少年
機動戦艦ナデシコ
第2話 「花は咲いてこその花、たとえ我が物とならざるといえども」
金色の瞳の少年は考えていた。
悩んでいた、と言うべきか。
オペレーターとしてナデシコCをコントロールしながら
その心の大半を占めていたのは先日のホサカとの会話だった。
すでにルリの心を彼自身に向けることは不可能に近い、と納得してしまっている。
あの男を殺すでもしない限りは。
だが、人を殺すほどの気概を持つには、この少年は優しすぎた。
人を傷つけてまで何かを手に入れようとは考えることができないでいた。
己が信頼する艦長は合法、非合法な手段を問わずに手に入れた情報より
最後のものであるだろう「火星の後継者」の拠点の場所を把握していた。
そして、彼女の切望する男がそこに現れるであろう時刻までも確信していた。
すでにブリーフィングが行なわれ、
「太陽系の歴史上で類を見ない犯罪者」の逮捕という合法目的をもった、
きわめて私情に走った作戦が決定された。
すなわち、
目標甲(テンカワ アキト)の目標乙(火星の後継者)との予想交戦開始時間より15分後、
当該宙域にジャンプによる強襲をかけるものとする。
一、強襲時、甲乙が交戦中である場合
ただちに電子戦をしかけ、甲乙問わずシステム掌握をする。
その際に多弾頭ミサイルの一斉発射により両目標の注意を促す等、
システム掌握成功率を上げることが推奨される。
二、強襲時、甲乙の交戦の終了後である場合
ア)対目標甲
本艦の能力を持ってしても単独での目標甲のシステム掌握は困難と言わざるを得ず、
電子戦を行ない、甲の離脱を妨害しつつの交渉を第一とする。
甲の離脱を阻害するためのいかなる行動も
甲の生命に危害を加えない限りにおいて、艦長の責任によりあらかじめ承認されることとする。
イ)対目標乙・・・
(中略)
五、目標甲の処遇
甲の確保後の処置は軍規により定められた通り、
艦長、およびその上官たるミスマル提督に一任されるものとする。
(後略)
要するに、「火星の後継者」の残党はたいした力が残っていないから
あの男を確保することだけ考えろ、ということだ。
そして適法手続きとはいえ、その後は艦長が守る、と。
作戦の予想時刻は52時間後。
考える時間はあと二日しかない。
考えるんだ、ハリ。
自分のすべきことを。
そう、少年は自問を繰り返していた。
彼自身が思考の淵に沈んでいたにもかかわらず
その仕事は過去二日、的確でありいかなるミスも犯していなかった。
己の道筋を定める思考の中で自己の責任、という観念が急速に芽生えていたからだ。
また、どういった結論を自分が出そうとも、
少年は敬愛する艦長の力になりたいことだけは決して変わることが無く
彼女の力になるためにはつまらないミスを犯している暇が
ハリには無かったのだ。
この二日間、ハリは何人かの信頼する大人たちと話していた。
自分の思いのうち全てを話すことはもちろん無かったが、
自分の進む道を見定めるための、なんでもいい、指針が欲しかったのだ。
彼らはいつもと雰囲気の違う少年にとまどいつつも、
真剣に悩み、答えを出そうともがく少年の瞳を見、
いままではあまり口に出すことの無かったその心のうちを彼にさらしていた。
三郎太の木連に対する気持ち、
思いを募らせつつあった男と死別し、その男の妹と生きることを決めたミナト、
そして、アキトへの思いを心に封じ、調理師としてひとり立ちすることを決めたサユリ。
彼らの言葉を静かに胸に刻み込みつつ、少年は自分自身を見つめつづけた。
・・・・・・艦長とは、ルリとだけは話すことが出来なかった。
心がどうしようもなく乱れてゆきそうで。
彼女はミスマル ユリカの病没後
一度たりとも笑顔を見せたことが無い。
その表情からは、いかなる感情も捨て去っているかのように見えた。
だが、その金色の瞳がそれを裏切っていた。
彼女の瞳が語るものは悲しみ、或いは狂気。
壊れそうになっている心を最後の希望に縋ることで
無理やりに繋ぎとめているかのようであった。
思えば、今までそんなことを思ったことは無かった。
こういうクールな艦長も格好いいなどと考えていた自分自身を消してしまいたかった。
いままで、己の慕う艦長のことすらも
上辺でしか見ていなかった自分自身が惨めで仕方が無かった。
思兼のオペレートをしながらも少年は自己模索を続けた。
IFSを通じて巨大な人工知性と繋がりながらの自己思索は、
電脳世界に彼を深くいざなうことになる。
そしてナデシコCを司るこの機械知性は少年が変化したことを知った。
ひよっこに過ぎなかった少年が、今本気で彼の主である少女を救うための道を模索していることを。
感情を持つ人工知性体である思兼は、ルリを心配していた。
あるときから笑わなくなった主を心配していた。
久しく彼と話をしてくれなくなっている主を心配していた。
あの論理的ではない不器用な男を求めている主を心配していた。
その主のために、できることがあるのなら何でもしてやりたかった。
そして思兼はハリに力を貸すことを決めた。
自己と向き合っている少年と話し合い、ともに考えることに決めた。
思兼に助言などできるような問題でもない。
思兼もまた、道を求めていたのだ。
思兼との会話の中、少年はかつての少女の姿を見た。
森の奥にひっそりと水をたたえる湖のように、如何なる表情も見せない彼女を見た。
ナデシコの中で、臆病な湖の妖精が花弁を開いていくように微笑を覚えてゆくのを見た。
あの不器用そうな、何に対しても真っ直ぐなコック見習いによって、
また太陽のように笑うミスマル ユリカによって
少女が変化していくのを見た。
IFSを通じて、ハリの精神は電脳世界の中で加速し、
わずかな残り時間の中で、通常なら何ヶ月もかかるであろう思索を続けた。
そして、作戦開始の12時間前、
少年マキビ ハリは決意を固めた。
自分の想いを捨てることを。
そして敬愛する艦長が、幸せになることを望むことを。
彼は、ルリの笑顔を見たかったのだ。
風に揺らぐ月を見る花のような、微笑を見たかったのだ。
例えそれが自分のものでは無いにせよ。
それは無私の献身、そして忠誠。
それは思春期前の少年がするには
あまりに悲しい決意であったのではなかろうか。
代理人の感想
男だなぁ、ハーリー君・・・・。
ちょっと、ぐっと来ましたね。
まぁ、こう言う「報われないと知りつつ忠を捧げる」男の話が好きなこともあるんですが。