめただろう。
「さて、と……」
 あたしは、彼女の声で言う。
「おい……その髪……」
 おずおずと、剣士が声を掛けてくる。

 

 この世界、彼女を依り代にしていたのでは自由にできないし――。
 もう少し骨のある部下をからかいに帰るとしよう。
「リナ=インバースはすぐ戻って来るわ」
「な…んだって?」
 あたしは瞳を閉じ、彼女と繋がっていた精神、心、あたし自身を解き放つ。
 目眩に似た感覚が生じ――。

 

 あたしが、帰り際に気づいた事は。
 剣士は最後まで自身の名を名乗らなかった、という事だった――。

 

 

 

 

「……ナ!」
 誰かがあたしの肩を揺すっている。
 誰か?ああ、この声は――。
「おい!大丈夫か?オレがわかるか?」
「……ガウリイじゃない」
 目を開けると――いや、開けなくてもわかってたけど。
 なにやら血相変えてる、あたしの自称保護者さん。
「お前……リナ……だよな?」
「なーに馬鹿な事言ってんのよっ!ガウリイ!
 あたしが、メリーとかソフィアとかゆー名前だと思ってんの!?
 保護してる相手の名前忘れるなんて、あんた一体、何年あたしの保護者してると思って――」

 

 がしっ

 

 ガウリイが、物も言わずにいきなし抱き付いてくる。
「ちょっと!なにやってんの!」
「悪い。――お前さんがちゃんといると思ったら……」
 抱きついたまま、擦れた声で言うガウリイ。
「はいはい。ちゃんとあたしはここに居ますよ」
 でっかい子供がいたもんだわ。
 そう思いながら、しばらく、抱きつかれるままにしていた。
 朝もやが晴れつつある街角の地面に、何故か、大きな真新しいクレーターが出来ていた。

 

「ねえ。市、見物するんじゃなかったの?」
「……ああ、そうだったな……」
 夢から覚めたように、眩しげに空を見上げてガウリイ。
 あたしも、長い間暗闇にいたように、空が少しだけ眩しく感じる。――ま、気のせいだろうけど。
「さあ、行くわよ!」

 

 そして、あたし達は、賑やかになりつつある大通りへと歩みを進めたのだった。

 

 

 おわり

 

明美さんから投稿していただきました!!
う〜ん、L様強し(笑)
戦闘になりませんね、やっぱり。
でも、ガウリイは何処まで理解してたんだろうか?
・・・まあ、リナが別人だと言う事は解っていたみたいだけど。
でも、最後にL様の言ってた骨のある部下って・・・やっぱりSか?(笑)

 

では、明美さん投稿有難う御座いました!!

 

 

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