街の活気に反するかのように、その夜の風はいつもより冷たかった。


 (雪がふるかな…?)


 テンカワ・アキトはそんなことを考えながら、手元のグラスを見つめていた。

 ある街の繁華街。

 アキトは一軒の酒場の片隅で過ごしていた。

 世間では、


 『英雄・漆黒の戦神』


 とか、


 『希代の女ったらし』


 などと呼ばれているが、今現在のアキトはどこから見てもその辺の肉体労働者か何かにしか見えない。

 もともとアキトは単純な外見だけなら、英雄などという言葉にはほど遠い。

 顔の造詣自体が悪くはないが、いかにも一般庶民という風貌なのである。

 少し着るものにでも気を配れば、群集に紛れ込むなど造作もないことだった。

 このおかげで、アキトは現在も落ちついて酒場なんぞにいられるだ。

 今のアキトは追われる身である。

 敵対勢力とか、そういったものにではない。

 女に追われているのだ。

 それも一人や二人ではない。

 わかっているだけでも、十数人を超える女に追いかけられているのである。

 何故、こんなことになったのか。

 アキトにはわからない。

 気がつけばこんなことになってしまったのだ。

 地球と木連との戦争が終わってから数年後、アキトはピースランドの王位についた。

 いや、いつの間につかされてしまっていた……というほうがよい。

 ルリやユリカといった女性陣は、


 「これで一夫多妻も許されるから問題ない」


 と、結婚を迫ってきたのである。

 後で知ったことだが、ピースランド国王は重婚を認められる、と法律も変えられていたらしい。

 この騒動も、もとはいえばアキトが恋愛問題をダラダラと先延ばしにしてきた結果である。

 修羅場を恐れてのごまかしの連続が、こんな形で返ってきたというわけだ。

 十数人の女に囲まれ、婚姻届をつきつけられた時、アキトは逃げ出した。

 逃げたところでどうにかなるわけでもないが、アキトにはその選択肢しか選べなかったのだ。

 こんなわけで……

 今日に至るまで、アキトは女たちと端から見ればバカバカしいとしか言いようのない『追いかけっこ』を続けている。


 「ふう……」


 アキトは我が身をかえりみて、思わず溜め息をついた。

 ナデシコに乗ってからはや、12年。

 もはや干支も一回りしてしまった。

 過去から逆行した当初は、まさかこんなことになるなど想像してもみなかった。

 時々、


 (あっさり帰ってしまえば楽になるかもな)


 と考えるもこともある。

 しかし、どう考えても自分は『王様』などという人間ではない。

 かといって、今さら誰か一人を選ぶなどできるはずもないのだ。

 仮に選んだとしても、後で必ず揉め事が起こるに決まっている。

 下手をすれば流血沙汰の騒ぎになるだろう。

 アキトは溜め息をつきつつ、聞くとはなしに店内に流れる音楽と、人々の会話に耳を傾けていた。

 とはいっても、店内にはアキトを含めて三人しか客がいない。

 他の客は二人連れの若い男だけだ。

 男たちは、何やら女のことで話しているようだった。



 「だからね? とにかく、もう……すごいんだ」


 「だから、すごい、すごいって、どうすごいんだよ?」


 「こればかっかりは口じゃあいくら言っても説明しきれない」


 「だったら、言うなよ!」


 「でも、誰かに言いたい、言わずにはいられない」


 「馬鹿」


 「体つきは、細身で小柄なんだけど…その肌の柔らかいことといったら……服の上からでも(じか)に触っているみたいなんだ」


 「ふうん?」


 「それで、また、他の女とはちょっと……いや大分に違うな。何とも言えない独特の色気があるんだよ、フフフ。何と言うかね、時折可愛い男の子でも抱いているような、そんな気持ちになってきてね」


 「お前、妙な趣味があるんじゃないだろうな?」


 「二度目の時は男の恰好(かっこう)、学生服を着てやってもらったんだけど、この時はもっとすごかった」


 「おい、そいつ、オカマか何かだったんじゃないのか?」


 「とんでもない。この眼で確かめたけど、ちゃんと女だったよ。剃ってるんだか、体質だか知らないけどパイパンだったけどね」

 「ロリコンの趣味もあったのか」 


 「茶化すなよ。それでその子が言うんだよ……」


 ややあって、アキトは立ちあがった。

 男たちの会話が不愉快になったのである。

 勘定をすませ、さっさと店を後にした。

 外に出ると、風の冷たさが肌に染みるようだった。


 (さて、どこで宿を取ろうかな……?)


 考えながら、アキトは酔った男たちの笑い声が響く街を歩き出した。


 「ねえ?」


 と、しばらく歩いていると不意に声がかかった。

 鈴の鳴るような愛らしい声だった。

 振り向くと、十四、五歳ほどの少女がこちらを見ているではないか。

 年に似合わぬ丸サングラスをかけ、大きめのハンチング帽をかぶっている。


 「わ、やっぱりいい男」


 少女は微笑み、すすっとアキトに近づいてきた。


 「お兄さん、今お暇?」


 「――」


 アキトが答えずにいると、


 「暇なら、ボクとデートしない?」


 少女はサングラスごしにアキトを見上げ、嫣然(えんぜん)と笑った。

 十二年前のアキトならば、すぐには理解できなったろう。

 だが、今のアキトには少女の意図が理解できた。


 (娼婦か――)


 女にせまられ、逃げまわっているような人間であるが、そこはさすがに三十にもなろうという男である。

 様々な経験をつみ、女と『割りない仲』になったことも一度や二度ではない。

 それに、この辺りは少女娼婦も数多いと話には聞いていた。


 (どうしたもんかな……)


 アキトは思案した。


 「もぐりだって疑ってんの? ほら、これ見なよ」


 と、少女は二枚のカードを見せた。

 身分証明書と許可証だ。

 この国で売春は違法ではない。

 娼婦たちは身分証明書と許可証をもらって商売をしているのだ。

 無論未成年の売春は禁止されているが、年をごまかして商売をしている少女は数多くいるそうだ。

 この少女もそういった者の一人なのだろう。


 「ね? いいでしょ?」


 少女は素早くアキトに腕をからませた。

 その無駄のない動きや口調から、この少女がどれだけ娼婦の経験を積んできたのか、おのずとわかる気がした。

 こういった場所で娼婦に声をかけられるのは珍しいことではない。

 むしろ、普通のことと言えた。

 その気がないならサッサと立ち去ればよいのだが、さすがに少女娼婦に声をかけられたのは初めてである。

 アキトは戸惑ってしまっていた。


 「――ね? いいでしょ?」


 少女はアキト見上げ、繰り返した。


 「ああ。いいよ」


 少女の言葉に誘われるまま、アキトは知らず知らずのうちにうなずいていた。




 …………。




 「はい、どーぞ」


 少女は部屋のドアを開け、アキトをいざなった。

 深夜喫茶の二階に設けられた一室。

 ダイニングとバスルームがあり、冷蔵庫やTVなども置かれているが、全体的に生活の匂いというものがしなかった。

 どうやら、ここが少女の『仕事場』であるらしい。


 「ねえ。何か、飲む? サービスするよ」


 少女は言いながら、ハンチング帽を取った。

 ボーイッシュなショートヘアーが、部屋の明かりを受けて光沢を放つ。

 少女の髪の毛は、美しい水色だった。


 「……!」


 アキトは少女の髪を見て、目を見開いた。

 通常ではありえない髪の色。

 否が応にも、ルリやラピス・ラズリのことが思い出された。


 (まさか……?)


 アキトの心臓は、嫌な予感にドキリと跳ね上がった。


 「どうかした?」


 少女はサングラスを取りながら、訝しげに言う。

 (つぶ)らな、明るい翡翠色(ひすいいろ)の瞳が露わになる。


 (金色じゃない……)


 アキトは内心ホッと息をついた。

 こんなところに、マシンチャイルドがいるわけもない。

 あの髪は染めたものなのだろう。

 そう思いながらアキトは自嘲した。

 仮にこの少女がマシンチャイルドであろうが、ルリたちと関係はない。ないのだが……。

 しかし、どうもこの数年でアキトはマシンチャイルドに苦手意識を持ってしまったのだ。

 その能力を駆使してアキトを追ってくる彼女らの姿は鬼気せまるどころか、鬼そのものである。


 (まったく……我ながら情けない――)


 アキトは腹の中でつぶやきながら、


 「いや、なんでもない」


 苦笑しながら首を振った。


 「そう?」


 少女は冷蔵庫からビールとサイダーの缶を取り出しながら、


 「缶ビールでいい? 下戸ならジュースもあるよ」


 「ビールをもらうよ」


 アキトが応えると、少女は缶ビールをアキトに手渡しながら、


 「シャワー浴びる?」


 「ん……?」


 「ここ、部屋は狭いけどバスルームはわりといいんだ」


 「ふうん…」


 「気のない返事だなァ。あ、そーか…汗の匂いのするほうが好きなんだ?」


 「いや……そういう趣味はない」


 アキトは笑って首を振る。


 「そっか」


 少女はジッとアキトの顔を見つめ、


 「じゃ、一緒に浴びない?」


 「え?」


 「シャワーだよ。一緒に浴びない?」


 言いながら少女は服を脱ぎ始める。


 「い、いや…」


 「何驚いてるの? 娼婦(おんな)買っといて裸見るのにびびってるわけ?」


 少女は躊躇(ちゅうちょ)するアキトに肩をすくめた。


 「そういうわけじゃないけどな」


 アキトは頭を掻いた。


 「女と一緒に風呂に入ったことはあるけど、シャワーを浴びたことはなくて」


 「へえ、お風呂はあるんだ? それって奥さん?」


 「いいや」


 アキトは首を振る。


 「おふくろさ」


 「……は?」


 少女は一瞬呆けた後、プッと吹き出した。


 「それならボクもあるよ――あれって気持ちいーんだよね」


 「おいおい…」


 「男はみんな、マザコンだって言うけどさ。女の子だってママのオッパイは好きなんだよ?」


 「……そうだな」


 アキトは小さくうなずいた。

 『おふくろ』という言葉に、少女の瞳が一瞬揺らいだのを見逃さなかったからだ。

 この娘は親に死に別れているのだろうか?

 そんな思いがアキトの胸に走った。

 『あの日』両親を失って以来、施設で暮らしたアキトは幾人もこんな瞳をする少女を見てきた。

 親のいない寂しさ、辛さはアキト自身よく知っているのだ。


 「シャワー、浴びるよね?」


 少女はわずかに頬を染め、目をそらしながら言った。

 先の自分の発言に少々照れているらしい。


 「君と一緒に?」


 「うん」


 「喜んで」 


 言いながら、アキトは少女の(ほお)に触れた。


 「あは…♪」


 少女は微笑み、アキトの手にその白魚のような指をからませた。



 ややあってから…。

 二人はバスルームの中、裸形で向かい合っていた。

 アキトの肉体は、戦時中と比べてもほとんど衰えも見せていなかった。

 数年の逃亡生活の間にも鍛錬だけは怠っていなかったからだ。

 いや、自然と肉の厚みは増し、より凄みのあるものとなっている。


 「うわぁ……お兄さん、いい身体してるねえ?」


 少女は自分の頬を両手ではさみ、感動の面持ちで言った。

 対して、少女の身体は細身だった。

 抱きしめれれば折れてしまいそうなほどに。

 加えて、そういう体質なのか、あるいは剃っているのか、少女の股間は無毛である。


 (まさか……小学生じゃないよなあ…)


 アキトは今さらながら不安をおぼえた。


 「ね? ボク、いくつだと思う?」


 と、まるでアキトの心を読んだかのように、少女がイタズラっぽい目で尋ねてきた。


 「……十五歳くらいかな」


 「ブーッ! ちがいまーす」


 少女はクスクス笑い、


 「年ごまかしてるけど、今年で十八だよ」


 「……」


 「あ、なんなのその顔? どー見ても中学生だろって顔は?」


 「いや、そんなことは思ってない」


 「ホントに?」


 「ああ……。小学生かと思った」


 つい正直な感想を述べてしまうアキト。


 「しょっ……!!」


 少女は唖然とした表情で口をとがらせ、


 「ったく! だからやなんだよなあ、パイパンって」


 「怒った?」 


 「けっこうね」


 「なら、やめるか?」


 「へ?」


 「料金はちゃんと払うさ。ただ、嫌々やってもらっても嬉しくない」


 「つまり嫌ならエッチしなくてもいいけど、お金はちゃんと払うって?」


 「ああ」


 「あのさ、それって小学生発言以上に馬鹿にしてるよ?」 


 「そうなのか?」


 「そーだよ。ボクだってプロなんだからさ、一応」


 そう言って胸を張る少女の姿は、今まで以上に子供っぽく見えた。


 「それは……ごめん」 


 と、アキトは少女の肩に触れた。

 その途端、アキトの指にピリッとした感触が走る。

 柔らかい。

 肩ではない。

 肉体そのものがまるでマシュマロのように柔らかいのがわかった。

 少女の肌はなめらかだった。

 象牙や大理石もかくやという感じである。

 その肌の、肉体の感触にアキトは自分の中で情欲の(ほむら)が燃えあがってくるのを抑えられなかった。

 我知らずのうちに、少女を抱き寄せていた。


 「あ……」


 小さく少女が声をあげる。


 「キスしても、いいかな?」


 アキトが尋ねる。

 娼婦の中には、まれにキスを嫌がる者がいると、いつか悪友(アカツキ)から聞いたことがあった。


 「いいよ」


 少女は目を細め、顔を上げた。

 二人の唇が重なり合い、口内で舌がからみあう。

 一夜の恋人たちが唇を貪りあう淫靡な響きは、シャワーの音にかき消されて聞こえない。


 「思ったより、上手じゃないね……?」


 口を離しながら、少女は言った。


 「そういうこと言うか?」


 「さっきのお返し」


 苦笑いするアキトに、少女はペロッと舌を出して見せた


 「そうだった。じゃあ、文句は言えないな」


 「言ってもいーんだよ? お客さんなんだからさ――でも、意外だったなァ」


 「なにが?」


 「お兄さん、もっと経験してるかと思った。もてそうなタイプだし」


 「はは、ありがとう。でも、俺は――……」


 と、アキトは言いかけて、ふと口をつぐみ、


 「いや。もてる…けど」


 「けど、なにさ?」


 アキトの顔を覗きこみながら少女が言う。


 「才能…いや、才覚がない」


 「さいのぉ?」


 「もてるのが才能っていうんなら、その才能に振り回されるタイプなんだろうな…俺は」


 「ははーん? さては女のことでトラブってんだ?」


 「ご名答…」


 アキトは応えながら、


 (もう数年間、トラブり続けてるよ……)


 自嘲した。


 「じゃ、今夜はその憂さを晴らすつもりで思いっきり楽しみなよ。ボク、サービスしちゃう」


 少女はアキトに笑いかけ、


 「お望みのプレイはなーにかな?」


 「おいおい…」


 「スカトロ以外ならどんなのでもOKですぜ、お客さん」


 「――ノーマルがいい」


 そう言って、アキトは少女を抱え上げた。

 いわゆる『お姫様だっこ』というかたちだ。

 軽い。

 少女の身体は、見た目に相応しい軽さだった。


 「わ!」


 少女は小さく声をあげ、


 「なんか恥ずいな、これって……」


 わずかに頬を紅潮させた。


 「このままベッドに運ぶつもり?」


 「いやか?」


 「んーん。なんか、こういう結構好きかも。ロマンチックでさ」


 少女は手を伸ばし、アキトの唇を軽くなぜた。

 そして、二人は再び唇を重ねあう。




 いくばくかの時が過ぎた後……。



 ベッドの上、アキトは少女の肌の香りと柔らかさを感じながら天井を見上げていた。

 少女はアキトの胸に頬を寄せ、交わりの余韻を楽しんでいるようであった。

 しばらくして、少女はゆっくりと身を起こした。


 「(あか)り、つけるね」


 少女は言いながら、ベッドの脇のスタンドに手を伸ばした。

 パチッと音がして後、スタンドの灯りがベッド周辺を照らした。
 

 「音楽、つけてもいい?」


 「え?」


 アキトは目を開けて少女を見やった。


 「ボク、エッチの後に音楽聞くたくなっちゃうんだ」


 (……変わってるな?)


 思いながらもアキトは、


 「ああ、いいよ」


 快く応えた。


 「ありがと。嫌がるお客さんも結構多いんだよね」


 少女は嬉しそうにスタンド近くにある機器を操作した。

 小さな音ながら、哀愁を帯びた古い時代の歌が部屋に流れ出す。





 怨みつらみが哀しくて、


 なんでこの世が……






 と、アキトはスタンドのそばに写真立てがあるのに気づいた。

 ウッドフレームのどこにでもあるような写真立て。

 写真には、小学生くらいの男の子が写っている。


 (家族の写真か?)


 アキトは起き上がり、写真を見た。


 (……?)


 ふとアキトは首をかしげた。

 写真の子供に見覚えがあるような気がする。

 どこの誰であったのか……。

 よく思い出せないが、確かに記憶にある顔だった。


 「どうかした?」


 と、音楽に聞き入っていた少女がアキトのほうを振り向いた。


 「いや…これは、君の弟かい?」


 「ああ、それ?」


 少女はアキトの視線が写真立てに行っているのに気づくと、


 「それ、ボクだよ」


 「……ええ?」


 アキトは驚いて少女の顔と写真の少年を見比べる。

 なるほど。

 よく見れば、確かに顔立ちはそっくりだ。

 しかし、髪や瞳の色はまるで違う。

 少女は水色の髪に、明るい翡翠色の瞳であるのに、写真の少年は黒髪に青紫の瞳である。

 髪はともかく、瞳の色などそう簡単に変えられるものではない。

 少女がカラーコンタクトなどをしていないのは、バスルームでわかっている。

 いや、何よりも、写真の少年は可愛い顔をしているが、どう見ても女の子には見えない。

 それも、やんちゃ坊主という風ではなく、線の細い優等生タイプといった感じだ。


 「…ずいぶん、ボーイッシュだったんだな」


 「そんなの当たり前」


 少女はカラカラと笑い、


 「ボク、男の子だったんだから」


 こともなげに言った。


 「……!」


 一瞬アキトは自分の耳を疑った。

 オトコノコダッタ?

 どういう意味だ。

 まさか、この少女はニューハーフかなにかだというのか?

 いや、そんなはずはない。

 女であることは、シャワーの時、そして先の交わり合いで十分わかっている。

 それとも、男の子として育てられたという意味か?

 アキトはもう何年も会っていない、紅い髪に鳶色の瞳の好敵手を思い出した。


 「なに固まってんのさ」


 少女はアキトを後ろから抱きしめ、


 「ム・カ・シの話だよ。ボクがまぎれもない女だってのは、わかってるだろ?」


 「あ、ああ……」


 アキトは曖昧にうなずく。


 「今はこんなんだけどさ、ボクって子供の頃は結構イイコチャンだったんだぜ? もっとも今の自分のほうが好きだけどさ」


 「……」


 「こんなんだからさー」


 少女は写真立てを指差し、


 「いっつもいっつも一緒にいた女の子にいじめられてたんだよねー。そいつがビョーキはいったアニメヲタクでさア、変な槍持ってボクを殴ったり蹴ったりしてきたんだ。周りの大人はヘラヘラしながら見てるだけで全然止めてくんないしさ、ホンット、今思い出してもムカつくったらありゃしない」 


 「……一つ、聞いていいか?」


 少女の話を聞きながら、アキトはひどく抑揚のない声で言った。


 「なァに?」


 「君の、名前は……?」


 「証明書見なかったの? ハリーだよ、ハリー・オズボーンさ。今の名前はね」


 と、少女はアキトの胸や首筋をその細い指でなでまわしながら、


 「この写真の頃の名前は、マキビ・ハリさ」


 さらっとした少女の言葉に、アキトは絶句した。


 「通称はハーリー。あ、泣き虫ハーリーって言えば、思い出すかなァ? テンカワ・アキトさん?」


 少女……ハリーはアキトの顔にその頬をすり寄せ、


 「それとも、『漆黒の戦神』って呼んでほしい?」


 「なぜ…」


 アキトは、やっとのことでそれだけ言った。


 「なんで女の子になってるのかってー? 簡単さ。山崎なんとかっていう変態に実験台…いや、オモチャにされたからだよ。アキトさん、あんたの身代わりにされてね――」




 …………。




 まあ、考えてみればルリさんの、あの言葉からだったんだろうね、始まりは……。


 「ハーリー君。旅行に行く気はありませんか?」


 あの日、ボクの家に訪ねてきたルリさんはこう言ったんだよ。

 お願いがあるとかいってさ。

 聞いたら何かの都合でアキトさんと離れなきゃいけないんで、ボクに一緒にきてほしいんだって。

 あはは。

 今から考えればあまりにも胡散臭いよねー?

 あのルリさんだよ?

 自分の恋人でもないくせに、アキトさんにべったりで、ちょっとでも他の女の人と仲良くしてればお仕置きとかわけのわかんないこと言ってた、あのルリさんだよ?

 アキトさんが自分を愛するのは当然って顔してたあの人が、自分からアキトさんと離れる?

 ちょっと考えれば何かあるなって思うよね。

 だけど……。

 まー、ぶっちゃけ『馬鹿』だったんだよな、あの頃のボクは。

 大好きなルリさんにこんなお誘いを受けたもんだから、二つ返事でOKしちゃったわけ。

 で、その当日。

 何かルリさんは妙にしおらしいというか、おしとやかというか。

 ボクにすまない、ごめんなさいって繰り返してた。

 あれも身代わりにしてごめんね、ってことだったんだろうけどさ。

 ルリさんとの旅行だってウキウキしながら窓の外見てたら、ぷぷ……!

 いや傑作だったね、あれは。

 パラシュートがぱーって開いたんだよ。

 あれ? って思ったら、そこにいたのはルリさんだった。

 化粧室にいくって席を立ったと思ったら……いつの間にか外に出てるんだねー。

 ルリさんはぺこっとお辞儀してそのままパラシュートで降りていっちゃった。

 ぼーっとしてたら、『ポム』ってな感じで肩を叩かれた。

 驚いて見ると、後ろにトカゲみたいな顔したおっさんが立ってた。

 そ、わかるよね?

 北辰さ。

 あれはびびったね。

 何しろいっぺんボクはあのおっさんたちに殺されかけたことがあるんだから。


 「人形は感づいて逃げ出したか……」


 うん、確かにそう言ったのをおぼえてる。

 で、


 「これでもいないよりはましか」


 てなこと言われて、ボクはあの連中に拉致された。

 そうそう、その時六人衆…あ、知ってると思うけど、北辰の部下のことね。そいつらの一人が、


 「同情する…」


 て言ってたなあ。

 同情するなら助けてくれよって感じだよねー?

 そう思わない?

 あれ、どしたのアキトさん、変な顔しちゃって。

 競馬で大損したおっさんみたいな顔だよ?

 ええと、どこまで話したっけ?

 あ、そーだ。北辰に拉致されたまでだったね。

 その後、ボクはあの変態山崎のラボに連れてかれたんだ。

 だけどね、最初はたかをくくってんたんだよ。

 ルリさんがこのこと知ってるんだし、そのうち誰か助けにきてくれるだろーってさ。

 と・こ・ろ・が…だ。

 半年たっても一年たっても、だーれも来やしない。

 今日来るか、明日来るか、って待っても無駄だった。

 毎日毎日、何で誰も来てくれないんだーー!! って心の中で叫んでたよ。

 その上なんかしんないけど、変態山崎がボクを気にいって毎日のようにオモチャにするんだ。

 あ、モルモット、実験台にされたって意味ね、へんな風にとらないでよ?

 変態山崎のムチャクチャな実験のせいで、ホルモンバランス崩れちゃってさ、見ての通り男の子から女の子になっちゃったわけ。

 そのせいかどうかは知らないけど、見ての通り髪や瞳の色も変わっちゃった。

 変態山崎も珍しく驚いてたよ。

 ホントに偶然に偶然が重なった結果なんだろうな。

 もしかするとボクがマシンチャイルドだったことと、未成熟な子供だったのが関係してたのかもね。

 今じゃ子宮も、月のものもあるよ。

 さすがに妊娠はできないけど。

 おっと、話がそれちゃった。

 そんなモルモット生活もいつか終わりが来るもんだね。

 よくはわかんないんだけど、なんか山崎の部下だかなんかがポカやったらしくてね。

 研究所で爆発事故があったんだ。

 その隙をついてボクは逃げ出した。

 は? 山崎のラボはどこだって?

 今行ってもなーんもないと思うよ。

 ま、火星のどっかといっておこーかな。

 逃げた後、ネオ・ユートピアコロニーに行った。

 あそこが一番近くて大きな街だったからね。

 幸いなことにマシンチャイルドとして能力は死んでなかった。

 ネルガルやナデシコのみんなと連絡しようとしたんだけど……。

 調べてビックリ!

 ボクは戸籍上すでに死んでた。

 さらわれた時シャトルが吹っ飛ばされてたから、事故死ってことになってたんだろーね。

 おっと、それから。

 もうちょっと調べてわかったんだけど、ルリさんがあの日あのシャトルに乗ってたって記録はなかったよ。

 面倒ごとがないようにルリさんが記録を抹消したんだな、きっと。

 つまりはあれだ。

 ボクはルリさんたちの幸せのために捨て駒にされたってわけだね。

 それを自覚した時、嘲笑()ったよ。

 自分の馬鹿さかげんにね。

 でも……。

 それでも、ボクは地球へ帰りたかった。

 薄情なナデシコやネルガルへの怨みとかじゃなくて、お父さんやお母さんに会いたかった。

 それに早く火星からも逃げ出したかった。

 いつ追手がかかるか、わかったもんじゃないからね。

 それで、どうにか地球行きのシャトルのチケットを手に入れて、自力で地球に帰ってきたんだよ。

 数年ぶりに家を間近に見た時は、涙が出たなァ。

 ふふ……。

 でもね?

 そこでボクが家に帰ってたらこんなとこにいないのはわかるだろ?

 なんで帰らなかったのかって……?

 帰れなかったのさ。

 喜び勇んで家に近づいていったけど、お父さんもお母さんもいなかった。

 どこかに出かけてるのかなって思いながらしばらくウロウロしてると、笑い声が近づいてきたのに気づいてボクはとっさに物陰に隠れた。

 別に隠れなくてもいいのんだけどね。

 その時、ボクは見た。

 お父さんとお母さんと一緒に、可愛らしい女の子が歩いてくるのを。

 一瞬わけがわからなかった。

 そしたら、その子がいってるのが聞こえたんだよ。


 「パパ、ママ」


 って嬉しそうに言ってるのがね。

 頭が混乱して何がなんだかわかんなくなった。

 ボクはいつの間にか物陰から出て、お母さんたちのほうに歩いていってた。

 そして、お母さんたちと目が合った。

 カンペキ他人を見る目だったよ。

 ボクが誰だかわかんなかっただろうね、当然だけどさ。

 不思議そうな顔してボクを見てるお父さんとお母さんの視線に耐えられなくなって、ボクは駆け出した。

 どこをどう走ったかわかんないけど、気がついたらどっかの繁華街をうろついてたよ。

 よく補導されなかったもんだ。

 されてもどうせ孤児ってことで、施設行きが関の山だったろうけど。

 いや、連合かクリムゾンか…それともよその企業だかに捕まってたかもね、モルモットとして。

 あ、そうそう。

 これも後で調べたことだけどさ、ボクが見た女の子はボクが北辰に連れ去れた後、養子になった子供だったんだ。

 ボクが死んだ後、気落ちしてるお母さんたちを気遣った人が世話したらしいね。

 これでわかるだろ?

 お父さんもお母さんも、もうボクの『死』から立ち直っていたんだ。

 新しい家族と一緒に。

 そこへボクが出ていってどうなる?

 波風を起こすだけじゃないか。

 あの子だって可哀想だ。

 蜥蜴戦争で両親を亡くして一人ぼっちで辛い思いをしてた子供が、やっと幸せになろうとしてる。

 ボクがしゃしゃり出ていったら、それもぶち壊しになっちゃうのは目に見えてた。

 だから、僕は諦めた。

 いや違うな。

 現実が見えたのさ。

 ボクの居場所なんてどこにもないってことがね。

 マキビ・ハリって男の子は死んだんだ。

 死んだ人間が生きた人間の前に出ていっても、良いことなんか何もない――ってね。

 え?

 それからどうしたって?

 まあ、色々あったよ。

 でもまあ、結局この商売に落ちついた。

 性に合ってたんだろーな。

 他にも副業やってるけど、これが本業さ。

 確実にお金になるしね




 …………。




 ハリーが語り終えた後、音楽は止まっていた。

 全ての曲が終わったのだ。


 「一応断っておくけど」


 ハリーは愕然としているアキトに笑いかけながら、


 「別にあんたを怨んじゃいないよ。冷静に考えりゃ期待するほうが馬鹿なんだからね」


 もう一度機器を操作した。

 再び哀愁のメロディが流れ出す。


 「ああ、でもこれだけは聞いときたいかな? これが聞きたくって、こうして誘いをかけたんだから」


 ハリーはアキトを振りかえり、


 「あの頃さ、あんたが散々守りたいとかいってものに、『マキビ・ハリ』って男の子は入ってたの?」


 アキトは答えない。

 ただ、硬く握りしめた自分の拳を見つめているだけだった。


 「ねえ……どうなのさ?」


 ハリーの口調に険はない。

 なにげない、世間話でもするような口調だった。

 だが、ハリーの言葉にアキトは答える術がなかった。

 いつしか、窓の外では雪が振り始めていた。

 静寂の中、切なげな歌が部屋に響く。










 春と思えば夏が来て、


 夏と思えば秋が来て、


 しょせん最後は


 寒い冬









管理人の感想
DTさんからの投稿です。
いや、本当に驚きマシタ・・・
まさかこういうオチになるとはね〜
初めはルリ達が乱入して、終わりだと思っていましたが・・・
う〜ん、お見事!!



・・・・・・・・しかし、最近TS物が多いなぁ(苦笑)