少年

機動戦艦ナデシコ

承前 「心を削ぐは 言葉の牙、そして電脳の槍」




その宙域は静寂に満ちていた。 
静寂という表現はあまりにこの真空の宇宙にとってはあたりまえにすぎるかもしれない。
しかしほんの30分ほど前まではここが戦場であったことを考えると
「静寂」という言葉の意味も生きてくるのかもしれない。

いま、その宙域に動くものはいない。 
無数の機動兵器や戦艦の残骸が漂っているだけだ。
その中にはあきらかに人であったであろうモノの残骸まである。
宇宙の戦場跡の良いところは、
血の色やその臭いを感じないで済むことだ。
ただ、宙域がかすかに濁って見えるだけ。

その中の一際大きな残骸、これはあるいは小型のコロニーだったのかもしれない。
それは、かつて「火星の後継者」と呼ばれた者たちの最後の拠点だったところだ。


いや、一つだけ、ゆっくりと残骸の中を進むものがいた。
動力を使わず、ただ慣性で進む白亜の船、
その優美すぎる姿はかの火星の後継者の兵たちには
絶望をもたらす女神のように見えたという。
その名称は統一されていなかった。 
ただ、それが表すのは死、絶望、そして終焉。
彼らは死んだ。 
その船の真の名も知らぬがままに。
だが彼らは知っていた。
彼らの死は復讐の業火によってもたらされたことであることを。


白亜の船、ユーチャリスのブリッジで闇に身を包む男がいた。
その脇に淡く赤味のかかった白金の髪の少女を従えて。
彼らはシートに身を深く沈め、そして無言であった。 
復讐を終え、一時の虚脱を味わっていた。
そして、彼らにはその虚脱の先にあるものは無かった。
何ひとつとして、するべきことはなかったのだ。
ふと、その厳粛とも怠惰の果てとも言える静寂を破る声があがる。
それはこの二人、どちらからあがったものでもない。


『アキト、ラピス、これからはどうしますか?』


それは感情を持つこの船の意思、思兼式AI、通称建御雷(たけみかづち)の声である。
アキト――闇の男はその声に身じろぎもせず
ラピス――少女が代わりに答える。


「タケミカヅチ、このまましばらくすすむ。
 自動操縦設定、何も無いところ。 
 座標設定は任せる。
 動力はなるべく使わないで」

『了解です、ラピス。 
 で、アキト。 これから、どうしますか?』


微妙にイントネーションを変えた建御雷の問いに、アキトはなおも答えない。


なにもしたくない、というのが正直なところだ。
復讐を終え、やりたいこと、すべきことは何も残っていない。
今更普通の暮らしをはじめるか?
・・・・・・なにを馬鹿なことを。
だが、ラピスには幸せになってもらいたい。
俺の復讐が終わった今、この子に俺に付き合わせる必要も無い。


「アキト、ラピスをおいていくの?」


思考がもれたか。
考えてみればつまらん感傷かもしれん。 
これだけ山ほどの死を築いてきて
いまさらこの子の幸せを求めるか。
それとも偽善か? 


ラピスはアキトの座るシートの前に寄り
訴えるように言葉を紡ぐ。


「ラピスはアキトと一緒がいい。 
 わたしはアキトの目、アキトの手、アキトの・・・・・・」

「わかっている。 俺はラピスを置いていったりはしない。
 俺が生きている限りは、な」


ラピスの目に泪が浮かぶ。
この少女は、知っているのだ。
この男の命数を。
その身が蝕まれ、朽ち果てつつあることを。
その痛みも共有する身の上ならばこそ。


「すまない、ラピス。 
 だが俺の命がある限り、俺はおまえと共にいる。
 そしておまえの心の支えを創ろう」

「アキト・・・・・・」


アキトはラピスを抱き寄せる。
それは父親がその娘に与えるような
しかし出来ることの少なさを悔やむような、
優しく、しかしどうしようもなく悲しい抱擁だった。

だが、その静寂はまた雷の神の名を持つ人工の叡智によって妨げられる。
警告音がブリッジに鳴り渡り、同時に建御雷が呼びかける。


『アキト! 正面およそ100Kmに何かがジャンプアウトしてくる!』

「まだ残党が残っていたか!!
 相転移エンジン起動、および現在使用可能兵装を確認」


ラピスが急ぎ自分の席にもどり操作を開始する。


『相転移エンジン起動了解。 可動まであと15秒。 
 残存兵装、グラビティ・ブラストとサレナのみ』

「相転移エンジン起動確認と同時にグラビティ・ブラストチャージ開始。 
 ディストーション・フィールドは後回しでいい。
 同時にジャンプフィールドの発生準備」


相対距離がどんどん近づく中、
様子見は無しの殲滅か脱出かの二者択一の指示を出す。


「可動確認。 グラビティ・ブラストチャージ開始。
 前方のボゾン反応解析、戦艦級1」

『船体識別完了、ナデシコC!
 アキト、ルリだ。 ルリが来たよ!』


ユーチャリスの目の前には、
もう一隻の白亜の戦艦、
電子の妖精の駆る生きる伝説、ナデシコCが現れていた。


ルリちゃんか。
俺を捕まえに?
捕まえて、ユリカに会わそうというのか・・・・・・。
が、そうもいかん。
それはユリカにとってもアカツキたちにも破滅しかもたらさない。
ならば、


「グラビティ・ブラスト、出力20収束率30で発射、
 同時にフィールド全開およびジャンプ」

『でも、ルリが・・・・・・』

「ただの目くらましだ。 さっさとやるぞ。
 撃て!」


黒い光の奔流がユーチャリスから放たれ、
それはナデシコCに向かうもフィールドにあたることすらなく避けられる。


「予想済みか、ルリちゃん。
 ジャンプ準備は?」

「アキト! ナデシコCからのハッキング!
 ジャンプシークエンスが遅くなってる!」

「防壁展開、俺が直接叩いた後、脱出する」

『了解。 サレナの方は準備万端。
 あっ・・・・・・』


突如、正面のウィンドウに銀髪の少女が現れる。
確認するまでも無い。
それは電子の妖精、火星の後継者の乱を一人で収めた戦の女神
ホシノ ルリであった。


『ナデシコCからの強制通信』

「アキトさん・・・・・・」


闇の男の名のみを紡ぐ少女。
その眼にともす光は思慕か切情か。


「・・・・・・ホシノ ルリ、俺を連れ戻しに来たのか?
 俺はもう、ユリカのところに戻る気はない」

「アキトさん、復讐はもう終わったんでしょう?
 お願いです。 戻ってきてください」

「無理だ」

「どうして!」

「俺の身は血に塗れている。
 殺した奴ら、巻き込まれて死んだ人たちの
 怨嗟の思いが染み込んでいる。
 俺に幸せになる資格は無く、
 俺の存在は災いしかもたらさん」

「そんなの関係ありません!
 私には、私にはアキトさんが必要なんです!」

「他をあたるんだな」


その、余りといえば余りにも冷たい言葉に、
もう一つウィンドウが開く。


「おいあんた!
 何ぼなんでもそれはないだろ!」


激情をあらわに、髪を染めた若者が割り込む。


「高杉三郎太といったな。
 俺の存在が何を意味するのかわからない馬鹿でもあるまい」

「わかっているさ。
 わかっているけど、艦長の気持ちってのを考えてやれよ!」

「わかっていないな。
 俺が帰れば、俺が裁かれるだけではない。
 俺に協力してくれた者、見逃してくれた者全ての破滅になる。
 ユリカも、ミスマル提督も、そしてお前の艦長もだ」

「わかっている! 
 だが、それでも!」


タケミカヅチが別のウィンドウを開き、
そこにはジャンプの準備が整ったことが書かれていた。


「もう、話すことも無い。
 ホシノ ルリ、さらばだ。 二度と会うことも無いだろう」

「嫌ですアキトさん! 
 もう誰も、私には誰もいないのに!

 ユリカさんももういないのに!」


それは、まさに絶叫であった。


二隻の戦舟(いくさぶね)が近づく中、
闇の男はただ、無言であった。
しかしそれは感情を押し殺した寡黙ではなく、
自失が創りだす沈黙であった。

まだ幼き戦の女神の押し殺すようなすすり泣きが宙空を満たす中、
搾り出すようにして、アキトが声を出す。


「ユリカが・・・・・・、ユリカがもういないだと!
 どういうことだ、ルリちゃん!」

「ユリカさ・・・ひっく、ユリカさんは・・・・・・」


ルリの声は嗚咽にまぎれ、言葉を為すことが出来ずにいる。
その言葉の続きを、三郎太がつづける。


「ユリカさんは死んだ。
 あんたに救い出されてしばらくして意識を取り戻して。
 だが身体は遺跡に侵食されたせいで弱りきって」

「アキトさんに・・・・・・ただ会いたい、
 会いたいって言いながら、
 それだけを・・・・・・うっく、繰り返して、
 
 ・・・・・・どうして、
 どうして会ってあげなかったんですか!」


涙を振り絞りながらルリが叫ぶ。
その言葉は堰をきったかのように小さな口から溢れ出し、
闇の男の心を叩きのめす。


「ええ、ユリカさんは居なくなってしまいました!
 最期は、あきらめたように力なく
 泣きながら。

 あのお日様のようだったユリカさんが、
 最期にわたしになんて言ってくれたか
 教えてあげましょうか?

 『ルリちゃん、
  幸せになるのってこんなに難しかったんだね。
  あたし、アキトと一緒にいられたら、
  それだけで良かったのに。
  あたしたち、
  結婚してからまだ一日もちゃんと一緒にいたことないんだもの。
  一回でもいいから、会いたかったなぁ・・・・・・』って。

 それから二日、声を出すことも無くただ泣きつづけ、」
 
「やめろ、ルリちゃん!」 


ルリの激昂についに堪えられなくなったアキトの叫びに
しかし反応したのは三郎太であった。


「やめろだと? 
 貴様何様のつもりだ?
 どんな気持ちで艦長が、
 どう思いながらユリカさんを看てきたと思っているんだ?
 艦長も、ユリカさんも、貴様なんかをずっと待ちつづけて、
 それもかなわずに心をすり減らして」

「お前如きにわかるか」

「ああ、わかりたくも無いね。
 自己満足のために、
 残党狩りと称して殺戮を繰り返して、
 そしてあんたのことを本当に必要にしている二人を見捨てて旅三昧。
 まったくいい身分だね」

「!」

「ああ、いくらでも言ってやるよ。
 残党狩りなんか、貴様がやる必要は無かった。
 やつらの残った戦力なぞ、
 宇宙軍でも統合軍でも十分に対処できた。
 貴様がやるべきは、ユリカさんのもとに戻ることだった。
 戻れない事情なんかは知ったことじゃない。
 その状況を覆すことすら考えたこともなかったんだろう?
 
 ・・・・・・お前は腰抜けだ。
 拒絶が怖かったんだろう?
 艦長が、ユリカさんが変わってしまった貴様を拒絶することを。
 貴様は逃げて、逃げて、
 ユリカさんの気持ちをただ踏みにじったんだ」

「アキトを責めないで!」


三郎太の口撃に堪えられなくなったラピスが感情をあらわにして叫ぶ。
アキトの心と繋がれた心をもつ少女は、
闇の男の苦しみを誰よりも理解するがゆえに。

だが、その叫びは致命的な一瞬の隙を生み出した。
今まで己が慕う少女の苦しむ姿を見ながらも
ただひたすらに機会を待っていた少年が、
ついに訪れた好機にその能力全てを
電脳の矛に変えて。


『ナデシコCからのハッキング! 
 防壁突破、ディストーションフィールド消失!』


建御雷の警告と同時にラピスが我に返るも、
それとほぼ同時にユーチャリスに激震が走る。


『ナデシコCからのビームアンカー船体左舷に接続。
 ジャンプフィールド発生装置破損。
 
 ジャンプシークエンス、停止』


金色の瞳に子供らしからぬ強い意志と決意を秘めたその少年、
名をマキビ ハリという。

 

 

 

代理人の感想

一つだけ言っておきます。

「承前」と言うのは「前を継承する」と言う意味であって、前の文がない場合には使いません!

例えば文庫本で前の巻から話が続いていたりする場合に使うんですよ。

何故か広く流布してる誤用なんですよねー、これ(溜息)。

 

まぁそれはさておき。

 

ひょっとしてハーリー君主人公!? しかも結構格好いい!

超人化したのはたまにありますが、こうしてハーリー君のままで格好よく主人公やってるのは

はっきり言って希少なんで、もうこの時点で6割方勝利したも同然ですね!

後は話を面白くするだけ(おい)!

 

でも、冗談抜きで面白そうなんですよ、これが。

途中までは割とよく「ありそうな」(そして余りない)展開なんですが、

ラストのハーリー君のインパクトは結構なものでした。

さて、次回は!?