少年

機動戦艦ナデシコ

第7話 「杯を交わす二人に 憎しみはすでに無く」




「さてテンカワくん、昨夜はゆっくり眠れたか?」


軍服ではなくダークグレイのスーツを着込んだホリが
闇の皇子と呼ばれた男の営倉に入ってくる。
その襟には法曹の地位を示す天秤の紋の入った襟章が光る。

アキトはまだ布団をかぶせられたままであり、
そもそも一人で起き上がることすら困難を伴う。
彼は両腕に力を入れ身体を起こそうとするが、その動きはひどく緩慢である。


「ああ、そのまま寝てな。
 ラピスちゃんが起きるじゃないか」


その声に目で感謝の意を伝えると再びその身を横たえる。
少しめくりあがった布団の端から微妙な色合いを持つ白金の髪が目に映る。


「ホリ、今日は何の用だ?」


逮捕後、いろいろと便宜を図ってくれた感謝の念ゆえ、この男に対する憎しみは多少薄れている。
だがそれでも言葉が冷たくなってしまうのは已むを得まい。


「まあ、邪険にするなって。
 まずはお姫様のご機嫌伺いかな。
 お嬢さんは落ち着いたか?」

「ああ、まだぐっすり眠っている。
 よっぽど不安だったんだろう。 

 ‥‥‥ラピスを同室にしてくれたのには本当に感謝している」

「その礼は、ミナトさんとハリくんにするんだな。
 ま、あの二人が頼まなくてもそうすることは考えはしていたけどな」


驚きを目に浮かべるアキト。


「検察官のくせして
 意外にお前、いい奴なのか?」

「意外ってお前さんなぁ、
 検察官に偏ったイメージ持ってるだろ?
 『無実の人に罪を着せて刑務所に引っ張っていく鬼のような生き物』とか?」

「違うのか?」


法曹の男はベッドの脇にパイプ椅子を持ってきて腰を据える。


「‥‥‥勘弁してくれ。
 こっちは法の代弁者であって
 罪を擦り付けるためのモノじゃないんだがなぁ」

「一昨日のやり方を楽しんでいるように見えたが」

「演技だよ、もちろん。
 「人の檻」をやる上で一番効果的なのが
 酷薄かつ愉快そうにあれをやることだそうだ。

 ま、そんなわけでこの世に法の正義を取り戻そうとしている人間としては
 すすり泣きを続けるラピスちゃんを哀れに思ったわけだ」

「改めて、礼を言おう。
 だが俺が言うのもなんだが、
 問題は無いのか、こんなことして?」

「未成年の少女を男性と同衾させることか?
 まあ、倫理的に確かに問題があるかもしれんが、
 何もしなければ大丈夫だろう」

「違う! 
 そのことじゃなくて犯罪者にそんな便宜を図っていいのか、ということだ!」

「冗談だ。 わざわざ騒ぐな、タコ。
 別に問題、特に無いだろ?
 今のお前らの立場って一応は容疑者でしかないわけだし、
 身柄を確保してりゃ細かいところは文句言わんでよかろう?
 お前らのことを親子だと擬制することはできるからなぁ。
 もし問題があったらその時は俺が被ってやる」

「いいのか?
 ‥‥‥すまん」


大きく息をつく、ホリ。


「まあ、気にするな。
 一昨日にはあれだけ胸糞悪い仕事をさせられたんだ。
 残りは自分が気持ちいいように仕事させてもらっても罰はあたらんだろう。
 俺達自身の精神的健康の為にな」


艦橋でのあのやりとりがいかに彼自身にとっても苦痛だったかを
声高に言い捨てる。


「それはそうだろうな」


それに対してはなんとも言いがたく、
おざなりな返事を返すに留めるアキト。


「考えても見ろよ、俺、法律家だよ?
 しかも大して金にもならない検事だぜ?
 法の代弁者って自負してる正義好きの男だぞ?
 いくら合法とはいえ、人質とって脅迫して、気分が良いはずがないだろ?

 しかも結構いいダチやってた高杉を銃で撃てとか
 しゃぶりつきたいようないい女に銃を向けて脅せとか命令を出したり、
 自分に懐いてくれたハーリーに銃を押し付けたり。
 ああ、ミナトさんにもサクラちゃんにもこれで嫌われちゃっただろうなぁ。
 だから婚期が遅れるんだよなぁ。

 ‥‥‥それはともかく。
 まあ、あれで投降してくれたお前さんにはある意味感謝してる」

「‥‥‥」

「まあ、そんなわけだ。
 だから、この件に関してはこれ以上気にするな」

「わかった。
 ではルリちゃんも一緒に、というのは可能か?」

「ラピスちゃん一人じゃ足りなくて、もう一人か? この鬼畜野郎」

「‥‥‥頼むから、その手の話題から離れてくれ。
 そういうのではなくて、だ。
 昨日ミナトさんとマキビくんが来たときに聞いた、ルリちゃんの話だ。
 ルリちゃんの状態は把握してるんだろ?
 だったら俺の言いたいこともわかるだろう?」


ホリの貌に影がさす。
酒が欲しいぜ、と吐き捨てるように一人ごち、
天井を見上げながら冷徹になった声で答える。


「結論から言うと、それは無理だ。
 俺の一存じゃどうしようもない」


それを予想していたのか、声を荒げることも無く問う。


「理由は、聞かせてくれるな?」

「理由は二つある。
 一つ目の理由が、俺たちの管轄外である、ということだ。
 ホシノ ルリはただ刑事法違反の現行犯逮捕、というだけではなく
 宇宙軍軍規の重大な違反を犯している。
 主力戦艦の私的運用、ならびに軍の内部文書の改竄が疑われている。
 軍部の上層からお前らとは隔離するよう直接の指令が来たらしい。
 だがミスマル提督と現在連絡がとれず、交渉のしようがないのが現状だ。 

 もう一つの理由が、彼女の精神状態だな。
 はっきり言ってかなりやばい。
 ミナトさんの言によると、ハリを悪者にすることで精神の均衡をなんとか保とうとしているらしい。
 ‥‥‥多分、俺があの小僧と仲がいいのを憶えていたからだ」

「‥‥‥それなら、尚のこと急いで対策を取る必要がないか?」

「素人が、どんな対応をとれるってんだ?
 この船の軍医も当てにならん。
 外科、内科はともかく、心理面ではアマチュアと大差ない。
 投薬治療を行おうにも、せいぜい在庫は抗鬱薬程度しかない。  
 専門のカウンセラーが必要だ、というのが相談した軍医の結論だ。

 それとも、素人が下手に触れて
 回復不能なところまで壊しつくすか?」

「仮に‥‥‥俺が一緒に居てやれたとしても、どうにもならんか?
 自惚れるわけではないが、心の支えにはなるんじゃないのか?」

「かもしれないし、ならないかもしれない。
 軍医の旦那は、今のお前の姿を見せることには徹底して反対している。
 半身不随になって囚われの姿になったお前さんの姿、というのは彼女の心を決壊させてしまうかもしれんそうだ。
 自虐傾向が強まるだか破壊衝動が強まるだか、
 よくわからんことを言っていたがとにかく危険らしい。
 それが正しいかどうかも俺にはわからんが、
 いまある参考意見がそれだけである以上、俺には許可できない。
 たとえ軍部の命令が無かったとしてもだ」


重い沈黙が部屋を塗りつぶす。


「すまんな、また落ち込ませたようだ」

「いや、ホリ、お前のせいじゃない」

「我慢しようと思ったが、やっぱり呑む。
 お前もつきあえ」

「いいのか? さすがにそんなことまで」

「青少年保護条例違反に比べりゃ些細なことだ。
 ほら、手ぇ貸してやる。 起きろ」


だから誤解だ、とぶつぶつ言いながらも上半身を起こすアキト。
ホリは懐から二本、緑色の小ぶりな酒瓶をとりだして蓋を開ける。


「ジンで構わんか?」

「どうせ味覚は死んでる。
 酔えればそれでいい」

「結構いいジンなんだがなぁ。 
 ま、いい。 呑め」


自ら一口、口に含み、アキトに瓶を手渡す。
アキトもそれを呷る(あおる)。
透明な液体が熱い感覚とともに喉を降りていく。


「‥‥‥喉が焼ける感覚、悪くないな」

「気に入ったか。 もっと呑んで構わんぞ」


別の一本を自ら開け、ホリはまた一口呑む。


「‥‥‥思ったが、ラピスが酔わんか?」

「匂いくらいじゃ酔いやしないだろ?」

「いや、ラピスは俺とリンクして
 俺の五感を補佐しているんだ。
 だから、俺が酔ったら、ラピスも酔うはずだ」

「‥‥‥ふむ。 

 全く問題ない。
 ラピスちゃんの血中アルコール濃度が高まるわけじゃない。
 だから未成年の飲酒にはあたらん。 
 遠慮なくいけ」

「この、不良検事が!」


くつくつと思わず笑みをこぼすアキト。
こんな風に笑うのは思えば随分と久しぶりのことでなかろうか。
少女のことは気がかりなれど、
虜囚の身になって心が軽くなる、なんとも不思議なものだった。


「さて、アキトくん。
 まじめな質問をしたいのだが、かまわんか?」

「ああ」

「何故、あんな手段しかとれなかった?」


己のしでかした所業を振り返させる一言の疑問。
かつて闇の皇子であった男はもう一度瓶を傾け、喉を鳴らしてから答える。


「他にどんな手があったっていうんだ?」

「何をするのに?」

「ユリカを、取り戻すために」


にやりと笑うホリ。


「それがお前さんの一番の動機か。

 それを聞けて良かったよ。
 お前さんがただ復讐の為に周り全てを巻き込んだんじゃ無くてな」

「? 何故お前がそれを喜ぶ?」


怪訝な表情を見せるアキト。


「言ってなかったと思うが、基本的に俺はお前さんが嫌いじゃない。
 火星の後継者とクリムゾンのしていたことを知ったからな。
 人道に対する罪をいくつもいくつも重ねやがって、なぁ?
 ジェノサイド条約違反に人体実験だ?
 よくあれで正義だか秩序だかを名乗ろうとか思ったもんだ。

 そんなわけであいつらを潰したお前さんはある意味では俺の中では正義だったんだ」

「‥‥‥」

「ま、俺としては死刑判決がでないで済みそうで喜んでいる、ということだ。
 これが最初から復讐目的とか殺戮目的だったらそうもいかんかったがな。

 まあ、俺はお前さんを認めているよ。
 やり方を間違えた、というのは否めないがな」

「‥‥‥他に、どんなやり方があったというんだ?」

「法は、いかなる理由があっても私刑を許さん。
 いくら人道的な理由があっても、適正手続きを踏まないで刑を処すことは
 法治国家においては犯罪となる。

 これはお前さんだけじゃなくて、ネルガルのお偉いさんにも言いたかったんだが、
 違法な手段をとる前にちゃんと合法手段を考慮にいれたのかね?

 だいたい、研究所荒らしってお前も参加していたんだろ?
 あれだってウチら司法局と組んでやってくれりゃあいいのに。
 いくら身内の恥部をさらすのが嫌だからって
 司法取引とかいろいろ考えられるってのによぉ」
 
「信用できる人間を知らなかったんだろう?」

「人を殺しまくるのと信用できる人間を探すのがどっちが楽なのかね?
 共同戦線を張れりゃあなぁ、
 情報くれて強制捜査に協力してくれりゃあ
 ネルガルのもクリムゾンのも実験のデータくらいはくれてやっても問題ねぇってのに」

「‥‥‥」

「コロニー襲撃もだ。
 お前らが持ってた情報と戦力、俺らが持ってた情報と捜査権があれば
 もうちょっとうまくやれたと思わんか?」

「確かに‥‥‥そうかもしれなかった、な」


俺は間違っていたのか、と呟くアキト。
ホリは瓶にまだ三分の一ほど残った透明な液体を一気に飲み干すと、
頭を軽く振って、ゆっくりと立ち上がる。


「まあ、いまさら言っても詮無いことだ。
 もしそうしていたら無事に火星の後継者の叛乱を止められたかどうかもわからんしな。
 お前はお前が取れた手段をとり、それは俺達を敵に回した。
 それだけのことだ。

 明日には地球につく。
 そして、裁判はすぐ執り行われるだろう。
 ゆっくりと休んでおけ」

「ああ」

「最後に、勝者は勝者らしく命令させてもらおう。

 テンカワ アキト、
 くだらんプライドを捨て、最後まで足掻き続けろ。
 如何に苦しくても、命を捨てるな。

 嬢ちゃんたちを守りたかったらな」


そう言葉を投げると、かなりの酔いを感じさせる足取りでホリは出て行った。

アキトも瓶に残ったジンを飲み干し、
部屋の隅にそれを放り投げる。
甲高い音とともに瓶が床に転がり、
その音に驚いたのか傍で眠っていた少女が眼を覚ます。


「う‥‥‥ん」

「起こしたか。 すまん、ラピス」


のそのそと頭をもたげ、男に顔を向ける少女。


「‥‥‥アキト」

「どうした、ラピス?」


明らかに目の焦点が合っていないのがわかる。
気のせいか、頭も揺れているようだ。






「‥‥‥気持ち悪い」


一滴の酒をも呑まないまま、生まれて始めての二日酔いを経験する少女がそこにいた。






 

代理人の感想

なんか、これだけでも立派に短編として通用するかも。

きちんとシメもありますし。

 

ホリに関しては数話間を置いたのが良かったのか、それほど反発も感じませんでしたね。

他の読者の人がここをどうお読みになるかはちょっとわかりませんが、少なくとも私はそう感じました。