少年

機動戦艦ナデシコ

第3話 「少年は嵐の中 矛を磨ぎ、そして放つ」




作戦開始予想時刻まであと1時間というとき、
ナデシコCは残存するターミナル・コロニーの一つ、
タカアマハラの宙域で停泊していた。

ハリを含む多くのクルーは事前に休息をとり、作戦へと備えていた。
皆がそれぞれの持ち場につく中、ハリもオペレーター・シートに腰を据える。
そして設定や状態を確認した後、斜め後ろの艦長席に振り向いた。
生きる伝説となっている戦の女神が、どうしようもなく硬くなっているのが見えた。

ふと、ルリの視線がハリのそれと交わった。
少年は静かに瞳で激励を送る。
今までであれば、視線を合わせたことに赤くなっていただろうこの小さな軍人の変化に戸惑うも、
幼い艦長は少年に頷くことで返事をする。
少年の決意があるいは伝わったのか、少女の硬さが少し取れたような気がした。

そして作戦が開始された。
予想時刻より25分後、目標宙域でボソン反応が観測されたとされるデータが送られてくる。
情報の時間誤差は2分足らず。 
ならば、こちらのジャンプが行なわれるのは13分後。
ただちにターミナル・コロニーに連絡をとり、
ジャンプの準備の要請、および目標地点の情報を転送する。

だがしかし、ターミナル・コロニーでは小さな事故が発生していた。
太古より人間の住居となる場所からずっと共生し、
駆逐しようとする人間をあざ笑うかのように存在しつづけてきた小さな住民、
ネズミが制御盤に破損を与えたというのである。


「艦長! タカアマハラより事故の報告です!
 ネズミによる回路の破損、修復およびシステム調整のために
 50分が予想されるとのことです!」


通信士のサクラから報告が入る。
この時間が作戦の明暗を分けるときの最悪のトラブル。
ルリの眼に怒りが走り、サクラの背がおもわず竦みあがる。

彼は以前ならこのような状況に対して混乱し、小動物のように少女をすがりつくように見ていただろう。
だが今の少年はなすべき事を知る、男の顔をしていた。


「状況把握しました。 転送します」


ハリは手の甲の紋章を輝かせタカアマハラの情報を走査し、
すばやく情報を艦長席に送ると同時に口頭で他のブリッジ・クルーに聞こえるように発言する。


「損傷の物理的回復は10分以内に終わるそうです。
 時間がかかるのはリ・プログラミングと調整のようですがどうしますか?」


答えを聞くまでも無い。 
ナデシコCには太陽系最高峰の機械知性と電脳の申し子が二人もいるのだ。
ハリの言葉にルリは気を静めるために息を大きく吸い、


「復旧の手助けをします。 
 ハーリーくん、タカアマハラに協力を申し出てください」

「了解です。
 同時に情報連結を申し入れます。 

 ・・・・・・来ました。 
 ここの部分とここの部分が部品交換後にリ・プログラムが必要だそうです」

「部品の仕様は? ・・・・・・わかりました。
 プログラムは今すぐわたしがやりましょう。 調整は任せて大丈夫ですね?」


二分とたたず、艦長席よりプログラムが転送されてくる。
ややあって、タカアマハラより物理的修理作業の終了が知らされる。


「プログラム転送、インストールします。
 調整開始します」


「・・・・・・終了です。
 タカアマハラ・ターミナルシステム、無事再起動しました。
 本艦のターミナル通過可能時間まであと5分」

「タカアマハラより協力のお礼の通信が届いています」

「サクラさん、答礼をお願いします。 文面は任せていいですか?」

「はい!」


目標とされていたジャンプ時間から8分の遅れ。
ハリは己の為した仕事を誇るまでも無く、
この8分の遅れがどう影響するかに思いを馳せる。

格納庫の機動兵器のなかで待機している高杉三郎太や
保安部の詰め所に待機していたホサカから
きびきびとした仕事振りに対する賞賛のメッセージが届いていたが
それに対してはおざなりに返事をするに留める。

申し訳ないと思わなくも無いが
彼には考えるべきことは、いくらでもあるのだ。


 
ナデシコCはディストーションフィールドを展開しつつターミナルをくぐり、
そして世界は灰色に包まれた。





ジャンプ・アウトの瞬間に緊張しないときは無い。
ジャンプ成功に安堵をする暇も無く、周辺情報の確認をすることが艦全体の生死を握るのだ。
そして今回のミッションでは
状況次第で取るべき、取らざるを得ない行動というのが劇的に変わってくる。
少年の意志に遅滞無く従い、思兼はその宙域を走査し、そしてゆったりと進む白亜の船を発見した。


『前方に戦艦1、ユーチャリス!』

「相対距離2分、本艦、ユーチャリスの射線上です!」

「ミナトさん、攻撃が来ます。 即時回避準備。 他に機影は?」

「ありません!」

「状況二と断定、システム掌握を開始します。
 ハーリーくん、艦の運用を頼みます」

「わかりました。
 頑張ってください!」


そう言った直後、ユーチャリスよりグラビティ・ブラストが放たれる。
が、既に予想されていたそれはミナトの操艦によりたやすく回避される。
そして白銀の戦女神は既にナノマシンの紋様の放つ光に包まれ
女神の女神たる業を見せ付けていた。


「行かないでください、アキトさん!」


少年の金色の瞳はIFSを通じて少女の手がユーチャリスに接触したのを視た。
不要かも知れなかったが、ルリの作った経路越しに数百のダミーを防壁にあたらせ、
ルリの本命の攻撃を隠しつつ相手の注意を分散させることに力を注ぐ。
敵方の攻撃の前兆は無い。

ディストーション・フィールドとジャンプ・フィールドが同時発生しかけ、
だがそれが揺らいでいるのが見えた。
ジャンプシークエンスに干渉することが出来たようだ。


まずは時間稼ぎ成功ですね、艦長。


「ユーチャリスに強制通信をかけます」


その少女の声とともに大画面に映されるのは
少女が夢にまで見た闇の皇子その人であった。
その顔の大半は黒いバイザーで覆われ感情の動きを見取ることはできない。
その後方には赤味のかかった白金の髪の少女の姿も見える。


「アキトさん‥‥‥」


ついにまた会うことができた、という感慨を押し込めるようにつぶやく少女。
だが、それはまだ彼女にとって始まりでしかない。
連れ戻すこと、共にいることこそが目指すところなのだ。

だがその少女に投げかけられたのは
闇に身を包む男の鋼の刃のような、冷たい言葉だった。


「・・・・・・ホシノ ルリ、俺を連れ戻しに来たのか?
 俺はもう、ユリカのところに戻る気はない」

「アキトさん、復讐はもう終わったんでしょう?
 お願いです。 戻ってきてください」

「無理だ」

「どうして!」


ルリの声に痛みが混じる。
身に留めていた感情が堰を切って流れ出そうとしているのがわかる。
だが、男の言葉はその痛みを感じることもなく続く。


「俺の身は血に塗れている。
 殺した奴ら、巻き込まれて死んだ人たちの
 怨嗟の思いが染み込んでいる。
 俺に幸せになる資格は無く、
 俺の存在は災いしかもたらさん」

「そんなの関係ありません!
 私には、私にはアキトさんが必要なんです!」

「他をあたるんだな」


なんなんだ、この人は!
話をきくそぶりさえないじゃないか!
わかってない!
どんな気持ちでルリさんがここまで来たのか、全然わかってない!


激してくる感情を必死で抑え、
少年は自分の今できることを進め、
また後に来る事態において自分のなすべきことを考えようとする。

同時に、余りといえば余りにも冷たい闇の皇子の言葉に、
いままで傍観を決め込んでいた高杉三郎太が声を荒げつつ口を挟む。


「おいあんた!
 何ぼなんでもそれはないだろ!」


だが三郎太の激情をも受け流すかのごとく、
男の言葉はまた冷淡であった。


「高杉三郎太といったな。
 俺の存在が何を意味するのかわからない馬鹿でもあるまい」

「わかっているさ。
 わかっているけど、艦長の気持ちってのを考えてやれよ!」

「わかっていないな。
 俺が帰れば、俺が裁かれるだけではない。
 俺に協力してくれた者、見逃してくれた者全ての破滅になる。
 ユリカも、ミスマル提督も、そしてお前の艦長もだ」

「わかっている! 
 だが、それでも!」


思兼がユーチャリスのジャンプフィールドが安定したことを告げる。
時間はもう残されていない、ということだ。
白銀の戦女神は、もはやその毅然とした振る舞いをどこにも残すことはできなかった。
焦り、すがり付こうとする一人の少女でしかなかった。


「もう、話すことも無い。
 ホシノ ルリ、さらばだ。 二度と会うことも無いだろう」

「嫌ですアキトさん! 
 もう誰も、私には誰もいないのに!

 ユリカさんももういないのに!」


それは、まさに絶叫であった。
その絶叫のもたらしたものは静寂、あるいは沈黙であった。

平常心を完全に失った艦長の言葉は、だがしかし去りつつあった白亜の戦舟を縛る、楔となった。
少女の押し殺すようなすすり泣きが宙空を満たす中、
打ちひしがれたように見える黒装束の男が、搾り出すように声を出す。


「ユリカが・・・・・・、ユリカがもういないだと!
 どういうことだ、ルリちゃん!」


「ユリカさ・・・ひっく、ユリカさんは・・・・・・」


昔の呼び方に戻った男の声に、
少女は顔を上げるもまともに言葉をなすことをできずにいる。

その時金瞳の少年は、画面の奥にいる白金の少女の無表情な面に
痛むようなものをみた。


あの子はユーチャリスのオペレーター?
テンカワさんが苦しんでいるのに動揺しているのか?
なら!


ハリはIFSを通じて三郎太に緊急のメールを送る。
すなわち、『彼らの感情を煽ってくれ』と。
言葉を出せなくなったルリの代わりに、三郎太が言葉を続ける。


「ユリカさんは死んだ。
 あんたに救い出されてしばらくして意識を取り戻して。
 だが身体は遺跡に侵食されたせいで弱りきって」

「アキトさんに・・・・・・ただ会いたい、
 会いたいって言いながら、
 それだけを・・・・・・うっく、繰り返して、
 
 ・・・・・・どうして、
 どうして会ってあげなかったんですか!」


涙を振り絞りながらルリが叫ぶ。

ブリッジの中も押し殺した泣き声が溢れる。
涙を流しているのはルリだけではない。
操縦席のミナトも、通信席のサクラも片手で目を覆いながら声を隠している。
少年も叫びそうになるのを、崩れそうになる艦長を支えにいきたくなるのを
歯を食いしばって我慢し、艦の制御とプログラムの構築に力を尽くす。

少女の言葉は堰をきったかのように小さな口から溢れ出し、
闇の男の心を叩きのめす。


「ええ、ユリカさんは居なくなってしまいました!
 最期は、あきらめたように力なく
 泣きながら。

 あのお日様のようだったユリカさんが、
 最期にわたしになんて言ってくれたか
 教えてあげましょうか?

 『ルリちゃん、
  幸せになるのってこんなに難しかったんだね。
  あたし、アキトと一緒にいられたら、
  それだけで良かったのに。
  あたしたち、
  結婚してからまだ一日もちゃんと一緒にいたことないんだもの。
  一回でもいいから、会いたかったなぁ・・・・・・』って。

 それから二日、声を出すことも無くただ泣きつづけ、」
 
「やめろ、ルリちゃん!」 


ルリの激昂についに堪えられなくなったアキトの叫びに
しかし反応したのは三郎太であった。


「やめろだと? 
 貴様何様のつもりだ?
 どんな気持ちで艦長が、
 どう思いながらユリカさんを看てきたと思っているんだ?
 艦長も、ユリカさんも、貴様なんかをずっと待ちつづけて、
 それもかなわずに心をすり減らして」

「お前如きにわかるか」

「ああ、わかりたくも無いね。
 自己満足のために、
 残党狩りと称して殺戮を繰り返して、
 そしてあんたのことを本当に必要にしている二人を見捨てて旅三昧。
 まったくいい身分だね」

「!」

「ああ、いくらでも言ってやるよ。
 残党狩りなんか、貴様がやる必要は無かった。
 やつらの残った戦力なぞ、
 宇宙軍でも統合軍でも十分に対処できた。
 貴様がやるべきは、ユリカさんのもとに戻ることだった。
 戻れない事情なんかは知ったことじゃない。
 その状況を覆すことすら考えたこともなかったんだろう?
 
 ・・・・・・お前は腰抜けだ。
 拒絶が怖かったんだろう?
 艦長が、ユリカさんが変わってしまった貴様を拒絶することを。
 貴様は逃げて、逃げて、
 ユリカさんの気持ちをただ踏みにじったんだ」

「アキトを責めないで!」


画面の向こうで、三郎太の口撃に堪えられなくなった少女が感情をあらわにして叫ぶ。
だが、それこそが金瞳の少年の待ちに待っていた、一瞬であった。

この一瞬のために少年のくみ上げた攻勢プログラムは
思兼とのディープ・リンクを果たした少年の意志を
電脳の矛として具現させ、ユーチャリスの機械知性の防壁を一瞬で切り裂いた。
ユーチャリスの精神に深く突き刺さったその矛は
その戦船の鎧たるディストーションフィールド発生装置に強制干渉する。
その効果を確認し終わる前に少年がしたことは、
アンカーを打ち込みジャンプフィールド発生装置を物理的に破壊することだ。

全ては一瞬のうちのことだった。
男が、白金の少女が我に返り、対策を講じようとしたときには
ナデシコCより放たれたビーム・アンカーにより
二艘の戦船は完全に連結されていた。
ユーチャリスは、捕らわれたのだ。



ミッション・コンプリート。 目標甲、確保。

 

 

 

代理人の感想

うーむ、うむうむ。

えらくまた、成長したものよ。

やっぱり人間ってその必要があるときに成長するもんなんですねぇ。

前回の前ふりも有効に活かされていますし、いいですね。